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「来年のことを言うと鬼が笑う」

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将来のことは予測しがたい、ということを表すことわざ。

『日本国語大辞典』は出典として1656年の「世話尽」を挙げるが、江戸時代にはすでに存在した古い言葉のようだ。

この言葉、言わんとしている意味は非常に明瞭なのだが、なぜ「鬼」なのか、子供の頃からその必然性がいまいち分からなかった。

一般には「怖い鬼でも笑ってしまうほどばかばかしいこと」と漠然と考えられているようだが、やはりしっくり来ない人が多いと見えて、インターネットで検索してみても、様々な説が入り乱れている模様である。

しかし、今回調べてみると(実は偶然見つけたのだが)もとは中国の俚諺(ことわざ)から来ているらしいのである。さらにさかのぼれば、唐代のある詩に行き着く。

中国となると、この鬼は日本式の虎皮のパンツをはいた赤鬼青鬼ではない。漢文学習者には常識の「死者の霊魂」である。

こうなれば、冒頭のことわざの意味はもう自明であろう。来年のことをあれこれ取り沙汰する現世の人を見て、死者たちがあざ笑うのである。「人間たちよ、いつまでも命があると思うなよ」と。

出典などもあえて伏せておくので、興味のある方はご自分で調べてみてはいかがだろうか。

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草食男子と携帯電話



いつの頃からか、草食男子、肉食女子などという表現がメディアに現われるようになった。何が言いたいのやら、とあまり気にも止めていなかったが、通学の高校生や大学生の会話が毎日バスや電車で中で耳に飛び込んでくるうちに面白いことに気がついた。女子の話題はもっぱら男子のことだが、男子はあまり女子のことを話さない。男子は奥床しく異性のことはそっと胸に秘めているのか、こういうのを草食系と言うのか、もっと以前は、「あの娘(こ)がカワイイ」なんて結構大っぴらに男子も盛り上がっていたのに、なんて可笑しかったが、それも違うのかなふと思った。もしかしたら男子は女子にあまり興味がないのではないかしらん。

最新号のビッグイシュー(イギリス発信のホームレス支援雑誌だが日本語版もあってかなり面白い)に「携帯電話の電磁波リスク」という特集が組まれていた。もう二十年も前から、電磁波が健康に悪影響を及ぼすのではないかと指摘されているようで、電磁波問題は欧米ではかなり感心の高い環境問題らしく、欧州や北欧では、成長期の脳に影響を受けやすい16歳未満の子どもたちに携帯電話を使わせないようにしているという。

電磁波環境研究所主宰の荻野晃也さんは、「携帯電話は小型の電子レンジ」だと言う、「携帯電話を使うと、ホット・スポットが人体組織のあちこちにできる。その影響がどのようになるのかが心配されているのです」。

1999年には、初めて携帯電話ユーザーに脳腫瘍が多いとする疫学研究がスウェーデンで発表されたようだ。荻野さんが今もっとも懸念しているのは、精子への影響だ。「目や睾丸が熱に大変弱いということは、昔からわかっていたのですが、ここ数年、携帯電話で精子がやられているという研究論文が急激に増え始めたんです」。荻野さんは、携帯電話をズボンのポケットに入れるのは止めた方がいいと言う。

もちろん、現時点では携帯電話の危険性が100パーセント確定したわけではないようだ。たとえば携帯電話の電磁波が脳腫瘍を誘発するメカニズムそのものはまだ解明されていない。欧米をはじめとする各国が携帯電話を問題にして規制を強めているのは、危険の可能性が高いなら、慎重にリスクを回避しようとする「予防原則」に基づいているからだと、荻野さんは言う。

どんよりと停滞した出口のないストレス過剰の日々のなかで、片時も携帯電話を手放せない日本の若者たちが、身体的にも蝕まれている可能性が高いとすれば(もちろんこれだけで男子がおとなしいと言ってしまうのは短絡的だが)、やはり「草食男子」などとのんびり現代の風潮を揶揄している場合ではないかもしれないのだ。

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瓔珞筒アナナス




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我が実家で咲いた瓔珞(ようらく)筒アナナス。
ブラジルからアルゼンチンにかけて分布するというパイナップル科のこの花、非常に強く、ほったらかしにされていても必ず花をつけてくれ、株分けしなくてはならないほどに増えている。

名前がわからず私が調べて父にこの名をつげると、「観音経にも瓔珞…と出てくるよ」と。調べれば瓔珞とは、(1)珠玉や貴金属に糸を通して作った装身具。もとインドで上流の人々が使用したもの。(2)仏教で仏像の身を飾ったり、寺院内で、内陣の装飾として用いる(三省堂『大辞林』)とのこと。

昭和の始めごろに日本に入ってきたというこの花に、一体誰がこのような美しい名前をつけたのだろう。
南米生まれのこの花をグロテスクという人もいるのだが、我が実家では茶花よろしく掛花入れに一輪入れて飾るのだが、なかなかに珍しく面白いものである。


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続・ソメイヨシノ

昨日アップした「ソメイヨシノ」に、お叱り?のコメントを頂きました。

もしもお気にさわったのでしたら申し訳ないことで、決して本意ではございません。皮肉を込めた挑発的な文章にしたまでのことですが、いささか「反体制」がすぎたのかもしれません。ひねくれ者をお許しください。

わたしも決してソメイヨシノに恨みを持っているわけではありません。むしろ可愛そうだと思っているくらいなのです。

ソメイヨシノは花に特化して作られた品種です。ほかの部分ではあまりよい性質は持っていませんが、花はたしかにきれいで見栄えがあります。それゆえソメイヨシノは、特に戦後の復興期から高度成長期にかけて、そこかしこに植えられることになります。しかしそれは、自然破壊のカムフラージュと、手っ取り早い名所作り・人集めのために利用された部分が大きいのです。

わたしたちも、にわか愛桜家よろしく花をわずかの期間もてはやしたあとは、桜の木のことなどすっかり忘れて見向きもしません。むしろ夏は毛虫が多いだの秋は落ち葉が大変だのと厄介者扱いし、道路建設で邪魔になったら寿命だの何だのと理屈をつけて躊躇なく切り倒します。桜の花だけがクローズアップされる結果、桜の木自体はむしろよそよそしいものになってしまっています。

一見華やかには見えますが、本来病気に弱く寿命も短いはずのソメイヨシノの「異常繁殖」には、現代日本人のご都合主義が集中的に現れているような気がして、わたしには無邪気に肯定することは出来ないのです。

日本のそこかしこにある、桜の名所と称されている場所のソメイヨシノ一色の景色は、むしろ日本の桜文化を薄っぺらくしているように思われてなりません。ソメイヨシノ、オオシマザクラ、ヒガンザクラ、ヤマザクラ…。人にそれぞれ特徴があるように、桜にも品種によって大きな違いがあります。花、葉、枝ぶり、樹皮の様子、木材の性質など、同じ桜でもこれほどまでに違いがあるのかと驚く程です。

わたしたちは、「桜」とは、花も、葉も、枝も、幹も、皮も、根も、木材としての利用も、人間との関わりも、すべてをひっくるめて「桜」であることを忘れがちです。花だけが桜ではありません。

せめて他の品種と混植すれば、花も長く楽しめて、今のようにあわただしい開花シーズンを過ごさずに済むでしょうし、何よりもそれぞれの桜の特徴も一目瞭然で、日本の桜の世界ももっと奥深く豊かになると思うのです。

なお、私のヤマザクラ讃は、何も本居宣長のマネをしているわけではなく、全く私の個人的な趣味、もっと言えば身内贔屓に過ぎないのであります。

私の実家の敷地の守り神のとなりには、ひともとのヤマザクラが佇んでいます。相当な古木ですが、今でも毎年花を咲かせます。私はそのどっしりとした幹と、鷹揚な枝ぶりと、えんがわに散りかかる花びらと、花と共に芽生える赤い葉と、夏の日差しを遮る濃い緑陰を眺めて育ちました。

それゆえ、いずこのソメイヨシノの大群も、わが一本のヤマザクラには及ばないと思ってしまうのは、どうしようもないことなのです。

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眠る




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昨秋からよく眠る。
いまだかつて不眠症になったことは一度もないが、たまには寝付きの悪い夜や、夜中に目が覚めることはあった。それが昨秋から夜中に一度たりと目が覚めない。理由はこうだ。昨春だったか、季刊『禅文化』に「和尚さんの身体講座」をお書きいただいている樺島和尚から、同年秋、当所発行予定の書き下ろし単行本の原稿が入った。和尚の文章はどことなく愉快なので編集作業も楽しいが、「これは!!!」というような有益な情報もいっぱいある。そんななかに「遠赤外線アンカを作る」という話があった。

……遠赤外線セラミックスは加熱すると数十倍の遠赤外線を輻射する、という性質がある。だから冷めにくい布団の中で温められたセラミックスは、効率よく遠赤外線を輻射するというわけだ。遠赤外線は光の一種だが、布団くらいなら通過してからだの各所を照射する。……これは面白い。そう思った私は、「遠赤外線ライト」を改造進化させて「遠赤外線輻射アンカ」を作った。略して「遠赤アンカ」である。布団にもぐりこみ、遠赤アンカをラッコのようにだっこする。食べ過ぎ飲みすぎの日には鳩尾に当てる。しばらく経つと、善意の温かさが胃腸を応援してくれる。徐々に気血が腹部に帰りはじめるのだろう。それとともに意識のレベルが落ちていく。昼間の仕事をひきずって毛羽立ち、とげとげしていた意識の角がとれ輪郭が丸くなって解けていく。腹筋が元気をとりもどしているのか、自ずから深く呼く呼吸が現われ、意識レベルがしだいに低下し、腹部と足先の温かいまどろみの状態が、言い知れぬ幸せ感をつれてくる。そうして、満ち足りた温かさの中で、がくっがくっと全身の力が抜け、眠りに落ちていく。とまぁ、おおげさに言えばこんなところである。……(樺島勝徳『プチうつ 禅セラピー』禅文化研究所、2009年、212~213頁)


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リサイクル・リユース「あげくだ」




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ヤフーオークションだとか、モバオクなど、ネット上で多くのオークションサイトがある。
かくいう私も、今までにネットオークションで物品の売買をした経験があり、恩恵をうけていることも確かである。
そんななか、ちょっと風変わりなのは、「あげくだ」というサイトだ。
これは、基本にリサイクル・リユースをうたっていて、つまり「不用品をあげます」、「余っているものください」という情報サイトなのだ。
このサイトを運営しているアイデアマン・ユニオンの仲尾社長と、以前から懇意にさせてもらっていた関係で、このサイトの存在は知っているのだが、今のところ、まだ「あげます」にも「ください」にも挑戦したことがない。
ただ、最近、自分には不要だが、欲しい人もいるんじゃないかなぁ、でも売るほどのものでもないがなぁと思うようなものが、家の中に見つかったりすることがあって、ちょっとやってみようかなという気になってきているのだ。

あなたのもとにも、そういったものがあれば、ちょっとやってみてはいかがだろう。
誰でも無料で利用できることも魅力の一つだ。

ちなみに、このアイデアマン・ユニオン社と、現在、共同でデジタルアーカイブのプロジェクトを行なっている。この件についてはいずれまた。

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goo RSSリーダーのご紹介




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この記事をご覧の皆様は、さまざまなブログを購読されているかと思いますが、そのブログを購読するのにとても便利な「RSSリーダー」というアプリケーションをご存じでしょうか。

「RSSリーダー」とは、ブログサービスなどが配信するフィード(記事の概要)を講読するためのアプリケーションです。
このアプリケーションにお気に入りのブログを登録することで、新たに作成された記事を一覧で確認して購読するといった使い方ができます。

今回はgooが提供している「goo RSSリーダー(ウェブ版)」というサービスをご紹介します。

「goo RSSリーダー」にお気に入りのブログを登録すると、それぞれのブログの新たに作成された記事のタイトルが一覧で表示されます。記事のタイトルをクリックすると記事の内容が表示されます。

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忍性(にんしょう)の墓塔




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日本版マザー・テレサとも評される忍性の墓塔。奈良県大和郡山市にある額安寺の北の墓地にある。そこは通称鎌倉墓と呼ばれ、忍性の巨大な五輪塔を中心に鎌倉時代以降の五輪塔8基などが立ち並ぶ。
忍性の遺骨は遺言によって鎌倉の光明寺、奈良の竹林寺、そしてここ額安寺の三ケ所に分骨された。額安寺は忍性出家の地と考えられている寺である。
忍性の塔は3メートル近い高さを誇り、1982年に行われた調査の結果、内部から銘文を刻んだ忍性の骨蔵器が発見され、改めて忍性の墓塔と確認された。

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線香の煙




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『白隠禅師年譜』12歳の時(元禄九年:1696)に次のようにある。

一日、香を菅神の画真の前に点して、再拝稽首して謂(おも)えり、「我が願い虚しからずんば、香煙端直にして天に沖(あが)る象(かたち)を示したまえ」と。黙祷すること良(やや)久し。眼を開けば即ち一道の香煙、直(まっすぐ)に天を衝(つ)くを視るも、已(すで)にして風来たって飄乱(みだ)る。尚お魔障の免る可からざることを恐る。

12歳の岩次郎(白隠の幼名)は、地獄の恐ろしさに怯えたため、菅神(天神さま)を信じ、日々拝んでいたが、ある日、その画像の前に線香を立てて、我が願い(地獄から救われる)を叶えていただけるならば、線香の煙を真っ直ぐにあげてみせて欲しいと願った。おもむろに眼を開くと、最初にまっすぐに上がったかのように見えたが、風が吹いてたちまち乱れ、まだ地獄の恐怖から逃れられないことに気付いたのである。

つまり、線香の煙は、幼少の白隠にして、その立ち上り具合で何かの御利益を得られるのではないかと思わせるほどのものであったのだ。

ところが、最近は、この煙の立ち上らない線香があるのだが、ご存じだろうか。概ねラベンダーの香りなどで、普通の線香には無いような香りだけがして、煙はまったく立ち上らない。
ひょっとしてご自宅のお仏壇に立てているお線香は、まさしくそれだと仰る方もおられるかもしれない。
できれば、そのお線香は使わないで、いい香りのする天然のお線香を使うようにしていただけないだろうか。

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占い

占星術研究家の鏡リュウジさんは「占いは迷信」だと言う、「星の動きが人の人生を決めているわけがない。……星のサイクルで、この辺がこの人の転機だというのはだいたいわかる。でも何がどうくるかはわからないです」。

人生何が起こるかだれにもわからないなら、やはり自分の人生について、占い師さんのアドヴァイスに依存するのはあまり意味がないかもしれない。私など結構「感」の強いほうなので、人よりちょっと何か見えてしまったりすることもあるが、よーく考えれば、それがどうしたということだと思う。AとBの岐路に立ったとき、占いによってAを選んだとか、占い師の勧めで「……座」の人と付き合ったなどと挙げればきりがないほど、若い人も占いに左右されているようだが、占いでよい結果が出たと思ったら、依存度はますます高まるし、うまくゆかないと思ってしまったら恨みだけが残る。あげくの果てに、「生あるものはすべて死ぬ」という現象はいかんともしがたいなら、どう選んだところで、結局は五十歩百歩ではないかと思うのだ。

「占い師さんの言に従ったおかげで、300歳になる今も元気で働いている」というような人に出会えたら、「おっ、占いも結構いいかも」と思えるもしれないが、平均寿命までタラリと生きて、病を得て死んでいくというおそらくは人生最大の幸運は、占いなどとは無関係に、手に入る人には案外手に入るものではないか。

鏡さんは言う、「人は、完全なランダムには耐えられない。人生のすべての凹凸に、一つひとつ対処していたら身がもたないから。だから、ある種のパターンや物語を見いだして、人生を意味あるものとして生きようとする。そこに占いの本質があると思うんです」。

お釈迦さまは、「人は生まれて老いて病いを得て死ぬ」と言った。これは見事なパターンだし、これほど簡潔で嘘のない物語もない。究極の占いと言っていいかもしれない。私たちはみな多少の時間の長短はあっても、この物語を間違いなく展開できるという恵まれた命を生きている。それさえ確実なら、鏡さんの言うように、人生の凹凸を一つひとつ占ってもらっても、得るところは案外少ないかもしれないのだ。

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マウスジェスチャーでインターネットを操作するソフト




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今回は、マウスジェスチャーを可能にする「かざぐるマウス」というフリーソフトをご紹介します。
このソフトは私のお気に入りのひとつでもあり、一度使い慣れると手放せなくなる機能です。

マウスジェスチャーとは、マウスのボタンとカーソルの移動を組み合わせてアプリケーションの操作を行なう機能です。
例えば、インターネットで前のページに戻る際には、画面上部にあるメニューの「戻る」ボタンをクリックします。
この操作をマウスジェスチャーでは、マウスを右クリックしながら左に移動することで、前のページに戻ることができます。
言葉で説明しても分かりにくいので、実際にマウスジェスチャーでインターネットの「戻る」「進む」の操作を試してみましょう。

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日本語IMEについて -Google日本語入力出現-




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我々日本人が普通にパソコンを使う上で、切っても切り離せないのが日本語IME(アイエムイー)。簡単にいうと、日本語を入力するためのソフトである。
そもそも日本語のWindowsパソコンには純正の日本語IMEが付属している。それがMS-IME(エムエス-アイエムイー)というものだ。
ワープロソフトの「一太郎」を使っている方は、およそ、ATOK(エイトック)という日本語IMEを使っておられることだろう。これは「一太郎」を制作販売しているジャストシステムの作った日本語IMEである。
そして今や、Windowsの日本語IMEといえば、MS-IMEとATOKが主流となってしまった。

実は私を含め、禅文化研究所の職員の中には、これ以外の日本語IMEを使っているものが少なくない。それは、VJE-Delta(ヴィジェーイーデルタ)という日本語IMEなのである。パソコン歴の長い方はご存じの方も多かろう。
VJEは、バックスという会社が制作販売していた日本語IMEなのであるが、数年前に本製品の開発とサポートを終了してしまったので、今はもう販売されていないしアップデートもないという代物だ。

では、なぜ、まだこんなものを使っているのかというと、20年以上にわたって使ってきた辞書の蓄積があるのが一つと、他の日本語IMEではできない唯一の機能があるからなのである。

MS-IMEにしてもATOKにしても、それぞれキーボードのキーの機能の割り当てが違う。そもそも、日本語キーボードには、[変換][無変換]のキーがあるのにもかかわらず、ATOK等ではスペースキーで漢字変換するのが、とても違和感があるのだが。
しかし、オプション機能を使えば、例えばMS-IMEなのにVJE風のキー割り当てに変えたり、ATOKなのにVJE風のキー割り当てに変えたりすることもできる。

ところが、どちらのIMEもVJE風にはなるが、私がこだわっているキー割り当てができないのだ。
VJEを使ったことがない人にはわからないことなので説明しにくいのだが、直前に変換確定した文字列を、例えば、改行を打った後に[無変換]キーを押すだけでもう一度自動入力できるのだ。これは慣れると、いたって便利な機能なのに、VJE以外のIMEでは採用されていない。
これが、他のIMEに移れない理由の大きな理由だ。

そんな中、つい先頃、主に検索サイトとして有名なGoogleから、日本語IME「Google日本語入力」が無償配布されはじめた。

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IEのお気に入りを並び順も含めて保存・復元するソフト




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インターネットを楽しむ上で大活躍する「お気に入り」の機能。気に入ったページを「お気に入り」に登録、再度見たい時には「お気に入り」から選べるのでとても便利です。よく見る「お気に入り」をリストの上側へ移動し、使い勝手の良い並び順に変更されている方も多いかと思います。

そして、新しいパソコンを購入した際には、大切な「お気に入り」データも移行したいものです。

「お気に入り」データの移行方法については、一般的に Internet Explorer のインポート・エクスポート機能を利用するのですが、この方法では「お気に入り」の並び順が復元されずに、無茶苦茶な並び順になってしまいます。

そこで、今回ご紹介する『IEお気に入り保存・復元』というフリーソフトを使用すれば、大切な「お気に入り」データを並び順まで含めて移行することができます。

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銀杏の絨毯




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自坊の隣には神社があり、その神社の境内に植えられた銀杏の木が、毎年、この時期になると黄金色に色づいて美しい。
ただ、その落ち葉の大半は、自坊の参道に落ちてくるので、掃除が大変ではあるのだけれど。
普通の落葉樹の葉のようにからからに乾かず、じっとりと水を含んだ葉は、掃き集めるのも大変だし、集めた葉っぱを運ぶのも大変ではある。
だが、銀杏の木は水を多く含んでいるので、寺や神社の境内には、火事の時に水を噴くというような意味合いも兼ねてか、よく植えられるのだ。

ご存じのことと思うが、銀杏の木には雌雄があるらしく、雌雄が揃っていないとあの美味しいギンナンの実はできないらしい。
ギンナンの実は、木から落ちると強烈な匂いを発する。御堂筋に行くと、街路樹の銀杏に雌雄揃っているらしく、道路にギンナンの実が落ちて、それを車が踏み潰して散乱し、その強烈な匂いに圧倒される。雌雄の違いは、葉っぱの形によるという説もあるらしいが、科学的根拠はないようで、どうもはっきりしないらしい。これも不思議なことだと思う。

それにしてもギンナンは、なんであんな臭い匂いがするのだろうと思って調べてみた。
すると、落ちたあとに野生動物達に食べられてしまって、銀杏の子孫を残せなくならないように、動物が口にしたくないような匂いを発しているという説が有力らしい。ものすごい自然の摂理だ。
ギンナンは銀杏から落ちる実だけに、「胃腸」つながりだというふざけたことを書いているWEBも見えたが……。

あまりにも綺麗に銀杏の葉が落ちているので、愛犬を登場させてみた。まるで、銀杏の絨毯の上にいるようだった。

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嘉陽門院の墓




嘉陽門院の墓

研究所の近く、旧竜翔寺跡にある後鳥羽天皇皇女礼子内親王(嘉陽門院・かようもんいん)の墓。宮内庁管理の兆域内に遐かに石造五輪塔が拝される。

嘉陽門院礼子内親王は後鳥羽天皇の第三皇女、賀茂斎院に卜定されるが、礼子内親王を最後として賀茂斎院は廃絶した。父帝配流後も京に残ったらしい。文永十年八月二日崩、寿七十三。

竜翔寺は嘉陽門院の崩御より後、後宇多天皇によって南浦紹明(大応国師)寂後に国師を開山として建立。室町時代は十刹の第十位ともなっている。

女王の墓がこの地にある由来はよく分からないが、『雍州府志』にはすでに記載があるので、当時より何らかの記録や伝承が存在したのであろう。

近くには後宇多天皇御髪塔および大応国師普光塔の覆屋もある。

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無料ウイルス対策ソフトのご紹介




無料ウイルス対策ソフト

コンピューターに悪影響を及ぼすウイルスについて一度は耳にされていると思いますが、現在お使いのパソコンにウイルス対策はされていますか?

ウイルスと言っても、いたずら程度のものから大切なデータを破壊してしまうもの、あるいは悪意を持った人に大切なデータを盗まれてしまうものなど様々です。

そういったトラブルに遭わないためには、ウイルス対策ソフトをインストールするのが最も効果的です。

2009年9月30日、マイクロソフトより無料のウイルス対策ソフト「Microsoft Security Essentials」が公開されました。このソフトをインストールすることで、ウイルス対策とスパイウェア対策ができます。

Microsoft Security Essentials


今までにも無料のウイルス対策ソフトはありましたが、聞き慣れないメーカーのソフトを使うのは不安があります。しかし、マイクロソフトのウイルス対策ソフトでしたら安心して使えるのではないでしょうか。

それでは、有料と無料のウイルス対策ソフトではいったい何が違うのでしょうか?

無料ウイルス対策ソフトの機能(ウイルス対策やスパイウェア対策)に加え、有料ウイルス対策ソフトでしたら、個人情報漏洩対策やフィッシング詐欺対策などの様々な機能が盛り込まれています。またトラブル時など困った際には電話サポート対応も受けられますのでより安心です。

現在使用されているパソコンにウイルス対策ソフトがインストールされていない、あるいはインストールはされているが更新期限が切れている場合は、有料無料を問わず、最新のウイルス対策ソフトをインストールされることをお勧めします。

【第8回 西村惠信所長と行く“禅と文化”の旅 参加者募集中!】

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「畜類償債譚」

延興寺の僧恵勝は、生前に寺の浴室で湯を沸かすための薪一束を無断で他人に与え、そのまま死んだ。その後、寺の雌牛が一頭の仔牛を生んだ。やがて成長した仔牛は、薪を満載した荷車を引いて休むことなく働かされた。

ある日、見かけない僧侶が寺の門の所に立っていた。いつものように荷車を引いて門を入っていく牛を眺めて、「恵勝法師は、涅槃経はうまく読めたが、荷車はうまく引くことができない」と言った。牛はそれを聞いて涙を流して嘆息し、そのまま倒れて死んでしまった 。
牛を連れていた人は「お前は、牛を呪い殺したな」と責めたて、その僧侶を朝廷に訴えた。朝廷はその僧侶を呼び出して取り調べるが、その姿は貴く美しく、ただ者には見えない。そこで朝廷はその僧侶を浄室に控えさせ、三人の絵師に似顔絵を描かせた。すると絵師が書いた似顔絵はみな観音菩薩の姿であった。気づくとその僧侶は忽然と消えていた。(『日本霊異記』上巻)

生前になんらかの形で罪を犯した人物が死後家畜に生まれ変わり労働して償うという形式の説話を「畜類償債譚」などと称し、中国の『太平広記』や『冥報記』に多く見える。南泉普願の「山下に一頭の水牯牛と作り去らん」の語も、ただこれらの説話を前提とするというばかりでなく、この生々しくも恐ろしい罪悪と業報の話によって担保さえされているようにも思われる。

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水が飲みたければ... -『栂尾明恵上人伝記』より-



栂尾の新緑

『栂尾明恵上人伝記』によれば、明恵上人の周囲では、たびたび不思議な出来事が起こったらしい。

ある時、上人が行法をしていた最中、侍者を呼んで言った。「手水鉢の中に虫が落ちたようだ。取り上げて逃がして来なさい」。行ってみると、蜂が落ちて溺れていたので、急いで取り上げて逃がした。またある時、坐禅の最中に侍者を呼んで次のようにおっしゃった。「後ろの竹原で小鳥が何かに襲われているようだ。行って取り離して来なさい」。急いで行ってみると、雀が小鷹に襲われていたので、追い払った。こんなことがしばしばあった。
ある日の夜更け、上人は炉辺に坐していらっしゃったが、突然、「ああ、大変だ。早く見つけないと食べられてしまう。火をともして早く追い払って来なさい」とおっしゃるので、前にいた僧が「何事ですか」と申し上げると、「湯屋の軒下の雀の巣に蛇が入った」と言われる。外は闇夜で妙なことだとは思ったが、とりあえず急ぎロウソクを灯して行ってみると、大蛇が巣にまとわりついて雀の雛を飲みかけていたので、追い払った。
こんな闇夜に、しかも遠く隔たった所の物さえ見ることができるのだから、まして我らが陰で良くない振舞いをするのを、どんなにか怪しからんとご覧になっていることだろうと、弟子衆や同宿の者も、後ろ姿までも恥じ恐れて、真っ暗な部屋の中でさえも、気ままには振舞わなかった。
こんな事があったので、侍者の僧が「上人は仏菩薩の化身だと、陰で人々は申しております」と申し上げたところ、上人ははらはらと涙を落して、次のようにおっしゃった。
「ああ、愚か者どもの言い草だ。だから、わたしのように禅定を好み、仏の教えの通り修行してみなさい。いますぐ、お前たちにもそのような事があるだろうよ。わたしはそのようになろうなどとは全く思ってはいないけれども、教えの通りに修行して長年になるので、知らぬ間に自然と身についたのだ。これは大したことではない。お前たちが水が欲しければ水を汲んで飲み、火に当たりたければ火のそばへ寄るのと同じことだ」

「大神通」を体得した人にとって、「小神通」など造作もないことだということがわかる。

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名越の祓え 茅の輪くぐり

護王神社_京都市上京区

6月30日。
我が家の氏神さんである護王神社へ、茅の輪くぐりに行って来ました(昨年はこちら)。
この日はあいにくの大雨でしたが、なんとなく、半年の間に積もりに積もった罪穢れを祓い清めない事には、これからやってくる厳しい夏の暑さを乗り切り、一年の後半を無事に過ごせないような気がするのです。
こういった節目の日に、自分を顧みて、無事生かされている事を感謝し、残りの半年も息災でいられるよう神仏にご加護をお願いすると、生まれ変わったような新たな柔らかい気持ちになれます。


名越の祓え 茅の輪くぐりの続きを読む

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「打ちさまし、打ちさまし」 -『栂尾明恵上人伝記』-




栂尾 高山寺

『栂尾明恵上人伝記』に次のような一節がある(現代仮名遣いに改めた)。

上人常に語り給いしは、「幼少の時より、貴き僧に成らん事を恋願いしかば、一生不犯にて清浄ならんことを思いき。然るに、いかなる魔の託すにか有りけん、度々に既に婬事を犯さんとする便り有りしに、不思議の妨げありて、打ちさまし打ちさましして、ついに志を遂げざりき」と云々。

権化の人と言われ、一生不犯を誓った明恵上人にも、あわや淫事を犯してしまいそうになるような誘惑があったらしい。しかし、その度ごとに不思議な邪魔が入って、ついに今まで誓いを破ることはなかったのだという。

ましてやわれわれ凡夫は、ついつい精進努力を怠り、煩悩の業を優先してしまいがちである。そのようなときこそ、最初の決意を思い出し、安逸に流れる自らの心を「打ちさまし、打ちさまし」して前に進んで行かなければならない。そのような人には、神仏の不思議な冥助もきっとあるにちがない。

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拓本

拓本は石碑の文字や青銅器の装飾、土器の文様などを写し取るためのたいへん重宝な技法だ。文字や文様を正確に写し取ることが出来るだけではなく、拓本自体の白黒のコントラストの美が好まれて鑑賞の対象にもされる。

日本での拓本についての最古の記録とされるものは、鎌倉時代の『元亨釈書』義空伝に見える。義空は平安初期に中国から渡来した禅僧である。虎関師錬は『元亨釈書』に義空の伝を収録するに当たり、史料とするために彼の功績を書き記した石碑の写しを探した。八方手を尽くして探したが誰も持ってはいない。そこで東寺にあるという石碑の現物を見に出掛けた。

ところが当の石碑は破片が四つ残るのみであった。その昔、羅城門が倒壊した時に下敷きとなり砕けてしまったという。師錬は自分でそれらの拓本を取り、自房に帰って上にしたり下にしたり、あれこれ並べ換えて解読を試みたという。彼は「中国には古い物に関心を持って史料を収集した立派な人物がいたが、残念ながら日本にはそういう人はいなかった。義空の碑の全文を読めないのは惜しいことだ」と嘆いている。

現在でも、現物はとうの昔に戦乱や火災などで失われてしまったが、辛うじて拓本だけが残っていて内容を知ることが出来るという金石文は多い。拓本は筆写よりも正確で現物に準じて扱われる。しかし世の中には偽造されたと思われる拓本も相当数あるので、使用するときには注意が必要だろう。

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霜を知らない子供達へ -田舎の禅寺の朝-

霜の降りた朝

もう立春を過ぎた。つまり暦の上では春なのだ。
ただ、朝夕はまだまだ冷え込む日もあり、文字通り三寒四温といったところか。

そんななか、先日も、自坊の裏の田畑は、まっしろに朝霜で覆われた。
朝霜に覆われた田んぼにカメラを向けていると、翼の黒白茶色のコントラストがはっきりした鳥が飛び立った。チドリ科の鳧(ケリ)という鳥らしい。田地や河原に住む気の強い鳥らしいが、飛んでいる色が美しい。

こんな田舎で生まれ育った私は当たり前のような景色だが、都会に育った子供たちは、「霜」が何なのかを知らないらしい。特に昨今叫ばれている暖冬のせいか、霜の降りる朝というのが少なくなってきているようだし、街のアスファルトの中では霜を踏むこともままならない。
文学作品中に、寒くいてつくような冬の「朝霜」の事が書かれていても、その情景が思い浮かばないのはなんとも悲しい。
霜柱を踏む、あの「サクッ」とした感覚を味わったこともないのだろう。

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セイタカアワダチソウ -青木新門『納棺夫日記』より-

セイタカアワダチソウ

「ススキが全滅しそうで、セイタカアワダチソウは好きじゃない!」と長い間思っていたのだが、何年か前、こんな文章に出会った。


「こちらへ来る途中見かけたのですが、セイタカアワダチソウ、すごいですね?」
「ああ、あの草ね」
「日本中、まっ黄色になるのじゃないですか?」
「いや、大丈夫ですよ」
「えっ、どうしてですか?」
「繁殖すると自分で出す分泌物で自家中毒を起こして自滅してしまう。一つ所に永く定着できない可哀相な植物なのです」
                          青木新門『納棺夫日記』より

それ以来、ススキに混じってセイタカアワダチソウが群生しているのを見ると、お友達というか、ちょっと知り合いに会ったみたいな気分になる。
上記の会話は、青木新門さんが、『納棺夫日記』で地方の出版文化功労賞を受けたとき、同じく農業に関する著作で受賞したある大学教授とのやり取りである。青木新門さんというのは、死体をお棺に入れる仕事をしていた人で、『納棺夫日記』を読んだときには隣りに座ってじっくり肉声を聞いたような不思議な気分だった。ちょっとした地主の息子さんだったのが、文学に走って(?!)身を持ち崩し、死体処理という凄まじい仕事をして、突き抜けられたのだと思う。「『仏は不可思議光如来なり、如来は光なり』と断言する親鸞は明解であった」とも書いておられる。
                           
「おくりびと」という納棺夫を描いた邦画が、米国アカデミー賞「最優秀外国語映画賞」にノミネートされたので、『納棺夫日記』のことを思い出し、それからセイタカアワダチソウのことを思ったのだった。

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ニトクリス

ヘロドトスは「歴史の父」と言われる古代ギリシアの歴史家であるが、その著書『歴史』の中に、アッシリアの女王ニトクリスについての記述がある。首都バビロンに堤防を築くなど、彼女の行なった様々な功績を記した後、ヘロドトスは次のような逸話を伝えている。

この同じ女王は、次のようないたずらを考え出した人でもあった。彼女は町で最も人通りの多い門の上に自分の墓を作らせたのである。墓は正に門の上に懸っているのであるが、この墓に次のような文句を彫り込ませた。「われより後バビロンに王たる者にして、金子に窮する者あらば、この墓を開き欲するままに金子を取れ。然れども窮することなくしてみだりに開くべからず。凶事あるべし。」

この墓はダレイオスの支配になるまでは手を触れられなかった。ダレイオスはこの門を使用できぬことも、財宝が納まっていて、しかも開けよという文句まであるのに、その財宝を取らぬことも、いまいましいことだと考えた。彼がこの門を使用しなかったのは、この門を通れば、死骸がちょうど頭の上に来ることを嫌ったからである。さて墓を開けてみると、財宝はなく、あったのは死骸と次の文句とだけであった。

「汝にして貪欲飽くことなく、利を追うて恥を知らざる輩ならざりせば、死人の棺を開くことなかりしものを」
この女王はこのような人物であったと伝承は語るのである。
(『歴史』第1巻187節。岩波文庫版の上巻140頁)
 
ところで、同じ『歴史』のなかで、ヘロドトスはもう一人の女王ニトクリスを伝えている。こちらはエジプト女王であるという。

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山本玄峰老師のこと

般若窟・山本玄峰老師
昭和に名だたる名禅僧の一人に、般若窟・山本玄峰老師がおられる。 私が在錫した静岡県三島市の龍澤寺の住職として、私が生まれる前年に遷化された老師は、大本山妙心寺の管長も勤められ、さらには太平洋戦争の終結時、あの「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び……」の文言を進言され、象徴天皇制の発案をされたり、当時の鈴木貫太郎首相の相談役でもあったという傑僧である。 私が参じた宗忠老師からは二代前の先師ということになる。

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貴重な遺産 -掛軸の太巻-

太巻

今月はお正月ということで、年頭にあたり、大切な掛軸などを出されたところもあったのではないでしょうか。その中には、「出してみたはいいけれど、本紙部分にこれまでなかった横皺や波打ち、または折れがでてきた」ということがあったかも知れません。

人は健康を維持するために色々と工夫をしています。それと同じように、古物にも少しでも健康でいてもらうために、何かできることはないでしょうか。

例えば、今回の掛軸などの軸物の場合でしたら、細く巻かれていた方が格好が良いのですが、細く巻くとどうしても本紙に負荷がかかってしまいます。上記の症状は、このことに起因することが多いようです。ですから、それらを軽減させるためには、保存時に太く巻いておくことが必要かと思われます。特に、この方法は本紙部分が硬くなったものや厚塗りの日本画などに効果があるようです。

太く巻くには、太巻(正式名称があるのでしょうか?)という専用の道具を用います。この道具は、桐で誂えるのが一般的なようです。確かに昔ながらの桐材は保存の面においても優秀で、やはりこれに勝るものはないでしょう。ただし、最近の桐材は品質に問題のあるものも存在するとのことですので、気をつけなければならないようです。また、誂えるとなると、数にもよりますが、とても高額になりますので、やらなければならないと分かってはいても、なかなか手を出しにくいことも確かです。

しかし、これらの古物は、かけがえのない貴重な遺産です。お寺をはじめ、保有されている方は、現在から未来にかけて、それらの古物の持つ色々な情報というものを、必要とする方々に対して提供できることが必要かと思われます。

大切な遺産を少しでも損傷などから守るために、各所蔵者自身が考えていくことが大切だと思われますが、いかがでしょうか。

※ ここでの紹介は、あくまでも筆者の個人的な考えです。実際に適用される際には、専門家等にご相談なさるか、それぞれの環境や条件にあわせて熟考した後、自己責任でお願いします。

東京国立博物館 『妙心寺展』 好評開催中!坐禅会、法話などのイベントもあります!
妙心寺展

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青岸渡寺でみつけた硯

「那智黒」と言えば、まず思いつくのは、「那智黒飴」かもしれない。もちろん、もともとは那智でとれる上質の黒石を擬して作った飴玉なのであるが、この那智黒石は上等の囲碁石として有名である。
そしてもう一つ、事前に詳しく知っていたわけではないのだが、この那智黒石の硯も天下無二のものらしい。

青岸渡寺の山門に向けて登る途中、参道にある一軒の硯店に立ち寄った。「山口光峯堂」という。表の看板には「皇室献上」の文字が。また「癒しの墨摺りを是非体験してください」というような文言も。

この参道には何軒もの硯販売店があるのだが、店主らしき人が他のお客さんに話している言葉遣いが優しくて、「硯は絶対に試し摺りしてから買いましょうね」と言われる言葉に、店の中に引き込まれた。
店の中には、沢山の硯が大小とりまぜて並んでいる。
同じようなサイズの硯でも何千円も違いがあるなぁと思っていたら、先ほどの店主(二代目 山口光峯さん)が説明してくださった。

「安い方は、天然石ではあるけれども、大きな石から切り出した物を硯にしたものです。そして高い方は、まれにしか採れない"玉石"」から作ったものです」と。玉石の方(「曼荼羅の径」という硯)の中で、自分に足りそうな比較的小さいものを手にとってみたところ、ずしりと重く、またただ丸いだけで飾りはないがその表面の美しさに心が動いた。そして、是非試し刷りをと仰るので、摺ってみたところ……。
目から鱗が落ちるとはこのことだろうか。今までの硯は何だったんだろうと思うほど滑らかなのだ。墨を摺る時、なんとなくザラザラ感があって、これで墨が摺れているんだという感覚を持っていたが、それは全くの誤りだったわけである。とても滑らかに、ぬるぬる摺っていくという感覚だった。

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戦国の気風

中国の戦国時代、燕の太子丹は、自分を冷遇した秦王の政(後の始皇帝)に復讐しようと協力者を探した。田光先生という人物の評判を聞いた太子は彼を丁重に迎えて協力を懇願した。田光は言った「私はすでに年老いてご要望には添いかねます。しかし、私の親しくしております荊軻という者がお役に立つかと存じます」。太子は言った。「それではお引き合わせの程、よろしくお願い申し上げます」。
 田光の帰り際、太子は言った。「先生、この事はくれぐれも他言無用に願います」。田光は微笑して言った。「承知つかまつりました」。
かくて田光は事を荊軻に託すると、みずから首を刎ねて命を断った。

『史記』の「刺客列伝」中の有名な一場面である。田光は秘密を漏らさないという約束の証しを立て、かつ荊軻を鼓舞するために自ら命を絶った。その荊軻も田光からの推薦を受諾した時点で死を覚悟していたはずである。荊軻は刺客として秦王政のもとに赴くが、目的を果たされず死ぬ。その後も荊軻の友の高漸離という人物が始皇暗殺をはかって殺される。

この話を読んで圧倒的に迫ってくるものは、彼らにおける人間どうしの結びつきの異様なまでの強さである。国も時代も異なる我々には想像もつかないすさまじいメンタリティーである。戦国時代という乱世がそうさせたのであろうか。同じ「刺客列伝」には、次のような当時のことわざが記されている。

士は己を知る者のために死し、女は己を説(よろこ)ぶ者のために容(かたちづく)る

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庭の松 その2 -天龍寺-

天龍寺の松
天龍寺の松の剪定

日本三景は全て松である。
仙台の松島、天の橋立も松と砂浜、安芸の宮島も松である。
日本人にとって目出度い松・竹・梅においても、これまた松が一番だ。

昔、松は人々の生活に必要なエネルギー供給源であった。
電気のない時代、松脂は明かりを灯すのに使い、また、太平洋戦争では松脂を精製して飛行機も飛ばした。
また、松茸は秋の味覚の王様だ。江戸時代の天龍寺供養帳(日単)には、年中行事として所司代や奉行所へ進物とした……と記録されている。

その昔、嵐山は殺生禁断の地であり、立木の伐採はもちろんのこと、石や木の根を掘ることを禁じた札が立ち、下草刈りにも許可が必要とされた。
松の立木枯れや風雪で倒れた時は必ずその数を調べ、記録し、売却の入札についても落札者とその値を記録し、管理された。それほどに松は昔から大切にされた。

戦後のエネルギー革命により、松は庭の観賞用と化し、なかなかに手のかかる「金喰い虫」となっているが、人々の心の癒しとなっていることは確かだ。
金に勝るものが、松の美かもしれない。

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弥勒仏はお酒を飲んだ? 実は布袋さんだった!

萬福寺 布袋さん
萬福寺の布袋さん -臨黄ネット-
より

日本の語録の訓注の仕事を続けていると、おもしろい説話に出くわすことが多い。これもその一つである。
「渠(かれ)は是れ真の弥勒、酒は元と米汁より成る。人に飲ましめて共に快楽、一酔、無生を悟る」。
これが、現在訓注している、愚堂東寔(ぐどうとうしょく)禅師の偈。しかも、婦人にあたえた引導の法語である。さて、この偈に注を付すのが、小生の仕事である。余程、中国文学に精通していないと、この偈の意味と典拠は分からないと思う。小生も、一読で分かるわけではない。いろいろな作業を踏んで調べて行くのである。

まず、「弥勒」と「米汁」とをキーワードに、パソコンのデータを駆使して検索する。すると、運敞(うんしょう)の『谷響集(こっこうしゅう)』巻3に、「弥勒仏好飲米汁」という項目があることが分かった。『谷響集』本文のデータはないので、すぐに、和本を見る。あった、あった。

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松平の郷

松平の郷

室町時代、三河国のある山里での話。

土地の領主松平太郎佐衛門尉は、慈悲深い性格で信仰心に厚く、村人から慕われていた。
雨の続いたある日、無聊をなぐさめるために太郎左衛門尉は連歌の会を開いた。ところが、書き手をする者がいない。
その時、どこから現われたか旅人が少し離れたところから見物していた。太郎左衛門尉は声をかけて書き手を頼む。するとなかなかの手で句も見事である。太郎左衛門尉はしばらくの逗留をすすめ、先祖を尋ねる。旅人は答える。
「我々時宗の僧侶と申すは、東西を流れ歩く者で、お恥ずかしいばかりです」
やがて太郎左衛門はこの旅人を婿に取り、松平の家を継がせた。これが松平親氏である。親氏から八代目の子孫が徳川家康である。

徳川家の公式見解では、その先祖は清和源氏新田氏の流れを汲むということになっている。ところが、松平郷に古くから伝わる『松平氏由緒書』には、そのような先祖を飾る記述はない。もっと素朴な、牧歌的ともいえる一族の発祥譚が記されている。

愛知県豊田市の松平郷は足助川の谷筋の国道301号線から、さらに脇に入った沢筋の土地である。その山間部のわずかな平地に、周囲を濠で囲まれた松平東照宮がある。太郎左衛門家の屋敷跡である。谷の奧には松平親氏の墓などがある浄土宗高月院がある。

このようなひなびた山里から全国を制覇した徳川家が出た。それが遽かには信じられないほど、松平の郷は静かであった。

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神竜院梵舜(ぼんしゅん)

末社の一つ神竜社 この下に兼倶は眠る

神竜院梵舜と聞いてすぐにピンとくるなら、その人はかなり歴史に詳しい。京都大学の東、神楽岡に鎮座する吉田神社の社家に生まれ、家に伝わる唯一神道を大いに鼓吹した僧侶である。

徳川家康は死後、神となった。彼をいかなる方式で祭るかについて、天台宗にもとづく山王一実神道を主張した南光坊天海と、唯一宗源神道を主張した梵舜が対立した。いったんは唯一神道によって久能山に葬られたが、後に巻き返しがあり、山王神道の形式で日光に改葬されることになった。東照大権現の権現とは山王神道による神号である。唯一神道では明神となる。

唯一神道は吉田兼倶(かねとも)によって大成された神道で、仏教・道教・陰陽道など、様々な教えの要素を取り入れている。その宗教的な魅力によって応仁の乱後の混沌とした時代に多くの賛同者を獲得し、江戸時代には神道の家元として全国の神社に神階や神主の免状を出す権利を有するまでになった。

兼倶は横川景三や景徐周麟などとも交流があり、彼の神書講義には多くの禅僧が連なった。逆に吉田神道の教理にも禅の影響がみられる。兼倶は社の側に南禅寺に属する神竜院を建立し、息子の九江妙亀を住職とした。梵舜も神竜院の住職であった。吉田神道と禅宗との関係はもっと注目されてよい。
 
神楽岡の麓にあった広大な吉田子爵の邸宅も、戦後人手に渡って住宅地へと変貌した。そのそばに忘れ去られたかのように吉田家代々の墓石がある。その中の一つが梵舜の墓と伝えられる。

■末社の一つ神竜社。この下に兼倶は眠る。

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焼香に思う

昨今、うちのような田舎寺の檀家さんのお葬式でも、時折、葬祭ホールで行なわれることがある。
私は、故人に感謝報恩の意を表わすならば、できる限り自宅でのお葬式を勧めているのであるが、今はそれはおいておこう。

導師は葬儀の際に数度、自分の目前にある香炉に香をくべる。
私は自分の懐から持参した香合を取り出して、手持ちの沈香の1片をくべる。先日の「禅と文化の旅」で教えていただいたような香道の作法とはことなり、沈香を香炭に直接のせるので、一気に煙が立ち上ぼる。香道の人が見たら、なんと勿体ない……ということにあいなろうが、それはまたさておき。

葬儀が始まって、中盤に引導が終わると、参列者の焼香が始まる。ほとんど参列者はこの葬儀社の用意した抹香を香炉に押し頂いてくべる。長い列ができているのに、どこで習った作法か、3度も押し頂いてくべている人もいるようだ。
しかし、言っちゃ悪いが、この抹香、どんな成分が含まれているのだろうと思うことがある。この煙に咳き込むのである。
私は以前に喉の手術してから、煙に対してかなり神経質になっている。嫌な煙を吸い込むと、なにしろ咳き込んだり声が出なくなったりするのである。しかし、不思議なもので、きちんと作られたと思われる昔ながらの抹香には咳き込まず、葬祭ホールの抹香には咳き込み、葬儀の後に葬儀社が当家にくださる煙の出ないお線香にもテキメンに咳き込む。

もしこのブログを読んでおられる葬儀社関係の方がおられたら是非お願いしたい。コストの問題もあるのだろうが、こちらも声が出なくなったら仕事にならない職業なのである。どうか、できるだけいいお香を使って欲しい。喉をつぶされちゃタマラナイのです。

さて、一年に一度程度は参列者になりうるあなたにもお勧めしたいことがある。
葬儀などで焼香する時には、本来、ご自分のお香を持参すべきなのです。自分のお香を持参して献じるのが本当なのです。葬祭ホールが用意したお香で焼香するのは、借り物を献じているのであって、本当の意味ではない。

どこかのお寺の法要で、管長様や老師様が焼香をされるのをみたことがないだろうか。老師について、侍香(じこう)という役目の修行僧が手持ちの香合を差し出し、老師はその中から沈香をつかみ取って、真前にお香を献じられる様子を。あのお香は老師自らがお持ちになったものである。

焼香の列に並びながらポケットから香合をさっと取り出し、一つつまんで、気持ちを込めて香合にくべて、合掌一礼。

それから、そのあと葬儀社が配るお手拭きタオルなど受け取ってはなりませぬ。それなら事前にきちんと手を清めておく方が大切なのです。焼香で手が汚れるなどということはないわけですから。

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普通の水

四国 石鎚山

ミネラルウオーターを飲んだ。
いろいろとミネラルが添加された「おいしい水」なのだそうである。
その水を見ながら考えた。この水と同じぐらいのミネラル分を有する天然水というのは、どこに行けば飲めるのだろうか。

そして、いろいろと水の綺麗そうな場所を思い浮かべ、おいしく水を飲みおわり、さて使ったコップを洗おうと蛇口をひねって、また考えた。いま飲んだ水と、このコップを洗おうとしている水と、どこがどのように違っているのか。

また、そういう時にかぎって、たまたまペットボトルの水を買っていた。ちなみに、ラベルによると某外国から輸入されているものらしい。

残り少なくなったペットボトルをながめながら、ミネラルウオーターが出てきた時には、「お金を出して水を買うなんて」とおもっていたことや、「水の臭い」と信じていたものの正体が実は「塩素」だったことなどを思い出した。しかも、このペットボトルに入っている水は外国から輸入されたものである。資源開発につながる地球規模の環境破壊にはじまり、天然資源の切り売りによって獲得される保有国の利益、そもそも水とは本来誰のものなのか、はたまた今日の研究成果の俎上にある人工的につくられた、さまざまな「おいしい水」が飲めることが本当に幸せなのか、などなど、そんな思いが浮かんでは消えていく。

そんなことにさんざん時間を費やしたあげく、ふと思った。
いつでも、どこでも、ただで、普通の水が飲めたらいいのに。

でも、普通の水ってどんな水なのだろうか?

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夏越の大祓

茅の輪くぐり

昨日で今年も半分が過ぎ去りました。
人には、生きていると知らず知らずのうちに罪や穢れも積もるもの…と、年あらたまってから半年分の罪穢れを払い清め、残り半年も健やかに過ごせるよう願う日本古来の神事が、京都の多々ある神社で行なわれていました。上の写真のような茅の輪をくぐります。
いにしえの人々の意識には脱帽です。残りの半年を迎えるにあたって、知らずに積んだ罪業を払い清め、神仏のご加護を頂き、健やかに暮らしたいと願う気持ちがなんとも謙虚で美しく思えます。

私が茅の輪をぐぐろうとしていたところ、とある観光客の方が「半年の罪、穢れ?そんなものは私には無い。悪い事なんてしてない」と、茅の輪をくぐらずに隣を素通りされました…。個人の自由でしょうが、それにしましても、「そういうことではないでしょう…」と思うのです。
傲慢になりすぎた我々現代人は、昔の人のように、「おてんと様が見てはるから、悪いことはしたらあかん」、「罪作りをしては、自分に返ってくる」などという考えはだんだんと薄らいでいるのでしょうか。
いにしえからのしきたりや習わしには、人が和を保ちつつ暮らしていく、心身共に健やかにいられる為の智慧がつまっていると思います。
学校において宗教教育ができない現代においても、やはり大切なものは大切なもの…と、守り伝えて行かれるべきではないでしょうか。

さて、余談ですが、この夏越の大祓の日には、京都では「水無月」というお菓子を食べる事になっています。
これも、民間信仰や、宮中の行事に深く関わりがあるお菓子で、暑さを乗り切り、邪気を祓う為には欠かせないお菓子なのです。研究所ではあるお坊さんが毎年持ってきて下さり、職員皆で有り難くいただく事にしています。


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「女」の幸せ

ひつじ草


平安時代、女性は罪深いものとされ、救済への道を閉ざされていた。女身は「垢穢」であり、一たび男性になってから成仏できるという『法華経』の「変成男子」は有名である。

自身の仏道修行への道を閉ざされた平安貴族の女性たちにとっての代替措置の一つに、息子を僧侶にするというのがあった。立派な高僧となった息子を媒介として自身も救済に預かろうとしたのである。

だから、彼女たちは、大変な教育ママであった。その典型、恵心僧都源信の母は「賢母」として有名だ。『今昔物語集』などによると、次のような人物であった。

幼くしてやんごとなき学生となった源信は、大后の御八講に召されて賜り物を受けた。その一部を故郷大和の母のもとに送ったところ、母は

「…名僧にて花やかにあるきたまはむは、本意に違うことなり。」

と戒めた。母の誡励をありがたく受け取った源信は、比叡山を下ることなく修行に励んだ。

そして年月が過ぎ、源信のもとへ、母危篤との知らせが舞い込んだ。何とか親の死に目に間に合った源信の導きによって母は念仏を唱え、息子に見守られながら安らかに浄土へと旅立った。

このような「女」の願いは、自らが達成できなかった宗教的願望を、息子に投影し補償させているにすぎないとも言えよう。フェミニズムの立場からも、このような母親像は当然批判の対象とされている。

しかし、立派な高僧に成長した息子に臨終の引導を渡してもらい、その腕の中でやすらかに息を引き取る、そんな理想には、子を持つ「母」としての偽りのない喜びが隠されていることも否定できない事実ではなかろうか。

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どですかでん

映画監督の黒澤明氏が亡くなって十年になるという。

黒澤監督の初カラー作品「どですかでん」は評価が二分した。とくに日本での評価は非常に低かった。

私はこの作品が好きで、当時映画館で二度見た記憶がある。
「どてすかでん」というのは、自分を電車の機関士と信じる少年が、作中で発する電車の擬声語である。夢の島で撮影されたというこの作品に登場する町は、想像を絶するような掃き溜めであったが不思議に美しい印象が残っている。
各々に過去を背負って町に流れついた登場人物全員が作品の主人公である。零落してなお過去の栄光のみに生きる子持ち男、智恵遅れの少年と、やたら「南無妙法蓮華経」を唱えるその母親、妻の姦淫が原因で完全に自己に閉じこもったインテリ、正体不明のご隠居、荒くれ人夫たちや破天荒なその妻などなど。日本の極貧の町の縮図である。
ある日、荒くれ男が怒り狂って雨のなか刀を持ち出して振り回す。だれも怖くて近寄れない。住民のひとりである「ご隠居」が近づいて、何やら言う。男は刀を振り回すの止め、うなだれて家に帰る。しばらくあとに、別の住民が刀を引っ込めた理由を尋ねる。荒くれ男が答える、「あんとき、ご隠居がこう言ったんだ、〈お一人ではお疲れになるでしょうから、私が代わりましょう〉。おれは何も道路工事をやってたわけじゃねえんだよ」。
黒澤作品に一貫するのは深いヒューマニズムだが、どの作品にもどこかしらユーモアがある。

日本での酷評による黒澤監督の落胆は大きかったと聞く。綿密かつ大胆な映画作りで定評のあった巨匠はまた繊細な芸術家でもあったのだ。名高い「羅生門」も当初日本での評価は極めて低く、大映で制作に関わった重役たちは全員飛ばされたという。
しかし1951年にこの作品がヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞すると、国中が手のひらを返したように黒澤氏を大監督と呼ぶようになったのは周知のことである。

黒澤作品には、いずれも世界に通じる〈普遍的な映画の言語〉があると看破したのは映画評論家の淀川長治氏だが、大戦後、欧米一辺倒となってゆく風潮のなかで、それまでと変わることなくどっしりと腰を落ち着けて、極めて日本的な風土・人々を描き続けた監督が、世界の圧倒的な共感と賞賛を得たのは愉快で嬉しい。

1970年代の終わり、時にはあからさまな人種差別の眼差しに射られながらフランスで勉強していた私が、当時もっとも誇りとしたのは、黒澤明と同国人であるということだった。

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西小路通り

西小路通り

花園大学キャンパスの西側を南北に通る道が西小路通である。南から太子道までは広く快適な道だが、大学付近は依然として狭隘な道だ。もちろん一方通行である。

ずいぶん以前から拡幅計画があるようだが、最近はあらかた用地買収も完了したようで、丸太町通りとの交差点には信号機も設置された。
 
道路が拡幅されると自動車の通行もスムーズになり、歩行者も歩道を安心して通ることができる。しかし、そのぶん自動車の通行量は増える。歩行者の道路横断は難しくなり、両側の町は分断される。
 
そのような状況が各地でしばしば見られる。道路整備は重要だが、人々のつながりを壊さないような配慮が必要であろう。

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それにしても安くなった

harddisc.jpg

なんの話かというと、パソコンのことである。 約20年前に研究所に就職し、その頃にNECのパソコンが一斉風靡しだして以来、ずっとパソコンとおつき合いしている。 しかし、相変わらず、パソコンっていうのはブラックボックスでもある。便利さが増すにつれ、どんどん中身がわからなくなっていく。

先日も、個人的に関わっている公共施設のパソコンの調子が悪くなったので見て欲しいと頼まれ、出向いて調べてみたところ、ハードディスクが瀕死の状況。
しかし市のネットワークからは切り離しているパソコンなので、市は面倒をみてくれないのだという。
もちろん普通の職員には、どうしていいやらわからないのは、仕方がないことだ。
さすがお役所仕事だと思いつつ、自分が関わっていることもあり、修理をしてあげることになった。

ネットで適当な内臓用ハードディスクを見繕って購入し、後日、届いた連絡を受けた後に、新しいハードディスクに引っ越し処理。約一日かけたが、前と同じ状況に復旧することができた。
職場や個人で何度もやってきたことだから、時間さえあれば難しいことではないのだが、えらく感謝されてしまった次第である。

それにしてもパソコンは20年前から、はるかに高性能になった。しかしセットとしての価格は半額ぐらいになったといえる。最初に個人で買ったパソコンは40万円もしたが、5インチのフロッピードライブが2器もついた、そのくせハードディスクのないパソコンだった。当時、ハードディスクは40MBの容量でも約40万円したので、ハードディスク1台買うのにもかなりの覚悟が必要だった。1MBが1万円という感覚でいたのを覚えている。
しかし、今のパソコンには250GBというような容量の内臓ハードディスクはあたりまえのように搭載されている。そのくせ10万円も出せば、そこそこのパソコンが買えるではないか。
そこでちょっと計算してみた。250GB=250000MBであるから、当時の計算でいくと、この250GBのハードディスクは25億円相当になってしまう。しかし現在の実売価格は1万円もしない。おそるべき低価格化、技術進歩なのである。

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「ZEN」車両

-静けさ-を思わせるもの

先日の朝日新聞にて、フランスの新幹線TGVの一部車両には、「ZEN」と名付けられた車両がある事を知った。もちろん禅宗の「禅」からきており、坐禅を組んだり瞑想したりする時の静寂さをイメージしての命名だそうな。
「うまく考えるもんだなぁ・・・日本みたいに単なるサイレント車両という呼び方ではなく、なんだかおしゃれなイメージじゃないか」と思った瞬間、「いや、禅をこういった一種のスタイルとして取られるだなんてなんだかなぁ・・・」と苦々しく思ったり、胸中複雑だ。

調べてみると、この車両では、12歳未満の子供もお断りで、会話も慎まなくてはならないようだ。
反対に、携帯も会話もゲームも自由、まるで何でもオッケーかのような車両もあり、こちらも予約できるそうだ。

日本の新幹線にもサイレント車両はあるわけだし、試み自体が目新しい物とも思えないが、この「ZEN」車両というネーミングに過剰反応してしまった私である。

ちなみに、以前の記事、ZENスタイルについても是非ご高覧いただきたい。
本日掲載の写真も、欧米人からみると、「禅的」なのだろうか。

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先祖代々の墓

蓮

お盆にお墓参りに行ってきた。新しい霊園には「翔」「夢」など、思い思いの文字が書かれた墓石もかなり増えてきたが、実家の墓地は村の共同墓地で、「先祖代々之墓」「〇〇家之墓」などと彫られた角柱形のものが主流である。

これらの墓は、彫ってある文字が示すとおり家の墓であって個人の墓ではない。日本は「イエ社会」だといわれるから、このような形態の墓が伝統だと思うのが普通であろう。

しかし、貴族や武士ならともかく、庶民までイエ制度が普及するのはそんなに古いことではない。だから「先祖代々之墓」と刻まれた墓石も、そんなに古いものではないそうだ。

墓石を詳細に調査した研究によると、現在見つかっている最古の先祖代々墓は寛政四年(1792)のものだそうである。広く庶民にまで先祖代々墓が一般化するのは20世紀に入ってからとのことという。(岩田重則『「お墓」の誕生』岩波文庫)

それ以前の墓石はどうであったかというと、位牌のように個人あるいは夫婦の戒名を刻んだ個人墓が普通であったらしい。古くさかのぼったほうが「個人主義」とはおもしろい。

石塔一つからでも、いろいろなことを読み取ることができるものである。

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女というのは・・・

久しぶりに楽しい言葉に出会った。

ジョージ秋山の『浮浪雲(はぐれぐも)』。連載八百回記念という今号は、なんとか良い妻をめとって子どもに恵まれていい生活をしようと生真面目一本でやってきた男のおはなし。ほのかに思いを寄せる女性はいるが、一歩が踏み出せずに悶々と日々を送る。そんな男に、品川宿「夢屋」の頭(かしら)「浮浪雲」が「指南」する。

「女とはどういう生き物か知ることでんす。女は三つでできてる生き物でんす。虚栄と快楽と打算でんす。この三つを満足させるのが男の仕事でんす」。

あまりに言い得て妙なので、思わず声を立てて笑ってしまった。こんなふうに思い切れる男に女はどれほど出会いたいことか。

そして不思議なことに、そんな浮浪雲と暮らす奥さんのカメさんには、「虚栄」や「快楽」や「打算」に駆り立てられる風が微塵も感じられないのである。

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居士 -こじ-

居士とは

戒名に使用される「居士」という尊称。
本来は在家でありながら仏道に精進する男性を称する語でした。

仏教で使う居士の語は、サンスクリットの「グリハパティ」、すなわち「家の主人・家長」の訳語ですが、特にインドの四姓の中のヴァイシャ階級の資産家を呼ぶときに使用されたようです。ヴァイシャは商工業に従事し、仏教を信奉する富豪も多くいました。
『祖庭事苑』という禅籍には、居士と呼ばれるための四つの条件が挙げられています。

  およそ四徳を具するものを、すなわち居士と称す。
  一には仕宦(官)を求めず。……役人ではない
  二には寡欲にして徳を蘊(つ)む。……欲をもとめず功徳にはげむ
  三には財に居して大いに富む。……大金持ちである
  四には道を守ってみずから悟る。……仏道に精進する

居士になるのも並大抵のことではなかったようです。今となっては単なる理想像かもしれません。

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美しい国、日本?! -アレックス・カー氏-

氏は、雨蛙を見てエメラルドと・・・

7月15日、TBS『情熱大陸』というTV番組に、アレックス・カー氏が出ておられた。
どのような方かはこちらで>『情熱大陸 アレックス・カー(東洋文化研究家)』

様々な仕事をこなしていらっしゃるが、その全ての根底にあるのは、-本当に美しいものとは何か-であって、揺るぎない信念と審美眼を持つ彼だからこそ出来うる仕事をしていたら、それがあらゆる分野にまで拡がっているだけなのだと思えた。

「日本は、東洋の文化の終着地点のような所」と、番組内でおっしゃっていたが、まさにその通り。それは、アジア各国に趣き様々なものを自分の目で見て、手で触れて来たからこそ自然と出てくる言葉なのだろうと思えた。
今、政府は「美しい国、日本」というコピーを携えているが、それならば、その日本の源流とも言える国々の文化の知識までをも持ち、その上で、なかば壊れかけた日本の美しい風景や文化をどのように立て直して行くのかを見据えなくては、狭い狭い日本の内だけを見て「美しい国、美しい国」と言っていても、机上の空論に過ぎない気がする。
氏のように、知識と経験、ものを見る心の目を持った方に政策に携わって欲しいような、すがるような気持ちになってしまった。

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半夏生(はんげしょう)の季節

半夏生

「夏至から数えて11日目(現在は、天球上の黄経100度の地点を太陽が通過する日となっているそうだ)、だいたい7月2日~七夕頃までの間の日を、半夏生と言ってね、この花は、その頃にちょうど花を咲かせて、花のすぐ下の葉が白くなるから、半化粧とも言われるのよ。お化粧してるみたいでしょ!」と、お茶の先生から習った半夏生。

毎年毎年、この時期になると必ずと言っていいほど、茶室の床にお目見えし、「不思議・・・」と、1枚だけ白くなった葉をまじまじと見つめる。
小さな茶花の、たった一枚の葉っぱに、涼を覚えたりもする。

「半夏生」は、私にとっては、「これからさらに暑くなるなぁ、あ、もうすぐ祇園祭か・・・」と、季節の到来を知らせてくれる花の一つだ。
毎年、変わらずこの時期になると葉っぱが白く・・・。なんとも不思議な自然の営みなのである。

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いろは歌

「いろは歌」は周知の通り、ひらがな四十七文字を一度だけ使って作られた今様体の歌謡である。『涅槃経』の文句「諸行無常、是生滅法。生滅滅已、寂滅為楽」と同じ意であるとも言われる。

現代では弘法大師作は否定されている。その根拠の一つに、ア行の「え」とヤ行の「え」の区別がないことがある。この区別は空海の活躍した平安初期には存在したが、その後消滅したとされるものである。

手習いのためのこの種の歌謡の作成の試みは「いろは」以前にもあった。「あめつち」は比較的行なわれたようで、次のようなもの。

あめ つち ほし そら   (天 地 星 空)
やま かは みね たに   (山 川 峰 谷)
くも きり むろ こけ   (雲 霧 室 苔)
ひと いぬ うへ すゑ   (人 犬 上 末)
ゆわ さる おふ せよ   (硫黄 猿 生ふせよ)
えの え※を なれ ゐて  (榎の枝を 馴れ居て)

※はヤ行の「え」、最後は「負ふ 為よ 良箆 愛男 汝 偃」と解する説もある。

単語を羅列しただけの駄作とされることも多いが、千字文の「天地玄黄 宇宙洪荒 日月盈昃 辰宿列張」さながら、天地から始まって宇宙の万象(とはいかないが)を述べようとする構想からは、ふしぎと悠大な調べが感じられる。

このようなものは「いろは」以前にも多くあっただろうし、「いろは」以後にもたくさん作られた。特に専門的知識も必要としないので、頭の体操がわりに試作してみるのも面白いかもしれない。

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ジャンケンポン

通勤時の満員電車の車内で、すぐ横の女子高生同士が会話をしているのを、聞くともなく聞いていたら、なんだか「グー」と「パー」だけのジャンケンの掛け声のことのようなのだ。「グーパーでほい」とか「グーとパーでほい」とか・・・

数名の女子高生はそれぞれ地元が違うようで、それによって掛け声も違うのを話題にしているのである。ところがそれらの掛け声は私の使っていたものともまた違った。
大学生なら全国各地から来ているから、ある程度異なってもおかしくないが、たかだか高校生の通う地域レベルでこんなにも違うものなんだと、少し興味深かった。

そういや、私の子供のころは、普通のじゃんけんでも、「じゃんけんぽん」の歯切れよい3拍子ですぐ「手」を出したものだが、ちょっと気取った上級生が「いんじゃんほい」とかやりだしたり、「じゃーいーけーんでー ほーい」と倍リズムになったのができたり、「最初はグー」と頭につけてタイミングを合わせるようになったりと、どんどんバリエーションが増えていったように思う。

どうやら「最初はグー」とやりだしたのは、1981年にザ・ドリフターズのコントで志村けんと仲本工事が行なったものが、テレビを通じて全国に広がっていったものらしい。そういえばその派生で「最初はグー、またまたグー、いかりやチョースケ、頭はパー、正義は勝つ」なんてのも聞いたことがある。

ジャンケンは世界的にも普及していて、rock, paper, scissors、つまり、石・紙・ハサミである。どこが発祥の場所なんであろうか。
いうまでもなく、ジャンケンの石・紙・ハサミは、三竦み(さんすくみ)の原理で、石はハサミに勝ち、ハサミは紙に勝ち、紙は石に勝つという、三者がそれぞれに得意な相手と苦手な相手をもっている関係により成り立つ。

はてさて今の世界情勢は如何なものかな。

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覚阿上人 ―『五灯会元』に収録された唯一の日本人―

この度、禅文化研究所から出版された『訓読 五灯会元』全三巻は、中国禅僧約二〇三〇人の伝記を収める大著の初の訓読本である。
その中にただ一人だけ、日本人が収録されている。平安末期の覚阿(一一四三~?)である。実は、大日能忍や明菴栄西に先んじて、日本に臨済禅を伝えた人物なのである。
『五灯会元』は、おおよそ次のように述べる。

覚阿上人は藤原氏。宋国の商人から彼の地での禅の盛んなことを聞いて、遠く海を渡って霊隠寺の仏海慧遠禅師に参禅した。慧遠禅師は円悟克勤の法嗣で、臨済宗楊岐派に連なる人物である。二人の会話は筆談でなされた。覚阿は行脚の途次、太鼓の音を聞いて豁然と大悟し、霊隠寺に帰って慧遠禅師に所見を呈した。その後、覚阿は日本に帰って比叡山に住した。

さて、日本に帰った覚阿上人は、その後どうなったのであろうか。幸いなことに、日本の『元亨釈書』に、付け足しのようにほんの少しだけ記載があった。

覚阿は、時の帝の高倉天皇に招かれて禅の要点について下問された。覚阿は笛を一吹きして、それに答えた。いまだ機が熟していなかったのであろう、君主も臣下も理解することはなかった。惜しいことだ、覚阿の禅が広まらなかったことは。

覚阿の禅が、当時の日本人に理解されることはなかったようである。覚阿の最後も知られてはいない。日本に禅が(曲がりなりにも)流布するのは、やはり能忍や栄西を待たねばならない。

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情報をよむ

昨今は大学の履修科目に、メディア・リテラシー(media literacy)というのがあってなかなか面白そうだ。これは種々の媒体(メディア)を通して氾濫する情報を、批判的にどう読み取り、自らの考えをどう伝えるかという能力を培うための学問のようだ。
「新聞・雑誌・ラジオ・テレビといった古い形のメディアの伝える情報の圧倒的な影響力に対する問題意識」に端を発するというメディア・リテラシーは、当然の流れとしてのネット情報の読み取りや、芸術作品の解読といった方向にも切り込んでいる。
 
1920年代、ドイツの国策映画会社、ウーファを中心にしてドイツ映画は黄金期を迎えたが、そこで活躍した映画人の多くは、それ以後、ドイツが辿ってゆく反ユダヤ主義の思想とは相容れなかったのであり、ある者たちはアメリカへ、またある者たちは映画界を去って行き、最後にヒトラーの体制とともに残った才能は、レニ・リーフェンシュタールのみであったと言われる。

かつては舞踏家として活躍したリーフェンシュタール監督の撮影方法には、絶妙のリズム感があり、それまでのドイツ映画の卓抜な技術を継承した、比稀な感性が見事に開化した作品が、「意志の勝利」であり「オリンピア」であった。「意志の勝利」は1934年ナチ党大会の、「オリンピア」は1936年ベルリン・オリンピックの記録映画である。

しかし、いずれの作品も、見るものを圧倒するその映像の美のゆえに、ヒトラーをヒューラー(総統)とする体制を根底から支えるのに貢献をしたことは、歴史的事実として否定できないだろう。
「オランピア」においては、ドイツ選手たちの競技に一喜一憂するヒューラーの姿が、様々な角度から映し出され、選手たちの勝利のたびに、その栄光を讃えるハーケンクロイツ旗が高々と掲げられた。軍服に身を包み、貴賓席から拍手を送るヒトラーの「雄姿」からは、彼の頭の中にすでにできあがっていたはずの、国を挙げての狂気の未来について、何人も思い描けなかったのである。

レイ・ミュラー監督の「レニ」は、「意志の勝利」の制作によって、戦後弾劾され続けた、このレニ・リフェンシュタールの伝記的記録映画である。
「レニ」において、リーフェンシュタールは、「結果を知っていたら、決して『意志の勝利』は撮らなかった」と言っている。映画監督であったリーフェンシュタールの政治的無関心は、決して糾弾されずに済むものではないが、「あの時代」を読むことは、後代の我々が考えるほどに易しくはないだろう。ヒトラーは国民投票により88パーセントの支持を得てヒューラーになったのであり、ナチ党大会の記録映画「意志の勝利」をフランスはじめ、ヨーロッパの数カ国が表彰したのである。

私たちは「同時代」をいかに読み透すことができるのか。これは傑出した一握りの「専門家」にのみ向けられるべき問いではない。一市井人のこの「私」が確かな眼で情報を読まなければ、世界は想像を超えたスピードで歪んでしまうだろう。想像を超えたスピードで情報がゆき交っているからである。
 
メディア・リテラシーについて考えるとき、昨年一年、日本のマスメディアが狂乱して報道した堀江貴文さんの事件などは、私たちがどのようにして「真実」を読み取るべきかを示唆した象徴的な「出来事」にも思える。
(M)

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ひげ2 -男の象徴-

近頃若い人にひげを伸ばしている人が多くなった。
しかし新モンゴロイド人種は一般に体毛が薄いので、様になっている人は少ない。
その点西洋人は実に立派なひげを蓄えるものである。

古代ギリシャにも、ひげを蓄える風習があった(特に初期)。
しかし古代ローマの男たちは大抵剃っていた。
そんなローマでひげを蓄えていたのが異民族と哲学者たちであった。

「ローマは武力でギリシアを征服したが、ギリシアは文化でローマを征服した」

と言われるように、ローマでも哲学と言えばギリシア哲学が全盛であった。
哲学者たちはおのずとギリシアの風習を真似るようになったのである。
だからひげは、しばしば哲学者気取りのギリシア文化愛好家に対する揶揄の材料ともなった。
「ヒゲを伸ばしても哲学者にはなれないよ」と。

ひげへの見方は地域だけではなく時代によっても変わる。
男性的なものが強調される時代には、やはりひげがもてはやされるようだ。
バロックやロココの時代の男はみな剃っていた。バッハやモーツアルトの肖像画にひげはない。

十九世紀の帝国主義の時代になると、またひげの時代を迎える。
少し年配の方なら、マルクスやエンゲルスの凄いひげは、なじみのものであろう。
そんなひげ時代が始まろうとしている中、ショーペンハウアーは

「ひげは男性の第二次性徴だから極めて性的なものである。そんなものを顔のど真ん中にくっつけているのは猥褻も甚だしい」

という趣旨のことを書いている。偏屈哲学者の面目躍如である。

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ひげ1 -眉鬚堕落-

禅語に「眉鬚堕落(びしゅだらく)」というものがある。
眉やひげが脱け落ちてしまう、と言う意味であるが、言語を弄してみだりに仏法を説くと、その罪で眉やひげが脱け落ちてしまう、とのことである。
弟子のためにあえて言葉で仏法を説く場合は「不惜眉毛(ふしゃくびもう)」という。

初めてこの言葉に接した時、ふと思ったのは、眉はともかく、そんなに多くの禅僧がひげ(鬚はあごひげ)を伸ばしていたのだろうか、という疑問である。
普段からひげを剃っている人にとっては、ひげが抜けたとしても何の不都合もないだろう。
出家者に薄毛(いわゆるハゲ)の悩みがないように。

出家者は本来、髪はもちろん、ひげもきれいに剃るのが戒律の定めである。
東南アジアでは眉も剃るという。
ところが、中国では宋代のころから髮やひげ、更には爪も伸びたままにしておく禅僧も多くなったようなのである。日本に伝わる中国禅僧の肖像画のいくつかにも、髮やひげが描かれている。
当時、禅僧と髮やひげとの間には、あまり違和は感じられていなかったようである。

そんな風習を道元は、仏祖の戒めに背くものとして厳しく非難している。
たしかに、爪を伸ばすのは、労働とは無縁な士大夫階級を象徴する風習であった。

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紀州備長炭

備長炭を焼く窯

和歌山を訪れた際、備長炭を作っている所を訪ねてみた。

水やご飯を美味しくし、部屋の空気を浄化。靴箱や冷蔵庫では脱臭材。
紀州の備長炭は、身体にも自然にも優しく、万能なので愛用中。

最近では、シックハウスから住む人を守ると注目されているようだ。
また、家庭菜園なんかの肥料にも炭のくずが使われているとか。
その他にも、利用法は無限にありそうな備長炭。
まわし者のようだが、単に素晴らしさをお伝えしたいのみ。
一度おためしあれ。

出来立ての備長炭

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中秋の名月

お月見_左野典子

今年の中秋の名月は十月六日とのことである。
そう言われて始めて気付くということは、月の満ち欠けは私の普段の生活に、もはやほとんど関係がないものとなってしまっていることを示している。
多くの現代人にとっても、この状況は同じであろう。

これは、明治になって旧暦から新暦に移行したことと大きく関わっている。
旧暦は十五日には満月、一日には新月となるように組み立てられている。
太陽暦では、十五夜という語は意味をなさない。

中秋の名月の続きを読む

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ガラスは液体!?

ガラスと水

「ガラスは液体だ」
ある人が、こう主張しているのを聞いて、はじめは「またお得意の詭弁が始まった」程度に聞いていた。
しかし調べてみると、満更嘘でもないらしい。むしろ化学の世界では常識に属することのようだ。

我々の感覚においては、ガラスはどう見ても固体にしか見えない。しかし化学的に見た場合、ガラスは固体に特有の結晶構造をしておらず、液体のまま過冷却された「ガラス状態」という状態にあるとのことである。
たしかに、ガラスを熱すると次第に柔らかくなり、流動化する。中学校で習った、いわゆる融点というものがない。また、常温でもごくわずかではあるが、流動性を示すらしい。つまり、ガラスとは非常に粘性の高い液体、例えば硬い水飴のようなものとイメージすれば良いのだろうか。

ガラスは硬くて脆く、その破片はとげとげしい。繊細で傷つきやすい心をガラスの心と喩えたりもする。それに対して液体の代表格である水は、古来その適応性や柔軟性が賞讃されてきた。老子は「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る」と述べ、白楽天も「水は方円の器に任ず」と吟ずる。
この全くの正反対にみえる二つの物質が、実は同じ「態」に属するのである。
人も、目に見える性質の背後に、いかなる本質が隠されているのか分からない。表面的な性質だけで物事を判断してはならないと、改めて思った次第である。
(T.F Wrote)

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おくらの花

おくらの花をご存知ですか?
葵や芙蓉の花に似ていて、淡い黄色のとても美しい花を咲かせるんです。


おくらの花


この花の後におくらがお日様向かって大きくなるんですよ。
まさかおくらが上へむかって大きくなるとは、私もつい最近まで知りませんでした。
ネバネバした物を食べる国は、世界でも限られるそうですが、納豆に山芋、おくらも、ネバネバした物は健康にも良いですね!
太陽をいっぱい浴びて育った季節の恵みで、暑すぎる夏を乗り切りましょう!
(N.K Wrote)


おくらの実


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タチマイリ

私が住む丹波地方は両墓制がある地域である。両墓制とは、埋め墓(埋葬地)と詣り墓(建碑地)が別々にある墓制である。埋め墓には遺骸が葬られるが石塔を建てない。詣り墓は遺骸の埋葬がなく、石塔を建てる。遺骸を埋める所と霊を祀る所とを別にする習俗が、両墓制なのである。しかし、火葬が取り入れられてからは、埋め墓にも石塔を建てるようになり、かつての習俗を失いつつある。

私の地域では詣り墓のことを「ラントウ」と呼んでいる。ラントウという呼称は僧侶の墓塔である卵塔を想像するが、歴住塔のある寺の墓地に隣接して詣り墓があるためにそう呼ばれてきたのかもしれない。
さて、ラントウでは、お盆の前に「タチマイリ」という各家の墓に僧侶が読経を行う行事がある。お盆には、精霊を迎えるが、ラントウはオショライさんが一時待機する所と考えられており、先祖の霊はあの世からラントウまで戻り、タチマイリをして家に迎えられるのである。

タチマイリの続きを読む

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祇園祭 -白楽天山-

白楽天山

京都では現在、祇園祭の一連の行事が続いています。
間もなくクライマックスの山鉾巡行が行なわれますが、様々な趣向を凝らした山や鉾の中には、中国の故事をテーマにしたものも多くあります。 中でも白楽天山は、唐の政治家で詩人の白楽天が、道林禅師を訪れたという禅の故事の一場面を表わしています。 白楽天が禅師を訪ねたところ、いつものように松の木の上で坐禅中。白楽天は思わず「危ない」と声をあげますが、逆に禅師から「危ないのはむしろ貴公のほうだ」と諭されます。白楽天は改めて仏法の大意を尋ねます。 禅師の答えは「諸悪莫作 衆善奉行」。悪いことをするな、善いことをせよというもの。
「そんなことは三歳の子供でも言いますよ」と言う白楽天に、禅師は「三歳の子供でも言うことであるが、八十歳の老人でも実行しがたいことである」。

織田信長が上杉謙信に贈った『洛中洛外図屏風』にも、それらしいものが描かれています。白楽天山の存在は、『景徳伝灯録』や『五灯会元』に見えるこの禅の故事が、室町時代の京の町衆にとっても、以外と身近なものだったということを示しているのでしょう。
(T.F wrote) 

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