御苑の梅
もしや、この暖かさだともう・・・。
と思い、御苑へ散歩に出かける。
春や秋と違って彩りの無い、しんとした御苑内に、一本だけ満開の梅。
春ももうすぐそこですね。
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もしや、この暖かさだともう・・・。
と思い、御苑へ散歩に出かける。
春や秋と違って彩りの無い、しんとした御苑内に、一本だけ満開の梅。
春ももうすぐそこですね。
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コメント
御苑の紅梅、拝見しました。今日は睦月尽、冬が尽きるのもまもなくでしょうか。春が近くなりますと京の花だよりが気になります。
わたしも「硫黄島からの手紙」を昨年末に見ました。胸が悪くなるほど絶え間のない爆撃や銃弾の乾ききった音を聞きながら、これが人間のつくり出したものか、なんと愚かな‥と暗然とした気持ちになりました。いのちというテーマだけでなく、この映画も、その後に見た「大奥」からも、苦境の中で信念を貫き清く生きることがいかにむつかしいかを思い知らされました。
投稿者: 雪月花 | 2007年01月31日 10:10
コメントありがとうございます。
京都の花だより、出来る限りお伝えしていきたく存じます。
少し気をつけると、そこここに春の足音は聞こえますね。
>苦境の中で信念を貫き清く生きることがいかにむつかしいか・・・。
本当にそうですね。人間、環境に順応する能力を持つという事は良い事のようにも思えますが、その反面、煽動されやすい面も持つのかもしれませんね。
自分が、第二次世界大戦中に生まれていれば、何ら疑問に思う事無く「お国の為ならば」と思っていたかもしれないのです。
今回コメントをいただいて、お釈迦様が入滅される時に残されたことば(教え)をふと思い出しました。
弟子の阿難が、「釈尊が亡くなられた後、我々は誰を、何を頼りに修行し生きていけばよろしいのでしょう」と問うのに対して、釈尊はこう答えられたのです。
「自らを灯としてよりどころとし、他を頼ってはならない。法を灯としてよりどころとし、他を頼ってはならない」。
我々も、自分自身、そして仏法を生きるよりどころとできるよう、老若男女関係無く、日々、精進していくことが大切ですね。
投稿者: 禅文化研究所 N | 2007年01月31日 12:01