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2008年08月21日

赤塚不二夫さん

漫画家の赤塚さんが亡くなって、久しぶりに、氏の「茶碗蒸しとスプーン」の会話を思い出した。スプーンと茶碗蒸しが描かれていて、スプーンの吹き出しに「あなたもう寝ましょうよ」とある。それで私は心の芯まで愉快になってしまった。スプーンも茶碗蒸しも、その役割を軽々と逸脱して、信じられないほど無意味に、しかし堂々とそこに描かれている。

別の図柄。頁の上の方におてんとうさまが描かれ「ポカポカ」とある。そのお日様の下のほうで若者たちが殴り合いをやっている。「ポカポカ」は殴り合いの音だったのだ。その絵を見た秀才の友人が、「赤塚は天才だね」と言ったのが何十年も昔のことだ。今思い出しても、その情景は色あせない。

8月5日の朝日の朝刊に、鶴見俊輔先生が、「赤塚不二夫さんを悼む」という追悼文を寄せておられる。
「一代の奇才、赤塚不二夫の逝去を惜しむ。赤塚不二夫を見るようになってから四十年あまり、まだその影響の渦の中にいる」という書き出しで始まるその文には、赤塚さんの造語もいくつか引かれている。「ガバチョ・トテシャン」(薬はまだか)、「タネプップー」(スイカ)。飛び跳ねる馬の情景を「パカラン、パカラン、パカラン」と何十コマも描く。鶴見先生はこの筆力を、「ゼロ歳児にもどった生命力の裏づけによる」もので、「その生命力の無法な羽ばたきが、今も私の耳にある」と書いておられる。

赤塚さんの漫画の数々を思い出してみると、どの楽しさにも、楽しさだけがある。赤塚さんのギャグは、出会ったときと同じ新鮮さを今も保っている。いずれにも「法(しばり)」というものがすっぽりと抜け落ちているからだろうか。

2008年08月18日

ブログ再開

福山_明光院

ご無沙汰致しております。
皆さま、お盆はいかがお過ごしになられましたでしょうか。

私事ですが、小さい頃の記憶というのは断片的にとても鮮やかに残っています。
毎年皆でお墓へとご先祖様をお迎えにいき、お供えものには茄子や胡瓜に割り箸が刺され、いつもより豪華に色々な物があり、なんだかこの時期だけに登場する特別な提灯がずっと灯りをつけられ飾られている光景です。
子供ながらに「特別な日、大切な日」というのを感じていました。今になって記憶をたどり、考えてみると、子供というのは、親が思っているよりも色々なものをちゃんと見つめて、考えて、わかっているものだなぁ…と思います。
だからこそ余計に、子供には伝えるべき事はしっかりと! と思う今日この頃です。

お盆が過ぎたというのに、まだまだ暑い日が続きそうですが、どうか皆さま健やかにお過ごしください。
本日よりまた、宜しくお願い致します。

2008年07月02日

普通の水

四国 石鎚山

ミネラルウオーターを飲んだ。
いろいろとミネラルが添加された「おいしい水」なのだそうである。
その水を見ながら考えた。この水と同じぐらいのミネラル分を有する天然水というのは、どこに行けば飲めるのだろうか。

そして、いろいろと水の綺麗そうな場所を思い浮かべ、おいしく水を飲みおわり、さて使ったコップを洗おうと蛇口をひねって、また考えた。いま飲んだ水と、このコップを洗おうとしている水と、どこがどのように違っているのか。

また、そういう時にかぎって、たまたまペットボトルの水を買っていた。ちなみに、ラベルによると某外国から輸入されているものらしい。

残り少なくなったペットボトルをながめながら、ミネラルウオーターが出てきた時には、「お金を出して水を買うなんて」とおもっていたことや、「水の臭い」と信じていたものの正体が実は「塩素」だったことなどを思い出した。しかも、このペットボトルに入っている水は外国から輸入されたものである。資源開発につながる地球規模の環境破壊にはじまり、天然資源の切り売りによって獲得される保有国の利益、そもそも水とは本来誰のものなのか、はたまた今日の研究成果の俎上にある人工的につくられた、さまざまな「おいしい水」が飲めることが本当に幸せなのか、などなど、そんな思いが浮かんでは消えていく。

そんなことにさんざん時間を費やしたあげく、ふと思った。
いつでも、どこでも、ただで、普通の水が飲めたらいいのに。

でも、普通の水ってどんな水なのだろうか?

2008年05月09日

どですかでん

映画監督の黒澤明氏が亡くなって十年になるという。

黒澤監督の初カラー作品「どですかでん」は評価が二分した。とくに日本での評価は非常に低かった。

私はこの作品が好きで、当時映画館で二度見た記憶がある。
「どてすかでん」というのは、自分を電車の機関士と信じる少年が、作中で発する電車の擬声語である。夢の島で撮影されたというこの作品に登場する町は、想像を絶するような掃き溜めであったが不思議に美しい印象が残っている。
各々に過去を背負って町に流れついた登場人物全員が作品の主人公である。零落してなお過去の栄光のみに生きる子持ち男、智恵遅れの少年と、やたら「南無妙法蓮華経」を唱えるその母親、妻の姦淫が原因で完全に自己に閉じこもったインテリ、正体不明のご隠居、荒くれ人夫たちや破天荒なその妻などなど。日本の極貧の町の縮図である。
ある日、荒くれ男が怒り狂って雨のなか刀を持ち出して振り回す。だれも怖くて近寄れない。住民のひとりである「ご隠居」が近づいて、何やら言う。男は刀を振り回すの止め、うなだれて家に帰る。しばらくあとに、別の住民が刀を引っ込めた理由を尋ねる。荒くれ男が答える、「あんとき、ご隠居がこう言ったんだ、〈お一人ではお疲れになるでしょうから、私が代わりましょう〉。おれは何も道路工事をやってたわけじゃねえんだよ」。
黒澤作品に一貫するのは深いヒューマニズムだが、どの作品にもどこかしらユーモアがある。

日本での酷評による黒澤監督の落胆は大きかったと聞く。綿密かつ大胆な映画作りで定評のあった巨匠はまた繊細な芸術家でもあったのだ。名高い「羅生門」も当初日本での評価は極めて低く、大映で制作に関わった重役たちは全員飛ばされたという。
しかし1951年にこの作品がヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞すると、国中が手のひらを返したように黒澤氏を大監督と呼ぶようになったのは周知のことである。

黒澤作品には、いずれも世界に通じる〈普遍的な映画の言語〉があると看破したのは映画評論家の淀川長治氏だが、大戦後、欧米一辺倒となってゆく風潮のなかで、それまでと変わることなくどっしりと腰を落ち着けて、極めて日本的な風土・人々を描き続けた監督が、世界の圧倒的な共感と賞賛を得たのは愉快で嬉しい。

1970年代の終わり、時にはあからさまな人種差別の眼差しに射られながらフランスで勉強していた私が、当時もっとも誇りとしたのは、黒澤明と同国人であるということだった。

2008年04月22日

ユニバーサルデザイン

電卓

私たちの身のまわりには、0から9の数字のボタンが付いた機器がたくさんあります。
電話や電卓をはじめ、パソコンのキーボードやテレビのリモコンにも数字のボタンが付いていますが、それぞれの機器によって数字のボタンの配列に違いがあります。
電話は上から下へ、電卓は下から上へと数字のボタンが並んでいます。この違いに違和感を覚える方もいらっしゃるのではないでしょうか。

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2008年04月16日

播磨灘物語 -黒田如水邸趾-

黒田如水像(崇福寺蔵)

司馬遼太郎の『播磨灘物語』を読んだ。戦国時代の武将・黒田孝高(官兵衛)が、立身していく物語である。のちに出家して黒田如水と名乗るので、その方が有名かもしれない。官兵衛は「かんべえ」と読むものと思っていたが「かんひょうえ」と読むようだ。

黒田はもと今の滋賀県北部にある木之本町黒田の出身とされる。ただし、この時代の出身地については、信憑性に欠けることも多く定かではない。祖父の代に播州に入り、小大名である小寺家に仕え、官兵衛はのちに姫路城代となり、東には織田信長、西には毛利輝元の二大勢力の狭間に位置することになったが、早くから織田につくべく主君を説得し、また孤立もし、まさしく戦国の世の中を突き進んでいくことになる。
その後、中国地方の平定のために出向く秀吉の軍師として、その力を発揮していく。特に、備中高松城攻略の際の巨大な堤防を築いての水攻め、そして直後の本能寺の変を聞いての秀吉軍の中国大返しを進言したのは、この黒田官兵衛なのである。

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2008年04月02日

西小路通り

西小路通り

花園大学キャンパスの西側を南北に通る道が西小路通である。南から太子道までは広く快適な道だが、大学付近は依然として狭隘な道だ。もちろん一方通行である。

ずいぶん以前から拡幅計画があるようだが、最近はあらかた用地買収も完了したようで、丸太町通りとの交差点には信号機も設置された。
 
道路が拡幅されると自動車の通行もスムーズになり、歩行者も歩道を安心して通ることができる。しかし、そのぶん自動車の通行量は増える。歩行者の道路横断は難しくなり、両側の町は分断される。
 
そのような状況が各地でしばしば見られる。道路整備は重要だが、人々のつながりを壊さないような配慮が必要であろう。

2008年03月27日

美しい琵琶湖 -春の夕焼け-

琵琶湖畔から望む夕焼け

高校生の頃、漕艇部に在籍していた私は、今も琵琶湖を見るたびに、美しいと思う。
日本一の大きさを誇る琵琶湖は、季節や日、そして時間によって、全く異なる顔を見せる。
春分の日を迎えたとはいうものの、まだ冬の名残を見せ、琵琶湖にしては荒い波の打つ夕暮れである。
5月後半にもなると、波もたたずだいぶ静かになり、おちついた湖となるのではあるが。
今年は雪も多かったので、夏の渇水もいくらかましではないだろうか。

琵琶湖の水は周辺の生活用水の下水化が進むにつれ、一時期よりだいぶきれいになったとは思う。下水が整っていないころは、琵琶湖の富栄養化防止のために家庭廃水を浄化し、中性洗剤ではなく、必ず粉石鹸を使用するようにと住民運動をされていたが、そういえば最近はあまり聞かなくなった。
太古からある、この美しい湖を、我々の時代にもきちんと守っていきたいと思う。

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2008年03月25日

改築中

改築中

現在、築28年になる私の実家では、改築作業の真っ最中です。トイレ、風呂、キッチン、リビングと順に作業が進みます。
先日、久しぶりに実家へ帰ってみると、家族団欒の場であった居間が取り壊され、柱がむき出しの状態になっていました。
ふと懐かしい思い出がよみがえりました。居間に家族が集まり、食事をしたり、テレビを見たり、正月にはトランプをしたり、時には逃げ出したハムスターを捕まえようと必死になったことも思い出しました。
小さい頃から慣れ親しんだ部屋が無くなるのは寂しいですが、きっと新しい部屋にもたくさんの思い出ができることでしょう。改築の完成が楽しみです。

2008年03月04日

「御大切に」

福寿草

上田閑照先生の新刊書『言葉』(岩波現代文庫・哲学コレクションⅢ)。謹呈の栞に、「言葉の問題」は私の思想の動脈であったことに気がつきました、御大切に、と御書き添えくださった。

「御大切に」という先生の「言葉」が、ほんとうにありがたい。先生のあたたかさが静かに心にひろがって、ご本を頂戴した日は、雪が降りしきっていたけれど、一日中あたたかだった。今もご本を手に取ると、なおあたたかい。おそらく先生は、書を認められるとき、「御大切に」という言葉をお書きになるだろう。しかし先生が私にくださった「御大切に」は、たったひとり私のためにお書きいただいた唯一無二の「御大切に」で、天地一杯の「言葉」だ。そのことが何やかやと心騒がしい日を送る私に底知れぬ勇気を与えてくれる。


本書で、上田先生は、西谷啓治先生の「言葉」を次のように記しておられる。

――西谷啓治先生のもとで私は哲学を学び始め、先生が生涯の師となった。四十代半ば、その二、三年来の経験に打ちひしがれて、先生に「すべてがいやになりました」と訴えたとき、一呼吸、間をおいて先生は言われた、「それはいいことだ」と。これはその弟子の存在を別調に転ずる一転語になった。――

2008年02月08日

病気にならない生き方

研究所前の花壇に咲く水仙

幼なじみに強く薦められて、新谷弘美著『病気にならない生き方』(サンマーク出版、2005)を読んだ。
母を膵臓ガンで亡くしたとき、木をみてまったく森をみない現代医療に対して強烈な不信感を抱いてしまった私は、この書の著者が、大腸内視鏡によるポリープ切除を世界で初めて手掛けた権威ということで、読む前からちょっと引いていた。
昏睡状態ですべてを受け付けなくなっていた母の腕には最後まで点滴注射が打ち続けられ、腕は二倍もの太さに腫れ上がっていた。「どうしてこんな無意味な点滴を続けるのか」と詰め寄った私に、ある意味誠実だった主治医が「これが現代の最善の医療なのです」と言ったのであった。

新谷(しんや)先生は9万件以上のポリープ切除を行なってきたが、40年に亘って一度も「死亡診断書」を書いたことがないという。大腸ガンなどのシリアスなケースを多く手掛けながら、「ガンの再発率ゼロ」という結果を出してきたからのようだ。
本書は、「何を食べて、どんなふうに生活するか」を具体的に示すことによって、「病気にならない生き方」「病気を再発させない生き方」を説いたものである。しかし、「健康オタク」系の本ではまったくない。40年を越す臨床医としての経験からくる信念と「だれもがよりよく生きてほしい」という祈りが随処に感じられるのである。

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2007年10月26日

「鍛える」ということ

警策

日々、黙々と坐禅をする友人の研究者が、「規律やしごきで人が悟れるなら、どうしてアウシュヴィッツの囚人たちは悟らなかったのだろう」と言ったことがある。

相撲部屋のしごき騒動が云々されている。激しいぶつかり合いの稽古が禁止されれば力士たちの教育が根本から揺らぐとの声もある。

かつて梅林僧堂で修行をされた加藤耕山老師(1876~1971)が、臘八摂心(12月1日から釈尊成道の12月8日まで僧堂で行なわれる不眠不休の修行)の様子をこう語られている。


梅林寺という所は、ほかの時は別だが臘八だけは思いきって叩きよりますからね。(中略)堂内のほうでは直日(じきじつ、禅堂内での総取り締まりの役)は「独参をせよ、グズグズ坐っておっても何もならん、独参せよ」と。そうすると行くんですな。行くと大庭の所に助警というのが五、六人警策を持って立っている。「何ウロウロしとるか、そんなドイツイことで老師の前に行って何になるか。しっかり坐って来い、禅堂へ行って坐ってこーい」。それでも禅堂へ行くと叱られて追い出されるから、我慢はって行こうとする。ナニクソと、もう暴力ですな。一人や二人ならいいが、四人も五人もおって、なかには柔道何段なんていうやつがおって、しまいには真剣になってやりだすんじゃ。(中略)坐れというのならいくらでも坐っておるんじゃけれども、両方ではさみ打ちする。一方は「行け」というし、一方は「いかん、行くな」とこういう。無理ですわね。それがもう、実に悲惨ですからね。バタバタバタと、まるで戦場とちょっとも違わん。血相を変えてやりますからね。あまりバタバタ、ガタガタやるから、老師が心配さっしゃるです。「えろうゴタつくが、どうも修行はそんなもんじゃないがねえ。あやまちでもできるといかんから、たいがいにするように」と。わたしが古くなってからですが、「老師、心配しなさるな。存外心配なさることはありませんよ」と、なだめよったがな。そりゃそんなふうで、「あんまりこういう時代のことだから、たいがいにしておかないと」と、これをやめた老師があったですよ。そしたらあんた、もうちいっとも気がのらないですよ。沈んじまって、どうもいかんです、……


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2007年10月09日

貪(むさぼ)る

いがぐり

米国の食品医薬品局(FDA)は、2006年12月に、「クローン動物およびその子孫の肉や乳は、我々が日々摂食する食品と同様に安全である」という発表をしたという。クローン動物の肉・乳の販売が合法化されれば、アグリビジネス企業は、その製品を販売することはもちろん、製品がクローンであるか否かの表示義務も課せられない。
かつてFDAは、死んだ家畜を生きた家畜に与えてもまったく問題はないとの見解を示した。しかし、牛海綿状脳症(狂牛病)の恐怖が世界を駆け巡ったことは記憶に新しい。
企業レベルでクローン化の採算が取れるようになれば、世界におびただしい数存在している米国発のファーストフードのチェーン店などで、早晩、規制の網をスルリと通り抜けた無表示のクローン動物の肉のハンバーガーなどが店頭に並ぶことになるのだろうか。
 
私たちはいつのころから、心の痛みを伴わずに、生き物を食するようになったのだろう?

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2007年10月05日

Myお箸でエコの仲間入り

Myお箸

夕べ深夜のニュース番組を見ていたら、東京都では今まで燃えないゴミとして出していたプラスチック容器を、燃えるゴミとして出していいことになるという。 私が住まう町は、ずっと前からプラスチック容器も燃えるゴミで出せていたので、存外意外ではあった。

東京都がこういう方向転換をしたのは、今まで燃えないゴミの廃棄場所として東京湾に埋めていたが、このままであと40年もすると、東京湾内に埋め立てられる場所がなくなることが見えてきたため、ゴミ処理施設の新設や改修して、プラスチックゴミなども高温度で焼けダイオキシンが出にくい処理が可能になったためであるという。
そういう意味では東京都よりうちの田舎町の方がゴミ処理場が先進的だったのであろう。
しかし、女性レポーターが訪れた東京湾のゴミの山は、そのレポーター自身も「絶句し、めげるほどだった」というほどのゴミゴミゴミ・・・。人間の愚かさを露呈しているような光景だった。

そして我が身のことに立ち返る。
常日頃から、できるだけゴミを出さないようにと心がけてはいるものの、なかなか実質的なことができないでいた。そんななか、最近、研究所の我ら編集部員は全員、Myお箸を持つようになった。毎日、昼御飯を購入するコンビニで、「お箸はいりません」と言っている。一度きりしか使わない割り箸を今までどれだけ無駄にしてきたことか……。
ほんの些細なことだが、エコ生活者への仲間入りである。

2007年03月13日

雪の少ない冬でも、なごり雪となるか・・・

先日のニュースで、東京都内では、この冬、一度も降雪を観測していないと言っていた。観測史上初ということだそうだ。
確かにこの冬は暖かい。
つい1週間ほど前には、もう今にも芽が出て桜が開花しそうなほど暖かな日がきたかと思うと、この数日は一転して冬景色である。しかし、例年ではこのくらいの気温が標準なのであり、やはり今年はどうかしているようだ。
先に琵琶湖岸の菜の花畑をご紹介したのだが、その場所とそう遠くない湖畔の朝の模様。

最後の雪になるか・・・

湖西の山は白くなって、鳥たちもいささか寒そうに羽毛を膨らませているようだった。

さて、そこから琵琶湖大橋を渡って、京都へ抜ける途中という町。

途中町の雪景色

堅田からのバスの終点なのに「途中」というバス停のある、この滋賀と京都の県境の峠の町は、昔から若狭から京都へ抜ける重要な物資輸送路で「若狭街道」と呼ばれる街道の中継点だった。
この若狭街道は、若狭で捕れた鯖に塩をまぶして不眠不休で京都まで運ぶとちょうどよい味になっていたため、いわゆる「鯖街道」と呼ばれるようになった。
昔は今よりはるかに雪深く、さぞ難所であったことであろう。

2006年12月25日

良いお年を・・・

雪の天龍寺


本年は、禅文化研究所ブログにお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
禅文化研究所は、明日、平成18年12月26日~平成19年、1月4日まで、冬季休業を頂戴致します。
何かと御迷惑をおかけする事となりますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、7月から始めさせていただいたこのブログですが、文章を書いて皆さんにご覧いただくというのは、
なかなか職員一同にとっても、良い刺激となりました。
また来年(1月5日より再会予定)も、日々皆さんに、新鮮な京都のお話・禅のお話・豆知識、その他職員
のつれづれ日記などをお届けして参りますので、どうぞお付き合い下さいませ。

それでは、皆様どうか良いお年をお迎え下さい。        禅文化研究所 職員一同

2006年10月25日

故郷 -ふるさと-

仏坂 何の人口建造物も見当たらない美しい風景

皆さんは故郷-ふるさと-ということばに、何を思い浮かべられますか。
都会で育った私ですが、祖父母や先祖がいた土地に行くと、感慨深いものがあります。
幼い頃は、何も無さ過ぎる田舎に、ここが父の故郷か・・・となんとなくかっこわるいような気もしたものです。
それが、大学を卒業した頃から、「不便かもしれないが、自然に恵まれた何て美しい場所だろう」と思うようになりました。場所によっては、何の人口建造物も見当たりません。

今年もお彼岸に墓参りに訪れると、高野山・熊野古道などが世界遺産に登録された際に、同じく祖父が眠る寺から見える山(仏坂)も世界遺産に登録されたのだとか。
このような日本の美しい風景が、世界遺産に登録される事によって守られていく事と、登録するに値すると認められた事に、とても嬉しくほこらしく思いました。

清らかでゆったりとした川の流れ

2006年10月12日

百済寺 -ご開帳-

ご開帳でにぎわう百済寺

以前も書いたが、近江の百済寺にて、本尊十一面観世音菩薩のご開帳(9/18~10/27)があり、参拝した。
今まで見たことの無いようなお顔のように思った。
つらつらと感想を書くのも気が引ける。是非この機会に近江まで足をお運びいただきたい。
他に湖東三山の、西明寺・金剛輪寺も同時に秘仏が公開されている。

2006年09月20日

ガラスは液体!?

ガラスと水

「ガラスは液体だ」
ある人が、こう主張しているのを聞いて、はじめは「またお得意の詭弁が始まった」程度に聞いていた。
しかし調べてみると、満更嘘でもないらしい。むしろ化学の世界では常識に属することのようだ。

我々の感覚においては、ガラスはどう見ても固体にしか見えない。しかし化学的に見た場合、ガラスは固体に特有の結晶構造をしておらず、液体のまま過冷却された「ガラス状態」という状態にあるとのことである。
たしかに、ガラスを熱すると次第に柔らかくなり、流動化する。中学校で習った、いわゆる融点というものがない。また、常温でもごくわずかではあるが、流動性を示すらしい。つまり、ガラスとは非常に粘性の高い液体、例えば硬い水飴のようなものとイメージすれば良いのだろうか。

ガラスは硬くて脆く、その破片はとげとげしい。繊細で傷つきやすい心をガラスの心と喩えたりもする。それに対して液体の代表格である水は、古来その適応性や柔軟性が賞讃されてきた。老子は「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る」と述べ、白楽天も「水は方円の器に任ず」と吟ずる。
この全くの正反対にみえる二つの物質が、実は同じ「態」に属するのである。
人も、目に見える性質の背後に、いかなる本質が隠されているのか分からない。表面的な性質だけで物事を判断してはならないと、改めて思った次第である。
(T.F Wrote)

2006年08月29日

事務室改装

明るくなった事務室

先週末、当研究所の事務室と応接室の内装工事を行なった。壁紙と床を貼り替え、天井を塗装し、カーペットや窓の洗浄を行なうというもので、比較的仕事量の少ないこの時期を選んで行なった次第である。しかし事務室を空っぽにする作業はなかなか大変で、ロッカーや机を移動するために詰め込んだ書類は段ボール箱90個にもなり、また元に戻すことを考えると、少々気が重くなる。

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2006年08月22日

寂しいポスト君

研究所のポスト君

研究所の玄関横に、デッカイポスト(郵便受)がある。 15年ほど前に新調、ガッシリした郵便受だが今は使われていない。時々請求書が寂しく入っている。
それにしても、最近の郵便局のサービスぶりには目を見張る思いだ。 民営化の波は彼らを本気で働かせているようだ。

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2006年08月17日

「沖縄病症候群?」

「沖縄病」という病気があるらしい。ちなみに今日(8月8日現在)、「沖縄病」をGoogleで検索した結果、「116,000」件にものぼり、この数値は「ニコチン依存症」を検索した「94,500」件よりも多い。

この「沖縄病」とは、インターネット百科事典の「ウィキペディア日本語版」によると、「この言葉を最初に使用したのは、茅誠司と言われる。1960年に沖縄教育研究中央集会の講演で、『沖縄のことを考え続ける沖縄病』という表現をしたことに端を発」し、「沖縄の魅力に取り付かれ、高い飛行機代をものともせず通う人や、果てには移住してしまう人を指」しており、その代表として宮本亜門等の芸能人があげられている。

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「沖縄病症候群?」

「沖縄病」という病気があるらしい。ちなみに今日(8月8日現在)、「沖縄病」をGoogleで検索した結果、「116,000」件にものぼり、この数値は「ニコチン依存症」を検索した「94,500」件よりも多い。

この「沖縄病」とは、インターネット百科事典の「ウィキペディア日本語版」によると、「この言葉を最初に使用したのは、茅誠司と言われる。1960年に沖縄教育研究中央集会の講演で、『沖縄のことを考え続ける沖縄病』という表現をしたことに端を発」し、「沖縄の魅力に取り付かれ、高い飛行機代をものともせず通う人や、果てには移住してしまう人を指」しており、その代表として宮本亜門等の芸能人があげられている。

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2006年08月16日

ブラックブラックガムの香り

先日、岡山県の蒜山高原にある蒜山ハーブガーデン・ハービルを訪れた。庭園には様々な種類のハーブが咲いており、その先には紫色に染まったラベンダー畑が広がっていた。さらに丘へと進むと蒜山三座が一望できるとても気持ちの良いところだった。
庭園へと進むと案内係の方が「このハーブの葉の裏を指でこすって香りをかいでください。ブラックブラック(ガム)の香りがしますから」と来園者に説明していた。私もその説明を聞きながら、実際にハーブの葉の裏を指でこすって香りをかいでみた。すると、たしかにブラックブラックガムの香りを感じた。
しかし、よく考えてみるとおかしな話だ。

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2006年08月11日

お盆雑感

蓮

今年もお盆の季節がめぐってきた。
八月十五日前後の日本が、なんとも言えない不思議な雰囲気に包まれるのを感じるのは、私だけではないであろう。これは、終戦記念日も含めて、日本が、死者とともにその数日間を生きるからに違いない。
田舎出身の私にとって、祖母とともに盆棚の飾りつけをしたり、迎え火を焚いたりしたことは、しみじみとした忘れられない思い出になっている。その祖母も、数年前に死んだ。
早くに死んだ祖父の戒名の横に、真新しく彫られた祖母の戒名を見たとき、ふと思った。 「ああ、祖母が先に通ってくれたのだ。死出の道を。私も将来、誰も通ったことのない道を行くわけではないのだ」

人は死ぬときは一人だ、誰も身代わりになることはできない。そういう実存的な考え方に支配されていた私を、不謹慎だが、妙な安心感へ導いてくれたのを憶えている。
思えば、祖父母も、その父母も、そのまた先祖たちも、同じように死出の旅路を通っていった。そして我々の先祖もこれまた同じように、死んだ先祖が帰って来ると信じて、この行事を愚直に何百年と繰り返してきたのだ。
昔の人は孤独であっただろうか。孤独であったとしても、よるべき共同体のない現代人とは、また違ったものであったのではなかろうか。
(T.F Wrote)

2006年07月19日

出家希望者

研究所には一般の方から様々な問い合わせが寄せられる。
その多くは禅語の出典などに関する学術的なもの、
あるいは坐禅ができる寺院を紹介してほしいというものである。

ときおり禅僧になりたいという相談もある。禅僧といってもそう簡単になれるものではなく、臨済宗では先ず派に属する寺院の徒弟となることから始まり、専門道場での一定期間の修行が必要となってくる。

先日もAさんという方から出家を希望する電話がかかってきた。

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2006年07月18日

倚りかからず



鷺



先日、某所で雑誌をぺらぺらめくっていたら、あまりに有名な茨木のり子さんの「倚りかからず」が出ていました。

触れたのは久しぶりでしたがやっぱりいいなと思いました。
ご存知の方も多いと思いますが、以下に記しておきましょう。

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