« 2007年01月 | メイン | 2007年03月 »

2007年02月28日

ダショー・ニシオカ -ブータン-

ダショー・ニシオカ追悼チョルテン


ダショーとは、日本人に解りやすく言うならば、イギリスでいう爵位「ナイト」や「サー」の称号のようなもの。
貴族や、政府高官、その他称号をいただくに値する事を成し遂げた人のみがブータン国王から授かるものだ。

そんなダショーの称号を授与された日本人がいる。
西岡京治氏。ブータンの人々の文化や今までのやり方、考え方などを尊重した上で、日本式の農業のメリットを紹介し農業改革に取り組んだ業績が認められ、1980年にブータン国王から正式にダショーの称号を授与されたのだ。
ほぼ鎖国状態にあったブータンで、伝統を重んじる人々の中、新しい価値観をわかってもらい、実際に一緒になって動いてもらうという事は、我々の想像を絶する苦労の連続が伴った事だろう。
上の写真は、西岡氏の追悼チョルテンだ。彼の実験農場、ボンデ・ファームを見下ろす事の出来る所にある。今もブータンの人々と、ブータンと日本の関係が良いものであるよう、きっと見守って下さっているはずだ。

日本に帰ってから、ブータンに非常に興味を持つ母校のゼミの教授に、この方の事やブータンの事をお話していると、母校の先輩にブータン研究家がいるとのこと。
さっそく調べてみると、ダショー西岡氏の奥様であった。
西岡氏亡き今も、ブータンの文化の紹介など、幅広く活躍されているようである。

追悼チョルテンからの眺望

2007年02月27日

ジャンケンポン

通勤時の満員電車の車内で、すぐ横の女子高生同士が会話をしているのを、聞くともなく聞いていたら、なんだか「グー」と「パー」だけのジャンケンの掛け声のことのようなのだ。「グーパーでほい」とか「グーとパーでほい」とか・・・

数名の女子高生はそれぞれ地元が違うようで、それによって掛け声も違うのを話題にしているのである。ところがそれらの掛け声は私の使っていたものともまた違った。
大学生なら全国各地から来ているから、ある程度異なってもおかしくないが、たかだか高校生の通う地域レベルでこんなにも違うものなんだと、少し興味深かった。

そういや、私の子供のころは、普通のじゃんけんでも、「じゃんけんぽん」の歯切れよい3拍子ですぐ「手」を出したものだが、ちょっと気取った上級生が「いんじゃんほい」とかやりだしたり、「じゃーいーけーんでー ほーい」と倍リズムになったのができたり、「最初はグー」と頭につけてタイミングを合わせるようになったりと、どんどんバリエーションが増えていったように思う。

どうやら「最初はグー」とやりだしたのは、1981年にザ・ドリフターズのコントで志村けんと仲本工事が行なったものが、テレビを通じて全国に広がっていったものらしい。そういえばその派生で「最初はグー、またまたグー、いかりやチョースケ、頭はパー、正義は勝つ」なんてのも聞いたことがある。

ジャンケンは世界的にも普及していて、rock, paper, scissors、つまり、石・紙・ハサミである。どこが発祥の場所なんであろうか。
いうまでもなく、ジャンケンの石・紙・ハサミは、三竦み(さんすくみ)の原理で、石はハサミに勝ち、ハサミは紙に勝ち、紙は石に勝つという、三者がそれぞれに得意な相手と苦手な相手をもっている関係により成り立つ。

はてさて今の世界情勢は如何なものかな。

2007年02月26日

子育てのこころ カバー一新

子育てのこころ_カバーリニューアル

本ブログの"いのちについて思う"で書いたとおり、『子育てのこころ』(盛永宗興著)のカバーを一新した。 これまでは、黒地に慈母観音のイラスト(画・左野典子)をあしらったものだったが、今回のカバーは、薄い水色に、雪月花を配置して、より若い方々が手にとりやすいイメージのカバーにしてみた。

新刊ではないので、書店に平積みされるわけではないのだが、今、社会問題になっているような、いのちを軽率にしたり、人をイジメたりするような子供に育てないために、一人でも多くの親に手にとってもらいたいという想いである。

『子育てのこころ』のお求めは、こちらからどうぞ

2007年02月23日

大和文華館-茶の湯と美術 茶人の美意識-

大和文華館


2月12日まで大和文華館にて開催されていた、「茶の湯と美術 茶人の美意識」を観に、最終日に漸く奈良へと足を延ばした。

国宝「雪中帰牧図」(李迪筆 南宋時代)や、室町時代の根来、仁清の「色絵おしどり香合」など、そうはお目にかかれない物がさほど広くはない館内を埋め尽くし、敷地面積が広く、出展数が多い国公立の博物館・美術館を訪れるのと同じくらいに疲れた。
疲れた・・・というのは、パワーのある物ばかりでこちらの気力も必要だからだ。
やはり、研究所の職員としては、禅宗の高僧による墨蹟なども気になるところではあるのだが、室町時代の根来の、しっとりした漆の輝きに目を奪われた。

ここ大和文華館を訪れる時は、四季の花々も非常に楽しみだ。
今回も美しい花、春の訪れを待つ蕾にこちらの心も、花同様、春を待ちわびる気持ちになった。

寒あやめ しあわせの梅

初めて見る寒あやめ。ちょうど見頃を迎えていた。 4種類の梅を接ぎ木した、しあわせの梅。

木蓮

何色の木蓮が咲くのでしょう。楽しみな、大きな蕾です。

 

2007年02月22日

比叡山に登る(3)-慈恵大師の墓-

慈恵大師の墓


西塔からぐっと足を伸ばして、横川は華芳ヶ尾の元三大師(912~985)の廟に詣る。

元三大師廟は御廟(みみょう)と呼ばれ、比叡山の三魔所の一つとして恐れられて来た場所である。今でも周囲には古木鬱蒼とした自然林が保たれており、まさに天狗でも出てきそうな雰囲気である。

元三大師は諱を良源、諡を慈恵という。第18代天台座主として、延暦寺を一大勢力にまで発展させた人物である。後世、観音菩薩の化身としてその霊威が恐れられ、元三大師信仰が発生した。現在でも角大師や豆大師の護符として親しまれている。

良源は滅に備えて遺告を残しているが、その中に自分の墓所についても詳細に述べている。火葬の後、遺骨を坑底に置きそのまま土をかけ、自筆の陀羅尼類を納めた上に目印程度の石塔婆を建てよ、と。簡素だが念を入れた墓作りを弟子たちに指示している。

石柵で囲った墓域内の木の根元に、素朴な八角柱の石幢が立つ。自然の中に埋もれながらも、侵しがたい尊厳性のただよう墓。日本人の墓としては理想の姿であろう。

比叡山に登る(1)

比叡山に登る(2)

2007年02月21日

志村ふくみの紬織りを楽しむ-滋賀県立近代美術館-

志村ふくみの紬織りを楽しむ

志村ふくみさんの紬の世界を見に、お隣の滋賀へ。>4/8(日)まで
志村さんについては、白洲正子さんの著書の中で知り得てからというもの、「紬」の今までの概念だけに捕らわれないその作風と、染色の「色」の美しさに、頭の片隅に鮮明に記憶されていたのだ。
染め物の色というのはとても繊細で、カラー写真ではなかなかその本当の色を伝える事は難しい。
写真でしか見たことのないその色を、実際に目に出来る機会という事で、楽しみに出かけた。

「何色」というような概念では表現できない、自然から生み出された色に、ため息が出るばかりであった。志村さん曰く「自然から色をいただく」と・・・。
自然からいただいた色をもって、自然の風景などを模した作品には、志村さんの世界観が見えた。

美術館に設置された約40分のビデオ。見る前は「40分か・・・。長いな」と思っていたのだが、見始めたら、志村さんの人としての魅力にひきこまれ、時間はあっという間に過ぎていた。
ビデオの中では、その一言一言が私の心を震わせ、「あぁ、技術が優れているというただそれだけでは、人間国宝とは言えないのだ。その人間性までもが国の宝と思わせる人こそ、値するのだな。本当にこの人は国の宝なのだな」と、今更ながらに強く感じた。最高の技術を持つ人というのは、その精神性が伴ってこそだというのは当たり前なのだが・・・。

「自然と深く関わっていると、思うように色が出ない事もある。こうすればこうなるとはいかない事が多々ある。そして、そこには何かがある。 その奥にある目に見えないものを私は信じます」とおっしゃる志村さんの力強くも、とても優しく美しい表情が印象的であった。
自然への畏敬の念を、お話の随処に感じ取れた。その姿に、精神科医の神谷美恵子さんを重ねた。
また、「機織りと一体になるのです」という言葉に、表千家の堀内宗心宗匠を思った。
宗心宗匠も、平成17年1月10日の京都新聞で、「例えば、この棗でも、それと自分とがまったく別のものではない、一緒に呼吸しているという感じで。お茶も自分が点てんでも茶筅が点ててくれるというか、みんなそれぞれ動いてくれるわけで、その中に自分も入っているわけです」と仰っている。宗心宗匠のお点前をご覧になった方が、後に、「どこまでが手でどこからが茶筅か、わからなかった」と仰った。
どの分野であれ、悟った人というのは、根本的に同じ事をおっしゃるなぁ・・・と凡人はその姿にただただ感心するばかり、何か1つでいいから、この人達から学び取りたいと必死になってしまうのであった。

志村さんの作品「湖上夕照」を思わせる琵琶湖の夕日

志村さんの作品「湖上夕照」を思わせる琵琶湖の夕日

滋賀県立近代美術館

滋賀県立近代美術館


滋賀県立近代美術館

2007年02月20日

長谷寺

真言宗豊山派の総本山、奈良の桜井市にある、豊山・長谷寺を訪ねた。


長谷寺山門


桜、木蓮、藤、紫陽花、紅葉、寒牡丹と、一年中、花の絶えないお寺として有名ではあるけれども、今が一番花が少なくひっそりしているのではないだろうか。
私は人でごった返しているお寺より、ひっそりと閑静なお寺にお参りする方が心が落ち着くので好きだ。

長い回廊の階段

長い回廊階段を登り詰めていくと、途中、終わりかけの寒牡丹とは裏腹に、蝋梅が咲いて、いい香りを放っていた。足元には福寿草もきれいに咲いていた。

いい香りを放つ蝋梅 福寿草

登りきって国宝の本堂にたどりつく。


国宝の長谷寺本堂


この長谷寺のご本尊は十一面観音で、その高さや三丈三尺六寸、つまり10mを超える大きさなのである。
パンフレットを見ながら大きな仏さんなんだなぁと思いつつ真前にむかったが、正面に向かい合って手を合わせると、その美しさに茫然とし、ああ、我ら衆生を導いてくださっているのだなぁと実感でき、感激して涙腺が緩むほどであった。
いわんや、ここは西国三十三観音霊場の第八番なのである。
本堂には、清水寺と同様に外舞台があり、朱色に塗られた五重の塔が見える。


hasedera_01.jpg


また、眼下に見下ろすと山内が一望でき、その凜とした空気を感じ取ることができた。臨済宗のお寺とはまた違っている。


本堂の外舞台から見下ろす山内

帰路に、ふと車窓を見やると、なにやら見慣れぬものが・・・。そう、このあたりは三輪そうめんの産地なのであった。また夏になったら美味しくいただくことができますように。

三輪そうめんの産地

2007年02月19日

茶屋四郎次郎邸址

茶屋四郎次郎邸址

油小路下長者通りの角に、茶屋四郎次郎邸があった場所を示す石碑がある。
日本史の教科書で、少し見かけたことがあるかも?知れないこの名前。
織豊時代から、江戸初期まで栄えた京都の豪商で、当主が代々-茶屋四郎次郎-を襲名する(本姓は中島氏)。
江戸幕府の呉服御用商人でもあり、朱印船貿易でも活躍し、角倉家、後藤家とともに、「京の三長者」といわれた家だ。
京都にはあちらこちらにこのような石碑をみつけられ、それだけでも道を歩くのが楽しいものである。
是非皆さんも京都に来られたら、時間の許す限り、歩いて回られる事をおすすめしたい。


2007年02月16日

あなめでた 吉祥-裏千家茶道資料館-

福寿草

堀川通り沿いにある、裏千家茶道資料館を訪れた。
「あなめでた 吉祥」と題して、吉祥文様を取り入れたお道具、その他美術工芸品などが展示されていた。
1月らしい数々の展示品に心華やぎ、吉祥文様のいわれなどについても解説があった為、その意匠は知っていても、どういった意味があるのかまでは知らない物などについて、改めて知る事が出来た。

自分が稽古する流派とは違う流派のお道具、お家元の好み物などを拝見すると、家々によって違う特徴が見えたりして、なかなか楽しいものでもある。

拝観者には、お茶も振る舞われ、一つ一つ違うお茶碗でおもてなし下さり、説明もして下さる。
京都に住んでいるのだから、どの流派に属するなどは関係無く、勉強させてもらえる所へは足を運ぼうと思う。

2007年02月15日

京都国立博物館-京都御所障壁画-

京都御所障壁画_美しい群青色


2月18日まで開催中という事で、慌てて向かった国立博物館。
毎回思う事だが、こういった国公立の博物館・美術館は、誰もが知る大きな寺の宝物展や、海外の有名な美術館からの所蔵品が公開になる時は、恐ろしいほどの人でにぎわうのだ。
今回も、「京都御所」というのは、多くの人々の心をくすぐるのか、黒だかりの人人人である。
前回レポートした、「京焼-みやこの意匠と技-」の際には、さほど賑わう事も無く、スムーズに自分のペースで歩く事が出来たのだが・・・。

御所の壁画では、宮廷のしきたりについてや、雅びな世界、また、京都画壇の歴史を知る事が出来た。
それにしても、これだけの彩色豊かな画を保存していくには、並ならぬ不断の努力があった事であろうと感心した。

が、正直に書くと、実は今回、京都御所の障壁画よりも、私にとっては、同時に開催されている、平常展示館での、新春特集陳列「神像」展の方が興味深かった。
特に京都、高山寺の白光神立像は、元はインドの神で、白いヒマラヤの雪を象徴しているとの解説どおり、清らかなその姿にしばし前で動けないほどであった。それにしても、インドの神(おそらくヒンドゥーの)が釈迦が出てから、仏教と融合し、大陸を経て日本にわたり、今度は白光・春日・善妙の三鎮守神のうちの白光神となるのであるから、頭がこんがらがりそうだが、そんな理屈はどうでもよいのかもしれない。
日本人が信仰の、手を合わす対象として崇めてきた姿、その実像を今回見る事が出来、「あぁ、今の時代、目に見えぬ物への畏敬の念や、恐れが無いから世の中が荒廃してゆくのだろうか・・・」と少し寂しくなった。

白光神立像

2007年02月14日

花背の里 花竹庵 

古き良き日本の民家


三連休。 京都、花背にある花竹庵(かちくあん)を訪れた。
美味しい蕎麦が食べられるとの噂で、何も調べずに出かけたのだが、実はここ、西本願寺絵所十二代絵師で、版画家の徳力富吉郎師(1902~2000)の夏画室だったとの事。
その上、庵号は表千家十四代家元の、即中斎宗匠より拝領したものだとか・・・。
徳力さんと言えば、研究所で扱っている版画十牛図が彼の作品である。その上、私は表千家の茶の湯を嗜んでいる。こんな所でまさか即中斎宗匠の扁額に遭遇できるとは夢にも思っていなかった。

この日は雪まで降って非常に寒かったものの、美山の里の美しい風景を楽しみ、古民家の情緒あふれるたたずまいの中、京都でも何本かの指に入るであろう!と思われる美味なる蕎麦をいただき、お腹も心も満腹になって帰路についた。

花竹庵


門

暖簾、傘立てや、民家でいただく蕎麦などの器は、全て向かいにある工房「花背工芸館」のもの。

杉

途中、雪が降り、杉に積もった雪が自然に模様をつけていた。

清らかな流れ

水は澄み、清らかな流れが絶え間無く・・・。

追伸:花竹庵へは、予約をして行かれるのが賢明です。

2007年02月13日

パロ・ゾン -ブータン-

パロ・ゾンの少年僧


唯一の空港がある町、パロにあるゾン(城・要塞)を訪れた。
以前にも書いたが、ゾンは半分が政治・半分が宗教の場となっている。
日本でいう、市役所と寺が合体したような感じだろうか・・・。
旅行者にいろいろな制約のかかるブータンでは、ゾン内にはブータン人ガイドがいなくては入れないようだ。実際、旅行者のみが勝手に観光している姿を1度もみかけなかった。
このパロ・ゾンのもととなった寺は、伝説によれば、チベットから帰った僧により15世紀に建てられたとの事。ただ、火災などにより、現在の建造物は1907年に再建されたものだそうだ。

このパロ・ゾンと、川にかかるカンチ・レバー橋(写真下)は、キアヌ・リーブス主演の『リトル・ブッダ』のロケ地である。

bhutan_296.JPG


まさに要塞

このように見上げると、まさに要塞のようだ(逆光ですみません)。


国立博物館を望む

はるか上に見えているのが、前回のブータン記事にて紹介した国立博物館だ。

パロ・ゾン内の石の階段

印象的な階段。

光と影の妙味

光と影。

ブータン版、「陰翳礼讃」か・・・。

中から見た風景

建物内部から外を見る。何でこんなに安心する風景が・・・。日本大好き!な私が、帰りたくもなくなるわけだ。

2007年02月12日

樂美術館-ゆく年くる年・光悦の足跡-

樂美術館

前回の展覧、「光悦と樂導入 二つの樂茶碗 二人の交友」に引き続き、今回は、樂家に大きな影響を与えた光悦の足跡についてをたどるような内容となっている(2月25日まで)。
また、季節に合わせて、新春の慶びを味わえるような作品の数々も展示中だ。
三千家(表・裏・武者小路)のお家元による書き付け(干支など、お正月に因んだもの)がほどこされた茶碗も並ぶ。

当代は、代々続く京都の旧家に生まれ、彫刻の勉強でイタリアに留学されていた事もある。
お話を伺っていると、その視野の広さと、時折見せる子供のようにキラキラした瞳、研究熱心で、まっすぐなお人柄に、好感を抱かぬ人はいないだろうと思う。「人」として非常に魅力的な方なのだ。
また、若い頃から光悦茶碗には強い共感を抱いたと言われており、その作陶には、自由でおおらかな精神が見て取れると共に、作品によっては、伝統的な樂茶碗というものを研究し、愛する気持ちも感じられる。
まさに温故知新。現代に生きる我々がお手本にすべきだ。
世間では、京都で十何代も続く家・・・と聞くと、イメージだけが先行して、なんだか後ずさりしてしまいたいような、きっと、古いしきたりにばかりうるさい、意地悪な、何かを内に秘め隠しているかのような印象を受けるのかもしれないが、「本物」というのは、そういうものではない。と私は思う。

美術館では、実際に手にふれて樂茶碗を味わう鑑賞会が開かれている。
興味のある方は、是非一度参加されてみると良い。
特別鑑賞茶会では、当代が亭主をされる。楽しいお話を拝聴できる貴重な機会だ。
詳しくは樂美術館まで・・・。

樂美術館

2007年02月09日

水仙も春を感じて・・・

水仙


我らが研究所の前にある花壇。
ついこないだまではまだ蕾が多かったのですが、ここ3~4日で満開になりました。
楚々として、その姿に、その香に、こちらの心が清らかになるようです。
毎朝出勤時、今日はどの蕾が開いただろうと楽しみに花壇の前を通るのです。

ただ、この花壇はわりと人目につかない所にあります。
研究所の職員でさえ気づいていない人も・・・。
そこで、切るのはかわいそうなのですが、研究所の玄関に少しいただいて飾ります。
そのたった一輪で、玄関に春の香りがいっぱいで、心が和みます。
花の力って、すごいものです。


2007年02月08日

比叡山に登る(2)

光定(こうじょう)の廟所

最澄の廟所である浄土院の脇から入って山道をしばらく歩くと、光定(こうじょう)の廟所に辿りついた。光定の廟は、信長による元亀の兵乱にも所在を失うことなく、現在の我々も光定の葬られた地を訪ね、いにしえに思いをはせることができる。

最澄の高弟であった光定は、師の悲願であった大乗戒壇の設立に奔走し、最澄の寂後七日にして設立許可の勅使来山を実現させた功労者である。光定が受戒の証明として朝廷から賜わった「光定戒牒」は、三筆の一人である嵯峨天皇の雄渾な筆致を今に伝えている。没後には別当大師と尊称され、近年まであった坂本の別当大師堂では大黒天の姿で祀られていた。

見ると、小さな方堂である。墓石を保護するための覆堂かと思い、まわりを一周してみて驚いた。出入り口がないのである。窓さえもない、木箱のような堂であった。中に墓石があるのかどうかも分からない。あったとしても拝することはできない。

光定の墓は、まるで暗闇の中に密封されているかのようだった。なぜこんな墓堂に祀られているのか、何かいわれがあるのか、調べてみたいものである。

翠苔の上に・・・

翠苔の上に金葉がちりかかる。まるで錦の反物のような山道。

比叡山に登る(1)はこちら

2007年02月07日

御苑の白梅

御苑の白梅

休日には、四季の移ろいを楽しみつつ、御苑を散歩する。
前回は、一本だけ咲き誇る紅梅をみつけたが、今回はまたこの一本だけ、白梅が満開だ。
梅にも個性があるのだろう。
違う梅林を見に行っても、まだ固い蕾をつける木もあれば、満開の木もあったりして、おもしろいものだ。
皆さんのお住まいになられている地でも、梅は咲き始めていますか???

2007年02月06日

菜の花畑と比良の雪山

先日、京都にも雪が舞ったばかりであるが、暦の上では節分が過ぎ立春を迎えた。
何か春を感じさせる場所がないかなとネットを探していたら、琵琶湖畔の菜の花畑が見頃であることを知って出かけてみた。


菜の花畑と比良の雪山


場所は守山市のなぎさ公園の菜の花畑
12000本もあるという菜の花がちょうど見頃で、花の香りと肥料の匂いでむせ返るほどだ。
湖周道路の傍にあるので、通りがかりの人たちが車をとめて立ち寄っている。ファインダーを覗いている人も多い。
琵琶湖の向こう側には、ちょうど雪を載せた比良山系がきれいに見えたので、ああ、冬と春との邂逅だなぁと思い、自分もシャッターを切った。

その後、湖周道路を南に向かうと、草津の矢橋帰帆島の附近で、葦(よし)の刈り入れをしているのにも出会った。この辺りは昔からの有数の葦地帯であるらしい。


葦の刈り入れ


2007年02月05日

『禅僧になったアメリカ人』 カーシュナー師テレビ出演

禅僧になったアメリカ人

『禅僧になったアメリカ人』の著者、トーマス・カーシュナー師が、NHK教育テレビに出演されます。
是非ご高覧下さい。

  ○2月11日(日)午前5時~6時 (再放送は、2月18日午後2時~3時)
  ○NHK教育テレビ 「こころの時代 宗教・人生」
         -人生の荷物は少ないほうがいい-

2007年02月02日

国立博物館 -ブータン-

国立博物館の外観


この博物館の建物には、下にあるパロ・ゾンの背後を守る望楼の役割があったらしい。
半円を真ん中で合わせた?ような形になっており、中は迷路のようで、一体自分がどのようにどこへ進んでいるのか、中に入ると全くわからない。
『地球の歩き方』には、「各階とも広さや形がまるで違う。4階から入って5、6階を見て、再び5、4階と下りつつそれらのフロアの残り半分を見て、さらに3、2、1階と降りて地下1階から出るという迷路のような構造だ。」とある・・・・・・。

所蔵物は様々で、タンカや仏像仏具はもちろんの事、武具や農耕道具、少数民族の衣装、石器時代の石斧(チベット、ロカ地方の紀元前2000年頃の様式と近い物らしい)、ブータンに生息する動物の剥製などなど。
ちょうど、武具の展示品の中に、日本の鎖帷子(くさりかたびら)とそっくりな物があり、日本語を勉強中だというガイドに、「日本人観光客に、鎖帷子ですと説明したら、絶対にすごいと言われるはず」と、レッスンしておいた。
これからブータンを訪れる方で、この博物館に行った際、ガイドが「くさりかたびら」という日本語を知っていれば、それはおそらく、私がお世話になったガイドさんだ。

そんなことはいいとして、古いタンカばかりが並んでいる部屋は、異様な雰囲気。
何年か前に、ある陶芸家さんの父君(むろん陶芸家)が集めた古いタンカのコレクションを拝見させていただいた事があるが、その時に「敏感な人は、この蔵に入れないんですよ~。近くに行った時点で、足が止まってしまって。いろいろ感じるらしいです」とおっしゃっていたのを思いだし、少しこわくなるが、鈍い私が何かを感じるという事は全く無く、無事拝観できた。

日本とブータンには共通点が多いと言われるが、この博物館に行くと一度に様々な物を観る事が出来る為、また発見がありおもしろい。

パロ・ゾン

高台にある為、パロ・ゾンを見下ろす事が出来る。

非常に気持ちの良い風景が広がっているのだ。

下から見あげる

2007年02月01日

逸翁美術館-千家のお茶と職家のお道具-

千家のお茶と職家のお道具


この逸翁美術館では、阪急グループの創始者である、小林一三翁の所蔵品を公開している。
いつもは、逸翁(小林一三の雅号)が日本のみならず、世界各国でみつけて来た-見立て-の道具(元々は茶道具ではないものを、茶道具とみたてて使う)が数多く展示され、「こんな物を蓋置きに!こんなものを建水に?!」と驚かされるのだが、今回は全てお家元に関係するお道具や書、千家十職による道具の展示だ。
改めて、連綿と受け継がれて来た職家の技の素晴らしさやその心、家で代々物づくりを受け継いでいく事の大変さ、家元との代々に亘る交流などを垣間見て、使う者は心して使わなくてはならないと身が引き締まる思いであった。

【千家十職】
千家の好み道具を制作する職家十家をいう。大正4年(1915)、松阪屋百貨店で職家の制作になる好み道具の展観がおこなわれたとき、はじめて「千家十職」の呼称が用いられ、以来、職家の通称として通じている。
表千家不審菴公式HP 茶の湯 こころと美 より

千家十職は、下記の家々をいう。当代はほぼ、下記の名前を代々継ぐ事となっている。

○樂吉左衛門(陶工/茶碗など)
○黒田正玄(柄杓師/柄杓・竹花入・蓋置など)
○駒沢利斎(指物師/棚物・曲物・炉縁など)
○永楽善五郎(土風炉師/茶碗・水指など)
○大西清右衛門(釜師/風炉釜など)
○土田友湖(袋師/袱紗・仕覆など)
○中川浄益(金物師/皆具・火箸・鉄瓶など)
○飛来一閑(一閑張細工師/薄茶器・菓子器・盆など)
○中村宗哲(塗師/薄茶器・盆・香合など)
○奥村吉兵衛(表具師/軸装・風炉先・襖など)

茶室 費隠

門前

十職によるお道具の他に、私が何年か前に一度拝見(記憶は曖昧だが、毎年この美術館で行なわれる逸翁忌の茶会の床に掛けられていた)して、その字が心に焼き付いてならなかった、千宗旦筆「喝」の軸がお目見えしていた。
この字の事をことばで表わそうにも、自分の表現力の無さがこの字を台無しにしてはいけないので、是非皆さまには、ご自分の目で確かめていただきたいと思う。

休日という事もあり、逸翁が考案した茶室-即庵-にて、薄茶を一服いただいた。
土日は必ず近隣の先生方が釜を懸けられるのだ。
自分が習っている流派以外のお点前を拝見できる貴重な機会でもあり、また、逸翁が愛した所蔵品で一服いただけるとあって、毎回こちらでの一服を楽しみにしている。

逸翁美術館HP