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2008年04月30日

4月のしまなみ海道

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雲居禅師350年遠忌記念事業の一環として、松島の瑞巌寺より承った『雲居禅師墨蹟集』の撮影で四国へ。
伊予の地は、雲居禅師生誕の地でもあるから、比較的墨跡などがよく残っている。
今回は、広島にある臨済宗大本山、佛通寺の撮影を終え、しまなみ海道を渡って四国へ。
穏やかな青い海に、ぽっかりと浮かぶ島がたくさん見えるこの辺りの景色は、人の心までまぁるくするようだ。

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まるで海を悠々と泳ぐような鯉のぼり! 桜も満開でなんとも美しい日本の風景です。

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遠くに見える「岩城島」。島にある積善山の3000本のソメイヨシノで島全体がピンクに染まります。今回仕事ですので立ち寄る事はできませんでしたが、是非また春に訪れてみたい島です。

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橋がある風景に慣れているからか、これを美しいと思って見ていましたが、ふと人工建造物が何も無ければどんなだろう…と思い少し寂しくなりました。

2008年04月28日

臨済宗大本山佛通寺の撮影

川を渡って佛通寺へ


絶版となっていた『禅の寺』を復刻する事となりました(今秋発売予定)。
臨済宗の本山全てをこのような形で紹介した本もなかなか無い事や、「もう買うことはできないのですか?」とのお問い合わせをいただく事もしばしばあり、今回はカラー写真を増やし、文章にも少し手を加え、皆さまに手にとっていただきやすいようにと考えています。むろん、しっかりと各本山の歴史や宝物などもご紹介する、本格的な本山紹介の本であるのは言うまでもありません!

美しい山に囲まれた本山です

今回は、兵庫県と四国地方への出張のついでと言ってはなんですが、途中広島の佛通寺にお邪魔させていただき、本に使う写真を何枚か撮らせていただきました。
鳥の声、川のせせらぎが心地よく、桜の優しい色、柔らかな新緑が目に鮮やかで、心洗われる一日となりました。

鐘楼と庭

2008年04月25日

小さな山寺の温かな晋山式

稚児行列
私の自坊の法類寺院(仏法上での親類関係寺院)である小さな山寺が、新しい住職を迎えることになり、先日、晋山式が執り行われた。

今までこのお寺には尼僧さんが住まわれていたが、一昨年の夏、お盆の施餓鬼法要の翌日に急逝された。
生前、この庵主さまから、「どうか私が亡きあとの後住を探して欲しい」と、法類である私に懇願されていたのであるが、亡くなられたあと、ご縁あって、間をおかずに後住を探し出せたことは本当に幸いで、心からうれしく思っているのである。
なぜなら、このお寺にはいわゆる檀家さんがないのである。
であるのに、8年前に本堂が建て替えられたばかりで、庫裡も建て替えられて20年も経過していない。
実はこのお寺のある自治区の人たちは、このお寺を村のお寺だとして大切に思い、各家にはそれぞれ別に他宗の願い寺があるにもかかわらず、本堂や庫裡の建築資金を負担し、庵主さまの生活費も負担してこられたという。
したがって、このお寺が無住になってしまわないようにしたいというのは、老いた庵主さんはもちろん、村人たちの悲願であったのだ。

ところが、全国には沢山の無住寺院があるのが現状なのである。さらに住職を専業にして護持していけないようなお寺は、跡継ぎがないと無住になってしまうのが実情なのである。
というわけで、庵主さんや村人から懇願されてしまった私だが、実際の所は、現実的に到底不可能な頼み事をうけて、内心たいそう困っていたのだ。

ところがである。
庵主さんの遷化されて間もなく、ありがたいご縁があって、ある若き学僧の入寺が決まった。
彼は寺には入りたいが静かに学問もしたいので、檀用が少ないのが望みという、なんとも奇特な和尚で、法類や村人たちとも出会ってもらった結果、すぐさま入寺が決まり、約1年半を経て、このたびの晋山式とあいなったのである。


晋山式の様子

村人たちの喜びようといったらない。稚児行列は70人もの子供が着飾って歩いてくれた。一俵ものお餅も撒いて、村中でのお祝いとなったのは言うまでもない。

餅まき

2008年04月24日

08年さくら その2

昨日に引き続き、桜の写真です。この2枚は京都、上品蓮台寺の桜です。紅しだれがとても立派です。

上品蓮台寺

上品蓮台寺

御苑 近衛邸

御苑の近衛邸跡の糸桜。

妙覚寺山内

日蓮宗大本山、妙覚寺内の塔頭に咲いていたしだれ。1本の木とは思えない立派さでした。

円照寺

奈良は円照寺の桜(上と下)。背は高いのに、幹は細くなんとなく雅やか。尼門跡らしい桜です。

円照寺

信楽 原のしだれ

信楽、畑のしだれ桜。春はみんながこの桜に会いにやってきます。

佛通寺 開山堂

広島にある臨済宗大本山、佛通寺・開山堂の桜。

石鎚山の桜

四国、愛媛県の石鎚山の桜。今年一番感動しました。写真ではわかりづらいですが、霊山らしく心打たれる美しさでした。

2008年04月23日

08年さくら その1

京都御苑 小川の糸桜

今年もたくさんの桜を楽しめました。なぜか今年は初めて桜に夢中でした。むろん毎年綺麗だなぁと思って見ているのですが、どうしてでしょうか。現在の心境?年齢?でしょうか…。
なかなか綺麗な写真が撮れましたので、皆さまにご紹介を。
来年のお花見のご参考にどうぞ…。 上の写真は京都御苑の小川の糸桜、下は吉田神社です。

吉田神社


金戒光明寺

金戒光明寺の山門。

宗忠神社

宗忠神社。

妙顕寺

妙顕寺。日蓮宗の大本山です。尾形光琳の墓所があることでも有名です。

妙顕寺

同じく妙顕寺。

妙顕寺

妙顕寺の十一重塔。

天龍寺

天龍寺、夢窓桜。これは研究所に来ている天龍寺のお坊さんが撮った写真です。

それにしても、自分で撮った写真を見つつうっとり。桜ってやはりいいもんですね。


敷島の 大和心を 人問はば
         朝日に匂ふ 山桜花   本居宣長

2008年04月22日

ユニバーサルデザイン

電卓

私たちの身のまわりには、0から9の数字のボタンが付いた機器がたくさんあります。
電話や電卓をはじめ、パソコンのキーボードやテレビのリモコンにも数字のボタンが付いていますが、それぞれの機器によって数字のボタンの配列に違いがあります。
電話は上から下へ、電卓は下から上へと数字のボタンが並んでいます。この違いに違和感を覚える方もいらっしゃるのではないでしょうか。

この違いは、操作性を重視するか否かという考え方が表れているようで、電卓は「国際標準化機構(ISO)」、電話は「国際電信電話諮問委員会(CCITT)」の規格に準拠しているそうです。
数字のボタンが統一されていない機器として、銀行やコンビニなどに設置されているATM(現金自動預け払い機)もその一つで、電話タイプと電卓タイプがあります。同じ役割を果たす機器ですが、数字のボタンが統一されていないのは残念なことです。
その他、郵便局に設置されているATMは、電話タイプと電卓タイプのどちらでもなく、数字のボタンが左から右へと一列に並ぶデザインに統一されているので使いやすそうです。また、大きめのボタンに点字表示も備わり、目の不自由な方への配慮が施されている点も好感がもてます。
これは、さまざまな人が安心して使用できるよう、ユニバーサルデザインを取り入れている一つの結果だと思います。
数字のボタンが付いた機器に限らず、物作りを行なう上で自分にとって使いやすいだけではなく、さまざまな人に優しいデザインを考えることが大切です。

電話

2008年04月21日

第5回 西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅 ご案内

新緑の京都

【第5回 西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅】の詳細が決まりました。

今回は、特別公開中以外は拝観不可能な由緒ある禅宗寺院に、惠信所長の講演、仏教美術展が開催中の美術館、そして源氏物語千年紀を迎えるこの年にちなみ、お香の老舗にて仏教や京都の雅な文化には欠かせない香についてを学ぶ旅と致しました。
日帰りとは思えないほどに盛りだくさんのツアーです。

花や紅葉の頃の京都が美しいのはもちろん皆さまもご存知でしょうが、新緑の京都も目に鮮やかでとても良いものです。是非おでかけ下さい。共に学びましょう!

詳細・お申し込みはこちらからどうぞ。

2008年04月18日

生きることは 一筋がよし 寒椿

生きることは 一筋がよし 寒椿
各派管長老師のインタビュービデオの制作が進んでいる。 妙心寺管長の東海大光老師のDVDビデオのタイトルは、「一筋がよし 寒椿」というタイトルに決まった。 これは、初代の「伊豆の踊り子」を撮った映画監督・五所平之助(1902~1981)の

  生きることは 一筋がよし 寒椿

という句を、東海大光管長が好んでいると言われているためだ。

一旦、自分がこれと決めたら、とにもかくにも一心不乱で突き進んでいくことが尊い。見事な俳句である。
東海大光老師のお話からは、この句を好んでおられるのがよくわかる力強い気迫が伝わってくる。在家から小僧になり、迷うことなく真っ直ぐに突き進んできた結果が今の自分になっているとおっしゃっている。

現在、大本山妙心寺は、平成21年の開山無相大師650年の遠諱に向けて全国からの参拝法要も多く、また各地へ赴いてのご親化もあり、管長として多忙な毎日であろうと思うが、その中のわずかな閑を見つけては、陶芸や山登りといった本格的な趣味も楽しまれている。


DVDのジャケット(未確定)

現在編集中のDVD「禅僧が語る」シリーズ、「一筋がよし 寒椿」(妙心寺第677世 東海大光老師)予価1575円(税込)をお楽しみに。

2008年04月17日

言葉の癒し

過日京都にある表具屋に電話した時のこと。
「○○君いますか?」。
「へぇ、今高野参(こうやまいり)ですねん」。
と言われ、和歌山にある真言宗の大本山高野山を思い、「えらい遠くへ行ったんやね。帰りはいつになります?」と聞くと、「へぇ、もうすぐです!」と…。
妙な会話で受話器を置いた。
しばらくして本人より電話があり、御手洗に行っていたと聞かされびっくり。なぜ高野参なのかわからず広辞苑を引いてみた。
「【高野参】(1)高野山に参詣すること。(2)便所に行くこと。紙(髪)を落すからいう。」とあった。また、厠(かわや)が高野(こうや)になったとも書いてありました。
後に、「おやじさん、博学やなぁ」と言ったら、小さい頃から母親がよく言っていただけで、真似をしているだけとの事。ですがこのおやじさん、洒落好きで、「○○君いますか?」と聞くと「へぇ、あいつは鴨川塵みたいなやつで!!」と…。わかりますか? 

川の塵はあっちに寄ったりこっちに引っかかったりしながら、なかなか流れないとの意で、出たらなかなか帰らぬという意味なんです。

ちなみに私は最近事務所で、土曜日の昼になると「ちょっと鹿児島へ」と言う事にしています。「えっ!!出張ですか?これからですか?」と聞かれ、「なんのほんの1時間!」と。
NHK大河ドラマ「篤姫」の放送を見るだけのことですから。もう今では東京(お江戸)行きですね。
このように掛け言葉や笑いを呼ぶ言葉をサラリと使う話し上手がいます。
ちょっとした癒しになるのでは?殺伐とした社会の中で何かウィットに飛んだ話言葉が社会の潤滑油になるのでは?と思う今日この頃です。

2008年04月16日

播磨灘物語 -黒田如水邸趾-

黒田如水像(崇福寺蔵)

司馬遼太郎の『播磨灘物語』を読んだ。戦国時代の武将・黒田孝高(官兵衛)が、立身していく物語である。のちに出家して黒田如水と名乗るので、その方が有名かもしれない。官兵衛は「かんべえ」と読むものと思っていたが「かんひょうえ」と読むようだ。

黒田はもと今の滋賀県北部にある木之本町黒田の出身とされる。ただし、この時代の出身地については、信憑性に欠けることも多く定かではない。祖父の代に播州に入り、小大名である小寺家に仕え、官兵衛はのちに姫路城代となり、東には織田信長、西には毛利輝元の二大勢力の狭間に位置することになったが、早くから織田につくべく主君を説得し、また孤立もし、まさしく戦国の世の中を突き進んでいくことになる。
その後、中国地方の平定のために出向く秀吉の軍師として、その力を発揮していく。特に、備中高松城攻略の際の巨大な堤防を築いての水攻め、そして直後の本能寺の変を聞いての秀吉軍の中国大返しを進言したのは、この黒田官兵衛なのである。

体格は立派ではなく、また荒木村重が信長に謀叛を起した際に、翻意させようと単身で乗り込んだが、交渉に失敗して、土牢に長期間監禁されたため、足に傷害がのこり歩行も不自由であったようで、合戦の際にも馬ではなく板輿に乗って行なっていたとされる。

しかしながら、戦国の世にあって、双方ができるだけ血を流さないように、相手方を調略によって落していくという秀でた働きはすばらしく、また、国の民をうまく徴用していくやり方は、今の世でも大いに学ぶべきところがあると思った。

研究所でこんな如水のことを話していたら、部下が京都市内の堀川一条辺りを西の方にいったところに、如水邸の跡という石碑があるのを見つけたと、写真をとってきてくれた。おまけに、このあたりは如水町というらしい。


黒田如水邸趾石碑


さらにさらに、去る16日に墨蹟の写真撮影で兵庫県西脇市の寺院へいったのだが、その寺院の住所は黒田庄町である。まさしく黒田が姫路城へ上がる前に住んでいたところなのである。

2008年04月15日

六波羅蜜寺 -その2-

六波羅蜜寺

前回につづき、六波羅蜜寺のご紹介を。
屋根はゆるやかな傾斜で、奈良のお寺を思い出します。禅宗寺院を目にする機会の多い研究所職員としては、色々な違いが気になるところ。朱の色も鮮やかです。塗り直されてそんなに年数がたっていないようです。

美しい彩色

韓国、慶州の寺などの彩色を思い出すような鮮やかな色です。

阿古屋塚

説明によると…
阿古屋の菩提を弔うため鎌倉時代に建立す。石造宝塔(鎌倉時代)で、その下の台は、古墳時代の石棺の石蓋を用いている。
浄瑠璃、壇ノ浦兜軍記三段目
「阿古屋の琴責め」
平家の残党、悪七兵衛景清の行方をさがすため、想い人で五條坂に住む白拍子、阿古屋を捕らえ、代官畠山重忠は、彼女が、景清の所在を心に秘めていることを知っていたが、弾かせた三味線、琴などの調べに一点の乱れのないことに感動し彼女を釈放する。

とのこと。日本人が大好きそうな話。かく言う私も大好きです。

2008年04月14日

陶工に号をつけるその3 -山寺のある一日-

山寺のある一日


さて、2回に亘ってわたしが号をつけた陶工の話をお伝えしたその彼が、今、一所懸命に何を作っているかといえば、なんと、“骨壺”である。

「陶工に号をつける」
その1 *その2

彼は、商工会議所の青年部会に入っている。陶工とはいえ、やはり俗世間のつながりは無視できず、なかば、強制的に入会させられた。商工会議所であるから、多種多様の職業の人がいる。そこに、石材店と葬祭店とがいた。彼等も生き残りで必死である。いろんな知恵をしぼる。そこで浮かんだのが、生前に自分だけの“骨壺”を持っていただくという案である。「この壺にわたしは入るのね……」と、生前は飾っておける“骨壺”である。売るのは葬祭店である。その骨壺を売っておけば、買った人は、必ずその葬祭店を利用する。もちろん買った人の遺族ではあるが。そして、その葬祭店と提携している石材店は墓石が売れる。「これは名案だ」ということで、話が、青年陶工のもとへ行った。彼も「それは面白いかも知れませんね」と承諾した。そして今、形だの図柄だのを研究している。

世の中は変わったものである。骨壺といえば、円筒形で乳白色に決まっていた。どうですか、このブログを読んでいる方、生前に自分だけの“骨壺”を持ってみたいと思いますか。青年陶工の経済を考えると、この“生前骨壺”作戦がうまくいけばよいなとも思うが、坊主の立場からは、骨壺がドンドン売れるというのも…… 考えさせられるところではある。

2008年04月11日

白隠墨跡展とフォーラムのご案内 於:松島 瑞巌寺


松島の瑞巌寺での白隠墨跡展とフォーラムのご案内です。
詳しくは画像をクリックして下さい。

ちなみに、講演をされる芳澤勝弘氏は、現在、花園大学国際禅学研究所教授ですが、以前は、禅文化研究所の編集主幹で、私たちの上司でした。
したがって、「白隠禅師法語全集」は、編集主幹時代の成果です。

2008年04月10日

アジャンター石窟寺院その6 -インド-

遺跡の向かい側から

インドのアジャンター石窟寺院は、ゆっくり見てまわると一日かかります。
そこでお弁当を持って行き、途中で絶景スポットでランチタイムをとるのがオススメです。

石窟郡の前には川がながれていて、橋を渡って向かいにある小高い山を登ると、下の写真のようなところが。ここからはアジャンター石窟の全貌が見渡せて、暑さで疲れた身体を休めるのには最高の場所でした。上の写真は、橋を渡りきったところから見た石窟郡です。

ひとやすみ

橋

川にかかっていた橋。

アジャンタ石窟寺院の滝

石窟郡の最終地点はこの滝。上から見るとこれまた素晴らしく…。
それにしてもこんな岩を彫って作られたとは…。やはりすごいスケールです。

研究所職員のインド旅行記 過去の記事はこちら

2008年04月09日

樂吉左衞門展 -佐川美術館- 

佐川美術館

昨年、9月15日の樂吉左衞門館開館を記念して3月20日まで開催されていた、「樂吉左衞門展」 を見るために、滋賀県守山市にある佐川美術館を訪れました。
2001年から2007年にかけて制作された焼貫黒樂茶碗29点、黒樂茶碗10点、焼貫茶入4点、焼貫水指1点の計44点が展示されていました。この日、以前でかけたフォーラムにて色々とお勉強させていただいた茶室を実際目にしたいと予約の電話を入れたのですが、満員という事で念願叶わず…。茶室見学は次回訪れる際のお楽しみとなりました。

佐川美術館

現在は、「樂吉左衞門館 開館記念Ⅱ 吉左衞門「り<RI>展」と題した展観が開催中のようです。
それにしても、「とてつもないものが作られたなぁ…」と、ただただ驚くばかりの樂吉左衛門館なのでした。
見せ方や、館そのもののコンセプト、随処に樂家当代の哲学が見える美術館となっています。
百聞は一見にしかず。一見というよりも、全身で味わって欲しい美術館でした。

佐川美術館

2008年04月08日

隠元橋 -宇治・黄檗宗萬福寺-

新隠元橋

春たけなわの4月3日、黄檗山萬福寺の開山忌に行ってきた。宇治へと車で向かう道中は桜も見頃、ちょっとした花見気分である。
京都市内から宇治市の木幡に入り宇治川に沿って走ると隠元橋がある。この地は、かつて岡屋の津という港があり、古くから交通の要衝として栄えてきた。江戸時代、黄檗宗開山隠元禅師が幕府から寺領地を賜ることとなり、新寺の候補地探しのために淀川をさかのぼり宇治川で下船した場所でもあることから、「隠元禅師渡岸の地」の呼び名も加えられた。昭和24年に初めて橋が架けられ、隠元禅師の渡しにちなんで隠元橋と名づけられたという。

この隠元橋が新しく架け替えられていた。これまでの橋は幅員も狭く、一宗の開山名を冠するには憚られるような小さな橋であったが、新隠元橋は4車線の両側に歩道まである立派な橋に生まれ変わっていた。
また、橋の東側には「黄檗開山隠元禅師渡岸之地」の石碑が新たに建立されていた。石材は禅師の出身地である中国福建省から取り寄せ、中国古来の伝統形式である亀趺の形に仕上げたという。
さて、黄檗宗では4月より岡田亘令老師が新管長に就任された。開山忌では力強く隠元禅師の遺徳を偲ぶ香語を唱えられた。この地に法筵が開かれて340年、脈々と法灯は継承される。

黄檗開山隠元禅師渡岸之地

2008年04月07日

坐禅草の群生地 -滋賀県高島市-

坐禅草

研究所の出版に関する仕事で、滋賀県高島市にあるお寺に墨跡撮影に伺いました。
その帰り道、看板に「坐禅草群生地」とあり、これは!と少し立ち寄ってみました。
坐禅草を見て「圧巻」という言葉も変かもしれませんが、すごいです。なかなかこのような群生にはお目にかかれないことでしょう。
琵琶湖の水は美しく澄み、少し寄り道するとこのような場所があり、また白洲正子さんが訪れた隠れ里も点在するこのあたり。またプライベートで訪れたいと思いました。

ちなみにこの坐禅草。いまだかつて茶席で出会った事はありませんが、茶花としても使えます。
どのようなお席でどのような時に使おうか…考えを巡らせるとなかなか楽しいものです。

坐禅草とは…

坐禅草の群生地

こんなに群生しています!

坐禅草の後ろ姿

なんとも愛嬌のある後ろ姿。達磨さんみたいですね。

美しい日本の湖

澄んだ美しい湖。

2008年04月04日

椎茸栽培

コマ菌打ち込み作業

寺山を通る林道を拡幅することになり、邪魔になるクヌギの木を伐採することになった。先日、檀家さんらによって切り倒されたクヌギの木が椎茸栽培用の原木に玉切りされ、50本ばかり寺に届けられた。

今日はその原木への椎茸菌の植え付けである。
作業は、原木に専用ドリルで均等に穴を開け、その中にコマ菌と呼ばれる椎茸菌を金槌で打ち込んでゆく。(写真1)

原木の太さにもよるが、1本あたり約30~40個のコマ菌を打ち込むことになる。単純な作業だが1人でやるとなると結構時間がかかる。打ち終えた原木は井桁に積み上げる。1袋分を打ち終えても10数本原木が余ってしまった。これは菌を入手しだい改めて打ち込むことにする。(写真2)

井桁

今回は太い原木を使いヒラタケとナメタケの植菌も行った。これは玉切りにした木工面にオガクズや米ぬかを入れた混合種菌を塗り付けてサンドイッチ状に重ねてゆく。(写真3)

サンドイッチ状

ほぼ一日をかけての作業が終った。境内の掃除ばかりの普段と違い、今日は久しぶりに充実感のある作務だった。

椎茸といえば、道元禅師が中国に渡った時、阿育王寺の老僧が禅師の乗った船に椎茸の買い付けに来たという逸話がある。
また、干し椎茸は出汁としても重用され精進料理には欠かせない食材である。

椎茸が収穫できるのは来年の秋頃になる。さて出来具合はいかがなものだろうか。

2008年04月03日

霊鑑寺の春 哲学の道

有名な月光

特別公開中の霊鑑寺(左京区鹿ケ谷)を訪れました。
毎年、椿の見頃と紅葉の美しい頃、公開されます(今年は4/6まで)。
昨年も参りましたが、やはり今年も心洗われる美しい椿を拝みたい。椿参拝です。
あまりに美しい椿を見ていると、不思議だなぁ…という気持ちになり、お釈迦様が金波羅華一輪をお示しになられた事を思い出します。

尼門跡寺院といえば、前回の禅と文化の旅にて、奈良の円照寺(後水尾天皇の第一皇女、梅宮さまが開山)を拝観させていただきましたが、こちらは同じ後水尾天皇の皇女、多利宮さまが開山です。
明治維新まで皇女などが入寺されたため、「鹿ケ谷比丘尼御所」「谷の御所」とも呼ばれます。
代々皇女が入寺された寺は、どことなく雅な感じが漂い、凛としつつも女性らしい優しい空気が流れているような気がします。
それでは、今年の椿を是非皆さまに…。

哲学の道も桜は満開。そして、水仙、ミツマタ、クリスマスローズ、レンギョウ、雪柳、石楠花、あらゆる花が咲き誇っていました。

秋の霊鑑寺
昨年の椿

ほころんだ蕾

散椿

散椿

哲学の道

ミツマタの大木

こんなところから…

2008年04月02日

西小路通り

西小路通り

花園大学キャンパスの西側を南北に通る道が西小路通である。南から太子道までは広く快適な道だが、大学付近は依然として狭隘な道だ。もちろん一方通行である。

ずいぶん以前から拡幅計画があるようだが、最近はあらかた用地買収も完了したようで、丸太町通りとの交差点には信号機も設置された。
 
道路が拡幅されると自動車の通行もスムーズになり、歩行者も歩道を安心して通ることができる。しかし、そのぶん自動車の通行量は増える。歩行者の道路横断は難しくなり、両側の町は分断される。
 
そのような状況が各地でしばしば見られる。道路整備は重要だが、人々のつながりを壊さないような配慮が必要であろう。

2008年04月01日

乾山の芸術と光琳 -京都文化博物館-

乾山の芸術と光琳

京都文化博物館にて、4/13(日)まで、-乾山の芸術と光琳-展が開催されています。
ご存知のとおり、この尾形光琳(1658-1716)・乾山(1663-1743)の兄弟は、京都の呉服商雁金屋の生まれで、兄弟共に非凡な才能を発揮した、当時を代表する絵師と陶工です。

この乾山が、二条綱平公から与えられた山荘に開いた鳴滝乾山窯の窯跡は、今は研究所によくいらっしゃる和尚さんのお寺、法蔵禅寺の敷地内にあります。
そちらの窯跡での近年における発掘調査の全貌が公開されており、今まで様々な美術館で見てきた乾山の作品の裏側までもがわかるようで、非常に興味深い内容となっていました。
お花見はもちろんのこと、京都の土地や歴史が育んだ素晴らしい芸術、文化も味わいに是非いらしてみて下さい。