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2006年10月31日

金沢 -兼六園-

徽軫灯籠

水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つ、兼六園に訪れた。
延宝年間(1673~81)、5代藩主前田綱紀が造らせた蓮地庭である
現在の姿は13代藩主斉泰の時代に完成したもの。約11.4万平方mの敷地だという。

-兼六園-の名は、六つのすぐれた景観「六勝」を兼ね備えていることから名付けられたという。
今回この時期に訪れたが、是非一度冬の雪景色も見てみたいと思った。
また、訪れるようであれば、成巽閣は是非拝観されるのが良いと思う。

雁行橋

雁行橋

虎石

虎石

日本最古の噴水

日本最古といわれる噴水。
この噴水の位置より高い位置にある霞ヶ池から水を引き、水位の高低差だけを利用して、水を噴き上げさせている。

山査子(さんざし)

山査子の実がなっていました。こんな実なんですね。
まだまだ見どころはたくさんありましたが、これから訪れる方の為にこのへんで・・・。

2006年10月30日

金沢 -21世紀美術館-

21世紀美術館_ガラス張りの美しい建物

21世紀美術館。
この手の美術館を敬遠しがちな私であるが、美術の仕事に携わる人から行くべきだと言われ訪れてみた。
楽しい!!! 
建物も展示内容も近代的。 なのに古都金沢にマッチしている。
浮いた存在にならず、この古都に上手に溶け込んでいて、それにも驚かされる。

プールの中にて

プールの中で写真を撮ってみました。
これ、どうなってるかわかりますか?
是非行ってみて下さい。 他にもいろいろな不思議と楽しさを体験できます。

2006年10月27日

白川郷 -どぶろく祭-

御輿が社へ

世界遺産、白川郷を訪れた。
今回のお目当ては、ちょうど土日と重なった-どぶろく祭-。
白川郷にある白川八幡神社(創建は和銅年間と伝えられる)では、毎年10月14日、15日と、このお祭が執り行なわれる。
白川郷は、平家の落人の隠れ里といわれ、外との交わりをほぼ断っていた人々が、各々の家で稗や粟で酒をつくり、なぐさみとしていたようである。
このお祭は、新穀豊作に感謝する新嘗祭に由来する行事であろう。
参拝者にふるまわれるどぶろくは、古くから受け継がれた技法をもって、雪深い1月下旬に、神社の酒蔵で造りこまれるらしい。
甘みと酸味、清らかな水の味、生きている糀の味、一度にいろいろな新鮮な味を感じられ、とても美味しいものだ。

お祭の行列

色鮮やかな衣装、笠などが民族色豊かで印象的。

雲一つない秋晴れ

雲一つない秋晴れの空にたなびく紫・黄・白・赤が真横を通りすぎていく。

この後、獅子舞が奉納

獅子舞が奉納される。(獅子舞の動画を再生するには、QuickTimePlayerが必要です)
初めて間近で見る獅子舞は、荒々しくも美しく、日本人の心を揺さぶるもので、感動する事しきり。
能や狂言を見た時の感動とはまた違う、血がさわぐような感覚を覚えた。
これを機に、地方色・民族色豊かな祭にちょくちょく出かけたい気持ちになった。

変わらぬ風景

2006年10月26日

寺の大樹 その3

8月のお盆開けに枝部分だけを伐採した自坊の大けやきの幹の部分も、つい先頃、ついに伐採をしてもらった。
秋晴れの日にはさまれた、あいにくの雨の日であったにもかかわらず、重機の予約の都合もあり、10月11日に決行された。前回と同じ兄弟の山師さんたちである。


伐採されようとする大けやき


とてもすばらしい職人技で、まずは上部の枝のあった根本の下で伐り、続いて根本のあたりから伐られた。伐り出された胴の部分の長さは7mあった。


根元もついに離れた

伐られた根元部分

心配していたのは、内部に虫が入っていて、空洞になっていないかということだったが、そんな心配も虚しいほどの、なんともすばらしい色をした幹の切り口を見ることができた。 今更言ってもおそいが、弱っていたのは枝の方だけで、幹はまだまだ元気だったようだ。 年輪はしっかり数えはしなかったが、想像していたほど古くはなく樹齢180年くらいだ。 しかし、この寺の歴史の半分は見てきた大樹であることに間違いはない。

寺の用材となるためにトラックへ運ばれる幹

その大木が運び出されていく。用材として使えるようになるには、これから十年後にはなりそうだ。

上部の枝の根元であった部分は、用材には使えないので、寺に残してもらった。
平らな根元の切り株の上に載せてみると、なんとも、まるで掌のようで愉快である。


切り株の上に載せた掌のような上部

2006年10月25日

故郷 -ふるさと-

仏坂 何の人口建造物も見当たらない美しい風景

皆さんは故郷-ふるさと-ということばに、何を思い浮かべられますか。
都会で育った私ですが、祖父母や先祖がいた土地に行くと、感慨深いものがあります。
幼い頃は、何も無さ過ぎる田舎に、ここが父の故郷か・・・となんとなくかっこわるいような気もしたものです。
それが、大学を卒業した頃から、「不便かもしれないが、自然に恵まれた何て美しい場所だろう」と思うようになりました。場所によっては、何の人口建造物も見当たりません。

今年もお彼岸に墓参りに訪れると、高野山・熊野古道などが世界遺産に登録された際に、同じく祖父が眠る寺から見える山(仏坂)も世界遺産に登録されたのだとか。
このような日本の美しい風景が、世界遺産に登録される事によって守られていく事と、登録するに値すると認められた事に、とても嬉しくほこらしく思いました。

清らかでゆったりとした川の流れ

2006年10月24日

標高3100メートルを超えて

峠のチョルテンからの眺め

標高3100メートルあるというこのドチュ・ラ峠を超えていく。
この峠には、反インド政府ゲリラをブータンから一掃する戦い(2003年)の戦勝記念として建てられた108のチョルテンがある。
ブータンという国から、あまり戦争や闘いなどは想像がつかない。

話は少しそれるが・・・
旅行者にとっては、「平和で、信仰心厚く、独自の文化を守っていて素晴らしい国」であるが、それが、様々な国の政策・歴史があってこそだというのは、帰国して、もっとブータンを知りたいと思うようになり、本を読んで知り得た。
国の方針がここまで美しく統一されているという事の裏には、抑圧される人々もいないわけではないという事だ。
ただ、いろいろな現実があり、それを知ったとしても、ブータンの魅力はやはり私を虜にするのだが・・・。

話は戻って・・・
峠への道のりでは、外国人は、許可証が無いとチェックポイントを通過できないようになっている事からも、個人でのブータン旅行が無理に等しいのがわかる。
-NOTICE-
ALL THE FOREIGNERS ARE REQUESTED TO PRODUCE THEIR TRAVEL DOCUMENTS HERE.

運転手のキンガさん_チェックポイントにて

108のチョルテン郡

水車式マニ車

途中、川の流れを利用したマニ車を見かけた。
自然の湧き水や雪解け水が集まり、川となって流れ出てくる事を讃えているかのような、自然とお経が一体となっているかのような感じがした。
ダルシンやルンタと呼ばれる旗を風になびかせるのと同じような意味だろうか。
信仰・自然・人間が当たり前のごとく、乖離することなくあり続ける姿を羨ましく思った。

峠の茶屋

峠の茶屋からの風景。天上界にいるよう。
雨期なので、7000メートル級の山々は姿を見せてはくれない。
3100メートルという事で、やはり空気は冷たい。

風にたなびくダルシン

チベット仏教の経文が書かれたダルシン。
マニ車と同じく、オン・マ・ニ・ペ・メ・フムと書かれている。
オン-天国、マ-修羅、ニ-人間、ペ-畜生、メ-餓鬼、フム-地獄。
すべての衆生が、六道輪廻の輪から解き放たれるように・・・との祈りが風に乗り、国中を・・・。
祈りや信仰が国中に溢れている国だから、こんなにも魅力的な国なのだろう。

チベタンマスチフ?

気持ちよさげにお昼寝

標高が高いからか、わんちゃんはチベタンマスチフ系???
かなり気持ち良さそうに眠っています。

2006年10月23日

紀州備長炭

備長炭を焼く窯

和歌山を訪れた際、備長炭を作っている所を訪ねてみた。

水やご飯を美味しくし、部屋の空気を浄化。靴箱や冷蔵庫では脱臭材。
紀州の備長炭は、身体にも自然にも優しく、万能なので愛用中。

最近では、シックハウスから住む人を守ると注目されているようだ。
また、家庭菜園なんかの肥料にも炭のくずが使われているとか。
その他にも、利用法は無限にありそうな備長炭。
まわし者のようだが、単に素晴らしさをお伝えしたいのみ。
一度おためしあれ。

出来立ての備長炭

2006年10月20日

西明寺 -ご開帳-

美しい三重の塔

湖東三山の本尊がご開帳。今回は、西明寺を訪れた。

天台宗の寺院で、平安時代(834)に仁明天王の勅願により、三修上人が建立した寺だという。

湖西にいた三修上人が、東の空に紫色の雲がたなびくのを見て、かけつけてみると、池の中から薬師如来が現われたのだという。その場所に建てられた事もあり、池寺(いけでら)とも呼ばれ、ここの地名も池寺というそうだ。

こちらのご本尊は薬師如来で、脇侍の日光菩薩月光菩薩も非常に美しい。

それにしても、山を登って漸く本堂にたどり着くあたり、百済寺も金剛輪寺もこの西明寺もとてもよく似ていて、私は頭の中で3つを鮮明に思い出す事ができない。

「駄目だなぁ、恥ずかしいなぁ」と思っていたのだが、白洲正子さんの文章にも同じような事が書かれている箇所があり、なんとなく安心したのでここで白状することにした。

ただ、とりわけ西明寺の本堂は美しく、また三重の塔も、私は天下一の美しさではないかと思う。
それもそのはず、あとで知ったがどちらも国宝だそうな。
本堂までの道のりには、苔が非常に美しく育っており、緑の世界に包まれ何とも目に優しい。

苔むす道を、本堂へ

こんなとこまで苔だらけ

不断桜

ここ西明寺には、9月頃から翌年5月頃まで咲き続ける-不断桜-と呼ばれる桜がある。
樹齢は約250年。地下水が暖かいから咲くのだという。
紅葉の頃だと、桜とあいまって、自然の雲錦模様が見られるわけだ。

ご本尊のご開帳が終わった後には、どうやら三重の塔の公開があるようだ。
少し不便ではあるが、是非また紅葉の頃訪れたい。

庭園

2006年10月19日

八重のコスモス

八重のコスモス

珍しい八重のコスモスです。
秋のコスモス畑、なんとも言えない風景ですね。
この名前、-宇宙-を意味するスペイン語のCOSMOSに由来するとか、ギリシャ語の、美麗(KOSMOS)に由来すると言われています。
コスモス畑の美しさが、星空のように美しかったからこのような名前なのでしょうか。
和名は秋桜(あきざくら)。明治頃伝わったようで、メキシコ原産です。

美しい花ですが、河川などに植えるのは禁物!
外来種が日本の草花の存在を脅かす事になりかねませんのでご注意・・・。


2006年10月18日

白花ホトトギス

白花杜鵑

ちょうど今頃、9月から10月に咲く、ユリ科の多年草のシロバナホトトギスです。
まだ小さいのですが、この前、山野草の店で見つけて庭に植えたばかりです。
案外、このシロバナホトトギスは手に入りにくいのだそうです。
買ったときには花は無かったのですが、たぶん白い花が咲くはずだと言われて買ってきたのです。
つい最近、白いかわいらしい花を咲かせました。
まだ切って使うのはかわいそうなので、このまま庭で花を咲かせておこうと思っています。
野生なので、きっと増えるのではないかと期待しておきましょう。

白花杜鵑


ほかにも一緒に買った赤白金の三色の水引草もすくすくと伸びて来ています。
ただ、ときどきチェックしないと、毛虫が葉っぱを食い荒らしていたりします。

2006年10月17日

国王のオフィスと総本山 -ブータン-

タシチョ・ゾン

タシチョ・ゾンと呼ばれる、国王のオフィスを訪れた。
ここは半分は政治の為のオフィスであるが、同時に宗教界の最高権威ジェ・ケンポを頂点とするブータン仏教の総本山でもある。
各地方にゾンはあり、どこでも半分政治・半分宗教という形をとっていた。
ガイドは、ゾンを城と言っていたが、元々はチベット圏における行政区画の単位の一種だったようだ。
戦争の際などには、要塞としての役目もあったとか・・・。

ゾン内では、必ず正装をしなくてはならない。男性の正装は以下のような格好。
大きな白い布を身体にぐるりと巻いているが、カムニという。正装時の必需品!
政府高官などは赤をつけ、大臣は山吹色、一般人は白だそうな。

ブータン人の正装

虹が出た!

雨であっても傘をさしてはならないこのゾン(外国人観光客は脱帽・襟のついた服・サンダル以外の履き物と決まっている)で、なんとか天気はもちこたえてくれた。
ふと空を見ると虹が。美しい。

美しくペインティングされた壁

ブータンには、仏教画を専門的に学ぶ学校があるようだ。
このように、ゾンはもちろんのこと、民家などにも頼まれてペインティングすることがあるという。
彩色豊かで美しい。

曼荼羅

壁に描かれていた曼荼羅。これは時間(時空?)を表わすのだそうな。>ガイド談
ん~。 他に六道輪廻図のようなものもあり。

bhutan_126.JPG

-4friends-とガイドは言っていた。協力しあう事、また平和を象徴する絵だそうな。
鳥が蒔いた種に兎が水をやる。猿が肥料を与えて象が木を守る。そうして出来た果実を、今度はこのように協力して収穫し、分かち合う。寺院やいたる所で見られる。

タシチョ・ゾンの全景

高台から見たタシチョ・ゾン。


2006年10月16日

金剛輪寺 -ご開帳-

百済寺から車で北に10分ほどのところに、同じく湖東三山の一つ、金剛輪寺がある。
ここも天台宗開宗1200年にあわせ、秘仏「聖観世音菩薩」のご開帳を行なっている。


金剛輪寺の参道


ここは、当時の住僧の機転で、寺の上の山林に自ら火をつけ、本堂が焼け落ちたと偽って、信長の焼き討ちから逃れたという。

赤い風車をつけたお地蔵さまの並ぶ参道

赤い風車をつけたお地蔵様が並ぶ参道を登っていくと、ようやく本堂にたどりつく。ご開帳ということで多くの参詣者がみえていたが、線香の香りのたちこめるなか、じっくりと美しい聖観音様の尊顔を拝することができた。 この観音様は行基菩薩の作によると言われ、彫刀を進められていると、木肌から血が一筋流れたということから、「生身の観音」と呼ばれ、よって、粗彫りのまま安置され信仰されてきたのである。

重文の三重の塔

もう少し後に訪れると、さぞ紅葉が美しいことだろう。

2006年10月13日

狂言の名乗り

京都にいると、例えば能や狂言を、勤務の終わった後に出ても無理なく見に行ける。
それも金剛能楽堂や観世会館といった、本家本元へである。
これはとても嬉しいことだ。
学生の頃、父にすすめられて、一度、当時の金剛能楽堂まで出向いたことがあるが、どうも学生の私には敷居が高すぎて、入ることができなかった。

先日、観世会館で、「鬼瓦」・「月見座頭」・「仁王」という、それぞれ有名な狂言を観ることができた。
狂言の始まる前に茂山千之丞さんが、狂言こぼれ話ということでお話をされた。
そのお話は大変フランクな調子で、大いに笑って楽しんで欲しいということで、実際、その後の狂言も気楽に笑って楽しむことができた。
ご存じの通り、狂言では最初に名乗りといって、「これはこのあたりに すまいいたすものでござる」というように自己紹介のセリフがある。さて、この「このあたり」というのはいったいどこなのか。
茂山千之丞さんが仰るには、「狂言は、時代を越えて、今この時代のこの場所で演じられている。このあたりというのは、今の場合、この観世会館のあたりと思って頂ければいい。また、お客さんがこの舞台にあがって、自分自身のことと思ってくださればいい」ということだった。
眼から鱗のような気分だった。
たしかに「仁王」には、セリフの中に現代のこと「コンビニで云々」と出てきたりもして面白かった。古典芸能なのに、全く以て新しいのである。
学生の頃感じた敷居の高さなどというものは、実は勘違いだったのである。

さて、このところ、大御所と言われる人に出会ったり、話を聞いたりするたびに思うのだ。
こんな言い方をしては失礼かもしれないが、すばらしい人は、例外なく、大変お茶目なのである。
とても気さくで、いつも何か面白いことを見つけて楽しもう、としておられるように感じられる。
堀内宗心宗匠しかり、茂山千之丞さんしかりである。

2006年10月12日

百済寺 -ご開帳-

ご開帳でにぎわう百済寺

以前も書いたが、近江の百済寺にて、本尊十一面観世音菩薩のご開帳(9/18~10/27)があり、参拝した。
今まで見たことの無いようなお顔のように思った。
つらつらと感想を書くのも気が引ける。是非この機会に近江まで足をお運びいただきたい。
他に湖東三山の、西明寺・金剛輪寺も同時に秘仏が公開されている。

2006年10月11日

堤側庵 -三重県名張市-

堤側庵

名張の知人に連れられ、とあるギャラリーを訪れた。
このギャラリーへの道は、どことなく情緒があり、尋ねてみるとやはり昔は伊勢参りの為の街道-初瀬(はせ)街道-だったとか。
そんな街道沿いにある、提側庵(ていそくあん)は、古い家屋を改造して作られたギャラリーだ。
古い建物や、立派な古い梁を生かしつつ改築し、現代的に開放された空間が居心地良い。

現在こちらでは、伊賀焼の谷本景(たにもと・けい)さんの作品展が開催されている。
茶道を嗜む方はよく耳にするであろうこの伊賀焼。
戦国時代から江戸時代初期の武将、藤堂高虎の娘婿が小堀遠州であった事からその庇護を受け、遠州七窯の一つに数えられている(伊賀焼ではなく、古曽部を七窯の一つとする説もあり)。
伊賀独特のびいどろ釉の照りや、こげの出た耳付花入、どっしりとした水指は、わびさびを好む茶人にはたまらない一品だ。
遠州が好んだことからも、わびさびに加えて、きれいさび(茶道遠州流はこれをモットーとしている)として見てとれる作品もある。
なにはともあれ、心地良い空間で、素敵な作品を拝見し、目の保養となった。

ふと、一枚板で作られたテーブルに、見たことの無いような素敵なクロスがある。
くみひもで作られたものだった。さらに窓辺にはタペストリーも。
実はこのギャラリーを営むお家、家業としては、先々代の頃から組紐(くみひも)を作られているらしい。
組紐と言えば、着物で使う帯締めくらいしか想像しなかった為、驚きながらも感心することしきり。
古き良きものを生かしつつ、現代にも馴染むものをも創り出す、職人の技を見た。
近くに行かれる際は、是非立ち寄って欲しい。

2006年10月10日

ドゥプトプ尼僧院 -ブータン-

ブータンに鉄の橋を伝えた事で知られる、タントン・ギャルポが瞑想を行なった場所に建てられた寺。
瞑想を行なった場所だけに、高台にあり見晴らしが素晴らしい。現在は尼僧院で、尼僧達が集団生活をしている。中には5メートルのタントン・ギャルポ像がある。

彩色豊かな尼僧院

と、髪の長い普通のおばさんがいた。信者さんがお手伝いにでも来ているのだろうか・・・と思ったら、

ブータンの尼僧は、ある程度まで修行が進むと、剃髪しなくてもよいとの事。失礼しました。
そういえば若い尼僧さんはほとんど剃髪されているが、お年を召されるにつれ髪がある方がちらほら・・・。修行が進めば、髪があろうがなかろうが惑わされる事も惑わす事も無くなるという事か。

尼僧院からののどかな風景

尼僧さん達が生活する建物の裏には、バルコニーのような所が。洗濯物も干してある。 見えにくいが、左下の方におしゃべりする尼僧さん達もいる。この景色を毎日見ているのかぁ・・・。 尼僧院らしく、花もたくさん植えてあり、よく手入れされていた。

タシチョ・ゾン

尼僧院近くからの眺望。 タシチョ・ゾンが見える。タシチョ・ゾンとは、国王のオフィス。 また、ブータン仏教の総本山でもあり、宗教界の最高権威ジェ・ケンポの生活の場でもある。半分が政府のオフィス、半分がお坊さんたちの修行場のような所。詳しくはまた内部の説明とともに・・・。 (N.K Wrote)

2006年10月06日

中秋の名月

お月見_左野典子

今年の中秋の名月は十月六日とのことである。
そう言われて始めて気付くということは、月の満ち欠けは私の普段の生活に、もはやほとんど関係がないものとなってしまっていることを示している。
多くの現代人にとっても、この状況は同じであろう。

これは、明治になって旧暦から新暦に移行したことと大きく関わっている。
旧暦は十五日には満月、一日には新月となるように組み立てられている。
太陽暦では、十五夜という語は意味をなさない。

日本の旧暦は陰暦(太陰暦)の一種であるが、正確に言うと太陰太陽暦の一種である。太陽暦が太陽の運行のみを考慮して構成されているのに対して、太陰太陽暦は太陽と月(太陰)双方の運行を考慮して作られた暦である。日本は中国の太陰太陽暦の作り方を学んで自らの暦としていた。

太陰太陽暦は、もともと合致しない地球の公転周期と月の公転周期を、複雑な天文学・数学の知識を駆使し、苦心してリンクさせ作られた人類の智慧の偉大な成果と言うべきものである。
中国の太陰太陽暦の思想的背景には、日(太陽)・月(太陰)・星の運行を正確に把握し、天地自然の推移に則った生活規範を民に示すという、皇帝の重要な役割に対する認識があった。旧暦は、当時の天文学・数学の知識を総動員して組み立てられた、壮大な宇宙論そのものであると言ってもよい。
太陽暦が採用されて、カレンダーは使いやすいシンプルになものとなった。現代のカレンダーからは、月の満ち欠けという現代生活に不要なものは排除されている。しかし、自然と人間とのかかわりという観点から考えると、旧暦とともに失われたものは余りにも大きい。
(T.F Wrote)

2006年10月05日

花札も真っ青!-天龍寺-

美しい萩の花_天龍寺

私の住む、嵐山天龍寺は、今萩が満開です。
百花苑には、白・ピンク・混合とそれはそれは美しく群生しています。
萩は一株では花が小さくあまり見映えが良くは無いかもしれませんが、大きい株がいくつもあるとそれはそれは見事です。
今年は、中秋の名月ごろが一番美しいとのことです。

ここ天龍寺では、夜になると猪よりも洗い熊が出没して、拝観者用のスリッパを失敬して萩を見ながら齧っているようで、花札にはならぬようです。

最近は日本の伝統や文化が崩れつつあります。また、季節感も少しずつ無くなって来ているようで、社会自体が殺伐としています。
国を象徴する国歌や日の丸までもが尊敬することを違憲とする裁判所の判断は、日本と日本人のよりどころをなくしてしまうことでしょう。

今年の中秋の名月は明日、10月6日です。
こんな時にこそ、すすきと団子を供えて、静かに月を見て一献傾けながら、日本の美と風習を満喫したいものですね。
ただし、運転は禁物!
(M.T Wrote)

2006年10月04日

逸翁美術館 -細川護熙・加藤静允 数寄に生きる-

数寄に生きる

大好きな両氏の展示会とあって、楽しみに出かけた。
細川さんは還暦に政界を去り、晴耕雨読の日々を送られている。
私が初めて個展を拝見したのはもう何年も前の事。京都の骨董屋にて、初めての個展をされた時の事であったかと思う。
そこは白洲正子さんゆかりの骨董屋で、そのしつらえ、置いてある物全てが私にとっては勉強になったような場所だ。
敷居の高い骨董屋に、細川家当主でもあり、元首相の作品を見に行くとあって、まだ小娘だった私はやや緊張していた。

とは言いながら、ずっと政治の道にいた方が、いったいどんな焼き物を生み出すのかと、ある意味ミーハーな気分ででかけたものだ。
作品をみて、あまりにどれも素晴らしく、びっくりした。
代々良い物を収集し、目が肥えている細川家の当主だからか?血統か?
と少々いやらしい言い方かもしれないが、そう言いたくなるような作品だった。
その後、何度かその骨董屋での展示会を訪れたが、今回久しぶりに作品を拝見した。

さらにいろいろな物に挑戦されているようで、きっぱりと政界を去られてからは晴耕雨読、土をこね、書をたしなむ日々を悠々と続けられている様を見た。
一番印象に残ったのは、伊賀焼の五輪の塔。てっぺんあたりにのみ、伊賀独特の釉薬がかけられ、下部には土肌がそのままで、小さいものだが、何百年も雨風にさらされてきたかのような重厚さを感じた。

さてもうお一人、加藤清允先生。
京都にお住まいの小児科医で、磁器を数多く作られている。
白洲正子さんにも自分の作ったものをプレゼントされたりしていて、私は白洲さんの本でこの方を知った。
磁器はどうも冷たい感じがするので好きになれないと思っていた私に、そんなことはないのだと、加藤先生の作品が教えてくれた。
どれも暖かく、見ていると優しい気持ちになれるような器たちだ。
小児科医をされる先生のお心そのものだろうか。

この美術館を訪れると、必ず土日には釜が懸けられているので、いつもながら一服いただく事にした。
いつもは美術館所蔵の、逸翁収集品でお茶がいただけるのだが、今回は、お二人の作品でお茶がいただけるとのこと。
贅沢な時間を過ごせた。

雨に緑が美しい雅俗山荘

2006年10月03日

蕎麦の花 けやき

蕎麦の花

滋賀県多賀町を通りかかったら、蕎麦の花がとてもきれいに咲いていた。
今までこのあたりではあまり見かけなかったし、普段は水田である場所らしいから、どうやらこれも転作の一手段らしい。


蕎麦の花

蕎麦の花のきれいなところを探して、車でうろうろとしていると、ふと、なにやらいわれのありそうな大樹がある。


多賀大社のケヤキ


近寄ってみてみると何やら看板がたっていわく因縁が書かれているようだ。

多賀の欅の説明看板

写真では見えにくいので、下記に再掲してみよう。

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滋賀県指定自然記念物
名称:多賀大社のケヤキ(飯森木)
通称:女飯森木
所在地:犬上郡多賀町大字多賀924番地
幹周:9.75m 樹高:15m 樹齢:(推定)300年以上
元正天皇(715-724)の病気平癒祈願にケヤキで
杓子が謹製された。その残り枝を地に挿したもの
が大木になったと伝承されている。
東側の木を男飯森木。西側を女飯森木と呼ばれ、
「お多賀杓子と飯森木」の言い伝えで親しまれて
いる。
女飯森木の樹齢は不詳であるが相当な古木で、
ケヤキとしては県下最大級である。

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古木の根本には、彼岸花が所狭しと咲き乱れていた。


彼岸花


2006年10月02日

賤ヶ岳

賤ヶ岳からの眺望

言わずと知れた、秀吉と勝家による天下分け目の戦いが繰り広げられた地である。
古戦場を訪れるたびに、「一体どうやってこのような所で、甲冑で身をかため、激しく戦ったのであろうか・・・」と思うばかりである。
今となっては、つわものどもが夢の趾・・・か。

美しい湖北からの琵琶湖