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2008年07月04日

焼香に思う

昨今、うちのような田舎寺の檀家さんのお葬式でも、時折、葬祭ホールで行なわれることがある。
私は、故人に感謝報恩の意を表わすならば、できる限り自宅でのお葬式を勧めているのであるが、今はそれはおいておこう。

導師は葬儀の際に数度、自分の目前にある香炉に香をくべる。
私は自分の懐から持参した香合を取り出して、手持ちの沈香の1片をくべる。先日の「禅と文化の旅」で教えていただいたような香道の作法とはことなり、沈香を香炭に直接のせるので、一気に煙が立ち上ぼる。香道の人が見たら、なんと勿体ない……ということにあいなろうが、それはまたさておき。

葬儀が始まって、中盤に引導が終わると、参列者の焼香が始まる。ほとんど参列者はこの葬儀社の用意した抹香を香炉に押し頂いてくべる。長い列ができているのに、どこで習った作法か、3度も押し頂いてくべている人もいるようだ。
しかし、言っちゃ悪いが、この抹香、どんな成分が含まれているのだろうと思うことがある。この煙に咳き込むのである。
私は以前に喉の手術してから、煙に対してかなり神経質になっている。嫌な煙を吸い込むと、なにしろ咳き込んだり声が出なくなったりするのである。しかし、不思議なもので、きちんと作られたと思われる昔ながらの抹香には咳き込まず、葬祭ホールの抹香には咳き込み、葬儀の後に葬儀社が当家にくださる煙の出ないお線香にもテキメンに咳き込む。

もしこのブログを読んでおられる葬儀社関係の方がおられたら是非お願いしたい。コストの問題もあるのだろうが、こちらも声が出なくなったら仕事にならない職業なのである。どうか、できるだけいいお香を使って欲しい。喉をつぶされちゃタマラナイのです。

さて、一年に一度程度は参列者になりうるあなたにもお勧めしたいことがある。
葬儀などで焼香する時には、本来、ご自分のお香を持参すべきなのです。自分のお香を持参して献じるのが本当なのです。葬祭ホールが用意したお香で焼香するのは、借り物を献じているのであって、本当の意味ではない。

どこかのお寺の法要で、管長様や老師様が焼香をされるのをみたことがないだろうか。老師について、侍香(じこう)という役目の修行僧が手持ちの香合を差し出し、老師はその中から沈香をつかみ取って、真前にお香を献じられる様子を。あのお香は老師自らがお持ちになったものである。

焼香の列に並びながらポケットから香合をさっと取り出し、一つつまんで、気持ちを込めて香合にくべて、合掌一礼。

それから、そのあと葬儀社が配るお手拭きタオルなど受け取ってはなりませぬ。それなら事前にきちんと手を清めておく方が大切なのです。焼香で手が汚れるなどということはないわけですから。

2008年07月02日

普通の水

四国 石鎚山

ミネラルウオーターを飲んだ。
いろいろとミネラルが添加された「おいしい水」なのだそうである。
その水を見ながら考えた。この水と同じぐらいのミネラル分を有する天然水というのは、どこに行けば飲めるのだろうか。

そして、いろいろと水の綺麗そうな場所を思い浮かべ、おいしく水を飲みおわり、さて使ったコップを洗おうと蛇口をひねって、また考えた。いま飲んだ水と、このコップを洗おうとしている水と、どこがどのように違っているのか。

また、そういう時にかぎって、たまたまペットボトルの水を買っていた。ちなみに、ラベルによると某外国から輸入されているものらしい。

残り少なくなったペットボトルをながめながら、ミネラルウオーターが出てきた時には、「お金を出して水を買うなんて」とおもっていたことや、「水の臭い」と信じていたものの正体が実は「塩素」だったことなどを思い出した。しかも、このペットボトルに入っている水は外国から輸入されたものである。資源開発につながる地球規模の環境破壊にはじまり、天然資源の切り売りによって獲得される保有国の利益、そもそも水とは本来誰のものなのか、はたまた今日の研究成果の俎上にある人工的につくられた、さまざまな「おいしい水」が飲めることが本当に幸せなのか、などなど、そんな思いが浮かんでは消えていく。

そんなことにさんざん時間を費やしたあげく、ふと思った。
いつでも、どこでも、ただで、普通の水が飲めたらいいのに。

でも、普通の水ってどんな水なのだろうか?

2008年07月01日

夏越の大祓

茅の輪くぐり

昨日で今年も半分が過ぎ去りました。
人には、生きていると知らず知らずのうちに罪や穢れも積もるもの…と、年あらたまってから半年分の罪穢れを払い清め、残り半年も健やかに過ごせるよう願う日本古来の神事が、京都の多々ある神社で行なわれていました。上の写真のような茅の輪をくぐります。
いにしえの人々の意識には脱帽です。残りの半年を迎えるにあたって、知らずに積んだ罪業を払い清め、神仏のご加護を頂き、健やかに暮らしたいと願う気持ちがなんとも謙虚で美しく思えます。

私が茅の輪をぐぐろうとしていたところ、とある観光客の方が「半年の罪、穢れ?そんなものは私には無い。悪い事なんてしてない」と、茅の輪をくぐらずに隣を素通りされました…。個人の自由でしょうが、それにしましても、「そういうことではないでしょう…」と思うのです。
傲慢になりすぎた我々現代人は、昔の人のように、「おてんと様が見てはるから、悪いことはしたらあかん」、「罪作りをしては、自分に返ってくる」などという考えはだんだんと薄らいでいるのでしょうか。
いにしえからのしきたりや習わしには、人が和を保ちつつ暮らしていく、心身共に健やかにいられる為の智慧がつまっていると思います。
学校において宗教教育ができない現代においても、やはり大切なものは大切なもの…と、守り伝えて行かれるべきではないでしょうか。

さて、余談ですが、この夏越の大祓の日には、京都では「水無月」というお菓子を食べる事になっています。
これも、民間信仰や、宮中の行事に深く関わりがあるお菓子で、暑さを乗り切り、邪気を祓う為には欠かせないお菓子なのです。研究所ではあるお坊さんが毎年持ってきて下さり、職員皆で有り難くいただく事にしています。


2008年06月24日

「女」の幸せ

ひつじ草


平安時代、女性は罪深いものとされ、救済への道を閉ざされていた。女身は「垢穢」であり、一たび男性になってから成仏できるという『法華経』の「変成男子」は有名である。

自身の仏道修行への道を閉ざされた平安貴族の女性たちにとっての代替措置の一つに、息子を僧侶にするというのがあった。立派な高僧となった息子を媒介として自身も救済に預かろうとしたのである。

だから、彼女たちは、大変な教育ママであった。その典型、恵心僧都源信の母は「賢母」として有名だ。『今昔物語集』などによると、次のような人物であった。

幼くしてやんごとなき学生となった源信は、大后の御八講に召されて賜り物を受けた。その一部を故郷大和の母のもとに送ったところ、母は

「…名僧にて花やかにあるきたまはむは、本意に違うことなり。」

と戒めた。母の誡励をありがたく受け取った源信は、比叡山を下ることなく修行に励んだ。

そして年月が過ぎ、源信のもとへ、母危篤との知らせが舞い込んだ。何とか親の死に目に間に合った源信の導きによって母は念仏を唱え、息子に見守られながら安らかに浄土へと旅立った。

このような「女」の願いは、自らが達成できなかった宗教的願望を、息子に投影し補償させているにすぎないとも言えよう。フェミニズムの立場からも、このような母親像は当然批判の対象とされている。

しかし、立派な高僧に成長した息子に臨終の引導を渡してもらい、その腕の中でやすらかに息を引き取る、そんな理想には、子を持つ「母」としての偽りのない喜びが隠されていることも否定できない事実ではなかろうか。

2008年05月09日

どですかでん

映画監督の黒澤明氏が亡くなって十年になるという。

黒澤監督の初カラー作品「どですかでん」は評価が二分した。とくに日本での評価は非常に低かった。

私はこの作品が好きで、当時映画館で二度見た記憶がある。
「どてすかでん」というのは、自分を電車の機関士と信じる少年が、作中で発する電車の擬声語である。夢の島で撮影されたというこの作品に登場する町は、想像を絶するような掃き溜めであったが不思議に美しい印象が残っている。
各々に過去を背負って町に流れついた登場人物全員が作品の主人公である。零落してなお過去の栄光のみに生きる子持ち男、智恵遅れの少年と、やたら「南無妙法蓮華経」を唱えるその母親、妻の姦淫が原因で完全に自己に閉じこもったインテリ、正体不明のご隠居、荒くれ人夫たちや破天荒なその妻などなど。日本の極貧の町の縮図である。
ある日、荒くれ男が怒り狂って雨のなか刀を持ち出して振り回す。だれも怖くて近寄れない。住民のひとりである「ご隠居」が近づいて、何やら言う。男は刀を振り回すの止め、うなだれて家に帰る。しばらくあとに、別の住民が刀を引っ込めた理由を尋ねる。荒くれ男が答える、「あんとき、ご隠居がこう言ったんだ、〈お一人ではお疲れになるでしょうから、私が代わりましょう〉。おれは何も道路工事をやってたわけじゃねえんだよ」。
黒澤作品に一貫するのは深いヒューマニズムだが、どの作品にもどこかしらユーモアがある。

日本での酷評による黒澤監督の落胆は大きかったと聞く。綿密かつ大胆な映画作りで定評のあった巨匠はまた繊細な芸術家でもあったのだ。名高い「羅生門」も当初日本での評価は極めて低く、大映で制作に関わった重役たちは全員飛ばされたという。
しかし1951年にこの作品がヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞すると、国中が手のひらを返したように黒澤氏を大監督と呼ぶようになったのは周知のことである。

黒澤作品には、いずれも世界に通じる〈普遍的な映画の言語〉があると看破したのは映画評論家の淀川長治氏だが、大戦後、欧米一辺倒となってゆく風潮のなかで、それまでと変わることなくどっしりと腰を落ち着けて、極めて日本的な風土・人々を描き続けた監督が、世界の圧倒的な共感と賞賛を得たのは愉快で嬉しい。

1970年代の終わり、時にはあからさまな人種差別の眼差しに射られながらフランスで勉強していた私が、当時もっとも誇りとしたのは、黒澤明と同国人であるということだった。

2008年04月02日

西小路通り

西小路通り

花園大学キャンパスの西側を南北に通る道が西小路通である。南から太子道までは広く快適な道だが、大学付近は依然として狭隘な道だ。もちろん一方通行である。

ずいぶん以前から拡幅計画があるようだが、最近はあらかた用地買収も完了したようで、丸太町通りとの交差点には信号機も設置された。
 
道路が拡幅されると自動車の通行もスムーズになり、歩行者も歩道を安心して通ることができる。しかし、そのぶん自動車の通行量は増える。歩行者の道路横断は難しくなり、両側の町は分断される。
 
そのような状況が各地でしばしば見られる。道路整備は重要だが、人々のつながりを壊さないような配慮が必要であろう。

2008年02月13日

それにしても安くなった

harddisc.jpg

なんの話かというと、パソコンのことである。 約20年前に研究所に就職し、その頃にNECのパソコンが一斉風靡しだして以来、ずっとパソコンとおつき合いしている。 しかし、相変わらず、パソコンっていうのはブラックボックスでもある。便利さが増すにつれ、どんどん中身がわからなくなっていく。

先日も、個人的に関わっている公共施設のパソコンの調子が悪くなったので見て欲しいと頼まれ、出向いて調べてみたところ、ハードディスクが瀕死の状況。
しかし市のネットワークからは切り離しているパソコンなので、市は面倒をみてくれないのだという。
もちろん普通の職員には、どうしていいやらわからないのは、仕方がないことだ。
さすがお役所仕事だと思いつつ、自分が関わっていることもあり、修理をしてあげることになった。

ネットで適当な内臓用ハードディスクを見繕って購入し、後日、届いた連絡を受けた後に、新しいハードディスクに引っ越し処理。約一日かけたが、前と同じ状況に復旧することができた。
職場や個人で何度もやってきたことだから、時間さえあれば難しいことではないのだが、えらく感謝されてしまった次第である。

それにしてもパソコンは20年前から、はるかに高性能になった。しかしセットとしての価格は半額ぐらいになったといえる。最初に個人で買ったパソコンは40万円もしたが、5インチのフロッピードライブが2器もついた、そのくせハードディスクのないパソコンだった。当時、ハードディスクは40MBの容量でも約40万円したので、ハードディスク1台買うのにもかなりの覚悟が必要だった。1MBが1万円という感覚でいたのを覚えている。
しかし、今のパソコンには250GBというような容量の内臓ハードディスクはあたりまえのように搭載されている。そのくせ10万円も出せば、そこそこのパソコンが買えるではないか。
そこでちょっと計算してみた。250GB=250000MBであるから、当時の計算でいくと、この250GBのハードディスクは25億円相当になってしまう。しかし現在の実売価格は1万円もしない。おそるべき低価格化、技術進歩なのである。

2007年10月01日

「ZEN」車両

-静けさ-を思わせるもの

先日の朝日新聞にて、フランスの新幹線TGVの一部車両には、「ZEN」と名付けられた車両がある事を知った。もちろん禅宗の「禅」からきており、坐禅を組んだり瞑想したりする時の静寂さをイメージしての命名だそうな。
「うまく考えるもんだなぁ・・・日本みたいに単なるサイレント車両という呼び方ではなく、なんだかおしゃれなイメージじゃないか」と思った瞬間、「いや、禅をこういった一種のスタイルとして取られるだなんてなんだかなぁ・・・」と苦々しく思ったり、胸中複雑だ。

調べてみると、この車両では、12歳未満の子供もお断りで、会話も慎まなくてはならないようだ。
反対に、携帯も会話もゲームも自由、まるで何でもオッケーかのような車両もあり、こちらも予約できるそうだ。

日本の新幹線にもサイレント車両はあるわけだし、試み自体が目新しい物とも思えないが、この「ZEN」車両というネーミングに過剰反応してしまった私である。

ちなみに、以前の記事、ZENスタイルについても是非ご高覧いただきたい。
本日掲載の写真も、欧米人からみると、「禅的」なのだろうか。

2007年08月24日

先祖代々の墓

蓮

お盆にお墓参りに行ってきた。新しい霊園には「翔」「夢」など、思い思いの文字が書かれた墓石もかなり増えてきたが、実家の墓地は村の共同墓地で、「先祖代々之墓」「〇〇家之墓」などと彫られた角柱形のものが主流である。

これらの墓は、彫ってある文字が示すとおり家の墓であって個人の墓ではない。日本は「イエ社会」だといわれるから、このような形態の墓が伝統だと思うのが普通であろう。

しかし、貴族や武士ならともかく、庶民までイエ制度が普及するのはそんなに古いことではない。だから「先祖代々之墓」と刻まれた墓石も、そんなに古いものではないそうだ。

墓石を詳細に調査した研究によると、現在見つかっている最古の先祖代々墓は寛政四年(1792)のものだそうである。広く庶民にまで先祖代々墓が一般化するのは20世紀に入ってからとのことという。(岩田重則『「お墓」の誕生』岩波文庫)

それ以前の墓石はどうであったかというと、位牌のように個人あるいは夫婦の戒名を刻んだ個人墓が普通であったらしい。古くさかのぼったほうが「個人主義」とはおもしろい。

石塔一つからでも、いろいろなことを読み取ることができるものである。

2007年08月17日

女というのは・・・

久しぶりに楽しい言葉に出会った。

ジョージ秋山の『浮浪雲(はぐれぐも)』。連載八百回記念という今号は、なんとか良い妻をめとって子どもに恵まれていい生活をしようと生真面目一本でやってきた男のおはなし。ほのかに思いを寄せる女性はいるが、一歩が踏み出せずに悶々と日々を送る。そんな男に、品川宿「夢屋」の頭(かしら)「浮浪雲」が「指南」する。

「女とはどういう生き物か知ることでんす。女は三つでできてる生き物でんす。虚栄と快楽と打算でんす。この三つを満足させるのが男の仕事でんす」。

あまりに言い得て妙なので、思わず声を立てて笑ってしまった。こんなふうに思い切れる男に女はどれほど出会いたいことか。

そして不思議なことに、そんな浮浪雲と暮らす奥さんのカメさんには、「虚栄」や「快楽」や「打算」に駆り立てられる風が微塵も感じられないのである。

2007年08月16日

居士 -こじ-

居士とは

戒名に使用される「居士」という尊称。
本来は在家でありながら仏道に精進する男性を称する語でした。

仏教で使う居士の語は、サンスクリットの「グリハパティ」、すなわち「家の主人・家長」の訳語ですが、特にインドの四姓の中のヴァイシャ階級の資産家を呼ぶときに使用されたようです。ヴァイシャは商工業に従事し、仏教を信奉する富豪も多くいました。
『祖庭事苑』という禅籍には、居士と呼ばれるための四つの条件が挙げられています。

  およそ四徳を具するものを、すなわち居士と称す。
  一には仕宦(官)を求めず。……役人ではない
  二には寡欲にして徳を蘊(つ)む。……欲をもとめず功徳にはげむ
  三には財に居して大いに富む。……大金持ちである
  四には道を守ってみずから悟る。……仏道に精進する

居士になるのも並大抵のことではなかったようです。今となっては単なる理想像かもしれません。

2007年07月20日

美しい国、日本?! -アレックス・カー氏-

氏は、雨蛙を見てエメラルドと・・・

7月15日、TBS『情熱大陸』というTV番組に、アレックス・カー氏が出ておられた。
どのような方かはこちらで>『情熱大陸 アレックス・カー(東洋文化研究家)』

様々な仕事をこなしていらっしゃるが、その全ての根底にあるのは、-本当に美しいものとは何か-であって、揺るぎない信念と審美眼を持つ彼だからこそ出来うる仕事をしていたら、それがあらゆる分野にまで拡がっているだけなのだと思えた。

「日本は、東洋の文化の終着地点のような所」と、番組内でおっしゃっていたが、まさにその通り。それは、アジア各国に趣き様々なものを自分の目で見て、手で触れて来たからこそ自然と出てくる言葉なのだろうと思えた。
今、政府は「美しい国、日本」というコピーを携えているが、それならば、その日本の源流とも言える国々の文化の知識までをも持ち、その上で、なかば壊れかけた日本の美しい風景や文化をどのように立て直して行くのかを見据えなくては、狭い狭い日本の内だけを見て「美しい国、美しい国」と言っていても、机上の空論に過ぎない気がする。
氏のように、知識と経験、ものを見る心の目を持った方に政策に携わって欲しいような、すがるような気持ちになってしまった。

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2007年07月04日

半夏生(はんげしょう)の季節

半夏生

「夏至から数えて11日目(現在は、天球上の黄経100度の地点を太陽が通過する日となっているそうだ)、だいたい7月2日~七夕頃までの間の日を、半夏生と言ってね、この花は、その頃にちょうど花を咲かせて、花のすぐ下の葉が白くなるから、半化粧とも言われるのよ。お化粧してるみたいでしょ!」と、お茶の先生から習った半夏生。

毎年毎年、この時期になると必ずと言っていいほど、茶室の床にお目見えし、「不思議・・・」と、1枚だけ白くなった葉をまじまじと見つめる。
小さな茶花の、たった一枚の葉っぱに、涼を覚えたりもする。

「半夏生」は、私にとっては、「これからさらに暑くなるなぁ、あ、もうすぐ祇園祭か・・・」と、季節の到来を知らせてくれる花の一つだ。
毎年、変わらずこの時期になると葉っぱが白く・・・。なんとも不思議な自然の営みなのである。

2007年05月25日

いろは歌

「いろは歌」は周知の通り、ひらがな四十七文字を一度だけ使って作られた今様体の歌謡である。『涅槃経』の文句「諸行無常、是生滅法。生滅滅已、寂滅為楽」と同じ意であるとも言われる。

現代では弘法大師作は否定されている。その根拠の一つに、ア行の「え」とヤ行の「え」の区別がないことがある。この区別は空海の活躍した平安初期には存在したが、その後消滅したとされるものである。

手習いのためのこの種の歌謡の作成の試みは「いろは」以前にもあった。「あめつち」は比較的行なわれたようで、次のようなもの。

あめ つち ほし そら   (天 地 星 空)
やま かは みね たに   (山 川 峰 谷)
くも きり むろ こけ   (雲 霧 室 苔)
ひと いぬ うへ すゑ   (人 犬 上 末)
ゆわ さる おふ せよ   (硫黄 猿 生ふせよ)
えの え※を なれ ゐて  (榎の枝を 馴れ居て)

※はヤ行の「え」、最後は「負ふ 為よ 良箆 愛男 汝 偃」と解する説もある。

単語を羅列しただけの駄作とされることも多いが、千字文の「天地玄黄 宇宙洪荒 日月盈昃 辰宿列張」さながら、天地から始まって宇宙の万象(とはいかないが)を述べようとする構想からは、ふしぎと悠大な調べが感じられる。

このようなものは「いろは」以前にも多くあっただろうし、「いろは」以後にもたくさん作られた。特に専門的知識も必要としないので、頭の体操がわりに試作してみるのも面白いかもしれない。

2007年02月27日

ジャンケンポン

通勤時の満員電車の車内で、すぐ横の女子高生同士が会話をしているのを、聞くともなく聞いていたら、なんだか「グー」と「パー」だけのジャンケンの掛け声のことのようなのだ。「グーパーでほい」とか「グーとパーでほい」とか・・・

数名の女子高生はそれぞれ地元が違うようで、それによって掛け声も違うのを話題にしているのである。ところがそれらの掛け声は私の使っていたものともまた違った。
大学生なら全国各地から来ているから、ある程度異なってもおかしくないが、たかだか高校生の通う地域レベルでこんなにも違うものなんだと、少し興味深かった。

そういや、私の子供のころは、普通のじゃんけんでも、「じゃんけんぽん」の歯切れよい3拍子ですぐ「手」を出したものだが、ちょっと気取った上級生が「いんじゃんほい」とかやりだしたり、「じゃーいーけーんでー ほーい」と倍リズムになったのができたり、「最初はグー」と頭につけてタイミングを合わせるようになったりと、どんどんバリエーションが増えていったように思う。

どうやら「最初はグー」とやりだしたのは、1981年にザ・ドリフターズのコントで志村けんと仲本工事が行なったものが、テレビを通じて全国に広がっていったものらしい。そういえばその派生で「最初はグー、またまたグー、いかりやチョースケ、頭はパー、正義は勝つ」なんてのも聞いたことがある。

ジャンケンは世界的にも普及していて、rock, paper, scissors、つまり、石・紙・ハサミである。どこが発祥の場所なんであろうか。
いうまでもなく、ジャンケンの石・紙・ハサミは、三竦み(さんすくみ)の原理で、石はハサミに勝ち、ハサミは紙に勝ち、紙は石に勝つという、三者がそれぞれに得意な相手と苦手な相手をもっている関係により成り立つ。

はてさて今の世界情勢は如何なものかな。

2007年01月17日

覚阿上人 ―『五灯会元』に収録された唯一の日本人―

この度、禅文化研究所から出版された『訓読 五灯会元』全三巻は、中国禅僧約二〇三〇人の伝記を収める大著の初の訓読本である。
その中にただ一人だけ、日本人が収録されている。平安末期の覚阿(一一四三~?)である。実は、大日能忍や明菴栄西に先んじて、日本に臨済禅を伝えた人物なのである。
『五灯会元』は、おおよそ次のように述べる。

覚阿上人は藤原氏。宋国の商人から彼の地での禅の盛んなことを聞いて、遠く海を渡って霊隠寺の仏海慧遠禅師に参禅した。慧遠禅師は円悟克勤の法嗣で、臨済宗楊岐派に連なる人物である。二人の会話は筆談でなされた。覚阿は行脚の途次、太鼓の音を聞いて豁然と大悟し、霊隠寺に帰って慧遠禅師に所見を呈した。その後、覚阿は日本に帰って比叡山に住した。

さて、日本に帰った覚阿上人は、その後どうなったのであろうか。幸いなことに、日本の『元亨釈書』に、付け足しのようにほんの少しだけ記載があった。

覚阿は、時の帝の高倉天皇に招かれて禅の要点について下問された。覚阿は笛を一吹きして、それに答えた。いまだ機が熟していなかったのであろう、君主も臣下も理解することはなかった。惜しいことだ、覚阿の禅が広まらなかったことは。

覚阿の禅が、当時の日本人に理解されることはなかったようである。覚阿の最後も知られてはいない。日本に禅が(曲がりなりにも)流布するのは、やはり能忍や栄西を待たねばならない。

2006年11月27日

ひげ2 -男の象徴-

近頃若い人にひげを伸ばしている人が多くなった。
しかし新モンゴロイド人種は一般に体毛が薄いので、様になっている人は少ない。
その点西洋人は実に立派なひげを蓄えるものである。

古代ギリシャにも、ひげを蓄える風習があった(特に初期)。
しかし古代ローマの男たちは大抵剃っていた。
そんなローマでひげを蓄えていたのが異民族と哲学者たちであった。

「ローマは武力でギリシアを征服したが、ギリシアは文化でローマを征服した」

と言われるように、ローマでも哲学と言えばギリシア哲学が全盛であった。
哲学者たちはおのずとギリシアの風習を真似るようになったのである。
だからひげは、しばしば哲学者気取りのギリシア文化愛好家に対する揶揄の材料ともなった。
「ヒゲを伸ばしても哲学者にはなれないよ」と。

ひげへの見方は地域だけではなく時代によっても変わる。
男性的なものが強調される時代には、やはりひげがもてはやされるようだ。
バロックやロココの時代の男はみな剃っていた。バッハやモーツアルトの肖像画にひげはない。

十九世紀の帝国主義の時代になると、またひげの時代を迎える。
少し年配の方なら、マルクスやエンゲルスの凄いひげは、なじみのものであろう。
そんなひげ時代が始まろうとしている中、ショーペンハウアーは

「ひげは男性の第二次性徴だから極めて性的なものである。そんなものを顔のど真ん中にくっつけているのは猥褻も甚だしい」

という趣旨のことを書いている。偏屈哲学者の面目躍如である。

2006年11月17日

ひげ1 -眉鬚堕落-

禅語に「眉鬚堕落(びしゅだらく)」というものがある。
眉やひげが脱け落ちてしまう、と言う意味であるが、言語を弄してみだりに仏法を説くと、その罪で眉やひげが脱け落ちてしまう、とのことである。
弟子のためにあえて言葉で仏法を説く場合は「不惜眉毛(ふしゃくびもう)」という。

初めてこの言葉に接した時、ふと思ったのは、眉はともかく、そんなに多くの禅僧がひげ(鬚はあごひげ)を伸ばしていたのだろうか、という疑問である。
普段からひげを剃っている人にとっては、ひげが抜けたとしても何の不都合もないだろう。
出家者に薄毛(いわゆるハゲ)の悩みがないように。

出家者は本来、髪はもちろん、ひげもきれいに剃るのが戒律の定めである。
東南アジアでは眉も剃るという。
ところが、中国では宋代のころから髮やひげ、更には爪も伸びたままにしておく禅僧も多くなったようなのである。日本に伝わる中国禅僧の肖像画のいくつかにも、髮やひげが描かれている。
当時、禅僧と髮やひげとの間には、あまり違和は感じられていなかったようである。

そんな風習を道元は、仏祖の戒めに背くものとして厳しく非難している。
たしかに、爪を伸ばすのは、労働とは無縁な士大夫階級を象徴する風習であった。

2006年10月23日

紀州備長炭

備長炭を焼く窯

和歌山を訪れた際、備長炭を作っている所を訪ねてみた。

水やご飯を美味しくし、部屋の空気を浄化。靴箱や冷蔵庫では脱臭材。
紀州の備長炭は、身体にも自然にも優しく、万能なので愛用中。

最近では、シックハウスから住む人を守ると注目されているようだ。
また、家庭菜園なんかの肥料にも炭のくずが使われているとか。
その他にも、利用法は無限にありそうな備長炭。
まわし者のようだが、単に素晴らしさをお伝えしたいのみ。
一度おためしあれ。

出来立ての備長炭

2006年10月06日

中秋の名月

お月見_左野典子

今年の中秋の名月は十月六日とのことである。
そう言われて始めて気付くということは、月の満ち欠けは私の普段の生活に、もはやほとんど関係がないものとなってしまっていることを示している。
多くの現代人にとっても、この状況は同じであろう。

これは、明治になって旧暦から新暦に移行したことと大きく関わっている。
旧暦は十五日には満月、一日には新月となるように組み立てられている。
太陽暦では、十五夜という語は意味をなさない。

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2006年09月20日

ガラスは液体!?

ガラスと水

「ガラスは液体だ」
ある人が、こう主張しているのを聞いて、はじめは「またお得意の詭弁が始まった」程度に聞いていた。
しかし調べてみると、満更嘘でもないらしい。むしろ化学の世界では常識に属することのようだ。

我々の感覚においては、ガラスはどう見ても固体にしか見えない。しかし化学的に見た場合、ガラスは固体に特有の結晶構造をしておらず、液体のまま過冷却された「ガラス状態」という状態にあるとのことである。
たしかに、ガラスを熱すると次第に柔らかくなり、流動化する。中学校で習った、いわゆる融点というものがない。また、常温でもごくわずかではあるが、流動性を示すらしい。つまり、ガラスとは非常に粘性の高い液体、例えば硬い水飴のようなものとイメージすれば良いのだろうか。

ガラスは硬くて脆く、その破片はとげとげしい。繊細で傷つきやすい心をガラスの心と喩えたりもする。それに対して液体の代表格である水は、古来その適応性や柔軟性が賞讃されてきた。老子は「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る」と述べ、白楽天も「水は方円の器に任ず」と吟ずる。
この全くの正反対にみえる二つの物質が、実は同じ「態」に属するのである。
人も、目に見える性質の背後に、いかなる本質が隠されているのか分からない。表面的な性質だけで物事を判断してはならないと、改めて思った次第である。
(T.F Wrote)

2006年08月28日

おくらの花

おくらの花をご存知ですか?
葵や芙蓉の花に似ていて、淡い黄色のとても美しい花を咲かせるんです。


おくらの花


この花の後におくらがお日様向かって大きくなるんですよ。
まさかおくらが上へむかって大きくなるとは、私もつい最近まで知りませんでした。
ネバネバした物を食べる国は、世界でも限られるそうですが、納豆に山芋、おくらも、ネバネバした物は健康にも良いですね!
太陽をいっぱい浴びて育った季節の恵みで、暑すぎる夏を乗り切りましょう!
(N.K Wrote)


おくらの実


2006年08月14日

タチマイリ

私が住む丹波地方は両墓制がある地域である。両墓制とは、埋め墓(埋葬地)と詣り墓(建碑地)が別々にある墓制である。埋め墓には遺骸が葬られるが石塔を建てない。詣り墓は遺骸の埋葬がなく、石塔を建てる。遺骸を埋める所と霊を祀る所とを別にする習俗が、両墓制なのである。しかし、火葬が取り入れられてからは、埋め墓にも石塔を建てるようになり、かつての習俗を失いつつある。

私の地域では詣り墓のことを「ラントウ」と呼んでいる。ラントウという呼称は僧侶の墓塔である卵塔を想像するが、歴住塔のある寺の墓地に隣接して詣り墓があるためにそう呼ばれてきたのかもしれない。
さて、ラントウでは、お盆の前に「タチマイリ」という各家の墓に僧侶が読経を行う行事がある。お盆には、精霊を迎えるが、ラントウはオショライさんが一時待機する所と考えられており、先祖の霊はあの世からラントウまで戻り、タチマイリをして家に迎えられるのである。

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2006年07月14日

祇園祭 -白楽天山-

白楽天山

京都では現在、祇園祭の一連の行事が続いています。
間もなくクライマックスの山鉾巡行が行なわれますが、様々な趣向を凝らした山や鉾の中には、中国の故事をテーマにしたものも多くあります。 中でも白楽天山は、唐の政治家で詩人の白楽天が、道林禅師を訪れたという禅の故事の一場面を表わしています。 白楽天が禅師を訪ねたところ、いつものように松の木の上で坐禅中。白楽天は思わず「危ない」と声をあげますが、逆に禅師から「危ないのはむしろ貴公のほうだ」と諭されます。白楽天は改めて仏法の大意を尋ねます。 禅師の答えは「諸悪莫作 衆善奉行」。悪いことをするな、善いことをせよというもの。
「そんなことは三歳の子供でも言いますよ」と言う白楽天に、禅師は「三歳の子供でも言うことであるが、八十歳の老人でも実行しがたいことである」。

織田信長が上杉謙信に贈った『洛中洛外図屏風』にも、それらしいものが描かれています。白楽天山の存在は、『景徳伝灯録』や『五灯会元』に見えるこの禅の故事が、室町時代の京の町衆にとっても、以外と身近なものだったということを示しているのでしょう。
(T.F wrote)