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茶の湯の菓子 ―インド―

茶の湯の稽古を続けていますと、世界中どこへ旅しても、茶の湯に使えそうな道具、菓子を探すようになります。

インドの甘い物といえば、甘すぎるという情報ばかりが伝わるせいか(いや確かに甘いのですが…)、旅行する日本人もどこか敬遠しがちのように感じています。

ですが、インドという国は、乳製品がそれはそれは豊富で、バターやチーズ、ヨーグルトなどにも様々な種類があり、中でもミルクを使った菓子の種類はなかなか把握できないほどです。

160209-1.jpgその中の一つ、インドを代表する菓子、バルフィをお茶菓子にと求めて来ました。

基本、ミルクと砂糖でできており、ピスタチオなどのナッツ類や、カルダモンで香りをつけたりするお菓子で、お店によってそのアレンジは様々です。そして必ず上には銀箔が。ちょうど抹茶に合う甘さなのです。

160209.jpg稽古場に持参しますと、「初釜で皆さんに召し上がっていただきましょうよ」と師匠からの嬉しい提案。
インドのアンティークの盆を持参し、社中の皆さんにお出しすると、皆さんお気に召したようでした。
*ピシッと並べたかったのですが、一つ一つ微妙に形や大きさが違うので並ばない…のも、インドらしくてご愛敬。

どうか皆様も仏跡参拝などでインドへゆかれましたら、茶籠など持参し、インドの甘いお菓子と朝の一服を楽しんでみてください。
喧噪のインドの中でお抹茶をいただくと、すーっと心身共に落ち着いて、まるでその空間をいっとき茶室のように感じるものです。

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BUDDHA KUSA GRASS TEMPLE ―インド・ブッダガヤ―



160204-1.jpgブッダガヤを訪れた際、だいたいのお釈迦様ゆかりの場所はもちろん伝記などを読んで存じている場所で、「ふむふむ、ここにほんとうにお釈迦様がおられたのだなぁ…」と感激しつつ巡っていました。

スジャータ村からの帰り、運転手が、「KUSAテンプルにはゆくか?」と……。何の事かと思いましたがとりあえず訪ねてみますと、「BUDDHA KUSA GRASS TEMPLE」が。

看板によると、一人のバラモン(階級の男)が現われ、お釈迦様に8束の草を献上した場所なのだとか。その草を敷いて坐禅を組まれ、その後お釈迦様は悟られた……と書かれていました。

ただ、この場所から、お釈迦様が悟りを得られた菩提樹(現在のマハーボディー寺院)までは、尼連禅河を越えて、随分距離があるように思われますので、「え、草をお持ちになって歩いてゆかれたの?それとも誰かが運んだ?」などと疑問は残るのですが、それはまぁ置いておいて……(詳しくご存知の方いらっしゃいましたら、是非おしえてくださいませ)。

160204-2.jpgさてこのKUSAですが、「お釈迦様は良い香りのする草を坐禅に使用された」などと書かれているのを帰国後に読んだ事もあり、とても興味深く、どのような物なのだろう?!と気になり始め、ネットで調べてみましたが、それではわかりませんでした。

そこで、ブッダガヤで貧困地域(ブッダガヤのあるビハール州はインドでも最貧地域です)に生きる女性たちを支援する仕事(インドの素敵な布を使ったちくちく仕事です、是非ご覧ください*nimai-nitai)をしている友人に調べてもらいましたところ、下記のような返事と写真が!

 

「kusaは、ビハールのこの地域の人が呼ぶ草の名前で、kasilというのが
一般的な?名前だそうで、インドではだいたいどの地域にもはえているものだそうです。

わたしもこの草はグジャラートでも草原にたくさんはえてるのみましたよ。
ビハールはそこらじゅうにあります。とくに匂いはないので、匂いのためではないとおもいます。

亡くなった人を火葬するときと、亡くなったあとの10日後にpujaをするときに使われるそうです。
pujaのときにもつかわれることと、とてもかたい草なので、瞑想の修行のときには
あっていたのかも...と勝手に想像しました」。

*pujaとは、神への礼拝、神に供物を捧げる儀式、お祈りなど全般を指す言葉で、日本の護摩炊きの起源ともいわれています。
*ちなみに、友人はその後も色んな人にkusaについてを尋ねてくれていますが、この草だと言う人もいれば、違う草だと言う人もいるそうです。インドで質問をするとそういう事もままあります…。


160204-3.jpg

なるほど…。
インドではどこにでも宗教・信仰が溢れていますから、それに使う草は、どこにでも無いといけないのかもしれません。

私が愛読しているインドの聖典『バガヴァット・ギーター』にも、「クシャ草を敷いて瞑想をしなさい」とありました。

今度インドへ趣き、クシャ草をみつけたら、刈ってみて、クッションにして坐ってみたいものです(かたい草だと友人が言っていましたので、干してから使うのかも知れませんが……)。
とりとめもない、個人的な興味の話になってしまいましたが、お付合い有難うございました。
もしもkusa草について何かご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご教授くださいませ。

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インドの日常



160129.jpgどこを、何を写しても絵になってしまうインド
デリー・フマユーン廟にて
お掃除のおばさん、休憩タイムです

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建水とカダイ

皆さまおはようございます。実は、昨年12月の事ですが、ある発見をしてしまいました。

インドが大好きでこの夏に3度目の渡印をしましたが、さらに大好きになってしまい、インド料理を本格的に学び始めました。
何故今まで気付かなかったのか……と思うのですが、インドでカレーを入れる器、“カダイ”。
自宅でインド料理を作り友人をもてなそうとしました時、器をあれこれ用意していてふと…。

160115-1.jpg「こ、これは建水ではないか……」。

*建水 茶道で使う道具。茶碗を温めたり清めたりする為に使った水を捨てる為に使います。
左が私の建水、右がカレーを入れる器、カダイです。

160115-2.jpg江戸時代より、インドから更紗などが渡ってきていましたが、もしやカダイなども一緒にやってきて、当時の茶人が「これは建水に良いではないか」と見立てて使い始めた事をきっかけに、この形が作られるようになったのでしょうか…。

色々調べるも詳しい事はわからないのですが、想像してロマン掻き立てられてしまいました。このあたりご存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご教授くださいませ。

茶道具には、元をたどると他国で意外な使われ方をしているものがあり、茶の湯の道は、精神的な面のみならず、お道具の世界にも、いくら学んでも発見と驚きと感動があります。

どちらかというと、型があり、決まり事が多いおカタイ世界だと思われがちですが、もちろんそのような面がありつつも、それにがんじがらめになるわけではなく、自由で柔軟な発想と心さえ失わなければ、このような見立ての粋に遊べる世界なのだと思います。

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12月8日 成道会

 

151208-1.jpgブッダガヤ お釈迦様が悟られた菩提樹の元に世界中から仏教徒が集います

12月8日。成道会(じょうどうえ)。
お釈迦様がお悟りを開かれた日。覚者(ブッダ)となられた日です。
僧堂では、本日をもって臘八大接心を終え、普段どおりの修行に戻ります。

151208-2.jpgマハーボーディー寺院 お釈迦様お悟りの地に建つ寺院


奇なるかな。
奇なるかな。
一切衆生悉く皆如来の智慧と徳相を具有す。
ただ妄想、執着あるを以ってのゆえに証得せず。

「思いがけず素晴らしい事だ。生きとし生けるものは皆な、生き方というものを知っている。ただ人間は自分の心に取り付かれ、この世からの借り物を自分のものだと思い込んでしまうから生き方が分からなくなってしまうのだ」。

「仏教徒の覚悟」福岡県 ・本岳寺住職  松本浩舜師 臨黄ネットより

151208-3.jpgこの夏、初めてブッダガヤを訪れました。今まで色々旅をして世界遺産だの遺跡だのを巡ってきましたが、私の中で他と比べようもなく素晴らしかったのは、大学の卒業旅行で訪れたネパールでのトレッキングで、4200メートルから見た8000メートル級の山々でした。
実際に眺めてこそ、そのものが神と崇められるのがわかったような気がして、あれ以上の感動を今後の旅で得られる事は無いだろうと決めつけていました。


ですが、お釈迦様が悟られた場所では、世界中から集う仏教徒の祈りが捧げられ、あちらこちらで瞑想する人がおり、そのあまりに平和で、静けさが充ち満ちた気というのは、私にたとえようもない心の平穏と静寂をもたらし、8000メートル級の山々(神)を観た時と同じような感動が蘇ってきたのでした。
何ごとも、体験もせず決めつけるというのは浅はかな事だな・・・と思い知らされ、必ずや再訪し、またあの地でしばし坐ってみたいと思っています。

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臘八大接心

ただいま日本の多くの僧堂では、臘八大接心(ろうはつおおぜっしん)のまっただ中です。
*もっと寒い時に…と、1月に大接心をされる僧堂もあり、時期は必ずしも決まっていません。

151203-1.jpgマハーボーディー寺院 インド・ブッダガヤ

これは、お釈迦さまが、苦行では悟りを開く事はできぬと気づかれ、菩提樹の下に坐を組み、12月8日、明けの明星をご覧になられて悟られた事に因んで行われる、禅宗道場ならではの行です。

12月1日から8日の早朝まで、食事にお手洗い、参禅とお勤め以外は、ほぼ坐禅三昧で過ごすという、それはそれは厳しい修行期間なのです。横になって眠る事もしないのだとか。
この期間の私は、寝床に入る時に「あぁ、老師や雲水さん達は横にもならないのだなぁ…」と思い、朝冷たい空気の中眼を覚まし、布団から出たくない気持ちがわき起こってきては、「あぁ、私はぬくぬくと布団の中にいるけれど、僧堂では日の昇る前の一番寒い時にも、坐ってらっしゃるんだなぁ…」と思います。

僧堂で修行する雲水さん達を叱咤激励しつつ、ご自身も行を続けられる接心中の老師のお話が、鎌倉は円覚寺さんの居士林だよりでご覧になれます。
8日の鶏鳴まで、どうか無事修行を終えられますよう祈っています。


151203-2.jpg余談ですが、上写真は、苦行の後スジャータに乳粥を施された後、いよいよお悟り前の坐禅に入られるお釈迦様の前に一人のバラモンが現われ、8束の草をお釈迦様に捧げた地が寺院として祀られている場所です。日本のガイドブックなどには載っておらず、私も運転手が連れて行ってくれて初めて知ったのでした。
お釈迦様ゆかりの場所が多々残る、是非とも再訪したいと願っているブッダガヤの地にあります。

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道ばたの職人魂 -インド-

 

151006-1.jpgこの夏はお釈迦様ゆかりの地を参拝する為、インドへと趣きましたが(それはおいおいご紹介したいと思います)、私がどこの国へ行こうと惹かれてやまないのが、職人魂。
インドには様々な手工芸が残っており、現在も各地方で職人魂が息づいていますが、どこの街へ行っても見られる職人魂といえば、屋台なのかな・・・と思うのです。

151006-2.jpgともすれば「お腹を壊すんじゃないの?」と思われがちな屋台ですが、作っている人の仕事ぶりやお店のしつらえなどをよく拝見し、大丈夫かどうかを判断します(自己責任)。

チャイ屋を選ぶ時に忘れてならないのは、今も素焼きのカップが使われているお店でいただく事。他のカーストが使った器を再度使わないというインドならではの理由もありますが、この素焼きのカップを作り続ける事を生業とする人たちもいますし、何より実はエコ。そして私にとってはインドに来た感を味わえるものの一つです。

151006-4.jpg近頃インドが忘れがたく、様々なスパイスを入れてチャイを作り、こっそり持ち帰った素焼きカップで楽しんでいます。

151006-3.jpg主食というよりスナック的にいただくサモサ(小麦粉を練って伸ばした皮に、スパイスを入れて炒めた肉や野菜を三角錐状に包み、油で揚げたもの)やパコラ(ひよこ豆粉のてんぷら)の屋台も多くみかけます。
古い油を使ってはいないかというのが私にとっては一番気になるところですが、味見もさせてくれる上に外国人だからといって高い値段を言ってくる事も無い、職人気質が生きたお店。美味でした。

151006-5.jpg仏跡参拝でインドに行かれる方は多いと思いますが、是非こういった道ばたの職人魂もお楽しみいただければと思います。もちろんインド旅行中はお腹が痛くなる事も無く、快調に過ごさせていただきました。

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龍谷ミュージアム

 

150908-1.jpg展示内容はもちろんのこと、解説のわかりやすさやそのビジュアルの面白さにかけては群を抜いていると思える龍谷ミュージアム
縁あって訪れた、仏教については詳しくない一般の方々にもわかっていただこうという心くばりが随所に見られ、個人的にも大好きなミュージアムです。

さて、今回は『玄奘』展。かの玄奘三蔵法師がテーマなのです。
玄奘三蔵といえば、中国は唐の時代、7世紀に実存したお坊さんで、国禁(唐は鎖国政策を採っていました)を侵してまで、困難な旅の末にインドから経典を持ち帰った御方。実在の人物です。

中国からインドへというと、皆様地図を広げてみてくださいませ。登山グッズや便利グッズが溢れている現在でも、どれだけ重装備をして用意すれど、そこを現代的な乗り物に頼らず行こうと思えば、、、想像もつかない道のりなわけであります。

150908-2.jpg度重なる困難を乗り越え、インドから経典を持ち帰り、生涯を賭してその翻訳に携わった玄奘三蔵。
まさに伝説的なその超人的偉業は、行く手を阻む様々な妖怪などが現れては邪魔をするのを、時にはお付きの者たちが、また時には神通力でたちまち倒してしまう・・・そう、かの『西遊記』という物語の基となったわけであります。

150908-5.jpgパンフレット500円。三蔵法師の歩いた道がわかる地図が!


今回の展示では、そんな伝説化した、超人的な存在としてとらえられがちな玄奘三蔵を、多くの困難や苦悩に苛まれながらも、強い意志を持って生きた一人の人間として見つめてみようではないか・・・という素晴らしい試みなのでありました。

この夏私の中で一番熱い展覧会でした。

 

と申しますのも、くしくもこの展覧会を観に行った直後に、玄奘三蔵も学んだインドのナーランダ、たどり着いた時に突っ伏して号泣されたというブッダガヤのお釈迦様悟りの地、マハボディ寺院に訪れる予定だったからです。
「インドは人を呼ぶと言うが、今回は三蔵法師に呼ばれたのではないか・・・」などと一人都合の良い妄想にふけて心躍らせるのでありました。


実際この夏は三蔵法師にまつわる色々が私の周りにあったのですが、他のお話はまたいずれ。
展観は9月27日までです。私もいま一度訪れようと思っています。皆様も是非!

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インドに数ある大僧院の中でも、このナーランダほど壮麗崇高な僧院はない。
ここでは、1万ともなる僧達が大乗も小乗の教えも共に学び研鑽している。慎み深く、そして厳粛に。
『大慈恩寺三蔵法師伝 巻3』

150908-3.jpg僧坊。玄奘三蔵が使ったと伝わる部屋。遺跡の入り口で雇ったインド人ガイドが言っていたので、本当かどうかは定かではありませんが、信じて思いを馳せてみました。

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国際ヨガの日 -6月21日-

“国際ヨガの日”を、皆さまご存知でしょうか?
先日のヨガの稽古にて、師匠が教えてくださいました。


150619-1.jpgなんでも、インドのモディ首相が昨年9月の国連総会の演説で、

「ヨガは私たちの古代からのかけがえのない伝統で、贈り物である。心身の統合を具現化する。運動というだけでなく、あなた方自身と世界、自然の調和の感覚を発見させるものだ」。

と訴えかけ、日本を含む175ヶ国が共同提案国となり、昨年12月に可決、制定されたそうな(ちなみにインドにはヨガ大臣がいらっしゃり、ヨガ・アーユルヴェーダ省があります)。

首相の上記のセリフはまさにその通りで、実践すればするほどにその恩恵の有難みを感じる今日この頃。まだ5年弱ですが、続けるほどに様々な発見があり、「ヨガをしていなかった時、私はどうやって生きていたのかな・・・」と、大げさではなく、大まじめによく思っています。
*一番わかりやすい“効果”という話のみで言いますと、0.4~0.5だった両目の視力が、0.8と1.0に回復しました。


インドのような所だからこそ、お釈迦様がお生まれになったのだと思いますし、アーユルヴェーダやヨガ、仏教など、インド発祥の智慧が全世界へ広がる事は素晴らしいことと、国際ヨガの日をお祝いする気分でいっぱいです(いつか国際禅の日、坐禅の日、、、なんて制定されませんかね)。

150619-2.jpg余談ですが、私が心よりお慕いする大学時代のゼミ教授とゼミ仲間たちで、大学卒業時に校舎の秘密の場所に、未来の自身や世界へ向けて手紙を書き、5年後に開けるタイムカプセルを埋めました。

ちょうど10年ほど前にそれを掘り起こし、皆で読んだわけですが、教授は、

「インドが世界をリードするようになっている」。

と書いていらっしゃり、我々ゼミ生は「先生それはないですよ~先生の理想でしょうけれど。先生は面白いお考えの方だなぁ。縄文時代が大好きでいらっしゃるし・・・」などと皆でなごやかに笑い、先生も「ちょっと早すぎましたかねぇ」と笑ってらしたのを覚えています。

あれから10年ほどたった今、世界中でヨガをしている人は一体何人いらっしゃるでしょう。未だにその人口は増え続けているかと思います。
国際的に認められ、ヨガの日が制定された今、「ある意味においてはインドが世界をリードしているといっても過言では無いなぁ・・・しかもこれからさらにそれが増してゆく感があり、さすがは我らが先生!」と思った次第。

150619-3.jpgちまたには、到底できるはずもないと思わせるようなヨガのポーズをした写真などが溢れかえっている事から、「若くないと無理」、「身体が柔らかくないと無理」と思い込んでいる方が多いように思いますが、私自身身体はかたい方ですが、ヨガの恩恵を存分に受け取っています。

さらに、私の仲良くさせていただいているマダムで、60代後半~70代になってから始められた方が3人いらっしゃいますが、「ヨガって素晴らしいわ!」と仰り、輝いていらっしゃいます。その豊かな人生経験から、新たに始められたヨガの世界で気づかれる事も、広く深いような・・・・・・。
私もそのお姿を拝見し、「何かを始める事に遅いという事は無い」という事を見させていただき、素晴らしい影響を与えていただいています。
国際ヨガの日は明後日、21日日曜日です!

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『小説 ブッダ いにしえの道、白い雲』 ティク・ナット・ハン著




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4月の来日を楽しみにしながら、『小説 ブッダ いにしえの道、白い雲』(ティク・ナット・ハン著 池田久代訳/春秋社)を読んでいます。

読み終えてからの感想もまたお届けできたらと思っていますが、まず、インドのカースト制度、バラモン・クシャトリア・バイシャ・シュードラにも入らないとされる、更に最下層の不可触民であったスヴァスティという少年が、ブッダに出逢い、出家するまでに至った機縁からこの物語は始まります。

修行僧となったスヴァスティの目を通して語られるブッダの来し方。今までに私が読んだブッダの生涯を描いた小説とはまた視点が違い、新鮮でとても面白いものです。

また、ベトナム戦争によって、自らも我々の想像を絶する困難を乗り越え、修行され、世界各国で教えを説かれるT.N.ハン師だからこそ描ける、修行や悟りについての事細かな描写、経典からの引用、詳しい仏教思想など、単なるブッダの生涯を描いた読み物的小説とはまた違う奥深さがあります。
是非皆様にもおすすめしたい一冊です。

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ヨガの実践




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私事ですが、「研究所に勤め、茶道をしているからには、“坐禅”をせねば!」と、大きな志を抱き、やる気だけはみなぎらせ、何ヶ所かのお寺に坐禅を組みに行ってみた事がありました。
ですが、昔バスケットボールをしていた時代に、何度も捻挫をした古傷が耐えられないほどに痛み出し、そうなってしまうと、“痛み”にしか意識は向かなくなり、結局早々に断念してしまいました。

ある方から言われて、呼吸の重要性に気付き、さらに色々と自身の問題が重なった時に、一度手を出しかけてやめていたヨガを、もう一度始めてみようと先生を探しました。そして、素晴らしい先生との出逢いによって、様々な“気付き”や“学び”が私に訪れるようになりました。
いくつもお話したい事はあるのですが、まず初心者でありながらも私が思うのは、普段全く意識もしていない身体の部分というのは意外に多くあるもので、「あぁ、ここも私の身体の一部だったのか…知らなかった。ごめんね」と思いながら、アーサナ(ヨガのポーズ)を実践すると、それは同時に、知らなかった自分に気付いたり、見えていなかった自分の心が見えてきたりする事に繋がっているのだな……という事です。
「“自分を知る”という事においては、禅も茶道もヨガも同じ事だな」と、私の中でしっかりと太く繋がっています。

以前お話を拝聴したリンポチェは、「私はチベット仏教を信仰なさいと言っているのではありません。御自身のdaruma(ダルマ=自然・natureと仰ってました)に合うものを探しなさいと言っているのです」と仰っていました。
またある日の講演会では、鈴木大拙先生の元秘書の岡村美穂子先生が、「自分の足に合った靴をお履きなさい」と仰っていました。

頑なに坐禅にこだわり、「こうしなければならない」と、自分に鎖を巻いたような時もありましたが、これでよかったのだな…と今は思っています。

皆様にも、それぞれ御自身のdarumaに合うものとの良き出逢いがありますように。


*ちなみに少し宣伝ですが、坐禅会に参加してみたいと思われる方は、弊所に事務局を置いております、臨済宗・黄檗宗の公式サイトに、坐禅会情報がございます。ご参考になさって下さい。

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退蔵院ピースフルコンサート




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以前こちらでもご紹介させていただきました、妙心寺の塔頭、退蔵院でのピースフルコンサートにお邪魔してきました。
パーフェクトポーションの代表、サルバトーレの平和に対する思いと、それに繋がる支援、そして退蔵院の皆様のご理解でこのコンサートは実現したようです。

写真の真ん中に写るTenzinさんは、チベットからインドへ亡命した過去を持ちます。
親と離れ、ヒマラヤを越えてインドを目指す子供たちが現在も数多くいるとの事。
私もネパールで4100メートルくらいまでのトレッキングをしましたが、雪の残る山をゆくのがどれだけ恐怖感抱くものであるか……山登りの装備など全く無しに、命を懸けてヒマラヤを越えるというのは想像を絶するものがあります。

そんなヒマラヤを越えた、親のいない子供たちが、亡命政府のダラムサラの“チベット子ども村”で共同生活をしているそうで、Tenzinさんはそちらへの支援活動などもされているそうです。
「どうかヒマラヤよ、チベットの子供達に道をあけておくれ…」という願いを込めた曲は、涙無くして聴く事はできませんでした。
随処に“祈り”を感じたコンサートでした。Tenzinさんの作る曲には“鳥のうた”が多いそうです。様々な思いが込められている事は想像に難くありません。

便利な事に慣れすぎた我々、物質主義に偏ってしまっている現代においては、目には見えぬ“祈り”など、捧げて何になるのか、結果が見えぬ、物理的変化が認められぬ……という人が多いのかもしれません。
しかし、例えば日本においても、神社や寺院において様々な祈りの儀式や法要などが現在も行われている事、それが遥か昔から守り続けられて来ている事には、大きな意味があるのだと私は思います。


雨の降る少し寒い夜でしたが、“祈り”を感じる声・音、また、Tenzinさんと共に皆で唄い、心温かくなるひとときでした。

チベットはずっと前、いつからかは忘れましたが私の強い憧れの地です。
荒涼たる大地、ぬけるような青い空に神秘的な色をたたえた湖、人々の深い信仰心、東洋の叡智といわれる精神的支柱ダライ・ラマ、世界中で出会うチベット人の優しさと笑顔。京都にいらしたリンポチェの教え。

個人的に浅からぬご縁を感じるチベットとまた“繋がり”を持てた夜でした。
ちなみに、チベット人の名前に多く見られるTenzin(テンジン)とは、“仏の教えを守る者”という意味があると聞いた事があります。
最後には皆で、チベット仏教徒が大切にしている御言葉、「オンマニぺメフム」を唄いました。

本日は大阪でコンサートとの事。また皆の心を温かくしてくれる事でしょう。

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トゥルク ジャミヤング リンポチェ来日講演記録




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チベット仏教寺院にて_ブータン

先日よりこちらでご案内させていただいております、チベット仏教僧・トゥルク ジャミヤング リンポチェ(リンポチェとは、「大いなる価値」という意味で、人に対する場合は「高貴なるお方」となり、尊称であります)の講演内容についてをご紹介させていただきたいと思います。

私が一番心に残っているのは、リンポチェが御自身の胸のあたりを手で指しながら、宗教にしても何にしても、「自身のdarumaに合うものを探しなさい」と仰った事です。
darumaというと、「仏法」などと訳される事が多いのですが、リンポチェは「nature」と仰っていました。

「自身のnatureに合うものを」というお言葉から、如何にリンポチェが一人一人の“存在”を尊いものとしてお考えであるか、また、それぞれが現世で生きる意義を見出し、本当の幸せとは何であるかを考え、より良い生き方をする事を望まれているかが伝わってきました。

私自身、茶の湯の稽古をし、禅に惹かれ、禅文化研究所で働かせていただいていますが、まだまだその他に自身のnatureに合うものとは一体何であるか、日々模索中です。
人生は、自身で“これだ”と思うものに如何に多く出会うかの旅路であると思っている私にとっては、とても心に響く言葉となりました。

また、ある方がリンポチェに、「あなたが今日ここで話した事は、既に色々なメディアで言われている事であって、知っている事ばかりで、私はがっかりしました」と言ってのけました(驚愕しながらも、リンポチェのお答えが楽しみだった私…)。
するとリンポチェは、、、

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トゥルク ジャミヤング リンポチェ来日講演





クリックしてご高覧下さい

皆様こんにちは。暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか?
急なお知らせですが、お時間のある方は是非ぜひ!

チベット仏教の高僧、トゥルク ジャミヤング リンポチェ師による来日講演があります。私もお手伝いに伺える事になり、今からわくわくしています。

京都・大阪での日程は下記のとおり。


時 :8月18日(水) 15:00~17:00
場所:Restaurant HIMARAYA
  (京都市中京区河原町三条上ル下丸屋町406 グリントランドビル6F)
電話:075-211-8940
料金:2000円(1ドリンク付)
        


時 :8月19日(木) 18:30~20:30
場所:京都国際交流会館
  (京都市左京区粟田口鳥居町2番地の1)
電話:075-752-3010
料金:1500円


時 :8月20日(金) 15:30~17:00
場所:ネパールレストラン シュレスタ
  (大阪市天王寺区堂ヶ芝1-11-8 ジェム・エックスビル1F)
電話:06-6773-0802
料金:2000円(1ドリンク付)

その他詳しくはこちらからどうぞ。

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タブラ奏者 アリフ・カーンのコンサート -皷楽撃竹- 於:福成寺






昨年9月にこちらでもお知らせ、ご報告しましたインド人タブラ奏者のアリフ・カーンさんが再来日されます。
京都市西京区にあります禅寺、福成寺の竹林をバックに、あの幻想的な音色を聞かせていただける機会がまたやってきました。

前回私もお邪魔しましたが、屋外でのコンサートは、木漏れ日の中で風を感じ、まるで鳥達も楽器に共鳴するようにさえずり、心の底にあるストレスなどからも解き放たれるかのような気持ちの良いコンサートでした。
是非皆様にも、この機会に味わっていただきたいものです。
ご都合つきましたらどうぞ。
詳細は、上のパンフレットをクリックして下さい。

時:4月4日(日)10:00~12:00
所:福成寺(京都市西京区樫原内垣町24)
参加料:2000円

その他アリフ情報はこちらのブログにて!

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レッドフォート(赤い砦) -インド・デリー-




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世界遺産、レッド・フォートです。
このブログでもおなじみ、タージ・マハールの建造者でもあるシャー・ジャハーンにより、1648年に建てられました(ムガル帝国時代)。
イギリス統治時代から、インド独立後まで、軍の駐屯地や施設として利用され、城内は当初より大きく変わったとのこと。
それでも、広い広い大理石の謁見殿などを見ていると、当時の王の権勢がしのばれます。

独立記念日の8月15日には、首相による演説がこちらで行われるそうです。
私が訪れたのは16日でした。
インドの国旗色の花で飾られたレッド・フォートを見る事ができました。

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国立博物館 -インド・ニューデリー-




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インド旅行記のつづきです。
ニューデリーにある、国立博物館を訪れました。
インダス文明・仏教・ヒンドゥー教の関連のあらゆる宝物が展示されており、デリーでの滞在が1日ほどと短い場合などには、広すぎるモスクなどを訪れるよりも、私はまずはこちらに行かれる事をオススメしたいです。
カメラの持ち込み(有料)も可能で、写真も撮る事ができます。
限られた時間で旅行をする際は、私はその国やその土地の文化を知りたいので、必ず美術館や博物館をチェックして訪れる事にしています。

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ジャーマ・マスジット(デリー) -インド-




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イスラム教のモスクとしてはインドで最も大きいジャーマ・マスジットです。
かのタージ・マハールを建てたムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンによって1644年に着工されたものです。出来上がったのは、6代皇帝、アウラングゼーブ帝の頃との事。
写真に写っている人を見て頂ければ、どれだけ大きなモスクかおわかりかと思いますが、大理石でできた貴賓席(席というのでしょうか…イスラム教徒の場合、マイカーペットのような物を持参して、それを敷いてお祈りしますが…)と、ただの岩石で出来た一般席、合わせてどれだけの人数を収容できるのでしょうか。
大勢の祈りの声はデリーの町全体に響くのだろうな…と想像します。

100121-2.jpg

モスク近くに…。おそらくシヴァ神でしょうか…。虎に乗っているので、修行中のシヴァ神かと思われます。
町中に突然大木が生えていて、そこを囲むように祀ってあります。前を通る人はお祈りして行ったりします。初めて見るとびっくりしますが、インドではよく見る光景です。
京都の町中のお地蔵さんと同じような感覚でしょうか…。

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ラクシュミーナラーヤン寺院(デリー) -インド-




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久しぶりのインド日記です。
今回は首都デリーにあります、ラクシュミーナラーヤン寺院です。
こちらは、インドの財閥、ビルラー家が建てたヒンドゥー教の寺院です。
さすがインドを代表する財閥が建てただけあって、絢爛豪華でした。
残念ながら中は写真不可でしたので、外からのショットを…。

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タブラ奏者 アリフ・カーンのコンサート




コンサート at 福成寺

9/18のブログでお知らせしたように、去る9月27日に、インドから若きタブラ奏者のアリフ・カーン氏が初来日し、京都市西京区の福成寺の竹林で、シタールの田中峰彦氏とのミニコンサートがあった。
コンサートを見に行くことにしたところ、今回の来日に深く関わっている人が、研究所に以前勤務していた方の奥方ということもあって、少々お手伝いを頼まれることになった。

彼と彼のインド側のプロデューサー的存在の女性を京都市内のホテルでピックアップし、車で会場のお寺に連れていき、コンサートの時にはカメラマンになってほしいとのこと。
そんなわけで、しばらくの時間では有ったが、直接、下手な英語で話をしたりして、コミュニケーションもはかれた。もしインドにいく機会があったら、きっとお世話になれそうなことに……

タブラ アリフ・カーン/シタール 田中峰彦

それはさておき、オープンエアで竹林を背景にしたミニコンサートは、約40名ほどの聴衆の中でアットホームな雰囲気のなか始まった。
シタールの田中氏から楽器やインド音楽の説明をしていただき、あのシタールの奏でる独特なインド音楽と、初めて目にする、タブラという打楽器のリズミカルかつメロディアスな音に魅入られて、あっという間の1時間半だった。

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インド タブラ奏者 アリフ・カーン初来日記念コンサート 於:京都 福成寺




クリックしていただくと、大きな画面が開きます。

研究所にもよくいらっしゃるお坊さんのお寺にて、上記のようなコンサートがあります。
インド大好きな私は、900年も続くタブラ奏者の家系の貴公子がやってくるとあって、喜々としてでかける予定です。
「日本でいうところの東儀秀樹か?!」などと色々妄想しております……。

是非皆様もご一緒にいかがですか?
お問い合わせ等は、上記掲載メールまでお願い致します。

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初転法輪の地 サールナートへ -インド-



ダーメーク塔
ダーメーク塔

バラナシでひどく体調を崩し、旅程を変更し早めにデリーへ入る事にしたのですが、その前にせっかくここまで来たのだからと、お釈迦様が初めて法を説かれた地、サールナートへ向かう事にしました(バラナシからは車で約30~40分ほど)。

さて、このサールナートとは、仏教の聖地とされる地です。
悟りを開かれたお釈迦様が説法を決意され向かわれた地が、かつての苦行仲間のいるこのサールナートだったといわれます。共に苦行をしたこの5人の仲間は、お釈迦様が苦行をやめられた際にその事を非難した仲間達でした。 結局は、お釈迦様が戻ってこられ、初めてこの地で法を説かれ、5人は最初の仏弟子となります。
仏教徒としてお釈迦様の初めての説法の地に立ち、本当にお釈迦様はここにいらっしゃったんだな…と感慨深く、不思議な気持ちに包まれました。

ダーメーク塔

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聖なる川 ガンジス -インド-




ガンジス川

映画『おくりびと』の主役、本木雅弘さんは、この川を見て、インドの事を書いた自著の中に、青木新門さんの著書『納棺夫日記』にあった一文を引用させて欲しいと申し出られたそうだ。
その一文というのが下記。

何も蛆の掃除までしなくてもいいのだが、ここで葬式を出すことになるかもしれないと、蛆を掃き集めていた。蛆をはき集めているうちに、一匹一匹の蛆が鮮明に見えてきた。そして捕らわるまいと必死に逃げているのに気づいた。柱によじ登っているのまでいる。蛆も命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた。

(上記は、妙心寺発行の『花園』4月号 青木新門氏による特別寄稿文より)

当時まだ二十代であった本木さんが、この川を見て悟った死生観があり、そんな彼が主役を演じたからこそ、映画『おくりびと』は万人の心を打つ映画となったのだろう。

情けないかな、私はというと……

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レネアの滝 カジュラホ番外編 -インド-




レネアの滝

久々にインド旅行記です。世界遺産で有名なカジュラホ村番外編。
カジュラホ村からオートリキシャで1時間くらい走った所に、この“レネアの滝”があります。
この滝に向かう途中、レンタサイクルで滝まで向かう日本人に遭遇。2人のうち1人が道に倒れ込んでいました。夏のインドでそれは過酷すぎます…。
こちらは自然保護区(カヤール保護区)内にあるため、途中でチェックポイントが(チケットを購入)。
滝に着くとレンジャーが1グループに1人付き、色々と説明をしてくれます。

チェックポイント オートリキシャ

左写真:チェックポイントでお金を払い名前を記入。
右写真:インド人少年達に「ボロボロすぎて滝までは無理、危ないからやめたほうがいい」とまで言われたオートリキシャ。エンジンをかけるのにも一苦労。往復2時間頑張ってくれました。

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【西郡 ヴィシュワナータ寺院】 カジュラホその6 -インド-



ナンディー堂 ナンディ


世界遺産カジュラホの遺跡郡は、大きく分けて西・東・南に分かれますが、今回ご紹介する西郡は、寺院が一番多く残っている地域で、周りには安宿や土産物屋などが多く並ぶ賑やかな所です。
といっても、緑溢れる穏やかな町、カジュラホなので、とてものんびりしています。
オートリキシャ(タクシー代わりの乗り物です)に相乗りする事になった50歳過ぎ?のオーストラリア人夫婦も、このあたりの安宿に泊まっていると話していました。日本人には絶対にみかけないようなこの年代の夫婦バックパッカーというのも、なんだか良いなぁ……と思いました。

さて、この西郡にある、ヴィシュワナータ寺院は、1002年に建立されたとの事で、旅行本などにはシヴァ神を祀る寺院と書いてあったり、ヴィシュヌ神を祀る寺院と書いてあったりで定かではありませんが、向かい合って、シヴァ神の乗り物とされるナンディ(牡牛)の立派なお堂もある所が特徴的ですし、やはりシヴァ神を祀る寺院でしょうか。詳しい方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
ちなみにヴィシュヌ神の乗り物は、航空会社の名前にもなっていますが、ガルーダです。

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村の人々 カジュラホその5 -インド-

インド カジュラホ村
村の女性はよく働きます。

インド旅行記、引き続き世界遺産カジュラホについてです。
訪れてみるまでは、遺跡がたくさん残っている事ですし、かなり観光地化された場所というイメージがあったカジュラホですが、訪れてみてびっくり。本当にゆったりした気分でいられる村でした。

遺跡からは少し離れた、村人達の生活の場まで自転車ででかけてみるのもまた面白いのでした。
今回はそんなカジュラホ村の人々をご紹介します。

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【東郡 パールシュヴァナータ寺院】 カジュラホその4 -インド-

アイシャドーを塗る女
有名な“アイシャドーを塗る女”

インド旅行記のつづきです。
世界遺産カジュラホの東郡、パールシュヴァナータ寺院をご紹介。
ジャイナ教の寺院で、10世紀半ばに建立されました。
見た感じはヒンドゥー教寺院と何ら変わらないようですが、違うところといえば、処々に祀られているティールタンカラ(祖師)像の存在です。
ジャイナ教の祖師像は、その派にもよりますが、無所有を戒律として定めているだけに、衣を身にまとってはいませんし、装飾品なども無い事が多いようです。

それにしましても、「宗教が違うのに、建物は一緒で本尊だけで見分けるの?!」と我々の感覚だと思いそうですが、カジュラホあたりの寺院群は、同じ建築家が設計し、同じ彫刻家によって造られたものが多いそうです。
土着の信仰の影響を色濃く受けて生まれたインドの各宗教は、そんな事は気にしないのでしょうか。ヒンドゥー教徒は我らがお釈迦様も、ヴィシュヌ神の第9番目の化身としてとても敬っています。何も知らなかった私は、初めてインドを訪れた際、ヒンドゥー教徒の女性がお釈迦様の涅槃像にキスをしてお祈りするのを見て不思議に思ったものでした。

上の写真は、ガイドブックなどには必ず登場する、“アイシャドーを塗る女”です。
10世紀のインド人がなぜこのような意匠を寺院に施したのか?と疑問に思いつつも、眺めているとなんだか微笑ましく、おおらかな気持ちになってくるのです。

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【南群 ドゥラデーオ寺院】 カジュラホその3 -インド-

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素朴な風景の中、散歩がてら徒歩にて(暑いですが…)一番はじめに訪れたのが、南郡にあるシヴァ神を祀る寺院、ドゥラデーオ寺院(Duladeo Temple)です。
カジュラホでも最後期、12世紀初めに建てられたそうです。
側壁には、美しい天女(アプサラ)の像がそれはたくさん。豊かな表情・姿の像を見ていると、日本の表現とはまた違う独特な美しさに、当時のインド人の精神性とは如何に?!と色々想像します。

たくさんの遺跡が残る西群を見る前に、最初にこの周りには何も無いような所にぽつんと残る寺院を訪れてみて本当に良かったです。
精緻な彫像の美しさに圧倒され、また、この1つの寺院のみがここになぜぽつんと残っているのかという不思議さに、しばし唖然としてこの寺院を眺めました。

ドゥラデーオ寺院
まわりは綺麗に整備されています。雨期のため、緑いっぱい!

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お国は違えど十人十色 カジュラホその2 -インド-

おしゃべりするインド人

カジュラホの寺院群は、大きく西群、東群、南群に分かれます。
ホテルにチェックインした後、ぶらぶらと歩いて、まずは東群・南群の寺院を目指す事にしてみました。
ホテルの敷地を出た瞬間から、日本語を巧に操る少年達がついてきて、話しかけてきます。
「ガイドはいりません、何も買いません」をモットーに、そしてうだるような暑さの中を歩いているので、面倒で半ば無視していると、
「最近の日本人は冷たい。日本のおばさん達はいっぱい話してくれるのに」。
「しゃべり方からして関西人でしょ」。
「ただ日本語が勉強したいから話したいだけなのに、なぜ無視をする?はぁ…(大きなため息)あなたたちは全然しゃべらずに、私ばかり喋っているのでつまらないよ」と、延々話は勝手に続きます…。

「だってお金いらないと言って後からガイド料請求したり、騙すインド人も多いからね」。と、はっきり伝えると、「インド人だって十人十色!!!なぜそんなこと言うの!」とお叱りを受けました…。確かにそうですね。
にしても、既に日本語を勉強する必要など無いではありませんか! 「すごいことわざ知ってるね!」と言うと、うれしげに「ことわざ勉強しています」。

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自然溢れる穏やかな世界遺産の村 カジュラホ その1 -インド-

牛の沐浴

今回のインド旅の第1目的ともいえるカジュラホ。
デリーから南東におよそ600キロ離れたこの村(デリーからの直行便あり)には、10世紀から12世紀にかけて創建されたヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院群があり、1986年には世界遺産にも登録されています。
自然溢れる村に、いつまで観ていても飽きないような精緻な彫刻を施された寺院があちこちに点在し、村人達の普段の生活も垣間見られます。
観光客もさほど多くなく、徒歩でまわるのもよし、自転車を借りて走るもよし。
かなりリラックス気分、自分のペースでまわる事のできるおすすめ観光地です。
本日から何回かに分けて、このカジュラホの寺院群、村の様子などをご紹介していきたいと思います。
上の写真は大好きな画家、秋野不矩さんの絵に出てきそうな場面。インド人曰く、泥は“自然の石鹸”だそうな。牛を寄生虫から守るのでしょうか? 小さな泥の沼があれば、必ずと言っていいほど牛が沐浴していました。

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08年インドの旅 -インド-

08年インドの旅

07年、初めてインドを訪れました。前回までその旅日記をご紹介してきました。
次回からは、08年に再訪したインドをご紹介したいと思います。

「インドは人を呼ぶ」、「一度行くとはまるか、それとも二度と行きたくなくなるかどちらかだ」というような事をよく耳にします。
インドを訪れるまでは他のアジア諸国をめぐって来ましたが、ようやく私もインドへ進出だ!と思い、張り切って向かった昨年。いきなり飛行機が17時間の遅れでインドへの到着とあいなりました。
「おぉ、かの国へは、玄奘三蔵も経典を求め厳しい道のりを歩んだのだ、私ごときがぴょんとひとっ飛びで行けるわけがないのだ」などと感慨にひたりつつ(実際はイライラ)初めて降り立ったインドは、楽しくて仕方なく、私は「はまった派」となったようで、迷わず2008年夏にもインドへ。

2年連続インドへ旅をすると言うと不思議がられる事もありますが、インドには世界遺産がいくつあると思いますか? ヨーロッパの国々に重ね合わせたら、何ヶ国分の広さでしょう! インダス文明が栄えた地です。 数えきれないヒンドゥーの神々がおはします。
そして、お釈迦様が悟りを得られた地、仏教の聖地です。私にとっては、おそらく一生魅惑的で興味尽きる事の無い地でしょう。

今年は11月に大規模なテロという悲しい事件がありましたが、インドが背負う負の部分のみならず、素晴らしい面もあるのだという事をお伝えできればと思います。
ちなみに、インドについては、旅行者でも様々な旅のスタイルがあり、そのスタイルによって見えてくるものも違うでしょうし、駐在している方から見たインドはまた違うものでしょうし、立場によって色々な見え方があると思います。
私の旅のスタイルは、限られた日程ですので、航空券・それなりのクラスのホテル・ホテル~空港の送迎などは全て日本で手配し、現地ではガイドも無しで自由きままに行動するというもので、そこから見たインドのご紹介ですのでご了承下さい。
*ちなみに上の素晴らしい写真は、共に旅をした友人が撮影したものです。度々お写真お借りします。Thanks!

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ムンバイ -インド-

タージマハールホテル旧館
タージマハールホテル旧館

さて、07年インド個人旅行報告も最終回となりました。 私がこの年最後に滞在したムンバイで、先月(08年11月)無差別テロが発生してしまいました。 テレビで、お世話になったホテルが夜空を焦がし燃えあがる様子を目の当たりにした時は、非常に衝撃を受けとても悲しく、また、多くのインド人、滞在していた外国人、そして邦人にも犠牲者が出たという事で、いたたまれない思いです。
ご冥福をお祈りするばかりです。
インドは、宗教やカーストに加え、昨今の経済発展で様々な問題を抱えていますが、基本的には、皆自分の信仰する宗教を深く信じ、他を尊重できる人々が多い国に違いないとインド好きの私は思っています。仏教の生まれた国、八百万の神を信じる国としても尊敬しています。インドでお世話になったイスラム教徒の方達はとても親切でした。 インドに暮らす人々に少しでも早く平穏が訪れる事を祈ります。

ここからは、旅のつづきをご報告します。

ムンバイでの滞在時間は少なく、今回はホテルと買い物、そしてホテルから歩いて行けるような近場の名所を楽しむ事となりました。
インドの都会では、ハイセンスな雑貨やリネン類を扱う店がたくさんあります。
日本ではなかなか出会えないデザインなどに、もう夢中になるのでした。
ホテルも、元はマハラジャの住まいであった宮殿がそのままホテルになっているような最高級ホテルから、バックパッカーが泊まる一泊何百円かの宿まで実に様々で、旅のスタイルによって全く違ったインドを楽しめます。

ここはインド? インド門

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オーランガバードの市場 -インド-

市場

アジャンタ・エローラの遺跡を2日間に亘って満喫した後は、市場散策です。
どこの国へ行っても、庶民の生活が垣間見られる楽しい所。
インドの市場は、その熱気や人の溢れんばかりの多さにおいても、私が旅してきたアジア諸国で一番濃い気がしました。

市場での人混み

なかなか先へ進めません…。

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グリシュネーシュワル寺院 -エローラ近く-

グリシュネーシュワル寺院

エローラから西へ1キロほど行った所にある、18世紀建造のシヴァ神を祀ったグリシュネーシュワル寺院に立ち寄りました。おそらくツアーなどで行くと素通りされる寺院でしょうが、ヒンドゥー教徒にとってはインドにあるシヴァ神を祀る寺院の中でとても重要な寺院だそうな。おそらく、エローラを訪ずれたヒンドゥー教徒はこの寺院には必ずお参りするのでしょう。
こういった所に立ち寄れるのは個人旅行の醍醐味です。観光地ではない寺院でのヒンドゥー教徒のお参りというものを実際に見る事ができます。観光客が全くいないので、ものすごい視線攻撃ですが…。

参道はお参り必需品のお供えのお花やココナッツなどを売る店で賑わっています。
右下写真の、「お供えの花をもっていきなさい!!!」とものすごいアピールを繰り返すおじさんから、せっかくだからとお花を買い、八百万の神を信じる日本人としては、特にヒンドゥーの神々にお参りする事も違和感を抱かぬままに見よう見まねでお参りします。

店が並ぶ参道 花売りのおじさん こっち見てます

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エローラ ジャイナ教 -インド-

エローラ ジャイナ教寺院

エローラの石窟群最終章、ジャイナ教寺院の紹介です。
インドの主な遺跡をめぐっているとジャイナ教寺院に触れる機会は多々ありますが、特にインドに関心の無い方には、あまり聞き慣れない宗教かもしれません。
その歴史は古く、お釈迦様と同時代を生きたヴァルダマーナを祖師とし、無所有の戒めで知られています。遺跡からもわかるように、ジャイナ教寺院の像は裸の像なのですぐにわかります。現在でも修行僧は布一枚まとわぬ姿で行をされるようです。
また、非常に厳しい殺生戒(アヒンサー)があるため、肉や魚はおろか、耕して収穫する際に虫を殺しているかもしれないとの理由で、根菜類も食さないそうです。
また、宗派によっては、バイクや自転車に乗っていて虫が口の中へ入り殺してしまうのを避ける為、口を白い布で覆っている信者もいるそうな。
その徹底ぶりたるや驚愕せずにはいられません。

階級制度である四姓制(バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラ)を持つバラモン教に反発し、おこり栄えた宗教である為、バラモンの特権に反発するクシャトリアなどの信者を集めたようですが、あまりにも厳しい戒のため、同じ頃におきた仏教へと流れていく信者も多かったようです。

エローラ ジャイナ教寺院 エローラ ジャイナ教寺院

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エローラ ヒンドゥー教 -インド-

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エローラ石窟群で最も有名なのが、インド最大の石彫寺院・カイラーサナータ寺院でしょう。この寺院の名前はヒンドゥー教の聖地、カイラス山からきているようです。カイラス山といえばシヴァ神の住み処ともされるだけのことはあり、この寺院にはいたるところにシヴァ神像やシヴァリンガ、シヴァの乗り物のナンディ(牛の像)がありました。
また、幅は約45m、奥行きは約85mほどもあるそうで、これだけの寺院を創る為に岩山を削ったのですから圧巻です。
全体像は撮れなかったのですが、「カイラーサナータ寺院」と検索サイトにて検索すると、全体写真などがでてきます。ものすごいものですので一度ご覧になってみてください。

090917-2.jpg

人が写っている写真だと、そのスケールがわかりますでしょうか。
いたるところ修復作業中でした。

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エローラ 仏教 -インド-

第10窟

エローラの石窟群でもっとも古い(5~7世紀)、仏教の遺構をご紹介。
上写真は有名な第10窟。声も響くホールのようなつくりのチャイティヤ窟。

ヴィハーラ窟

対するこちらはヴィハーラ窟。僧院・僧坊です。

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エローラ石窟寺院郡 -インド-

エローラ

前回までにご紹介したアジャンタの石窟寺院郡は仏教の石窟寺院郡ですが、今回からご紹介するエローラは、仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教がそれぞれ造られた時代は違えども破壊される事なく共存し、そして残っているという、まれに見る石窟寺院郡です。
今まで私が旅してきたアジア各国では、王が変わる事でそれに伴い宗教もかわり、首を切り落とされた無惨な姿の仏像を多々見てきました。また、最近カンボジアでは、敬虔な仏教徒が迫害をおそれて埋めたとされる多くの仏像が発掘されました。
現在のインドは、宗教紛争が無い国とは言えないでしょうが、この遺跡に見るインドのいにしえの人々の寛容性からすると、本来のインドの人々の持つ性質なのではないか…などと考えたりします。
そういう意味では、八百万の神の国、そして仏教も大切に加護されてきた日本と、共通点を見出せる気がします。

もしや!

前からいらっしゃるあの清々しいお姿は…。

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ダウラターバード -インド-

ダウラターバード

エローラの遺跡に行く途中に、自然の山を利用した要塞があります。
1326年、デリーからこの地への遷都をもくろんだスルタンが築いた要塞だそうで、高さ180メートルの天然の要害の下部50メートルを垂直に削ったそうな…。
そのスルタンは、この城下町をダウラターバード(富の町)と名付け、デリーから全住民をここに移り住まわせようとしましたが、失敗したそうです。

要塞

要塞の跡が残っています。

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インドの花々 その2

8月、緑濃く花々は鮮やかなインドです。
その1に引き続き美しい花々のご紹介です。

インドの花
なぜかお猿

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インドの花々 その1

私が訪れていた8月、インドは雨期で濃い緑と美しく鮮やかな花々が楽しめます。
エローラの遺跡を紹介する前に、インドの花々を何回かにわたってご紹介します。

アジャンタにて

アジャンタにて

アジャンタにて

職員が訪れたインド旅 その他記事はこちら

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アジャンタへの道 -インド-

インドの国道

アジャンタ石窟寺院のご紹介を終わり、次回からはエローラのご紹介へ。
その前に…。

アジャンタ石窟寺院までは、アジャンタ・エローラ遺跡を観光する旅行者の拠点となるオーランガバードという町から車で約2時間ほど。

日本でいうところの国道でしょうか。緑溢れる中、よく整えられた道がまっすぐ走っています。
その道に沿って大きな大きな木がたくさん並んでいます。
この赤いライン、白いラインは何の意味があるのかドライバーに訪ねてみたところ、赤は伐採禁止樹木であることを示すそうで、白は夜運転する際、街灯の無いこの道で大活躍するそうな。確かに周りには何も無い道ですので白いラインはぼぉっと光って道しるべとなるのかもしれません?!

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アジャンター石窟寺院その9 -インド-

今回は、インドで最大(全長約7m)のブッダ涅槃像がある第26窟をご紹介します。

第26窟

アジャンタ遺跡第26窟のゲートです。
大人気で、このような人だかり(休憩中?)ができていました。
私が訪れた8月はあまり海外からの観光客はなく、インド人の旅行者が多く見られました。
サリーの鮮やかな色がよく映えます。

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アジャンター石窟寺院その8 -インド-

第19窟チャイティヤ窓

アジャンター石窟寺院、第19窟をご紹介。
インドの後期チャイティヤ(聖なるもの・〈ブッダを象徴する〉)窟の中で最初に造営されたものだそうです。

まず上の写真のチャイティヤ窓左右に、守門神ヤクシャが。頭飾、装身具も豪華で美しい像です。
下の写真がヤクシャを拡大したもの。日本でいう脇侍仏のように隣に小さな像があります。色々調べてみると、これはヤクシャの大将で、クベーラという財宝を司る神だそうです。お腹がぽっこりしているあたり、大黒さんや布袋さんと印象がだぶります。

ヤクシャとクベーラ

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アジャンター石窟寺院その7 -インド-

エレファントゲート

壁画も完璧な美しさで残っているものは少なく、石窟内は薄暗い為、ガイド無しにまわっていると、いったいどんな場面なのか判断するのは難かしかったです。
アジャンターに行かれる方は、ジャータカをさらっとでも目を通してから行かれると、さらに楽しいと思います。

第16窟 エレファントゲート(上写真)

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アジャンター石窟寺院その6 -インド-

遺跡の向かい側から

インドのアジャンター石窟寺院は、ゆっくり見てまわると一日かかります。
そこでお弁当を持って行き、途中で絶景スポットでランチタイムをとるのがオススメです。

石窟郡の前には川がながれていて、橋を渡って向かいにある小高い山を登ると、下の写真のようなところが。ここからはアジャンター石窟の全貌が見渡せて、暑さで疲れた身体を休めるのには最高の場所でした。上の写真は、橋を渡りきったところから見た石窟郡です。

ひとやすみ

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アジャンター石窟寺院その5 -インド-

第9窟 入り口

紀元前1世紀頃に開窟されたという第9窟をご紹介。
この時代の礼拝の対象はストゥーパで、内部は下のとおり。入り口(上の写真)は後から造られたのでしょうか、仏像の彫刻などが美しくその姿をとどめています。

第9窟内部のストゥーパ

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アジャンター石窟寺院その4 -インド-

与願印

前回ご紹介しました第2窟の次には、おそらくツアーや時間の無い方ですと有名な第9窟に訪れる事と思いますが、今回はその間にある石窟の様々な石像などの写真をご紹介致します。
正直申し上げますと、あまりに写真を撮りすぎたのと、なにせ第1窟から第30窟まであるわけで、象徴的な物が残っている石窟の写真以外は、一体第何窟の写真だったのか…帰国してから見てもわからないというのが本音です…。

上は与願印(よがんいん・人々の願いを受け入れ叶えてくれる 深い慈悲を表わします)の仏像でしょうか。左手はなんでしょう…。日本で見る仏像は、右手が与願印である事が多い気がしますが…。

担ぎ屋さん

疲れたお父さん、かつぎ屋さんに運んでもらっています。お年寄りにも大人気。インドの8月の暑い中、一日中こういった遺跡をめぐるのはなかなか体力を消耗します。
でもこれ、肩の上に担がれるわけで、なかなか高い!はっきり言ってこわいです…。
右の方達は修復作業中のようです。

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アジャンター石窟寺院その3 -インド-

第2窟

前回に続き、アジャンター石窟寺院の第2窟をご紹介します。
保存状態も良く、天井装飾なども美しく、ツアーで訪れたとしても必ず立ち寄る場所でしょう。
ちなみに…日本からのツアー客に第1窟で出会いましたが、私と友人は約1日かけてアジャンターを楽しんだのに対し、ツアー客はすぐにいなくなりました。ゆっくりとまわりたいのなら、是非個人旅行をオススメします。

写真上:少し見にくいのですが、釈迦誕生の場面、ジャータカより(右端)。
写真下:千体仏。非常に美しく残っていて感激します。

千体仏

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アジャンター石窟寺院その2 -インド-

第1窟 蓮華手菩薩

仏教窟として有名なアジャンターの石窟群は、第1窟~第30窟まであり、それぞれが部屋のように存在しており、僧院を石窟に置き換えたヴィハーラ窟と、ブッダを象徴するチャイティヤ(聖なるもの)窟があります。時代としては、紀元前1世紀頃の前期窟と紀元5世紀の後期窟にわかれます。

暑いインドの夏でも比較的涼しいヴィハーラ(僧が起居する)で、昔のインド僧達は修行を積んだのです。実際にインドの修行僧が寝起きした所に自分が足を踏み入れさせていただける事に感動を覚えつつ…。
中でも、比較的美しく壁画が残る事で有名な第1窟(6世紀建造)からまずはご紹介します。
フラッシュ無しでなら写真を撮る事も可能でした。
1番目の写真は、法隆寺金堂に見られる菩薩のモデルとして有名な、“蓮華手菩薩”です。
また、ブッダ像を挟んであちら側には、金剛手菩薩の壁画も。有難いことに、ブッダを守護する菩薩像は、現在も美しくその姿をとどめていました。

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アジャンター石窟寺院その1 -インド-

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今回の旅のメイン。アジャンターの石窟寺院を訪れます。
拠点となるオーランガバードの町から、車で2時間半ほど。
途中、デカン高原の壮大な景色を目の当たりにします。
昔、地理の教科書を見つつ、なんて広い地域にまたがっているんだろう…と思っていた事を思い出します。

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ヒムロー織り -インド・オーランガバード-

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オーランガバードは、織物の産地として知られています。
アジアを旅すると必ず織物をチェックする私は、今回ももちろんのこと、タクシーの運転手任せではありますが、織物工場へ。
特にここで有名なのはヒムローと呼ばれる織物。交渉すれば安くなるでしょうが、最初に言われた値段でだいたい90ドル~100ドル前後。織りあげるのにかかる手間と、シルクだという事を考えればやはりそれくらいはするでしょうか。
ただ、きらっきらの派手な(色々な物があるのかもしれませんが)ヒムロー織りのサリー、日本での利用方法が思い付かず、ただ着るだけ着て写真を撮らせて欲しいとお願いすると、なかなかいい料金を言ってきましたが、着る機会も無いだろうということで着させてもらうことに。
今回インドで、サリーを着るだけ着て写真を撮りたいと、そういう店が無いか探したのですがみつかりませんでした。観光客には受けると思うんですが誰かそういう店を始めないものでしょうか…。

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ビービー・カ・マクバラー -インド・オーランガバード-

ビービー・カ・マクバラー

久々にインド旅行記です。
17時間の列車の旅にて到着したオーランガバードの街を散策。
タージマハールをモデルにして建てられたというビービー・カ・マクバラーへ。
タージマハール建設ほどの国費を使うわけにはいかず、大理石が使われたのは墓標周辺とドームのみ。アウラングセーブ帝の妃の廟墓で、1678年に息子のアザム・シャーが建てたとの事。

デカン高原に唯一残るムガル王朝の建造物とのことで、見逃すわけにはいかないはずが、海外からの観光客はほぼ見られず、地元の人、あるいはインド人旅行者ばかりでした。ツアーで来ると、おそらくオーランガバードでの滞在は、アジャンタ・エローラ遺跡の観光の為のみで、このような遺跡には足を運ばないのかもしれません。
タージマハールと比べられ、貧相であるなどと言われるようですが、私はこちらはこちらで大変気に入りました。総大理石のタージマハールが素晴らしく美しいのは当たり前ですが、こちらはこちらで寂びていてまた良かったのです。日本人的な感覚で見れば、「総大理石ではないし、タージマハールより小さくてつまらない」とはならないはず…だと私は思います。

廟より見る雄大な景色

廟からは雄大な景色が広がっています(デカン高原)。雨期のため、緑も美しく素晴らしい眺めです。タージマハールはアグラの町中にあるので、こうはいきません。アジャンタ・エローラの石窟観光の為オーランガバードに滞在する方は、お時間があれば是非こちらにも行かれる事をオススメします。

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インドの鉄道

オーランガバード

インドに行くなら必ず一度は体験してみたい列車の旅。
アグラからオーランガバードまでを寝台列車にて移動です。
皆さん乗車時間を聞くとびっくりするかと思います。約17時間です、17時間。
夕方5時頃出発して、昼の11時前に到着。
おかげで、旅のお供の“司馬遼”をだいぶ読み進める事ができました。
ちなみに、アナウンスも電光掲示板も無く、発車ベルさえも鳴らないインドの駅。
だいぶ遅れて電車が到着するわりに、知らない間に出発。走って乗り込む人多数。走っても乗り込めないおばさんのために列車が停まったり…。私が乗る列車も一時間以上遅れましたが、この様々な光景を見ているだけで飽きません。

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アグラの町にて その2 -インド-

その1に続いて、アグラの町の色々をご紹介。今回は市場なども…。

市場の職人さん?!”

いつから変えていないのだろう・・・と思ってしまう真っ黒な油に、器用に何やらホットケーキの生地のようなものをしぼり出し、お花のような形に。次々と揚げられていきます。

仕立て屋さん

京都の着倒れ・・・どころではないインド女性の着倒れ。今の日本と違い、インド女性のほとんどが毎日サリーやパンジャビドレスなどの民族衣装です。畳こそ敷いてありませんが、京都の昔ながらの呉服屋さんのようです。店の主人の笑顔がたまりません。

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アグラの町にて その1 -インド-

世界遺産、タージ・マハルや、アグラ城のあるアグラの町の様子です。

通学途中の女の子

通学途中の女の子達。サイクル・リキシャに相乗りしての通学。この子達は普通の制服ですが、学校によってはパンジャビドレスやサリーなど民族衣装の制服もあり、それを見るだけでも楽しいものです。
観光客が多い町でも、大きなバスでの団体観光客が多いからか、オート・リキシャに乗る私達に興味津々の様子。隣にいる子のひじを突き、「ねえねえ、ほら。」とこちらを見てきます。

とても賢そうで、清潔感溢れるキラキラした彼女たち。将来はIT関連企業で働くのでしょうか、何か専門職を目指しているのでしょうか。一生サイクル・リキシャの運転手を続けるであろう男性は、この子達を学校へと送りつつ、何を思っているのでしょう。
なんだか複雑ですが、この男性は何も思ってはいないのでしょうか。
インドの当たり前の事情なのかもしれません。

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アグラ城 -インド-

アクバル門

16世紀にムガル帝国の3代皇帝アクバルにより築かれた城塞(上の写真はアクバル門)。
その後、4代、5代皇帝の居城ともなった。タージマハルのご紹介でも書いたが、5代皇帝シャー・ジャハーンが幽閉されていた塔も城壁の中にある。
1983年、ユネスコにより世界遺産登録された。

インドで出会った少女

インド人の家族づれも多い。「この子を抱いて一緒に写真を撮ってくれ」、「私たちと一緒に・・・」となぜか一緒に写真を撮りたがるインド人達・・・(観察していると、欧米人には声をかけていないのになぜ?)。抱っこした途端に号泣のこの子も、お母さんのもとに戻ると御機嫌でカメラに興味津々。
それにしても幼いながらになんとはっきりくっきりしたお顔立ちでしょうか・・・。インドの小さな子達は皆目がキラキラと好奇心に輝いていた。

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タージ・マハルと色とりどりのサリー -インド-

タージ・マハル

タージ・マハル。
インドと言えばまず思い浮かべるものナンバー1ではないだろうか。
しかし、それが一体何の遺跡?であるのかを知っている人は少ないかもしれない。
実は、王妃の墓なのである。
ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが王妃の死を悼み、約20年の歳月をかけ、世界中より美しい石、また労働者達を集め建造した、インド=イスラーム文化の代表的建築なのだ。
この大事業で、国費が傾いたとされる説がある。死してなお、傾国の女となりうる妃。どのような女性だったのであろう。
さらに王は、タージ・マハル裏に流れる川をはさんだ向こう岸に、自らの墓、黒タージを造ろうとし、息子に幽閉される事となる。結局のところ、王妃と一緒の墓に眠る事となった。
女性ならば、「こんなに愛されるなんて(うらやましい)・・・でも死ぬ前につくして欲しい」
男性ならば、「とんでもない・・・」といった感想を持つのだろうか・・・。

色とりどりのサリーに身をつつむ女性達

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インドへのフライト

ひよこ豆のお菓子

よく、-インドは人を呼ぶ-と言われる。
他の国だと、「はて?」と思うが、インドだとなんとなくしっくりくるのは私だけだろうか。
数々の仏教国を旅して来たが、インドだけはなんとなくまだ踏み入れてはいけない場所のような気がしてずっと遠慮していた。
今年はなんとはなしにスムーズに「インドに行こう」という事になり、漸くお釈迦様の国に呼ばれたかのような気持ちで、心から楽しみに意気揚々とでかけた。

が、なんと私が乗る予定の飛行機は関空を10時間遅れ。さらに乗り継ぎ地の香港の寒いロビーにて7時間待ちという事で、結局約1日ほどインド到着が遅れるはめに・・・。
航空会社の対応にやきもきしながらも、「もしや自分の日頃の勉強不足でこういうことになるのだろうか。インドとは私のような者にとっては、そんなにたやすくは行けない遠い国なのだという事のあらわれなのだろうか。玄奘三蔵でさえ、ものすごい苦難の道を行かれたのに現代の我々は飛行機でひとっ飛びだなんて・・・」と、-自分のいたらなさがこういった事態を呼ぶ-という日本人的発想に陥りつつ過ごした長い長い道のりであった。

*写真は、機内でもらったスナックと旅のお供の司馬遼。
CHANA DALとはひよこ豆。お豆さんのお菓子。やはりカレー風味?の濃い濃いお味。隣にいたおじさんのビールのお供にはちょうど良いようでした。

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仏教発祥の地へ -インド-

エローラにて_仏教僧?

今回より何度かに亘って、仏教発祥の地、インドのアジャンタ・エローラの仏跡などを中心に、私的に訪れた先をご紹介したい。

皆さんはインドと聞くと、どの宗教を一番に思うのだろうか。
仏教発祥の地でありつつ、現在のインド国民の信仰する宗教はというと...
ヒンドゥー教徒 80.5%
イスラム教徒  13.4%
キリスト教徒   2.3%
シク教徒     1.9%
仏教徒      0.8%
ジャイナ教徒  0.4%  (01年国勢調査・外務省HPより)

というわけで、悲しきかな、ヒンドゥー教徒が多数を占めており、カースト制度も一応無くなった事にはなっているはずであるが、人々の意識の中、職業などにはその影響が当たり前のごとく残るインドでは、仏教発祥の地の名残りというものは、仏跡に行き、遙か昔に思いをはせてみない限り、おおよそ感じられない。

インドに降りたってからずっと、ここは仏教発祥の地!と呪文を唱えるかのようにその事を想像しようとしていたのだが、どうしても「本当にインド(あるいはネパール国境)の人々が、お釈迦様について修行をしていたのだろうか・・・」という思いが去来する。
そして漸く、今回の私の旅においても、運良く仏教僧(おそらく)をエローラにてただお一人みかけたのだ。
それだけのことで、迷いはふっきれ、「あぁ、お釈迦様をはじめ、阿難や摩訶迦葉尊者は実際にいらっしゃったんだ」と思えてしまうのだから単純なのか・・・。いや、剃髪をされ、歩く姿が清らかだったからこそなのだと思う。
と一人興奮しているが・・・それはさておき、これから数回に亘り、奥深いインドをほんの少しでも皆様にご紹介できたらと思う。

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