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善光寺さん -長野-




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長野の善光寺さんにお参りしてきた。
ついで参りはよくないことだが、「牛に引かれて善光寺参り」と言われるくらいだから、まぁご容赦いただこう。
「牛に引かれて善光寺参り」というのは、自分の意志でもないのに、思いがけないことでよいご縁に恵まれたことの例えとして言われる言葉である。またここは、「遠くとも一度は詣れ善光寺、救け給うぞ彌陀の誓願」と、全国各地からお参りにみえる名刹である。
江戸時代には、「お伊勢参り」の帰りには「善光寺参り」をするという風習もあったようだ。

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阿弥陀如来を御本尊に善光寺はてっきり単立寺院かと思っていたのだが、実は、天台宗「大勧進」と浄土宗「大本願」からなる両方の別格本山とされているという特殊な形態のお寺だ。
雪が残る境内には、まだお正月の初詣として参詣されている人が多く、たいへん賑わっていた。

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線香をお供えし、本堂へと進み内陣にお参りすると、子供の頃、家族に連れてこられた記憶が蘇ってきた。
御本尊の真下の真っ暗な床下を手探りで歩き、「極楽の錠前」に触れることで、自分の往生の際に阿弥陀様にお迎えに来ていただく約束をするという「戒壇巡り」をさせていただけるのだ。
子供の頃に、真っ暗な中を不安を感じながら歩いたものだと思いつつ、また、阿弥陀如来の約束をとりつけさせていただいた。
ありがたや、ありがたや……。

今年6月には、ダライ・ラマを招待し、長野市内のビッグハット(オリンピック競技場)で講演会が行なわれるとのことである。

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丈六寺 -徳島市-




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曹洞宗の古刹、丈六寺(じょうろくじ)を訪れました。
創建は古く奈良時代と伝わるそうですが、室町時代に阿波国守護細川成之(しげゆき)が中興し、伽藍を整備したとの事。江戸時代には藩主の蜂須賀家の庇護を受けていました。

数々の寺宝が伝わる事と、拭っても拭っても消えなかったという血天井が有名で、徳島を訪れた旅人もこちらを訪れるらしいのですが、11月の初めに訪れたところ、友人と私のみでひっそりとしていました。
苔むした数々の墓、古い伽藍、戦国武将達の思い、静かな中に様々な空気を感じる古刹でした。

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秋深き永源寺にて




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先にブログ禅で報告した、第8回西村惠信所長といく“禅と文化”の旅で訪ねた永源寺。紅葉の事前情報では「色づきはじめ」といったことだったが、訪ねてみると、まだ緑の葉も残すものの、真っ赤に紅葉した葉も有れば、黄色く色づいた葉もあり、見事なグラデーションを見せていた。

今回は、そんな永源寺の紅葉や山内をご紹介します。小雨のあとだったせいで、却って色も引き締まって、さらに美しくみえました。

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もう少しお楽しみください。⇒

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伊勢神宮献茶式




遷宮ご修造のひとつ“宇治橋の架け替え”

10月10日、雲1つない高い空、澄みきった空気のもと、伊勢神宮のお献茶(表千家家元奉仕)にでかけてきました。寺院での献茶式にはよくでかけますが、神社は初めて。雅楽や神楽の奉納もあり、また違った日本古来の伝統を感じ、感謝する良い機会をいただきました。

さて、伊勢神宮には何度かお参りさせていただいていますが、訪れる度に“気づき”があります。
これからも幾度となくお参りすることでしょうが、その度に何か感じる事、思うところがある事と思います。
何百年も生き続けている木々の間を歩くだけでも心底気持ちの良いものです。

お伊勢さんの大木


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弥彦神社 その2 -新潟-




美しい千羽鶴

お参りを済ませた後、弥彦神社の境内を散策してみた。
本殿に入るには、神門とよばれる門があるが、ここに絵馬がかかっていて、一緒にひときわ色鮮やかで美しい千羽鶴が奉納されていて目を引いた。

神門の両側には古さを感じる苔むした狛犬がじっと参詣者を見つめているようだ。
それから、こういった古い神社仏閣にお参りすると、灯籠も気になって、おもわずファインダーにおさめてしまう。この灯籠もなかなかいい形だ。

苔むした狛犬

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弥彦神社 その1 -新潟-




弥彦神社の鳥居

良寛さんの五合庵のある山続きに、弥彦山という山があり、そのふもとに越後国一宮の弥彦神社(いやひこじんじゃ)がある。地名は「やひこ」と呼ばれるので、通常は「やひこじんじゃ」とよばれるが、古くは「おやひこさま」と呼ばれていたという。
越後の国の開拓神・伊夜彦神(天香山命)をお祀りしている。

古来は万葉集に、
「伊夜比古おのれ神さび 青雲のたなびく日すら 小雨そぼ降る」
「伊夜比古 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮衣きて 角つきながら」
という歌が残されている古い神社である。

御手洗の川

鳥居をくぐると、清涼な流れの御手洗の川があり、杉の大木に覆われた参道を歩く。
一旦左に曲がるところに社務所があるが、その近くに椎(しい)の御神木があり、その前に良寛禅師の「御神木讃歌」というものが掲示されていた。

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良寛さんの地 五合庵・国上寺 -新潟- その2




香児山

五合庵・国上寺行の続きである。
国上寺の各堂宇から、山を下っていくと、ふと左手に香児山(かごやま)という小さな塚のような丘があり、そこには上のような石像が林立している。丘の上には小さな廟もあった。
この地は天香児山命伊夜比古(あまのかごやまのみこと いやひこ)の神が鎮座された場所ということで、弥彦神社の神が御神託をされた廟所であるとの札がある。つまり、国上寺を建立するように託宣された場所なのであろう。
神々しい空気に包まれ、石段を一段一段降りておくことになる。
すると、ひっそりと五合庵がたっていた。横には良寛さんの句碑も建っている。

五合庵

五合庵の中には、良寛さんがお酒を好んだことからか、日本酒が供えられていておかしかった。
ただ、まいったのは蚊の大群に襲われたことだ。この五合庵辺りにだけ多いので、ひょっとするとこれは、良寛さんが虫を殺すようなことをせず、慈愛に満ちた人であったから、蚊もこの地を選んで住んでいるのではないかと思えたのだった。

お酒を供えられた良寛さん


『良寛和尚逸話選』(禅文化研究所発行)

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良寛さんの地 五合庵・国上寺 その1 -新潟-




国上寺境内にある良寛像

夏休みの終わりに、かの良寛さんの地、新潟県は寺泊にほどちかい、国上寺・五合庵を訪ねてきた。
良寛さんというと、曹洞宗の僧侶で、子供が好きで、かくれんぼをして皆が帰ったのにも気付かず、ずっと朝まで隠れていたとか、軒先を突き破って伸びてきた筍のために板を外したりして伸びられるようにしたといった、やさしいやさしい逸話が有名だ。
ただ、良寛さんの像は、どれも何か厳しい顔をしていて、子供たちに優しかったというイメージと違うように感じてしまうのは、私だけだろうか。

とまれ、この良寛さんは、岡山県は玉島(倉敷市)の円通寺で修行をした後に、各地の名僧を訪ね歩き、新潟にもどって、約20年、五合庵に住まいしたという。
この五合庵という庵は、真言宗の国上寺という越後最古の古刹の境内地にある小さな庵だ。まずは国上寺へとお参りした。

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三重県名張市の木地師さん -加計仏具店-


修復する仏像

よくお世話になっている恩人の案内で、素晴らしい木地師さんの仕事を拝見させていただきました。
“木地師”と聞くと、皆さんはどのようなお仕事を想像されますか?
私は一番に浮かぶのは、漆を塗る前のお椀やお盆などの原形を作る職人さんでした。
今回は、仏壇仏具、その他寺院神社などに関係する多くの物をお作りになられている木地師さんです。
様々な職人さんのお仕事を拝見していますと、「職人さんの仕事には規格というものが無い分、本当に自由で幅広いなぁ……」と思う事が多々あるのですが、まさに今回もそうでした。

【加計仏具店】
代表作は、知恩院さん所蔵の『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』を図像化した「観経曼荼羅(かんぎょうまんだら)」の軸を、厨子におさめ立体的にあらわした立体曼荼羅の木地制作です。軸に描かれている世界を立体的に…なわけですから、その仕事たるや、素人の理解の枠は超えに超えていました。
言葉では表現できませんので、HPの画像をどうか一度ご覧になってみてください。HPの納入例のページには、実際の立体曼荼羅の画像もあります。
木地の部分を加計さん親子がお作りになり、その他に、塗師や彩色師、仏師など様々な職人さんの手が加わって漸く完成をみる、後世にずっと伝えていきたい日本の仕事です。

たくさんの彫刻刀 たくさんの小さなカンナ


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坂本龍馬の地、桂浜




桂浜にて

来年2010年のNHK大河ドラマは『龍馬伝』、坂本龍馬の生涯だ。
その先取りと言っては何だが、雪蹊寺を訪ねた後に龍馬ゆかりの地、桂浜へ向かった。
海岸沿いの道路に出ると、広い広い太平洋が広がる。とくに海無し県で生まれ育った私にとっては、水平線を見ると一方ならならぬ感動を覚える。
どちらかというと日本海を見る機会の方が多いが、日本海よりも太平洋には何か、より大らかなものを感じてしまうのだ。皆さんはどうだろう。

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山本玄峰老師のこと 2




四国八十八カ所霊場・第三十三番・雪蹊寺

雪蹊寺境内

高知県高知市にある、四国八十八カ所霊場・第三十三番・雪蹊寺(臨済宗妙心寺派)である。桂浜にほどちかい、このお寺を旅の途中で訪ねた。もともと真言宗であったが廃寺となり、戦国時代に四国全域を治めた長宗我部元親の手によって臨済宗の寺院として復興され、長宗我部元親の菩提寺となった。

今年のお正月に、和歌山にある山本玄峰老師の生誕の地を訪ねた事について、このブログで書いた。
この同じ年に、今度は玄峰老師の得度の寺を訪ねることができた。

前のブログでも書いたとおり、老師は和歌山県に生まれ育ったのだが、青年期に失明し、眼が光を失った。それを憂えて死に場所を求め、四国八十八カ所の遍路を歩かれたという。
七度目の遍路の途中、三十三番・雪蹊寺の門前で行き倒れとなったところを、当時の住職であった山本太玄和尚に助けられ、下男として働く内に得度を受け出家されたのである。

山本太玄和尚の塔

出家の後、修行を重ねられて、松蔭寺や龍澤寺などの白隠道場を復興されることになる。
そのため、弘法大師にたいするご恩を忘れられず、生涯にわたって、さらに四国遍路を繰り返され、その数は17回にも及んだという。

雪蹊寺の山門を入ったすぐ左に、上の太玄和尚の塔があり、そのすぐ隣に、山本玄峰老師のブロンズ塔と、その孫弟子にあたる鈴木宗忠老師(私の僧堂時代の師匠)のブロンズ塔が建てられていた。
実はこのブロンズ像の寄贈者は、W氏という方で、龍澤寺で修行した縁のある私たちのお寺にも、玄峰老師と宗忠老師のブロンズ像をご寄贈いただいている篤信家である。

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岡山 倉敷 美観地区




倉敷美観地区の風見鶏

倉敷美観地区を、3年ぶりに訪ねた。
前回は携帯でとった写真だけだったが、今回は少々、撮影に気合いをいれてみたので、主に写真で味わっていただけたら幸い。

涼しげな水辺

まだ残暑きびしいさなかではあるが、この美観地区に来ると清涼を感じずにはいられない。
お盆休みも過ぎて、旅行者も少ないからか、少々、ひっそりした感じであった。

それにしても、ホテルでもらった案内地図を片手に歩いているのだが、行こうとしているミュージアムが、あるはずの場所にないのには閉口した。
地図が古いのかもしれないが、観光名所としては、これはいただけない。
今どきの世相を物語っている気がする。有名無実とはこのことなのだろう。おかげでだいぶ散策させていただけたが。
しかし、この風情だけはいつまでたってもこのままであって欲しいと思う。

蔵のある町並み

きっと、この大作を描いているおじさんもそう思っているのじゃないだろうか。

美観地区を描く人
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西国観音霊場 第27番 書写山圓教寺に詣る




第27番 書写山圓教寺摩尼殿

「はるばると 登れば 書写の山おろし  松の響きも 御法(みのり)なるらむ」
西国観音霊場では最も西に位置し、西の比叡山とも呼ばれる、第27番の書写山圓鏡寺にお詣りしてきた。山裾から参詣用のロープウェイで山頂まで上り、三十三観音に見守られあがら、木々に覆われた参道を登ること約20分、摩尼殿の下に到着。

摩尼殿に祀られるご本尊は六臂如意輪観音(開山性空上人が弟子の安鎮に命じて彫らせた)で、6月末までご開帳されていたので、間近でそのお姿を拝ませていただくことができた。
ご朱印をいただき、さらに奥にある三つの堂へ歩く。
途中には樹齢七百年とされる杉の巨木や、ツガなどが静かに参詣者を見下ろしている。


樹齢七百年の杉

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山口・洞春寺 -愚堂禅師墨蹟撮影行にて-




洞春寺山門

九州での愚堂禅師の墨蹟写真の撮影を終えた帰り、高速道路が日曜祝日1000円であることをいいことに、少々寄り道をして、山口市にある名刹・洞春寺に立ち寄った。

ここは、南禅寺僧堂師家の清光軒・日下元精老師が住持となっている、建仁寺派の寺院である。
ここは毛利元就の菩提寺としても有名で、山門は、洞春寺の前身である国清寺当時からのものであるとか。

以前にこの洞春寺蔵の嘯岳鼎虎禅師手沢本『山谷詩抄』の影印本を、依頼を受けて制作させてもらったことがあり、どんなお寺なんだろうと思っていたから、幸いの機会である。
嘯岳鼎虎禅師(1528~1599)という方は、この洞春寺の開山であり、もともと博多の人であった。明国入ること二度で各地の名師に歴参され、永禄三年(1560)に帰朝されたという。のちに、建仁寺や南禅寺にも住持されている。そして、毛利元就は禅師に参禅し、この寺を創建するに到るのである。
この開山禅師自らの自筆の抄物という点で非常に貴重な資料である。

ちなみに、山谷詩は、禅僧の中で親しく読まれてきた詩集であるが、双璧となる蘇東坡の詩集と比べると、意外に研究書や解説書が少ないため、そういった意味でも、学識ある禅僧の自筆本として重要な書籍である。

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神仏のおはします島 -宮島・厳島神社-




厳島神社の大鳥居

日本三景の1つ、安芸の宮島を訪れました。
「宮島には旅館などもたくさんある…」と聞いた際には、「島に泊まってまで何をするんだろう…」などと失礼な事を思っていた私。
ですが、船で渡ったその島は、島全体からあたたかい光と力がわき出でるような所で、この島に厳島神社がある事が大いに納得できるのでした。
厳島神社というと平清盛が有名ですが、それよりもはるか昔、推古天皇の時代から神々をお祀りしていたようです。

厳島神社 神殿

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根来寺 -和歌山-




根来寺 大塔と伝法堂

紀州の観音霊場、紀三井寺と粉河寺参詣のあと、根来塗発祥の地である根来寺にお参りした。
新義真言宗の総本山である根来寺は、その巨大勢力を危ぶんだ秀吉の焼き討ち、いわゆる「根来攻め」にあうまでは、寺領2万石、山内に450もの末院を有して僧兵が1万人もがいたような、一大寺院、というより一大宗教都市であったようである。後に紀州徳川家の庇護を受け一部復興をとげたという。
上の写真の左の大塔は焼き討ちからは逃れたもので国宝に指定されている。日本最大の多宝塔ということであるが本当に美しい建物である。内部は円形の内陣があり大日如来を中心に十体ほどの仏像が取り囲むように配置されている。薄暗い内陣に外からの光が差し込み、息を飲むほど美しい情景にひとときみとれてしまった。

となりの伝法堂には、本尊三尊像(大日如来・金剛薩埵・尊勝仏頂尊)が安置されている。大きな仏像だったが、とても静謐な空気が漂っており、参詣者は多かったが誰もが静かに坐って御本尊に見つめられていた。
尊勝仏頂尊という仏様にははじめてお目にかかった気がするが、実際、とても珍しい仏像だという。

根来寺境内に咲くシャガ
根来寺境内に咲くシャガの花。 広大な境内には清流があって、新緑のもみじが美しかった。
新緑の根来寺境内
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西国観音霊場 第3番 粉河寺に詣る




第3番粉河寺

「ふぼの めぐみもふかき こかわでら ほとけのちかい たのもしのみや」
第2番の紀三井寺と同じ日に、程近い第3番の粉河寺(和歌山県紀の川市粉河2787)にもお参りした。
紀三井寺は、楼門や多宝塔が鮮やかな朱色に塗り直されたばかりで、まばゆい印象であったけれども、この粉河寺は重厚な色合いである。
ここは階段は少ないお寺で、山門をくぐってから敷石の上を、境内を流れる清流沿いに本堂へと歩んでいくと、蓮の花をかたどった御手洗がある。とても美しい造形だ。

御手洗
御手洗のすぐとなりにある中門もまたしかり。「風猛山」の扁額は、紀州徳川十代藩主治宝侯によるものらしいので、この門も何か東照宮の建物のような形のような気がするのは私だけだろうか。

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西国観音霊場 第2番 紀三井寺に詣る




紀三井寺参道



「ふるさとを はるばるここに きみいでら はなのみやこも ちかくなるらん」
西国観音霊場 第2番 金剛峰寺護国院(通称・紀三井寺/和歌山県和歌山市紀三井寺1201)にお参りした。
鮮やかな朱色に塗り直された立派な楼門(室町時代建立)をくぐり、両側にいろいろなお堂がある石段を昇る。
山内に湧き出る3つの名水井戸があり、このため古くから紀三井寺と呼ばれてきたようである。またお参りした時には終わっていたが、桜の名所としても有名で、和歌浦を見下ろす山内が、沢山の桜の花に囲まれる様子が容易に想像できる。
下の写真は、三井水の一つ清浄水。



三井水の一つ清浄水


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西国観音霊場 壺阪寺

壺阪寺山門

西国三十三カ所観音霊場の第六番「壺阪寺(南法華寺)」(〒635-0102 奈良県高市郡高取町壷阪3番地)へ参詣した。
一口に西国観音霊場といっても、それぞれのお寺の趣きはいろいろなので、お寺へ到着するまでの想像がいつも楽しい。

このお寺はまず、なにもかもが大きいという印象をもった。境内にはインドで製作されたという巨大な石仏が何体もあり、またお堂もそれぞれが大きく、中国のお寺にでも来たような感覚を味わう。

奈良の観音霊場の中では一番南にあるこの壺阪寺は、浄瑠璃でも有名な、「お里・沢市」の霊験記がのこるお寺で、眼病に霊験があるという、十一面観音が御本尊である。
御本尊は、八角円堂といわれる本堂の中に安置されていて、他の霊場に比べて、ご開帳も比較的多いようだ。室町時代の作であるらしいが、少々ユニークな表情の観音様である。

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山本玄峰老師のこと

般若窟・山本玄峰老師
昭和に名だたる名禅僧の一人に、般若窟・山本玄峰老師がおられる。 私が在錫した静岡県三島市の龍澤寺の住職として、私が生まれる前年に遷化された老師は、大本山妙心寺の管長も勤められ、さらには太平洋戦争の終結時、あの「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……」の文言を進言され、象徴天皇制の発案をされたり、当時の鈴木貫太郎首相の相談役でもあったという傑僧である。 私が参じた宗忠老師からは二代前の先師ということになる。

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青岸渡寺でみつけた硯

「那智黒」と言えば、まず思いつくのは、「那智黒飴」かもしれない。もちろん、もともとは那智でとれる上質の黒石を擬して作った飴玉なのであるが、この那智黒石は上等の囲碁石として有名である。
そしてもう一つ、事前に詳しく知っていたわけではないのだが、この那智黒石の硯も天下無二のものらしい。

青岸渡寺の山門に向けて登る途中、参道にある一軒の硯店に立ち寄った。「山口光峯堂」という。表の看板には「皇室献上」の文字が。また「癒しの墨摺りを是非体験してください」というような文言も。

この参道には何軒もの硯販売店があるのだが、店主らしき人が他のお客さんに話している言葉遣いが優しくて、「硯は絶対に試し摺りしてから買いましょうね」と言われる言葉に、店の中に引き込まれた。
店の中には、沢山の硯が大小とりまぜて並んでいる。
同じようなサイズの硯でも何千円も違いがあるなぁと思っていたら、先ほどの店主(二代目 山口光峯さん)が説明してくださった。

「安い方は、天然石ではあるけれども、大きな石から切り出した物を硯にしたものです。そして高い方は、まれにしか採れない"玉石"」から作ったものです」と。玉石の方(「曼荼羅の径」という硯)の中で、自分に足りそうな比較的小さいものを手にとってみたところ、ずしりと重く、またただ丸いだけで飾りはないがその表面の美しさに心が動いた。そして、是非試し刷りをと仰るので、摺ってみたところ……。
目から鱗が落ちるとはこのことだろうか。今までの硯は何だったんだろうと思うほど滑らかなのだ。墨を摺る時、なんとなくザラザラ感があって、これで墨が摺れているんだという感覚を持っていたが、それは全くの誤りだったわけである。とても滑らかに、ぬるぬる摺っていくという感覚だった。

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西国観音霊場 第1番 青岸渡寺に詣る

西国三十三所観音霊場第一番 青岸渡寺

西国三十三所観音霊場の第一番、「那智さん」こと青岸渡寺にお詣りしてきた。
以前から、何ヶ所かの観音霊場にはお参りしてきたが、同じ近畿圏とはいえ、あまりにも那智さんは遠い。車をとばしても、一泊でないと行けない距離なのである。しかし第一番をいつまでも外しておくわけにもいかない。
夏は海水浴客で混み合う和歌山方面なので避けたいのだが、幸いにも、このお正月、電気工事の関係で研究所は例年より1日長めの休みをいただいたので、ここぞとばかりに出かけることにした次第。

青岸渡寺本堂

紀伊半島最南端に近い紀伊勝浦町にある「青岸渡寺」には、如意輪観音が祀られているが、通常は開帳されていないので、直接おがむことができない。今年は三十三所の観音霊場が順番にご開帳されるということになっているが、ここは3月頃とのこと。残念ではあるが仕方なし。
それでもすぐ近くには133mもの落差をもつ名瀑那智の滝があり、お詣りできてよかったという気持ちもふくらんでくる。

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若州一滴文庫

一滴文庫

作家の故水上勉氏が故郷に設立した若州一滴文庫は、小浜湾から少し山間部に入ったのどかな田園が広がる地にある。1985年に開館し、一時期閉館に追い込まれていたが、現在はNPO法人化され、水上氏の蔵書や水上作品に使用された挿画の原画などが常設されている。
庄屋を思わせる長屋門を入って正面にある本館には、蔵書のうち2万冊が開架されており、車椅子を利用できるスロープを使い各展示室を移動できるようになっている。

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諏訪の神さま -信州諏訪-

高過庵
さて、これは何かおわかりだろうか? なんと、お茶室だそうで、その名も「高過庵(たかすぎあん)」というそうだ。 内部は見せてもらうことができない(そもそも高所恐怖症の私は遠慮したいところ)のだが、この茶室は、建築家・藤森照信氏(ふじもり てるのぶ、1946年~)が、自分の故郷の私有地に建てたものだ。
神長官守矢史料館
そして、この高過庵のすぐ下にあるのが、「神長官守矢史料館」(長野県茅野市宮川高部389−1 0266-73-7567)である。 この建物も風変わりであるが、これを設計したのも藤森照信氏である。 ここは、諏訪大社の神長官・守矢家の史料館なのである。守矢家は中世より諏訪神社上社の神官の一つである「神長官(じんちょうかん)」を明治時代まで勤めてきたという古い家柄で、この史料館は、その敷地に建てられている。 史料館の館長らしき初老の紳士は、どうやらお話好きのようで、混み合ってはいないが、訪れる人それぞれに親切に説明をされていた。 ちなみに、この藤森氏は、私が以前におとずれブログにも書いた浜松市にある秋野不矩美術館の設計者でもある。そういえば、同じ雰囲気である。
守矢家にのこる社 神長官裏古墳

敷地内には、このような小さな社も有り、また史跡に指定されている神長官裏古墳もある。
この社の裏に位置して、守屋山という山があり、この山が諏訪大社上社の御神体なのだ。
守屋山と守矢家、字は違うがまさしく通じるに違いない。

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魅惑のへたり達磨 -金毘羅さん参りその2-

参道

へたり達磨 へたり達磨


さて、金毘羅さんの参道には、数々のお土産物屋さんが立ち並んでいます。
いにしえの人々も、お参りとはいえ同じような思いでこの階段を登ったのだろうか…と、わくわく。
その中で私が今回、その仕事の素晴らしさに魅了されてやまなかったのが、【讃岐一刀彫宗家 山中象堂】さん。

まずは上写真のへたり達磨の素晴らしい彫りと、その意匠にくぎ付け。お参りを忘れて覗き込んだものです。その他あまりに素晴らしい作品が多々あるので、とにかくお参りに行って、後からまた来ようということに……。

【へたり達磨について】 〈山中象堂さんの説明文引用〉
へたりとは辞書に依れば(へたばる、よわる、すわる、疲れて平たく座す)と記されて居ますが、この達磨は大地へ腰を落着け慎重に計画性を以て思索的に又他人に迷惑を掛けない様にするを良しとの意味をこめて当家の伝承図中より選択 現代風に改良讃岐一刀彫の特徴と味を最も良く生かした当家独特の製品の一つです。

とのこと。ご主人の話によると、昔、旭社などの彫刻を手がけた職人の夢枕に達磨さんが立たれて、「しっかり計画性をもち、事に励みなさい」とのお言葉をいただいたのだとか…。
ここで少し宣伝を…達磨さんの伝説といえば日本に数多く残っていまして、研究所からもこんな本が出ています。興味のある方は是非!

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金刀比羅宮参拝 -金毘羅さん参りその1-

さぬき富士を眺める

10月半ばの話になりますが、まだ秋も入り口の頃、思い立って金毘羅参りにでかけました。
金毘羅さんといえば、長い階段・歌舞伎などで有名ですが、その正体やいかに?!
寺なのか、神社なのか、はたまた修験道の地なのか?!何の知識も無く、なんとなく「一生に一度は」のキャッチフレーズ?にひかれてのお参りでした。

金毘羅さんの正式名称は、金刀比羅宮(ことひらぐう)。
そもそも最初は大物主神を祀り、琴平神社と称したそうです。
その後、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)をとり、金毘羅大権現と改称しましたが、明治元年に神仏混淆(しんぶつこんこう)が廃止され、元の神社へと戻ったのだとか。
明治時代の神仏混淆廃止がなければ、大物主神もおはしますれば、大権現もおはします、修験道の地としても栄えた、日本の信仰すべてを併せ持つ地だったようです。

旭社
旭社

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霧ケ峰高原 八島湿原 -信州諏訪-

八島湿原

信州諏訪行(10月中旬の旅です)の続きである。諏訪大社付近から、狭い林道を車で登った。ビーナスラインを通る正規のルートではないため、対向車が来たらだいぶん後退をしなければいけないような道路だったが、懸念した対向車は現われず、紅葉の始まった山々に感嘆をもらしつつ、途中で車を止めてファインダーをのぞいたりしながら、登ること30分。
第二の目的地である霧ケ峰高原の八島湿原に到着した。

八島湿原

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万治の石仏 -信州諏訪-

万治の石仏

諏訪の下社春宮の近くには万治の石仏という変わった阿弥陀如来様があるとの事で、キラキラと光り輝く落ち葉が美しい木立の中を川沿いに進んでいくと、お堂も何もないような所に突然阿弥陀如来が。
テレビでも紹介されたことがあるらしく、また、あの岡本太郎氏も絶賛したという。

なんともユニーク

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諏訪大社 -信州諏訪-

諏訪大社 下社秋宮

秋が深まり始めたので、もう紅葉をみられるだろうと思い、信州は諏訪近辺へ出かけた。
実は新調したデジタルカメラを携えての撮影旅行といったところ。

諏訪は何度も通過したことはあるが、あまり立ち寄ったことがなく、事前に調べてでかけることにしたところ、いろいろと見どころがあるらしい。

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鈴木大拙の故郷 能登半島 蛸島

蛸島

国泰寺を後にして、ふと思い立ち、能登半島の先端近くにある蛸島へ向かった。
なぜなら、ここはあの鈴木大拙博士が若きころに住んでいたことがある町なのである。
なんということはない、とても辺鄙な小さな田舎町である。
もとは塩業が盛んであった町で、のと鉄道能登線の終点・蛸島駅があったが2005年に廃線になってから鉄道もない。

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行雲流水 1

高岡の晩夏の雲と海
高岡の晩夏の雲と海


禅宗の修行僧のことを「雲水(うんすい)」という。
もとは「行雲流水(こううんりゅうすい)」ということで、ひとところに留まらず、自由なさまをいう。つまり雲水は、一所不住で、諸方におられる禅匠をたずねて行脚するものなのである。
実際、唐代や宋代の禅僧の伝記をみても、修行中にはそれはそれは途方もなく遠い距離を行き来して行脚されているし、日本でも白隠禅師でさえ、北は新潟から南は愛媛まで、諸方の禅匠に参じている。
ところが現在というと、多くの雲水は、ある一僧堂で一人の老師について修行するというのが、あたりまえのようになってしまっている。
よく、「禅の修行は厳しいですね」と言われる。もちろん厳しいが、師を求め諸国を行脚する本来の雲水としての修行はもっと厳しかったであろう。

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お伊勢参り 2

内宮の入口、宇治橋

外宮から6キロ離れたとこに、伊勢神宮の内宮がある。
車で移動すること数分。もちろん昔はみな歩いて移動していたのだろうが今は安易なものだ。
夏休みだからだろうが、自分たちも含め、平日でも親子連れの参拝者も多いようだ。

さて、伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮を平成25年に迎えるそうだが、社殿を建て替えるという大事業を20年に一度行なうことができるというのは、すごいことだと感心してしまう。
既に今度の式年遷宮に関する行事は平成17年から始まっているそうで、境内は式年遷宮一色である。


伊勢神宮内宮の正宮

そういえば、以前にこのブログでも別のスタッフが朝の伊勢神宮を訪ねたことを書いていたことを思い出した。併せて読んでもらうのもいいかもしれない。
気持ちいい空気をすって、すがすがしい気持ちにさせていただいた。
息子にも古来からある日本の信仰というものに、少しでも何かを感じてくれたら幸いである。


内宮の正宮の社殿

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お伊勢参り 1

伊勢神宮 外宮の正宮

子供の夏休みも終わりに近づいたが、まもなく一緒には来なくなるであろう息子と二人で、伊勢に旅をした。
もともとはプールのある温泉付きホテルで、ゆっくりとくつろぐのが目的だったが、それではあまりにもったいないと思い、せっかくなので、お伊勢さんにお参りしてみようということになった。
お伊勢参り、私は実に小学校の修学旅行以来のことである。

ご存じのとおり、伊勢神宮ことお伊勢さんには、内宮と外宮がある。その間およそ6km。まずは外宮からお参りして、続いて内宮へお参りするのが習わしである。
ということで、最初に外宮へ。
まずは御手洗(みたらい)にて、手と口をそそぐことから教えねば。
御手洗での簡単な作法を教えたところ、まじめに聞いてくれた。隣では見ていられないような仕方で手を洗ったりしている人を余所目に、作法ということの大切さ、美しさというものを知ってくれたらうれしいと思っていた。

伊勢神宮 外宮の参道

参道をいくと明らかに空気が異なる。なんという神聖な気持ちになるのだろう。
周辺には樹齢何百年も経ているだろう木々が静かに息吹いている。
鳥居をくぐるときにはお礼をしつつ、意外に近い正宮に参拝する。
一般的な二礼二拍手一礼の礼法を一緒にし、これもまた、大切な文化だよと教えた。

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熊野詣で

熊野本宮大社

異国の文化や遺跡が好きで、たくさんの土地を旅してきましたが、帰国する度に日本の素晴らしさを再認識し、日本が一番自分にしっくりくる国で、大好きだとの思いを強くしてきました。

そしてこの夏、インドの聖地への旅から帰国し、「やはりインドは素晴らしい、けれども日本の美しさ、素晴らしさはどこの国も及ばない」との思いも頂点に達した感(おおげさでしょうか)があり、「これからはもっと深く深く日本のことを学ぼう。日本の聖地ともいうべき所を旅してみようか……」などとぼんやり考えていると、両親が「ご縁あって熊野本宮大社にお参りにいくけれど……」と。
インドから帰って3日後に、熊野大権現様のおはします大社へお参りに行って参りました。
ちょうど東京国際ブックフェアの際に、別冊太陽の「熊野」を購入したところでもありました。読む前にお参りとなってしまいましたが、これも何かのお導きでしょう。

山深く霊験あらたかな土地に築かれたなんとも清々しいお宮で、斎衣をまとい皆でご祈祷を受けました。
打ちならされる太鼓の音に、生まれ変わるような心持ち。皆それぞれに感慨深いものであったと思います。ただただ、頭を垂れて、「ありがたい、ありがたい」との思いでした。

いにしえの人々が「この地こそ」と崇め、信仰の対象となるようになった所には、何か人智を超えたパワーがあるものです。まずは熊野本宮大社にて、そのありがたさを体いっぱいに感じた、夏のある暑い一日でした。

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霊場 国東半島 その2

富貴寺仁王門

両子寺を後にして向かったのは富貴寺(ふきじ)。
こちらも西暦718年(養老2年)に仁聞が開基したと伝えられる国東半島の古刹である。
両子寺とは全く趣のちがう小さなお寺ではある。

IMG_0062.jpg
ここには平安末期に建築された国宝の阿弥陀堂がある。九州最古の木造建築だそうだ。 京都平等院の鳳凰堂、岩手中尊寺の金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂の一。 また、内部には本尊の阿弥陀如来座像(重要文化財)と日本四大壁画の一つに数えられる壁画(重要文化財)があった。ただし壁画はかなり保存状態が悪く、消えかけているような状況ではあった。

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霊場 国東半島 その1

国東半島の地図

大分県北部に位置する国東半島は霊場といわれるほど多くの寺院があるのをご存じだろうか。
実は私は知らなかった。
というより、京都や奈良が実近にあるし、熊野や四国は存じていても、九州に霊場と言われるようなところがあろうとも思わなかったし、そんなに古い寺院があろうとも知らなかったというわけだ。
九州の方には誠に失礼な話で申し訳ない。
さて、そんな国東半島を友人の車で連れてもらった。

両子寺参道
まずは、国東半島のほぼ中央にある天台宗別格本山の両子寺(ふたごじ)へ。 西暦718年(養老2年)、仁聞菩薩の開創による神仏合祀の古刹。 緑の豊かな参道をあがると護摩堂や庫裡があり、境内を巡っていくと奥の院本殿があり、両子大権現(男・女(双子)二天童子)が祀られているらしい。
奥の院本殿

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お遍路の地へ

穏やかな四国の海

出張で四国(愛媛)へ行っていました。
連日35度を超える猛暑だというのに、真っ黒に日焼けした顔に白装束のお遍路さんをおみかけしました。
さすがこの時期に歩いてまわろうとされる方達。お1人で歩いておられる方がほとんどでした。
お1人といえども、お隣には同行二人、弘法大師さんがついていてくださる。もくもくと歩き続けるそのお姿に、本当にお大師さまが一緒についておられるような心強さを見た気がしました。
私もいつか、歩いてまわれたらなぁ…と夢見る今日この頃です。

溢れる緑、お大師さん縁の数多くの寺、霊峰、青く穏やかな海。澄み渡る空。温泉にみかん畑。砥部焼。日本てやはり美しいなぁ…と心底思える地、愛媛です。

緑溢れる地
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伊賀 美の旅

長瀬の川

長瀬(名張市・上写真)をあとにし、伊賀上野へ…。
藤堂高虎ゆかりの伊賀上野城や、松尾芭蕉を記念して作られた俳聖殿、芭蕉の五庵のひとつで、唯一現存する蓑虫庵は以前訪れた為、その近くにある伊賀焼の谷本洋さん、あけみさん夫妻のギャラリーへ伺います。
谷本さんの作品は、古典的な伊賀焼に対する真摯なまなざし、お人柄が出るかのようなあたたかみも感じ、それでいてかっこ良くセンスあるものばかりで、伊賀焼といえばお茶人などに愛される陶器ですが、谷本さんの作る作品の凛としたたたずまいは、現代の若者にも「かっこいい」と受け入れられるのではないでしょうか。
伊賀焼のみならず、ヨーロッパ留学で培った独創性ある陶画(陶板)や器の数々も楽しく、また、奥様の作品も他には無い感じで、使い方を模索するのが楽しく、いつまでいても飽きる事のないギャラリーです。
また、こちらの作品には、山村御流による花も生けてあり、これがまたいつ行っても楽しみなのです。

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自然豊かな地、名張へ

晴天なり

名張に住む友人の所を訪れました。
名張というところは、三重県にありながらも奈良にほど近く、話すことばや文化なども、奈良に近い事が多いそうな。
また、伊勢に通ずる街道が通っている為、街道筋には古い家が未だに多く残り、「昔の人々もここを通りお伊勢参りをしたのか…」と容易に想像できる風情が残っています。
なだらかな緑溢れる山々に囲まれ、美しい川が流れるこの地は、京都と同じく盆地で、冬寒く夏暑いものの、自然が多く残るせいか気候の厳しさよりも土地の豊かさを思わせます。

鮎釣り人

長瀬の川には鮎釣り人がたくさん! とある釣り人さんはこの日6匹の大漁だったとか。羨ましい天然鮎です。

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美しい竹細工 生野徳三さんの工房へ

床に掛かる「雨竹」の軸

研修で大分を訪ねていた際、以前から親交のあるお寺のご婦人にお願いして、大分市内にある、竹工芸師 生野(しょうの)徳三氏のご自宅を訪ねた。
「雨竹」。ちょうど梅雨の時期であり、この床に相応しい軸がかけてある。
私事ではあるが、毎年年始には、先のお寺のご婦人が贈ってくださる、生野さん作の「翠竹箸(すいちくばし)」で、お正月のお雑煮を頂くことが恒例となっている。このお箸は青々としている上に、先が細く、長さもほどよく、とても使いやすいので重宝するのだ。

このたび大分滞在中に、竹細工の山地である大分で、是非、生野さんの工房をみたいと思いお願いして、その願いがかなった。
先代の故・生野祥雲齋は人間国宝であり、また徳三さんも日展会友として活躍されている。

竹のオブジェ

このオブジェは、近く開かれるアメリカでの展覧会に出品されるというものだそうだ。非常に手の込んだもので、竹のしなやかさがそのまま表われているように感じた。
部屋の外には苔むした庭と池があり、蛙がなき、鯉が跳ねる。ご自宅の裏には山が広がり、涼しい風が吹いていて、別天地にいるような気分にさえなった。

池のある中庭

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湯布院 (擔雪(たんせつ)II講習会)

大分県の住職研修会へ、弊所の発売している「宗教法人管理システム 擔雪(たんせつ)II」の講習をするようにと呼ばれて出向いた。
今回、偶然にも2つの別の研修会が続いて行なわれることになったため、二泊三日での別府泊まりである。

このころの九州は雨が続いており、大分空港に到着した時も小雨模様であったが、住職研修会の役職を担っておられるお寺の寺庭婦人様が、わざわざ空港までお迎えに来ていただいていた。
会場までの車中でお話を伺うと、いろいろとご縁があるようで驚いた次第。世間は狭い。

このお寺は、あの湯布院の温泉地のはずれにあるということで、研修会修了後、湯布院観光を兼ねて、お邪魔させていただいた。
佛山寺というこのお寺。以前は堂宇がすべて葦ぶき屋根であったが、近年、火災によって焼失し、この山門がその面影を残すのみである。


佛山寺山門

庫裡の横には、近所の子どもたちが自由に読むことができる私設の図書室があった。子どもたちが沢山いるのですか? と尋ねたら、それが少なくて……と。
やはりここでも少子化でせっかくの図書も利用される機会が少なくなったようだ。自然とお寺に集まる子どもたちも減っていることになる。

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甲斐 恵林寺

恵林寺

武田神社参詣のあと、甲州市にある恵林寺へ赴いた。
言わずと知れた、武田信玄公の菩提寺であり、かの夢窓国師が開山の臨済宗妙心寺派の名刹である。
車をとめて、杉木立の長い参道をゆったりと歩くと、古びた三門に至る。

恵林寺三門

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甲斐 武田神社

武田神社の鳥居

研究所からの出張で、山梨県甲州市にある大本山向嶽寺を訪ねることになったので、その約束の時間前に、山梨市にある武田神社へ参詣した。
ご存じの通り、あの武田信玄公の居所であった居城(城と言っても平城で、城郭ではない)であった躑躅ケ崎館をもとに、信玄公をお祀りして武田神社として残っているものだ。
武田神社の参道とも言える通りには、山梨大学があり、ゆるい登り坂になっているが、この通りには電線や電柱がなく、とても美しい通りである。
この地の人たちが、如何に信玄公を大切に思われているかが、そのまま表われているようである。

武田神社本殿

回りには外堀や内堀もあり、武田のお屋形さまがおられたころを感じさせる。
大河ドラマ『風林火山』の影響で、きっと去年は沢山の観光客が来たのだろうが、今回、土曜日ではあったが、比較的ひっそりとしていて、おちついてお参りできた。
さて、まだ時間があるようなので、もう一つ、前から訪ねてみたかった恵林寺へ行くことにした。(つづく)

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鎌倉 長谷寺 -あじさいの寺- その2

境内の池
鎌倉 長谷寺の境内の続きである。 境内はとても手入れされていて、散策していても気持ちがいい。紫陽花が満開になると、かなりの拝観者が見えるらしく、境内では工事業者がその準備をしている様子。

楽しみにしていた観音様は、とても美しい十一面観音で、背丈も大きく、手を合わせた自分がほんとに小さく感じてしまった。そういえば、奈良の長谷寺の観音様はさらに大きな大仏で、その前でも頭を垂れた自分がいたことを思い出す。
また、阿弥陀堂の阿彌陀様や、弁天窟という洞窟には弁天様の石像があり、他にも諸堂宇があって、建物は建て替えられたようで古くはないが、お参りしてよかったと思った。
写真は撮れないので、是非、ご自身で拝観にお出かけになってほしい。

さて、この長谷寺には、境内のところどころに美しい石灯籠などがあったので、ご覧に入れたい。

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鎌倉 長谷寺 -あじさいの寺- その1

長谷寺の山門
仕事にて鎌倉の円覚寺・建長寺を訪れた後、少し時間があったので、鎌倉駅の観光案内所で、どこか花のきれいなお寺はないかと尋ねたところ、まだ満開には早いがあじさいで有名な長谷寺があると紹介された。 人気の江ノ電に乗って、3つほどの駅を行くと「長谷」という駅があり、駅から歩いて約5分に、その長谷寺はある。私はあまり知らなかったが、有名なお寺らしい。弘法大師にご縁がありそうな様子なので、奈良の長谷寺と同じ真言宗だろうか。帰ってから見たホームページにも、宗派のことは書かれていない。
咲きはじめたあじさい

咲きはじめたあじさい

それはともかく、ここの御本尊は、十一面観音さまで、観音さまが好きな私としてはうれしい限り。
まだあじさいの開花のピークには早いものの、境内には、いろいろな花が見えるようなので、写真におさめてきた。

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4月のしまなみ海道

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雲居禅師350年遠忌記念事業の一環として、松島の瑞巌寺より承った『雲居禅師墨蹟集』の撮影で四国へ。
伊予の地は、雲居禅師生誕の地でもあるから、比較的墨跡などがよく残っている。
今回は、広島にある臨済宗大本山、佛通寺の撮影を終え、しまなみ海道を渡って四国へ。
穏やかな青い海に、ぽっかりと浮かぶ島がたくさん見えるこの辺りの景色は、人の心までまぁるくするようだ。

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まるで海を悠々と泳ぐような鯉のぼり! 桜も満開でなんとも美しい日本の風景です。

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高岡 瑞龍寺 2

シンメトリックで美しい瑞龍寺山門

高岡 瑞龍寺1はこちら
総門を入り山門を正面に立つと、左に禅堂、右に大庫裏がシンメトリックで美しい。
回廊をめぐると、この禅堂や大庫裏をめぐることができる。

回廊

件の禅堂であるが、入堂は禁じられているので前門から覗いただけであるが、私が知っている中では一番、単の高さが高くて踏み台があるほどで、また単箱の後ろは障子が無いためにかなり薄暗く感じた。
普段はこの状態であるから、あの吊り広告のように坐禅を組ませてもらうには予約が必要な様子だし、それにしても、ここは現在、修行道場でもなく雲水もいるようではない。ただの観光寺院にしておくには、甚だ勿体ない気がする。

さて、瑞龍寺は加賀藩二代藩主前田利長の菩提寺であるが、その利長公の墓所は瑞龍寺の中にはなく、総門を出てまっすぐに八丁道を行くと突き当たりにあるが、法堂の裏手の左には分骨石廟があるらしいので行ってみた。
ここには利長公の他に、織田信長公父子の分骨された廟も並んでいた。信長公の娘が利長公の正夫人(玉泉院)であるからであろう。本能寺の変の後に、その分骨をむかえたものとされる。
これらの石廟は富山県の指定文化財になっている。

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高岡 瑞龍寺 1

曹洞宗・瑞龍寺

今年の夏には未開通の飛騨清見IC-白川ICが開通し、そうすると名神高速の一宮ジャンクションから北陸自動車道の小矢部砺波ジャンクションまで、東海北陸道が全線開通することになり、東海と北陸との便の風通しが一気によくなる。

さて、大雪だった岐阜の白川郷から富山県高岡市へ向けて、既設の東海北陸道を利用して抜けた。白川郷ほどの雪はないが、それでも北陸も水気の多い雪が降っていた。
高岡市には臨済宗の大本山の一つ、国泰寺があるが、今回は曹洞宗の瑞龍寺という名刹を訪れてみた。

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今年はなかなかの雪が

大雪の岐阜

今年も暖冬かと思われたが、二月はけっこう京都でも雪が降った日が多い。 そんな中、車で岐阜の奥の方へ行ってきた。 走る内に吹雪で道路が見えなくなり、どちらにカーブしているのかわからなくなるくらいの猛吹雪。 もちろんスタッドレスタイヤやチェーンを履いていなければ、どうしようもないだろう。 ちょっとした恐怖心さえ覚えるほどの降り方だった。

特に下り坂は怖い。前の車に続いてゆっくりカーブを下っていくと、3台ほど前の車が突然停止し、私も含め後続車も停止した。
なにがあったのかと思って目をこらすと、下から登ってくる大型バスが道路を塞ぐように停車しているではないか。
運転手をはじめ数人が右往左往しているのが遠くに見える。

仕方なくコートを来て車からおりて見に行くと、なんと、そのバスの向こう側に寄り添うようにもう一台、バスが止まっているのだ。
二台ともチェーンをつけずに上がってきたらしいが、スリップしてしまったらしい。
しかし二台が引っ付きすぎているために、今さらチェーンを装着することもできない様子だ。
待つこと1時間。途方にくれかけたころ、私の後ろの方から巨大な除雪車が登場し、バスの前に行き、ワイヤーをかけて、引っ張り上げて行った。圧倒的な力に拍手喝采しそうになった次第。
しんしんと降る雪の中の1時間は、なかなか心まで冷える時間だった。


白川郷の雪景色

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関宿の銘菓 -深川屋の関の戸-

関宿の町並み

先日、是非とも味わってみたい銘菓がある関宿(三重県亀山市)に立ち寄る機会がありました。
日も暮れた中を菓子屋目指してすすみます。何故でしょうか、とっても暖かい感じ、どこか懐かしい感じに包まれています。
そう、明かりは全て白熱灯。ぼんやり暖かく町を照らしています。そしてどこか開放感があるような、ゆったりしているような感じは…そうです、電柱や電線が全く見当たらない!!!
ここまで違うものか…と感動しつつ、京都もこうなればなぁ…とぼんやり考えていました。

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駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠

新富士駅附近からの富士山

「駿河にはすぎたるものが二つあり 富士のお山と原の白隠」といわれる。 その富士のお山をみつつ、白隠禅師が開山の龍沢寺に、死活庵老師の津送に行った時のことである。 津送のことは先のブログに書いたが、この日、京都では雪が降っていたのに、この静岡では快晴。ご覧の通りの富士山の雪景色である。 上の写真は、新富士駅附近の新幹線の車内から撮影した。このあたり、製紙工場などの煙突が立ち並び、なかなかベストショットが撮影できないのだが、これはなかなかうまくいった。 右の方に大きくえぐれているところは、宝永4年(1707年)の大噴火の跡であるという。ちょうど白隠(1686-1769)がこの近くの原宿に生まれて少年のころのことである。 この白隠禅師の生涯を劇画にした『白隠和尚物語』(禅文化研究所)にも、そんなシーンが出てくる。

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暗(くらがり)峠

くらがり峠

近鉄平岡駅(大阪府)で下車し、近鉄生駒駅(奈良県)まで歩いてみた。行く手に立ちはだかるものは、大阪と奈良を隔てる生駒山地である。大阪側からの登りは傾斜も急でかなりきついが、奈良側は比較的なだらかである。

県境の暗(くらがり)峠を越える。かつては奈良と大阪を結ぶ奈良街道が通る交通の要衝であった。現在でも308号線というれっきとした国道なのだが、その狭隘さゆえ自動車の行き来はほとんどなく、ハイキングコースとして人気が高い。

峠に立つと、昼なお暗い「くらがり」峠というイメージからは程遠く、奈良方面への展望は良好であった。ただ、目の前の信貴・生駒スカイラインが展望を大きく阻害しているのが、少々残念ではあったが。

峠付近には、風情のある石畳や道標がいまも残り、峠につきものの茶店(喫茶店?)もある。かつては今よりよほど多くの人馬が行き交い、この風景を眺めながら、束の間の休憩を取ったことだろう。

峠道を下る途中で、自転車を押しながら上って行く男子中学生たちとすれ違った。
「この峠越えたらな、戎橋行ってな…」
などと話しているのには笑ってしまった。山を越えたら、すぐに大阪の繁華街だと勘違いしているらしい。彼らにしてみれば、この峠越えも、ちょっとした冒険なのだ。

峠の向こうは、あこがれと恐れのないまぜとなった異世界であるというのは、今も昔も変らないのだな、などと考えながら歩いた。

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第4回 西村惠信所長といく“禅と文化”の旅 その2

菊水楼

第4回“禅と文化の旅”その1はこちら

後ろ髪ひかれる思いで円照寺を後にし、昼食の為、菊水楼へ。
文化財にも指定されているという立派な建物に皆の心も踊り、秋の味覚を堪能しました。
昼食を終えてバスに戻ろうとすると、見送りをするかのように立派な男鹿が。
関西に住む者、ことに奈良をちょくちょく訪れている者にとっては何ら珍しくない鹿も、その他の地域から来られた方には非常に珍しいようで、しばし撮影タイムとなりました。

鹿のお見送り

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曽爾高原 -奈良-

soni_1.JPG

奈良の宇陀群にある曽爾高原を訪れた。
この時期、金色に輝くすすき野原が素晴らしいのだ。

百聞は一見に如かず。

曽爾高原のすすきを見ていると、池田遙邨画伯の昭和59年の作品、「うしろ姿のしぐれてゆくか 山頭火」(京都国立博物館蔵)を思い出す。私の好きな絵だ。

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『日本にのこる達磨伝説』

お達磨の桜から眺めた月山(左)と葉山

 日本の伝説には、著名な高僧たちがしばしば登場する。それら高僧たちは各地を行脚し、困った人を助け、村人に恵みをもたらす。その中でも代表的な人物は、やはり弘法大師空海であろう。  水に不自由をしている村人のために、大師が杖で地面を突くと、そこからこんこんと泉が湧き出した、という「弘法清水」の伝説は全国に分布する。弘法大師のかわりに慈覚大師や泰澄大徳、あるいは蓮如上人などが主人公となっている地方も多い。いずれも庶民のあいだに広く知られたヒーロー的人物である。

 さて、達磨大師がそのような伝説の主人公となっている地が山形にある。「お達磨の桜」という桜の木もあるという。関連書籍やインターネットから手に入るのは断片的な情報ばかりである。
 もう半年以上前になるが、桜の咲く季節に、はるか山形の地まで出かけた。11月20日に新刊発売する『日本にのこる達磨伝説』の取材のためにである。本書は、こういった日本における知られざる達磨伝説を集成したものだ。

 山形県と聞いて、ある年代以上の人なら、テレビドラマの「おしん」を思い浮かべるのではなかろうか。貧しいながらも懸命に生きる人々の姿は視聴者に大きな感動を与え、雪深い山形の地は日本人の郷愁をさそった。
 また、山形の代名詞ともなっているのが、月山・湯殿山・羽黒山の出羽三山である。修験道の聖地として多くの宗教者が集まり、山岳修験のメッカとなった。同じく修験で有名な鳥海山や葉山、さらには山寺と呼ばれる立石寺などもある。宗教的雰囲気の色濃くただよう土地である。
 山形駅からJR左沢線の列車に乗る。朝と夕方は通学の高校生の声がガヤガヤと喧しいが、その時刻以外は静かなローカル線である。「左」を「アテラ」とは、なかなか読めまい。広大な田園地帯の中、しばらく列車にゆられると羽前長崎駅に着く。そこが達磨伝説の地、中山町である。


お達磨の桜


 「お達磨の桜」は、最上川の支流である須川のほとりにあった。その地は、かつての山形街道の渡し場の位置にあたるともいわれる。そこからは月山と葉山を望むことができる。なだらかで女性的な月山と、ごつごつと男性的な葉山が、まるで夫婦のように肩を並べる姿は雄大である。
 「お達磨の桜」とは、三株のエドヒガンの巨木の総称であるが、残念ながら一株は落雷により焼失してしまい、一株は枯死寸前である。残りの一株は幸いに樹勢盛んで、美しい花を咲かせていた。現在では町によって公園として整備がなされ、周辺にも多くの桜が植えられて桜の名所となっている。
 この桜には、名前の由来ともなった、不思議な伝説が伝わる。 

 この伝説の内容について知りたい方は、禅文化研究所発行の『日本にのこる達磨伝説』をご覧ください。


『日本にのこる達磨伝説』


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第4回 西村惠信所長といく“禅と文化”の旅 その1

奈良の紅葉

11/3(金)、第4回西村惠信所長といく“禅と文化”の旅のご報告です。
行程はこちら

奈良の町は思った以上に木々の紅葉も美しく、時にバスの中から歓声があがりました。
まず目指すのは大和三門跡寺院の一つ、妙心寺派の円照寺です。普段公開されていませんので、初めて訪れる方がほとんどだったのではないでしょうか。
バスを下りてから皆で参道を歩きます。山に分け入っていく感じで、空気は徐々にひんやりと透明感を増していくようでした。江戸時代、この寺の開山であられる梅宮さまがいらっしゃった頃、門跡寺院であることから御殿と呼ばれはするものの、いかばかりの侘びしさであっただろうと思いをはせます。

参道

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紅葉情報 -高山寺-

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私の好きな寺の1つ。明恵上人の庵として知られる高山寺です。11/4(日)に訪れましたが、なかなか美しい紅葉が見られました。紅葉を楽しみに京都を訪れる方は、どうぞ目安にして下さい。ちなみに、3日に鞍馬を訪れた知り合いは、栂尾ほどに紅葉はしていないと話していました。

開山堂付近

このあたりは、空気が違います。京都市内から30分ほど車を走らせればこんな所がある事に京都に住む有難さを感じます。

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石見銀山2 -出雲-

赤瓦のお寺

大森地区を散策するうちに気づいたこと。 さほど大きな町並みではないのだが、意外にもお寺が多いのである。 臨済宗はないようだったが、浄土真宗を主として、5~6カ寺はあったのではないかと思う。 採掘によって亡くなった方を弔うということも少なくなかったのであろう。 おもしろいのは、どの寺もこの地域の家と同じ赤瓦の本堂である。

そして、もう一つ、下の写真を是非見ていただきたい。

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石見銀山1 -出雲-

石見銀山大森郵便局

日本で一番長い名前の郵便局である「石見銀山大森郵便局」。 今回の出雲行の最後の目玉が、ここ岩見銀山遺跡である。 今年から、世界文化遺産の一つに「石見銀山遺跡とその文化的景観」が登録され、関西の駅や電車などでも広告が目立つようになった。

鎌倉時代に発見され、室町時代~明治時代までと永きにわたって銀を産出してきた場所であり、特に戦国期には、大内氏→尼子氏→毛利氏と領有がうつり、秀吉の朝鮮出兵の際の戦費にも利用されたようである。また、ここでの銀精錬方法が産出量を伸ばすことに優れていたため、その後の日本各地の鉱山技術の基礎になっているとされる。

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出雲の窯元 -出雲-

湯町窯

しばらく間があいてしまったが、出雲行きのつづきにおつき合いいただきたい。 出雲にも名の知れた窯元があり、そのなかの二ケ所に旅のついでに立ち寄ってみた。 一つは温泉として日本最古の歴史を持つ玉造温泉の程近くにある、布志名焼きの窯元「湯町窯」。ガレナ釉を使った食器で有名で、民芸の窯として知られている。 というのは、島根県出身の陶芸家・河井寛次郎、そして柳宗悦やバーナード・リーチといった人達の民芸運動によってもたらされた影響や助言をうけて育ってきた窯だからだ。 展示されているものは民芸調のものが多い。 そのガレナ釉や海鼠釉の陶器の品を自分のお土産に一つ二つ・・・。

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霧ヶ峰高原 -信州-

霧ヶ峰高原

美ヶ原高原から白樺湖方面へビーナスラインを走り、ニッコウキスゲなどの高山植物が咲きそろうことで有名な霧ヶ峰高原に訪れた。

私が訪れた時期は花期の終わりごろだったため、一面に咲くニッコウキスゲを観賞することはできなかったものの、広い草原の中で黄色く咲く花はとてもきれいだった。

丘を少し登ると、ころぼっくるひゅってという小さな山小屋(ヒュッテ)がある。昭和31年に作られた山小屋で、車の通る道路もないころから登山者の安全を守るための避難小屋として役目をしてきたそうだ。

春期から終期の間はカフェも営業されており、トレッキングを楽しむ人たちの休憩場所として利用されている。高原の見えるテラスでコーヒーを楽しみながら、冬期の雪に覆われた景色を想像するのもおもしろい。

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美ヶ原高原 -信州-

美ヶ原高原_看板

広い高原を散策したいと思い、信州にある美ヶ原高原に訪れた。

長野自動車道松本ICからビーナスラインに入り、美しい景色を楽しみながら山本小屋前の駐車場に到着。

美ヶ原高原は自然保護のため、マイカーの乗り入れが規制されている。美しい景観が守られるためなら規制に大賛成だ。

駐車場から1時間ほど歩くと王ヶ頭ホテルに到着。美ヶ原高原の頂上、標高2,034mに建つ雲上のホテルで、登山者用の山小屋として営業を開始したのが始まりだそうだ。

天気の良い日には、雲を眼下に望む絶景が楽しめる。雲海や星空を眺めながらの展望風呂もぜひとも利用してみたい。

どこまでも

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万作・狂言十八選 -出雲-

出雲大社の大きなしめ縄

実は今回の出雲行のタイミングとピッタリ日程があったので楽しみにしているイベントがあった。
狂言師・野村万作さんの「狂言十八選」第三回が、出雲大社にて奉納される講演があったのだ。
まずは出雲大社に参拝。

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出雲の屋根瓦 -出雲-

最近の日本では、瓦屋根の家が・・・ことに都会ではどんどん無くなってきているように思える。
が、出雲に行くと、ほとんどの家が瓦を使っており、太陽の光に輝く(本当につやつやと光沢があるのです!)黒や赤の瓦が目に眩しいくらいなのだ。
そして何を隠そうこの地方の屋根には、しゃちほこが!

しゃちほこのある家

そしてさらに鬼瓦には、福の神が標準装備。家によっては、打ち出の小槌が仕込まれている瓦もある。

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本福寺 水御堂 -淡路島の安藤建築-

ウェスティンからの風景

安藤忠雄さんの建築物を見ようと淡路島に渡った。
淡路島では多くの安藤建築に出会える。
まずは、大きく分けて下記5つから成る淡路夢舞台。

☆兵庫県立淡路夢舞台国際会議場
☆ウェスティンホテル淡路 リゾート&コンファレンス
☆展望テラス レストラン&ショップ
☆淡路夢舞台温室 奇跡の星の植物館
☆野外劇場

安藤さんの建築をまわる旅

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伊吹山 6 山裾の関ケ原

涼しい伊吹山を後にしてドライブウェイを下り、関ケ原インターへ向かう国道365号線から、ほんの200mも入ると、そこに笹尾山がある。
ここはあの天下分け目の戦いである関ケ原の古戦場、西側の大将、石田三成の陣があったところである。イメージからすると、もっと高い山のように思っていたが、ちょっとした丘のような山である。

笹尾山

戦いは今から406年前の秋、この地でたった一日で終わった。当初優勢だった西軍だが、小早川秀秋の反逆にあった西軍は総崩れとなり破れてしまい、その後、徳川の時代となるのは、ご存じの通りである。
筆者は司馬遼の『関ケ原』を読んで以来、石田三成に傾倒しているため、小早川の裏切りは許せないのである。

石田三成の陣の跡

石田三成には島左近というすぐれた軍師がいて、この関ケ原の戦いで憤死した。その勇猛さは東軍のなかでも語り草になるほどだったということである。
関ケ原の戦いの日は、もっと秋であったが、この挿すような日差しの中でこの地に立つと、彼らの雄叫びが聞こえてくるような気がしてならない。

余談だが、ここからそれほど遠くない彦根城では、今、築城400年祭が行なわれていて、ひこにゃんというマスコットで大いに盛り上がっている。
これに合わせるように、同じく彦根にあった、石田三成の居城「佐和山城」のPRとして、島左近のキャラクター「しまさこにゃん」まで登場している。本来のイメージとはだいぶ違うが・・・。

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伊吹山 5 夏の雲

「雲はわき 光あふれてー♪」 大会歌にある全国高校野球大会は今年も終わった。
わきおこる雲をみて、この歌を思い出して、思わず口ずさんでしまった。
伊吹山のお花畑もさることながら、私は雲をみていてもしばらく飽きなかった。

雲はいつも天空にあるものだが、自分が高い位置にいると、目の前や下に雲があることにふと気が付く……。


夏雲

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伊吹山 4 山野草Part3

通常のトラノオとはうってかわって、ごくごくかわいらしいイブキトラノオ。


イブキトラノオ



イブキトラノオ


こちらはルリトラノオ。瑠璃色が美しいです。こちらも茶花としてよく用いられます。


ルリトラノオ

ルリトラノオ

これはイブキアザミ。


イブキアザミ

最後にキンミズヒキ。黄色い花がとても涼しげです。


kinmizuhiki.jpg

どれもこれも愛らしい山野草。
こういった山野草の中には、絶滅の危機に瀕しているものも数多いのですが、心無い登山客に根ごと掘り起こされたり、摘み取られたりする事もあるようです。
家で大事に育てる、飾るにしろ、それは決して花を愛でる、自然を愛でる事にはならず、人間の傲慢な私利私欲から来る行為に他なりません。
自分が摘み取った品種が絶滅すれば、その原因の1つに自分の行為があるかもしれないという所まで想像が必要です。
地球環境でも何でもそうです。「まだ大丈夫だろう」との慢心が、物事の手遅れへと導くのでしょう。

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伊吹山 3 山野草Part2

本日も伊吹山の草花の紹介。

これはカワラナデシコ。 茶花としてもよく用いられるかわいらしい花です。


カワラナデシコ


黄色いのは菊科のメタカラコウ。白い泡だった花は、シシウド。シシウドは山でよくみかけますね。


メタカラコウとシシウド


ヤマアジサイ。大きく咲き誇るあじさいの花もいいですが、こういった山野に咲くつつましやかな紫陽花にも、心惹かれます。


ヤマアジサイ


シオガマギク。秋の花ですが、すでに花を咲かせつつあります。実は、この花が何なのか調べるのに、ちょっと苦労しました。


shiogamagiku.jpg


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伊吹山 2 山野草Part1

冬は雪に閉ざされる伊吹山であるが、春から秋にかけて、とても沢山の花が咲き乱れる。
これから何日かに亘って、伊吹山の草花を紹介したい。

8月に訪ねると、まずはシモツケソウが一番きれいに目立つ。
調べて知ったのだが、シモツケソウとシモツケはよく似ているが別の花。
花はよく似ていても葉が異なるのだ。さらに、シモツケソウと京鹿子(キョウガノコ)は葉っぱもよく似ているが、これも違う花のようだ。
これは、シモツケソウ。


シモツケソウ

時折、ひときわ目立って咲いているのは、コオニユリ。
自然界の色とは、人智を超越したかのようななんとも不思議なものである。


コオニユリ

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伊吹山 1 百花繚乱のお花畑

かの関ケ原の合戦があったあたり、滋賀県と岐阜県の県境にある標高1377mの山が伊吹山である。
日本百名山の一つでもあるこの山は、ヤマトタケルノミコトに関する神話があったり、『源氏物語』の「関屋」の巻にも出てくるので、伊吹山は歌枕にも使われる。
この山は薬草でも知られるが、様々な野草が自生しているお花畑があり、登山客や観光客の目を楽しませてくれる。

何かと忙しくて避暑とまではいかないが、伊吹山ドライブウェイを使えば、車で8号目まで登れるため、まさしく百花繚乱のお花畑を容易に楽しむことができるのだ。

伊吹山頂 夏雲が広がる

夏真っ盛りでも、雲が眼下に見えるほどだから、風はとても涼しい。

百花繚乱のお花畑

お花畑

次回は花にクローズアップ。

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近江八幡の水郷

筆者の自坊からそう遠くない、滋賀県近江八幡市には、琵琶湖につながる水郷地帯がある。
群生する葦の間を入り組んだ水路が通っていて、安土の内湖へと繋がっているのだ。

近江八幡の水郷

近江八幡の水郷

近江八幡の水郷

ご覧の通り、人口建造物が見えないポイントもたくさんあり、私のお気に入りのスポットである。
しかし、案外、読者諸氏もこの風景を見たことがあるかもしれない。というのも、テレビの時代劇の撮影で時折この辺りが使われているからである。
また、「水郷めぐり」という、和船で水辺を楽しめる観光でも有名だ。

今年の夏は格別に暑い。この風景でもみて、心を涼ませてみてはいただけぬだろうか。

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-赤膚焼(あかはだやき)- 奈良

赤膚山元窯 古瀬堯三

奈良の中心部から少し車を走らせた所にある赤膚焼の窯元(奈良市と大和郡山市に点在)。
遠州七窯の一つにも数えられている。 
奈良へ観光でやって来ても、ここを訪れるのはお茶かお花をする方だろうか。
焼き物好きが訪れる窯元という感じの場所では無い気もする。
奈良に家元(円照寺門跡)がある山村御流の華展では、よく赤膚焼の花器を目にする。
私がよく訪れるのは上の写真、古瀬堯三氏。日常に使える器から茶道具まで、多くの器達が迎えてくれる。

初めて来た際は、こんな所に立派な登り窯を構える窯元があったのかとびっくりした次第。
赤膚という変わった名称。地名からという説と、鉄分を多く含む陶土を用いる為、素焼きした表面が赤くなるからという説があるらしい。
赤膚焼の特徴といえば、なんともいえないとろりとした(感じの)オフホワイト色の釉薬、そして奈良絵。
この奈良絵は、お釈迦様の生涯を描いた絵過去現在因果経に由来すると聞いたが、奈良らしく、五重の塔や鹿などもお目見えするなんとも愛らしい図柄なのである。

奈良絵_家奈良絵_やっこさん?!


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春日大社

奈良県は春日大社を訪ねた。

参道にならぶ苔むした石灯篭

奈良公園の山側に位置するここは、緑に包まれて神聖な空気が流れているようだ。 参道をいくと、苔むした沢山の石灯篭がならび美しい。

境内にはいると神殿の回廊などにはたくさんの灯篭が釣り下げられている。


たくさんの灯篭


ちょうど我らが忙しいお盆の頃、8月14日・15日には中元万灯篭という行事が行なわれ、これらの灯篭すべてに灯がともされるらしい。境内には3000もの数があるという。さぞや幻想的であろう。
そのときに訪れてみたい気もするが、職業柄、絶対に不可能ではある。

巫女さんの袴の朱色が映えてあざやかだった。


巫女さんの袴の朱色があざやかだ


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伊勢神宮の朝

伊勢神宮の鳥居

朝のお伊勢さんの空気は格別だ・・・とのお誘いを受けて、久々にお伊勢参りへとでかけた。
参道に立ち並ぶ店の軒には、燕の巣だらけ。まだ観光客も訪れていない朝、親燕達がせわしなく餌を求め飛び交う。
天照大神をお祀りする内宮への道は、朝8時半頃という事もあってまださほど人も多くない。
と、少し脇にそれた道になんとも私達を引きつける立派な杉の大木が。あちらの道を歩こうと、ほとんど人気の無い道を行くと、お参りを終わられた初老の紳士が前から・・・。ひと目見るだけで、「この方は毎日か毎週か、必ず定期的にお参りされている方だな」とわかる清らかな雰囲気。歩き方、姿勢にその方の心が現われていた。

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柳生の里 -あたやの石仏-

あたやの石仏

車で前を通った時に、なんとなく雰囲気を感じて川を挟んだ向こう側を見ると、木の影からこのあたやの石仏が見えたので車を降りてお参りしたが、本来歩いてお参りすべき石仏郡のひとつである。

元々、このあたやの石仏のあたりには阿対(あたい)寺があったらしく、それにちなんであたやの石仏といわれているらしい。
高さ約5m、幅約3メートルの石に刻まれており、中央が鎌倉末期の阿弥陀如来で、流行病よけの願いをきいてくれるという。
左側が地蔵菩薩で、室町時代の作。右肩に作者の名「源佑」が刻まれている。こちらは、子供のない人が豆腐を供えると子が授かるそうで、子供が出来た時には一千個のじゅずを作り、お礼参りをするのだとか。確かに、長い長い数珠がいくつか納められていた。
古くから人々の信仰を集めている柳生の里の様々な石仏。現在では観光地のようになっているのかと思っていたが、やはり今も人々の拠り所となっている事は確かであった。

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第3回 西村惠信所長と行く、“禅と文化”の旅

承天閣美術館

平成19年5月30日(水)、たくさんの方にご応募いただいた“禅と文化”の旅、第3回目を終えました。
くわしい行程はこちら

【承天閣美術館 若冲展-釈迦三尊像と動植綵絵-】

この日はあいにくの雨(実は禅と文化の旅、雨の日が多いのです。雨男・雨女はいずこ・・・)。
京都駅を出発し、連日多くの人で賑わっているという、相国寺承天閣美術館にて開催中の「足利義満600年忌記念 『若冲展』-釈迦三尊像と動植綵絵-」をまず拝観致しました。
釈迦三尊像と動植綵絵が120年ぶりの再会といわれていますが、なぜなのでしょうか。この展示のいきさつについては、承天閣美術館HPに詳しく書かれていますので、是非ご覧下さい。
青物問屋の息子であった若冲だからこそふんだんに用いる事のできた、当時高価であった「白」。
また、他の様々な色を使って精緻に描かれた数多くの動植物、そして正面に釈迦三尊像。筆舌につくしがたいものでした。
江戸時代を生きた若冲が、いのちとは何か、信仰とは何か、今の時代の我々にその尊さを問いかけていました。
短い会期の間に、日本全国からひと目これを観たいと集まる人々。みなさん、このような大作を相国寺に寄贈した若冲の心、思いを感じた事でしょう。


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柳生の里 -天石立神社-

天石立神社

巨石を御神体とする、天石立(あめのいわたて)神社を訪れた。

少し汗ばむような陽気の日、この神社へと続く道は頬をなでる風がひんやりとして心地よい。
鬱蒼とした木々の中を進んでいくと、ゴロゴロと巨石が・・・。
四つの巨石の総体を、天石立神社と呼ぶ。
伝承では、高天原にて手力雄命が天岩戸の扉を引き開けた時、力余ってここまで飛んで来た扉こそまさにこの巨石なのだそうな。

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柳生の里 -柳生家墓塔 芳徳寺-

柳生家の墓塔

柳生家菩提寺、芳徳寺にて、柳生一族が眠るお墓へお参り。

緑溢れる敷地を少し歩いて行った所に、歴代が眠っている。
何代も続けて、先祖代々の地に眠る・・・。現代では少なくなってきた事だろう。

墓前の地蔵柳生家歴代の墓

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柳生の里 -柳生家菩提寺 芳徳寺-

芳徳寺

兵法の 梶をとりても 世の海を
       渡りかねたる 石の舟かな

中学生か高校生の頃だったか、この柳生石舟斎の句を耳にし、なんとなく「かっこいいな」と思ったものの、特に柳生の里にまで足を向ける気にもならずに過ごしていたが、先日やっと訪れてみた。
ここ、芳徳寺は、石舟斎の菩提を弔う為、その子宗矩が創建した大徳寺派の禅寺。
開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。
歴史上の人物が当時の名僧と親交があったり、居士として禅の修行に励んでいたりする事はよくある事だが、特にこういった所を訪れても、何宗のお寺なのか、なぜその宗派の寺を菩提寺としているのか・・・などとはあまり関心が持たれぬ事も多い気がする。
観光地と化してしまった寺では、何宗の寺なのかを知りたくても、拝観チケットやパンフレットにも書かれていないなんてことも無きにしもあらず・・・。
その人物の背景や、寺の創建の由来などを知ってこそ、歴史への理解も深まり、旅もより一層味わい深いものになる。
是非、お寺を拝観される際は、お庭に心癒されるのももちろんだがその他の事にも少しづつ興味を持っていっていただきたい。

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堅田 真野川の鯉のぼり

真野川の鯉のぼり

大津市堅田に流れる真野川では、地元の小学生が作った鯉のぼりが元気に泳いでいました。
1つ1つ違う模様の鯉のぼり、とても上手に出来ています。
ここを通る人の心を和ましてくれますし、こちらも、地元の小学生達が、健やかに心強く成長する事を願います。

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稲葉山城 -岐阜-

ちょうど岐阜に出かける機会があった為、司馬遼太郎氏の『国盗り物語』を読み、歴史にはまってしまっている私は、かの斉藤道三の居城、稲葉山城(信長の時代より、岐阜城)を訪れた。

天守閣からの眺め

どうやったらこんな所に?! という山のてっぺんにその城はある。
美しい長良川を眺めつつ、戦国の覇者達への思いにしばし浸ってしまう。
どのような思いでこの城から城下をみつめていたのか……。


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世に聞く吉野の桜

本ブログでは、桜の話ばかりが続く感がするが、日本一の桜の名所ともいわれる、奈良県は吉野山に行ってきた。
奈良県吉野郡吉野町。
ここから和歌山にかけて繋がる紀伊山脈は、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、2004年に世界文化遺産に登録された。
この吉野の山には、下千本、中千本、上千本、奧千本と呼ばれる4つのエリアにわたって、約1カ月かけて桜が咲き乱れていくそうで、でかけた日は上千本が満開になりはじめた頃である。
というわけで、桜も満開ならば、人も多いことこの上ない。


世に聞く吉野の桜

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長谷寺

真言宗豊山派の総本山、奈良の桜井市にある、豊山・長谷寺を訪ねた。


長谷寺山門


桜、木蓮、藤、紫陽花、紅葉、寒牡丹と、一年中、花の絶えないお寺として有名ではあるけれども、今が一番花が少なくひっそりしているのではないだろうか。
私は人でごった返しているお寺より、ひっそりと閑静なお寺にお参りする方が心が落ち着くので好きだ。

長い回廊の階段

長い回廊階段を登り詰めていくと、途中、終わりかけの寒牡丹とは裏腹に、蝋梅が咲いて、いい香りを放っていた。足元には福寿草もきれいに咲いていた。

いい香りを放つ蝋梅 福寿草

長谷寺の続きを読む

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第2回 西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅

去る11月11日(土)、恒例のバスツアーを催行致しました。
この秋は、混雑する京都を避け、滋賀への旅を企画。
禅や美術に触れる旅となりました。
当日の天気予報は雨・・・でしたが、さほど降られる事もなく、無事全行程を終えさせていただきました。

くわしい行程はこちら
前回の旅行はこちら

大池寺_蓬莱庭園

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飛騨高山 渋草焼・屋台?!

10月15日、飛騨高山を訪れた。
いつも高山を訪れるのは、大好きな釜元があるからだ。
渋草焼といって、精緻ながらもなんとも温かい絵が気に入っている。>当代は6代目で、戸田柳造氏。

茶道具はそれなりの値段だが、普段使いの湯のみや皿は求めやすい値段で、使っていると何とも言えない愛着が湧く。
今回も、そんな陶器達に惹かれこの地を訪れた。

と、警備員さんが道を歩く私に「屋台はそっちの道からいくと並んでるよっ!」と・・・。
「屋台?別に私お腹空いてませんけど・・・」と思いつつも、言われた通りの道を行くと、曲がった途端に目に入ってきたのは!!!

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金沢 -兼六園-

徽軫灯籠

水戸の偕楽園、岡山の後楽園と並ぶ日本三名園の一つ、兼六園に訪れた。
延宝年間(1673~81)、5代藩主前田綱紀が造らせた蓮地庭である
現在の姿は13代藩主斉泰の時代に完成したもの。約11.4万平方mの敷地だという。

-兼六園-の名は、六つのすぐれた景観「六勝」を兼ね備えていることから名付けられたという。
今回この時期に訪れたが、是非一度冬の雪景色も見てみたいと思った。
また、訪れるようであれば、成巽閣は是非拝観されるのが良いと思う。

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金沢 -21世紀美術館-

21世紀美術館_ガラス張りの美しい建物

21世紀美術館。
この手の美術館を敬遠しがちな私であるが、美術の仕事に携わる人から行くべきだと言われ訪れてみた。
楽しい!!! 
建物も展示内容も近代的。 なのに古都金沢にマッチしている。
浮いた存在にならず、この古都に上手に溶け込んでいて、それにも驚かされる。

プールの中にて

プールの中で写真を撮ってみました。
これ、どうなってるかわかりますか?
是非行ってみて下さい。 他にもいろいろな不思議と楽しさを体験できます。

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白川郷 -どぶろく祭-

御輿が社へ

世界遺産、白川郷を訪れた。
今回のお目当ては、ちょうど土日と重なった-どぶろく祭-。
白川郷にある白川八幡神社(創建は和銅年間と伝えられる)では、毎年10月14日、15日と、このお祭が執り行なわれる。
白川郷は、平家の落人の隠れ里といわれ、外との交わりをほぼ断っていた人々が、各々の家で稗や粟で酒をつくり、なぐさみとしていたようである。
このお祭は、新穀豊作に感謝する新嘗祭に由来する行事であろう。
参拝者にふるまわれるどぶろくは、古くから受け継がれた技法をもって、雪深い1月下旬に、神社の酒蔵で造りこまれるらしい。
甘みと酸味、清らかな水の味、生きている糀の味、一度にいろいろな新鮮な味を感じられ、とても美味しいものだ。

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紀州備長炭

備長炭を焼く窯

和歌山を訪れた際、備長炭を作っている所を訪ねてみた。

水やご飯を美味しくし、部屋の空気を浄化。靴箱や冷蔵庫では脱臭材。
紀州の備長炭は、身体にも自然にも優しく、万能なので愛用中。

最近では、シックハウスから住む人を守ると注目されているようだ。
また、家庭菜園なんかの肥料にも炭のくずが使われているとか。
その他にも、利用法は無限にありそうな備長炭。
まわし者のようだが、単に素晴らしさをお伝えしたいのみ。
一度おためしあれ。

出来立ての備長炭

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西明寺 -ご開帳-

美しい三重の塔

湖東三山の本尊がご開帳。今回は、西明寺を訪れた。

天台宗の寺院で、平安時代(834)に仁明天王の勅願により、三修上人が建立した寺だという。

湖西にいた三修上人が、東の空に紫色の雲がたなびくのを見て、かけつけてみると、池の中から薬師如来が現われたのだという。その場所に建てられた事もあり、池寺(いけでら)とも呼ばれ、ここの地名も池寺というそうだ。

こちらのご本尊は薬師如来で、脇侍の日光菩薩月光菩薩も非常に美しい。

それにしても、山を登って漸く本堂にたどり着くあたり、百済寺も金剛輪寺もこの西明寺もとてもよく似ていて、私は頭の中で3つを鮮明に思い出す事ができない。

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金剛輪寺 -ご開帳-

百済寺から車で北に10分ほどのところに、同じく湖東三山の一つ、金剛輪寺がある。
ここも天台宗開宗1200年にあわせ、秘仏「聖観世音菩薩」のご開帳を行なっている。


金剛輪寺の参道


ここは、当時の住僧の機転で、寺の上の山林に自ら火をつけ、本堂が焼け落ちたと偽って、信長の焼き討ちから逃れたという。

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百済寺 -ご開帳-

ご開帳でにぎわう百済寺

以前も書いたが、近江の百済寺にて、本尊十一面観世音菩薩のご開帳(9/18~10/27)があり、参拝した。
今まで見たことの無いようなお顔のように思った。
つらつらと感想を書くのも気が引ける。是非この機会に近江まで足をお運びいただきたい。
他に湖東三山の、西明寺・金剛輪寺も同時に秘仏が公開されている。

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堤側庵 -三重県名張市-

堤側庵

名張の知人に連れられ、とあるギャラリーを訪れた。
このギャラリーへの道は、どことなく情緒があり、尋ねてみるとやはり昔は伊勢参りの為の街道-初瀬(はせ)街道-だったとか。
そんな街道沿いにある、提側庵(ていそくあん)は、古い家屋を改造して作られたギャラリーだ。
古い建物や、立派な古い梁を生かしつつ改築し、現代的に開放された空間が居心地良い。

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賤ヶ岳

賤ヶ岳からの眺望

言わずと知れた、秀吉と勝家による天下分け目の戦いが繰り広げられた地である。
古戦場を訪れるたびに、「一体どうやってこのような所で、甲冑で身をかため、激しく戦ったのであろうか・・・」と思うばかりである。
今となっては、つわものどもが夢の趾・・・か。

美しい湖北からの琵琶湖

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岡山 倉敷 美観地区・民芸館・大原美術館

倉敷 美観地区

倉敷の美観地区は、平日ということもあって観光客が少なかった。 まずは倉敷民芸館を尋ねた。 ここを訪れるのは初めてだが、かなり見応えのある所蔵品の数々だった。日本だけでなく世界中の民芸品が集められている。現在は籠をテーマにした展示をされていた。 建物も江戸時代からのものらしく、中庭も印象深い。

倉敷民芸館 中庭

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岡山 吉備津神社・国分寺跡

岡山市の西に吉備津神社という神社がある。
桃太郎伝説のモデルとなった神話が残る神社である。
通り雨の上がるのを待って、木立の中の階段を上がり、本殿に至る。
残念ながら、現在、本殿の檜皮葺き替え工事のまっ最中で、「吉備津造り」といわれる壮大な全体像を見ることができなかったが、かなり大きな本殿であるのがわかる。
本殿右側には、奥の三社神社の方へ続く長い長い回廊があった。


吉備津神社の長い回廊


ところで、あの栄西禅師は、この吉備津神社の子として生まれたのである。

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岡山 備前焼

布袋香合_備前焼小西陶古作

少々わかりにくいかもしれないが、ごらんあれ、この布袋さんの足の親指。まるで生きているようでしょう?

岡山県の伊部(いんべ)駅の近くの備前焼きの里にならぶ窯元の店を歩くうち、ある一軒の店に入ると、少し耳の遠いおばあさんが店番をされていた。
ふと見ると、店の机の上に読みかけの『床の間の禅語』が置いてあるではないか。
おばあさんに、「この本は私の勤務先が出版している本なんですよ」と言うと、「いろいろとあるけど、この本が一番いいので、いつも側において読んでいる」と嬉しいお言葉。ご子息が禅の本を何冊か持っていらして、その中でもこの本が一番良いとおっしゃっているとも伺った。有難いことである。
そういうご縁に根っから弱い私は、この店がとても気に入った。
それだけではない。この店の随処には山野の花がきれいに活けてあった。
そこにあったこの布袋さんの香合を買い求めたのである。
陶芸家は、小西陶古という女性作家である。
土は備前のものだけを用い(最近ではなかなか土が採れないらしく、他の土地の土を混ぜて焼くものがあるそうだ)、窯は松割木だけで焼くという方法に拘っておられるようだけあって、色合いが非常に美しい。
(E.N. Wrote)

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近江のかくれ里-百済寺-

本堂へと続く石段

白洲正子さんの『かくれ里』や、五木寛之氏の『百寺巡礼』などにも出てくる、近江の百済寺(ひゃくさいじ)を訪れた。
白洲さんゆかりの地を訪れたかったのと、以前MIHOミュージアムで見た如意輪観音を本堂にて拝みたかったからだ。 百済寺は、推古天皇の時代に、聖徳太子の御願により百済人のために創建されたそうだ。 滋賀にはこのように聖徳太子にまつわるお寺や土地が数あるようだ。興味深い。

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岡山 後楽園

岡山後楽園 岡山城が見える

日本三名園のひとつ岡山後楽園は、閑谷学校を造った池田光政の長男、岡山藩主の池田綱政公が造らせた庭園である。

庭園には水が流れて涼しい

広大な敷地に広がる庭園には、大きな池が在り、水がながれ、岡山市内とは思えない景色だった。 暑い夏の日ではあったが、気持ちが大らかになった。

岡山城は烏城とも呼ばれる

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岡山 閑谷学校

讃岐うどんを食べた高松を後にして、岡山へ渡った。
岡山では、まず閑谷学校へ。約300年以上前、備前藩主池田光政が庶民教育を目的に開いたという学校で、その講堂は、今は国宝に指定されている。
掃除がゆきとどいており、とても気持ちのいい場所だ。ここで学んだ人たちは、後に出世した人も多いのだが、素晴らしい土地を選んで学校を作り、それも庶民に学ばせようとした光政侯の遺徳が忍ばれる。


閑谷学校の門

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讃岐うどん

禅の修行道場(僧堂)での食事は、本当に質素なものだ。その中で一番の御馳走は何か?と聞かれたら、迷わず「うどん」と答える禅僧が一番多いのではないだろうか。
僧堂で食べるうどんは「湯づきうどん」。一般的には釜揚げうどんと呼ばれるが、湯立てたうどんを、ツケだれですするのである。普通は音を立てずにもくもくと食べるのが僧堂の食事の様子なのだが、こと、うどんの時には、ずるずると音を立てることが許され、お変わり自由食べ放題といったところだ。

さて、そういったことから、私自身もうどんは大好きな部類に入る。
椎名誠氏の小説にも出てきて、以前から一度現地で食べてみたかった讃岐の生醤油うどん。遅めの夏休みをいただいて、ちょっとした旅に出たので、高松に行って食べてきた。

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近江のかくれ里

近江の里

最近ふと読み返そうと思い読んでいる本がある。
白洲正子著『かくれ里』。

大好きな京都のお隣であり、歴史深い地でありながら、最近まで全く興味の無かった「近江」に興味を持ち始めたからだ。
彼女が紹介している場所を、本を読んだからといってそのまま訪れるのはいささかおこがましい。
白洲さんにも、「自分の足で探しなさい」と言われそうだ。
だが、白洲さんを10年ほど前に知り、『かくれ里』も読んだはずなのだが、京都ばかりに注目し、見向きもしなかった滋賀に着目するまでには10年近くかかったのだ。そこまでたってやっと心の底から、
「あぁ、滋賀を知らなくては」
と思った。自然と思うに至ったのには、「そろそろ行っても良いだろう」との御許しが出たのだと勝手に自分なりに解釈したい。

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