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2007年10月31日

「開館30周年記念展 暦年の茶」-北村美術館-

秋晴れの鴨川

河原町今出川にある北村美術館を訪れました。
2007年9月9日(日)~12月9日(日)まで、「暦年の茶」と題して、開館30周年と宗旦居士350回忌の節目の年を記念するに相応しい道具が展示されています。

こちらでの展示が楽しいのは、待合や、小間での濃茶席、広間での薄茶席など、茶事の進む順番通りに展示がしてある事なのです。自分も茶事に参加しているかのように、「あぁ、この場面でこのお道具かぁ…」と、まるで亭主の心づかいを感じる事ができるようで、勉強にもなります。

今回一番心に残ったのは、宗旦作の花入で、瓢箪を使ったもの。「銘 達磨」です。
まるで一筆達磨のような形をした瓢箪をくりぬき花入れにしたもので、なんともいえないわびの世界を感じます。美術館にあるべき物かもしれませんが、秋の様々な草花を生け、茶会に登場したらどれだけ素晴らしいことでしょう!叶わぬ願いですが、見てみたいものです。

今年は千宗旦の350回忌の年という事もあり、茶道に関係する美術館では、宗旦の特別展が多く見られます。乞食宗旦といわれながらも京の人々に愛され、禅の道にも深く通じた千宗旦という茶人の生き方、人柄、その精神性は、現代を生きる我々の心にも深く感銘を与えるものと思われます。
まさにお釈迦様が涅槃の際に言われた、「法灯明自灯明」を生きられた方です。私も各美術館で、千宗旦という人に触れたい思いでいっぱいです。また足を運びましたらこちらでご報告する事に致します。

*「宗旦の茶と禅」に関しては、11月29日に研究所から出版される、堀内宗心著『歩々清風-科学する茶禅の人-』にも詳しく書かれています。

2007年10月30日

出雲の窯元 -出雲-

湯町窯

しばらく間があいてしまったが、出雲行きのつづきにおつき合いいただきたい。 出雲にも名の知れた窯元があり、そのなかの二ケ所に旅のついでに立ち寄ってみた。 一つは温泉として日本最古の歴史を持つ玉造温泉の程近くにある、布志名焼きの窯元「湯町窯」。ガレナ釉を使った食器で有名で、民芸の窯として知られている。 というのは、島根県出身の陶芸家・河井寛次郎、そして柳宗悦やバーナード・リーチといった人達の民芸運動によってもたらされた影響や助言をうけて育ってきた窯だからだ。 展示されているものは民芸調のものが多い。 そのガレナ釉や海鼠釉の陶器の品を自分のお土産に一つ二つ・・・。

出西窯

またもう一つは、島根県簸川郡斐川町にある「出西窯」。「しゅっさいがま」と読む。この窯も民芸論を実践されたものが作品になっていて、とても風合いのいい普段使い用の食器が多い。
そして、きれいな店舗の隣には写真のような大きな工房がある。
のぼり窯のある工房を外から見学していると、中に働いている人たちはみな若い。次の世代にきちんと伝わっていく様子に感動した。
ここでは研究所のお客に出すための湯のみ茶碗を5客買って帰ることにした。


出西窯の工房
湯のみ

そして、この出西窯のすぐ近くには宍道湖に流れ込む斐伊川が流れている。出雲はその昔は海の底であった土地も多く、河原の砂も海の砂のようなのだ。


斐伊川

2007年10月29日

アグラの町にて その2 -インド-

その1に続いて、アグラの町の色々をご紹介。今回は市場なども…。

市場の職人さん?!”

いつから変えていないのだろう・・・と思ってしまう真っ黒な油に、器用に何やらホットケーキの生地のようなものをしぼり出し、お花のような形に。次々と揚げられていきます。

仕立て屋さん

京都の着倒れ・・・どころではないインド女性の着倒れ。今の日本と違い、インド女性のほとんどが毎日サリーやパンジャビドレスなどの民族衣装です。畳こそ敷いてありませんが、京都の昔ながらの呉服屋さんのようです。店の主人の笑顔がたまりません。

ベジタブルマーケット

ベジタブルマーケットでは、どこのお店も整然と新鮮な野菜が並べられています。

スィク教徒

ターバンを巻いているので、恐らくスィク教徒でしょうか。少し他のスィク教徒とは見た目が違う感じもするのですが・・・。とても清潔な全身白!です。ちなみに撮り忘れましたが、スィク教徒、幼い子などはターバンではなく、頭でおだんごのように髪をまとめ、かわいらしいのですよ。

インドのカレー

インドのカレー。野菜たっぷり香辛料もきいて、非常に美味です。これにはまると、日本のインド料理屋さんのものでは物足りなく感じます。ちなみにインドに行った友人に「何を頼んでもカレー味」と聞いていましたが、確かにカレーではなく違う料理を頼んだつもりでも味付けはカレー…というものが多かったように思います。カレーは、辛いもののみならず、非常にマイルドなお味の物もあります。

2007年10月26日

「鍛える」ということ

警策

日々、黙々と坐禅をする友人の研究者が、「規律やしごきで人が悟れるなら、どうしてアウシュヴィッツの囚人たちは悟らなかったのだろう」と言ったことがある。

相撲部屋のしごき騒動が云々されている。激しいぶつかり合いの稽古が禁止されれば力士たちの教育が根本から揺らぐとの声もある。

かつて梅林僧堂で修行をされた加藤耕山老師(1876~1971)が、臘八摂心(12月1日から釈尊成道の12月8日まで僧堂で行なわれる不眠不休の修行)の様子をこう語られている。


梅林寺という所は、ほかの時は別だが臘八だけは思いきって叩きよりますからね。(中略)堂内のほうでは直日(じきじつ、禅堂内での総取り締まりの役)は「独参をせよ、グズグズ坐っておっても何もならん、独参せよ」と。そうすると行くんですな。行くと大庭の所に助警というのが五、六人警策を持って立っている。「何ウロウロしとるか、そんなドイツイことで老師の前に行って何になるか。しっかり坐って来い、禅堂へ行って坐ってこーい」。それでも禅堂へ行くと叱られて追い出されるから、我慢はって行こうとする。ナニクソと、もう暴力ですな。一人や二人ならいいが、四人も五人もおって、なかには柔道何段なんていうやつがおって、しまいには真剣になってやりだすんじゃ。(中略)坐れというのならいくらでも坐っておるんじゃけれども、両方ではさみ打ちする。一方は「行け」というし、一方は「いかん、行くな」とこういう。無理ですわね。それがもう、実に悲惨ですからね。バタバタバタと、まるで戦場とちょっとも違わん。血相を変えてやりますからね。あまりバタバタ、ガタガタやるから、老師が心配さっしゃるです。「えろうゴタつくが、どうも修行はそんなもんじゃないがねえ。あやまちでもできるといかんから、たいがいにするように」と。わたしが古くなってからですが、「老師、心配しなさるな。存外心配なさることはありませんよ」と、なだめよったがな。そりゃそんなふうで、「あんまりこういう時代のことだから、たいがいにしておかないと」と、これをやめた老師があったですよ。そしたらあんた、もうちいっとも気がのらないですよ。沈んじまって、どうもいかんです、……


私たち在家の者には分かりようもない非日常の世界だが、命懸けの修行を誓って道場に入った人々にもさまざまな心の揺らぎが起こってくることだろう。そんななかで、この耕山老師の言われる臘八の「バタバタ、ガタガタ」が人を真に育て得たとするならば、それはひとえに、その道場を形作っていた指導者たち、とりわけ三生軒や香夢室、また加藤耕山といった徹底無私の人たちが、常に弟子たちの一歩先を悠然と歩みながら、なお弟子の一人ひとりに、地平を同じくしてぴたりと寄り添っておられたからではないか。

規律という構造のみが先行した場に立てば、「力」を手にしたごく普通の人間が、あっという間に「残忍な指導者」に変身しうることは、歴史が示している通りである。

おそらくは夢と決意を抱いて相撲部屋に入門したであろう「かの若い力士」が、自ら選んだ「鍛錬」の世界において、心から信頼し尊敬することができるような「真っ当な先達」に出会うことなく短い生を終えたことに、ただ痛ましい思いがつのるのである。


開板


2007年10月25日

親子の坐禅会

親子の坐禅会

毎年この時期に行なわれる地域の交流を深めるための行事に協賛して、その体験活動の一つに、自坊での坐禅会を組み入れてもらっている。
自坊の檀家さんの子供たちではないため、今まで坐禅などには縁のなかった子供たちとその保護者の人達を対象としている。
他の行程もまわるため、お寺ではたった1時間しか時間がない。なかなかじっくりとした坐禅会とはいかないのだが、まずは子供たちに、ふざけてはいけないこと、まじめに取り組むことという雰囲気を与えなければならない。

今年は大人と子供あわせてちょうど40名。まずは靴をきちんとそろえてあがる。靴下を脱いで、座布団の上に正座して、荷物は自分の後ろに整然と並べる。
たったこれだけのことでも、なかなか時間がかかる。
最近の子供たちは、家で正座するなどということは皆無なのではないだろうか。
しかし、お寺という彼らにとっては異種な空気の中で、ちょっと和尚さんにビシッと言われると、案外まじめに対応してくれるようだ。
20分ほどかけて、坐禅の形、呼吸の仕方、呼吸を数えることに集中してみること、などを説明し、引磬と柝の合図で、いよいよ坐禅の開始である。

私が子供の頃にも、あまりのまじめな空気に耐えられなくて、プッと吹き出してしまう奴もいたが、今も同じ。もちろん私に「こらっ!!」と一蹴されてその後は静かになった。

巡警に回る

たぶん、こういう空気の中で静かに坐っているということは生まれて初めてであろう。
警策の受け方も説明しておいたら、自ら受けたいと合掌する子供が5名。一緒について来ている大人の方が存外意気地ない。
短い時間ではあったが、子供たち、そしてその親たちが、少しでも自分を見る事、心を浮かせないでいるよう努力することを知ってくれたら嬉しく思う。

事後のアンケートを読むと、その後にあった風船でのイベントの方が楽しかったらしく、ほとんど坐禅についての感想がなかったのがいくらか寂しいが、それでも「こんな子供の姿を初めて見た」という親の声、「警策はあまり痛くなく、かえって気持ちよかった」という子供もいたことに心をよくした次第である。

坐禅をして何かを期待するのもおかしな話だし、ましてや坐禅をさせて人を育てるなどというのもおこがましいが、地域をあげてのこういう活動の一つに、坐禅会が組み込まれているうちの街も捨てたものではない。

2007年10月24日

霧ヶ峰高原 -信州-

霧ヶ峰高原

美ヶ原高原から白樺湖方面へビーナスラインを走り、ニッコウキスゲなどの高山植物が咲きそろうことで有名な霧ヶ峰高原に訪れた。

私が訪れた時期は花期の終わりごろだったため、一面に咲くニッコウキスゲを観賞することはできなかったものの、広い草原の中で黄色く咲く花はとてもきれいだった。

丘を少し登ると、ころぼっくるひゅってという小さな山小屋(ヒュッテ)がある。昭和31年に作られた山小屋で、車の通る道路もないころから登山者の安全を守るための避難小屋として役目をしてきたそうだ。

春期から終期の間はカフェも営業されており、トレッキングを楽しむ人たちの休憩場所として利用されている。高原の見えるテラスでコーヒーを楽しみながら、冬期の雪に覆われた景色を想像するのもおもしろい。

山小屋


山小屋

霧ヶ峰高原

霧ヶ峰高原

2007年10月23日

「懐石のうつわ展」 -野村美術館-

茶室_天龍寺

南禅寺近くにある野村美術館を訪れました。
いわずもがな、野村財閥を一代で築き上げた得庵(野村徳七氏)のコレクションが収蔵されています。
主に茶道具、そして自らも嗜まれた能に関する所蔵品が数多くあり、春と秋の展示が毎回楽しみな美術館です。

今回は、「懐石のうつわ展」。
前期 平成19年 9月 8日(土)~10月21日(日)
後期 平成19年10月23日(火)~12月 9日(日)

茶の湯をお稽古されている方で、本格的な茶事の経験のある方にはおわかりでしょうが、茶事をするとなると、びっくりするほどの様々な器が必要となります(昔のかなりわびた茶事は、そうでもなかったのかもしれませんが…)。
茶事とは、茶の湯のフルコースのようなもので、お濃茶を美味しくいただく為の懐石に始まり、お濃茶、薄茶へと続きます。その一会は、会の形式にもよりますが、3時間にも4時間にも亘ります。その長い時間、亭主が趣向を凝らし自分の思いを込め客をもてなし、客は客で、その亭主の心を汲み取ってこそ主客交わり一体となる、一期一会の会となります。

今回はそんな茶事での懐石に使ううつわの展示だったのですが、得庵がどのようにもてなしたのかと想像するだけで楽しくなるような逸品が揃っていました。
中でも、原羊遊斎作・酒井抱一下絵の蕨蒔絵の膳と椀は、ため息が出るばかり。おしかりを受けるかもしれませんが、羊遊斎の塗りには、女性を「匂うがごとく美しい」という、その表現を思わせるような感覚を毎回覚えてしまいます。

また、バカラの懐石具は、明治末から大正時代の大阪の美術商が、自らフランスのバカラ社に注文し取り寄せたものを、得庵のところに収めたというもの。
この時代の実業家である数寄者の茶に対する向き合い方、力の抜きどころ、道具を見る目には、いつも感服せざるを得ず、現代にもこんな方はいるのだろうか…としばし考えてしまうのですが、その時代の数寄者を支える美術商、道具商などにも、このようなおもしろい人物がいたものなのかと目の覚める思いがしました。

2007年10月22日

天龍寺 秋の花

白杜鵑草

急に秋らしくなってきた昨今。
今年の8月、9月は猛暑にて思考回路が分断していた。漸くそれも接続されたが、あの夏の暑さは地球温暖化の影響か?はたまた自分の老化か…と悩む。

庭にはやはり秋はちゃんと来ている。様々な種類の杜鵑草が咲き、金木犀のオレンジ色の花・銀木犀の白い花からはかぐわしい香りが「秋」を知らせてくれている。

山路杜鵑草

珍しい山路杜鵑草でしょうか。

杜鵑草

杜鵑草

金木犀

銀木犀

2007年10月19日

アグラの町にて その1 -インド-

世界遺産、タージ・マハルや、アグラ城のあるアグラの町の様子です。

通学途中の女の子

通学途中の女の子達。サイクル・リキシャに相乗りしての通学。この子達は普通の制服ですが、学校によってはパンジャビドレスやサリーなど民族衣装の制服もあり、それを見るだけでも楽しいものです。
観光客が多い町でも、大きなバスでの団体観光客が多いからか、オート・リキシャに乗る私達に興味津々の様子。隣にいる子のひじを突き、「ねえねえ、ほら。」とこちらを見てきます。

とても賢そうで、清潔感溢れるキラキラした彼女たち。将来はIT関連企業で働くのでしょうか、何か専門職を目指しているのでしょうか。一生サイクル・リキシャの運転手を続けるであろう男性は、この子達を学校へと送りつつ、何を思っているのでしょう。
なんだか複雑ですが、この男性は何も思ってはいないのでしょうか。
インドの当たり前の事情なのかもしれません。

安宿街のあたり

タージ・マハルにほど近い、安宿街の辺りです。明らかに安宿街のにおいがぷんぷんするのです。
申し訳ないのですが清潔には見えないレストランの前で、従業員達が一生懸命客引きをしてきます。お腹を壊しては旅に支障をきたすのです、ごめんなさい。
ちなみに、チャレンジャーなのは結構ですが、いかにも不衛生な店で食事を取り、お腹を壊した事をまるで武勇伝のように語るインド旅行者、いかがなものでしょう。好きに旅をするのは結構ですが、気をつけて旅をすれば、何も全ての食事を高級ホテルで取らなくとも、お腹を壊す事はありません。「インドに行ってきた」と言うと、まず聞かれる第一位の文句に「お腹大丈夫だった?」が挙げられます。
旅のスタイルは人それぞれであって、よく本屋でみかけるバックパッカーによる旅行記のみがインドではありません(バックパッカーを否定しているわけではありません)。インドは色々な意味で、非常に魅力溢れる国です。「お腹を絶対壊す、汚い、恐い、ぼったくりに必ずあう」などというイメージばかりを信じないで下さい(無論旅に警戒心は必要です)。バックパッカーしか行けない国でもありません。自分の「心・気持ち」に合った旅を楽しめる国です。
と、インドにはまった私はインド親善大使のごとくインドをアピールしていますが…。
どこを歩いている女性でも、サリー姿が美しく、気になります。

余談ですが…最近、アグラにてタージマハルやアグラ城など観光スポットの要所となる所を見学し、あとはパレスホテル(元々マハラジャの宮殿であったところがホテルになっている)やヒマラヤに近い涼しい避暑地にある高級ホテルで本場ヨガのレッスンを受けつつ休暇を過ごす「通」なOLさんも増えているとか?!
バックパッカーとして人々の生活に近いディープなインドを楽しむもよし、マザー・テレサの家でボランティア活動に励む人も世界から集まってきます。また、うって変わってマハラジャ・マハラニ(お姫様)気分で過ごすインドもよし。色々な旅があります。あなたなら、この深い深いインドで、どんな旅をお望みですか? どのような旅を選んだとしても、人々のパワー・いまだ残るカースト制度・様々な宗教や文化など、あなたに訴えかけてくるものはたくさんあると思います。

甘い物

暑い国のこういったお菓子は、強烈な甘さです。恐ろしくて買いはしませんでしたが、後日ホテルで用意してくれてあったものを一かじり…。砂糖よりも甘い?!お菓子なのです。
何の着色料を使っているのだろう…と思わせるこの色も、敬遠しがちになる所以です。

2007年10月18日

美ヶ原高原 -信州-

美ヶ原高原_看板

広い高原を散策したいと思い、信州にある美ヶ原高原に訪れた。

長野自動車道松本ICからビーナスラインに入り、美しい景色を楽しみながら山本小屋前の駐車場に到着。

美ヶ原高原は自然保護のため、マイカーの乗り入れが規制されている。美しい景観が守られるためなら規制に大賛成だ。

駐車場から1時間ほど歩くと王ヶ頭ホテルに到着。美ヶ原高原の頂上、標高2,034mに建つ雲上のホテルで、登山者用の山小屋として営業を開始したのが始まりだそうだ。

天気の良い日には、雲を眼下に望む絶景が楽しめる。雲海や星空を眺めながらの展望風呂もぜひとも利用してみたい。

どこまでも

王ヶ頭ホテル

美ヶ原高原


2007年10月17日

禅僧のことば

禅僧のことば

今、研究所の出版企画で、臨済宗黄檗宗の各派管長とお会いしている。これは「禅とは何か」や「いのちの在り様」などのテーマをもとに各老師に語ってもらい、それをビデオに収録してDVD化するための出演依頼である。
映像に残るということで最初は難色を示された老師も、趣旨を説明すれば最後にはご理解いただき、今のところ交渉は順調に進んでいる。
第二次世界大戦後、長い歴史の中で培ってきた価値観を見失ってしまった日本人に、「人として生きることの意味」を禅僧の立場から語ってもらおうというのが企画側の意図であるが、お話しを伺う中で、老師の側からも、これほど人のいのちが軽視される今の社会に向けて、何かメッセージを発信しなければならないという意識も感じられた。
これまでお会いした老師方は、それぞれに個性は違うが禅僧としての魅力がある方々ばかりである。実際の収録ではどういった言葉を発していただけるか、今から楽しみである。

2007年10月16日

「開館50周年 特別記念展」 -逸翁美術館-

逸翁美術館

毎回訪れるのを楽しみにしている逸翁美術館。 今回は開館50周年というおめでたい年。 出展作品を見てもわかるように、選りすぐられた逸品にて、「特別記念展」が催されている。

今回心に残ったのは、大好きな俵屋宗達による「飛鴨図」。
光悦とのコラボを始める前の画だろうか??? たらしこみの技法も少しは見られるのだが、光悦とのコラボ作品のそれとはまた違う。なかなかお目に書かれない、どちらかというと渋めの味わい深い作品であった。
また、大棗・吹雪などの時代物も、昔の職人の心意気が見えるかのような味わいで、私は「竹林蒔絵大棗」に心惹かれた。後期(10/27~12/9)の展示替えでも、錚々たるものが出展されるようなので、改めてでかけたいと思っている。

さて、この「雅俗山荘」での展示は、来春をもって終わりとなるようだ。
「逸翁美術館」は、違う場所に新しい建物にて生まれ変わるらしい。耐震性の問題や、建物の老朽化などが問題となったのだろうか。和洋折衷の重厚感ある旧邸は、美術館というより、本当にお宅にお邪魔しているような感じで、昔から親しんで来た美術館だけに、仕方ない事とはいえ惜しくてならない。 
即庵での呈茶も、毎回楽しみであった(土日は近隣のお茶の先生方が釜を懸けられます)。こちらでの一服を未経験の方、是非一度お運びいただきたい。

小林一三について、余談ではあるが・・・。
その昔、阪急百貨店には、彼のお肝煎り(であろう)にて、雰囲気ある骨董街のような一角があり(今でも1、2軒残っているが)、幼いながらも私は「ここから先は異空間だ」と感じ、なんとなく漂う緊張感から、色々な事を学んだ気がする。一軒ごとに、ガラスケースには逸品が値段も無く並び、美術館のようで、普通の店とは違ってのれんの奥で商談するという・・・。
美術画廊も他の百貨店とは比べ物にならないほどに非常に広いスペースで、毎回の展覧を楽しみにしていた。
他の百貨店とは違う独自性は、小林一三の考えが反映されていたからなのであろう。
今、百貨店は建て替え工事中であるが、彼の美に対する精神を忘れぬ、独自性ある百貨店であってほしいと願うのは、私だけではないと思う。
単に色々な物を売る百貨店ではなく、あの当時の阪急百貨店は今の私にも大いに影響を与え得る場所であった。
阪急百貨店の骨董街、銀座街、何室かある広い美術画廊を懐かしく思われる方、いらっしゃいませんか?笑

2007年10月15日

山寺のある一日 -その1 犬小屋で経を読む-

山寺のある一日

あれは、わたしが、この山寺に入寺してから、間もない法事の席であった。ある檀家さんのお爺さんの三周忌の法要である。お葬式は、先住さんがなされ、先住さんの遷化後、一年を経て入寺したわたしには、そのお家のことは、何もわからない。しかし、法事は、厳粛に勤めなければならない。わたしは、改良衣と呼ばれる簡易な法衣で、そのお家に赴いた。

通常の挨拶をすませ、改良衣から正式の大衣に着替えをしている間、一人の、十七、八歳くらいのお嬢さんが、シクシクと泣いている。こんなことは滅多にない。田舎の法事は、もう、お祭りである。お酒が飲めて、普段は口にできないご馳走をいただく。集まる親戚などは、お祀りではなく、文字通り、お祭りなのである。しかし、そこに、ほとけさんに対する畏敬、崇拝の念がないのではない。たくさんお酒を飲んで、ご馳走を食べるのが、ほとけさんに対する御供養なのである。坊主は、それをリードしなければならない。そのような田舎の法事である。わたしは、感心に思った。「このお嬢さんは、よほど、お爺さんに可愛がられたお孫さんなのだろう」と。

仏間での、数十分の読経が終わった。そこで、わたしは、そのお嬢さんに尋ねてみた。お嬢さんは、読経の間、ずっと泣いていたのだ。背中に目がなくとも、そのくらいのことはわかる。それが、プロの坊主だ。
「そんなに、お爺さんのことが、悲しい?」と。
しかし、お嬢さんは何も答えない。相変わらずシクシクと泣いている。すると、そのお父さんらしき人が、気まずそうに答えた。
「いや、和尚さん、そうじゃないんだ。実は、この子が可愛がっていた犬が、今日の朝に死んだんだ。それで、こうやって、ずっと泣いとる」。
なるほど、これで謎はとけた。
詳しく聞くと、この父娘は、ずっとその家にいるのではなく、一人暮らしのお婆さん、つまり、このお爺さんの連れ合いさんが、その犬の面倒を見ていたらしい。しかし、犬は今朝死んだ。お婆さんは、とりあえず、村役場に連絡して、処理?をした。朝、お婆さんの家に来て、犬の死を知った孫は、悲しくて堪えられず、お婆さんを責めた。そして、わたしが見た光景になったらしい。

涙を拭いている娘を見ながら、そのお父さんは言った。
「和尚さん、その犬のために、お経を上げてもらえんか」と。
もう、まわりの親戚はアッケにとられている。いや、なかば、ヘキエキしている。それはそうだ、居士霊位の三周忌である。なぜ、犬の法要をこれからやるのだ。お酒を飲む時間が遅くなるではないか。そんな雰囲気である。
わたしは、お嬢さんに言った。
「ここは、仏間だ。ここで、犬のためにお経を読むことはできん。その犬小屋で読む。それで、いいか」と。
すると、お嬢さんは、ウンとうなずいた。
そういうことで、わたしは、犬小屋で、“大悲心陀羅尼”を読むことになった。お嬢さんは、花と線香を手向けた。お婆さんは、終始、わたしに、すまなそうに、頭を下げていた。

その日の会食の席は、まったく複雑な雰囲気であった。三周忌の法事なのか、犬の葬式なのか。お嬢さんだけが、はればれとした笑顔に戻っていた。そんな席上、親戚の筆頭格みたいな人が、少し眉間にシワを寄せて言った。
「和尚、仏間で読んでもらわんだけでもよかった」と。
わたしは、お酌をしてもらった杯を乾しながら、
「ハァー」とだけ答えた。
法事の会食などとはすでに呼べなくなった酒宴は数時間続き、わたしは、やっと、山寺に帰った。法衣を脱ぎ、お茶を飲み、酔いを醒ましていると、例のお父さんとお嬢さんが、寺に登って来た。これは、正直に言って迷惑である。もう、誰とも話をしたくない。それほど、山寺の坊主は、檀家さんと密着するのだ。
「和尚さん、これ、少ないけど、お布施です」
と、お父さんは、金封を出した。
「いえ、お布施はもういただいております」
「いえ、これは、犬のお布施で……」
「そんなものはいりません」
「いえ、娘が、小遣いから出したもので……」
そこで、わたしは、お嬢さんを見た。すると、彼女は、いとも愛らしい笑顔でうなずいた。それを見たわたしは、
「はい、わかりました」
と、すぐに、その金封を頂戴した。ありがたかった。

これはもう十年前の出来事である。その犬は、成仏できたであろうか、犬に仏性はあるのだろうか、などと、余計なセンサクはやめておこう。あのお嬢さんの笑顔は、まさに仏心であった。
彼女も、今では一人の男児を育てる母親である。お婆さんの家に帰ると、真っ先に山寺へ登り、「いっしょにご飯たべよう」と、わたしの手を取ってくれる。わたしは、「オォー」と言いながら、その手をほどき、お婆さんの家へ、ご飯を頂戴に行く。今、彼女のお腹には、女児が、「もうまだ?」と、その誕生を、みずからうったえている。
いやいや、やれやれ、山寺の暮らしも、そう、すてたものではないのである。

2007年10月12日

曝凉のおしらせ 於:大徳寺

紫野 大徳寺

10月14日(日)、秋晴れの心地よい空気の中、大徳寺の宝物の虫干しが行なわれます(本坊にて9:00~15:30)。
約100点ほどの絵画・襖絵・墨跡などが展示されます。
中でも、かの有名な牧谿(もっけい)の水墨画「観音猿鶴図」は特に美しく、見に行った甲斐があったと思わされます。本坊にも普段は入れませんので、この機会に如何でしょうか。

この日は、特別公開されている塔頭もいくつか(黄梅院・興臨院・総見院)あるようですし、他の塔頭でも虫干しが行なわれ、公開されることがあります。美術館ではなく、実際に禅寺にて宝物を見られるまたとない機会です。是非おでかけ下さい。

ちなみに、あくまでも虫干しが最重要目的ですので、前日が雨であったり、当日が雨であったりすると、行なわれません。お天気があやうい際は、調べてからおでかけ下さい。

2007年10月11日

アグラ城 -インド-

アクバル門

16世紀にムガル帝国の3代皇帝アクバルにより築かれた城塞(上の写真はアクバル門)。
その後、4代、5代皇帝の居城ともなった。タージマハルのご紹介でも書いたが、5代皇帝シャー・ジャハーンが幽閉されていた塔も城壁の中にある。
1983年、ユネスコにより世界遺産登録された。

インドで出会った少女

インド人の家族づれも多い。「この子を抱いて一緒に写真を撮ってくれ」、「私たちと一緒に・・・」となぜか一緒に写真を撮りたがるインド人達・・・(観察していると、欧米人には声をかけていないのになぜ?)。抱っこした途端に号泣のこの子も、お母さんのもとに戻ると御機嫌でカメラに興味津々。
それにしても幼いながらになんとはっきりくっきりしたお顔立ちでしょうか・・・。インドの小さな子達は皆目がキラキラと好奇心に輝いていた。

ディワニ・アーム

ディワニ・アーム(一般謁見の間)。こうやって離れて見ると、中央にある玉座は柱で隠れて見えないようになっている。

インドとイスラムの融合

シャハンギール宮殿内部。石造り。何年か前にネパールで見たヒンドゥー寺院の様式を思い出す。
イスラムの影響も受けているらしい。

彼方にタージマハルが

はるかかなたに白亜のタージ・マハルが見える。シャー・ジャハーンは幽閉されている間、タージマハルを見つつ泣き暮らしたそうな。

大理石

こちらにも、世界各地から集めたと思われる石の細工が施されている。

猿

一緒に行った友人は我々の母校(スパニッシュミッションスタイル)に見えて仕方ないという。猿は余計だが・・・。
イスラムとヒンドゥーの融合を成し遂げたムガル帝国の王によって建てられた建造物だが、そこに世界の様々な様式を感じさせられるという事は、確かにあるのかもしれない。世界は繋がっていて、色々な影響を与えあう事が、建築を見てもわかる。

内部

内部もこのとおり。当時はもっと色々な装飾がなされ、絢爛豪華であったろう。盗掘などにあい、原形はとどめていない。だが、時を経てにじみ出る日本人好みの美しさを感じさせる。

アグラ・フォート

それにしてもすごいスケール。

fort10.jpg

入り口では、物売り、ガイド、観光客がひしめきあっていた。

2007年10月10日

万作・狂言十八選 -出雲-

出雲大社の大きなしめ縄

実は今回の出雲行のタイミングとピッタリ日程があったので楽しみにしているイベントがあった。
狂言師・野村万作さんの「狂言十八選」第三回が、出雲大社にて奉納される講演があったのだ。
まずは出雲大社に参拝。

IMG_2400.jpg

さて、出雲大社といえば、日本武尊で名高い、伊勢神宮に並ぶ大社(おおやしろ)である。この勇壮な神社で、かの万作さん万斎さんの狂言が見られるということで、早くからチケットを押さえていた。東京から飛行機やバスを利用してくるツアーもあるほどである。
演題は「三番叟」「棒縛り」「福の神」の3つだった。
今回の狂言の中では、気軽に笑って楽しめる狂言という意味では「棒縛り(ぼうしばり)」だけである。おなじみの太郎冠者と次郎冠者が出てきて、二人が主人に内緒で酒を呑むものだから、両手を棒や綱で縛られたのにも関わらず工夫して酒宴をしてしまうというコメディ。万斎さんが太郎冠者役だった。

結界の張られた舞台

他の二つはいわゆる狂言とは、少々趣きが異なる。
「三番叟(さんばそう)」は、能の「翁(おきな)」のなかで、狂言師が舞われる一部分であるだけで、いわゆる狂言のコミカル的要素は一切なく、非常に格式高いものであった。そもそも神様に奉納する舞いである。能楽堂ではなく、写真のように結界の張られた神聖な舞台での舞い、そして鈴を振りながら踊る万作さんは、さすがに重要無形文化財(人間国宝)の方であった。

さてさらに、ご存じのことかと思うが、狂言というのは、いつどこでという設定が曖昧なのが通常である。ところが「福の神(ふくのかみ)」は、この出雲大社が舞台となった狂言である。大晦日に出雲大社へ参詣する信仰の厚い2人に,祭神の福の神が現われるというものである。この場所でというのは誠にすばらしいの言葉につきる。すわ本当の福の神が現われはしないかと思えてしまうほどであった。

2007年10月09日

貪(むさぼ)る

いがぐり

米国の食品医薬品局(FDA)は、2006年12月に、「クローン動物およびその子孫の肉や乳は、我々が日々摂食する食品と同様に安全である」という発表をしたという。クローン動物の肉・乳の販売が合法化されれば、アグリビジネス企業は、その製品を販売することはもちろん、製品がクローンであるか否かの表示義務も課せられない。
かつてFDAは、死んだ家畜を生きた家畜に与えてもまったく問題はないとの見解を示した。しかし、牛海綿状脳症(狂牛病)の恐怖が世界を駆け巡ったことは記憶に新しい。
企業レベルでクローン化の採算が取れるようになれば、世界におびただしい数存在している米国発のファーストフードのチェーン店などで、早晩、規制の網をスルリと通り抜けた無表示のクローン動物の肉のハンバーガーなどが店頭に並ぶことになるのだろうか。
 
私たちはいつのころから、心の痛みを伴わずに、生き物を食するようになったのだろう?

日々、食卓に並んだ、牛や豚やマグロやサンマなどを、私たちは、美味しいだのまずいだのと批評しながら貪っている。いや動物だけではない、植物だって生き物だ。しかし、「そんなことを言い始めたら、何も食べられなくなる。ともかく生きていかなければならないのだから」という声が、わが心のうちにも、すぐに起こってきて、そんな逡巡などあっという間にかき消えてしまう。
 
今年米寿を迎えられた元研究所所長の山田宗敏師は、かつて宴席で供されたハタハタを前にして、「これはなんという魚ですか」と箸を取られたことがある。丁寧に召し上がったが、別の折に、「わしは若いころから、肉も魚も食ったことがなかったから、やっぱり米や野菜が親しいですなあ」と言われた。
初代所長の山田無文老師は、「生き物を食らうことの是非」について、「まあ、手を差し出しても逃げんものを食うことじゃな」と言われたという。仏教学者たちの戒律を踏まえての議論のなかでのその発言は、軽い笑いを誘ったらしいが、今にして、心にストンと落ちるものがある。肉体を何とか維持してゆける以上のものを食されなかった老師の、「まあ、貪らんことじゃな」というお声のような気がしたからである。
 
豊富な経験と卓越した技術で知られるある鍼灸師さんが、奇病だといってこられる患者さんには、どういうわけか肉食好きの人が多いですね、と言われた言葉が耳に残る。
 
最新のビッグイシュー(ホームレスの仕事をつくり自立を応援する雑誌)日本版の、冒頭に掲げたクローン動物に関する記事を読みながら、なんだかんだと必要以上に貪ろうとする自分の日々の在り方が、結局はあのようなアグリビジネス企業を立派に支えてゆくことに通じるのだなと、ふと思った。

2007年10月05日

Myお箸でエコの仲間入り

Myお箸

夕べ深夜のニュース番組を見ていたら、東京都では今まで燃えないゴミとして出していたプラスチック容器を、燃えるゴミとして出していいことになるという。 私が住まう町は、ずっと前からプラスチック容器も燃えるゴミで出せていたので、存外意外ではあった。

東京都がこういう方向転換をしたのは、今まで燃えないゴミの廃棄場所として東京湾に埋めていたが、このままであと40年もすると、東京湾内に埋め立てられる場所がなくなることが見えてきたため、ゴミ処理施設の新設や改修して、プラスチックゴミなども高温度で焼けダイオキシンが出にくい処理が可能になったためであるという。
そういう意味では東京都よりうちの田舎町の方がゴミ処理場が先進的だったのであろう。
しかし、女性レポーターが訪れた東京湾のゴミの山は、そのレポーター自身も「絶句し、めげるほどだった」というほどのゴミゴミゴミ・・・。人間の愚かさを露呈しているような光景だった。

そして我が身のことに立ち返る。
常日頃から、できるだけゴミを出さないようにと心がけてはいるものの、なかなか実質的なことができないでいた。そんななか、最近、研究所の我ら編集部員は全員、Myお箸を持つようになった。毎日、昼御飯を購入するコンビニで、「お箸はいりません」と言っている。一度きりしか使わない割り箸を今までどれだけ無駄にしてきたことか……。
ほんの些細なことだが、エコ生活者への仲間入りである。

2007年10月04日

出雲の屋根瓦 -出雲-

最近の日本では、瓦屋根の家が・・・ことに都会ではどんどん無くなってきているように思える。
が、出雲に行くと、ほとんどの家が瓦を使っており、太陽の光に輝く(本当につやつやと光沢があるのです!)黒や赤の瓦が目に眩しいくらいなのだ。
そして何を隠そうこの地方の屋根には、しゃちほこが!

しゃちほこのある家

そしてさらに鬼瓦には、福の神が標準装備。家によっては、打ち出の小槌が仕込まれている瓦もある。

福の神が宿る

さすがに日本の神々が集う出雲ではある。
日本国中の八百万の神様は十月に出雲に集まられるので、十月のことは神無月というと習ったが、この出雲では十月を神在月というのだ。
出雲大社に近い海辺に行ってみると、まるで神がおはしますといわんがごとき神々しい景色にであった。


八百万の神のさと

2007年10月03日

仙厓・センガイ・SENGAI 禅画にあそぶ -出光美術館-

仙厓義梵_禅文化研究所蔵


いつもは訪れた美術館の事をご紹介していますが、今回は訪れたい美術館の情報を・・・。
東京・丸の内の出光美術館にて、10月28日まで、仙厓さんの禅画展が開催されています。
仙厓義梵(1750-1837) 禅師は、九州博多の聖福寺というお寺の123世住職で、古月派を代表する名僧です。

禅画のみの展示というのも珍しく、また、見ていてなんだか楽しくなってくるような仙厓さんの禅画という事で、なかなか見がいがありそうです。その奥に見え隠れしているものは、一体?!
それにしましても、仙厓さんのものばかりがこれほど多く一堂に会するのは、出光美術館だからこそです。是非、おでかけになられてみてはいかがでしょうか。

*研究所の本も紹介させてください*
仙厓和尚逸話選

☆上記の仙厓さんは、研究所所蔵の物です。くわしくはこちらをご覧ください。研究所の所蔵物を順次公開しております。

2007年10月02日

観月のとりあわせ -細見美術館 古香庵茶会-

細見美術館_観月のとりあわせ

京都、岡崎にある細見美術館の茶室-古香庵-では、年に何度か茶会が催される。
今回(9/29)は「観月のとりあわせ」茶会にお邪魔した。

会記はつぎのとおり。

床     簾に秋月図   渡辺始興筆
 脇    秋草虫蒔絵小箱
花     季のもの
花入    亀甲文瓶子
香合    金銅透瓜形
風炉先  秋草図      酒井鶯蒲・鈴木鶏邨筆
釜     古芦屋葦達磨
風炉    面取唐銅     香取秀真造
水指    河南
薄器    秋草蒔絵平
茶杓    鵬雲斎大宗匠作  銘 秋の声
茶碗    黒 銘 川辺  二百之内 左入造
 替    紅葉呉器
 替    黒釉平 銘 仲麻呂
 蓋置   古瀬戸一閑人
 建水   砂張
菓子    月波  

美術館に埋もらせておく(という表現はおかしいかもしれないが、、、)だけ、ガラスケースの向こう側を見て楽しむだけではなく、使える物は使って慈しむ、「使ってこそ」の喜び、楽しさを味わえる贅沢な道具の取り合わせ。
いつもこの美術館のこころみに感謝し、美術品に対する美術館の姿勢を伺い知る事の出来る良い機会なのだ。私設の美術館だからこそ、というところもあるだろう。

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観月のとりあわせという事で、お軸には月が・・・。村田珠光の「月も雲間のなきは嫌にて候」を思わせる。満月が半分簾に隠れている絵なのだ。如何にも日本人の心をくすぐる感じ。
また、会記を見れば、どれも逸品であることはすぐにわかるが、今回私が出会えて一番嬉しかったのは、樂左入(千家十職・樂家6代)の黒樂茶碗である。左入は樂家に養子に入った人であるが、私はこの人のてらいの無い、その人柄を映し出すような茶碗が大好きなのだ。
この黒樂、如心斎(表千家7代)銘「川辺」は、小ぶりで薄づくりながらも、中をのぞきこむと宇宙のひろがりを思わせるような大きさを感じる茶碗で、外側から拝見しているのと、中を拝見するのとでは印象が異なった。
四客からの茶碗も、加藤清允先生によるもので、あれやこれやと楽しすぎて忙しいほど。

どのお道具にも人の人生のように様々な歴史があり、亭主をされる細見館長がいろいろなお話をして下さるのがまた楽しく、勉強になる。是非また機会があれば参加したい。

さて、茶会の後は美術館を堪能。現在の展観は、淋派展X「神坂雪佳-京淋派ルネサンス-」。
淋派の絵は、その初期のものでも、近現代のものでもそうであるが、どれだけ時代を経てもなお新鮮な印象を覚えるものである。何百年後でもその印象は変わらないのではないだろうか。
皆様も是非、芸術の秋、京都におでかけ下さい。

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茶室から見える東山。岡崎あたりも、電線を地中に埋める工事をしてくれないだろうか・・・。
にしても、屋上にある茶室から東山を借景とはなんともにくいばかりの趣向だ。
ちなみにこの茶室、かの有名な中村外二氏によるものだ。

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細見美術館全景。屋上に茶室がある。
茶会の際でなくても、普段は茶室にて御抹茶を頂き、休憩する事もできる。

2007年10月01日

「ZEN」車両

-静けさ-を思わせるもの

先日の朝日新聞にて、フランスの新幹線TGVの一部車両には、「ZEN」と名付けられた車両がある事を知った。もちろん禅宗の「禅」からきており、坐禅を組んだり瞑想したりする時の静寂さをイメージしての命名だそうな。
「うまく考えるもんだなぁ・・・日本みたいに単なるサイレント車両という呼び方ではなく、なんだかおしゃれなイメージじゃないか」と思った瞬間、「いや、禅をこういった一種のスタイルとして取られるだなんてなんだかなぁ・・・」と苦々しく思ったり、胸中複雑だ。

調べてみると、この車両では、12歳未満の子供もお断りで、会話も慎まなくてはならないようだ。
反対に、携帯も会話もゲームも自由、まるで何でもオッケーかのような車両もあり、こちらも予約できるそうだ。

日本の新幹線にもサイレント車両はあるわけだし、試み自体が目新しい物とも思えないが、この「ZEN」車両というネーミングに過剰反応してしまった私である。

ちなみに、以前の記事、ZENスタイルについても是非ご高覧いただきたい。
本日掲載の写真も、欧米人からみると、「禅的」なのだろうか。