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2007年04月27日

ブータン民家の仏間 -ブータン-

ブータンの仏間1

ブータンの民家にて拝見させていただいた仏間の豪華さに驚いた。
農家の人達は信仰心厚く(この国全体がそうだが)、稼いだお金は、生活費をのぞけばほとんどこの仏具などに費やすそうな。
そしてこの仏間は、日本のように普段家族が祈る場というわけではなく、法要などの時にお坊さんを呼んだ時のみに使われるらしい。
普段使われない部屋に一番お金がかかっている。「特に信じる宗教はありません」と答える人が多い日本では信じられない事かもしれない。 逆に彼らからいわせてみると、信じる宗教も無く生きている方が信じられないのだろうが・・・。

ブータンの仏間2

法要に使われる立派な太鼓なども見られる。

2007年04月26日

稲葉山城 -岐阜-

ちょうど岐阜に出かける機会があった為、司馬遼太郎氏の『国盗り物語』を読み、歴史にはまってしまっている私は、かの斉藤道三の居城、稲葉山城(信長の時代より、岐阜城)を訪れた。

天守閣からの眺め

どうやったらこんな所に?! という山のてっぺんにその城はある。
美しい長良川を眺めつつ、戦国の覇者達への思いにしばし浸ってしまう。
どのような思いでこの城から城下をみつめていたのか……。


稲葉山城(現在は岐阜城)

お恥ずかしながら、海外旅行ばかりに気を取られてきた私は、日本の歴史については教科書で習った程度の事しか知らず、特にその教科書で得た、テストで良い点を取る為だけの知識と、日本の様々な土地や時代とが合致する事も無く過ごしてきた。 
その為、無知とは恐ろしく、また恥ずかしいもので、岐阜についても、「何もない田舎」(岐阜の方、本当にすみません)程度にしか考えていなかった。
しかし、戦国~江戸時代にかけての歴史を知ると、何と重要な場所であることか……(今更気付く事でもないのですが)。

金華山公園の藤

金華山(稲葉山城がある山です)の下にある公園では、藤の花が満開。
今では、家族連れが休日を楽しむ憩いの場となっている。

道三の菩提寺

道三の菩提寺である、常在寺。今では岐阜城の近くにひっそりとたたずむ。
はるかかなた、後方の山の上に城が見える。

司馬氏の小説を読んでいると、その土地の風俗や慣習、その時代の貴族、武士、庶民にいたるまでの生活なども知る事ができ、-知る事の喜び-を心から味わえる事が非常に楽しい。
これから数多くある歴史もの、街道シリーズなどを読み、色々な視点から、日本人・日本の歴史などを学ばせていただきたいと思う今日この頃。

常在寺のハナミズキ

常在寺・道三の墓の横では、花水木の花が満開であった。


2007年04月25日

DVD自宅で坐る/DVD禅の庭 龍安寺

禅文化研究所では、以前よりビデオテープ商品を何点か発売してきたが、4月24日より、その中の『自宅で坐る』『禅の庭 龍安寺 -時光陰-』の2商品をDVD商品として改めて発売を開始した(ビデオのマスターテープからDVD化したもの)。
あわせて価格も1000円(税別)と改訂した。


DVD 自宅で坐る


DVD 禅の庭 龍安寺

また、この2商品には「香老舗 松栄堂」のサンプルのお香2本が封入されている。DVDを見ながら自宅で坐禅をしてみる時に、また、龍安寺石庭の四季の様子をご覧になるときに、このお香を焚いてみてはいかがであろうか。

また新たにこの春から、金閣寺、東福寺、天龍寺の庭を1年間を通してハイビジョン撮影し、「DVD 禅の庭シリーズ」として来春発売の企画をしており、すでに桜の時期を撮り終え、咲き出した躑躅(つつじ)の撮影も進行している。

一般拝観のわずかな時間だけではなかなか知ることができないが、禅院の庭は、禅のもつ精神や自然観が表現されているといえる。
巡り来る季節と流れ行く時間の中で見せる禅の庭の本当の意味を、このDVDで少しでも伝えていくことができないだろうか……。

2007年04月24日

韓国 -リウム〔サムソン美術館〕-

Leeum_エントランス

ソウルへ行くならここ!と、韓国美術に非常に詳しい知り合いに教えてもらったのが、リウム。
韓国が世界に誇る大財閥、サムソン(三星)グループが、2004年10月に開設した私設美術館だ。
世界的なスイス人建築家、マリオ・ボッタが設計した古美術館と、フランスでナイトの爵位まで持つ建築家、ジャン・ヌーベルによる設計の現代美術館に分かれている。

Leeum_エントランスへと続く道

この、アンディー・ウォーフォールの道(勝手に名付けてます)を横に歩いているだけで、中に入るのが楽しみでわくわくしてしまう。

今回は時間の都合もあり、古美術館だけを拝観したが、日本でいう重文級の物が数多く展示され、展示品一つ一つ、その形などによって、ライティングまで違うのには驚かされた。
真っ暗な中に淡く輝く青磁や白磁のなめらかな肌の美しさは格別で、そのシルエットを写し出す影までが、ため息が出るほど美しいのだ。
古美術館は、4階から1階へと進む形になっており、青磁・粉青沙器・白磁・古書画・仏教美術・金属工芸と、韓国美術の時代ごとの美を堪能できる。展示室を出て、ひとつ下の階に行く際は、階段で降りるのだが、写真↓のような空間が広がっている。

Leeum_step.jpg

総勢120点ほどで、予約制である為、他の人と譲り合う事無く、1つ1つの展示品をゆったりと独り占めできる。
厳選された物ばかりが並ぶ為、その分野の最高の物を見る事も出来る。
出展数が多すぎてしんどくなるという事もなく、何とも心地よい美術館であった。

Leeum3_蜘蛛

この空間にある大きなオブジェは、期間ごとに変わるようだ。今回は蜘蛛だろうか?
きっと有名な方の作品なのだろう・・・。どなたか御存知ないだろうか。
おぞましいような気もするが、現代的な建物にマッチしていた。
六本木ヒルズの前にも、このオブジェ、ありませんでしたか???

Leeum外観

茶色い建物が、古美術館。後ろにそびえ立つグランドハイアットが景観を損ねるが・・・。

2007年04月23日

民家での接待 -ブータン-

ブータンの民家

伝統的な民家を訪れた。
伝統的とは言っても、建物は昔のままのものを利用しているが、最近ブータンの農村でも電気が通っているようで、人々の生活は徐々に変わりつつあるようだ。

バター茶とお菓子

訪問者には応接室のような所で、まず必ずバター茶での接待が・・・。
ポップコーンやお米などのお菓子も並ぶ。バター茶はいらないと言うまでどんどん注がれる。
お菓子が入っている器は、竹で編んだお皿。色をつけるのが特徴的。これが使い込むとだんだんと茶色くなり、つやつやと光ってきて何とも言えない良い味が出る。

アラ

お次にお待ちかねのアラだ。ブータンの家庭で作る蒸留酒。地方や家々によって全く味が違うのだ。
ハチミツを入れたり、スモークした紫檀を入れてピンクアラを作ったり。
このお宅の物は無色透明、ごくあっさりとしていて飲みやすく後味スッキリ!
竹で編んだ長い筒のような物にアラを入れている。こちらもストップをかけるまでどんどん注がれる。
お酒を飲む器は、ブータンの伝統的な木工細工。家財道具や農耕機具などは、白川郷の合掌造りの家を訪れた時を思い出すような品々ばかり。屋根裏で乾燥野菜を作る所まで同じだ。
韓国民族村にある、古い農家を再現した家々もそうであったが、農耕民族は、どこの国に行っても同じような道具を使い、似通った暮らしをしていたようだ。
考えれば、それは当然の事かもしれないが、あちこちへでかけて、自分の目で見るのが一番の勉強になり、記憶に残る。

2007年04月20日

韓国 -清渓川-

清渓川

とても賑やかなソウルの中心部でほっとする風景を見つけました。これは清渓川(チョゲチョン)という川で2005年10月に復元されたものです。どのような経緯で復元に至ったのかは、清渓川の歴史と変遷に掲載されています。
きれいに整備されたこの川が、ほんの数年前までアスファルトで覆い尽くされた場所だったとは想像できません。都市発展の中で一度は地中に埋められた清渓川を、高架道路を取り払って再び地上によみがえらせるという計画には驚きです。
人や車が激しく行き交う都会でこの場所はゆっくりとした時間が流れているように感じました。
心地よい風が吹き抜ける川路をのんびりと散策するのも楽しいものです。

2007年04月19日

アール・デコ・ジュエリーの世界-京都国立近代美術館-

アール・デコ・ジュエリーの世界


去る4月15日まで、岡崎の京都国立近代美術館にて、「アール・デコ・ジュエリーの世界」と題して、カルティエのデザイナーとして活躍した、シャルル・ジャコーによるデザイン画や、それをもとに制作された宝飾品、同じ時代のラリック、また、現在でも宝石商として名をはせているブシュロンなどのものも来ていた。
アール・デコといえば、だいたい1920年代に、新時代のデザインとして世界的に流行した様式ではあるが、この時代の誰かを挙げるなら、アール・ヌーヴォー、アール・デコの両時代を通して活躍した、ルネ・ラリックが常に私の頭の中にはあった。
同時代にカルティエ一族を支えたデザイナーがいた事は、恥ずかしながらこの展示を拝観するまで知らなかった。
この時代の、一種独特の美的価値観にはいつも驚かされる。約80年も前のデザイン画や宝飾品ではあるが、なお新鮮なのだ。
桁外れのゴージャスさに目を奪われたのは、インドのマハラジャの宝冠(カルティエによるデザイン)であった。残念ながら(当然かもしれないが)デザイン画のみの展示であったが、異様なまでの存在感と、西洋とはまた違ったデザインの魅力に、夏にインドを訪れる予定にしている私には想像をかき立てられるものがあった。

展示について贅沢を言えば、一般市民の声としては、デザイン画よりも宝飾品そのものをもっとたくさん拝見したかった。老若女、皆同じように瞳を輝かせてガラスケースを食い入るようにみつめる姿(私も同じであるが)は、なかなかどうして、やはり女性は光りもんが好きなのだなぁ・・・と妙に納得してしまうのであった。。。

2007年04月18日

世に聞く吉野の桜

本ブログでは、桜の話ばかりが続く感がするが、日本一の桜の名所ともいわれる、奈良県は吉野山に行ってきた。
奈良県吉野郡吉野町。
ここから和歌山にかけて繋がる紀伊山脈は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、2004年に世界文化遺産に登録された。
この吉野の山には、下千本、中千本、上千本、奧千本と呼ばれる4つのエリアにわたって、約1カ月かけて桜が咲き乱れていくそうで、でかけた日は上千本が満開になりはじめた頃である。
というわけで、桜も満開ならば、人も多いことこの上ない。


世に聞く吉野の桜

さて、この吉野山には修験本宗の総本山である、金峰山寺(きんぷせんじ)蔵王堂がある。役行者が開祖である名刹である。


金峰山寺 蔵王堂

本堂にお参りすると、秘仏であるが、釈迦、弥勒、観音が本地である金剛蔵王大権現3体が御本尊として祀られている。役行者が大峯山において金剛蔵王大権現を感得されて桜の木に刻み、大峯山寺とこの蔵王堂に祀られたのが始まりとされる。
後に信者等の手によって、この権現様に花を飾る意をこめて、あたりに桜の木が植樹され始め、この吉野の何千本もの桜になったということのようだ。


満開の上千本附近


ただ、満開とは言え、ここの桜はほとんどが山桜ゆえ、花と一緒に赤っぽい葉も出るので、いちめんが桜色というわけではないが、かえってこの具合が美しいともいわれるのだろう。

2007年04月17日

鹿ヶ谷 住蓮山安楽寺

安楽寺

先日ご紹介した霊鑑寺のお隣にある安楽寺。
浄土宗の法然上人の弟子である、住蓮上人・安楽上人の菩提を弔う為に作られたお寺である。

後鳥羽上皇に仕えていた松虫姫・鈴虫姫は、容姿端麗・教養深く、ことさら上皇の寵愛を賜ったそうで、他の女官達の嫉妬たるや、相当なものであったという。
ある日、松虫姫・鈴虫姫は清水寺への参詣の帰りに、法然上人の説法を聞き、出家を切望するようになる。
そしてとうとう、後鳥羽上皇に許しを請う事もなく、住蓮上人・安楽上人により松虫姫・鈴虫姫はその思いを果たすのである。
これを知った後鳥羽上皇は激怒し、この事を発端として、念仏教団の弾圧を始め、両上人を打ち首の刑に処した他、高齢の法然上人を流罪の刑に処したという。
歌人として知られる上皇が、反面このような事も・・・。自身もその後、承久の乱により、流罪の刑に処せられるのだが・・・。

つつじの咲く頃に、また訪れたいと思う。

2007年04月16日

「歌から立ち上がる生の気配」

霊鑑寺の椿_衣笠

北冬舎発刊の『北冬』に掲載された、06年6月発刊の、『生のうた 死のうた』の書評をご紹介したい。

「歌から立ち上がる生の気配」

 「短歌は短い詩型であるが、多くの言葉を連ねるよりも深く、あるいは鋭く、生命世界が暗示されることがある。」と「あとがき」にある。世に短歌鑑賞の本や歌人論は多いが、佐伯の『生のうた死のうた』は、たとえば風俗や装飾、遊びでなく、一途に歌を通して、歌人の生の核心に向かおうとする。
 斎藤史、岡本かの子、相良宏、上田三四二、河野愛子、中城ふみ子、岸上大作ら物故歌人を中心に取り上げられた三十五人のなかには、保田典子(保田與重郎の妻)、尾崎翠、多田智満子、田山花袋といった人々が含まれているのも興味深いが、何より、歌が鋭く生と死に切り結び、歌の向こうに歌人の生の気配が濃厚に立ち上がってくるのがじつにドラマチックで、そして豊かなのだ。
 短歌の鑑賞とは、文法を説明したり、短歌史的な見晴らしをもって位置づけることだけではない。もちろん、そういうことを多くの場合前提としているが、一首の歌、一片の言葉に、人間の生の気配を直感し、想像する力、そちらの方が本質的なのだろう。本書の豊かさは、著者のそういう能力と人間への興味と敬意に由来しているのではないか。

  たまきはる命をはりし後世(のちのよ)に砂に生(うま)れて我は居るべし 斎藤茂吉

 茂吉には、このような「砂」「塵」「埃」など「微細なものの運動に潜む悲しみ」をうたった作品が全作品の「通底奏音」のようにしばしばあらわれるという。そこに茂吉の「大きな抑圧への反動」があり、「自己のアイデンティティを「故郷」に打ち立てよう」とするあまり、もう一方の都市や妻などをうたい、その内部に届こうとしなかったのではないか、という。たとえば、こういう人間の闇への想像力が豊かなのだ。
 窪田空穂の項では、由比ヶ浜で一九〇一年新世紀を迎える野火を焚いた与謝野鉄幹と「明星」の集まりに、「ねそびれて不参」であった空穂の心を「百年なんて一瞬のうちだ」という思いとともに想像する。「空穂は、何となく行きたくなくて寝坊したのだろう」。こういう感想も楽しく、大いに同感だ。
 また、本書では、かつでの歌を論じながら、現代のさまざまな問題がたびたび思われているのも印象的だった。

  美しき誤算のひとつわれのみが昂ぶりて逢い重ねしことも 岸上大作

 佐伯はこの岸上の歌を、近所で起こったストーカー殺人のことから語りだす。かつての「片恋青年」と現代のストーカーの違いを「失意の刃を自分に向けていく力の有無にあるのではないか」と書きつつ、「執着の強い、衝動を抑えられない、むきだしの青年」だった岸上、そのような「「デタラメ」な、わけのわからない若い魂」が「まっとうされ」た時代が失われ、「デタラメで悲しくて、ぶざまでおかしな人間の、真率の思いが失われていく」時代を思っている。
 あるいは、「光放つ神に守られもろともにあはれひとつの息を息づく」という斎藤茂吉・永井ふさ子合作の歌に、「眼もくらむばかりに官能的で、妬ましいほどの力」を感じ、ニューヨーク同時多発テロ以降、「何下なく見ていた日々の風景が、自分でもおやと思うほど違って感じられる」にも関わらず、たとえばこの歌の官能の力、そしてその「官能世界を思う感受性が、九・一一のテロによっても侵食されなかった不思議を思うばかりだ」という。
 そう、人間がその「デタラメ」さや奇矯さ、そうした一般的には負に分類される「むきだし」の人間性を「まっとう」するのが、岸上の言葉であり、歌だったのだ。そして、ストーカーという言葉ができて、「「デタラメ」な、わけのわからない若い魂」が「まっとう」されがたい時代になったが、それはまた「失意の刃を自分に向けていく力」そのものとしての言葉の喪失を意味しているのかもしれない、と佐伯の指摘は気づかせる。あるいは、九・一一以前以後の衝撃的な世界の断絶を、「歌の官能の力」とそれを思う自分の感受性が越えていることについて、佐伯は驚きつつ確認している。
 現代に思いをはせる二つの文章は、現代という未曾有の時代に、短歌に願うものを、ぎりぎりの、そして重たい大切な可能性とともに語っているのだ。
 佐伯の眼は、女流歌人の歌にいっそうの共感と熱い荷担の情を示す。必ず時代とともにあった人生の厚みをしっかり手に測り、各々の人生の理に敬意と悲しみをもって添おうとする姿勢に貫かれていて、それが歌人の理解や短歌の読みを鋭くしているのだ。
 たとえば、「萩の舎」で樋口一葉を指導した中島歌子。幕末、水戸藩士と結婚し、自身も投獄処分を受けるなど、「開国前夜を闘い抜いた男たちの血しぶきを浴びた果てに、」「醒めた眼差しを持つようになった」歌子の視線が、一葉という「作家の視線を用意する」として、その連続性を指摘するのも鋭い。あるいは、富小路禎子について、「もっと深く、その旧く懐かしい「家柄」の思いを表してみてもよかった」と戦後民主主義のなかで、それを「無防備に」うたい得なかった歌人を思いやり、歌人の「心に潜んでいた固まり」とは「ついに納得のいかない戦後的な価値観と社会だったのでは」と指摘する・
 この富小路や九条武子についての鑑賞では、佐伯自身が体験的に知っている戦後民主主義的世界とそれ以前の世界の分裂ないし葛藤のことも思われたのである。[米川 千嘉子]

2007年04月13日

タクツァン僧院 -ブータン-

タクツァン僧院

ブータン最高の聖地である、タクツァン僧院へ。
この旅の目的のメインともいえる寺院訪問。
ブータンに仏教を広めたグル・リンポチェが、虎の背中に乗って飛んで来て、崖のくぼみで瞑想をし、その後土着の神々を調伏し仏教に改宗させたとの事。
宗教色濃い国や地域によく見られるのと同じで、ここも瞑想した場所を中心に寺院を建立し、どうやら今のような形となったようだ。

グル・リンポチェが瞑想したとされる場所は、今は手厚く祀られており、私も五体投地をさせていただく。

-タクツァン僧院への道のり-

はるか彼方・・・

今からあそこへ登るのかぁ・・・。と思うだけで疲労感が。
しかし! あそこまで行ってお参りしたい!と思えば少々しんどくて当たり前だと自分に言い聞かす。

登山前の御手洗

こういった国を旅する時にいつも困るのが御手洗。
山道の途中でというわけにはいかないので、登り始める前に・・・。
ガイドに「あそこにあるよ」と言われここを見た時、まさかこれだとは思わず「え?!どこどこ」と言ってしまった失礼な私・・・。半分潰れかけ?!!

青年僧達

何やら行事があるらしく、遠くからはるばるやってきたお坊さん達も息を切らしながら・・・。
挨拶をかわす爽やかな笑顔に心地よい風が吹いたかのよう。
途中、かわいらしい草花も楽しみつつ(といっても、かなりしんどいのです)タクツァン僧院を夢見て登る。

瀧

水しぶきとマイナスイオンが、疲れた体にパワーを与えてくれる。
すぐ横の道を通るため、ものすごい迫力!

はるか彼方に行ってしまったお坊さんたち・・・

私たちを抜かして行ったお坊さん達ははるかかなたに・・・。見えますか? 赤い衣が点に・・・。

お年を召された方は、途中の休憩ポイントまでロバに乗って登る。
それから先は、ロバでは無理な道なので(崖っぷちの階段だったり・・・高所恐怖症にはたまらない怖さ)リタイヤされる方も・・・。休憩ポイントから撮った写真が、一枚目の写真。
是非、ブータンに興味のある方は、ここを登る体力があるうちに訪れていただきたい。
なかなかしんどい道のりだったが、タクツァン僧院にお参り出来て、心から良かったと思う。
また、寺院でお祭などのある時期に一度ブータンに訪れたいと思うが、その時もタクツァンにはお参りしたいものだ。

2007年04月12日

哲学の道の春

-哲学の道-といえば、春の桜ばかりが取り上げられるが、近所の方々が植えていらっしゃるのか、元々ある花なのか、様々な春の花を楽しむ事が出来るのだ。
下ばかり向いてないで、上を向いて歩こう・・・とはよく言うが、桜桜と、上ばかり向いて歩かずとも、下にも花はたくさんなのだ。

石楠花

石楠花(しゃくなげ)。 実はこの花、昨年私が訪れたブータンの国花なのだ。
山中は石楠花だらけ。見頃を迎えると、それはそれは美しいそうな。


石楠花

珍しい黄色の石楠花です。花は小ぶりでした。

八重桜

一週間前にはまだ蕾だった八重の桜が、見事に咲きました。
まだ背も低く、上を見ていると気づきません・・・。

哲学の道のシャガ

春になると、そこここで見かける著莪(シャガ)。

哲学の道のユキヤナギ

雪柳の白に桜の薄桃色。美しいですね。

哲学の道の水仙

水仙は、種類によって咲く時期にだいぶ差があります。

哲学の道のやまぶき

山吹の花は、満開というよりも、漸く咲き始めた感じ。

哲学の道のれんぎょう

連翹(れんぎょう)。
本当に足元に色々な花が・・・。まだまだ、クリスマスローズやすみれ、さくら草、花にらなどなど、数えきれないくらいの花の共演です。

2007年04月11日

韓国 -民俗村 鳥-

カササギ

カササギという韓国の国鳥である。旅行中、韓国各地でみかけたし、この民俗村でも近くで見ることができた。木の上には巣もみつけることができた。
尾が長く、羽と腹の一部分は白で、ほかは青みのかかった黒い、カラス科の鳥。
カシャカシャと大きい声で鳴くのも聞こえた。
日本のカラスよりは若干小さいであろうか。
韓国では幸運をもたらす鳥として親しまれているという。

カササギ

調べてみると、このカササギ、日本では佐賀県のみにて生息し、なんと佐賀県の県鳥になっているという。どうやら秀吉の朝鮮出兵の際に誰かが連れ帰ってきたものと考えられる。
旅行中、何度も秀吉が朝鮮出兵で遺した傷跡を知ることになったが、こんなところにも関係していたとは。

村内には、鳥が放し飼いされていた。
日本も30年以上前ならば、田舎でのこんな風景も珍しくなかったものだ。

ガチョウ

ニワトリ

さて、村の中央には、漢方ならぬ韓方薬局が遺されていた。詳しくは知らないが、もちろん同じ東洋医学であるから、処方などは同じようであろうけれど、同じ「かんぽう」でも漢字を使い分けているところが、意外ではあった。言われてみれば当たり前ではあるが。


韓方薬局


また、この近くの広場では、伝統技であるチュルタギという綱渡りをしたり騎馬曲芸などの公演も行なわれていた。広いが、まったく飽きさせない。

2007年04月10日

奈良 円照寺

奈良 円照寺

後水尾天皇の第一皇女、文智内親王(梅宮さま)が開山の門跡寺院。
法華寺、中宮寺と並んで大和三門跡寺院の一つで、現在は臨済宗妙心寺派の寺院、本尊は如意輪観音である。

花の好きな後水尾天皇の影響を受けてか、開山の梅宮さまも、奈良の豊かな自然の中、野にある花を摘んでは生けておられたという。また、母、明鏡院の菩提を弔う為、添花会を催したとも伝えられる。
このような事から、「花は野にあるように」を流儀とする山村御流が興り、代々の住職が、山村御流の家元となられるのだ。

普段公開はされてないこのお寺。年に一度、4月の第一日曜(今年は第二でした)に、法要と免状授与式が行なわれる時に、山村御流の門下生が参詣する。

桜も満開を迎えた4月8日、今年はこのお目出度い日がお釈迦様の誕生日と重なり、修練に励んだ門下生が本堂にて免状を受け取る姿も晴れ晴れと、見ている者の心にも感動が湧き起こった。

円照寺の桜

門を入るとすぐに、満開の桜が・・・。

円照寺 八重桜

八重の桜も満開。

円照寺 十三重塔

庭園内の十三重塔。仏舎利がおさめられているのだろうか。

庭から茅葺きの本堂が見える

向こうに見えている茅葺きの建物が本堂。円通殿と呼ばれる。

椿

大輪の椿の花。開ききった物で、直径10センチ以上はあろうかと思われる。

石畳

飛び石も、尼寺ゆえか・・・。

尚、この寺は、三島由紀夫の絶筆「豊壌の海」に出てくる月修寺のモデルとされる。

2007年04月09日

韓国 -ヤンバンの家-

軒下の風鈴

民俗村の一番奧の方には、伝統婚礼式場の様子が展示されている大きな家がある。 ここは両班の家。両班は韓国語でヤンバンといい、朝鮮王朝時代の身分の高い貴族階級であるが、そもそもは身分ではなく、文臣武臣の二つの班からなる官僚制度をさすものであった。 それゆえ階級を呼ぶようになったのは、文科も武科も受けられる財力をそなえているということかららしく、そういう貴族のみがヤンバンと階級で呼ばれたのだとガイドさんから教えられた。

両班家の一棟

ともかく、大金持ちであったらしく、箸より重いものはもたないとか、自分で顔も洗わないという貴族である。
そのヤンバンの家は全体で99間までの建築が許可されていたらしいが、その敷地には、垣根でくぎられた、男性用の住居と女性用の住居が分けて建てられている。

凉を楽しんだらしい東屋。奧には来客を泊める、いわゆるゲストハウスもある。


凉を楽しんだらしい東屋


2007年04月06日

小学校のさくら

小学校のさくら


入学式といえば桜が似合いますね。家の近所にある小学校の桜も鮮やかなピンク色の花を咲かせています。現在は5分咲きといったところで満開になるのが楽しみです。

桜の木の根元に目を向けると淡い紫色の小さな花が咲いていました。これは「花にら」というユリ科の植物です。ちなみに花言葉は「別れの悲しみ」、見た目の可愛らしさからは想像できません。いったいどのような由来でついたのでしょうか。

花にら

2007年04月05日

亀岡運動公園の桜

桜並木をひとりじめ

京都府亀岡市にある亀岡運動公園の桜です。3分咲き程度の開花で、まだまだこれからといったところです。

桜の本数は有名スポットに遠く及びませんが、人が混み合うこともないので、じっくりと桜を楽しむことができます。のんびりと散歩したり写真を撮ったりと、私にとっては大切な穴場スポットです。

この日はあいにくの空模様、これではあざやかな桜色も映えません。さらにポツリポツリと雨が…。バーベキューを楽しまれていた方々は大丈夫だったでしょうか。来週こそは、青空の下で見る満開の桜を期待しています。

えもいわれぬ色

2007年04月04日

霊鑑寺の椿

衣笠

待ちわびていた霊鑑寺(臨済宗南禅寺派)の特別拝観。
鹿ヶ谷の傾斜を利用して造られた池泉観賞式庭園は、敷地を巧みに利用しており、尼門跡寺院の格式に相応しく、寺の境内としては広いとは言えない中にも、趣深く凛とした姿をみせている。
緑の海のような苔の中、椿を愛でつつ庭を歩いていると、徐々に拝観する者の心の汚れを流してくれるかのようだ。
さらにあまりに白く美しい椿、「衣笠」を見ていると、自分の中の醜い部分があらわになるようで、悔い改めねばと思わされる・・・。
「何色」とはいえない花の色の美しさに、人智をはるかに越えていると思わせる自然の力を見て取れた。

菜の花畑

ここを越えるとお浄土か・・・と思えるような風景が。

庭園

門をくぐってすぐに出会える「日光(じっこう)椿」。 京都市指定天然記念物でもある。

馬酔木の大木

白い花をつけているのは馬酔木。今までみてきた中で一番立派。

落椿

落椿。

月光椿

月光(がっこう)椿。

まさに心洗われる寺。この寺をお参りする為だけにでも、京都を訪れる価値は充分にある。

2007年04月03日

木蓮

一気に春になりつつあるこの頃である。
今年も自坊の白木蓮(はくもくれん)がきれいな花をさかせている。


白木蓮の木

ところが、いわゆる木蓮と白木蓮は別種なのだそうである。
雨上がりの朝、花びらを濡らせて、その白を一層引き出させている気がした。

雨に濡れた白木蓮の花

自然の色は、なんとも言えず美しい。

2007年04月02日

禅文化財目録データベース

禅文化研究所では、平成19年度より、新しい事業として「文化財目録整備事業」を開始した。
それにともなって、この4月1日より「禅文化財目録データベース」が本運用されはじめた。
現時点での利用者は、大本山 建長寺・大本山 建仁寺・大本山 東福寺・大本山 天龍寺・禅文化研究所の五団体である。

これは、臨済宗黄檗宗各派の本山・寺院及び関係機関が所有する宝物・什物などの目録及びそれに関する画像等をデジタル的に整備保存することを趣旨とし、禅芸術・禅文化を将来に伝えるべく、共通の指針の上で情報を 蓄積していくことを目的とするものである。
このデータベースは現時点では一般に公開されるものではないが、利用者間では情報を共有していくことができる。将来的には、禅芸術のバーチャル美術館への発展も考えている。

禅文化財目録DB

各本山や寺院では、指定文化財を含む多くの宝物・什物を管理されているが、それらは依然として旧来の方法、つまり手書きの目録やポジまたはネガフィルム等で管理されているところがほとんどである。
そこで、これらをデジタルアーカイブとして管理していくための指針を提案し、その管理システムとして今回の「禅文化財目録DB」を制作したのである。
また、数年前より、禅文化研究所では、(財)京都国際文化財団と連携して、禅文化財のデジタルアーカイブにおける指針作りをすすめてきたことの一つの成果でもある。

ソフトウェアは、日本ヒューレットパッカード社の「DSpace」日本語版というソフトウェアをベースに利用して、ソラン株式会社、禅文化研究所によって制作された。
DSpaceというソフトウェアは、マサチューセッツ工科大学とヒュレーットパッカード社が共同開発した、大学や研究機関、美術館、博物館などのデジタルコンテンツの管理や情報共有のために制作されたオープンソースで、欧米の機関はもちろんのこと、日本だけでも40を越える大学研究機関で採用されていると聞く。

宝物台帳管理画面

このソフトウェアでは、1宝物についての複数の画像を管理できることはもちろん、画像だけではなく、関係論文等のデータファイルも紐付けして管理できるなどという点で、他にはない特色を持っている。
また、サーバーで動作するため、利用者の各パソコンにソフトウェアを導入することは不要で、インターネットに接続されているだけで、IDとパスワードがあれば、どこからでも運用できる。

今後、ますます多くの寺院等がこの事業をご理解いただき、ご利用いただくように願ってやまない。