« 2006年10月 | メイン | 2006年12月 »

2006年11月30日

松島 青龍山瑞巌寺

松島の絶景

「♪松島の~ さよ~ 瑞巌寺ほどの~ 寺もな~いとえ~」と斎太郎節でも有名な、臨済宗妙心寺派の名刹、瑞巌寺を訪れた。 瑞巌寺宝物館への出張のためである。 大阪空港から飛行機で向かったが、天候がよかったので、機内から琵琶湖全体を見渡せ、また雪の帽子をかぶった日本アルプスも見えた。ほんの一時間で、仙台空港に着く。 安部総理ではないが、日本はまだまだ美しい国である。

国宝 瑞巌寺

瑞巌寺 総門

平日であったが、観光客も多い。ここ瑞巌寺は専門道場であり、雲水が修行しているのであるが、こういった観光客のざわめきは、若い雲水にとっては、さぞ気になることではないだろうかと、老婆心がおこるほどである。

総門をくぐると、杉の大木が立ち並ぶまっすぐな参道に圧倒される。

杉の大木が並ぶ参道

参道を進むと正面に国宝の大方丈、右手に、これまた国宝の大きな庫裡が建っている。
江戸初期に伊達政宗公が心血を注がれ、用材を吟味し名工を招き寄せて復興されたらしく、荘厳で、格式の高い建物である。
ちなみに、筆者の自坊の御開山は、政宗公と二代忠宗公が懇情して瑞巌寺中興とした、雲居希膺禅師の孫弟子にあたるというご縁である。

京都もそうだが、今年はこちらの方も紅葉が遅れ気味であったとのこと。ようやく色づいた紅葉の下に、真っ赤な前掛けと帽子のお地蔵様が、なんとも言えずユーモラスだった。

紅葉とお地蔵様

2006年11月29日

表千家北山会館-九州古陶磁名品展・田中丸コレクション-

一番好きな色


街路樹のイチョウが黄金に輝く北山通り。
その通りに面して、ここ、表千家北山会館がある。

現在、特別展「九州古陶磁名品展-田中丸コレクション-」が開催中だ。>12/17(日)まで・無休

九州の実業家であり、表千家先代の即中斎宗匠とも親交厚かった、田中丸善八翁が収集した九州の古陶磁コレクションを紹介している。

秀吉の時代、朝鮮征伐の折に戦地に赴いた武将が、朝鮮から陶工を連れ帰った。
そんな陶工たちに窯を築かせ、茶の湯に使う陶器等を焼かせた地が、九州である。
現在も存続している窯元の名品。また、今となっては廃窯となってしまった窯元の名品なども揃っており、これほど多く九州の焼き物に触れる機会はそうはないだろう。

九州の実業家が、郷土を愛し数々の地元の窯の名品を集め、それを茶事に用いていた。
直接人柄に触れることが出来なくとも、その人が集めて慈しんだ所蔵品を拝見するだけで、善八翁が、茶人として、人としてもさぞかし魅力ある人物であったろうと想像できるのだ。

北山会館2階では、お抹茶とお菓子がいただける。
静かに座っていると、ガラス窓の向こうに、ちょっとした庭が作ってあり、北山通りの向こうは植物園。
ちょうどイチョウの鮮やかな黄金色と、植物園の木々が見える。
2階にいる為、道路などは見えず、植物園の木々を借景する形に・・・。
さすがこんな所にも心づくしが・・・と思いつつ、移りゆく季節を感じながら、美味しいお抹茶をいただいた。

2006年11月28日

仏像展 -東京国立博物館-

仏像展ポスター

東京方面への出張中、時間に恵まれたので、東京国立博物館で開かれている特別展 「仏像 一木にこめられた祈り」を鑑賞してきた。

この仏像展の情報は、関西でもポスターやテレビでの情報を見かけたこともあるからだが、実は、数多い観音様の仏像の中で私が一番美しいと思っている、滋賀県の高月町にある渡岸寺観音堂(向源寺) の十一面観音様が、この仏像展に出展されているからなのである。因みに、渡岸寺は、「どうがんじ」と読む。
本当は私だけではなく、国宝に指定されている十一面観音の中でも、もっとも美しいとされているのであって、かの井上靖さんもその著書『星と祭』でこの観音様のことを書かれているらしい。さっそく読んでみなくては……。


東京国立博物館

通りかかったら必ず立ち寄るようにしている渡岸寺の観音さんであるが、10月ごろであったか、たまたまお参りすると、近々、東京の展覧会に門外不出であった観音様を出品するので、しばらくお留守になるというお知らせが貼られていた。
これは一大事。過去には戦乱の焼き討ちに遭いそうなときにのみ、信仰篤い村人によって、寺から出されて田畑の土中に埋められ、戦火から逃れてこられたこの仏像、それ以外は門外不出の国宝である。
私個人の気持ちで言えば、わざわざ東京なんぞにお出ましにならなくても、知る人ぞ知る美しい仏像として、ひっそりと湖北の寺に佇んでいていただければいいと思うのであるが・・・。

仏像展 木食上人作の仏像

平日の夕方だというのに、それは驚くほどの混雑であった。 今回の仏像展は一木から掘り出された仏像ばかりであったが、我が渡岸寺十一面観音様は、メインとなる場所に出展されており、多くの人がその回りを取り囲んで見ていた。 普段は小さなお堂で十人ほどの人に囲まれているだけなのだが、こんなに多くの人に囲まれて、さぞかし恥ずかしかろうと、渡岸寺観音様の追っかけのような私は思うのだった。

しかし、せっかくの好機会であるし、関東方面の方は、是非、ご自身の眼でどれほど美しいかをご覧あれ。

2006年11月27日

ひげ2 -男の象徴-

近頃若い人にひげを伸ばしている人が多くなった。
しかし新モンゴロイド人種は一般に体毛が薄いので、様になっている人は少ない。
その点西洋人は実に立派なひげを蓄えるものである。

古代ギリシャにも、ひげを蓄える風習があった(特に初期)。
しかし古代ローマの男たちは大抵剃っていた。
そんなローマでひげを蓄えていたのが異民族と哲学者たちであった。

「ローマは武力でギリシアを征服したが、ギリシアは文化でローマを征服した」

と言われるように、ローマでも哲学と言えばギリシア哲学が全盛であった。
哲学者たちはおのずとギリシアの風習を真似るようになったのである。
だからひげは、しばしば哲学者気取りのギリシア文化愛好家に対する揶揄の材料ともなった。
「ヒゲを伸ばしても哲学者にはなれないよ」と。

ひげへの見方は地域だけではなく時代によっても変わる。
男性的なものが強調される時代には、やはりひげがもてはやされるようだ。
バロックやロココの時代の男はみな剃っていた。バッハやモーツアルトの肖像画にひげはない。

十九世紀の帝国主義の時代になると、またひげの時代を迎える。
少し年配の方なら、マルクスやエンゲルスの凄いひげは、なじみのものであろう。
そんなひげ時代が始まろうとしている中、ショーペンハウアーは

「ひげは男性の第二次性徴だから極めて性的なものである。そんなものを顔のど真ん中にくっつけているのは猥褻も甚だしい」

という趣旨のことを書いている。偏屈哲学者の面目躍如である。

2006年11月25日

御苑の紅葉

秋の御苑


京都では、紅葉が盛りの時期を迎えています。

京都御苑でも、様々な木々が色づき、そんな鮮やかな彩りの中、梨木神社では結婚式が行なわれていたりします。
神社の鳥居、木々の紅葉、着物で来られた参列者達が目に鮮やか。日本の美しい風景です。

子ども達は、暖かい格好をさせてもらい、落ち葉を踏みしめる時の音を楽しんでいます。
御苑内では、普段あまり見かけない鳥にも遭遇します。

京都では、まだまだそこここに、美しい風景がいっぱいです。

紅葉とイチョウの大木

御苑内には、紅葉の木がたくさんあります

2006年11月24日

プナカ・ゾン -ブータンの冬の都-

延々と広がる段々畑


プナカの標高は、1,350m。首都ティンプーより1,000m低く、亜熱帯気候という事で、ティンプーよりもかなり暖かい。

プナカ・ゾンはンガワン・ナムゲルの創建で、冬の都として栄えている。
冬には、宗教界の最高権威である、ジェ・ケンポをはじめタシチョ・ゾンの僧侶達がここで生活をする。
民族学では、トランス・ヒューマンスといって、季節によって低地と高地を住み分けるライフスタイルだ。

ゾン内の曼荼羅

ゾンの門の中では、色彩豊かな曼荼羅がお出迎え。
私がへびどしだと言うと、すぐに年齢がばれるあたり、ブータン人との会話ははずむ。
ちなみにガイドは亥年だと言っていた。

二つの川が交わる所にゾンがある

この、色が違う二つの川は、ポチュ(男川)とモチュ(女川)といい、その合流点に、プナカ・ゾンがある。

自然への畏敬の念

このゾンを建設するにあたって、多くの木々や、地中に住む生物達などが犠牲になった為、その霊をなぐさめる為にこのように、精霊がやどっている石を集めてきてお祀りしているらしい。
ブータン人は、自然への畏敬の念を決して忘れない。
ちなみに、精霊がやどる石は、高僧ならばわかるらしく、集めてこられるとの事。

菩提樹

中庭には立派な菩提樹が。
普通に小僧さんが歩いているのが右手に見えるが、なぜかとても絵になる。

勉強中の小僧さん達

お経の勉強に余念の無い小僧さん達。
カメラを向ける私が気になる小僧さんもいるが・・・。

お坊さん達の東司

どうしても御手洗が我慢できず・・・。
ガイドが使ってもいいと言うので使わせていただいた。

2006年11月22日

丹波の黒豆 語録の黒豆

去る十月のある日、晴天の秋空のもと、丹波特産の黒大豆枝豆(黒豆)の収穫に精を出した。
自坊の畑に植えられた黒豆を収穫するのだ。

京都の某僧堂から、五人の雲水さんに助っ人に来てもらっている。
今年、引き手で来た雲水さんは、僧堂歴六年目で、彼が言うには、
「私が新到の時に、初めてここへ来ました」と。
よって、この「雲水黒豆大会」も、今年で六年目である。

まず、本堂で、般若心経を唱え、畑に下りて、いきなり収穫にとりかかる。
最初の作業は、枝から「さや」だけをむしり取る。本当は、枝にさやを残して、葉っぱだけを落とすのだが、これは、十時の「おやつ」用で、一人の雲水さんが、すぐに台所にもって行き、塩ゆでにする。
それを、また、畑に持って行き、すぐに食べる。小生は、ビールを取りに走る。取りたて、ゆでたての黒豆は、最高にうまい、ビールもうまい。

丹波の黒豆(くろまめ)はうまいが、小生が仕事にしている漢文語録の黒豆(こくず)は、あまりうまいものではない。
やっと、『五灯会元』の全文訓読も脱稿し、黒豆(こくず)から解放されたと思ったら、あのうまい黒豆(くろまめ)もシーズンオフとなってしまった。また、来年の「雲水黒豆大会」を期待しよう。

2006年11月21日

友禅流し?!

京都を自転車でうろうろしていると、思いがけない光景に出会える。
高瀬川にて・・・。

友禅流し?!

京都を旅する際は、レンタサイクルをオススメします!

2006年11月20日

上京茶会 於:拾翠亭

拾翠亭


去る11月12日、恒例の上京茶会があり、拾翠亭にて裏千家による懸釜があった。
春と秋に、上京区主催にて、表千家と裏千家が交代で京都の上京区内の茶室にて釜を懸ける。

茶道を嗜む者もそうでない者も一緒になって、一服のお茶をいただきに集う。
なかなか好評のようで、いつも多くの客でにぎわっている。
敷居が低く気軽に行きやすい上に、普段入る事のできないような茶室で本格的なお道具などを味わえるからだろう。

それにしても、今回はお軸がすごいものであった。
なかなか拝見する機会の無い、千少庵の消息。
俵屋宗達が催す茶事に招かれたので、お前もいかないか?と、とある職人を誘っている手紙だ。
宗達が茶道をしていたのは、光悦の近くにいたのだから当然といえば当然なのだが、あまり茶道の世界で宗達の話は聞かない。
光悦の字を引き立てるあのような画を描いた宗達が、どういう茶事で少庵をもてなしたのだろうかと、想像をかきたてられた。

春と秋、ちょうど京都に観光に来られる方も多いと思う。
予定が合えば是非、上京茶会に足を運んでいただきたい。
※当日券は、数に限りがあるので、なるべくお早めに!

漸く色づきはじめた御苑内

2006年11月17日

ひげ1 -眉鬚堕落-

禅語に「眉鬚堕落(びしゅだらく)」というものがある。
眉やひげが脱け落ちてしまう、と言う意味であるが、言語を弄してみだりに仏法を説くと、その罪で眉やひげが脱け落ちてしまう、とのことである。
弟子のためにあえて言葉で仏法を説く場合は「不惜眉毛(ふしゃくびもう)」という。

初めてこの言葉に接した時、ふと思ったのは、眉はともかく、そんなに多くの禅僧がひげ(鬚はあごひげ)を伸ばしていたのだろうか、という疑問である。
普段からひげを剃っている人にとっては、ひげが抜けたとしても何の不都合もないだろう。
出家者に薄毛(いわゆるハゲ)の悩みがないように。

出家者は本来、髪はもちろん、ひげもきれいに剃るのが戒律の定めである。
東南アジアでは眉も剃るという。
ところが、中国では宋代のころから髮やひげ、更には爪も伸びたままにしておく禅僧も多くなったようなのである。日本に伝わる中国禅僧の肖像画のいくつかにも、髮やひげが描かれている。
当時、禅僧と髮やひげとの間には、あまり違和は感じられていなかったようである。

そんな風習を道元は、仏祖の戒めに背くものとして厳しく非難している。
たしかに、爪を伸ばすのは、労働とは無縁な士大夫階級を象徴する風習であった。

2006年11月16日

虎渓山永保寺

虎渓山永保寺

岐阜県多治見市にある、南禅寺派の修行道場、虎渓山永保寺を訪れた。
妙心寺派の某教区寺庭婦人研修会がここで開かれ、私は、ここに講師として呼んでいただいたためである。
ここは天龍寺開山でもある夢窓国師が開かれた名刹であるが、数年前、方丈や庫裡を消失した。
火事の際には、火は屋根裏をつたってあっというまに延焼したため、消防車がかけつけたときには、ほぼ焼け落ちてしまった後だったということである。
今、その再建工事の真っただ中である。


再建中の方丈

先にも書いたとおり、この寺は約700年前に夢窓国師が開かれた寺で、水月堂と呼ばれる観音堂は、夢窓国師が開かれた翌年に建てられたものである。その前に広がる廻遊式庭園は、これも夢窓国師の作庭であると伝えられている。


夢窓国師の作庭



橋の向こうに見えるのが観音堂(水月堂)


実は、私がここを訪れたのは初めてである。だが、私が5歳の時に亡くなった祖父が、この道場で長い間修行したと聞いている。
研修会の私の拙い話の前に、萬仭軒老大師の御法話を頂戴したのだが、その中で、昭和2年当時には、ここには100名を数えるほどの雲水がいたため、禅堂は非常に大きいのだと聞かされた。その中の一人が私の祖父であったのだと思い、きっとこの庭を見ながら夜坐をしたのであろうかと思うと、感慨一入であった。

研修会を行なった寺庭婦人会は、皆で延命十句観音経の写経を奉納し、永保寺の再建祈願をされた。
ただ心配なことに、この再建工事を行なっている中村建設が、9月に不渡り手形を発行し民事再生法を申請したということで、住職である萬仭軒老大師をはじめ、関係各位のご心労をお察しする。

2006年11月15日

京都国立博物館 京焼-みやこの意匠と技-

仁清_雉の香炉も金沢より里帰りしています

各地の美術館から、京焼の名品が里帰りしている。(11/26まで)

京焼というと、仁清・乾山などの鮮やかな雅びなものをすぐに思い起こすが、
京都御苑の、公家町跡から発掘された生活用の陶器を見たり、さすがは京博での展示ともなれば、仁清などでも、その作風の幅広さを伺える膨大な数の展示品があり、京焼と言えばこうだという固定観念を覆され、非常に良い機会を与えられた。

また、各地に招聘され出向いた京都の陶工の歴史を見ると、京都が如何に文化の発信地として重要な役割を担ってきたのか再認識でき、京都にいながらにして、京都の焼き物よりも地方の焼き物に惹かれていた私であるが、もう一度京都の焼き物をきちんと見て、窯元も散策してみようと思った次第。

広すぎる美術館は、お腹がいっぱいになりすぎるので敬遠しがちな私だが、やはり、これだけの規模の美術館・博物館だからこそできる展示もあるわけで、これからは敬遠せず通おうと思えた。

京都国立博物館

2006年11月14日

第2回 西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅

去る11月11日(土)、恒例のバスツアーを催行致しました。
この秋は、混雑する京都を避け、滋賀への旅を企画。
禅や美術に触れる旅となりました。
当日の天気予報は雨・・・でしたが、さほど降られる事もなく、無事全行程を終えさせていただきました。

くわしい行程はこちら
前回の旅行はこちら

大池寺_蓬莱庭園

大池寺 -臨済宗妙心寺派-】

大池寺_本堂参道横の庭園

大池寺の沿革などは、上記にリンクしたHPにてご確認いただくとして・・・。
この寺は、小堀遠州の作と伝えられる蓬莱庭園で有名です。
遠州流茶道が、-きれいさび-と言われる事からもわかるように、遠州の作った庭は、千家流茶道の庭などとはまた趣が異なり、遠州独自のものであると思われます。
その素晴らしいお庭を前に、お寺の奥様による説明を拝聴致しました。
また、目の保養の後は、西村惠信所長による講話の時間でした。

禅とは、人が生きる道とは・・・などについて、また、久松真一博士の-禅文化七つの性格-についてお話いただきました。

《禅文化七つの性格》
1、不均斉・・・・・・無法の法、無聖
2、簡素・・・・・・無一物、赤貧、純一無雑
3、枯槁・・・・・・露堂々、皮膚脱落、無位
4、自然・・・・・・無心、無念、本来面目
5、幽玄・・・・・・無底、無一物中無尽蔵
6、脱俗(洒脱)・・・・・・独脱無依、遊戯三昧
7、静寂・・・・・・一黙雷の如し、語黙動静体安然

西村惠信所長の講演


MIHO MUSEUM -青山二郎の眼-】

MIHOミュージアムの他の記事はこちら

青山二郎の眼

信楽の山深い地にある、まさに桃源郷のような美術館です。
秋季特別展「青山二郎の眼」を鑑賞。 日本・中国・李朝などの骨董、逸品中の逸品に巡り会えました。
紅葉もまさに真っ盛り!といった感じで、自然の美も堪能できました。

美術館正面_周りの紅葉は真っ赤!

周りの山々が見渡せる館内

御参加いただきました皆様、また、初めての皆様も、次回の旅行、是非御参加下さい!

※西村惠信所長の新刊が11月17日に発売となります! 臨済録を一般の方にもひろく読んでいただけるよう、易しく解説した本です。
『臨済録をめぐる断章 -自己確立の方法-』 よろしくお願い致します。

2006年11月13日

まぼろし?の正倉院展と興福寺国宝

奈良国立博物館で、第58回正倉院展が開かれている(平成18年10月24日~11月12日)ので、文化の日につられて、その翌日、三連休の中日に奈良を訪ねた。
多少の混雑は想像していたのだが、甘かった。奈良国立博物館のある奈良公園ちかくの道路は大渋滞。その混雑を見越してか、空には飛行船が浮かんでいた。


空には飛行船


駐車場は満車ばかりで、まずは車を停めるだけで右往左往。
なんとか少し離れた個人経営の駐車場に停めて、歩くこと10分。
奈良国立博物館につくと、そこには、「只今の待ち時間150分」と。唖然
既に昼が近くなっていたので、このまま2時間半も並んで待たされるのはかなわない。
というわけで、遠方よりはるばる泊まりがけで来られているであろう方々に譲り、残念には思いつつ旧館の平常展だけをみることにした。
それでも、さすがに古都奈良。国宝や重文の美しい仏様が林立である。ただ、惜しいかな、いつも思うが、博物館では手を合わすということにならないのである。仏様もさぞ寂しかろう。

潔く奈良博を後にして、今度は国宝を特別公開している、となりの興福寺に参詣することにした。
今、興福寺は創建1300年を間近にして、境内の整備事業をされていて、工事中が目立つ。


工事中がめだつ興福寺境内


ここを訪れるのは、はるか昔の小学校のバス遠足以来ではなかろうか。

まずは、国宝館。沢山の仏像があるなか、私は国宝の乾漆八部衆立像の、中でも「阿修羅」の顔に目を奪われた。眉間に苦悩が見えるようななんともいわれる顔である。
その後、現在建設中のための仮の中金堂、そして、北円堂、三重の塔を拝観した。
特に、北円堂に安置される、木造の無著・世親立像(国宝)が素晴らしかった。運慶一門の作とされ、鎌倉時代の肖像彫刻の最高傑作であると言われるのにも頷ける。

内部が公開されていた三重の塔
三重の塔の内部には弁財天が祀られる。

興福寺から出て、猿沢の池へ。ここから見る五重の塔が一番美しいのかもしれない。


猿沢の池からみた五重の塔

拝観を終えて、車にもどり、若草山のドライブウェイへ向かうと、もう夕刻になっていた。美しい古都の秋の夕暮れだった。


古都奈良の美しい夕暮れ


2006年11月10日

吉村作治の早大エジプト発掘40年展

吉村作治の早大エジプト発掘40年展


京都伊勢丹の7階にある、美術館「えき」にて、吉村作治先生の40年の軌跡をたどる展示を観に出かけた。>11/26まで開催中。
そういえば、小学生の頃から、「エジプトに行ってみたい!」と憧れを抱くようになったのも、吉村先生の影響だった。エジプトを熱く語る先生の姿は、当時小学生だった私にもとても印象的なものだったのだ。

実際、7年前にエジプトを訪れたが、ピラミッドを目の前に観た時には、ことばは一言も出ず、ただただ、涙するばかりだった。
王家の谷の灼熱地獄にはまいったが、他の国では味わう事のないような太陽の力に圧倒され、この国の人々が太陽神と崇めたのが、わかるような気がしたものだ。

会場に入ると、まずは吉村先生のことばが・・・

  それは憧れから始まった。
  エジプトに行ってみたいと思った時、「行ける」とか「行けない」とかは考えなかった。
  「行こう」と思ったのだ。
  父も母も笑って、「大きくなったらエジプトだろうとどこだろうといけるさ」と言った。
  担任の先生は「よっぽど勉強しないと無理だ」と言った。
  誰もかれも、本当に私がエジプトに行けるなんて思っていなかったのだ。
  10歳の時に抱いた夢は次第に形になっていき、ついに12年後、私はエジプトの地にたつのである。

「それは憧れから始まった」ということばが印象的。すべてがそれにつきる気がした。
幼き頃に抱く-憧憬の念-の大切さを改めて知らされた。

科学技術の発展と、吉村先生をはじめ、早稲田大学の調査隊の忍耐力の賜である発掘物。
エジプトの考古学博物館で観るのとはまた違った感慨深さがあった。
ラピスラズリの様な深い青色のミイラマスクと、木棺は世界初公開だとの事。
吉村先生の熱い思いに触れ、またエジプトに旅立ちたくなった。


京都以降のスケジュールは下記のとおり

○長崎・長崎歴史文化博物館
  =2006年12月22日(金)~2007年2月14日(水)
○岡山・岡山オリエント美術館
  =2007年3月17日(火)~5月13日(日)
○仙台・仙台市博物館
  =2007年5月25日(金)~7月22日(日)
○早稲田・會津八一記念博物館(早稲田大学内)
  =2007年7月31日(火)~9月9日(日)
○宮崎・宮崎県立博物館
  =2007年9月22日(土)~11月18日(日)
○札幌・北海道近代美術館
  =2008年2月15日(金)~3月30日(日)
○熊本・熊本県立美術館
  =2008年4月10日(木)~6月15日(日)
○東京・古代オリエント博物館
  =2008年6月27日(金)~8月31日(日)

吉村作治のえじぷとぴあ より

2006年11月09日

Flowers and Plants in Tibet -№2-

チベットの花

禅文化研究所客員研究員・李建華さんのご子息、叡(えい)さん による、チベットの草花の写真です。
チベットの厳しい自然の中でも、草は根を張り、美しい花を咲かせます。
専門家さえその品種を特定するのが難しい植物もあるとの事で、植物の詳しい説明は避けたいと思います。
どうか、美しい写真をお楽しみ下さい。
尚、チベットの植物について詳しい方がいらっしゃいましたら、どんどんコメント宜しくお願い致します。

追伸:お父さんの李建華さんによる、チベット紀行も必見です!!!

※写真の無断転載・利用はおやめください。

2006年11月08日

ワンデュポタン・ゾン

ワンデュポタン・ゾン


3100メートルあるド・チュラ峠を超えて、どんどん標高が下がってくると、空気も植物も違い、汗ばんで来る陽気だ。
首都ティンプーが約2000メートルといわれるが、この辺りは約1000メートル。違うわけだ。

橋を渡り、崖っぷちにそびえ立つワンデュポタン・ゾンを訪れた。

ゾンまでのプロムナード

ゾンの門を入ってから、建物へと続く参道。


屋根は昔のまま

ここはまだ屋根が修復されていない為、昔のままである。
やはり自然保護とはいえ、トタンにしてしまうより、この方が良い。

風の国ブータン

ブータンという国の地形は、谷が非常に多い為、常に風が吹いている。
風がやむという事がほとんどない。
という事で、食事の際の器代わりに使っている布を乾かす小僧さん。
この布に、ごはんを入れてもらって食べるそうな。
この勢いの風だと、すぐ乾くかな。

bhutan_203.JPG

小僧さん達の食事風景。大人はいませんが、年長の者がまだ幼い小僧さんの世話をしています。
時間が来るとどこからともなくこの部屋に集まってきて、皆整然と並び、食事を取ります。

何としても入りたいが・・・

このような格好では、追い返される(実際追い返されて、仕方なく町で服を買っていた)。
ブータン人も一番の正装で来るのだから、観光客がこんなスタイルでは失礼極まり無い。
世界を旅行していると、たとえばイスラム教徒の国でさえ、肌を露出しすぎる女性などもよく見かける。
相手の国の文化や宗教を尊重するなら、このような事は起きないはず・・・。
ちなみに、ブータンでは、観光客がゾンや寺などに入る時は、脱帽はもちろん、傘もさしては駄目、サンダルなども駄目、ショートパンツも駄目、上着は襟つきのものと決められてる。

2006年11月07日

飛騨高山 渋草焼・屋台?!

10月15日、飛騨高山を訪れた。
いつも高山を訪れるのは、大好きな釜元があるからだ。
渋草焼といって、精緻ながらもなんとも温かい絵が気に入っている。>当代は6代目で、戸田柳造氏。

茶道具はそれなりの値段だが、普段使いの湯のみや皿は求めやすい値段で、使っていると何とも言えない愛着が湧く。
今回も、そんな陶器達に惹かれこの地を訪れた。

と、警備員さんが道を歩く私に「屋台はそっちの道からいくと並んでるよっ!」と・・・。
「屋台?別に私お腹空いてませんけど・・・」と思いつつも、言われた通りの道を行くと、曲がった途端に目に入ってきたのは!!!

屋台!!!

京都でいうところの、山鉾!!!
そう、高山では-屋台-というらしいのだ。
警備員のおじさん、ありがとう。

屋台のお家

屋台がしまわれている蔵。
町の中のいたるところにこの蔵があり、この日ばかりはどこも留守である。

美しい屋台

ぎりぎり、電線には引っかからず

飛騨高山といえば、藩主は金森家。
特に有名なのが、茶人として知られる金森宗和だ。
その彼の好みによる茶室-庭玉軒-が、京都は大徳寺の塔頭、眞珠庵にある。
特別公開があれば是非ご覧いただきたい。
寒い国故の知恵がみられる、他には無い茶室だ。

2006年11月06日

大徳寺 月釜

聚光院


去る10月28日、大徳寺での月釜に訪れた。
28日といえば、利休居士の月命日にあたり、毎月釜が懸かるのだ。
聚光院のみ、三千家の菩提寺である為、順番に法要を営み、家元担当にて釜が懸けられる。
その他いくつかの塔頭では、だいたい表千家の先生方により、釜が懸けられる。

いくつかのお席をまわらせていただいたが、中でも一番心に残ったのが、大徳寺23世である、大心義統による手造り赤楽茶碗だ。形はやわらかく温かみがあり、ずっしりと重く、表面には天衣無縫で豪快な宝づくしの模様が・・・。人柄が伝わってくるようだ。
お床には、大心に参禅したといわれる、表千家六代覚々斎の軸で、「圓」の一文字。
なかなか見られない組み合わせだ。

大徳寺の月釜ならではの素晴らしい道具との出会いに、澄み渡る秋空のもと、有意義な一日を過ごせた。

2006年11月02日

『猩々乱』(しょうじょうみだれ) -金剛能楽堂-

金剛能楽堂を訪れました。
今回の番組は、-猩々乱-
曲の中で、乱(みだれ)という舞が舞われます。

猩々とは、中国の想像上の怪獣で、海中に住み、猿に似て体は朱紅色の長毛でおおわれ、顔はヒトに、声は小児の泣き声に似て、人語を解し酒を好むといわれます。
また、猩々緋といわれる色が日本古来の色にあり、戦国の武将はこの色を好んで陣羽織などに使いました。

金剛流お家元のこの日の装束も、足袋以外は赤 赤 赤!!! といった感じで、猩々が海に住むことを表わす意味もあるのか、装束には、青海波(せいがいは)の模様がありました。

また、能では、摺り足が基本で、かかとを上げる事はまれですが、この舞にはつま先立ちの場面もあれば、足で青海波の模様をあらわすようなステップ(ステップといったほうが良いくらいの足さばきなのです!)もあり、いつもとは違う様子に見入ってしまいました。
金剛流は、舞金剛と言われるだけあって、特にお家元の舞は力強く、朗々たるお声にも圧倒されます。

また、何度か訪れていながら、今回初めて知ったのですが、金剛能楽堂の場合、他の能楽堂とは違い、橋掛かり(舞台の左にある廊下のような所です)の壁に青海波の模様があります。
これは、元々、金剛家が宮中に上がる事を許された家である事から、宮中と同じ模様を使う事を許されたとのことでした。

今回は、京都新聞社主宰で、夜の6時半から始まる上、チケットは2000円。
このように気軽に足を運べる会もありますので、皆さんも是非一度訪れてみて下さい。

秋の夜長に幽玄の世界を楽しめました。

2006年11月01日

Flowers and Plants in Tibet -№1-

Flowers and Plants in Tibet

禅文化研究所客員研究員・李建華さんのご子息、叡(えい)さん による、チベットの草花の写真です。
チベットの厳しい自然の中でも、草は根を張り、美しい花を咲かせます。
これから何度かに亘り、叡さんの撮った美しい草花の写真をご紹介します。
専門家さえその品種を特定するのが難しい植物もあるとの事で、植物の詳しい説明は避けたいと思います。
どうか、美しい写真をお楽しみ下さい。
尚、チベットの植物について詳しい方がいらっしゃいましたら、どんどんコメント宜しくお願い致します。

追伸:お父さんの李建華さんによる、チベット紀行も必見です!!!

※写真の無断転載・利用はおやめください。