春を呼ぶ菜の花

去年の春先にもご紹介したが、滋賀県守山市の琵琶湖湖岸では、寒さに強い菜の花「カンザキハナナ(寒咲き花菜)」が、もう花盛りだ。
対岸にうっすら見える比良山では、今年は毎年よりも雪が多いようなので、スキー場も賑わっているのではないだろうか。
去年のブログ⇒見渡す限りの菜の花畑 -カンザキハナナ-


去年の春先にもご紹介したが、滋賀県守山市の琵琶湖湖岸では、寒さに強い菜の花「カンザキハナナ(寒咲き花菜)」が、もう花盛りだ。
対岸にうっすら見える比良山では、今年は毎年よりも雪が多いようなので、スキー場も賑わっているのではないだろうか。
去年のブログ⇒見渡す限りの菜の花畑 -カンザキハナナ-


先にブログ禅で報告した、第8回西村惠信所長といく“禅と文化”の旅で訪ねた永源寺。紅葉の事前情報では「色づきはじめ」といったことだったが、訪ねてみると、まだ緑の葉も残すものの、真っ赤に紅葉した葉も有れば、黄色く色づいた葉もあり、見事なグラデーションを見せていた。
今回は、そんな永源寺の紅葉や山内をご紹介します。小雨のあとだったせいで、却って色も引き締まって、さらに美しくみえました。

今、映画館で『火天の城』が上映中である。ご存じの通り、信長の安土城建築にまつわるものである。
秋晴れのいい天気の午後、近くに住んでいながら、久しく登ってない安土城址を訪ねてみた。
築城の時、石が足りずに、こんな石仏までを階段に使ったりしているのである。あちこちの石仏にはお賽銭が供えてあるのを見て、ちょっとホッとする。
安土城址一帯は、前にブログ禅でも紹介した臨済宗妙心寺派摠見寺の寺領である。
昨年くらいから、現住職の摠見寺再建に発願により、安土城址に入るには入山料が必要となった。また土日には、摠見寺の特別拝観も行なわれている。
上記『火天の城』の上映に加え、最近、TVでの「世界不思議発見」での紹介や、名古屋ローカルTVの「ウドちゃんの旅してごめん」という番組でも紹介されたため、土日ともなると、かなりの観光客が訪れているようだ。
映画『火天の城』も観たが、壮大な計画をうまく描かれており、実際に、この安土城址を訪ねると、その現場にいるような気持ちがして楽しめると思う。
天守閣の跡はこんな状況だが、回りに石組みも残っていて、この基礎石の上に柱が建てられ……と映画を思い出しながら想像するのである。
階段の登り降りは少々きついが、こんな石蕗(ツワブキ)が綺麗にさいていたりして、心を和ませてくれる。
伊吹山登山の目的は、以前、夏に登ったときの花畑の美しさに魅了されたからだった。
ところがじつは、この時期の頂上付近の花畑には、もう花など咲いていなかった。残念。
ただ、登っている途中、折々見ることのできた小さな野花や植物を、ファインダーにおさめてきたので、お見せしたい。



連休の秋晴の一日、ふと思い立って、滋賀県と岐阜県の県境にある伊吹山(滋賀では最高峰の1377m)を登ってみようという気になった。
前にもブログで伊吹山の花畑を紹介したことがあるが、その時には車でドライブウェイを登ったのだが、今回は、麓から我が足で登ろうというのである。
そもそも、その前日にカーラジオを聞いていたら、伊吹山3合目付近に、ススキ野原が広がっているということをDJが言っていて、ちょっと登って写真を撮ってこようと思ったのがきっかけ。
だが、どうせなら頂上まで登山してみようかと思い、やおらリュックを取り出し、寒さ対策のウインドブレーカーや水・食料を詰め込んでの登山となったのである。
ここは実は25年ほど前の真夏に仲間と登ったことがある。が、そもそも登山自体が久しぶり。ところが、意外にも多くの人が登ろうとしているのである。登山道では、すれ違う人、追い越す人と必ず挨拶する。出逢った人の数だけ「こんにちわ」を言うというのも、普段ではできない感覚だ。
3合目付近では、確かにススキ野原に出迎えてもらった。真っ青な秋の空に、ぼんやりとお月様も浮かんでいる。

関西以外の地域ではなじみが浅いであろうが、滋賀や京都を中心として、夏休みも終わりに近づいた今日8月24日(旧暦では7月24日だった)の地蔵菩薩の縁日には、「地蔵盆」という行事がある。
多くは前夜23日~翌25日に行なわれる。発祥は滋賀県南部だとどこかで読んだ気がするが定かではない。
自坊にも飛び地に地蔵堂があり、地区の子供会などが中心になって行なわれる地蔵盆の行事が、子供達の楽しみにしている夏休みの一つのイベントにもなっている。
さて、上の写真は、江戸時代から自坊に伝わる地獄絵である。昔から地蔵堂にこの地獄絵をかけるのが風習となってきた。地区の大人たちも小さい頃にこの地獄絵を見て、肝を冷やした記憶があるのだ。
また、近くのニュータウンにも小さな地蔵堂があって、老人会の人たちのおかげもあって、毎年、地蔵盆にお参りに参らせていただく。
いつも自坊の地蔵堂には、上の地獄絵を飾り、子供たちにも見せてきたのだが、今年、ふと思い立って、ニュータウンの子供達にも、地獄絵を持っていって見せてやろうと思った。

実はまだ両親が参拝した事が無い!との驚愕の事実が判明し(関西人の場合、近すぎていつでもいける…と、まぁこんなもんです)、比叡山延暦寺へ参拝してきました。
京都市内は35℃を記録したこの日、さすがは比叡山上です。26℃と風が心地よく、たくさんの参拝者が訪れていました。
私は大学生時代、そして天台宗開宗1200年慶讚 臨黄合議所大法要の際にお仕事で行かせていただいて以来です。
お参りとは、その時々の自分の心境や成長によって、行く度に違う感動があったり学びがあったりするもので、やはり、まるで記念行事のように“1度行けば終わり”ではないのだな…と改めて思いました。
両親などは、日本において枝分かれした仏教の各宗派の宗祖や高僧の多くがこちらで学んだ事を知り、感慨深いようでした。
お隣の国韓国といえば、韓流スター、美容、食などで日本でも大人気ですが、その国を7世紀中頃にほぼ統一した“新羅”の素晴らしい文化については、御存知無い方が多いのではないでしょうか。
新羅の都が置かれていた慶州には私も2回ほど訪れていますが、恥ずかしながら、今回ミホミュージアムでの展観を拝見するまで全く知らない物が多々ありました。
ユーラシア西方文化の影響を色濃く受けた新羅の煌びやかな黄金文化、どこか日本の古墳時代を思わせる遺物など、興味深いものばかりが展示されています。
信楽の山奥にありますのでなかなか行きにくい処かもしれませんが、行けば必ず“あぁ、来て良かった”と思える事間違い無し。緑も最高に美しい季節です。
是非おでかけ下さい。

この摠見寺は、本来は安土山の頂上付近にあった。今そこには、仁王門と三重の塔が現存するのみで、本堂や庫裡などは1854年に焼失してしまった。したがって、今の摠見寺は、明治以後に建てられたもの。戦国期には家康邸であった跡地である。
数年前に現住職(加藤耕文師)が入寺後、色々と修繕され、また手を加えられて、今回の公開にふみきられたのである。
滋賀県守山市の琵琶湖畔、なぎさ公園には、毎年、寒さに強いという菜の花「カンザキハナナ(寒咲き花菜)」でいっぱいになる菜の花畑がある。
琵琶湖大橋から湖周道路を東へ1キロほどのところにあるので、お近くの方はドライブで立ち寄られては如何だろう。
車を降りると、むっとするほどの菜の花(アブラナ)の匂い。花の息吹を感じるようだ。
私の住まう琵琶湖の近くは、寒くなり始めた日曜日の朝となると、沢山の熱気球が飛び始める。
熱気球だけに、外気温との差が大きいほど飛びやすいからだろう。
こちらからでも比良山系の山並みのグラデーションが美しく見えるのだから、天空からみる様子はさぞかし美しいことだろうと思う。
この日も気球が合計5つ、あっちこっちに浮かんでいた。

私の最近お気に入りの公園はここ、-野洲クリーンセンター 蓮池の里-の多目的公園。
日本全国探しても、なかなかこのような素晴らしい立地条件の公園は無いのでは?
近所の年配の方たちがよくグラウンドゴルフをされているが、なんと贅沢なことだろうと思う。
滋賀県の者にとっては見慣れたこういう景色も、都会に住む人からすればなかなか見られないものであろう。
見渡す限り緑いっぱいで、心底気持ちよくゆったりできるので、たまに愛犬を連れてでかけるのである。


信楽のMIHO MUSEUMでは、良寛生誕250年を記念した特別展、「大和し美し(やまとしうるはし)-二大コレクションと良寛 美と文学のコラボレーション-」が開催中です。
「二大」とは、交友のあった川端康成と安田靫彦で、2人が愛した骨董や書画、また良寛さんの墨跡や手製(伝)の鞠など、厖大なコレクションが展示されていました。
美しい日本に住まう事をもう一度改めて考え直し、国民1人1人がどのような日本にしていきたいのか、今は亡き、日本を愛した賢人が問いかけているようでした。
それにしましても、広い館内にパワーのある美しいものがたくさん展示されすぎていて、私はいささか疲れを覚えるほどでした。まだまだ修行が足りないようです。
さて、最近、コンクリートの人工建造物は見えないような緑豊かな里山に住む事に少し憧れを抱いています。経済発展、より物質的に豊かな暮らしばかりを追い求める時代は終わった感もあります。日本は、古人からの「和」による智慧で、諸外国ともうまくつきあいつつも、日本独自の精神的発展と古来からの信仰(手を合わせる事)を大切にする事、日本の美しい風景、独自の文化を残す事につとめなくては、悲惨な事件は増える一方ではなかろうかと危惧します。
アレックス・カー氏の活動がとても気になる今日この頃です。


蕎麦の花が満開の時期となりました。
滋賀の自坊近く、日本の美しい風景です。

土を耕しているお百姓さんの後ろをついて歩く白鷺。たくさん収穫がありそうです。
なんとも微笑ましく、心和ませてもらいました。
琵琶湖の東(湖東)の安土山には、戦国時代の雄・織田信長が天下統一の拠点として築いたという安土城があったのはご存じの通り。陸路をいかずとも、湖上を船で進めば大津にたどり着き、帝のいる京の都へも大変便利な場所である。
今は周辺が干拓された農地が広がっているのでなかなか想像がつきにくいが、当時の安土山も安土内湖という内湖(うちうみ)に突き出た半島であった。他にも、この安土や近江八幡周辺には沢山の内海があったらしい。
今も残るその内湖の一つが、この"西の湖(にしのこ)"である。
この朝、通勤途中に通りかかる(車で通勤するときには必ず通るルート)と、霧が立ちこめていて、なかなか幻想的であった。
太古の湖(うみ)、琵琶湖である。
今は無料になっている奥琵琶湖パークウェイからの展望。
神々しく美しい、日本の原風景ともいえる、この湖北の景色、いかがであろうか。
滋賀県の人たちは、「湖」とかいて「うみ」とよぶ。
琵琶湖は今の三重県の上野盆地に誕生した大山田湖が、400万年かけて北上してきたものだという。
今のような大きな湖になったのは40万年前だとか。古い古い湖である。
また、滋賀県は琵琶湖を「MotherLake」として、「母なる湖・琵琶湖。―あずかっているのは、滋賀県です」というスローガンもたてている。「あずかっている」という表現がとてもいいと思う。
不法な開発を許さず、この母なる琵琶湖の原風景を保ってもらいたいと思う。
琵琶湖のことをくわしく知りたいと思った方は、草津市にある琵琶湖博物館を訪れるといいだろう。
新緑美しい信楽のMIHO MUSEUMでは、与謝蕪村の展観が開催中です(6/8まで)。
今まで、色々な美術館でその作品をいくつか目にしたことはありましたが、これだけ多くのものが集まる機会はそうはない事と思います。
力強い山水画から、ほっと一息安心できるような江戸の人々を描いた画まで楽しめました。
滋賀県長浜市付近の美しい夕景である。
湖には水鳥が飛び、少し空気も冷えて、さっぱりとした風が吹いていた。
湖の中にポツンと小さな影がみえる。
何に使うかわからないが、小さな小屋が浮いているのである。まるでムーミンに出てくるスナフキンの家のような感じ。
ゆるやかな風が吹いているだけだが、それでも雲は形を変え、それによって大陽の光線も変わり、美しい中にもその美しさをかえていく。
絵に描いたような景色でも、決して同じ景色として止まっていない。時が流れているのを実感として感じるのである。
さて、この近くには、多田幸寺という妙心寺派の寺院がある。つい先頃、遷化されてしまったが、ここに中島義観という老僧がおられた。妙心寺派の重役にもつかれ、また、妙心寺派布教師の重鎮であった方だ。臨黄ネットの法話ページにもいくつもその法話が掲載されている。
私が子供の頃から、何度も何度もその法話を耳にする機会があり、笑いあり涙あり、なんとも聴衆を引きつけるお話をされるお説教師さんだと、子供ながらに感じ入っていたのを思い出す。
長らくご無沙汰をしていたし、まだお元気なら、今一度、法話を拝聴したいものだと思っていた矢先、遷化の報を聞いたのだ。
美しい夕景をみながら、その老僧のことを少し思い出していた。
安芸の厳島ではないが、水中に浮かぶ鳥居が、この琵琶湖にもある。
湖西の161号線を大津の方から北上し、水のきれいなことで有名な近江舞子をすぎると、道路はぐっと琵琶湖に近づく。するとすぐに見えてくるのが、この白髭神社の鳥居である。
そもそも琵琶湖の西側、湖西は平野が狭く、湖からすぐに山地になっているのだが、特にこのあたりは額が狭い。
水辺のすぐ脇を国道が通り、この国道の脇に神社の石の鳥居が立っている。そしてそのすぐ奥が拝殿といった具合である。
私は以前から何度もこの前を通ってはいたが、実は、車を止めてお参りするのは今回が初めてで、これまで通りすがりに見ているときには、もっと奥深くまで境内があるものと思っていた。ところがさにあらずであったのだ。
つい先ほども、この拝殿の前に、ピカピカの新車を止めて、子供連れのご家族が、交通安全のご祈祷を受けていた。世界広しといえども、自家用車を買うたびに安全を祈願して、神社でお札やお守りをもらっているのは日本だけではないだろうか。
ところで、四国の今治あたりでは、鯉のぼりと一緒に、幟(のぼり)を立てている家がたくさんあった。とても古風な感じがしたし、他の地域では見ない気がしたのでネットで調べてみたところ、やはり高知県地方が主になっている慣習のようで、「幟(のぼり)」の他に「ふらふ」というものがあるようだ。
こんな平和な風景をみると、親なら誰もが子の成長を願う気持ちがあるはずなのに、世間ではいたたまれない事件があとをたたない。なんとしたことか。

第39回 寂室禅師生誕奉賛茶会
於:臨済宗大本山永源寺(滋賀県)
昨年の様子はこちら
今年の詳細は下記のとおり。紅葉で有名な本山ですが、5月の新緑もそれはそれは美しく、清々しい心持ちになれます。
開催日:平成20年5月11日(日) 午前10時~午後3時
献茶式(午前11時より):裏千家 泉本宗悠業躰
献 笛:都山流 八木慶山師
特別協賛 煎茶席 泰山流家元
協賛席 裏千家流
表千家流
遠州流
瑞石会
茶券 前売券:2500円
当日券:3000円
一席券:当日、永源寺朱印所で発売
茶券販売所
大本山永源寺
各協賛席
お問い合わせ 大本山永源寺 奉賛茶会係
電話 0748-27-0016
FAX 0748-27-1055
今までこのお寺には尼僧さんが住まわれていたが、一昨年の夏、お盆の施餓鬼法要の翌日に急逝された。
生前、この庵主さまから、「どうか私が亡きあとの後住を探して欲しい」と、法類である私に懇願されていたのであるが、亡くなられたあと、ご縁あって、間をおかずに後住を探し出せたことは本当に幸いで、心からうれしく思っているのである。
なぜなら、このお寺にはいわゆる檀家さんがないのである。
であるのに、8年前に本堂が建て替えられたばかりで、庫裡も建て替えられて20年も経過していない。
実はこのお寺のある自治区の人たちは、このお寺を村のお寺だとして大切に思い、各家にはそれぞれ別に他宗の願い寺があるにもかかわらず、本堂や庫裡の建築資金を負担し、庵主さまの生活費も負担してこられたという。
したがって、このお寺が無住になってしまわないようにしたいというのは、老いた庵主さんはもちろん、村人たちの悲願であったのだ。

研究所の出版に関する仕事で、滋賀県高島市にあるお寺に墨跡撮影に伺いました。
その帰り道、看板に「坐禅草群生地」とあり、これは!と少し立ち寄ってみました。
坐禅草を見て「圧巻」という言葉も変かもしれませんが、すごいです。なかなかこのような群生にはお目にかかれないことでしょう。
琵琶湖の水は美しく澄み、少し寄り道するとこのような場所があり、また白洲正子さんが訪れた隠れ里も点在するこのあたり。またプライベートで訪れたいと思いました。
ちなみにこの坐禅草。いまだかつて茶席で出会った事はありませんが、茶花としても使えます。
どのようなお席でどのような時に使おうか…考えを巡らせるとなかなか楽しいものです。
高校生の頃、漕艇部に在籍していた私は、今も琵琶湖を見るたびに、美しいと思う。
日本一の大きさを誇る琵琶湖は、季節や日、そして時間によって、全く異なる顔を見せる。
春分の日を迎えたとはいうものの、まだ冬の名残を見せ、琵琶湖にしては荒い波の打つ夕暮れである。
5月後半にもなると、波もたたずだいぶ静かになり、おちついた湖となるのではあるが。
今年は雪も多かったので、夏の渇水もいくらかましではないだろうか。
琵琶湖の水は周辺の生活用水の下水化が進むにつれ、一時期よりだいぶきれいになったとは思う。下水が整っていないころは、琵琶湖の富栄養化防止のために家庭廃水を浄化し、中性洗剤ではなく、必ず粉石鹸を使用するようにと住民運動をされていたが、そういえば最近はあまり聞かなくなった。
太古からある、この美しい湖を、我々の時代にもきちんと守っていきたいと思う。

滋賀県立近代美術館にて、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展が開催中です(3/30まで)。
今回は、母校のヴォーリズ建築についてが語られる下記の特別講演会の日に訪れてみました。
◆特別講演会「窓からの眺め」神戸女学院キャンパスに見るヴォーリズの美学
日時=3月2日(日) 午後1時半~ 会場=当館講堂(聴講無料)
講師=神戸女学院大学文学部教授 濱下昌宏氏、石田忠範建築研究所 石田忠範氏
永源寺の本堂は今どきめずらしい茅葺きの大屋根である。その本堂の中には、「世継ぎ觀音」と呼ばれる本尊聖観世音菩薩が祀られているが、50年に一度のご開帳でしかお目見えできない秘仏である。
この観音様は一寸六分ほどの小さな仏様らしいが、等身大ほどの聖観世音菩薩坐像の宝冠の中に安置してあるそうである。

永源寺管長、篠原大雄老師のお話を撮影し、ちらちらしていた雪があがったので、永源寺山内で春の息吹きがみつけられないかと探してみたら、ようやくやっと開きかけている梅の花をみつけることができた。
屋根に雪は残ってはいるが、やはりもう立春なのである。


ちょうど大寒、雪の舞う中、滋賀県東近江市にある大本山永源寺に、各派管長方のDVD撮影のひとつ、篠原大雄管長の取材に訪ねた。
「こんな真面目くさった質問じゃ、本音がしゃべれんじゃないか」と撮影前におどけてみせる老師だったが、以前よりぐっと痩せてしまわれている。
というのも、去年の三月に喉頭癌を患われ、まだ一年にも満たない闘病中の御身。声が出しにくいのと、近ごろまでは提唱でもマイクを使用されていたとのことであった。
しかしにこやかにインタビュワーの質問に答えられ、とても大切なお話から、冗談も加えられてという、あっと言う間2時間強の撮影だった。
しかし、終わってから、実は声を出すのはまだ少し辛いんだとおっしゃる。そんなそぶりなど全くなかったので、長時間の撮影で申し訳ない思いである。だがとてもいいお話が聞けたので、みなさんには製品となったビデオを楽しみにしていただきたい。

佐川美術館 樂吉左衛門館開館記念フォーラムが、去る2月2日に京都市の金剛能楽堂にて行なわれました。
題して、「現代(いま)の精神(こころ)を語る-茶碗から空間へ-」。
樂家当代(15代目)の樂吉左衛門氏の設計により佐川美術館に新しくできた茶室は、ごく当たり前の、今まで私たちが知っている茶室とは異なる様相を呈している事は既に耳にしていました。
なんとなく、「樂さんの今風のあの樂茶碗に合う茶室なのかもなぁ…樂さんらしいなぁ」と、写真やらを拝見して思っていましたが、やはりそのようで、樂さんは自分の茶碗が生きる茶室というものがあれば…とずっと思われていたそうです。そして、佐川美術館には守破離(しゅはり:「規矩作法、守りつくして 破るとも 離るるとても 本をわするな」・千利休)をコンセプトとした樂吉左衛門館と茶室が作られました。
長年の夢がついに叶ったともいうべき茶室について、まずは伝統的建築の権威・中村昌生先生(京都工芸繊維大学名誉教授)の基調講演がありました。
スライドを見つつ、冗談を交えつつ、樂さんの茶室がどういった精神を宿しているのか、非常にわかりやすく、愛情こもった賛辞を樂さんに送っていらっしゃるように見受けられました。
素人がぱっと見たところでは、新しい以外の何ものでも無いように見える茶室にも、中村先生の頭の中にある膨大な知識や資料によれば、やはり伝統的な流れを無視しているわけではない、筋がちゃんと通っているのだという事を理解できました。
禅僧のことばのDVDシリーズ収録も、第一弾の予定は、残すところ大本山永源寺管長、篠原大雄老師だけとなった。 先日、その事前打ち合わせの為に、撮影監督の映像工房サンガの児玉氏とともに、冬の永源寺を訪れた。
永源寺派の本山である、瑞石山永源寺は滋賀県東近江市、名神高速八日市インターから車で約10分の山間にある。新緑の季節、あるいは紅葉の季節には、とても多くの拝観客が来られるこの永源寺ではあるが、この冬の時期には、附近の民間駐車場や土産物屋も閉ざされており、境内には文字通り人っ子一人見えない。
管長老師との約束の時間より少々早く到着したので、誰もいない山内を散策した。何度も永源寺には来たことがある私だが、この季節、そして人のいない境内を歩くのは初めてのことだった。
やはり禅寺はこうでないと……、きれいに掃き清められている上に、誰もいない深閑とした冷たい空気。
開山の寂室元光禅師は、この山紫水明な仙境をことのほか愛されたというのがわかるようである。
何度か兵火にかかり、伽藍は焼失して再建されているが、江戸期に建立された山門は美しく、文化財に指定されている。
昨年は「僞」の歳として幕をおろし、かくして新年を迎えた。 毎年より少々早めに仕事おさめをした禅文化研究所ではあるが、自坊のある私は、結局年末の大掃除期間が長くなっただけということで、ありがたいやら何やらわからない。 昨年末は雨続きで、28日だったか、一日晴れた日が有ったので、頑張って山道の草ひきやら掃き掃除を済ませ、雨の日には本堂や庫裡のほこりを払って掃き掃除に拭き掃除、はたまたガラス拭き。家族総出の大仕事。 ぼやっとしていると普通の一日の連続であるが、一年の締めくくりということで、改めて念入りに普段できない部分まで掃除をしたり手を入れたりしていると、やっとお正月を迎えるという気持ちになってくるから不思議である。 大晦日の年越し蕎麦をいただき、一般の人は、晩酌でもしながら紅白歌合戦でも観るのだろうが、11時過ぎあたりからの除夜の鐘もあるから、そういうことは毎年ままならない。また、同僚には冬休みを利用しての長期旅行に出かけている者もあるが、自分には一生できないことだろうなと、今年最後の煩悩をつくりながらも、百八つの鐘をうつ。 大晦日はかなり気温が下がったせいで、鐘楼に立っていると寒いことは寒いが、星が瞬いて満天の空がとても美しい。新年はこんな澄み渡った歳になって欲しいと思いたら、大学生の頃、教育実習で教えた生徒の一人が今年もやってきた。もう35歳になるという。ほかにもわずかな常連の参詣者もあるので一人っきりというわけではない。
年が明けて、平成二十年。あっというまに、平成ももう二十年かと驚く。キリッと冷えたいいお正月だ。
こうして、檀家さんや近隣の人たちの年始のご挨拶を、住職として本堂で受けるようになってから、もう何年になるだろうか、あと何年できるだろうかと思う。
若いと思っていた檀家の人が今年で還暦ですとか仰ると正直に驚いている自分ではある。
実は年末29日、私が掛搭していた静岡三島の龍沢寺僧堂の現老師の突然の遷化の報。驚くまもなく、大晦日には近所の幼なじみの母が長い長い闘病生活の末亡くなった。新年になって2日に伯母が逝去。なんだか寂しい年の変わり目であった。
さて今年はどんな年になるのだろうか。泥の中に蓮がきれいに咲くように、僞の世の中にも真実が育つと思うことにしよう。
皆さんの健康とご多幸をお祈りする。

開館10周年記念特別展Ⅲ-大いなる時を超えて-(12/16まで)と題された展示を拝観しに訪れました。
まず最初に我々を出迎えてくれるのが、なんともいえない表情の犬の埴輪。教科書で学んだ物ともまた違う感じで、『日本書紀』には、野見宿禰(のみのすくね)が日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の墓へ殉死者を埋める代わりに土で作った人馬を立てることを提案したとあるようで、現代の考古学研究により、この説話は否定されているようだが、日本書紀を信じた方が、時の権力者の慈悲に触れられるようで、ロマンがあって良い(そういうものではないのかもしれませんが、お聞き流し下さい)。
昨年11月8日、あの著名な禅宗史研究者である柳田聖山先生は逝かれた。
読者諸氏は、先生の生まれ故郷が滋賀県彦根市にある荒神山にある延寿寺という、臨済宗永源寺派の小さなお寺であることを御存知であろうか。


筆者の自坊からそう遠くない、滋賀県近江八幡市には、琵琶湖につながる水郷地帯がある。
群生する葦の間を入り組んだ水路が通っていて、安土の内湖へと繋がっているのだ。
ご覧の通り、人口建造物が見えないポイントもたくさんあり、私のお気に入りのスポットである。
しかし、案外、読者諸氏もこの風景を見たことがあるかもしれない。というのも、テレビの時代劇の撮影で時折この辺りが使われているからである。
また、「水郷めぐり」という、和船で水辺を楽しめる観光でも有名だ。
今年の夏は格別に暑い。この風景でもみて、心を涼ませてみてはいただけぬだろうか。
425年前の天正10年(1582)6月2日、明智光秀の謀叛により、京都の本能寺で織田信長は自刃した。その直後、安土城は謎の出火により消失したという。築城してまだ3年が経ったばかりであった。
今はその城址を残すばかりで、天下の名城と呼ばれたその姿はない。

さて、安土城築城と時を同じくして、信長は、城郭内に摠見寺(そうけんじ)という禅寺を建立した。今も臨済宗妙心寺派として残る寺院である。司馬遼太郎の著作を読むと、信長は腐敗した旧来の仏教や僧を嫌い、比叡山を焼き討ちした。また禅というものにも深く傾倒した様子もないので、少々不思議に思うところではある。
ともかく、信長の菩提寺として摠見寺は、近隣の社寺から多くの建物を移築して建てられたようだ。
但し、安政元年に消失したため、当時の堂宇は仁王門と三重塔が残るだけで、ほかは疎石を残すばかりである。現在の摠見寺の小さな本堂兼庫裡は、旧家康邸跡に立つ仮のものである。
去る5月13日、滋賀県は東近江市にある臨済宗の大本山、永源寺を訪れた。
毎年、開山様の誕生日に近い日曜日に献茶式が行われ、表千家・裏千家・遠州流・煎茶道泰山流のお席と、法堂で番茶席が設けられる。
今年は天候にも恵まれ、参会者は新緑鮮やかな中、それぞれ工夫こらされた茶席を楽しんだ。
永源寺のご開山、寂室元光禅師は、後光厳天皇からの再三にわたる京都天龍寺への出世を断り続け、弟子と共にこの山中にあったと聞く。
禅師はじめ、当時の修行僧も、新緑の季節にはこの美しい山々を愛でたのか・・・と感慨にひたりつつ、そのような有難い地で、様々な流派の人達が一堂に会し茶席が持たれる事に感謝しつつ、一席一席楽しませていただいた。
来年も、5月中旬の日曜日に予定されているそうだ。
是非、おでかけいただきたい。
山門も緑におおわれ・・・
先日のニュースで、東京都内では、この冬、一度も降雪を観測していないと言っていた。観測史上初ということだそうだ。
確かにこの冬は暖かい。
つい1週間ほど前には、もう今にも芽が出て桜が開花しそうなほど暖かな日がきたかと思うと、この数日は一転して冬景色である。しかし、例年ではこのくらいの気温が標準なのであり、やはり今年はどうかしているようだ。
先に琵琶湖岸の菜の花畑をご紹介したのだが、その場所とそう遠くない湖畔の朝の模様。
湖西の山は白くなって、鳥たちもいささか寒そうに羽毛を膨らませているようだった。
さて、そこから琵琶湖大橋を渡って、京都へ抜ける途中という町。
堅田からのバスの終点なのに「途中」というバス停のある、この滋賀と京都の県境の峠の町は、昔から若狭から京都へ抜ける重要な物資輸送路で「若狭街道」と呼ばれる街道の中継点だった。
この若狭街道は、若狭で捕れた鯖に塩をまぶして不眠不休で京都まで運ぶとちょうどよい味になっていたため、いわゆる「鯖街道」と呼ばれるようになった。
昔は今よりはるかに雪深く、さぞ難所であったことであろう。

西塔からぐっと足を伸ばして、横川は華芳ヶ尾の元三大師(912~985)の廟に詣る。
元三大師廟は御廟(みみょう)と呼ばれ、比叡山の三魔所の一つとして恐れられて来た場所である。今でも周囲には古木鬱蒼とした自然林が保たれており、まさに天狗でも出てきそうな雰囲気である。
元三大師は諱を良源、諡を慈恵という。第18代天台座主として、延暦寺を一大勢力にまで発展させた人物である。後世、観音菩薩の化身としてその霊威が恐れられ、元三大師信仰が発生した。現在でも角大師や豆大師の護符として親しまれている。
良源は滅に備えて遺告を残しているが、その中に自分の墓所についても詳細に述べている。火葬の後、遺骨を坑底に置きそのまま土をかけ、自筆の陀羅尼類を納めた上に目印程度の石塔婆を建てよ、と。簡素だが念を入れた墓作りを弟子たちに指示している。
石柵で囲った墓域内の木の根元に、素朴な八角柱の石幢が立つ。自然の中に埋もれながらも、侵しがたい尊厳性のただよう墓。日本人の墓としては理想の姿であろう。

志村ふくみさんの紬の世界を見に、お隣の滋賀へ。>4/8(日)まで
志村さんについては、白洲正子さんの著書の中で知り得てからというもの、「紬」の今までの概念だけに捕らわれないその作風と、染色の「色」の美しさに、頭の片隅に鮮明に記憶されていたのだ。
染め物の色というのはとても繊細で、カラー写真ではなかなかその本当の色を伝える事は難しい。
写真でしか見たことのないその色を、実際に目に出来る機会という事で、楽しみに出かけた。
「何色」というような概念では表現できない、自然から生み出された色に、ため息が出るばかりであった。志村さん曰く「自然から色をいただく」と・・・。
自然からいただいた色をもって、自然の風景などを模した作品には、志村さんの世界観が見えた。
先日、京都にも雪が舞ったばかりであるが、暦の上では節分が過ぎ立春を迎えた。
何か春を感じさせる場所がないかなとネットを探していたら、琵琶湖畔の菜の花畑が見頃であることを知って出かけてみた。

その後、湖周道路を南に向かうと、草津の矢橋帰帆島の附近で、葦(よし)の刈り入れをしているのにも出会った。この辺りは昔からの有数の葦地帯であるらしい。

百済寺から車で北に10分ほどのところに、同じく湖東三山の一つ、金剛輪寺がある。
ここも天台宗開宗1200年にあわせ、秘仏「聖観世音菩薩」のご開帳を行なっている。


以前も書いたが、近江の百済寺にて、本尊十一面観世音菩薩のご開帳(9/18~10/27)があり、参拝した。
今まで見たことの無いようなお顔のように思った。
つらつらと感想を書くのも気が引ける。是非この機会に近江まで足をお運びいただきたい。
他に湖東三山の、西明寺・金剛輪寺も同時に秘仏が公開されている。

滋賀県多賀町を通りかかったら、蕎麦の花がとてもきれいに咲いていた。
今までこのあたりではあまり見かけなかったし、普段は水田である場所らしいから、どうやらこれも転作の一手段らしい。

蕎麦の花のきれいなところを探して、車でうろうろとしていると、ふと、なにやらいわれのありそうな大樹がある。


言わずと知れた、秀吉と勝家による天下分け目の戦いが繰り広げられた地である。
古戦場を訪れるたびに、「一体どうやってこのような所で、甲冑で身をかため、激しく戦ったのであろうか・・・」と思うばかりである。
今となっては、つわものどもが夢の趾・・・か。

最近ふと読み返そうと思い読んでいる本がある。
白洲正子著『かくれ里』。
大好きな京都のお隣であり、歴史深い地でありながら、最近まで全く興味の無かった「近江」に興味を持ち始めたからだ。
彼女が紹介している場所を、本を読んだからといってそのまま訪れるのはいささかおこがましい。
白洲さんにも、「自分の足で探しなさい」と言われそうだ。
だが、白洲さんを10年ほど前に知り、『かくれ里』も読んだはずなのだが、京都ばかりに注目し、見向きもしなかった滋賀に着目するまでには10年近くかかったのだ。そこまでたってやっと心の底から、
「あぁ、滋賀を知らなくては」
と思った。自然と思うに至ったのには、「そろそろ行っても良いだろう」との御許しが出たのだと勝手に自分なりに解釈したい。