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2008年02月29日

今年はなかなかの雪が

大雪の岐阜

今年も暖冬かと思われたが、二月はけっこう京都でも雪が降った日が多い。 そんな中、車で岐阜の奥の方へ行ってきた。 走る内に吹雪で道路が見えなくなり、どちらにカーブしているのかわからなくなるくらいの猛吹雪。 もちろんスタッドレスタイヤやチェーンを履いていなければ、どうしようもないだろう。 ちょっとした恐怖心さえ覚えるほどの降り方だった。

特に下り坂は怖い。前の車に続いてゆっくりカーブを下っていくと、3台ほど前の車が突然停止し、私も含め後続車も停止した。
なにがあったのかと思って目をこらすと、下から登ってくる大型バスが道路を塞ぐように停車しているではないか。
運転手をはじめ数人が右往左往しているのが遠くに見える。

仕方なくコートを来て車からおりて見に行くと、なんと、そのバスの向こう側に寄り添うようにもう一台、バスが止まっているのだ。
二台ともチェーンをつけずに上がってきたらしいが、スリップしてしまったらしい。
しかし二台が引っ付きすぎているために、今さらチェーンを装着することもできない様子だ。
待つこと1時間。途方にくれかけたころ、私の後ろの方から巨大な除雪車が登場し、バスの前に行き、ワイヤーをかけて、引っ張り上げて行った。圧倒的な力に拍手喝采しそうになった次第。
しんしんと降る雪の中の1時間は、なかなか心まで冷える時間だった。


白川郷の雪景色

2008年02月28日

関宿の銘菓 -深川屋の関の戸-

関宿の町並み

先日、是非とも味わってみたい銘菓がある関宿(三重県亀山市)に立ち寄る機会がありました。
日も暮れた中を菓子屋目指してすすみます。何故でしょうか、とっても暖かい感じ、どこか懐かしい感じに包まれています。
そう、明かりは全て白熱灯。ぼんやり暖かく町を照らしています。そしてどこか開放感があるような、ゆったりしているような感じは…そうです、電柱や電線が全く見当たらない!!!
ここまで違うものか…と感動しつつ、京都もこうなればなぁ…とぼんやり考えていました。

深川屋

さて、お目当ての「関の戸」ですが、寛永年間に初代・服部伊予保重により考案創業され、朝廷への出入りも許されたほどの御店です。
なめらかで非常に上品なこしあんを求肥で包み、その上に和三盆糖がまぶしてあります。非常に美味で、抹茶のみならず、コーヒーなどにも合いそうです。
江戸の昔から、この菓子一筋に営業されているご様子。日本には世界でも類を見ないほどに長寿企業が多いと言われますが、老舗菓子屋のひたむきにその伝統を守る姿に、また1つ日本の誇りをみつけた気がしました。

今回はこの菓子の為に立ち寄ったのみでしたが、またじっくりと訪れてみたい関宿です。

2008年02月27日

知恩院三門

知恩院


第42回京の冬の旅にて特別公開中の知恩院さんの三門をお参りさせていただきました。

この日の京都は雪が降り、三門の上から眺める京の都はまた違った風情。
四方を囲む山々は、冬特有のどんよりとした雲に身を隠していました。
京都の町全体を見渡せるほどの見晴らしは格別ですが、高い建物が目立つのが少し残念です。
それでもやはり、木造の門としては世界最大規模を誇る立派なこの御門、遠くからでも見えるそのお姿はそれは立派で、日本が世界に誇るべきものだと思えます。
内部の彩色豊かな絵の数々も、再建当時の趣を残しています。

非公開文化財ですし、近所からの苦情もあるのでしょう。そこここに写真撮影禁止!の札が。
気付かないはずもないのですが、必ずこういった機会に係の人のいない隙に撮影する人を1人2人みつけてしまいます。非常に興ざめです。
今回は携帯のシャッター音が…。混雑した人を案内する為に係の方がいなくなった隙でした。
そこまでして撮影して自分のものとしたいのでしょうか。目や心にやきつけてはおけないものでしょうか。
ルールを守れない方がいると、今後公開されなくなる可能性がなきにしもあらず。「そんな所まで知ったこっちゃない…自分は今日見たから後の事は知らない!」でしょうか。
寒い冬の京都に来て、せっかく三門上の宝冠釈迦如来、十六羅漢像を拝む心があるならば、「自分さえよければ」の気持ちは捨てて帰って欲しいものです。

知恩院三門

2008年02月26日

駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠

新富士駅附近からの富士山

「駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」といわれる。 その富士のお山をみつつ、白隠禅師が開山の龍沢寺に、死活庵老師の津送に行った時のことである。 津送のことは先のブログに書いたが、この日、京都では雪が降っていたのに、この静岡では快晴。ご覧の通りの富士山の雪景色である。 上の写真は、新富士駅附近の新幹線の車内から撮影した。このあたり、製紙工場などの煙突が立ち並び、なかなかベストショットが撮影できないのだが、これはなかなかうまくいった。 右の方に大きくえぐれているところは、宝永4年(1707年)の大噴火の跡であるという。ちょうど白隠(1686-1769)がこの近くの原宿に生まれて少年のころのことである。 この白隠禅師の生涯を劇画にした『白隠和尚物語』(禅文化研究所)にも、そんなシーンが出てくる。

龍沢寺の裏山から見た富士山

龍沢寺には小高い裏山があり、そこに登って少し歩くと、新富士駅からみたのとは違う方向から富士山をながめることができる。宝永の大噴火の跡が手前に見えるのがわかると思う。 雲水時代、この裏山から富士山を見て、心が洗われるような気分になったことを思い出すと、同輩に言うと、みんなそうだったようである。

津送が終わって三島駅から京都へ向かう時、三島駅のホームから見た富士も美しかった。
今度は12月にある小祥忌(一周忌)に、この日本で一番美しい山を見ることになろうか。


三島駅から見た富士山


2008年02月25日

龍沢寺僧堂・死活庵老師の津送

梅のほころぶ龍沢寺

Ryutaku07.jpg

静岡県三島市にある専門道場、円通山龍沢寺。あの白隠禅師が開山である名刹である。 この龍沢寺住職の死活庵・中川球童老師が、昨年末に遷化されたことは、このブログでも少し書いた。 20年以上前に、わたしはこの道場に掛錫していたので、2月14日の津送のお手伝いに呼ばれ、前日13日、三島駅に降り立った。 京都は雪が降っていたが、静岡は雲一つない快晴。あまりにも富士山がきれいに見えたので沢山写真も撮ったのだが、これは改めて書かせてもらう。

死活庵老師の真前

さて、さっそく梅の花のほころぶ龍沢寺に向かい、懐かしい顔ぶれと挨拶をかわし、老師の遷化をいたみあった。 じつは、私が新到参堂(入門)して一週間もたたないころ、当時、龍沢寺の閑栖老師だった中川宗淵老師が遷化され、その数年後に、私が参じていた鈴木宗忠老師も遷化された。そしてこのたびの中川球童老師の遷化で、ここ二十年あまりで三人もの老師を送ることとなり、ここで同じ釜の飯をたべた会下一同、悲しみに暮れている次第である。

向かって左から奠湯・秉炬・奠茶の三導師

津送の三導師は、奠湯導師が静岡臨済寺僧堂師家の無底窟・阿部浩三老師、奠茶導師は名古屋徳源寺僧堂師家の江松軒・嶺興嶽老師、秉炬導師は大本山妙心寺塔頭霊雲院住職の曇華室・則竹秀南老師で、また、100人を超える参列の諸尊宿の中には、大本山向嶽寺管長・瑞松軒老師をはじめ、京都円福寺僧堂・蒼龍窟老師、仙台瑞巌寺僧堂・起雲軒老師、ニューヨーク大菩薩禅堂・無位室老師などの大方もおられ、厳粛に執り行われた。

死活庵老師は、龍沢僧堂の師家となる前、中川宗淵老師の厳命でイスラエルやアメリカに渡って外国人へ布教された国際的な禅者である。あの9/11アメリカ同時多発テロの時に、偶然にもニューヨークにおられ、関係者一同肝を冷やしたらしいが、御無事であり、手持ちの帰国用チケットを帰国を急ぐ人に譲ったという話も聞いている。

死活庵老師の遷化を偲んで、次号の季刊『禅文化』208号でご縁のあるお三方からの追悼文が掲載される。

2008年02月22日

アジャンター石窟寺院その3 -インド-

第2窟

前回に続き、アジャンター石窟寺院の第2窟をご紹介します。
保存状態も良く、天井装飾なども美しく、ツアーで訪れたとしても必ず立ち寄る場所でしょう。
ちなみに…日本からのツアー客に第1窟で出会いましたが、私と友人は約1日かけてアジャンターを楽しんだのに対し、ツアー客はすぐにいなくなりました。ゆっくりとまわりたいのなら、是非個人旅行をオススメします。

写真上:少し見にくいのですが、釈迦誕生の場面、ジャータカより(右端)。
写真下:千体仏。非常に美しく残っていて感激します。

千体仏


第2窟天井

天井の壁画も美しく残っています。

ハリティー

奥に少し見えているのは、鬼子母神(ハリティー)と、財宝神(パーンチカ)の夫婦。
インドで購入した少しあやしい日本語で書かれたガイドブックには、「子をむさぼり食うハリティー」と見開きページに大きく紹介されていました。なぜここをクローズアップ?!なかなかおもしろいガイドブックでした。 



石柱の像

第2窟外の壁。男女の像が彫られています。日本の研究者の方にお会いしたので少しお話を伺っていると、仏教でもこういったなかなかなまめかしい男女の像がよく見られるのだとか。男性像が女性像の腰に手をまわしているのは当たり前、時に色々みていくと胸をさわっているのもあるのだとか。
ヒンドゥー教寺院ならよく見かけられますが、仏教遺跡でも…初めて見ました。
ちなみに下の写真はまるで生きているようで、動き出しそうな男女の像。これは石窟内部のものです。
1つ1つ見ていると時間はかかりますが、飽きないアジャンタの石窟寺院です。

男女像

2008年02月21日

永源寺で春の息吹き

茅葺きの永源寺本堂

永源寺の本堂は今どきめずらしい茅葺きの大屋根である。その本堂の中には、「世継ぎ觀音」と呼ばれる本尊聖観世音菩薩が祀られているが、50年に一度のご開帳でしかお目見えできない秘仏である。
この観音様は一寸六分ほどの小さな仏様らしいが、等身大ほどの聖観世音菩薩坐像の宝冠の中に安置してあるそうである。


境内のお地蔵様

永源寺管長、篠原大雄老師のお話を撮影し、ちらちらしていた雪があがったので、永源寺山内で春の息吹きがみつけられないかと探してみたら、ようやくやっと開きかけている梅の花をみつけることができた。
屋根に雪は残ってはいるが、やはりもう立春なのである。


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2008年02月20日

禅僧のことば -永源寺 篠原大雄管長-

永源寺僧堂

ちょうど大寒、雪の舞う中、滋賀県東近江市にある大本山永源寺に、各派管長方のDVD撮影のひとつ、篠原大雄管長の取材に訪ねた。
「こんな真面目くさった質問じゃ、本音がしゃべれんじゃないか」と撮影前におどけてみせる老師だったが、以前よりぐっと痩せてしまわれている。
というのも、去年の三月に喉頭癌を患われ、まだ一年にも満たない闘病中の御身。声が出しにくいのと、近ごろまでは提唱でもマイクを使用されていたとのことであった。
しかしにこやかにインタビュワーの質問に答えられ、とても大切なお話から、冗談も加えられてという、あっと言う間2時間強の撮影だった。
しかし、終わってから、実は声を出すのはまだ少し辛いんだとおっしゃる。そんなそぶりなど全くなかったので、長時間の撮影で申し訳ない思いである。だがとてもいいお話が聞けたので、みなさんには製品となったビデオを楽しみにしていただきたい。

篠原大雄管長

老師がおっしゃるには、"Back To The Basic!" が禅の生活の基本であるからと、この僧堂でもそういう生活を目指し、雲水にも指導しているとのこと。ガスはあるものの、基本的にすべて薪をくべてかまどでの調理。また毎年、炭焼き小屋で炭を焼いているとのこと。
永源寺ではもちろんのこと、京都の僧堂にもさしあげているとのことだった。

ちょうどあと数日で炭が焼き上がると聞いたので、炭焼き小屋をお邪魔してみた。なんとも懐かしい香りがただよっていた。
炭を焼くのには20~30日くらいはかけなくてはならない。夜中も必ず雲水の誰かが寝ずの番で付きっ切りなんだそうだ。Back To The Basic! これほど贅沢なことはないのかもしれない。


炭焼き小屋


2008年02月19日

京都御苑の梅

八重紅梅

毎日のように雪が降る京都です。
京都御苑内にある梅林では、まだ頑なに蕾のままの木もあるものの、春の訪れを敏感に感じて咲き始めている梅もあり…。
そんな梅の木には写真愛好家達が集い、まだ春の色乏しい御苑内でもにぎわいを見せていました。

白梅


満開の梅

この木は満開! 周りには人が集り、皆嬉しそうに写真におさめていました。

白梅の蕾

ふっくら清らかなかわいい蕾です。

まだ頑張って咲いています

まだ頑張って咲いています。

2008年02月18日

佐川美術館 樂吉左衛門館開館記念フォーラム

樂吉左衛門展 3/20まで

佐川美術館 樂吉左衛門館開館記念フォーラムが、去る2月2日に京都市の金剛能楽堂にて行なわれました。
題して、「現代(いま)の精神(こころ)を語る-茶碗から空間へ-」。

樂家当代(15代目)の樂吉左衛門氏の設計により佐川美術館に新しくできた茶室は、ごく当たり前の、今まで私たちが知っている茶室とは異なる様相を呈している事は既に耳にしていました。
なんとなく、「樂さんの今風のあの樂茶碗に合う茶室なのかもなぁ…樂さんらしいなぁ」と、写真やらを拝見して思っていましたが、やはりそのようで、樂さんは自分の茶碗が生きる茶室というものがあれば…とずっと思われていたそうです。そして、佐川美術館には守破離(しゅはり:「規矩作法、守りつくして 破るとも 離るるとても 本をわするな」・千利休)をコンセプトとした樂吉左衛門館と茶室が作られました。

長年の夢がついに叶ったともいうべき茶室について、まずは伝統的建築の権威・中村昌生先生(京都工芸繊維大学名誉教授)の基調講演がありました。
スライドを見つつ、冗談を交えつつ、樂さんの茶室がどういった精神を宿しているのか、非常にわかりやすく、愛情こもった賛辞を樂さんに送っていらっしゃるように見受けられました。
素人がぱっと見たところでは、新しい以外の何ものでも無いように見える茶室にも、中村先生の頭の中にある膨大な知識や資料によれば、やはり伝統的な流れを無視しているわけではない、筋がちゃんと通っているのだという事を理解できました。

中村先生による基調講演のあとは、樂さんと、京都大学副学長の横山俊夫先生との対談。
これがまた、その場にいた方にしかわからない面白さで…。横山先生のファンにもなってしまいました。

樂さんによれば、この茶室は、「私が私であるという小さな存在が、もう少し大きな何かの中に包まれる感じ、いわば赤ちゃんが羊水の中にいてしっかりとその個が受け止められている感じ」と、とてもおもしろい表現をされていました。
私は、この茶室は、「無一物中無尽蔵」を体感できるような場所になっているのでは?!と、今回のフォーラム全編を通して感じました。
さて、この茶室、一般にも見学可能です。ただし、予約が必要となっているようですので、詳しくは佐川美術館まで…。
私も必ず訪れて、自分で感じたいと思っています。
横山先生によれば、茶室などの見学を全て終えた時、自分の身体全体が鋭い感覚体になっているように感じたとか…。楽しみです。

2008年02月15日

涅槃会

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今日2月15日は、三仏忌の一つ、仏涅槃会の正当日である。お釈迦様が入滅された日。 この日には、涅槃図とよばれる図像を掲げて、お釈迦様の法に感謝する法要を営む。 自坊には大した書画の掛軸はないのだが、そのわりには不釣り合いな大きな涅槃図がある。釣り下げるのには一人ではできず、二人がかりの仕事である。 真前にお膳やお供え物をして、檀家さんたちも集って楞厳呪をお勤めする。 そのあと、檀家さんだけで、西国三十三観音霊場の御詠歌を御唱えするのが風習となっている。お講のなごりがこういった形で残っている。 この時には檀家さんの中の長老が、小磬や木魚を打って維那をしなければならないのが習わしなので、長老といえども、おかしいほどの緊張の具合だ。

入滅の時、お釈迦様は最後の説法で「自灯明・法灯明」を説かれた。入滅間近の師に対して悲しむしか術のない弟子たちに、これからは、自らをよりどころとし、仏法をよりどころとせよ、と諭されるのである。
おろおろとしている長老に、届けばいいが。

2008年02月14日

St. Valentine's Day

梅の蕾もほころびかけて…

研究所のブログにこのタイトルは無いだろう…と思われた方には、先にお詫びを申し上げます。

「そもそも、バレンタインデーってなに?」と、疑問に思い調べたのは何年前だろうか。
いろいろな説があるようだが、ヴァレンタインとはローマ帝国時代のキリスト教司祭で、その死についてはなかなか血なまぐさい歴史があり驚いたものである。

日本では、女性から男性への愛の告白。そして、現在では、お世話になっている方へ感謝の証として義理チョコをせっせと配り、チョコに目がない女子は、この日を狙って輸入されてくる普段は買えない海外のあらゆるブランドチョコを「ご褒美チョコ」として自分に買ったり、友達と交換したりする。
そしてホワイトデーなるものも、日本で生まれた習慣。 本来のバレンタインデーの意味は知らなくとも、海外の行事を自国独自のお祭にしてしまう、日本人の懐の広さには驚くばかりである。

家にはお仏壇も神棚もあり、そしてそういう家で育っても結婚式はチャペルにて…参列者も賛美歌を歌って…。「信じる宗教はありません」と言たって、やっぱり厄年はものすごく気になり、厄払いにはせっせとでかける。
神道と仏教、土着の信仰などが色々と交錯しているのには仕方ないにせよ、一貫性なんてものはなく、何でもありなのだろうか?!と思う自分がいたが、先日大学時代のゼミ担当教授との話の中で、宗教観も含めた、西洋諸国と日本の国民性の違いなるものを話していた時に、ドイツに留学していた教授が下記のような事を話していた。

ドイツでも、敬虔なキリスト教徒というのは減っていて、皆何かを求めていますよ。そういう人で、禅に傾倒する人もとても多くて、坐禅をしている人も多かったです。
また、家庭で特に信仰する宗教が無い場合は、結婚式は皆の前で永遠の愛を誓う「人前結婚式」が圧倒的に多いですねぇ…。そう思うと、日本人は色々な宗教がごっちゃまぜのように思いますが、まだまだ人前結婚式よりも、クリスチャンでなくとも教会での挙式が多いというのはおもしろい事で、何か、人以外の大いなる存在や頼れるものの前で誓いをたてなくてはいけないような、そんな潜在意識があるんじゃあないでしょうか…。

何となく、私の潔癖な堅い心がふとほぐれた気がした。なるほど。そう考えると、日本人は愛しい存在だ。最近は日本でも人前結婚式が増えているとは耳にするものの、私の友人でそのような結婚式を挙げた人は1人も無く、また、身近なところで聞いた事も無い。
八百万の神の国、和の国日本は、なんだかんだ言ってもやはり捨てたもんじゃない!と、いつも日本贔屓な私である。
とここまで書いておきながら、そういえば私も、思いきりキリスト教色濃い大学の出身者であり、独特の雰囲気と、暖かさの中で過ごせた大学時代に非常に感謝しており、矛盾をとやかく言う立場ではなかった…。

2008年02月13日

それにしても安くなった

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なんの話かというと、パソコンのことである。 約20年前に研究所に就職し、その頃にNECのパソコンが一斉風靡しだして以来、ずっとパソコンとおつき合いしている。 しかし、相変わらず、パソコンっていうのはブラックボックスでもある。便利さが増すにつれ、どんどん中身がわからなくなっていく。

先日も、個人的に関わっている公共施設のパソコンの調子が悪くなったので見て欲しいと頼まれ、出向いて調べてみたところ、ハードディスクが瀕死の状況。
しかし市のネットワークからは切り離しているパソコンなので、市は面倒をみてくれないのだという。
もちろん普通の職員には、どうしていいやらわからないのは、仕方がないことだ。
さすがお役所仕事だと思いつつ、自分が関わっていることもあり、修理をしてあげることになった。

ネットで適当な内臓用ハードディスクを見繕って購入し、後日、届いた連絡を受けた後に、新しいハードディスクに引っ越し処理。約一日かけたが、前と同じ状況に復旧することができた。
職場や個人で何度もやってきたことだから、時間さえあれば難しいことではないのだが、えらく感謝されてしまった次第である。

それにしてもパソコンは20年前から、はるかに高性能になった。しかしセットとしての価格は半額ぐらいになったといえる。最初に個人で買ったパソコンは40万円もしたが、5インチのフロッピードライブが2器もついた、そのくせハードディスクのないパソコンだった。当時、ハードディスクは40MBの容量でも約40万円したので、ハードディスク1台買うのにもかなりの覚悟が必要だった。1MBが1万円という感覚でいたのを覚えている。
しかし、今のパソコンには250GBというような容量の内臓ハードディスクはあたりまえのように搭載されている。そのくせ10万円も出せば、そこそこのパソコンが買えるではないか。
そこでちょっと計算してみた。250GB=250000MBであるから、当時の計算でいくと、この250GBのハードディスクは25億円相当になってしまう。しかし現在の実売価格は1万円もしない。おそるべき低価格化、技術進歩なのである。

2008年02月12日

北京便り 1

北京在住の禅文化研究所研究員 李建華さんから届いた北京便り(1)。




わが家の窓から見える除夕の爆竹風景


中国は旧暦のお正月・春節を祝う慣わしなので、毎年の西暦の年始日は違ってくる。
今年の春節は2月7日。中国語では「過年」(年を過ごす)といわれる。春節の前日は除夕(じょせき)といい、つまり日本の大晦日に当たる。春節には爆竹を鳴らしたり、赤い桃符を貼ったり、餃子を作って食べたりするが、わが家は餃子だけを作った。

わが家の手作り餃子

実家に帰省して年を過ごすのが習慣だが、民族大移動のためにどこでも混雑を極める状態なので、帰らないでいるが、その代わり雰囲気のないお正月を迎える。
しかし今年は大変だ。例年吹雪とは無縁だった中部と東部、南部で138万平方キロに及ぶ氷雪害に見舞われたため、送電線や家屋、農作物の被害はもとより、道路や鉄道、空港は麻痺状態となり、帰省客8000万人の足を直撃した。
一方、一衣帯水の隣国では毒入り冷凍餃子で騒いでいる。情報が結構錯綜していて疑惑が相当あることは別として、天声人語に「きれいな環境に慣らされた体が、取るに足らない異物にも反応するようになった」とあるように、無菌状態におかれる日本人の胃腸が綺麗すぎるから、やはり海外のものを食べないほうが一番安全であろう。


手作り餃子でお正月


2008年02月08日

病気にならない生き方

研究所前の花壇に咲く水仙

幼なじみに強く薦められて、新谷弘美著『病気にならない生き方』(サンマーク出版、2005)を読んだ。
母を膵臓ガンで亡くしたとき、木をみてまったく森をみない現代医療に対して強烈な不信感を抱いてしまった私は、この書の著者が、大腸内視鏡によるポリープ切除を世界で初めて手掛けた権威ということで、読む前からちょっと引いていた。
昏睡状態ですべてを受け付けなくなっていた母の腕には最後まで点滴注射が打ち続けられ、腕は二倍もの太さに腫れ上がっていた。「どうしてこんな無意味な点滴を続けるのか」と詰め寄った私に、ある意味誠実だった主治医が「これが現代の最善の医療なのです」と言ったのであった。

新谷(しんや)先生は9万件以上のポリープ切除を行なってきたが、40年に亘って一度も「死亡診断書」を書いたことがないという。大腸ガンなどのシリアスなケースを多く手掛けながら、「ガンの再発率ゼロ」という結果を出してきたからのようだ。
本書は、「何を食べて、どんなふうに生活するか」を具体的に示すことによって、「病気にならない生き方」「病気を再発させない生き方」を説いたものである。しかし、「健康オタク」系の本ではまったくない。40年を越す臨床医としての経験からくる信念と「だれもがよりよく生きてほしい」という祈りが随処に感じられるのである。

「私はガンをもっている人に会うと、体の中を見なくてもそのことがわかります。なぜなら、うまく言葉では説明できないのですが、自分の「気」がサーッと吸い取られるような感じを受けるからです。私がこういう話をすると、ドクターの多くは苦笑します。でも、これはたんなる「カン」ではなく、私の膨大な臨床経験に裏打ちされた「直感」なのだと思います」

と先生は書く。不幸にして今、病をえているなら、そして主治医を選べるのなら、苦笑をするドクターより、新谷先生にお願いしたいと私は心から思う。そんな本であった。
因みに先生が切り捨てる「流行の健康法」には以下のようなものがあって、ちょっと「目から鱗」であった。

・腸のために毎日ヨーグルトを食べるようにしている
・カルシウム不足にならないよう、毎日牛乳を飲んでいる
・果物は太りやすいので控え、ビタミンはサプリメントでとるようにしている
・太りすぎないよう、ごはんやパンなど炭水化物はなるべく控えるようにしている
・高タンパク低カロリーの食事を心がけている
・水分はカテキンの豊富な日本茶でとるようにしている
・水道水は残留塩素を抜くために、必ず一度沸騰させてから飲んでいる

2008年02月07日

禅僧のことば -相国寺 有馬頼底管長-

有馬管長のインタビュー場面

京都御苑の北に位置する相国寺は室町三代将軍足利義満を開基とする臨済宗相国寺派の大本山である。
今出川通りから同志社大学と同志社女子大の挟まれた道を北に上ると総門が見えてくる。最盛期には一大伽藍を有していたが、応仁の乱以後の幾多の戦火等により仏殿を始めとする堂宇を焼失し、今は法堂を中心に大方丈、庫裡などいくつかの諸堂を残すのみである。

今回のビデオ収録は、相国寺派の管長である有馬賴底老師である。管長職と共に京都仏教会理事長として京都の景観問題に取り組み、また日中臨黄友好交流協会会長として日本と中国との宗教交流に尽力されている。
撮影場所となったのは、昭和59年に山内に建てられた承天閣美術館である。昨年5月に展示場が2倍の広さにリニューアルされ、その記念として行なわれた「若冲展」は記憶に新しいところである。

朝9時から始まった収録は、有馬家の子弟として育った幼少の頃からの話に始まり、両親の離婚により大分の寺院に預けられ、そこでの厳しい小僧生活から僧堂での修行のことなど、生い立ちだけでも2時間近く語っていただいた。
有馬管長は山崎大耕、大津櫪堂各老師の晩年をお世話される中で、禅僧がどうあるべきかがわかったという。二人の老師がお互いの個性を出し合って商量するという話は、禅僧の生きざまが感じられ面白かった。
現在、管長は平和憲法を守り核兵器廃絶の運動を積極的に進めておられる。多方面にわたる活躍の場は老いてなお増えてゆく予感がする。

*各派管長・老師のお話のDVDは、春頃に研究所より発売予定です。

大本山相国寺

2008年02月06日

Flowers and Plants in Tibet -№15-

チベットに咲く花

禅文化研究所客員研究員・李建華さんのご子息、叡(えい)さん による、チベットの草花の写真です。
硬そうな土、栄養分や水分などは含まなさそうな大地から力強く生えて、このような鮮やかな黄色い花を咲かせています。

専門家さえその品種を特定するのが難しい植物もあるとの事で、植物の詳しい説明は避けたいと思います。どうか、写真をお楽しみ下さい。
尚、チベットの植物について詳しい方がいらっしゃいましたら、どんどんコメント宜しくお願い致します。

追伸:お父さんの李建華さんによるチベット紀行もご覧下さい。
チベットの厳しい自然の写真は、ご覧いただくだけでも価値あり!です。

2008年02月05日

『憧れのヨーロッパ陶磁』 -京都国立博物館-

京都国立博物館

特別展覧会、『憧れのヨーロッパ陶磁-マイセン・セーヴル・ミントンとの出会い-』を鑑賞しに、京都国立博物館を訪れた。
展観の紹介文章には、「いつの時代も、人は異国に対して一種の畏れを感じる一方で、強い憧れをもつようです。このところ、高級食器としてのヨーロッパ陶磁が人気を博し、テーブル・コーディネートで活躍している背景にも、おそらくある種の「異国趣味(エキゾチシズム)」があるのでしょう」とありますが、どうでしょうか。
最近の日本では、ブランドやラインを揃えて使わなければならない、そしてなんと言っても値の張る西洋の高級食器よりも、洋食であっても気軽に使える自分の好みの日本の窯元の作家物をどんどん使って、自分なりにコーディネートを楽しんでいる人が増えているように思えます。

私の中では、そういった自分の好きな作家の物がある程度揃ってから、やはりきちんとお紅茶ならお紅茶を入れておもてなしを…と思った時に目が向くのが、西洋の磁器といった所でしょうか。

昔はアッパークラスの人々、外交上何か関係ある人のみが特注したり所持する事ができた憧れの器たちが、今では好きな人だと百貨店に行けばすぐに手に入る(もちろん、すぐに手に入る売っている物と、展示品のような物とでは価値が違いますが)あたり、昔の人のような憧れの目で観るまでには至らないものの、食器が好きな事に変わりはありませんので、西洋の文化がもたらされた頃の日本人がどういった趣味趣向であちらの物に憧れたのか、どのように日本文化に取り入れられて行ったのか、その変遷を観る事のできる展示は興味深いものでした。

京都国立博物館 憧れのヨーロッパ陶磁

2008年02月04日

老婆の弔い

大寒の雪

わたしの自坊のような貧しい骨山でも、だいたい年に数軒の檀家のお葬式があるものなのだが、昨年は見事というべき、たった一軒のご不幸もないまま終わった。 新年恒例の檀家総会でこのことを話して、今年一年も皆さんお元気でお過ごし下さいと話したのも束の間、その4日後に、ある檀家さん宅の老婆が享年94の大往生をとげられた。 別に悪いところもなく、いわゆる老衰である。 いかにも大寒、雪の中の弔いとなった。

さて、お葬式の仕方は、宗教諸派はもちろん、地方の土着風習の影響をかなり受けていると思う。
私の住むあたりでも、集落ごとに少しずつ違うほどだ。
例えば、「朝悔やみ」という風習がある。
集落の住人からのお悔やみの挨拶を、当家が玄関で受けるというものである。
それこそ、「朝悔やみ」というだけでも、読者各位には縁遠い風習なのかもしれない。これは葬式当日の朝7時ごろに、集落の一軒残らずすべての家から、誰か一人が必ずご当家に出かけ、お賽銭をあげて、ご霊前に合掌し、当家の遺族にお悔やみの挨拶をするのである。
おまけにこの時、私の集落に限っては、当家の主婦が喪服の着物姿で素足に草履をはいて、玄関の土間にずっと立ちっぱなしで悔やみを受けなければならないという風習もある。寒いときには格別きびしいことだとは思う。

それから、出棺の際には必ず玄関を出たら西に向いて棺を出す。東側に大きな通りがあっても、必ず西へ向かうのである。これは浄土信仰によるものだと容易に推測はできるが、禅宗の葬式でも同じである。こういった古くからの風習が、まだわずかながら残っているのは、とても喜ばしいことだと私は思っている。

今どき何を……と思われるむきもあるかもしれないが、都会では「家族葬」が流行ってきているなか、それに歯止めをかける意味も含めて、伝統文化の継承はなくしてはならないと思うのである。
そうして、大往生のお婆さんは、家族に送られて西へ旅だっていかれた。

達磨さんも雪に震える

2008年02月01日

『歩々清風 -科学する茶禅の人-』 雑誌掲載

-金沢を愛するすべての人のためのハイクオリティーマガジン-『金澤』の2月号、「今月の見もの聞きもの読みもの」のページに、堀内宗心著『歩々清風 -科学する茶禅の人-』が紹介されました(画像をクリックすると記事をご覧いただけます)。

堀内宗心宗匠とは、茶の湯をたしなむ者にとっては、同じ時代に生まれてこられた事に心から感謝したい気持ちになるような存在です。
僧侶の修行でもそうですが、人が何かひとつの道に精進を重ねるためには、大いなるお手本というのでしょうか…決して近づく事はできないような大きな存在であっても、少しでもあの境地、境界に近づけたら…と思えるような絶対的存在が必要な気がします。
人生において、それほどの存在に何人出会えるでしょうか。
是非この本で、宗匠のお人柄、お考えに触れていただきたいと思います。

今回、『歩々清風』をご紹介くださった雑誌『金澤』は、美味なる物、美しいもの、古都の町並みや文化が好きな方、また新しい金沢を発見したい方、ご旅行をお考えの際にも是非おすすめしたい雑誌です。

『金澤』2月号 『歩々清風』堀内宗心著