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2007年03月30日

韓国 -民俗村 民家-

先に、韓国民俗村では、地方や貧富の差による生活様式の違いを見てとることができるようになっていると書いたとおり、広い敷地の中には、朝鮮時代の各地方の伝統家屋がのこされ、当時の生活文化が再現されている。

今回は、農家や民家について……。
小さな一般の民家は藁葺き屋根で、土間にはかまどがあり、農業を営んだり絹を機織りしていたりして生計を立てていた。明治~昭和中期の日本の家屋と共通する点が多々見られる。
こちらは機織りをしていた民家である。軒先にはいろいろなものが乾してあってユニークだ。


機織りの民家

韓国の代表的な食べ物といえば、キムチを思い出す。旅行中に、どこで食事をしても、必ずキムチがお目見えしたほど、韓国の食卓には欠かせない食べ物である。
現代は、そのキムチを保存するために、キムチ冷蔵庫というものが一般的に利用されているらしいが、もちろん昔にはそういうものはなく、キムチは大きな甕にいれて土にいれて温度や湿度を保ち保存していたのである。
これが昔のキムチ冷蔵庫。


キムチ冷蔵庫

甕は庭にはふせて並べて保管されるのが普通のようで、ガイドさんの話のよれば、この甕の数が多いほどお金持ちとなのだそうである。


庭にふせられた甕


2007年03月29日

韓国 -民俗村 守護神と御神木-

水原華城をあとにし、ソウルの南、水原市郊外の韓国民俗村を訪ねた。

韓国民俗村 正門

韓国王朝時代の生活様式を保存している広大な野外博物館のような場所である。日本で言うと、さしずめ「明治村」や「昭和村」といったところであろうか。韓国旅行に行くと決まったとき、是非行きたいと、行程に組んでもらった場所である。これから、何度かにわたって民族村を紹介していきたい。

最近の韓国では、ソウルやプサンなどの大都市、あるいは交通の要所となるような町などでは、マンション建設がラッシュのようで、一軒家をみつける事が難しい。
田舎町に行けば見られるのかもしれないが、どんどんと昔の住居はなくなってしまっていくので、その伝承保存を考えて作られたというが、これが、個人経営だと聞いて驚くばかりである。

すばらしいのは、地方や貧富の差による生活様式の違いを見てとることができるよう、それぞれの特色をきちんと保存されていること。また、民俗遊びや生活風習を実感できるつくりになっていて、広大な敷地を回遊しながら楽しむことができる。

入場してしばらく歩くと、トーテムポールのようなこんなものに出くわした。

天下大将軍 地下大将軍

「天下大将軍」と「地下大将軍」と書いてある。男女一対の木偶神像で、村の入口などに立てられ守護神としての役目を果たしているらしい。本来、チャンスンといい、「長生」とか「長性」などと書かれるものらしい。なんとなくユーモラスで親しみが持てる。

南部地方の農家の前には、こんな幡も立っていた。

農者天下之大本

「農者天下之大本」と書かれている。三国時代から農本国家を基盤としていた韓国ならではである。日本でこんな幡をあげていたら、農民はどんな処罰をうけたことであろう。

そういえば、別の所には村の御神木とされる木があり、そこには5色の布が下げられて祀られていた。布はともかく、御神木の祀り方は日本も同じようである。

御神木

2007年03月28日

満開 -御苑-

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日曜日、御苑のしだれ桜はほぼ満開でした。
その前の日の土曜日には、我が母校(兵庫県西宮市)のソメイヨシノは蕾の先が漸くほころんで来た感じで・・・。
この一週間ぐらいで美しく咲いてくれるでしょうか。楽しみです。

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2007年03月27日

浮御堂 海門山満月寺

浮御堂


琵琶湖に浮かぶ近江八景の一つ「堅田の落雁」として有名な浮御堂。
琵琶湖大橋から近い堅田の町にあるこの御堂は、実は臨済宗大徳寺派の海門山満月寺という禅寺であるのをご存じだろうか。
もとは約千年以上前の長徳年間に、比叡山の恵心僧都が、琵琶湖の湖上交通の安全と衆生済度を発願し、一千体の阿弥陀仏を刻んで、湖上に堂宇を建てたことに始まるという。

歴史を経て、現在の浮御堂は昭和12年に再建されたもので、内部には阿弥陀仏一千体が安置されている。西方極楽浄土におわす阿弥陀如来であるから、浮御堂正面は比叡の山を背にして、琵琶湖、つまり東に向かって建っているのである。
近年、夏期の琵琶湖の渇水に見舞われると、浮いていない浮御堂になってしまうが、今は湖水も豊富で、鴨やかいつぶりなど水鳥が水面に漂っていた。
境内には芭蕉をはじめ、いくつかの歌人の句碑がある。ほかにも一茶、広重、北斎等の詩歌や絵画も残されており、一休禅師や蓮如上人も立ち寄られた名所である。

浮御堂から見る穏やかな湖上

さて、この浮御堂から数百メートル離れたところに、同じく大徳寺派の末寺である祥瑞寺がある。
ここは、かの一休禅師が華叟宗曇禅師のもとで小僧時代に修行をした寺として有名である。

祥瑞寺山門横に立つ石碑

祥瑞寺の境内

残念なことに境内の苔の多くは赤く焼けてしまっていたが、椿の花が美しく咲いていた。

祥瑞寺に咲く白い椿 祥瑞寺に咲く紅の椿

禅文化研究所の元所長であり、松島瑞巌寺の前住職である、故・平野宗浄老師は、瑞巌寺に上がられる前にこの祥瑞寺に住しておられた。私が子供の頃、父に連れられてこの祥瑞寺にお邪魔したのは、その頃である。
鬼籍に入られてもう五年にもなろうか。境内にいると、老師の声が聞こえてきたような気がした。

2007年03月26日

韓国 -水原華城(スウォンファソン)-

蒼龍門

水原(スウォン)という地名で想起されるのは、朝鮮半島に518年間もの長きに亘って続いた専制主義王朝国家である李朝(李氏朝鮮)の末期に遷都計画がもちあがった場所であること、朝鮮戦争でソウルが陥落した時に遷都されたこと、最近では2002年のFIFAワールドカップの会場となった水原ワールドカップ競技場があること、などであろう。

水原華城は、李朝第22代正祖大王が、当時の漢陽(今のソウル)からの遷都を計画し、1794年1月に着工して約3年後の1796年9月に完成した。しかし、完成直後に正祖大王が崩ぜられたため、遷都計画は中止されたとされる。

水原華城

手許の資料によると、その城郭の全体の長さは約5.7Kmあり、歩いてめぐるとなると数時間はかかるとのことである。時間の都合上(?)、東側の東将台・東北空心墩・東北弩台・蒼龍門の4ヶ所の観光となった。ちなみに、筆者は未見であるが、築城に関する全ての記録が、『華城城役儀軌』という書物にそのまま遺されているということであり、建築実名制というものが実施された世界で最初の建築物でもあるそうである。

この城の構造は、かつての宗主国、中国のような城郭構造であり、当時は街を取り囲んで造られていた、とのことである。「中国では、古来、都市全体を城壁で囲むのが普通である。まさしく城郭都市の呼称がふさわしい構造をもつ。……西アジアやヨーロッパでも、普通に見られる歴史的景観であり、むしろ日本が例外と言ってよい」(愛宕元著『中国の城郭都市』中公新書1014,中央公論社,1991より抜粋)とあるように、いわゆる日本にあるような独立した城ではなく、城郭都市なのであって、これは首都であるソウルにおいても、現在では南大門のような門のみが見られるが、昔は城壁に囲まれていたとのことである。

これらの場所を見た限りのことであるが、想像よりもずっと綺麗である。確かここは朝鮮戦争の被災によって崩壊状態であったのを、1975年から1979年にかけて修復されたとのことであった。

そのような水原華城の中で、筆者が特に興味を覚えたのは、東門にあたる蒼龍門である。何と言っても、東方に蒼龍の門、屋根を見ると、上には…龍?! なるほど、これは五行で五方の「東」に相当する五虫が「鱗虫」であることから龍なのかな、と思い、現地ガイドさんに他の方角の門の上にあるものを聞いてみると、「すべての門の上にあるのは龍」とのことであった。それならば、五龍の「蒼龍」なのか、などと色々考え直しているのではあるが、未だに釈然とせず、明快な回答を持ち得ていない。そこで、もし本当のところをご存じの方が居られたら、ご教示いただきたく思っている次第です。

マンホールにも水原華城


2007年03月23日

韓国 -韓国高速鉄道 KTX-

我々の行程は、早々に慶州をあとにして、二日目の朝から韓国北部へ向かう。
ソウルへ入る前に、水原(スウォン)での観光をするため、慶州から近い東大邱駅から天安牙山駅まではKTXを利用することになる。

東大邱駅

さて、KTXとはご存じのとおり、日本の新幹線のような高速鉄道で、未だ全線は開通していないものの、2004年より暫定開業され、ソウル-釜山の間を移動するための高速交通手段となっている。
暫定的に一部分、在来線の線路を利用している区間もあるようである。
このKTXは、フランスの高速鉄道TGVの技術を導入しているため、車両もTGVそっくりである。われらが新幹線から比べるとごつごつしていて、美しさは今一つである。
KTX事業の検討段階で、新幹線技術を導入するかも検討されたに違いないが、隣国日本の新幹線ではなく、TGVを選んだのは、ひょっとして国民感情もあるのだろうか。

韓国高速鉄道 KTX

なぜかドアも自動ドアではなく、女性の車掌が手動で開け閉めしていた。車内も座席は通路を挿んで2列ずつなので、新幹線より座席数が少ないのであるが通路も新幹線より狭い。
しかし、天井には等間隔に液晶テレビがセットされ、テレビ番組が流されていた。これらのテレビもサムソンの製品であろうかなどと考えつつ車窓に目をむけると、驚くことにこのKTXは防音壁がほとんどないではないか。日本では考えられない光景だが、まだ騒音問題などには発展していないのだろうか。
ところが車内では、旅行の興奮で声高らかに談笑していたW氏が騒音問題に直面し、美しい女性車掌さんから、唇に人差し指をあてて、やさしく注意されたのであった。

2007年03月22日

ブータンの宿 -ブータン-

ホテルからの眺望

今回は、ブータンの宿についてご紹介。
最初の記事にも書いたが、ここブータンでは、個人旅行はほぼ不可能だ。
という事で、他のアジア諸国のように、できるだけきれいな安宿を探して!という必要も無く、旅行社が決めた所に泊まる事となる。
ホットシャワーも問題なく出て、部屋もきれいに掃除してあり清潔だ。
上の写真は、空港のある町、パロにて滞在したホテルのベランダからの風景。
町から少し離れた高台だった為、それはそれは素晴らしい眺望。パロ・ゾンの見える部屋だ。

ブータンのホテルの部屋

部屋内部。ベッドカバーは、ブータンの織物で、壁のペインティングはブータンの伝統的な模様。冷蔵庫の上にはきれいな生花が飾ってあり、心配りが見られる。
日本人が違和感を抱くとしたら、ショッキングピンク色!のカーテンくらいだろうか・・・。

ドツォ

このホテルでは、ブータンの伝統的なお風呂、ドツォの体験も出来た。
ブータンの民家などでも見られるこのドツォは、焼き石風呂なのだ。
お湯がぬるければ、外に向かって、「More!!!」と叫ぶ。すると、ごぼごぼと焼き石が滑り台を転がり落ちてきて、お湯の中に投げ込まれていいあんばいになるわけだ。
民家では、風呂の中に仕切りを作り、自分が入る所と、熱い石を入れる所を分けておく。

ブータンのニュースキャスター

ブータンでは、ニュースキャスターも民族衣装!

2007年03月21日

御所の百花繚乱

御所のしだれ桜

先日、お天気の良い日に御所へと散歩に。
ここ最近、寒い日が続いている為、まさかまだだろうと思いつつ見に行くと、立派なしだれ桜が咲き始めていました。

満開の桃

桃が咲き誇っています。
梅は終わりかけではありますが、まだ咲いているものも・・・。

野の花

足もとにも、確実に春はやってきます。春は千林に入る 処々の花・・・かな。
たんぽぽ、おおいぬのふぐり、ホトケノザの共演です。

2007年03月20日

霊鑑寺の椿

霊鑑寺


鹿ヶ谷にある南禅寺派の霊鑑寺は、ことに椿で有名な寺である。
1654年に、後水尾天皇が皇女多利宮(第一皇女梅宮は、奈良円照寺の開山)を開山とし創建された寺である為、その後も代々皇女が入寺されていた門跡寺院だ。
秋の紅葉、春の椿が美しい時期にのみ公開されるのだが、それがまもなくだということで、心待ちにしている。
後ろの山を借景し、鳥のさえずりが絶え間なく、現在も静寂の内にひっそりと佇んでいる。

石碑

日光椿は、現在このように咲き誇っていた。他の椿の具合はいかがなものかと気になって仕方がない。

日光椿2

みつまた

哲学の道には、みつまたの花が。

サンシュユ

山茱萸の花も満開です。

2007年03月19日

韓国 -慶州 窯元 皇南パン-

青磁工房


ここ慶州には、古墳やお寺の他に、窯元も多く点在している。
前回私が個人的に訪れた時にお邪魔した窯元では、穴窯のような窯で、素焼きに近い物が作られていたが、今回は青磁の窯元へ。

窯元の女将さんが、美大卒の人しかおらず、一つ一つ手作りだと工房内を案内してくれた。
うちのは質がいいから、貫入(青磁によく見られる、細かいひびのような模様)が非常に細かく、窯を焚くにも松しか使わないので、色艷がいいのだと・・・。
ただ同じ作品を同じ工程で作り続けているわけで、作家の個性が見られるような青磁ではなく、あくまでお土産物のように感じた。

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女将さん自慢の登り窯。確かに立派!
窯の隣には松の木がたくさん置いてある。

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最後に、こちらで作られた物が売っている店へ。
お土産物の青磁の他に、店の端の方に埃を被って置かれている少し古い作品が・・・。
なかなか良い物があり、白い粉引の小さな壷?か甕?のような物など、日本で蓋と箱を作れば、いかにもわびた感じの、良い水指になりそうだ。
他にも、少し古い、珠光青磁のような色をたたえた茶碗などもある。
この辺りに置いて有る物は、ほとんど値札がついていないので、女将さんに聞いてみると、「ここのは売れなくてもいいやつ。先代のものだし飾って有るの。でも買うとすれば高いからあなたみたいな若い子は買えないよ。十万以上する。あなたお茶やってるの?こういうのは日本人の年寄りが買うものだ。あなたあっち買いなさい」と、青磁を進めてくる・・・。なんとも強引。
次に慶州に来る事があるならば、窯元を集中的にまわるのも、また一興かな。

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最後にやはり食い気の話。
食べてみたかった慶州名物、皇南パンの店へ。
このお店は三代続くらしく、その前にもあんこ餅?のようなお菓子を作るお家だったそうな。
薄い皮はこんがりと焼けていて、中には韓国産100%のあんこが。できたてはほんのり温かく、甘さも控えめで美味しかった。これだけの人数で、この1種類だけのお菓子を朝から晩まで作り続けているのだ。これがこんなに売れるなら、違う商品も!とならないところが、慶州の寺が多い歴史ある田舎町で店を続けるご主人の心意気か?! 慶州へ行かれた方は是非。


2007年03月16日

閑院宮邸跡

閑院宮邸

京都御苑の地は、江戸時代には公家の屋敷がひしめき合う公家町であった。東京遷都後、荒れ果てた公家屋敷を取り壊し、周りを石垣土塁で囲って整備され、現在の御苑の姿が定まった。

閑院宮邸跡は、御苑内に残る唯一の公家(親王家)の邸宅である。近年まで環境庁京都御苑管理事務所などとして使用されてきたが、歴史的価値が高いとして修理され、平成18年4月から一般公開されている。
 
閑院宮家は、東山天皇の子直仁親王に始まる四世襲親王家の一つであり、新井白石の建議によって創設された(他は伏見・桂・有栖川)。親王とは本来天皇の男子の称であるが、中世には特定の宮家に代々親王宣下をすることによって世襲親王家が成立する。閑院宮成立以降、四親王家はあたかも四天王のように天皇家の血筋を守護する役割を果たした。
 
実際、後桃園天皇が男子のないまま崩御すると、閑院宮典仁親王の子の師仁(兼仁)親王が養子となって皇位を継いだ。これが光格天皇である。それ以来、今上天皇まで代々直系継承が続いている。閑院宮家は、現在の皇室の源流ともいうべき重要な位置を占めるのである。
 
ちなみに、光格天皇は実父の典仁親王に太上天皇の尊号を贈ろうとしたが、松平定信の反対にあって頓挫した。これをきっかけに朝幕関係は悪化、明治維新の遠因ともなった。尊号一件という出来事である。
 
見ると、江戸時代の建築様式と明治以降の様式が混在しているようだ。これは明治以降この宮邸がたどった歴史を物語っている。きれいに整備された庭園も、落ち着きを取り戻すためには、もう少し時間が必要であろう。

参観は無料、月曜以外は開館しているので散策などには大変都合がよい。

2007年03月15日

韓国 -仏国寺-

仏国寺

先日紹介した石窟庵と同じく、景徳王代の宰相金大城によりに建立されたという仏国寺を参拝する。

仏国寺の見どころは、何といっても見事な石造物であろう。伽藍全体が美しい石垣で築かれたテラス状の土地に建ち、その前面には、これもまた見事な石橋がかかる。差し交わす松の枝も美しい。仏国という名に相応しい風景である。

多宝塔釈迦塔

回廊内の大雄殿前には多宝塔(左)と釈迦塔(右)が立つ。特に多宝塔の個性的な造形美は韓国の至宝というべきで、10ウオン貨幣にも、その優美な姿が描かれている。

毘盧殿には、新羅時代の金銅毘盧遮那仏が安置されている。最近になって金や丹青で塗り直され、造像当初の美しい姿がよみがえった。ただ、古色を好む日本人ならば、このような修復はまずしないであろう。

ところで、最近次のようなニュースが飛び込んできた。

web版朝鮮日報(日本語)
【スクープ】韓国木版印刷物は世界最古じゃなかった!? 
「世界最古」の無垢陀羅尼、日本の百万塔陀羅尼経より新しい可能性


従来、1966年に仏国寺の釈迦塔内から発見された「無垢浄光大陀羅尼経」が、現存する世界最古の木版印刷物とされていた。ところが、これが11世紀(高麗時代)の修理時に追納されたものだとすると、最古の印刷物という栄誉は返上しなければならない。かつてのように、日本の百万塔陀羅尼経(奈良時代)が、その座に返り咲くことになる。

誇り高い韓民族にとって、このニュースはまさに「パンドラの箱」であるにちがいない。

雨にも耐えるこの見事な柱のペインティングは、この顔料を作り出すのにも特殊な技術を必要とし、その職人は年々減っているらしい

2007年03月14日

大般若祈祷会

11日の日曜日、不肖の自坊にて、大般若経を転読する祈祷会を行なった。
ひどい北風が吹き荒れ、吹雪になったかと思えば、陽が照ってポカポカと暖かくなったりで、一日の中で三寒四温を思うような日となった。


大般若祈祷会


この大般若祈祷会は、本来、お正月の三ケ日に、今年一年、魔障を除き、世界の平和、五穀豊穣、家内安全などを祈願して勤めるものである。

導師は堂内中央で「大般若波羅蜜多経 第五七八巻」の「第十理趣分」を読み上げる。
その間、参列した僧侶は、50巻ずつ12箱に分けられた般若箱に納められた経典のうち、自分の持ち分50冊の経典を一冊ずつ手に取り上げ、「大般若波羅蜜多経巻第○○ 大唐三蔵法師玄奘奉詔訳」と大きな声で読み上げる。そして、経本を扇のようにパラパラと呪文を唱えながら繰って転読し、最後にまた大きな声で、「降伏一切大魔最勝成就(ごうぶくいっさいだいまさいしょうじょうじゅ)」と唱える。

しかし、修行道場などでもない限り、正月三ケ日に多くの僧侶が集まることなどできないので、一般的なお寺では、およそ旧正月の頃に順次行き来して行なわれてきたのではないだろうか。ただ、わが自坊のあたりでは、2月は雪深くて足元が悪かったため、3月に行なうのを恒例としてきた。今や地球温暖化の影響でほとんど雪が積もらなくなったので、2月に行なうことを再考してもいいくらいではある。

さて、今から62年前の昭和20年(1945)年の太平洋戦争終戦の日は、ちょうど今年とカレンダーが同じだそうである。
つまり、3月10日土曜日は昭和20年にも土曜日であった。その東京の空にB29が押し寄せ、無差別に空爆し東京を焼け野原にしたのだ。いわゆる東京大空襲の日である。
今年もこうして大般若祈祷会をお勤めしたのだが、残念なことに世界から戦争がなくなる日はまだ遠そうだ。

2007年03月13日

雪の少ない冬でも、なごり雪となるか・・・

先日のニュースで、東京都内では、この冬、一度も降雪を観測していないと言っていた。観測史上初ということだそうだ。
確かにこの冬は暖かい。
つい1週間ほど前には、もう今にも芽が出て桜が開花しそうなほど暖かな日がきたかと思うと、この数日は一転して冬景色である。しかし、例年ではこのくらいの気温が標準なのであり、やはり今年はどうかしているようだ。
先に琵琶湖岸の菜の花畑をご紹介したのだが、その場所とそう遠くない湖畔の朝の模様。

最後の雪になるか・・・

湖西の山は白くなって、鳥たちもいささか寒そうに羽毛を膨らませているようだった。

さて、そこから琵琶湖大橋を渡って、京都へ抜ける途中という町。

途中町の雪景色

堅田からのバスの終点なのに「途中」というバス停のある、この滋賀と京都の県境の峠の町は、昔から若狭から京都へ抜ける重要な物資輸送路で「若狭街道」と呼ばれる街道の中継点だった。
この若狭街道は、若狭で捕れた鯖に塩をまぶして不眠不休で京都まで運ぶとちょうどよい味になっていたため、いわゆる「鯖街道」と呼ばれるようになった。
昔は今よりはるかに雪深く、さぞ難所であったことであろう。

2007年03月12日

チョモラリとジュチュダケ -ブータン-

ドゥゲ・ゾン

現在では廃墟となっているドゥゲ・ゾン。
このあたりは、初心者でも可能な一週間くらいのブータントレッキングの出発点だそうな。
好天に恵まれ、運よく2つの山が見られた。
ブータンでは、宗教上の理由から、この山を直接登る事はしない。
私がネパールでトレッキングをした時、7000メートル、8000メートル級の山々を3000メートルを超える山から拝む・・・といったコースだったが、そのような拝み方しかしないのだろう。
確かに、登山家がブータンで山を登った・・・という話は聞いたことが無い気がする。
チベットも同じく、聖なる山に踏み入る事は禁じていたはずだが、中国政府が許した・・・というニュースを最近聞いた。悲しい事実だ。

チョモラリ

これがチョモラリ(7314m)。宝石のよう。
いつか、ブータンでトレッキングをしてみたいと思う。
ブータンの山は、ネパールのように整備された山々(ネパールの場合、中継地点に必ずロッジがある)ではない為、荷物(テントなど)を運ぶロバやコック(!専用コックさんがつくのです)さんも一緒に登るのだそうな。
朝起きたらコックさんが朝御飯を作ってくれ、それを食べたら出発。コックさんは後片付けやらをした後、トレッキング客を追い越し、昼御飯に良さそうなポイントで、料理を作り待っていてくれるらしい。
なんとものんびりで楽しそうなトレッキングだ。
そして、このチョモラリの向こうは憧れのチベットだそうな。
昔は交易路としてこの辺りの道が使われたそうだが、今は中国と国交が無い為、閉ざされている。

ジュチュダケ

ジュチュダケ(6794m)。

民家

民家

ブータンの田舎の民家には、このようにペインティングが施されている。
虎、獅子のような動物、チベット仏教と土着信仰の神が合わさったようなお守り、日本でも神社で豊作祭の際に木型が使われたりするが、ブータンでは子孫繁栄と魔除けのお守りとなる男根など。
昔はいたるところに見られたそうだが、最近では田舎の方でしか見られなくなって来ているらしい。

2007年03月09日

石窟庵

石窟庵の鐘

石窟庵(ソックラム)は、慶州市街から東に入った吐含山の中腹にある。この山は古代より神聖視されていたようで、麓にも仏国寺などの仏教寺院が建立された。

中腹といってもかなり標高は高い。自動車で駐車場まで上り、さらに歩くこと20分。上の写真のように、花崗岩でドーム状の石窟が作られ、中に花崗岩製の釈迦如来像が安置される。世界遺産にも指定された韓国が世界に誇る文化財である。

『三国遺事』の「郷伝」によれば、751年頃、景徳王時代の宰相だった金大城により造営されたという。その後儒教全盛の朝鮮王朝時代にも細々と修復されてきたらしいが、最も大規模だったのは1913~15年にかけての修復である。その時にコンクリートを使用してドームを補修したため、漏水などの問題が起こった。植民地時代に行なわれた、コンクリート使用のいい加減な修復は、百済の弥勒寺にも見られる。解放後にさらに修復され、現在のようなすがたを取ることとなった。ただ、修復前の古写真と比べると、仏像の配置が若干異なるようだ。

石窟庵の本尊は、東のかた「日本海」の方向に向けて安置されている。その先には、新羅にとって最大の脅威だった、わが日本列島が横たわっている。

山門

この門をくぐってから、石窟庵まではだいぶ歩くのだ。

この中に、釈迦如来像が

この中に、釈迦如来像が・・・。中はもちろん撮影禁止の為、皆さんにはお見せ出来ない。

石窟庵内部を説明するガイドさん

お世話になったガイドさん。石窟庵内部についてを説明してもらっている所。

2007年03月08日

木蓮

木蓮

三寒四温。
暖かくなったかと思うと、冬に逆戻りだったり・・・。
春はなかなかいっぺんにはやってきてくれませんね。
先週の暖かさで、蕾だった木蓮がいっせいに咲き始めました。
青い空に向かって大きな花を咲かせています。
春の花は、若葉が出る前にいっせいに咲き誇るものが多いですね。
新しい門出を迎える季節に、彩りを添えてくれているようです。


2007年03月07日

京の香り

京都の夜

すっかり日も暮れてから自転車で京都の町を走る時、大通りから一筋入ると、京の道は真っ暗です。
それでも、いろいろな香りが漂っていて、季節のありがたみ、歴史ある町に住む喜びを感じられます。
どこからともなく香ってくる蝋梅も、もうすっかり終わったなと思っていると、昨日はえもいわれぬ良い香りが。沈丁花です。ほんと、春ですね・・・。
家の近くにある老舗の香房からは、常に香を調合しているからか、夜通っても、沈香や時には伽羅などの香りが。香は、「聞く」(聞香)と言いますが、暗い中この香りが漂ってくるのを感じると、「聞く」という意味がわかる気がします。
お餅屋さんからは、お米をせいろで蒸す香り、お豆腐屋さんからは、あげさんを作る、大豆と焦げの香ばしい香り、仕出し屋さんからは、かつおやこんぶのお出汁の香り。
最後は食べ物の香りばかりになってしまいましたが・・・本当に、香りだけでも毎日楽しい京都です。

写真は、研究所から帰る途中のお寺密集地帯。
高い建物が無いので、お空の向こうまで見渡せて、屋根の様子が美しく気に入っています。

2007年03月06日

甲斐の国 塩山 向嶽寺

今年のNHKの大河ドラマは『風林火山』。そのご当地である甲斐の国にある、臨済宗の大本山向嶽寺に仕事で訪れた。
向嶽寺は山梨県甲州市(旧・塩山市)にあり、東京からだと新宿から中央線で1本でいけるのだが、京都からはなかなか交通の便が悪い。
名古屋から中央線で行く方法もあるのだが、時間的には、京都から新横浜まで新幹線で、新横浜からは在来線の横浜線で八王子まで行き、また中央線に乗り替えて特急で塩山へ。
時間としては、京都を出てから4時間、約600kmの旅である。このまえ行った韓国へ行く方が早いくらいだ。

塩山駅

塩山駅からは南アルプスや驚いたことに、富士山の頂上が山の合間に望むことができた。確かに地図で見ると、富士山の真北に位置するのだから、驚くことでもない。

塩山駅からは車で5分で向嶽寺に到着。
今年は向嶽寺第三世法光円融禅師(峻翁令山和尚)の六百年遠諱に正当しており、三月三日に遠諱法要が営まれる。
実はこの法要に合わせて制作された『峻翁令山和尚行録 訓注』の納品のために訪ねたのである。

向嶽寺も梅ざかり

初めて訪ねたのだが、梅の花がちょうど満開であったが、凜とした空気に包まれた古刹である。

そういえば、風林火山の武田信玄はもちろんのことだが、この地には「大菩薩峠」がある。
もう10年ほど前になろうか、上司の編集主幹に薦められて、あの未完の長編小説『大菩薩峠』全41巻(中里介山著)を読みきったのを思い出した。
小説では、自分のげんこつを口に入れてしまうという慢心和尚が住職をしていた、恵林寺も近いのだった。
時間があれば訪れてみたいところだったが、今回は断念。またゆっくり来てみたい。

2007年03月05日

韓国 -慶州の古墳-

慶州の古墳

韓国の慶州を日本に譬えるならば奈良に相当するだろう。
 
大卵から生まれた朴赫居世が新羅を建国したと伝えられるのが紀元前57年。それ以降、高麗に取って代わられる西暦935年まで、実に千年にわたって新羅の都であった。現在では典型的な地方都市だが、多くの古代遺跡が残っている点も奈良と同じである。

慶州を特徴づける景観として第一に挙げられるのは、各地に残る古墳であろう。これら新羅の古墳は、日本の物とも中国の物とも異なる、韓国独特の美しさを持っている。あたかも統計学で言うところの正規分布曲線(ベルカーブ)のように、地表からなだらかに立ち上がり、再びなだらかに地表に帰って行く。

新羅の古墳は5~6世紀頃、王権の伸長と揆を一にするように巨大化する。内部は木槨の上に大量の石を積み、外側に土をかぶせる。このため盗掘が困難で、新羅の豪華な黄金製副葬品の数々が、今日まで残されることとなった。
 
写真は慶州中心部の古墳の一つ。

2007年03月02日

職員研修旅行 -韓国-

慶州_石窟庵

2月22日から、2泊3日で韓国を訪れていました。
これから何回かに亘って、韓国のお寺や城、美術館などをスタッフよりご紹介していきたいと思います。
日本文化の源流とも言えるお隣韓国の風景をお楽しみ下さい。

曹渓寺の獅子

2007年03月01日

Flowers and Plants in Tibet -№7-

Flower in Tibet


禅文化研究所客員研究員・李建華さんのご子息、叡(えい)さん による、チベットの草花の写真です。
チベットの厳しい自然の中でも、草は根を張り、美しい花を咲かせます。
専門家さえその品種を特定するのが難しい植物もあるとの事で、植物の詳しい説明は避けたいと思います。
どうか、美しい写真をお楽しみ下さい。
尚、チベットの植物について詳しい方がいらっしゃいましたら、どんどんコメント宜しくお願い致します。

追伸:お父さんの李建華さんによるチベット紀行も必見です!!!

※写真の無断転載・利用はおやめください。