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不断桜(滋賀・西明寺)

 

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もう1月がいってしまいましたね。今年の1/12が終わったと思うと、ボンヤリと過ぎしてしまったようで、焦りさえ感じてしまいます。

そしてもう立春。昨日は節分でしたが、豆まきされましたか?

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さて、それにしても、今年はまことに暖冬ですね。境内の梅も1月末頃からほころび始めました。雪も降らないので、各地のスキー場は雪不足で大変なことでしょう。私も毎冬出かけているスキーヤーの端くれですが、今年はもう諦めムードです。

あたたかいこともあって、先日、滋賀の湖東三山の一つとして有名な西明寺へ、天然記念物「不断桜」を観に行ってきました。秋から春にかけて咲く桜が、境内のあちこちにあり、かわいらしい花びらを開いておりました。

 

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西明寺にお参りしたのも久しぶりです。まぁこんな時期ですので、ほとんど参詣者はありませんでしたが。

本堂には、頭にそれぞれの干支をつけた兜を被っている立派な十二神将と、中央の厨子の中には秘仏・薬師如来が祀られています。

境内には他にも、梅や、椿などもあり、参詣者の目を楽しませてくれます。やはり椿は侘び寂びを感じますね。

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沙沙貴神社 なんじゃもんじゃの木

 

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滋賀県近江八幡市安土常楽寺町に、沙沙貴神社という神社が鎮守の森の中にあります。JR琵琶湖線安土駅から歩いても15分ほど。ここは、佐々木源氏発祥の地ということで、全国の佐々木さんのルーツともいえるでしょう。少彦名神(すくなひこなのかみ)を主祭神とする神々をお祀りされています。

さて、この神社には今頃、なんじゃもんじゃの木が満開を迎えます。皆さんはなんじゃもんじゃの木ってご存知でしょうか。冒頭の写真がその木なんですが……。

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近づいてみると、こんな花なのです。小さな花びらが固まっているようで、遠くから見ると霜柱のようにも見えます。

正式には、一葉たご(ヒトツバタゴ)という木で、モクセイ科ヒトツバタゴ属の木です。見頃は1週間~10日なので、あっというまに散ってしまうのです。

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この小さな花びらは1つの花びらが4つに裂けているのだとか。なぜ「なんじゃもんじゃ」などという名前で呼ばれるようになったのかは諸説あるらしいので、ここでは言及しませんが、朝の光に照らされてきれいでした。

あまり全国に分布することのない樹木らしいので、見たことのない方も多いのかも知れませんね。

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大分県の宇佐神宮参拝

 

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しばらくブログ更新が途絶えましたが、白隠禅師の「富士大名図」を所蔵されていることでご存知の方も多いかと思います大分県中津市の自性寺様に、このたび、デジタルアーカイブ事業での調査に伺っていました。
大概のところは車を運転していくことが多いのですが、中津はさすがにちょっと遠いということで、今回は、電車組とは別に機材を載せた車で大阪南港からフェリーで行って参りました。乗ったのは名門大洋フェリーで新門司港に着く便です。

途中、写真の明石海峡大橋を通り過ぎ、明朝五時半に新門司到着です。実はもう1本後の8時頃に到着予定のフェリーに乗るつもりだったのですが、急遽欠航となってしまったためこの便になったのですが、自性寺様に向かうには少々早いということで、ほんのちょっと行き過ぎる事にはなるのですが、宇佐市にある宇佐神宮に朝参りに行くことにしました。
今までから一度お参りしたいとは思っておりましたが、今回、念願が叶ったことになります。

20190213-_MG_4352.jpg早朝なので、あまり参拝客もおられません。なおのことすがすがしい気持ちで鳥居をくぐりました。境内案内図の近くに、なにやら面白いポスターがあることに気がつきました。

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神仏習合の端を発したのがこの宇佐神宮というわけでしょうか。八幡様は八幡大菩薩として仏教でも崇拝の対象です。この宇佐神宮も八幡様をお祀りしていることから、早くから神仏習合となっていたお宮だったのでしょう。また、明治時代に神仏が分離される前は、正式には宇佐八幡宮弥勒寺と称していたとのこと。

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ちょうど巫女さんたちもご出勤時間ということで、私たちがゆっくりとお参りしていくのを、神社の方々に追い越されていくのでした。この鳥居をくぐって登っていくと上宮があり、この巫女さんたちは上宮へお勤めの方々。御礼をしているのは右にある下宮に向かってなのでした。なんとも美しい様子に出会えました。

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そしてこの階段を上りきると、ちょうど東の空から登った朝日で、なんとも神々しい景色にも出会えたのでした。
フェリーの中で眠ったとはいうものの、馴れない船内で熟睡できなかったヨダキイ(気だるいの大分弁)身体も、この空気と景観ですっきりしていきます。

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こちらは上宮本殿。左から一宮(八幡大神)、二宮(比賈大神)、三宮(神功皇后)となっておりますので、順番にお参り。
ここでは、二礼四拍手一礼という他の神社とは違う礼拝形式が古来よりあるようで、それに従い、4回かしわ手を打ちました。綺麗に鳴り響き、なにかいいことがありそうな気にさえなります。
じつはこの後ひいたおみくじでも「吉」が出ました。

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若宮さまと、下宮本殿にもお参りし、梅の花もほころぶ宇佐神宮を後にして、中津市へ向かったのでした。

 

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国宝 十一面観音(法華寺)

 

blog_MG_9317.jpg一昨日の土曜日に奈良市にある法華寺に行って参りました。ちょうど梅雨の晴れ間の日。
開基・光明皇后様の命日(6月7日)に併せて国宝十一面観音菩薩の特別ご開帳(6月5日~10日)なのでした。
たった5日間のご開帳なので、もっと多くの方がご参詣かと思いきや、そうでもなくゆっくりと拝むことができました。毎年されているからなのでしょうね。

blog_MG_9319.jpgちょうど花菖蒲も綺麗な時期、本堂前の池に涼しげに咲いています。

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本堂に入ると、正面の厨子が開かれ、国宝の十一面観音を拝むことができます。頭上に十一面を乗せたお顔は明るい表情で、とても手が長いのが印象的。背中には蓮の花が槍のように突き出ています。
静かに観音普門品世尊偈をお唱えしてきました。

奈良の中心地からは少し離れたところなので静かです。今年のご開帳はもう終わってしまいましたが、また来年以降でも同じ時期にご開帳されることかと思います。国の史跡に指定されている池水回遊式庭園も拝観することもできます。

 

 

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美には心が宿る ~春日大社~

 



20180511_001.jpg季刊『禅文化』の取材で、奈良は春日大社に参りました。「諸宗教を超えた対話」として、禅僧とさまざまな宗教者に語り合っていただく対談企画です。



20180511_002.jpg対談において、他者を思い遣る日本人の気質は、神仏への畏敬の念によって培われたのではというお話がありました。「日本人は1000年かけて、神仏に対して何をしたら良いかを考えてきたのではないでしょうか」。場を美しく調えるのも、相手(神仏であれ人であれ)が大切だからこそ。美しいものには心が宿ると。



20180511_003.jpg境内でそれを実感した場所が、御祭神・武甕槌命(たけみかづちのみこと)が天降られた御蓋山「浮雲峰」の遙拝所。当初は禁足地に無人の遙拝所を設けることを危惧する声もあったと伺いました。ですがいざ開放してみると、監視の目、外国語の看板がなくとも、境内奥にあるこの聖地にいたずらをしたり、汚したりする人は皆無なのだそうです。

心は目に見えないようで、しっかり伝わるものなのですね。留意します。



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換毛期の鹿を見るのは初めてでした(背中の斑点はまだ冬毛の奥に)。

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倶利伽羅不動寺

 

blog_MG_8632.jpg石川県河北郡津幡町にある倶利伽羅不動寺にお参りしてきました。石川県といってもほぼ富山県小矢部市に近い場所。車で少し山を登ると、境内下にたどり着くことができます。近くの倶利伽羅駅から歩いている方もたくさんおられました。

こちらは今年開創1300年を迎えている古刹。高野山真言宗の別格本山にあたるお寺です。寿永2年(1183)の倶利伽羅源平合戦で兵火に逢ったことをはじめとし、何度も難に遭い、一時は廃仏毀釈によって廃寺になっていたようですが、昭和24年(1949)に再建されたとのこと。

blog_MG_8634.jpgご本尊はもちろん倶利伽羅不動明王。サンスクリット語kulikahに由来し、剣に龍が巻き付いたお不動様なのだそうです。
境内では不動真言や般若心経が放送で流れており、私も口誦しながらお参りさせていただきました。
堂内は撮影できないので、直接お参りいただくとして(ちなみに2018/4/15~5/28は特別ご開帳中)……。

このお寺は八重桜の名所でもありまして、登ってくる自動車道の脇にも、また境内にもたくさんの八重桜が、今が盛りで咲いておりました。4/28~5/5が「八重桜まつり」とのことですが、今年は全国的に桜の開花が早かった分、八重桜も早く咲いているように思われました。

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サルが去る


20180328_MG_8241.jpg一昨日のブログにも書きましたとおり、先週末、京都の北嶺・比叡山延暦寺に行ってきました。標高850メートル近くもある山の上なので、午後になるほどだんだん冷えてきたのですが、あたりには杉の大木から黄色い花粉が舞う様子が。花粉症のスタッフには地獄のようでした。

それから、今回の訪問で驚いたエピソードがもうひとつあります。比叡山といえばサルが有名だという認識でいたのに、最近はあまり出没しないというではないですか。なんでも、シカとの勢力争いに負けてほとんど山を降りてしまったと。そういえば、あちこちにシカ除けのフェンスが張り巡らされています。

一見昔と変わらぬ自然を保ちつづけているように見える霊山においても、じわじわと変化が起きているのだなと思わされた一日でした。改めて、皆さまの周りではいかがでしょうか。

 

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春まだ浅き延暦寺

 

blog_hiei.jpg桜の開花がニュースになった週末、京都の北嶺・比叡山延暦寺に季刊『禅文化』の取材に行ってきました。写真は、東塔の「阿弥陀堂」。また東塔の大講堂の中には、比叡山出身の祖師方のお像が祀られており、圧倒されます。

blog_MG_8192.jpgこちら横川の「四季講堂」は、日本天台中興の祖・慈恵大師良源(元三大師)を祀るお堂で通称「元三大師堂」。おみくじ発祥の地として知られます。(ちなみにこちらのおみくじは、修行を重ねた僧侶しか引いてはいけないという厳粛なもの。参拝者は、お願いして代わりに引いてもらいます)

blog_MG_8256.jpg西塔エリアにある、開祖・伝教大師最澄の廟です。法要の際は、向かいの拝殿まで大師の魂にお出ましいただくのだとか。ここは山内でも特に冷え込むエリアで、あまりの寒さに時計が逆回りしてしまうこともあるそうですよ。ここの守りをされる方は、毎日夜明け前から素足で場を整えられると伺いました。

blog_MG_8281.jpg同じく西塔。回廊が繋ぐ「常行堂」「法華堂」は、通称「にない堂」として有名。力持ちの弁慶が中央の回廊を担って両方のお堂を持ち上げたという伝承があります(実際のところは滋賀と京都の境にあたるために回廊が架けられている……などの説が有力とのこと)。個人的には、それぞれ異なる堂籠り修行の場が、行き来もないというのにわざわざ繋がれている点に興味を持ちました。

blog_MG_8201.jpg標高850メートル近くもある山上一帯に漂っていたのは、まだまだピリッと冷たい冬の空気。私は初めて知ったのですが、「比叡」はもともと「日枝」と書いたそうです。生い茂る木々で、太陽の光も遮られてしまうくらいの環境を表すのだと伺いました。どの宗派も、修行の地に漂う凜とした空気にはただ息を呑むばかり。私も自分の持ち場でしっかり励もうと改めて思った次第です。

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伊勢神宮

 

いつかは行ってみたいと思っていた伊勢神宮へ、4日にお参りすることができました。
木々に囲まれ砂利を敷き詰めた長い参道を歩いていくだけでも、清々しい気持ちでいっぱいになります。
別の職員が数年前にブログ禅にて「神宮は敷地全てが聖域」と書いていましたが、本当にその通りだと実感しました。

御正宮を前にして一段と気は引き締まり、感謝の言葉を伝えるのに少し緊張してしまいました。

 

IMG_1597_0112.jpg次に、お願いごとが許される荒祭宮へ。3日後に入籍を控えていたこともあり、夫婦円満をお願いしました。参拝だけで安心せず感謝の気持ちと、、 …あとは追々考えていくとしましょう。

 

 

IMG_1600_0112.jpg帰りには、安倍晋三首相が参拝されるとのことで大勢の人だかりができていましたが、甘党の私はそれをすり抜け、来年もまたお参りできるようにと祈りつつ、おかげ横町の赤福ぜんざいへと急いだのでした。

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高野山の山王院(1)

 

01.jpg寺院にはその土地や伽藍を守護する神が祀られることが多い。これらは地主神・鎮守などと呼ばれるが、高野山金剛峰寺の地主神は壇上伽藍の西側の奥に祀られている。祭神は高野山の開創に関わったとされる丹生明神、高野明神そのほかの神々で、説明板には「御社」とある。その前にはかなり大きな拝殿があるが、「山王院」という名称だという。

02.jpg真言宗史・神祇史に詳しい方には周知のことだろうが、先日高野山を参拝した折、「山王院」という名称から、高野山の地主神自体も「山王」と呼ばれていたらしいことを再認識した。

比叡山延暦寺の鎮守であった日吉大社が、かつて山王権現と称されていたことはよく知られており、山王と言えば日吉の別名のように思われている。しかし、高野山の地主神も同様の名で呼ばれていたとすれば、山王とは山寺の鎮守を表す一般名詞に近いものだったということになるかも知れない。他にも山王と呼ばれる神は存在するのだろうか。少し調べてみた。(続く)

 

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いのちをみつめる
-高台寺 礼拝聴聞室「利生堂」落慶記念事業ご案内-


昨年12月に京都市東山区の高台寺に礼拝聴聞室「利生堂(りしょうどう)」が完成しました。これは、あらゆる世代、国を超えた人々に「いのち」を見つめる場を創出することを願い建立されたもので、内部の天井および壁面には、高台寺の宝物である南北朝時代の涅槃図が最新のデジタル技術により再構築されています。
この落慶記念事業として、1月22日(日)より10回の予定で対談形式による「生命を語る」パネルディスカッションが開催されます。
毎回さまざまな分野の方々にいのちをテーマに語っていただく内容です。
入場は無料(要事前申込)です。
詳細及び申し込みはこちらまで。

 

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法界寺(山科)

次号の季刊誌『禅文化』243号で、佐々木日嘉里先生が連載の「部分から全体へ」で紹介される、山科の醍醐にある法界寺を訪ね、記事中に掲載するお堂の写真を撮影取材に行ってきました。

このお寺は真言宗醍醐派の古刹で、藤原氏の北家にあたる日野家の菩提寺であることから、「日野薬師」という別名もあり、また浄土真宗の開祖親鸞の誕生地でもあるそうですが、はずかしい事に私は今まで訪ねた事もなく、その存在すら存じ上げなかったのです。
京都市営地下鉄東西線の東側の終点「醍醐駅」の一つ手前の「石田駅」で下車し、徒歩で東へ向かいます。

_MG_0237.jpg少しいくと、旧奈良街道筋に二本の石柱が立っています。少し登りですが、まっすぐに東へ10分ほど行くと、日野薬師への辻にまた石柱が。

_MG_0232.jpgここを右折したらすぐに左手に見えてくるのが法界寺のようです。山門の先に境内が広がっているのが見えました。山門の向かいのおうちもなにやら少し変わった建前でしたが、それはさておき、境内へと進み入りました。受付で申し出れば、通常拝観をされているようです。

_MG_0187.jpg_MG_0188.jpg萬福寺の敷石に似ているなぁと思いながら奥へ進んでいき、予め連絡を入れておいたので、取材をさせていただきます。

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まずは、こちらが本尊の薬師堂。いわゆる日野薬師さんのお堂です。内部撮影は禁止されています。中には安産を願っての前掛けが所狭しと掛っていました。中には重要文化財のお薬師如来が祀られているのですが、みることはできませんでした。

そして、その左手にあるのが、取材の対象となっている阿弥陀堂(国宝)。藤原時代に建てられた建造物で、内部にはこれまた国宝の大きな「木造阿弥陀如来坐像」が祀られています。

_MG_0195.jpg許可を得て内部も撮影いたしましたが、詳しくは次号季刊誌『禅文化』243号をご覧下さい。

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吉備津神社

 

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岡山県岡山市に鎮座する吉備津神社。備中国の一宮として崇敬される。一般的には「吉備津の釜」の怪談で知られている。「吉備津造り」と呼ばれる様式で建てられた壮大な社殿と、長い回廊は一見の価値がある。

この独得の社殿の形式は、鎌倉時代、東大寺大勧進職をつとめた重源上人の構想によるとも言われる。上人は天竺様という大陸伝来の建築技法で東大寺を再建したが、神社建築でも伝統に囚われず新しい様式を試みたのだろうか。

栄西禅師は、この神社の神職を代々勤めた賀陽氏の出身である。栄西禅師と重源上人には親交があった(兄弟とする伝説もあるが、事実ではない)。この神社の再建事業には、敬神の念篤かった禅師も何らかの形で関わっていたに違いないが、今ではよくわからない。

京都建仁寺の鎮守である「楽神廟」には、吉備津神社の眷属神の一柱が祀られている。栄西禅師が建仁寺を創建した時、備中から飛来して鎮守となったという伝説がある。創建に関する確かな記録はないが、鎌倉末期にはすでにその存在が確認されるので、禅師自身が故郷の神を勧請したという可能性も高い。

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高台寺 ―和歌山県田辺市―

少し前のブログにて、円覚寺派管長・横田南嶺老師による山本玄峰老師についてのご講演を紹介させていただきました。>こちら

160217-0.jpgその際、JR紀伊田辺駅の「和歌山の偉人パネル」に山本玄峰老師の他に、植芝盛平先生、南方熊楠先生のパネルもありました事をお伝えしましたが……。

お2人のお墓がある、和歌山県田辺市の高台寺を参拝してみました。弘法大師開創と伝わる真言宗の立派なお寺さんです。

160217-1.jpg私自身は田辺で生まれ育ったわけではないのですが、父祖の地の偉人という事で、幼い頃から度々このお2人の話は父や兄から聞いたり、その後出会った大学ゼミの教授が合気道をなさっている事もあって、植芝先生についてのお話も拝聴しました。

160217-2.jpg南方熊楠先生の南方曼荼羅を兄に見せられた時には、なんだかわけがわからないなりにも、「これはすごい」と、本を読んでみたりしたものです。

いずれの偉人も、ひたむきに我が道を突き進み、突き抜けた方達。

お釈迦様はお生まれになられた時には「天上天下唯我独尊」、涅槃の折には、「自らをともしびとせよ」と仰いましたが、そのように生きた先人から少しでも学ぶ所あれば……と、凡夫が夢を見るのでした。

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鵜川四十八躰仏 -滋賀県高島市-

白鬚神社の近くおはします鵜川四十八躰仏。
ひとしれずこのような仏さまたちが。いずれも定印を結んだ阿弥陀如来坐像。

160120-1.jpg現在33体、元々は名の通り、48体だったそうな。15世紀頃には既に制作されていたようですが、様々な伝承が残り、その歴史は明らかではないようです。

160120-2.jpgよくぞ風雨に耐えられ、今まで残っていてくださったものだと。

仏さまを拝みに様々な地を訪れますが、明治の廃仏毀釈の際にお堂がなくなったりした仏様や、外に祀られている石像などが、保護の為に、温度湿度管理ができるだけの小屋のような建物に入れられて祀られている事がよくあります。
そのままのお姿をとどめたいという人情もあり致し方ない事ながら、これはもう、そのままで良いのでは無いか……と、私などは思うわけであります。

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田中神社 -和歌山県・上富田町-

 

160118-1.jpg以前にも参拝させていただきました、和歌山県・上富田町にあります田中神社です。
是非ともまた参拝したいと思っていましたが、機会を得て、再度参拝して参りました。

前にも書かせていただきましたが、明治の廃仏毀釈の折、隣にある神社に合祀される事が決まりましたが、神域には様々な固有の植物が生息していた事もあり、かの南方熊楠が神林を残す事を強く勧め、氏子達もその言葉を聞き入れ、今にその姿を伝えます。

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大自然がそのまま神仏信仰へと繋がっているような地。
熊野の地に南方熊楠のような方が生まれ出でたのも何かの因縁でしょうか、いえ、かの地だからこそ、こういった人物を輩出したのでしょうか。

この日も田中神社はひっそりと……それでも、力強い生命の躍動を感じました。

 

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白鬚神社 -滋賀県高島市-


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白洲正子さんが好きで、閑をみつけては近江を散策しています。

もう何度も訪れていますが、白鬚神社のこの日はなんとも神々しいことでした。 

お能好きとしては、この神社が謡曲“白鬚”の地である事にも惹かれるのです。この“白髭”には様々な説があり、面白いなぁと思いつつネットで検索などしたりしては読んでみています。

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初めての遭遇

遭遇してしまいました。

遙か遠くからでも、否が応にも目に入ってしまうその輝きとセンセーショナルなお姿。
その御方は、西本願寺前で多くの観光客に囲まれ写真を撮られていました。

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その名も、「おりんちゃん!!!!!!!」。
なんと、鈴(りん)がゆるキャラに・・・・・・(ほんとうに唖然としてしまいました)。

皆さまご存知でしたか? 私はこのとき初めて知りました。
いつもはゆるキャラには目もくれない、全く関心も無い私なのですが、柄にも無くこの時ばかりは心を鷲づかみされてしまいました。

観光客のお一人が、「おりんちゃん、やってー!!!」と・・・。
「むむ?一体何をやるというのだ?」と見ていますと、なんと譽刀i鈴棒)で頭(?)をたたくと、なんとも愛らしい音で「ちりーん♪」と・・・(驚愕!)。 あまりのかわいらしさに呆然と立ち尽くす私。

どうしてもおりんちゃん単独で西本願寺の門と一緒に写真に納めたく、じっと待っていた私にも気づいてくれて、ポーズまでとってくれるサービス精神。
なんでも、西本願寺の門前町のゆるキャラだそうです。
個人的には、禅宗にはゆるキャラはいらないと思っていますが、今回はあまりに魅了されてご紹介してしまいました。

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絶景 瀟湘八景図 -香雪美術館-

神戸市にあります香雪美術館を訪ねました。今回の展観は、「絶景 瀟湘八景図」。

最も理想的な美しさとされるような景勝地を描いた瀟湘八景図。その起源は、中国は北宋時代に活躍した宋迪(そうてき)という画家により描かれた洞庭湖周辺の景色を描いたものとされています。

150721-1.jpgこうした画は、鎌倉時代に日本に伝わりましたが、古来より、宗教も政治も都市計画でも中国に倣ってきた日本。かの地の景勝地にも格別の憧憬の念があったのでしょうか。やがて日本にも、近江八景をはじめ、○○八景が各地に生まれました。

今回の展観では、中国の八景図のみならず、長谷川等伯を目玉とした日本のものも何点か。さらに八景が描かれた工芸品が集い、それは魅力的な展覧会となっていました。

150721-2.jpg美術館前の弓弦羽神社にもお参りしてきましたが、近頃羽生君効果で、参拝者には若い女性や、娘さんを連れた母親が多く見られるようになっています。

泉涌寺の楊貴妃観音に石田純一さんがお参りして子どもを授かったことから、楊貴妃観音は子宝観音として参拝者を集めていると言いますが、弓弦羽神社もそのご祭神関係なく、スポーツの神様に?! おそらく羽生君より前からでしょうか、八咫烏つながりで、御影石のサッカーボールもありました。

150721-3.jpg拝む人々の心に沿い、神仏はその役割をも変えてくださるということは、結局はこちらの在り方次第ということでしょうか。面白いものだなぁ、、と思いつつ、たまに訪れるこの御影の地を後にしました。

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元伊勢 -福知山-

元伊勢といえば、現在三重県伊勢市に鎮座まします伊勢神宮、皇大神宮(内宮)と、豊受大神宮(外宮)が、現在の地に祀られる前に、一時的に祀られたという伝承を持つ神社や土地をいいます。
福知山にあります元伊勢をお参りしました(天岩戸神社についてはこちら)。

【元伊勢内宮皇大神社】

150706-1.jpg150706-2.jpg150706-3.jpg150706-4.jpg【元伊勢外宮豊受大神社】

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何かが宿っている、大いなるものがおはします空気、そういうものを確かに感じるという意味では、古来の日本人も、今を生きている私も、変わらないのだなぁと思うのです。

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天岩戸神社 -京都府福知山市-

 

 

150703-1.jpg京都府の福知山市にあります「元伊勢三社」のひとつ、天岩戸神社を参拝。

150703-2.jpg人の立ち入りを拒むかのような多くの奇岩に濃密な空気。神々が降臨し、座したといわれる巨大な御座岩。まさに幽境というべき地で、神々の降臨もうなずけます。

150703-3.jpg150703-4.jpg150703-f.jpgこのあたり一体の岩場には、擬宝珠が群生。白い花があたかも精霊のよう。このように湿った日陰の地を好むのですね。そして、鎌倉ではよくお目にかかっていましたが、関西では初めて岩たばこが咲いているのも発見できました。

150703-5.jpg山そのものがご神体である岩戸山。一願さんと親しみをこめて呼ばれ、古来より人々の切なる願いをおきき届けくださったとか。

来週はさらに元伊勢神宮の残り2社をごあんないします。

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長命寺 -滋賀・近江八幡-

近江の寺社や自然が好きで、京都とはまた違う空気に魅せられて度々でかけています。

150605-1.jpg今回は近江八幡長命寺。その名の通り長命祈願の寺(由緒も面白いです)。三十三所観音霊場の三十一番札所としても知られるお寺で、天台宗系の単立寺院、ご本尊は十一面観音菩薩です。

かの白洲正子がその著書『近江山河抄』の中で、「近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、私は長命寺のあたりと答えるであろう」とまで書いた地。

150605-3.jpg昔の風情とは少し変わってしまっているでしょうが、確かに少しゆけば上写真や、先日ご紹介したこの風景(田んぼの写真です)が拡がり、長命寺の境内からは、古人が琵琶の海と表現したほどにおおらかで広い琵琶湖が望めます。

150605-2.jpgそして長命寺の伽藍はこのとおり。近江特有のベンガラ塗りが施された三重塔や諸堂。防虫や防腐効果があるとのことで、近江ではとてもよく目にします。ワケには諸説ありますが、こんにゃくまで赤いですね・・・。私は茶の湯の懐石で使われていた事があり、その時が初めてでしたが、誠に驚いたものです。

150605-4.jpg霊験あらたかな巨大な岩もあちらこちらに。こちらは「修多羅(すたら)岩」と呼ばれ、「修多羅とは、仏教用語で天地開闢(かいびゃく)、天下太平、子孫繁栄を言う。封じて当山開闢長寿大臣、武内宿禰大将軍のご神体とする」だとか。

なにか「かなわないな・・・」と思うような自然の産物、自然そのものに出会った時に、有難いような祈るような気持ちがどこからか湧いて参りますが、それは昔も今も変わらないのだと思います。

かく言う私も、宗教的聖地をまわろうと大学の卒業旅行でネパールを訪れましたが、結局は寺院などよりも、4200メートルまでトレッキングをして拝んだ8000メートル級の山々が心に響き、かの地の人々が山を神と拝む理由がわかったような気がしたものです。
今回の参拝ではそのような事を思い出しつつ、岩を前に手を合わせました。




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かくれ里の春

 

150422-1.jpg

なんというのでしょうか。この神社のあたり一体は、ぐぐっと気の力が違います。
久々に大好きな油日神社(滋賀県)を参拝。少し遅めの春が、この神社にもやってきていました。

150422-2.jpgそういえば3年前に、奥宮を是非参拝したいと、友人たちを誘い油日岳を登りました。
道無き道。柔らかすぎる土に足が取られ、なかなか歩みを進められずにいると、友人が「足が取られてしまう前に次の足を出せ!」と叫び、皆必死に急斜面を登った事を思い出し、なんだか笑えてしまいます。
あまりの大変さに、今後もう登る事も無いでしょうが、一度経験しておいてよかったと思えます。

150422-3.jpg何年たっても変わらぬ場所、変わらぬ空気。そうあって欲しいようなところにお社があるものなのだな・・・・・・と。
死ぬまで、機会あるごとに参拝させていただきたい神社です。

 

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天念寺 -大分県豊後高田-

おはようございます。
大分の寺社(宇佐神宮真木大堂熊野磨崖仏)をご紹介しておりました、大分は国東半島六郷満山シリーズ。
本日は天念寺です。やはりこちらのお寺も、平安鎌倉時代に修験道を重んずる天台寺院として栄えたようです。

150318-1.jpg山の断崖に沿うように作られたお堂。茅葺きも崖に沿い、それは見事。このようなお堂を拝見するのは初めてです。
こちらのお堂(講堂)では、毎年旧正月に修正鬼会(国指定重要無形民俗文化財)が行なわれます。
千年以上もの間、近隣の六郷満山の天台寺院住職たちにより守り伝えられた儀式。

今年の修正鬼会は2月25日だったようで、松明を作っておられた村のおじさん達が「25日においで~」と。私は22日までの滞在でしたので残念ながらお邪魔できませんでしたが、これは是非とも一度鬼会の日に参拝してみたいものです。
豊後高田市のHPに、修正鬼会の画像が載っていました。是非ともご覧になってみてください。

150318-2.jpg川中不動。修正鬼会の最初にこの川へ入り、身を清めるようですね。強い力で加護してくださりそうです。
講堂やお不動さんを堪能し、帰ろうとしましたら、松明を作っていたおじさんが「ここ来たらあれ見なきゃ~、見える?」と…。

150318-3.jpg無明橋。修験道の行場でもあるお山が、天念寺の後方に。鎖場をゆくと、あの橋を渡る事になるそうな。
絶壁を登った頭頂部に、なにやら祠らしきものも見えていますね。
禅の修行も興味深いものですが、密教の修行もまたしかりです。

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宇佐神宮 -大分県宇佐市-


150305-1.jpg大分神仏参拝の旅。
熊野磨崖仏真木大堂に続き、全国に44,000あるとされる八幡さまの総本社、宇佐神宮です。
さすがに旅行で訪れる団体参拝者の数も多く、境内はにぎわっています。
美しい雰囲気の建物に惹かれ、人気の無い道をゆくと、能舞台でした。

150305-2.jpg調べてみますと、毎年10月20日に、風除報賽祭(ふうじょほうさいさい)と呼ばれるお祭が開催され、8月7日の風除祭と虫振祭にて豊作を祈願した者たちが、今度は豊作の御礼として奉納するものだとか。
遠つ神笑み給み(とおつかみえみたまみ)」と唱えながら、太鼓や横笛に合わせて円陣を組んだ男性が躍るのだとか・・・。
どのような雰囲気なのでしょう。大陸から伝わった舞楽、能楽の基礎となるような素朴な踊りなのでしょうね。とても興味深いものです。

150305-3.jpgさらに、10月21日には、宇佐神宮御神能として、能楽が奉納されるのだとか。宇佐観世とよばれ、独特の能楽の文化がこの地方にもある模様。
能楽堂で観るお能はもちろん好きなのですが、やはり本来神社などで奉納されたのが元ですから、神域というに相応しい清らかな空気の中で拝見してみたいものです。
地方へ旅する時は、こういった奉納がある日を目指して参拝してみようと心に決めました。

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真木大堂 -大分県豊後高田-

おはようございます。
先週ご紹介しました熊野磨崖仏のほど近く、真木大堂へ。

真木大堂とは、六郷満山において中心的存在であった伝乗寺にあったお堂の一つと伝えられています。
ただし、文献なども残っておらず、さだかな事はわからぬまま。現在残っている9躯の仏像は、その名残とされています。

150302-1.jpg阿弥陀如来坐像と四天王、不動明王立像に制多迦童子・矜羯羅童子、そして日本最大級の大威徳明王(大きな牛に跨っておられる明王様です!)、いずれも重要文化財の指定を受けた藤原時代の傑作、お姿に魅了されてしまいました。

管理の方のお話によると、「小さい頃は阿弥陀さんの肩によじのぼったり、四天王の剣を抜いて遊んだりもしていたんです」と。なんと、驚愕の事実!
ですが、そのように子供時代に近く親しみながら、だんだんと大人達の信仰心に触れ、自然と宗教心が芽生え、育まれるのでしょうか。

150302-2.jpg私も世界各地の聖地を巡りましたが、ネパールでは寺院の狛犬の上に洗濯物が干され、子供の遊び場になっていたりと、あまりに自然に日々のくらしと“文化財”が共にある事に度肝を抜かれたものです。

確かに、守り、伝えてゆかねばなりませんので、文化財に指定され、鉄筋コンクリートの収蔵庫で大切にされるのも尊いのですが、木のお堂に鎮座し、近く拝めた時代もまた羨ましく思えたり……人間とは(私ですが)欲深いものですね。

いずれかの時代に浄土真宗寺院の檀家となった人々が、天台宗の仏像を大切に伝えてこられたからこそ参拝させていただけたわけで、この地域の方々には頭が上がらない思いなのでした。

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熊野磨崖仏 -大分・国東半島-

 

150227-1.jpg古来より山岳信仰の地として栄えた大分は国東半島。
全国に4万以上を数える八幡宮の総本社・宇佐神宮と、その神宮寺である弥勒寺からなる八幡信仰、そして奈良から平安時代にかけて天台の修験が盛んになり、まさに神仏習合というに相応しい信仰形態を色濃く残す地であるわけです。
この、国東半島全体に広がる寺院と宇佐神宮を総称して、六郷満山と呼ぶそうな。

限られた時間の中で参拝するには、あまりに多く素晴らしい精神文化遺産の数々。
磨崖仏や五輪塔、宝篋印塔を拝観してまわるのが好きな者にはたまらない地でありまして、もうそこいらじゅう、畑の端の方に立派な古い塔があったりするのを見ては、ドライブ中の車の中から歓声をあげるわけであります。

150227-2.jpgまずは最大級のスケールを誇る熊野磨崖仏から。8メートルのお不動さんです。平安末期の作とされ、今も修験道の峰入りの行の際には、こちらからスタートされるのだとか。

150227-4.jpgお不動さんのお隣には大日如来。こちらは6メートルの大きさ。柔和な顔が印象的でした。
さらに奥の院、熊野権現へと続く階段を登る途中での、横からのお顔は下写真のような。違って見えますね。

150227-3.jpg奥の院は写真を撮る気になれず。一枚岩でしょうか、大きな岩がご神体?!のようで、その岩の前にお社が建てられていました。
天台真言のような密教の持つ独特な神秘的な世界を象徴するような場所。是非とも、磨崖仏を拝んだ後は、奥の院まで参拝なさってみてください。

本日から何度かに分けて、六郷満山のご紹介がつづきます。
よろしくお願いします。



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古熊神社 -山口市-


150224-1.jpg山口市内の素晴らしい寺社のご紹介、本日で今回は最後となります(次回また出張にゆくかもしれませんので、仕事の合間に参拝予定)。

150224-2.jpgなんと、応安6年(1373年)という昔々、当時山口を治めていた大内弘世が、京都の北野天神さんを勧請し、祀られた神社です。言わずもがな、学問の神様で、受験前は山口の方々はこちらを参拝されるのでしょう。
当時の場所と今の場所は違うようですが、本殿と拝殿は室町時代に建てられたものが移築されています。

150224-3.jpg見たことも無いようなこの造り。
山口市内の神社に多く見られる、“楼拝殿造り”といわれるものなのだとか。
寺院建築の影響を受けているとのことでした。確かに、お寺を参拝しているような感覚になり、「いや、やはり注連縄もあるしここは神社なのだな…」と、改めて思うのでした。

150224-4.jpg横から拝見するとこのような造りに

150224-5.jpg小高い山の上、静かな地に鎮座まします

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サビエル記念聖堂 -山口市-

 

おはようございます。
常栄寺さんへの宝物調査出張、仕事前の参拝ですが、本日のご紹介は、霊性交流?!
サビエル記念聖堂です。
こちらにはその昔、大内義隆(1501-1551)がサビエルに布教の拠点として与えた大道寺という寺があったのだとか。
荒れ寺だったようですが、後にサビエルが後を託した神父によって新しい教会が建てられ、日本最初の教会が誕生したそうです。キリスト教布教における記念すべき地なのですね。

150220-1.jpg小高い山の上にあるこちらの聖堂。以前の建物は平成3年9月5日に残念ながら焼失とのことで(検索すると以前の教会画像がでてきます)、新しいこちらの聖堂は平成10年4月29日に完成したのだとか。イタリア人神父、コンスタンチノ・ルッジェリと、建築家ルイジ・レオニのデザインだそうです。

150220-2.jpgふぅむ…としばし眺めていると(まだ開館していませんでした)、
ステンドグラスに瞳が?!
まさに、どふ見ても、十字架のイエス様の瞳ですね。
カトリック圏の国に旅した際に至るところで目にしたあの瞳。十字架のイエス様を掲げるよりもさらに強く、人々の心に刻まれるような気が致しました。
次回出張時には、是非とも中も拝観させていただき、あかりが灯された際のステンドグラスも拝んでみたいものです。

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宇治上神社

 

150129-1.jpg京都の宇治、朝日山の裾野に鎮座する宇治上神社。
初めて参拝させていただきましたが、こちらを説明するのに、もう理由や理屈はいらないと思えるような気に満ち満ちている境内。

150129-3.jpgそもそも神社もお寺もそういったところに建っていてしかるべきですが、そこを守っている神主さんやご住職、集う人間によって、良くも悪くも変わってきたりするものですね。

150129-2.jpg拝殿、本殿の、何を足す事も引く事もいらないと思えるほどに研ぎ澄まされた建築は、それぞれ、鎌倉時代、平安時代に伐採された桧や木材が使われており国宝に指定されているそうな。

150129-4.jpg宇治へゆけば平等院には必ず参拝されるでしょうが、川の反対側にあるこちらへの参拝もお勧めします。

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日牟禮八幡宮  -滋賀・近江八幡-

 

150128-1.jpg

JRの新快速が停まる駅。京都駅から30分という近場でありながら、初めてきちんと訪れてみた近江八幡。駅を降りるとまっすぐのびる道のその先には、八幡山が鎮座。なんとも気持ち良い気が満ちています。

150128-2.jpg八幡山の麓・日牟禮八幡宮を中心に、碁盤の目となった町並みには、渡来人文化、信長開基の寺に近江商人の屋敷、そして洋風のヴォーリズ建築。
いろんな要素が驚くほどしっくり溶け込みあい、どこを歩いても退屈しない町なのでした。

150128-3.jpg本日は日牟禮八幡宮の写真をご紹介。
国の選択無形民俗文化財となっている二大火祭「左義長まつり」と「八幡まつり」の折にも是非参拝してみたいもの。

150128-4.jpg

150128-5.jpg個人的にはやはり能舞台が気になります。この能舞台の改築竣工にあたり、明治32年(1899)に、「応神天皇が近江八幡の地にてふたつの日輪を見た」という言い伝えから、日觸詣(ひむろもうで)という能が創作されたそうです。
長年披露されなかったようですが、平成5年の薪能の際に演じられたのだとか。
それ以降は薪能も無くなり、この舞台も使われていない模様。その土地にまつわる話より作られた番組、是非とも薪能を復活していただき、大切に伝えていっていただきたいものです。

つづく

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青蓮院門跡 -将軍塚-

 

150123-1.jpg国宝“青不動尊”の特別開帳には間に合いませんでしたが、将軍塚にあります、青蓮院門跡の飛地境内を参拝。秘仏にはおめにかかれなかったものの、そこから眺めた自然界の美しさがさながら仏か神そのもののようでした。

150123-2.jpgいつも平安神宮あたりにある友人のマンションから「何が建築されているんやろうね?!」と話していましたが、3年にもおよぶ修復期間を経てお戻りになられた青不動尊をお祀りする青龍殿と、舞台の建築だったのです。

150123-3.jpgなんとも広い舞台なのです!!! 新しい木材が清々しく。これから歴史を刻んでゆくのですね。

150123-4.jpg平安神宮の鳥居は、将軍塚からも発見できます。こないだまでは、あのあたりからこちら(舞台)を眺めては、「なんだろう?」と言っていたわけです。

さらにこちらには大日如来を祀った大日堂もありますが、まさに、この景色を眺めていますと、宇宙そのもの、万物の慈母とされる大日如来の世界が迫ってくるようなロケーション。山々に囲まれた京の都は御所を中心に曼荼羅のように見えてくるのでした。

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井波別院 瑞泉寺 -富山県南砺市-


150109-1.jpg富山県は南砺市にあります真宗大谷派の井波別院、瑞泉寺を参拝。

150109-3.jpg禅宗寺院の無駄なものは全て廃したかのごとくスッキリした伽藍とはまた違い、豪華絢爛!
山門の木彫の迫力に圧倒されます。

150109-2.jpg使われている木材も、今はもう手に入れる事ができにくくなっているであろう巨木ばかり。山門にしても本堂にしても、その使われ方のスケールが違うのです。
この地方の林業の歴史と、浄土真宗が如何にこの土地で厚く信仰されたのかを、ここに垣間見る事ができます。

150109-5.jpg写真ではこの大きさが伝えられないのが悔しいです・・・。
百聞は一見にしかず!是非富山旅行の際にはご参拝なさってみてください。

150109-4.jpgそして、な、なんと案内表示の看板が、全て木!!! これは初めての体験で興奮してしまいました。美しくて良いものですねぇ…。

門前街は、木彫の職人工房がたくさん。
人々が祈りの場に求める意匠というものがあり、それがひいては文化・技の継承に繋がります。
これは世界中旅して色々と参拝していても、宗教は違えど古今東西変わらぬ事ですね。

150109-6.jpgな、なんと電話ボックスまで!!!!

150109-7.jpg職業柄(というか、個人的趣味ですが)、旅をしていても必ずや寺院参拝ばかりしています。
宗派や地方による特色、職人の技などをこの目で確かめ、その場の気というものを肌で感じるのが私の楽しみの一つでもあります。

 

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旧竹林院 -滋賀・比叡山坂本-

 

141203-1.jpg先日ご紹介しました日吉大社。その門前にあります旧竹林院の紅葉です。
比叡山延暦寺の高僧の隠居後の住まいを、里坊といいます(時代によってその役割は変ったりもしたそうですが、詳しくはサイトをご覧ください!)が、旧竹林院もその一つでした。

141203-2.jpg信長の延暦寺焼き討ちによって、坂本一帯も火の海と化したらしく、現在は焼き討ち後に復興された町並みが残っている(旧竹林院も復興されたようです)わけですが、それでもあの凜とした空気に触れていると、神仏混淆の昔が今も偲ばれ、日吉大社と延暦寺の関係性や、坂本の人々の信仰など、興味はつきません。
このあたりは、近くに西教寺、その他の里坊なども数多くあり、今後も続けて訪れてゆきたい地であります。

 

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掃除

 

141113.jpgこの前の休日は、神社での奉仕活動に参加させていただきました。

一番の心配事であった早起きは無事クリアしたものの、久しぶりに持った竹ぼうきが予想外に重く、軽い衝撃。初めは腕のだるさにばかり気を取られていました。

しかし、いつの間にか重さも忘れて落ち葉掃きに没頭していたようで、気づけば二時間が経過(苔に埋もれた松葉も、手で丁寧に拾いました!)。あんなに無心で掃除したのは、いつぶりでしょうか。

自分の気持ちまでスッキリして、ありがたかったです。

もちろん普段からお掃除が行き届いている場所ですが、「神様は清められた場でいっそう働きを増される」のだそうです。昔伺った神主さんのこのお話と共に、夏に訪れた僧堂の廊下がピカピカに拭き上げられていたことも思い出しました。

場を清めることの大切さに、宗教の垣根はないのだなあと思います。

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平安神宮での月釜


141021.jpg恐らくほぼ毎日・・・、土日は絶対にどちらかで釜が掛かっている(茶会が催されている)と思われる京の都。
久々に空いている休日に、ちょっとでかけてみましょうと、平安神宮内の茶室にて毎月第二日曜日に開催されている月釜(お茶会)にお邪魔してみました。

良い季節にはすごい人混みだろう・・・と、前は通れど実はお参りさせていただいた事も無かった平安神宮。朝早い事もあってか、訪れる人もまばら。茶席もさほど待つ事も無くお席に通されました。
その日は奈良の先生で、石州流のお席。自身が稽古するのとは違う流派のお席というのは、道具に対する考え方や所作の違いを知り、改めて自身の流派を見直す機会ともなり興味深いものです。

余談ですが、片桐石州といえば、大和小泉城主。大名茶人ですが、ことに奈良にあります彼が創建した臨済宗大徳寺派の寺院、慈光院の庭は有名で、弊所の季刊『禅文化』にも、京都造形芸術大学非常勤講師の町田香先生にご執筆いただいた事があります。
私はまだ訪れたことがありませんので、この茶会を機に、是非一度足を運ばねばと思った次第です。

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下鴨神社 みたらし祭

 

140731-1.jpgどれだけ罪、穢れを祓っても祓っても・・・。
6月末には自宅近くの神社にて茅の輪をくぐり、半年の罪穢れを祓って無病息災を願い、またまた7月には、下鴨神社のみたらし祭にて、湧き水に足をつける“足つけ神事”。

健やかに長らえる事が如何に困難で、有り難い事であったか、昔の人々の事を思いながら、朝5時半に起床し、行かせていただきました(最終日の29日に参りました)。

140731-2.jpg暑い暑い毎日ですが、どうか皆さま、健やかにお過ごしください。
明日から8月。弊所はご存知僧侶が多い研究所です。変則的な勤務体制になりご迷惑をおかけ致しますが、ご理解の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

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通勤路のたのしみ

毎年のようにご紹介しているかもしれません。
この季節になると必ず出勤前に参拝するお寺があります。

140725-1.jpg立本寺さん(京都市上京区・日蓮宗のお寺です)です。
この花ほど、蕾から花が咲き、枯れゆく姿、枯れた後まで美しい花が他にありましょうや。

140725-2.jpg140725.jpgちょうど雨の後で、葉に残るしずくが玉の如く。季節的には違いますが、禅語の“秋露白如玉”を思いました。

*秋の朝、葉の上の露が玉の如く丸くなっている光景。露は紅葉の上ではあかね色に、青葉の上では緑色に姿を変えます。その露の性質を、無我に徹して自由自在にあらゆる立場に身を置く事のできる理想的な修行者とみている禅語です。

140725-3.jpgこの花を仏様の台座に・・・と考えられたのもわかりますね。ちょうど台座のような形で咲く一輪に遭遇できました。

140725-4.jpg散った花びらにもうっとりしてしまいます。

140725-5.jpg枯れてなお・・・花材にも良いですし、蓮の実納豆にも!!!
先日ご紹介しました黄檗宗萬福寺さんの名物です。なんでも隠元禅師が作り方を日本に伝えられたのだとか。こっくりとした、栗のような豆のような滋味深い味がしますよ。ご参拝の折にはお土産にされると珍しく喜ばれると思います。

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浅草寺

 

140605-1.jpg久しぶりの浅草寺参拝。
若い頃訪れた時には、何宗か・・・という事すら意識無く訪れたものですが、調べてみますと“聖観音宗”なのだそうな。第二次世界大戦後に天台宗から独立したようですね。
もう、そんな、何宗か・・・なんて事は関係無いほどに、“浅草の観音様”といえば、それを思い、あの大勢の参拝者の中、一人静かに「南無観世音菩薩」を唱えるだけで何かありがたいような救われるような・・・。

140605-2.jpg朝お参りしますと、火消し道中というのでしょうか、何かの催しでしょうか、粋の良い江戸っ子の姿、江戸の下町の風情というものを味わえました。

 

140605-3.jpg本堂天井画_堂本印象

振り向けば天まで届くスカイツリー、少し歩けばフランスの著名なデザイナー、フィリップ・スタルク氏によるアサヒビールのビル屋上の「炎のオブジェ」。
ノスタルジックなビルでは、素敵なお着物の展示会。
様々なものを分け隔て無く存在させ、どうしてかそれでもきちんとまとまっているような、落ち着けるような浅草の町に魅せられた滞在でした。

 

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大馬神社 -三重県熊野市-

 

140417-1.jpg熊野三社詣での帰り、三重県熊野市にあります大馬神社を訪れました。
知る人ぞ知る・・・と言ったお社でしょうか。聖地というにふさわしく、歩いていると、そこここに木霊の存在を感じるような、清らかといえば清らかですが、それだけではなく、ある種の恐ろしさも感じ、自然への畏敬の念がおのずとわいて出てくるような場所なのでした。六根清浄するにふさわしい地です。

140417-2.jpg平成23年9月の台風12号による被害の爪痕がまだまだ痛々しく残ります。

140417-3.jpg気が澄んでいるのです。坂上田村麻呂が討ち取った賊の首が埋められているそうなのですが・・・。二度とそういったものが出てこないように、このような清らかな場所に封じ込めたのでしょうか。

140417-4.jpg那智大滝ももちろん素晴らしいのですが、こちらの滝も規模関係なく、素晴らしいパワーを秘めていました。

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神倉神社 -新宮市-


140410-1.jpg神倉山。日本書紀に“天ノ磐盾”として登場。また、町中から見上げても目を引く巨大なゴトビキ岩(ゴトビキとは琴引とも書かれ、方言でヒキガエルを表すそうな)は、熊野権現が最初に降臨された場所と伝わります。
山全体が聖域、修験の地でもあった神倉山の頂上にあります神倉神社を参拝しました。

高所恐怖症には無理なのでは・・・というような急勾配の石段。なんと源頼朝が寄進したのだとか。後ろを振り返らずに進み、向かった先には。

140410-2.jpg140410-3.jpg新宮といえば、円覚寺派管長・横田南嶺老師の故郷でもあります。太陽が近く、空や海はどこまでも濃く青く、山々の緑深いこのような土地で過ごされたのか・・・・・・と、感慨深いものがありました。

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田中神社 -和歌山・上富田町- 

 

140130-1.jpg和歌山県にある臨済宗のご寺院が、遠諱法要に向けて寺史を刊行される為(こういった事に携わらせていただくのも、研究所の大切なお仕事の一つです)、写真撮影や宝物の調査にお邪魔していました。

140130-3.jpg昔のご住職が、近くの神社の祝詞まで作られていたのにはびっくりしました。神仏混淆の時代を色濃く感じます。その、祝詞を読んでいた神社の一つが、田中神社です。

明治の廃仏毀釈の折、隣にある神社に合祀される事が決まりましたが、神域には様々な固有の植物が生息していた事もあり、かの南方熊楠が神林を残す事を強く勧め、氏子達もその言葉を聞き入れ、今にその姿を伝えます。
かの柳田国男もその昔、「日本特有の風景」と表したとか。何を意識せずとも、ただただ、我々日本人の心の奥深くに訴えかけてくるものがあるのでした。

140130-2.jpg鳥居と共に在る立派な藤は、南方熊楠によりオカフジと命名されています

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高野山へ

 

131217-1.jpg先日も、大分の僧堂の老師が、檀家さんが四国八十八ヶ所の参拝に行きたがるのだとお話されていらっしゃいました。

日本におけるお大師さん信仰は、日本全国津々浦々まで届いているかのごとく、京都の小さな路地にあるお堂でも、毎月21日(お大師さんの月命日)にはご開帳し、近所のおばあさんが御守をされて、皆が参ります。

かく言う私も、年に一度は高野山へのお参りをと思っていたりします。
今年は秋の紅葉の頃だったせいか、世界遺産に登録されているせいか、多くの日本人のみならず、海外からの人も多く、山一体が不思議な力に満ちた高野山の地には、人が溢れていました。
車で向かうにも、列車で向かうにも、「ちょっとそこまで・・・」とはゆかない地ですのに、多くの参拝者が耐えない事に不思議さを抱きつつ、自分もその一員ではないか・・・とふと我に返るのでした。
お伊勢さんに高野山、日本人の信仰のふるさとのような感覚を覚えています。

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教林坊 滋賀の隠れ里

 

20131124-1.jpg自坊の近くにありながら、今まで訪ねることができなかった教林坊(滋賀県近江八幡市)。紅葉真っ盛りの先日、ようやく訪ねることができました。
聖徳太子の創建と伝えられる、天台宗の古刹で、白洲正子も『かくれ里』にて「石の寺」として書きのこしています。

20131124-3.jpg

 

20131124-6.jpg桃山時代に作庭されたとみられる地泉鑑賞式庭園は小堀遠州作として伝えられます。

小さな本堂に祀られる本尊は観世音菩薩で、おとなりには秘仏の不動明王が特別公開中でした。

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書院の「掛け軸庭園」は、なんとも洒落たしつらえです。ここにしばらく座してお茶でもいただきたいところですが、残念ながらそれはかないません。

小さなお寺ですが、紅葉狩りに満足させて頂きました。へんに飾られていないのもいいですね。

ここは竹林の庭としても知られています。初夏に訪ねてみるのも良さそうです。地元では、観音正寺(西国観音霊場・天台系単立)、石馬寺(臨済宗妙心寺派)とあわせて、繖山三観音としても知られてきています。

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伊勢神宮特別参拝

 

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年に1度はお伊勢参りを・・・と思っていますが、今年はご縁をいただき、二度目のお参りがかないました。いつもと違いますのは、御垣内にての特別参拝であった事。
言葉にはならぬものがあります。まさに西行さんがあの御歌をうたわれた気持ちがまたひしひしと伝わって参りました。

131126-2.jpgさて、神宮のみならず、名刹などを訪ねますと、最近世をにぎわす“パワースポット”とやらに人々が集まっています。手をかざしてみたり写真を撮ってみたりと・・・。
もちろんそれも良いのだろうなとは思います。ですが、神宮では、周りを見渡せばそこここに自分にとって特別となりうるような氣が満ちている場所をみつけられます。
パワースポット目指してゆけば、そういった所に気づかぬままかもしれないのは、何とも残念だなとは思います。
自身の感覚を研ぎ澄まして、お参りされる事をおすすめしたいと思います。

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阿字観体験 -根来寺-

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先日ご紹介しました、和歌山、紀北 いのりとみのりの旅キャンペーンの一環で、根来寺にて行なわれている、“阿字観”を体験してきました。

阿字観(あじかん)。
耳にされた事はありますか? 簡単に言えば、真言密教における瞑想法です。字のごとく、阿の梵字(大日如来を現わします)を観ながら呼吸を行ないます。

弘法大師空海の詠まれた御歌に、下記があります。

阿字の子が 阿字のふるさと 立ちいでて
また立ち帰る 阿字のふるさと

すなわち、阿字(大日如来)は全ての根源であり、皆ここから生まれ、ここへと返ってゆく、生命の根本であるというわけです(阿吽、オームなども、同じでしょうか)。
大日如来は、宇宙そのものであり、万物の根源であると言われ、よく、曼荼羅でも一番真ん中に描かれていますね。
個人的には、この阿字観によって、自身が宇宙や自然を構成する一部なのであり、そこから断絶されて存在するわけではなく、一体となる感覚(自覚)を得られたならば(阿字と一体になる)、本来の自己というものに気づき、なぜ生まれてきたのか、なにをなすべきかが徐々にわかってゆき、逆らわず、自然と導かれ、よりよく生きる事ができるのでは・・・と思いました(そんなに簡単にはゆかないかもしれませんが、近づいてゆけると思います)。

さて、方法ですが、これはおなじ真言宗でも高野山金剛峯寺の方法と、根来寺の方法とでは少し違いはあるそうで、今回は私が根来寺で体験したものをご説明します。


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まず、坐法を教えていただいてから、上写真のように、月の中にある蓮華座の上に描かれた阿字のサンスクリットを観て、数息観(ひとーつ、ふたーつ、、、、と自分の呼吸を数えます)をします。体験では時間が限られている為、とお(十)までを数えました。

次に、阿息観といって、息を吐く時に、「あーーーーーーー」と声を出します。だんだん腹の底(丹田)に力が集中してきて、身体もあたたかく声も大きくなり、息が深くなってゆくのを感じました。これも、十回息を吐きました。

そして最期には何も言葉には出さず、阿字のお軸をみつめながら自身の呼吸に集中します。段階を踏んでゆく方法で、また、みつめる対象物があるというのは、非常に集中しやすいものです。次第に、阿字が浮き上がってくるような感覚を覚え、とても心地よく、短い時間の体験ではもの足りないくらいに思いました。

到達すべき境地は、阿字観も禅宗で行なう坐禅もおそらく同じなのかもしれません。
が、ここでこんな事を書いても良いのでしょうか・・・・・・。阿字観の方が集中しやすく、私には向いている気がしてしましました(すみません)。自分に向いている向いていないは、私も坐禅やヨガの瞑想法を体験しているからこそ比較できるのであって、本を読んでいても体験談を読んでみてもわかりません。
禅宗寺院での坐禅も、阿字観も、実践体験あるのみです!

根来寺では、11月の16、17、24、30日(土曜日曜)の午前10時からと、午後2時からの一時間、一回につき先着20名限定での体験です。もう今年はこれでおしまいですよ!行かれる方は事前にお申込をなさってからご参拝ください。
☆根来寺:0736-62-1144

大事な事をお伝えし忘れておりましたが、この阿字観体験、なんと国宝大塔(上写真です)の中で行なわれます。何度参拝しても見飽きぬあの美しい大塔の外陣にて、諸仏に見守られながら行なう瞑想。こんな有り難い事がありましょうや・・・。
5回体験すると、外陣ではなく、内陣での体験が可能とのことで、真剣に考えてしまいました・・・・・・。

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和歌山、紀北 いのりとみのりの旅

 

131111.jpg高野山や紀伊国一之宮などの伝統ある社寺が多く残る神仏混淆の地、紀北(和歌山県北部)。

そんな紀北にスポットを当てた“いのりとみのりの旅”キャンペーンが12月13日まで開催中です。

私も先日、丹生都比売神社にお参りさせていただきましたが、このキャンペーン中には、平成のご造営にて、本殿の第1殿・第2殿の檜皮を葺き替え、彩色の塗り替えをなさっているご様子が、間近から拝めるのでした。
その他の寺社でも、期間中のみの特別拝観や行事などが開催されており、先日も根来寺の大塔内での阿字観体験にお邪魔してまいりました(この事につきましてはまた後日ご紹介予定です!)。

日本人は、その暮らしの中で、神道や仏教の教えや行事に自覚も無いままに触れている事が多いわけですが、いにしえより神も仏も尊ぶ地にて、改めて日本人を、自身をみつめる機会を持たれてみてはいかがでしょうか。
何らかの宗教を信じなければならないというのではなく、日々のくらしの中で、何を大切にしてゆくと良いのか、そういった芯の部分に気づけるきっかけとなる気が致します。

残念ながら臨済宗・黄檗宗寺院は含まれませんが、そんな事は関係無く、日本の歴史や宗教、信仰に関心を抱いている私としましては、こんなにも楽しいキャンペーンはそうは無い!と思っています。
さらに、“いのり”だけではなく、“みのり”情報も満載で、紀北の美味しい物からその土地を理解するという楽しみ(これは煩悩ではなく、“学び”でしょう!)までもが付いてきます。

関西にいらっしゃる方は、京都や奈良、滋賀も良いですが、和歌山にも目を向けてみてください!

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丹生都比売神社 -和歌山県かつらぎ町ー

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「ずいぶん方々旅をしたが、こんなに閑でうっとりするような山村を私は知らない」
『かくれ里』 白洲正子

 

白洲さんがこの地で最期を迎えたいと仰ったほどに愛した地、和歌山の天野へお邪魔し、丹生都比売(にうつひめ)神社へ参拝。宮司の丹生様にご案内いただく機会を得る事が叶いました。

この丹生都比売神社、創建はおよそ1700年前と伝わり、かの弘法大師空海が高野山に金剛峯寺を建てるのも、丹生都比売大神様のお許しを得て、大神様の神領に建立されたのです。よって、今もなお、高野山の僧侶の参拝が途絶える事無く続く、神仏混淆の姿を拝める貴重な神社となっています。

ちょうど平成のご造営が進められており、本殿の第1殿・第2殿の檜皮を葺き替え、彩色を塗り替えられていらっしゃいますが、その様子を間近で拝見させていただく事ができました(詳細はこちら)。

131106-2.jpg本殿前には、たくさんのお札が納められています。高野山の僧侶が護摩だきの祈祷をされたり、葛城山で修験の修行に入られる際には、成就を願ってまずはこちらに参拝されます。その祈願の為にお納めになられたお札だったのです。

この天野の里、明治の廃仏毀釈以前には、神仏混淆のお堂がたくさんあり、まさに日本人の宗教観そのものといった風景が見られた地でしたが、現在はその跡を残すのみ。それでもにわかにその空気を今もなお感じ取る事のできるかくれ里。

今回は時間が無く、丹生都比売神社のみの参拝となりましたが、次回はゆっくり歩いてまわりたいものです。

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神長官守矢史料館 -長野県茅野市-

131031-1.jpg長野・諏訪探訪記のつづきです。
諏訪大社といえば、御柱祭が日本の三大奇祭として有名ですが、その他にもその祭祀に古くは神々に多くの生贄を捧げた事でも知られます。
そんな祭祀の事を知るべく訪れたのは、諏訪神社上社の神官の一つである「神長官(じんちょうかん)」を明治時代まで勤めてきた守矢家の資料館。

131031-2.jpg今回の展示では、守矢家の先代当主と岩波文庫創始者、岩波茂雄の交友についての展示もあり、意外な繋がりに驚いた次第。
諏訪という土地の生み出す人物の面白さに着目する事ができました。
諏訪生まれといえば、こちらの資料館は、守矢家のすぐ近くに生家がある建築家、藤森照信氏の設計で、その建築を再訪し、感じる為にも今回は是非とも訪れたい場所の一つでした。

131031-3.jpg資料館近くの茶室・高過庵

上社の本宮・前宮、下社の秋宮・春宮全てを参拝し、満足のいくお参りとなりました。

余談ですが、藤森氏の建築といえば、私が最もオススメしたいのは、静岡にあります浜松市秋野不矩美術館。インド好きとしては秋野不矩さんの絵も心惹かれてやまないものがあり、大好きな美術館の一つです。

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道成寺 -和歌山県日高郡-

 

130704-1.jpg和歌山県へと取材で趣いた日、ちょうど途中を通る!ということで、かねてから一度訪れてみたいと思っていました、“安珍と清姫”で有名な、道成寺を訪ねてみました。

お能や歌舞伎が好きな人なら、一度は訪れてみたいお寺ですね。
まだお能の番組では拝見したことが無いのですが、一度は拝見したいと思っているうちに、先にこの地を踏む事となりました。

130704-2.jpgこの“安珍と清姫”。お能をはじめ、歌舞伎や日本舞踊、文楽などで語り継がれるのにうってつけのお話と思えますが、燃やされた釣鐘の場所も諸説あるようですし、今となってはどこまでが真実かは定かではありません。ただし、安珍という僧侶がいた事については、元享釈書で明らかであるようです。

安珍と清姫があまりにも有名すぎて知られていないのですが、道成寺創建にまつわる、かみなが姫のお話も面白いので是非道成寺のHPをご覧になってみてください。

130704-3.jpg研究所へのお土産に購入した釣鐘饅頭はなかなかに美味でした。そしてその箱に入っていたこの“安珍清姫縁起之図”も気に入ってしまい、研究所のデスク近くに張っています。男は嘘をつくな!女は追いかけすぎるな!という戒めとしましょうか……。

最後に、道成寺の住所もお知らせしておきましょう。-和歌山県日高郡日高川町鐘巻-。
なんと、“鐘巻”!!! 市町村合併などがあっても絶対に消えて欲しくない地名ですね。

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西教寺 -大津市坂本-

 

130604-1.jpg大津市坂本にあります天台真盛宗総本山、西教寺を訪れました。
宗祖大師殿の唐門からは遠く琵琶湖を望む絶景です。

明智光秀が帰依した寺院としても有名で、一族の墓が残ります。
聖徳太子の創建と伝わり、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場とし、その後かの恵心僧都も入寺され、しだいに栄えたとの由。

不断念仏(特定の日時を決めて、その間、昼夜間断なく念仏を唱える行)の道場として栄えた寺院であるからして、今なお、本堂では念仏を唱える行をなさっている僧侶に遭遇します。専一に行に励まれるお姿に触れさせていただけるだけで、こちらまで厳かな気持ちになりますね。有難いものです。

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西教寺は、多くの庭を有する寺院としても知られますが、ことに、上写真の、小堀遠州による客殿庭園が有名です。

近江坂本といえば、穴太衆(あのうしゅう)でも知られる所ですが、今度は穴太積の石垣を観てまわりたいと思っています。

京都から比叡山を通って車で30分。度々でかけたくなる素晴らしい地です。
ご旅行で遠くから来られる方には、滋賀院門跡日吉大社旧竹林院芙蓉園、西教寺など一日かけてゆっくりまわられる事をオススメします。京都とはまた違った発見がありますよ!

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天徳院 -金沢市-

 

130530-1.jpg金沢市内にあります曹洞宗の名刹、天徳院を訪れました。
前田家3代利常に嫁いだ珠姫(2代将軍徳川秀忠の娘)の菩提寺です。同じ頃に建てられた、高野山の天徳院も有名ですね(同じく珠姫の菩提寺)。

総門より本堂へは廻廊が続き、曹洞宗によく見られる建築形式でした。

130530-2.jpgなんじゃもんじゃの木(一葉たご)の花がちょうど満開との事(下写真の白い花をつけた木)。立派なお庭も拝見させていただけました。

130530-3.jpgよくよく手入れされた庭、掃き清められた境内に、旅先での清々しい朝を迎えられました。

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日吉大社 -滋賀県大津市坂本-

 

130529-1.jpg滋賀県大津市は坂本。このあたりの空気が大好きです。
遠くから遊びに来た友人にも味わってもらいたく、日吉大社を参拝しました。

130529-2.jpgなんとたまたまですが、この日(5月26日)は、山王礼拝講の日。
比叡山の僧侶達が日吉大社にて執り行なう法要の日であったのです。

日吉大社の起源はおよそ2100年も前に遡り、比叡山の神様をお祀りした事に始まりますが、その後に比叡山にやってきた最澄は、日吉大神に守護を願われたのだとか。
以来、日吉大社と比叡山延暦寺は、切っても切れぬ関係にありましたが、明治の神仏分離により区別される事となり、我々も、「寺は寺、神社は神社」という意識を植え付けられてしまいました。

130529-3.jpgそれでも、この神仏混淆の伝統を守ろうという動きがあったのか、恐らく明治期にはなされなくなったであろう法要が、いつからか復活し、今では毎年行なわれているようです。
神社のご神殿に多くの僧侶の御姿。有難いものを拝見させていただけました。

日吉大社のHPによりますと、山王礼拝講の起源には下記のようなお話があるのだとか。興味深いですね。

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言いつたえによりますと、万寿二年(1025)に神体山の八王子山の木が一斉に枯れ、神職がご真意を尋ねたところ、「修練を怠り武装する僧を見て私は京の北にある巌に隠れたいのだ」とのお告げがあり、それを僧侶の方に伝えたところ、山僧は神慮を恐み法要を修したそうです。
このことが起源となり、今日まで神前で法華八講の法要がこの日に営まれております。

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130529-4.jpgこの日はさらに、金大巌(こがねのおおいわ)にも参拝して参りました。
山の上から見る琵琶湖の美しきこと。良き参拝となりました。

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岩木山神社 -青森県弘前市-

 

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憧れの岩木山神社参拝。
あいにくの天気で、鳥居の向こうに拝めるはずの御神体・岩木山がお隠れになったまま……。

弘前城の桜を見た前日には、雪を抱いた頂上が町からも拝見でき、その神々しさに溜め息が。はるか古より、この地に住まう者たちが代々崇めたのもさもありなん。お天気の回復を願いましたが適わず、これは「また来なさい」と言われている事と受け取り、是非とも再度参拝したいと考えています。

 

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この岩木山神社。今までに感じた事の無いような雰囲気で、単に清々しい雰囲気のみならず、なんとなく恐れ多いような。青森にはかの有名な恐山などもあり、その地域では、「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言われるそうですが、こちらも、どこか違う世界へと通じているようでした。

そう感じるのも、元は、真言宗の寺院であった事も関係しているかもしれません。明治の廃仏毀釈までは、お寺と神社が合体したような形であった為、ベンガラ塗の唐様の楼門があったり、今は拝殿となっている建物が昔の本堂であったりと、我々が普段お参りする神社とは建物も違っているのです。楼門の二階には、一体何が祀られているのでしょう。御存知の方、いらっしゃいましたら是非とも教えて下さい。

130515-4.jpg岩木山山頂には奥宮や、東北平定を為し得た坂上田村麻呂が再建した社殿もあるのだとか。是非ともそこまでお参りしたいものです。坂上田村麻呂といえば、平安時代に活躍した武官で、清水寺の建立においても知られる人物ですが、今回、車で青森まで趣きましたが、まぁ昔の人はこの道程を馬や徒歩で……と思うと、閉口してしまいました。
関西の者からすると、東北はとても遠いイメージがありますが、そんなイメージは拂拭し、また是非ともお参りの旅に出かけたいものです。

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観心寺 -河内長野-




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後村上天皇献茶祭にて、大阪は河内長野市の観心寺にお邪魔して参りました。
役行者が開創されたと伝わるこのお寺。河内長野といえばもうすぐそこに聖地高野山があり、山に囲まれたこちら観心寺にも、やはり真言宗のお膝元である感が漂います。

平安時代に弘法大師空海が立ち寄られ、衆生の除厄のために本尊如意輪観音菩薩(国宝)を刻まれて、寺号を観心寺と改称されたのだとか(元は雲心寺)。
また、その後には後醍醐天皇の厚い帰依により、楠木正成を奉行として金堂外陣造営の勅が出された由縁もあり、楠木公の首塚、像などもあり、公を偲ぶ寺ともなっています。

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上写真が、真言宗観心寺の国宝金堂。
内陣には古い板製の両界曼荼羅(美しい!)もあり、密教寺院独特の荘厳な雰囲気の中、後村上天皇御国忌の献茶式が表千家家元若宗匠により執り行なわれました。

この日は嵐のようなお天気でしたが、無事お参りさせていただき、さらに境内にて釜が掛かっていましたので、三席それぞれに亭主の御心がこもった茶席を楽しませていただき、有り難い事でした。

なお、こちらの霊宝館には、平安時代の素晴らしい仏像が数々おはしますのと、国宝のご本尊並びにその他諸仏のご開帳の日が近づいています。
桜の花はそろそろ終わりを告げていましたが、既に様々な色の新緑が美しく。
是非ともご参拝なさってみてください。

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後村上天皇御陵
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法華寺 十一面観音ご開帳




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奈良の尼門跡寺院・法華寺の、国宝十一面観音菩薩立像特別開扉にあわせて参拝。

光明皇后のお姿を写したこちらの菩薩。平安初期の作で、それはほっそりと華奢な中に、清廉さが漂い、光明皇后の数々の慈悲深い逸話や、美しい御方であったろう事など、思い浮かべながら拝ませていただきました。

7日までです。今週末は奈良詣で、いかがでしょうか。

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法金剛院 -京都市・花園駅近く-




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昨日の"寄り道"にひきつづき、今度はお昼休みにお邪魔してきた法金剛院さんのご紹介。

そう、花園駅すぐ近くにあるこのお寺、お昼休みに拝観に行って帰って来る事が可能です。
なんと優雅な昼休みでしょうか。昼休みにも、やはり"お寺"です。

京都では珍しく、唐招提寺に属する律宗のお寺。
藤原璋子・待賢門院が復興に尽力した寺で、平安時代ならではの極楽浄土を模した庭と、四季折々の花が美しく、"関西花の寺第十三番霊場"となっています。
花ばかりか、数多く残る仏像もそれは見事で、本尊阿弥陀如来、文殊菩薩など、平安時代の仏を拝み、この庭を眺めれば、しばし平安貴族の世にタイムスリップです。
そして、十一面観音巡礼をしている私としては、こちらにおはします観音様の瓔珞の美しい事にしばし昼休みである事を忘れて拝んでいたのでした。蓮の台座にまで瓔珞が......。荘厳です。

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もちろん、桜も枝垂れはもう満開。待賢門院を深く思慕したと伝わる西行さんも、このお寺へはよくおいでになったとか。その頃の桜はどのようであったか...と、桜を愛した西行さんをも思います。

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ここの所、曇りや雨の日が続いていますが、晴れましたら次はどちらへお邪魔しようかと楽しみにしています。

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寄り道 -立本寺のさくら-




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何の因縁か、仕事帰りの寄り道も、“お寺”です。

こちらは日蓮宗の立本寺さん。夏には蓮、春には桜が美しいお寺です。
早咲きの枝垂れ桜は満開。ソメイヨシノはもう少しですね。
京都での自転車通勤は、それはそれは楽しいものなのです。

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油日神社 -滋賀県甲賀市-




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土地にも、"品格"というものがあるのだなと思います。
油日神社と、その周辺の村落に、その事を教えてもらった気がします。
何度訪れても飽きない、身心清らかにしてくださるような、そんな力のある神社と土地です。

一度こちらの豊作を祈願するお祭にお邪魔したいと思ってはいるのですが、まだ叶っていません。
機会を楽しみにとっています。死ぬまでに何度も足を運びたくなるようなお社です。

御神体でもある油日岳を登った記事はこちら

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長寿寺 -滋賀県湖南市-




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国宝の本堂

聖武天皇の勅願により、東大寺の開山として知られます良弁が開創した寺院、長寿寺です。

良弁というと、奈良での活躍があまりに印象的で、その他の地域の事があまり浮かばないかもしれませんが、滋賀や福井あたりに縁の地も多く、それらを辿るとなかなかに面白いものなのです。
今は天台宗になっているこのお寺、普段拝観可能なはずですが、雪がちらつく寒さのせいか、拝観不可ということで、収蔵庫におはします阿弥陀如来坐像にはお目にかかれませんでした。
この地域は面白いので、また暖かくなればでかけるとしましょう。

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阿弥陀如来坐像を拝めぬのは残念でしたが、この日の私は、なんといっても、この石造多宝塔を拝見でき、上機嫌でした。なんとも見事ですね。洗練されていないアンバランスさがまた良いですね。

近江には磨崖仏や石塔など、渡来人も多かった為、韓国の石の文化と共通するように思える物が数多く現存しますが、これもそうなのでしょうか。日本の形や風情とは、また違うような気も致します。
あれこれ想像を膨らませ巡る寺院、かくれ里、足を運んでいるうちに何が見えてくるのでしょうか。

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伊勢神宮参拝




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なにごとの おはしますかは しらねども
              かたじけなさに 涙こぼるる      西行法師


式年遷宮という記念すべき年、伊勢神宮に参拝してまいりました。
その昔、僧侶は人の死を扱う=ケガレとしてみなされ、僧侶専用の参拝道が設けられていたのだとか。しかも、正殿までのお参りは許されなかったそうです。その点今は有り難いですね。

と、、そもそも私は研究所の職員ながら、僧侶ではありませんから関係はないのですが……。

それでも、例外もあるようで、かの夢窓国師は、お願いしてお参りさせていただいたのだとか。
『夢中問答』に出てくる、伊勢の神官とのお話は興味深いですね。
〔*上記は、研究所の博識氏に色々と教えてもらいました一部をご紹介してみました。〕


さて、外宮、内宮と参拝させていただいたのですが、以前とは違っていたのが、外宮に新たに【式年遷宮記念せんぐう館】ができた事。
20年に一度の式年遷宮に伴う尊い営み、仕事というものがどれだけ多くあり、奥深いものなのか、非常に細かに学べる素晴らしい所でした。
気の遠くなるような匠の仕事を映像で拝見できるコーナーもあり、そこに映る職人さんに、若い人が見受けられる事に嬉しくなり、どれだけ多くの日本の伝統技術が、このご遷宮により絶えること無く伝えられて来た事か……末永く続いて欲しいもの…と感慨深いものがありました。
是非とも、お伊勢参りにゆかれる方は、時間が無くとも、おかげ横町で遊ぶ時間を削って、こちらへ足を運ばれる事をおすすめします。

心の洗濯をさせていただけるような、よきお参りとなりました。

最後に余談ですが、今流行り?のパワースポットに多くの人が熱心に集まって手をかざしておられました。
それも確かに何かよきものがいただけるのかもしれませんが、神宮は敷地全てが聖域であって、そこへ難なくお参りさせていただけている事自体、それだけでも有り難い事のように思います。
自分の五感を研ぎ澄まして、自分に合う場所でパワーをいただくのが良いのではないか……という気が致しました。それぞれに見合った、そんな場所がある気がしています。

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厄除け参り




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我が実家あたりでは、節分前後に門戸厄神さん(西宮市)へお参りします。
なんとなく親に連れられて昔からそうして来ましたので、ほぼ毎年足を運ぶわけですが、その事によって、気持ちが新たに切り替わったり、真摯に手を合わせて自己を顧みたり、区切りというものをつけさせていただき、来たる1年また無事過ごせるよう願います。
節目の行事として有り難い事だ…と、この歳になると余計にしみじみと感じます。

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金勝寺 -滋賀県栗東市-




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金勝山(こんぜやま)へ磨崖仏を拝みに行きました帰り、頂上近くにある金勝寺(こんしょうじ)へお参りにゆきました。

奈良時代にかの良弁僧正(東大寺開山)が開いたとされるお寺です。
東大寺造営に、滋賀や伊賀などの大木が使われた事を思うと、地域の繋がりまでもがありありと見えてきてとても面白いものです。

さらにこのお寺、中世には源頼朝・義経、足利尊氏・義詮(よしあきら)など、錚々たる人々が帰依し、湖南仏教文化の中心をなしたのだとか。
しかし今はそれも昔のこと......と、山奥にひっそりとたたずんでいますが、かえってその事によりこちらの心は慰められるのですから、皮肉なものです。
京都市内のお寺には全く無いような良さがある滋賀の寺。京都、奈良、滋賀と、どれだけ色々なお寺を参拝しても、それぞれに興味深いものですね。

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諏訪大社




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前宮一之御柱

尊皇敬神の念に篤い友人に引っ張り回されて(失敬)、こたびも神社巡り。今回は長野県の諏訪大社。御柱もしっかり拝んで来ました。

諏訪大社は全国の諏訪神社の総本社であり、諏訪湖を挟んで南に上社本宮・上社前宮、北に下社春宮・下社秋宮の四社が鎮座する。諏訪インターを下りて、まずは上社本宮から参拝。

何気なく社務所の玄関を覗くと、「祭政一致」の扁額が麗々しく掲げられている。ローマ法王の避妊禁止もそうだが、世の中がいかに変わろうとも、古来の聖なる信条を固く守る人々がいることは、ある意味で安心させられる事実である。どうか、いつまでもこのままであっていただきたい。

諏訪大社の絵馬に特徴的なことは、マンガ調のイラストを描き込んだものが異常に多いことである。決してふざけているわけではなく、いずれも敬虔なものである。ネット上の若者文化における諏訪大社の位置づけについて私にも知識がないわけではないが、本題から離れるのでここでは述べない。

授与所で「神棚の祀り方」という掲示を見ていた若い女性の方が、「へー。諏訪大社より伊勢神宮のほうが格が上なんだ」とつぶやいていたのには失笑してしまった。信州の人々の「お諏訪さま」に対する崇敬の念は、こんにちもやはり絶大なのであった。

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狛坂磨崖仏 -滋賀県栗東市-




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数年前からずっと、拝みたい拝みたいと思い続け、やっとの思いで叶いました、狛坂磨崖仏参拝。
高さ約6m、幅3.6mの壁面に高さ3メートル、顔幅70cmの阿弥陀如来坐像を中尊として、観音・勢至の両脇侍、その周囲に12体の仏像が半肉彫りされています。渡来人の作で、およそ奈良時代から平安初期にかけての作であろうとされます。
私には、ふくよかな菩薩のお顔に、カンボジアのバイヨンの菩薩を思いました。本当にそっくりです。

さて、新名神をよくご利用になられる皆さんは、金勝山トンネルを御存知ですね?
じつはそのトンネルの真上に、この素晴らしい磨崖仏がおはしますのですよ!!!
まさか磨崖仏様も、山を掘って、奇妙な乗り物で人間が下を通るとは思いもよらなかったことでしょう。

この日は車でのおでかけだったのですが、便利になると人間駄目ですね。ナビを設定して意気揚々と向かっていると、トンネル内で、「目的地に着きました」と。
観音様がおはしますポイントがトンネル内でわかったという点では新発見で、なかなかに面白かったです。

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信楽インターを降り、いつも通る橋を真上に見上げて山道をゆき、一番近い馬頭観音駐車場へ。この駐車場からの眺めが、もう既に素晴らしく、この先にどんな眺望が待ち受けているのかと……。

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途中の茶沸観音もなんとも愛らしく。なぜ茶沸(ちゃわかし)であるのか、誰に聞いてもわからぬようですが、何か民間伝承でも残ってはいないでしょうか。我が研究所の博識氏に尋ねると、例えば近くに峠の茶屋でもあったのかもしれぬとのロマン溢れるお話が。
なるほど、はるかいにしえより、参拝客が絶えぬ地であった事を思えば、さもありなん。
お参りにゆく人々をそっと見守る仏様……という風情も漂っていたように思えて。

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磨崖仏に辿り着くまでにはその他に重ね岩、まるで胎内くぐりのような場所を通り、遠方には天狗岩、国見岩を望み、近江平野の美しくひろがる様を楽しめます。

都から少し足をのばせば、このように古い信仰が未だ連綿と受け継がれ、残る地に趣ける。さらに色々と足を運び、いろんな意味での“繋がり”を楽しみたいと思う今日この頃です。

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大原野神社 -2012紅葉だより-




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七五三のお参りのお子達の元気な声が、錦繍織り成す社に響きます。
健やかな成長を願わずにいられませんね。

洛西の名社、大原野神社です。

お子さんの着物姿はいずれも可愛らしいのですが、ついつい“着物”となると、厳しくチェックしてしまう私です。願いが込められた文様や柄、それぞれに意味があります。
このような機会にこそ、祝い着に相応しい物をと思ってしまいます。

……大きなお世話ですね。

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願徳寺の如意輪観音 -京都・洛西-




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昨日、勝持寺の紅葉をご紹介させていただきましたが、実は勝持寺へ車で向かうと、山門のある正面とは違う駐車場へとナビに案内され、そのおかげで、国宝の如意輪観音様を拝む事ができました。

勝持寺のすぐお隣にひっそりと佇む、願徳寺。
こちらには平安前期の如意輪観世音菩薩半跏像がおはします。

榧木(かやのき)の一木造りで、その肌は年月を経て黒光りし、肩から腹へ、そして半跏趺坐を取った脚へと流れる衣のドレープのあまりに優雅な美しさは、遠くギリシアで見た彫像を思わせます。
また、背中などは、その柔らかいラインに色気を感じるほどで、仏様であって仏様でないような、肌に触れればあたたかいのではないか......と、生きていらっしゃるようななまめかしさを感じる美しさでした。

それにしましても、京都というところの奥深さは常々町中に暮らしていても感じますが、少し山の方へ入ればこのような仏様がおはし、日本の原風景がひろがっている。
中心部もそれは楽しいのですが、たまには洛西の古仏を拝むのも良いものです。

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勝持寺 -2012紅葉だより-




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なんだか今年は、「何を着れば良いか迷う」というどっちつかずの気候が無いままに、急激に寒くなったような気がします。
そのおかげもあってか、今年の紅葉の美しさは○年ぶりだ……というような声をよく耳にします。

京都に住まいしていれば、近くに御所あり鴨川あり、いずこにも美しい紅葉は見られるのですが、それだけでは飽き足らず、わざわざどちらかへ「紅葉狩りにでかけたい」という気持ちもわいてくるというものです。

そこで今年選びましたのは、西行が出家をしたお寺、西行桜が有名な勝持寺(しょうじじ/京都市西京区/天台宗)です。

応仁の乱にてほぼ全ての伽藍は焼失したものの、御本尊の薬師如来や日光菩薩・月光菩薩・十ニ神像を拝ませていただくと、創建時代の荘厳さや如何に……と偲ばれる洛西の名刹です。
また、かの有名な西行桜の枝ぶりは、葉が一枚も残らぬ姿となったこの季節でもそれは立派で美しく、「花の寺」として知られるのもさもありなん。春の頃にもまた訪れたくなるというものでした。

紅葉については筆舌につくしがたく。写真をご覧いただきたいと思います。

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奈良さんぽ




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同じ古都でも京都とはまた違った空気を求めて、奈良へは度々でかけます。

東大寺南大門の仁王像の手足の力強さに、ヨガの先生の美しいアーサナ(ヨガのポーズ)を思い出し、最近はレッスン時に仁王像の手足を意識しています。

久しぶりに拝ませていただいた大仏さまは、年齢を重ねるごとに、聖武天皇と光明皇后の偉業、そして当時の職人の技術に思いを馳せ、言葉を失うほどに感動します。

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二月堂より

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高野山 奥の院へ  その2

昨日の続きです。
こちらは、赤穂四十七士の供養塔がひっそり佇んでいます。

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供養する方がなくなった無縁塔は、こんなにうずたかく積まれていて、いかに無縁塔を大事にされているかがよくわかるでしょう。

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古い切り株には1円玉が年輪にそって埋め込まれて供えられていたり、通称お化粧地蔵とよばれるこのお地蔵さんには、ふと気が付くと誰かがお化粧をほどこしてあげているとか、涼しい木立の中を歩くのは、まったく苦になりません。

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高野山 奥の院へ  その1




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夏休みを利用し、初めて高野山へお参りしてきました。
前日から高野山入りして金剛峰寺の近くにある普門院という宿坊に宿泊したわけですが、チェックイン後、金剛峰寺にお参りに出かけようとしたところ、「夕方5時には閉門しますから必ずお戻りください」と告げられ、事実、5時には山門が閉じられてしまいました。
というわけで夜の散策に出かけるわけにも行かず、ちょうどオリンピックの真っ最中でしたので、テレビでなでしこジャパンに釘付けとなりましたが、翌朝6時には、宿坊の本堂で朝課にお参りし、真言宗の声明を聞くことができました。
この普門院には小堀遠州作の庭もありました。

さて、高野山はまもなく開創1200年を迎えるとのことで、平成の大改修がすすんでいます。
上記写真は、根本大塔です。手前に小さな「こうやくん」という開創1200年のマスコットが見えますね。

朝涼しいうちに奥の院へと向かいました。
ご存じの通り、一の橋から奥の院へと通じる参詣道には、戦国武将を中心とする供養塔が沢山あります。高野山全体地図の右手の桃色に塗られた部分が奥の院への参詣堂ですが、そこに書かれている供養塔の名称をみていただければ一目瞭然でしょう。
たとえばこれは、伊達政宗の供養塔。とても大きな石でできた五輪塔で見上げるほどです。

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こちらは市川団十郎のお墓だそうです。

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その2につづく。

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仙禅寺跡磨崖仏 -滋賀県甲賀市-




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滋賀県は甲賀市(忍者の里で有名ですね)にあります、仙禅寺跡の磨崖仏を訪れました。

仙禅寺は、723年・奈良時代の創建で、僧坊も五宇を有したとの事ですが、度重なる戦乱に、次第に衰退していったようです。
現在はお堂に、秘仏・十一面観音が祀られているのだとか。是非拝見したいところですが、公開情報など何もてがかりはなく…御存知の方がいらっしゃいましたら、是非ご一報下さい。

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そして、今なお、参拝者を迎えて下さり、そのお姿を拝めるのが、この高さ80センチの鎌倉時代の薬師如来像。三尊像ですが、何とかうっすらとその輪郭を残すのみで、はっきりとはわかりません。
が、やはり、古より参拝者を迎え、皆に拝まれて来た像というものには、身なの心が宿るもの。ありがたいです。

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夏の鵜の瀬 -福井県小浜市-




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毎年夏はもちろん暑いのですが、例年の暑さをうわまわる猛暑到来!ですよね?!
今日は涼しげな写真を皆様に。

春にも訪れた、お水送りゆかりの地、鵜の瀬に、夏にも訪れてみました。
近所の方達が家族連れで泳いでいてびっくり。「神聖な場所であるのに…」と一瞬とまどいましたが、小浜の方達にとっては涼を求めて泳ぐ場所でもあるのですね。なんとも羨ましい限りです。

水は澄み、翡翠のような色。清浄な地の清浄な水は、本当に私達の身心の穢れを洗い流してくれるような心地がしました。

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浄土宗西福寺 -敦賀市-




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北陸地方を代表する浄土宗寺院、西福寺です。

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敦賀にでかけた折にお邪魔してきました。
国の名勝庭園として昭和7年に登録をされている書院庭園。山の上に登って眺める伽藍の景色はまた格別なのでした。
御影堂は平成の大修理の真最中でした。これだけの大伽藍を守り伝えてゆくのは大変なことですね。

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石道寺 -滋賀県長浜市-




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7月14日。滋賀県長浜市の石道寺(しゃくどうじ)。創建当時は天台宗・現在は真言宗のお寺です。

訪れる人もまばらなこの地。
まだ紫陽花が美しく咲き誇り、堂内におはしますこれまた美しい十一面観音(一木造り・平安末期作)の歓迎を受けたかのようでした。

数々の十一面観音を拝んでまわっていますが、やはり写真で観るのとは全く違います。はっきり申し上げますが、まったく違うのです。
何にしてもそうですが、“足を運んで自分の眼でみる”というのは、尊いな……と思う今日この頃です。

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石道寺のあたり

滋賀の里山にはハッとさせられるような美しさがあります。大地のパワーがとても強い地域にある集落。子どもたちが元気に遊んでいましたが、こういう所で育つ子達は、丹田に力が入り、強い足取りで人生を歩んでゆけるのではないかな……と思いました。

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個人的には、紫陽花はこの色にかぎります!
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己高閣・世代閣 -滋賀県長浜市-




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昨年から十一面観音巡りを続けていますが、今回は湖北・長浜に数多く残る十一面観音を拝みにでかけました。

己高閣(ここうかく)と世代閣(よしろかく)。
長浜市の己高山(ここうざん・こだかみやま)に点在した数多くの寺院の仏像を集めた収蔵庫です。
己高山が修験場だった事から、奈良時代に始まり、平安~鎌倉と興隆を極め、このあたりには多くの寺社が存在したようです。

案内してくださった方によると、現在ではこのあたりに住む者はほとんど浄土真宗寺院の檀家なのだとか。それとは別に、土地のありがたい宝としてこの収蔵庫の仏さまを守り、中には収蔵庫にある仏様を信仰している人もいらっしゃるそうな。
我々が本で読んでいる知識とはまた全く違った、地元の方による独自の仏像解釈もなかなかに面白いものでした。

近江にはこのように、地域の人によってひっそりと守り続けられている仏像や面などが多いのですね。白洲正子さんが足繁く通われたのもうなずけます。

十一面観音を拝みにお邪魔したわけですが、初めて目にする九体の薬師如来立像が珍しく、九体それぞれのお顔も妙に親しみ深く興味深いものとして心に残りました。

気づけば十一面観音レポートになっていませんが、詳しくはとても面白いサイトがありますので、こちらをご覧いただいて湖北をお楽しみ下さい!

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近くにはモリアオガエルの卵だらけ!自然豊かな土地、長浜
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海住山寺 -京都府木津川市-

禅宗以外のお寺ばかり紹介させていただいておりますが……。

昨日の笠置寺に続きまして、解脱上人が晩年移り住まわれて復興された海住山寺。海住山寺においては解脱上人は中興の祖と崇められます。

御本尊の十一面観音も、私たちが訪れた際にはまだ奈良国立博物館にはおでかけでなかった為、本堂で有難く拝ませていただきました。先日訪れました解脱上人展で再度ご対面。そのお姿を360度から拝見し、ありがたい事でした。




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国宝 五重塔

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ここ海住山寺。本当に海の上にぽっかり浮いた島のようなのです。この辺り、少しお山を登るとどこからでもこのような素晴らしい景色に出会えます。

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笠置寺 -京都府相楽郡-




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元弘の乱等により、今は光背を残すのみの磨崖仏(約15メートル)


先日、会期ぎりぎりでかけこんで拝見してきました、解脱上人貞慶展(奈良国立博物館)。
自らを律し続け、弟子の接化に尽くし、死してなお深く尊崇の念を集めたその生き様がよくわかる展観でした。

なぜか今年は特に解脱上人を意識したわけでもありませんのに、800年の大遠忌という記念すべき年であるからか、導かれるかのごとく上人ゆかりの寺を巡っています。

というよりも、最初はこちらの笠置寺、お水取りに興味を持ち、実忠和尚が十一面観音悔過の行法を感得した場所、そして磨崖仏を拝みに訪れたわけなのですが、解脱上人が興福寺を後にし、入寺された寺でもあったわけです。

奈良仏教、大仏造営、東大寺お水取り、木津川沿いの十一面観音、若狭との繋がり。白洲正子著『十一面観音巡礼』を読みながらその地へ赴くと、点だったものが繋がりはじめ、だんだんと線になってきています。面白いものです。

昨年4月に土樂窯・福森雅武先生に取材をさせていただいた時に、「いろいろ実際に訪ねて見てごらん、もっと楽しくなるから」と仰っていただき、そのようにしてみよう!と思い、色々とでかけていますが、漸くぼんやりとわかってきた今日この頃です。さらに楽しくなってきています。
自分の足で訪れる……、尊い事なのですね。

ちなみに解脱上人展。お次は関東!!!神奈川県立金沢文庫にて開催。お見逃し無く!

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虚空蔵磨崖仏
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油日岳 油日神社の御神体 -滋賀県甲賀市-




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あたりの風景に大地、そしてお社、全てにおいて最も美しい神社の一つ、油日神社。

以前参拝した折に、こちらは里宮で、その後にそびえる油日岳が御神体。そして頂上に奥宮が祀られていると知り、是非一度登ってみたいと思っていました。

この、油日岳の山頂に、油日大明神が降臨し、その際大光明を発したとの事。
山頂まで694メートルとありましたので、油断していました……。

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最初は山菜などをみつけては楽しみながら意気揚々と歩いていたのですが、途中から、道が無い……のです。登山をするような山ともまた違う為か、整備されておらず、途中沢登りのような事になっていたり、坂を這い登るような形で、引き返した方が良いのだろうか……との一抹の不安を抱きながら、汗だくになり進みました。

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上音羽の磨崖仏 -大阪府茨木市-




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先日より南蛮づいている友人と私は、かのフランシスコ・ザビエル像(教科書に載っている、皆が知っているあれです)が見つかった隠れキリシタンの里(茨木市千提寺地区)を訪ね、キリシタン遺物資料館にお邪魔しました。

そちらの受付にあった、茨木市の史跡などを紹介した地図に見入ってしまいました。

「磨崖仏が近くにある……」。

これは行くしか無い!と訪れた上音羽の磨崖仏。
車を降りて、いまいち道がわからぬままに、尋ねる人も全くいない中を歩いてゆき、ようやく農作業をしている方に遭遇。

「磨崖仏はどこにあるんですか?」。

「あぁそれならうちの前やわ」。

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なんと御宅の真ん前にあったこの磨崖仏。
幅がおおよそ6メートルもあり、約30体の仏さまが彫られており、「甲戌天正二年十一月十五日」(桃山時代)と刻まれているそうです。
このあたりの村人たちが、“現世があまりにも厳しい為、来世に望みを託し、生きている間に自分自身の姿を石に彫り込んだもの”だそうな。
修行僧などが彫った、京都や奈良や滋賀の立派な磨崖仏も良いのですが、こういった庶民の“思い”が刻まれたものも、またしみじみと心を打つものですね。

ちなみに、ここからもっと山深いところに、絶海中津隠棲の地の石碑があるようでした。やはり足を運んで訪れると、色々と豊かに想像できますね。

余談ですが、磨崖仏のありかを教えて下さったおばさま、「抜きたての堀りたてやから、持って帰り!」と、たくさんの玉ねぎとじゃがいもをくださいました。都会育ちには涙するほどに感激の交流です。

普段は、オーガニック野菜などに多少こだわっている私ですが、このお野菜がどうかなどという事はどうでもよく、愛情たっぷり育てられた野菜は、何ものにも代え難いほどに光り輝いていて、命の有難さを感じ、生きた教えをいただいた感ありでした。

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羽賀寺 -福井県小浜市-




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白洲正子著『十一面観音巡礼』に紹介されており、前々からとても気になっていた羽賀寺にも訪れてきました。
*前回までの小浜市の素晴らしい名刹はこちら(萬徳寺神宮寺明通寺)。

羽賀寺は、真言宗のお寺で、霊亀2年(716年)に、元正天皇の勅願によって行基が創建したとされる古刹です。昔は子院を数多く有していたそうですが、現在は室町中期建立の本堂を残すのみとなっています。

駐車場から歩いて山の中へと入っていき、こんもりとしたお山をバックにひっそりと佇む本堂が現れた時の美しさを、どう表現すれば良いのかわかりません。有難いなぁ……と思うのみ。

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そしてお堂の中へと入らせていただき、十一面観音様と近く対面させていただきます。
十一面観音にも様々な様式のものがありますが、こちらのは正統派美人というのでしょうか、「美しい」のです。
なんと華奢で上品で美しいのか…。と、お顔やすらりと伸びた腕に見入っていましたら、それもそのはず、元正天皇(女帝です)のお姿をうつしたと伝わるそうな。
数々の戦火や天災をどう免れたのか、彩色までも美しく残っているのです。

小浜にはたくさんの名刹が残っています。
お水送り縁の寺、国宝を有する明通寺などの立派なお寺のみならず、このような、時代を経てひそやかに守られて来たお寺にも是非お参りしていただきたいなと思いました。

小浜寺社探訪はこれで終了しますが、また近々小浜には寺社巡りにでかけたいものです。

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明通寺 -福井県小浜市-




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国宝の本堂

このところ度々お伝えしております小浜日記です。今回は、本堂・三重塔共に鎌倉時代中期の創建で、いずれも国宝として名高い明通寺。
真言宗御室派の寺院で、806年、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐に際して創建したと伝えられているそうです。

何の因果か、台風なみの嵐の中の拝観となりました。お堂の中にいましても、外の風雨の激しさがわかります。「長い間、どのような厳しい天候にも耐えて来てくれたのだな~……」と。
このような日に拝観するのも、いつもとは違う想像ができて良いものですね。古より人々の信仰を集めた有難い寺院が、今なおこのように拝観できる事がひときわ心に染み入り、感謝の念も増すというもの。



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国宝 三重塔

こちらの本堂と三重塔の美しさは格別。長い階段を上がってその先に本堂と塔が見えると、もう言葉になりません。

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萬徳寺 -福井県小浜市-




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書院前から望む庭園


4月終わりに訪れました小浜市。
先日ご紹介しました神宮寺の次は、国指定の名勝庭園があります、萬徳寺です。
元は天台宗であったのが、室町時代に真言宗に改宗されたそうで、その後は小浜藩主の休憩所の役割も担った為、書院もどこか瀟洒な雰囲気、また、そちらから眺めるお庭の美しさは格別です。

金剛界曼荼羅を現すこの庭園、中央には真言密教の本尊、大日如来がおはし、そこを中心として広がるお庭の様子はまさに宇宙の真理を現すかのごとくなのでした。地形もうまく利用されていて、風景に溶け込んでいるかのようなお庭なのです。

おそらく現在は、若葉も青々とそれは眩いばかりで、つつじの花も美しく咲いている事でしょう。
季節ごとに愛でたくなるようなお庭で、個人的にいたく気に入りました。
小浜には、魅惑的な寺社ばかりです。次回につづきます。

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書院
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お水送りの寺・神宮寺 -小浜市-




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本当は人生初の東大寺・お水取り拝観の前に、お水送りの行事に参加してみたかったのですが叶わなかった為、今後参加する時の参考に、若狭小浜の神宮寺さんにお参りしてきました。

本堂には本尊の薬師如来、脇侍仏、そして十一面千手観音がおはします。向かって右側には、神号の軸もあり、やはり今もなお、神仏混交のなごりを色濃く伝えるお寺なのでした。

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お水送りでは、この、神宮寺境内にあります閼伽井戸(あかいど)で汲まれた御香水が、



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神宮寺から1キロほど歩いた遠敷川の鵜の瀬にて流されます。

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光明寺 二王門 -京都府綾部市-




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4月22日、まだ雪が残っていました。

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599年、聖徳太子による開創と伝えられる光明寺です。本堂と二王門は少し離れた場所にありますが、せっかくの綾部行きでしたので、暴風雨で折れた枝木の舞う中訪れてみました。
人里離れた山中にあるこの寺院。昔は大寺院だった事が偲ばれます。役行者さんが修行したとも伝えられているそうな。
ですが、明智光秀の丹波攻めで焼き討ちにも合い、衰退したようです。

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日吉大社 -滋賀県大津市 坂本-




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桜が咲く前のまだ少し寒い頃に、比叡山の麓(滋賀県側)にある日吉大社を訪れました。

以前、大津市歴史博物館にて、-神仏います近江 日吉の神と祭-を観て以来、ずっと参拝してみたいと思っていたのです。
今年は憧れの山王祭参加は都合上叶いませんので、空気だけでも感じに……。


学生の頃からよくでかけていたとある百貨店の美術画廊。そちらでの展観をプロデュースされている方には様々な事を学ばせていただいたのですが、彼がこの日吉大社のある坂本に住んでおられました。
「とても良い所なので遊びにいらっしゃい」と言われていたのですが、まだ若く、都会育ちだった私にとっては、滋賀のこのあたりといえば単に“田舎”、“何も無い所”(無知とは悲しいものですね)と、特に関心を示さなかった事を思い出しました。
そんな事を思い出しながら訪れた坂本の地ですが、大地のパワーがものすごい土地で、彼の言っていた事はこういう事だったのだな……と、今にしてようやくわかった次第です。

日吉大社の創祀は今を遡る事およそ2100年前といわれます。そのようなはるか古より、人々の信仰を集めた土地。元々“何かある”土地なのでしょうが、信仰の対象として参拝されるうちに、その参拝者の“気”がまた土地を磨く事になるのでしょう。とても気持ち良く清々しい心持ちで参拝させていただきました。

神仏混交の時代の雰囲気を今に伝える日吉大社。
比叡山参拝後に、滋賀側の散策をされるのもまた一興です。

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奈良の溜め池




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奈良市にある五徳池。
何の変哲もないただの溜め池のように見えるが、じつは平城京の時代からあるという由緒正しい池だそうな。教科書にも載っている平城京復元図の東南角に描かれている、あの池である。当時は現在の倍近い面積があったとのこと。

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二十二社の朱印




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何年か前から、寺社の朱印集めがちょっとしたブームらしい。参拝の記念、神仏結縁の証しになることは勿論だが、黒々とした墨痕と鮮やかな朱印とのコントラストは、視覚的にも美しい。

神社・寺院の区別や順序などにこだわらず、一つの朱印帳に漫然と集めるのもよい。しかしテーマを立て、順番などにもこだわりながら集めると、目標が出来て達成感も異なり、何より勉強になる。

仏教では早くから四国八十八箇所や西国三十三所など、決まった霊場寺院の巡礼が確立していた。江戸時代になると、それぞれの地域でミニチュア版の巡礼経路と寺院が定められるなど、庶民に親しまれた。

問題は神社だ。諸国一宮には専用の「全国一の宮朱印帳」がその筋により用意されていて、テーマと目標を決めて参拝・集印できる。

しかし一宮巡拝の難点は、膨大なこと、全国に散在すること、普段は無人の神社も多く事前連絡を要することなど、そのハードルは高い。相当な覚悟がないと、そのすべてを参拝することは一生かけても覚束ない。

私は10年ほど前、独自にテーマを立て、二十二社と呼ばれる神社を巡拝したことがある。二十二社とは、平安時代より朝廷から奉幣を受けた最高格の神社二十二のことである。

 伊勢神宮
 石清水八幡宮
 賀茂神社
 松尾大社
 平野神社
 伏見稲荷大社
 春日大社
  (以上、上七社)
 大原野神社
 大神神社
 石上神宮
 大和神社
 広瀬大社
 竜田大社
 住吉大社
  (以上、中七社)
 日吉大社
 梅宮大社
 吉田神社
 広田神社
 八坂神社
 北野天満宮
 丹生川上神社
 貴船神社
  (以上、下八社)

いずれも近畿周辺の鎮座で、一部を除き参拝するのにさしたる困難はないだろう。数も多くはない。伊勢の内宮・外宮、賀茂の上賀茂・下鴨、丹生の上社・中社・下社を加えても二十六社である。遼遠とした目標ではないので挫折する心配もない。

番外としては広島県の厳島神社が考えられる。今年の大河ドラマの題材でもある平家の崇敬した神社だ。平安末期、平家の隆盛とともに厳島も加えて二十三社にしようという企てがあったが、結局沙汰やみとなったという。二十二社に準ずる神社と言えよう。

もちろん二十二社巡礼は私が勝手に始めたものだから、専用の朱印帳などない。二十二社の社格にふさわしい立派な専用朱印帳があって喜ぶのは私だけかも知れないが、神社関係の方、いかがでしょうか?

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二十二社について記した文献『二十二社註式』の写本(個人蔵)
著者未詳ながら、この写本には奥書に「兼右」と明記してある。
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春の訪れ -東大寺二月堂修二会-




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関西に春の訪れを告げると言われる、東大寺二月堂の修二会に初めて参拝してきました。

御存知の通り、その年に選ばれた練行衆と呼ばれるお坊さん(行者)たちが、二月堂におはします十一面観音様に、過去の罪を懴悔し、その功徳により仏教の興隆、天下泰平、五穀豊穣などを祈る行事です。

ニュースなどでよく見られるお松明が終わった後、二月堂内では深夜(この日は深夜1時前まで)まで法会が続きます。
最初は、寒さで耐えられなくなるのでは……と思っていましたが、だんだんと寒さも感じなくなり、「我々日本国民に代わって、厳しい行を執り行なって下さっているのだな。この祈りは、ほんとうにありがたいな……」と頭の下がる思いがこみ上げてきます。


さて、そんな厳しい修行と祈りの場なのですが、白洲正子著『十一面観音巡礼』に、白洲さんが円地文子さんに初めてのお水取りはいかがでしたかと問うと、「昔の芝居みたいで面白かった。……こんなことをいうと、しかられるかも知れないけれど」と仰ったとあります。

確かに、お松明が終わった後、堂内での法会を拝見するまでに食事をしてみたり(お酒を呑んでいる一行も)、堂内も、人の出入りが比較的自由で、厳粛ながらもおおらかな様子が、まるで芝居見物のようであったのは確かなのでした。

このひとつの法会に、奈良が発祥で神道の儀式と縁の深い猿楽、そこを原点とするお能、狂言、そして山岳信仰の山伏の儀式めいた事、あらゆるものが入り交じっているようで、なんとも不思議な世界にいざなわれた感を抱いています。私は本当にあの夜、あそこにいたのだろうか……と思うくらいに。
この奥の深さは、そのまま日本人の、日本の文化や伝統の奥の深さを反映しているような気がしました。

関西に春を告げるお水取りが終わり、明日は“暑さ寒さも彼岸まで”のお彼岸。
今年はいささか寒い春の訪れとなっていますが、ようやく、本格的に春めいてくることでしょう。

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行者堂 -三重県伊賀市-




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昨日の正月堂に引き続き、近くの行者堂(伊賀市島ケ原)も訪れましたのでご紹介を。

“行者”と名がついているので皆さんもおわかりかと存じますが、役行者(えんのぎょうじゃ)ゆかりのお堂です。
巨大な岩盤の重なる隙間に、役小角(えんのおづぬ)が祀られています。江戸時代に大峰山からもらいうけたと言われる像だそうです。私が今まで見てきた像よりも若く凛々しく美しいお姿をされた像でした。

この、役小角。修験道の祖と崇められますが、伊賀忍術にも関係しているのでは?!との説もあるようで、確かに数々の伝説を思えば、さもありなんと思うわけで、想像膨らみます。

川を挟んで対岸には、南北朝時代の作と伝わる阿弥陀磨崖仏があります。
阿弥陀如来様なわけなのですが、密教と関わりの深い役行者が祀られるようになり、大日如来として崇められるようになったのだとか。なんともおおらかなこと。
南北朝時代の作ながら、はっきりとそのお姿を拝見できました。

木津川の上流で、その水の清らかさも清々しく、寒いながらも気持ちの良いお参りとなりました。
正月堂まで来られたなら、是非こちらにも。
その他にも様々な歴史が刻まれている土地。この界隈はとても興味深いです。

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正月堂 -三重県伊賀市-




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三重県伊賀市は島ヶ原にあります、正月堂(観菩提寺)を訪れました。

こちらは、東大寺の別院とも伝わり、毎年2月の11日、12日に行われる修正会(しゅしょうえ)が東大寺のお水取りの起源ではないかと言われているそうで、まさにその東大寺にてお水取りを始められた実忠和尚(じっちゅうかしょう)が開山と伝わるようです(元々この地に草庵があったのを再興したとの伝もあり)。
今度は機会があれば、この実忠和尚がお水取りの行法を授けられたといわれる笠置寺(京都府相楽郡)を訪れたいと思っています。

古都奈良に春を告げる修二会の行事を来月に控え、私の関心はその縁起などに向けられていますが、なかなかどうして色々な伝説があり、夢のよう。とても面白いものです。

こういった古から続く行事の事を色々と調べ、関係する地を訪れてみると、今まではバラバラだった日本の歴史や宗教や様々な土地と土地との関連性が、少しずつ線となって繋がり、身に染みてわかってきて、さらに楽しくなってきます。

福森雅武先生が、「なんでも、自分の足で訪れて自分の目で見て、体感してきなさい」と仰るのがなんとなくわかってきたように思います(まだまだと言われるでしょうが……)。

ネットやテレビに溢れる情報のみで、知ったつもり、わかったつもりにならぬよう、気をつけたいものです。

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碁石山 -小豆島八十八箇所・二番札所-




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先日の一番札所に続きまして、二番札所です。
神仏習合の名残で、巨大なお大師さんが上の写真のような風景を見下ろし、小豆島を守って下さっているよう……と思えば、金毘羅宮も祀られていたりします。

修験の場であった事を伺わせる断崖を登ってゆくと、浪切不動尊が。拝した事の無いような趣のお不動さん。このあたり、足がすくむような岩場ですが、登ってゆくと素晴らしい景色も堪能できます。

行者さんは、こういった山の上から下界を観る事で、自身をも俯瞰して観るような修行をされるのでしょうか。

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浪切不動尊。航海の安全を祈願するお不動さんなのだとか。また、私たちの人生の荒波をその剣で切って払いのけて下さり、水先案内人となってくださるのだとか。
力強い不動尊、私は大好きです。

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油日神社 -滋賀県甲賀市-




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白洲正子さんの著書、『かくれ里』に紹介されており、前々から一度訪れてみたかった油日(あぶらひ)神社を参拝。

山深い甲賀の地。道中、ある地点を過ぎたところから明かに大地のパワーみなぎり、静かながらも力強い気を感じる地域に入ってゆきます。

そうして辿り着いた油日神社。
村の人々によって、はるか古より、大切に大切に守られてきたよどみないその清らかさに、心打たれる佇まいなのでした。

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今回は日曜日で拝見できなかったのですが、次の機会には是非、油日神社所蔵の“福太夫”の面と、“ずずいこ様”を拝みたいと思っています。

詳しくは、白洲正子著『かくれ里』(講談社文芸文庫)に。
この地域の村に残る“宮座”(信仰を中心にした氏子の集団)の事や、日本の原点とも思える豊穣を祈る行事などについてとても興味深く紹介されています。
日本というもの、日本人というもの、これからの日本を考える上で欠かせない事を、故人の著作から学ばせてもらっています。

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洞雲山 -小豆島八十八箇所・一番札所-




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弘法大師空海が、讃岐と京を往復する際に度々立ち寄ったとされる小豆島。
そんな小豆島にも、島内に八十八箇所の霊場があります。

訪れましたのは、一番札所の洞雲山。杉の巨木が鬱蒼としげる中をゆくと、大師堂が(下写真)巨大な岩盤の下にあります。
さらに周辺の岩場には洞窟から垂れ下がる鎖があり、ここが修験の地である事を思わせます。
知り合いの真言宗のお坊さんもよく山ごもりをされていましたが、そのような行者が夜坐をするのでしょうか。私ならば恐怖で5分と持たないでしょうが、真言宗といえば同行二人。お遍路さんのみならず、修行僧においても、「いつもお大師さんと一緒」というその強い気持ちが、修行を支えるのでしょうか。

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小豆島、訪れてみると思っていた以上に興味深い島です。
さらに続きます。

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農村歌舞伎 -小豆島-




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昨年末に訪れた小豆島にて。
かなり気になったのが、毎年5月と10月に行われる農村歌舞伎(国指定有形民族文化財に指定されています)の舞台。
中山の舞台と肥土山の舞台とがあり、どちらも訪れてみました。

まずは、春日神社の境内にある中山の舞台(上写真)。茅葺き寄棟づくりです。
どこにも無いような雰囲気と形の舞台。なのにとっても懐かしくほっこりとした気持ちにさせられます。

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狛犬もこれまたなんとも可愛らしい風情。
毎年春日神社の奉納芝居として、10月に上演されるのだとか。

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ダライ・ラマ法王の通訳者 -マリア・リンチェン女史-




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ブータンのチベット僧院にて

どれだけ引っ張るのですか?という感じですが、お付き合い下さいませ。
またまた先日のダライラマ法王の講演についてです。

大阪、高野山の講演で、私が非常に感銘を受けた事の一つに、“同時通訳の方の通訳の素晴らしさ”があります。

私が約十年ほど前に、京都の精華大学にて初めて猊下の講演を拝聴した時には、やさしい英語での、主に学生に向けたお話であった為、仏教の専門用語が出てきたり、哲学的な見解が出てきたり…といったお話はほぼ無かったように記憶していまして、特にその時の通訳者の方が誰であったか……などは気になりませんでした。
また、何冊かダライ・ラマ猊下の書籍を読んではいますが、その際にも、書籍である為に、特に翻訳者の方について気にするという事はありませんでした。

ですが今回、大阪での講演は、龍樹菩薩(ナーガルジュナ)の『中論』から“空”の理論についてまで詳しく解説がなされ、通訳者の方が、非常にわかりやすく即座に的確に日本語に訳されていました。

法王猊下の1つのお話もなかなかに長く専門的で、これは、チベット語や英語を単に日本語に同時通訳できる……というだけでこなせるような内容ではなく、仏教・ことにチベット仏教の深い理解と知識が必要とされる内容でした。

いったいどのような方なのだろう……と思っていましたが、先日家でダライ・ラマ法王の『心の平和』(サンマーク出版)を再読していた際に、もしやと訳者の方のプロフィールを見て、「この方に違いない」と思いました。

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白毫寺 -奈良市高畑町-




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大好きな地蔵菩薩がおはします、白毫寺の初秋。

5月にお邪魔した際には、その姿も忘れるほどに刈り取られていた萩が、こんなにも生い茂っていました。残念ながらちょうど花は終わった頃。京都では同じ時期萩の花が真っ盛りでしたから、この小高い地にあるお寺は、やはりいささか気温が低いのでしょうか。
何度来ても見飽きない、眼下におおらかに広がるまほろばの地。生涯通い続けるのだろうなと思います。そういう寺があるのは、なかなかに良いものです。前回来た時の自分と今の自分を思います。

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頭塔 -奈良市-




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頭塔。「ずとう」と読みます。
奈良時代の塔ですが、いまだに説明を読んでも私にはいったいこれが何であるのか理解するに至っていません。
そういった学術的理解はさておき、民家の中に突然現れるこの仏さんの数々に圧倒され、京都よりまだ一昔前の時代のものが、当たり前であるかのように町中に残っている不思議とありがたさに満たされるのです。
口をぽかんとあけて、「はぁ…」「ほーっ」と感嘆の声をもらしつつ周りをぐるっと一周させていただきました。

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翁舞 -奈良豆比古神社-




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5月に訪れた際に、必ずや10月8日の翁舞を観にでかけよう!と誓い、早くもその日が訪れました。
20時前から始まる舞の奉納ですが、連休の初日という事もあってか、私が神社に到着した18時前には席を取る為に早めに来ている方もちらほら。それでも、最前列を確保できました。

席を確保すれば、普段は奈良国立博物館に寄託してあるという、神社に伝わるさまざまな面を拝見しに、収蔵庫の方へと向かいます。
保存会の会長さん(この方がもうなんとも言えない好々爺、まさに生き翁でした)に色々と説明していただき、来年は修復された衣装(御所より賜ったのではないかと推測されるらしい)も展示するとの事で、またまた興味津々ですが、来年を調べましたら月曜日。はてさて、ゆけるでしょうか?!

ろうそくと松明に火が灯され、いよいよ始まった舞。
天下太平・五穀豊穣を願い奉納され、恐らくは長い間、ほとんどその形を変える事無く民間に伝承されてきた舞には、魂ゆさぶられるものがありました。
洗練された能の舞などとは違うのですが、かえってそれがなおのこと良く、土着のあたたかさがあります。とこしえに受け継がれていって欲しいと願った夜でした。

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伊勢神宮に参ってきた




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暑い日だったが大変な人出で、かつてのおかげ参りもかくや思うばかりであった。いつもこんな感じなのだろうか。さすがお伊勢さんといったところだ。

昔聞いた話では、半ズボンで社域に進入すると神主さんや衛士さんに注意されたというが、暑い盛りかハーフパンツの大人や子供も多い。ごく軽装の女の人も結構いる。ドレスコードが緩くなったのか、暑い日は黙認なのか、それともあの話はウソだったのか。

周りを見ると、鳥居の前で一礼したり、手水を作法通りに使ったり、二礼二拍手一礼をきちんと守っている人が意外と多い。感心しながら見ていると、見慣れない光景に出会った。参拝者が賽銭箱の前で行儀よく二列に並んで拝礼の順番を待っている。まるで駅で列車を待つ乗客のようだ。日本人の秩序意識を象徴するかのような光景だが、昔からの作法なのか、近頃できたものなのかは知らない。

ともあれ、わたしも他の参拝者と同様に皇祖大神の宝前にぬかづいて和光同塵の神恩を謝し、敬神尊皇の微衷を捧げたことは言うまでもない。

正殿から荒祭宮の方に足を向けると、途中の大木にちょっとした人だかりができている。ははあ、これが今はやりの何とかスポットというものかとピンと来た。みなさん神妙な面持ちで木に手を触れたり、シャッターを切ったりしている。どんな効果があるのか知らないが、木の方は多くの人に触れられた効果によってテカテカに光っていた。

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ダライラマ法王の来日




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チベット仏教僧_ブータンの僧院にて

10月、11月にかけて、私が心から楽しみにしているダライラマ法王の来日。
10年前に京都での講演を聴いた時の事がいまだに鮮明に思い出されます。
お出ましになられた途端、広い会場は全ての人を包み込むような大きく温かな雰囲気に満たされました。そして、人と接する事が苦手だと話す大学生の子を抱き締められた時は、会場中の全員が抱き締められている気持ちになった瞬間でした。

あれから10年を経て、色々な人生経験を新たに積んだ今、法王のお話は自身にどのように響くのか……。高野山と大阪での講演、どちらにもでかけて参ります。

まだ大阪講演の席は残数があるようです。ご関心おありの方は是非どうぞ。

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御手洗祭―あしつけ神事  -下鴨神社-




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毎日どこかでその季節の行事が行われているのでは?という京都ですが、その行事には宮中やいにしえの貴族達の行事などが深く関わっています。今回もその1つ、夏の土用の丑の日の前後に行われる、下鴨神社でのあしつけ神事にお邪魔してきました。

罪けがれを祓い、病を得ぬよう願い、冷たくて足の感覚が無くなるくらいの御手洗池を歩きました。最近少し涼しい日が続いたせいもあってか、水の冷たさに泣き出す子供もいるくらいで……。
冷え性の私は普段足をあたためているのに、こんな冷たい水に入るとは。既に何の感覚も無いな……と思いながらも、いやこれは有り難い事…と御手洗池から出て、御神水をいただき歩き出すと、足先から身体にかけてがぽかぽかと活性化されてあたたかい事!
足から毒を出し、穢れを祓い、新たに生まれ変わったような心地まで抱くのでした。
身心共になんとも清々しい心地。

それにしましても、老若男女があしつけに集う姿は、一種異様に感じる程でしたが、昔むかしから、人が願う事、人の悩み苦しみは、変わってはいないのだな…と思う、素晴らしい京都の風習なのでした。

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水無瀬神宮 月釜




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大阪府三島郡、水無瀬神宮での月釜にお邪魔して参りました。
亭主は、以前弊所でも大変お世話になりました、堀内宗心宗匠

この日、私が何よりも深く感じ入りましたのは、節度あり、常に精進ある日々の暮らしや心の在り方、積み重ねてきた鍛錬修練…といったものは、隠そうにも隠しきれない輝かしい光、雰囲気となってその人が身に纏い、また、その人の周りにいる者への熏習(くんじゅう)計り知れないのだな…という事でした。

宗心宗匠が亭主のこの日の水無瀬神宮は、茶室内のみならず、外にもその御心、御人柄が満ち満ちているようで、暑い暑い一日でしたが、なんとも爽やかで穏やかな素晴らしいひとときを味わえたのでした。

男であるのか女であるのか、お歳を召されているのか赤ちゃんなのか、宗匠を拝見していると、もう色々な境界が取り払われているようで、何の角も無く、まぁるくていらっしゃるのです。
長い間坐禅、参禅修行をされ、茶の湯の道への精進を今のような地位になってなお怠る事の無いお方だからこそなのでしょう。
一言も発されずとも、本当に大きな素晴らしい道を指し示して下さるのです。自分も一生、凡夫ながらも少しずつでも精進してゆきたいと気を引き締められる思いなのでした。


茶会とは、もちろん茶室内の亭主の心入れやもてなしを学ぶ場でもありますし、一服いただいて浮世の様々を忘れるひとときでもあるのでしょうが、この日に感じた精神をこそ、学ぶ時間なのであるな…と、改めて自分の人生と共に茶の湯の道がある事を有り難く思ったのでした。

日々の生活そのものというのは、隠しきれないものとなってその人から滲み出ます。
日々ご一緒に精進致しましょう!

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月読神社の石碑




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松尾月読神社の社前で「押見宿祢霊者遺跡」という石碑を見つけた。昭和42年に松室同族会によって建立されたという。
松室氏は本姓壱岐宿祢、月読神社の初代祠官であった押見宿祢の子孫であり、同社の社家である。中世以降数家に分かれて神社に奉仕したが、明治に入り世襲神職の制が廃されると松室氏も神社から離れて四散した。この石碑は押見宿祢霊社の跡に建立されたものという。1500年の長きにわたり神に奉仕し続けた一族の歴史を偲ぶよすがは、現在この石碑の他にはほとんど見当たらない。

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松尾月読神社




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松尾大社の南方に鎮座する松尾月読神社。『日本書紀』顕宗三年条によれば、神託によって壱岐島の月神を葛野郡に祀り、壱伎県主の先祖の押見宿祢が祭祀に当たったという。
もとはより桂川に近い地にあったが、河水による侵食を受けたため、斉衡三年(八五六)に松尾の南の山である現在地に遷座された。『延喜式』では名神大社。

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最福寺跡




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最福寺は西芳寺(苔寺)のある谷の入口付近にあった寺院。
平安末期に天台宗の延朗によって開かれた大寺であった。
この寺院も他の例に漏れず応仁文明の乱によって衰退、現在はこの延朗堂が残るのみとなった。堂内には鎌倉時代の作という延朗上人の木像を安置する。

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和紙の品格―山崎吉左衛門作品展 -得浄明院-




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京都は東山区、知恩院近くにあります信州善光寺さんの別院、-得浄明院-にて、檀紙制作の第一人者、山崎吉左衛門氏による様々な檀紙の展観と、山根折形礼法教場、山根一城氏による“折形”の展示がありましたのでお邪魔してきました(5/13まで)。

その歴史を600年前にまで遡る事のできる“折形”。皆さま御存知ですか?
様々なものやお金などを和紙で包み、人様に差し上げる。その方式の事を“折形”といい、送る物の格や金額に応じて使う和紙から折り方、包み方など、様々な決まりごとがあります。

四季や陰陽までをも考える為、様々な知識とセンスが必要な上に、一度折り間違え、筋がついてしまった紙は二度は使わない、精神統一を必要とする礼法で、まさに日本の“道”というべき世界に誇る文化です。

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白豪寺 -奈良市-




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以前より気になっていたお寺、白豪寺(びゃくごうじ)を訪れました。
古い家屋が並ぶ狭い道、時に田畑を望みつつ歩みを進めます。
立派な参道があるわけでもない、でも、ひっそり佇む古刹への、こういった中を歩く“思索の時”こそ、かけがえの無い時間のように思えます。
途中、縁起物の象徴、石榴の実がはじけていたり、柿の実がたわわに実っていたり、空高く真っすぐに伸びた木が紅葉していたり……。

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長い階段を登って辿り着くと、そこからは……。

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新薬師寺 -奈良市・高畑-




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新薬師寺。
遷都1300年、ゆかりの品々が展示される正倉院展も開催され、1250年御遠忌の年にもあたる注目の人物、光明皇后が、夫である聖武天皇の病気快復を願い、天平19年(747年)に創建されたお寺です。
当時は荘厳な伽藍を誇ったようですが、唯一残ったお堂が現在の本堂となっています。
御本尊は薬師如来。そのまわりをぐるりと囲む十二神将は我が国最古・最大のものだそうです。

田畑や低く連なる山々の景色を楽しみつつ住宅街を歩いてゆくとひっそりと佇む古刹。
間近に拝む仏像。奈良の空気そのもののような、おおらかな雰囲気をたたえた屋根。
京都の寺社も好きなのですが、まほろばの里、奈良の寺社への憧憬の念はまた格別です。

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香椎宮




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福岡県福岡市東区鎮座。仲哀天皇熊襲征伐の折、橿日宮にてにわかに崩御、神功皇后はこの地に仮に天皇の御棺を安置し、そのみたまを祀ったのに始まるという。
香椎の名は『続日本紀』『万葉集』など、奈良時代から見える古社だが、『延喜式神名帳』にはその名は記されていない。これは香椎宮が別名香椎廟と呼ばれていたことからも伺えるように、古代には仲哀天皇の廟として認識され、山陵に準じた扱いがされていたらからではないかと言われている、他の神社と同様のものとして扱われるようになったのは平安中期ころのことと考えられる。

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神魂(かもす)神社




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島根県松江市にある神社。式内社ではないが古い由緒を伝え、杵築大社(出雲大社)の宮司家である出雲国造家の継承儀式は旧意宇郡であるこの地まで出向いて行われたという。近くにはその時滞在した国造館の跡もある。
出雲国造はもとは出雲東部の意宇郡を本拠とした大豪族で、出雲西部の出雲大社の神職専任と定められるまでは意宇郡の郡司も兼任していた。

写真は室町時代に建てられた本殿。
現存最古の大社造の建造物として国宝に指定されている。
今拝すれば柱・梁・桁は太く床高く、屋根の上には内削ぎの千木を戴く。
その雄大かつ荘厳な姿はまことに大祓詞の「下つ磐根に宮柱太敷き立て、高天原に千木高知りて」の語句そのままであり、高天原の神の宮居もかくやと思うばかりである。
出雲大社再建の手本となったという話も頷ける。
神社建築の美を遺憾なく発しており、見る者を魅了せずにはおかないだろう。

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お知らせ -トゥルク ジャミヤング リンポチェ来日講演-

先日こちらでもご紹介しました、チベット仏教僧・トゥルク ジャミヤング リンポチェの東京講演が開催されますので、ご案内させていただきます。



時 :9月5日(日)
   午前の部9:00~11:30 午後の部13:00~16:00
場所:田道三田分室住区センター2階 第三会議室
料金:午前の部 3000円  午後の部 2500円
  (諸事情により値段に差がありますがどうぞご理解ください)

申し込み:主催者の瀬上貴稔氏にメールで前日までに申し込みをください。
メールアドレス: segatak hotmail.com(hotmailの前に、@を入れて下さい)

とてもシンプルに、わかりやすく仏教の教え・真理をお話くださいます。
シンプルでわかりやすいからこそ、その教えは胸に残り、聴いた者に“気づき”を与えてくれます。
是非お時間の都合がつけば、ご参加なさってください。

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高野山にて




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初めて高野山へお参りにでかけました。
宗派を問わず信仰されるお大師(弘法大師)さんの聖地。
世界遺産にも登録され、「最近はもう観光スポット的になっているんじゃないの?」などという思いもなきにしもあらず。
ですが、実際訪れて、自分のそんな思いが一掃されました。百聞は一見に如かずとはよく言ったものです。世界遺産に登録され、多くの人が訪れ、魅了されるのも当然で、素晴らしい事と感じました。
それは、奥の院の弘法大師の御廟を目にした時、「あぁ、弘法大師さんは生きてはるんやん」と自然と頭に湧いてきたからです。
何故そう思えたのか自分でもわかりませんが、威厳に満ち満ちた、邪悪なものを一切寄せつけないような神聖なパワーに圧倒されてしまいました。“気”をいただいて帰って参りました。
御廟をお参りする間中、「すごい…」という言葉しか出てこなかった私でした。

後で色々と調べてみると、Wikipediaでは、「真言宗では、宗祖空海を「大師」と崇敬し、その入定を死ではなく禅定に入っているものとする。高野山奥の院御廟で空海は今も生き続けていると信じ…」とありました。確かにこの身で感じてまいりました。

皆さんも高野山へお参りにおでかけになる際は、奥の院の御廟へのお参りをお忘れなく!

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通勤前に蓮見物 -日蓮宗・立本寺-




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この時期になると、毎年通勤前に日蓮宗本山立本寺の蓮を観にでかけます。
今年も本堂前にはたくさんの蓮が。
ホームページを拝見して初めて知ったのですが、かの名将・島左近の墓があるそうな。
有名拝観寺院はほぼ参拝した方、立本寺さんへのお参りはいかがでしょう。
春には桜も美しいですよ!

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元興寺 その2 -奈良-




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昨日にひきつづき、奈良の元興寺をご紹介。
上の写真は、極楽坊禅堂(国宝)。説明は下の写真をクリック。


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元興寺 その1 -奈良-




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美しい鎌倉後期の如意輪観音を拝みに、元興寺へ。
現在は住宅街の中にひっそりと佇むこのお寺。蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺(現在の飛鳥寺)が前進で、平城遷都にともない移されてきたのだという。

奈良時代には、仏教の宗派の1つである三論宗や法相宗の道場として栄え、その伽藍も東大寺や興福寺にひけをとらないものであったという。
奈良というと、京都よりもさらに古い都であるという事からか、カラッとしたおおらかなあの空気が太古のロマンを感じさせるところがあり、当時の伽藍を想像しつつ歩みを進めるのも楽しいものである。

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6月 夏越の祓え




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新しい月を迎え、氏神様にご挨拶にでかけた。>上御霊神社
すると、神殿の前に形代(かたしろ・人形)が。
「そうか、もう今年もこんな時期が来たのか……」と思う。“夏越の祓え”である。
この形代に、名前と年齢を書き、体を撫でて、半年間の間に我が身に積もった罪穢れを移し、後日神社にてお祓いをしてもらうのだ。

6月30日には各神社で祓いの儀式、“茅の輪くぐり”があり、私もくぐりにゆく予定である。
新年を迎えてから半年がたち、新年の抱負・誓いもどこへやら、「人間(というより自分)とは弱く、不確かなものであるなぁ…」と我が身を振り返りつつ、残りの半年をどう生きるのかを改めて考えさせられ、気を引き締めてくれる行事なのだ。

このように、古来より受け継がれて来ている神社仏閣の行事は、その形式を守る事で、我々の心に訴えかけるものをも守っているのだと思う。ありがたいなぁと思う。

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中賀茂神社




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皇城鎮護の神として知られる京都随一の古社賀茂神社は、周知のように上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)の二つの社からなる。
このように二つの社から構成される例は伊勢神宮の内宮・外宮をはじめとして日本の古社の中にはしばしば見られる。

ところで、古い文献には、上賀茂・下鴨のほかに「中賀茂」「賀茂中祠」という名称が現れる。賀茂神社はかつては上・中・下の三社体制であったことになるのである。

なお三社で構成される例も日本の古社ではそれほど珍しいものではない。
この中賀茂について『袖中抄』は上賀茂楼門前にある片岡社を、『菟芸泥赴』は府立植物園の中にある半木(なからぎ)社をあて、『山城名勝志』は社家の説として河合神社の末社である三井社とするなど諸説紛々としている。

これらのなかで注目すべきは『諸神記』の紹介する下鴨神社そのものとする説である。この場合は賀茂川と高野川の合流点付近に鎮座する河合社が下社だということになる。

『元享釈書』行円伝は、行願寺の縁起を述べる中で、いわゆる「カモ伝説」を記し、子神を上社の神、母神を中社の神として特記する一方、下社については何ら述べる所がない。このことからも、中賀茂がカモ信仰における主要な社だったことが推測され、現在の下鴨神社そのものであるとの説も一概に捨て去るわけにはいかない。これらの問題は『山城国風土記』逸文における三井社の比定とも深く関わり軽々に論することはできないが、中世に至っても賀茂神社の主要施設の名称に揺らぎがあった可能性があることは注目される。

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光悦寺 -京都市北区-




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本阿弥光悦という類まれなる才能を持った人に惹かれ、二十歳の頃から十数年……幾度となく通い続けているお寺、京都市北区の“光悦寺”です。

特別立派な伽藍があるわけでもないですし、何かを拝見しに…というわけでもないのですが、何故だかふと訪れたくなる事があり、気づけば十数年もたっています。

ぽつぽつと点在する茶室、いつも清らかな白い菊が生けられ独特の雰囲気を醸し出す光悦の墓、寺の最奥から眺める鷹峯、鷲峯、天ケ峯の鷹峯三山。季節ごとに美しい光悦垣。
それらをゆっくり見て回り、「あぁ、また来させていただきました。ありがとうございます。以前来た時から、またいろいろな事がありました」と、自分の事を振り返りつつ、腹の底から深呼吸するのです。
この場所を訪れ、「あぁ、あの時訪れた時は私はこんなだった」、「あの時訪れた時は私はこれを頑張っていた」など、こちらに訪れる事で過去の自分を振り返ります。

私の事なのですから、どこへゆこうと私の記憶の中ににあるはずですが、なぜか光悦寺に訪れて振り返ります。光悦寺がまるで自分の過去を知っているかのごとく。
私にとって、“心が帰る場所”の一つ、大切な場所です。

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大護摩會 -岩屋山 志明院- 京都市北区




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昨年初めて訪れて衝撃を受けた京都市北区・雲ケ畑にある志明院の大護摩会
本年もありがたい事にお参りさせていただく機会を得ました(4月29日)。
詳しい説明は昨年の記事をご覧いただくとして、本年も訪れて得た感想を。

禅の世界でも、“今”を生きる事を大切にします。そして己というものを明らかにしてゆく……。でも、なかなかに我々は日々の雑事に心奪われたり、煩悩にまどわされ、“今”を大切に生きていられない事があります。
そんな中、節目節目にある様々な行事は、自らを悔い改めるのにとても良い機会を与えてくれます。
私にとってはこの大護摩會もその一つ。お正月を終え、節分を終え、お彼岸を終え、桜が終わる頃、昨年こちらでいただいたお札を焚き、その後の炭の上を渡り、一年の無病息災を願う。

もくもくと燃える護摩焚きの炎や煙を見ていると、自然と「1年護られていたなぁ。あ
りがたいなぁ」というような気持ちが湧き、世界の人々の平和と安心をも願わずにはいられません。また、自身に例え大変な事があった年であっても、「ありがたいな」と心底思えるのです。
そしてこれからまた迎える1年の無病息災を心より願います。

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六角堂は六角形 -京都市-




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最近私が気に入ってよく通っている場所に、京都市中京区にある六角堂前のスターバックスがあります。
ガラス張りになった店内から、目の前に六角堂を拝む事ができます。
いけばな発祥の地でもある由緒正しきお寺を前に一服。界隈では池坊のお弟子さんもよくお見かけし、やはり京都だな…と改めて思えるような場所なのです。

「日本が好き、京都が好き」と言いながら外来のスターバックスで一服か…と思いつつ、妙に京都に溶け込んでいるこの店についてを考え、それは京都の懐の深さ広さ由縁であろう…とまたまた京都贔屓をしてみたり。
なにはともあれ、寺好き人間としては、かなりリラックスできる場所です。

さて、先日六角堂へとお参りし、お気に入りのスターバックスへ入ろうかと思った時に、ふと「展望エレベーター」の看板を発見。下からはなかなか確認しづらい六角形のお堂をエレベーターで登りつつ上から見られるとの事。これは!!!と思い登ってみました。
そうして撮った写真が上の写真です。ん~、確かに六角形ですね(当たり前)。
展望エレベーター。素敵な発見でした。

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日蓮宗 妙蓮寺 -京都・上京区-




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今年も、京都古文化保存協会さんによる、-春季非公開文化財特別公開-が各寺院で行なわれています。
いつも「公開もしていないし……」と素通りしていた日蓮宗妙蓮寺を訪れてみました。
門から見ただけではわからないほどに広く立派な寺院で、十六羅漢の庭や宝物庫内に保管されている長谷川宗宅(等伯の次男)筆「吉野桜図屏風」などを楽しみました。

この期間に京都を訪れる方は、是非京都古文化保存協会さんのHPをご参考になさってみて下さい。京都国立博物館とあわせているのか、長谷川等伯に関連する寺院の公開も多いようです。
臨済宗寺院も数カ所公開されています。是非この機会に!

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花祭り -お釈迦様の誕生日-




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本日は花祭り。お釈迦様の誕生日です。
仏教寺院では、“仏誕生会”といってお釈迦様のご誕生を祝う法要が執り行なわれます。

お釈迦様は、ルンビニ(現在のネパール)にて約2500年前にお生まれになりました。私も大学の卒業旅行でネパールを旅した際にルンビニを訪ずれましたが、いくつかの国の仏教寺院がある以外は何もないような田舎の村でした。それでも村人はお釈迦様生誕の地に住まう事を誇りに思っているようで、「この村はお釈迦様が一番始めに立ち寄られた村なんだ」などと話していました。
私は僧侶ではありませんが、家には仏壇があり、縁あって研究所にて働き、禅の文化などにも非常に興味があり、宗教を問われたら当たり前のごとく「仏教徒です」と言います。ですが、「仏教徒って?」と聞かれた時、どう答えようかと迷う事も正直あります。

ある日、深い悩みを持ちながらも漸く立ち直った知人が言いました。
「お釈迦様が悟って下さった時点で、既に我々はもう救われているんだよね。安心(あんじん)を与えられている。同じく達磨さんが壁に向かって9年坐って下さったのも我々の為だよ。本当にありがたいねぇ。私達は既に救われているよ。だからちょっと私みたいに道に迷って不安定になっても、こうやって今大丈夫でいられるんだ」と。
宗教・精神医学・哲学・古今東西の文学・芸術に関する書などを読みあさり、苦しみ悩んだ末に穏やかな顔で話す知人を見て、「辿り着いたのだなぁ、もう大丈夫だろう」と思いながらも、「なんとなく仏教徒」な自分を恥ずかしく思いました。自分はあそこまで腹の底から「ありがたい」と思えるだろうか……と。
それでもやはり、「あぁ、お釈迦様ご誕生の日なのだな」と思うととても嬉しく有難い気持ちになるのは嘘ではなく、今日をお祝したい気分なのです。

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立本寺の桜 -京都市上京区-




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日蓮宗八本山の一つ、立本寺の桜です。立派なご本堂の参道に咲く桜が美しく。
夏には蓮も咲き、朝早くからアマチュアカメラマンで賑わうひそかな人気スポットです。

最近、ある看板に気がつきました。
「ここは神聖なお寺の境内です。散歩・通行・通り抜けの場所ではありません。必ず本堂前で合掌礼拝してから通って下さい」と。
一昔前の日本では考えられない事ですね。神仏を無視して通り抜けをする……とは、なんとなく悪い気がしたり、なんだか背中がもぞもぞするというか、いけない事をしている気がしたものです。
書かなくてはならない……というのはゆゆしき事だなぁと思いましたが、ただ、何の悪気もなく、知らなかった人にとっては、「お、そういうものか」とちょっとした“気づき”にもなるし、良い事なのかな?!現代社会には必要なのかもな?!とも思いました。

そうはいっても京都では、まだ朝に夕に、町のいたるところに祀ってあるお地蔵さんにそれは美しい姿で手を合わせる方を毎日みかけます。神仏に合掌する姿はとても美しく、いつどこで誰を見ても私の胸を打ちます。娑婆で生きる我々に必要なものとは何か……というのを考えさせられます。



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御香宮さんの月釜 -京都市伏見区-




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京都市伏見区にある御香宮(ごこうのみや・ごこうぐう)さんの月釜にでかけました。
今月は武者小路千家の木津宗匠がお席をもたれていました。
京都市内のお寺や神社では、毎週のようにどちらかで釜が掛かっています。
自身が学ぶ流派のみならず、気軽に他流派のお茶会へも足を運ぶ事ができますし、亭主お心入りのお道具を拝見し、そのおもてなしに学ぶ所も多く、非常に勉強になります。
だいたいの月釜が、臨時会費1000円を受付にてお支払いすれば気軽に参加する事ができ、大寄せとはいえ、本格的な茶会を毎週のようにどちらかで体験できるというのは、さすがは京都といったところでしょうか。

さて、全国的に3月3日を桃の節句としてお雛祭りをなさる所が多いのだと思いますが、京都では旧暦でお祝いするお家もいまだ多く、今回のお茶席も、桃の節句にちなんだお席でした。
待合の立雛の画にはじまり、お道具にも"赤"が随処に見られ、女子の節句と、皆が心待ちにする春の到来を祝うに相応しい可愛らしく華やいだ空間に、こちらの心も明るく楽しくなるのでした。

また、自身が学ぶ流派とは違うお道具や、そちらの流派の代々のお家元のお好みも目新しく、亭主のお話を興味深く拝聴しました。
お茶を習っていませんとなかなかに参加しにくいものですが、周りにお稽古されている方がいらっしゃるようでしたら、是非一度茶の湯の世界を体験しに連れていってもらって下さい。
"なんだか難しい決まり事が多く、古くさい"といったイメージばかりが先行しがちなこの世界ではありますが、長い時間をかけて洗練されてきた美しく深い世界とは、本当はそのようなものでは無いのだという事や、日本の芸術・精神文化の素晴らしさに少しでも多くの方が気付く事ができたら......と思うのでした。

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春前の高山寺




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三寒四温とはよく言ったもので、暖かい日が何日か続いたかと思いきや、急に真冬のように冷え込んだある日、高山寺へとでかけました。

いつも新緑の頃、紅葉の頃などにでかけていました。その時期でも静かなのですが、さらに参拝客も少なくひっそりと佇む山寺の静謐に、こちらにいらした明恵上人とお弟子さん達は、もっと厳しい真冬の日をどのように過ごされたのだろうか…と考えてみたりするのでした。
まだ新芽さえも見せない楓の木に、眩しい新緑を心待ちにする気持ちになりました。

それにしましても…行く度に鳥獣戯画グッズが増えていっているような気がするのは私だけでしょうか?! 昔はハガキと便箋くらいしか無かったような……。

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西国観音霊場 第12番 岩間山正法寺に詣る




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久しぶりの観音霊場めぐりをした。
今回は近くなのに今までお詣りしたことがなかった、滋賀県大津市と京都府宇治市の境にある、西国観音霊場第12番の正法寺(真言宗)へお詣りした。ここは、通称、岩間寺と呼ばれ、御本尊は千手観音である。
この観音様は、毎夜、日没と共に地獄を駆け巡り、苦しむ人々を悉く救済し、日の出に厨子に戻られたときには汗でびっしょり濡れてらっしゃるので、"汗かき観音"と呼ばれ、また"雷除け観音"とも呼ばれる逸話がある。

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御詠歌は、

  みなかみは いづくなるらん いはまでら
    きしうつなみは まつかぜのおと

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忍性(にんしょう)の墓塔




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日本版マザー・テレサとも評される忍性の墓塔。奈良県大和郡山市にある額安寺の北の墓地にある。そこは通称鎌倉墓と呼ばれ、忍性の巨大な五輪塔を中心に鎌倉時代以降の五輪塔8基などが立ち並ぶ。
忍性の遺骨は遺言によって鎌倉の光明寺、奈良の竹林寺、そしてここ額安寺の三ケ所に分骨された。額安寺は忍性出家の地と考えられている寺である。
忍性の塔は3メートル近い高さを誇り、1982年に行われた調査の結果、内部から銘文を刻んだ忍性の骨蔵器が発見され、改めて忍性の墓塔と確認された。

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源空寺(げんくうじ) -京都・伏見区-




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京都は伏見区にある、浄土宗源空寺です。
何気なく前を通り寺の縁起を書いた板を読んでいると……。
円光大師(法然)の霊場25ヶ所の1つに数えられており、写真にある二層の山門は、伏見城から移築されたものと伝わるそうです。
一階部分には、愛染明王や、豊臣秀吉に天下統一の大福を授けたといわれる朝日大黒天像が祀られているとのことで、お参りしてきました。
さて、私にも大福がやってくるでしょうか……。

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御香宮 -京都・伏見区-




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京都市伏見区にある御香宮(ごこうのみや・ごこうぐう)を訪れました。
神功皇后を主祭神とする事から、日本第一安産守護之大神として広く崇められています。
また、こちらの名の由来ともなっている名水(御香水)も有名です。

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登竜門の故事にもとづいた極彩色の唐破風彫刻が美しいです。
こちらの拝殿は、京都府の指定有形文化財だとか。

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金札宮(きんさつぐう) -京都市伏見区-




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京都市伏見区にある、謡曲「金札」ゆかりの地、金札宮。
750年の創建と伝わり、伏見で最も古い神社の1つです。

謡曲史跡保存会による説明板によると、

1200年前、山代国愛宕郡(現京都市)に遷都された桓武天皇は、伏見の里に神社建立のため、勅使を遣わされました。この時、天から金札が降り下り、取り上げて見ると「伊勢大神宮の流れを絶やさぬため、天津太玉神を祀るように」との御神託が、金文字で書かれていました。謡曲「金札」は、この金札の故事を語り、天津太玉神が金札と弓矢で君の代と国土を守護し、悪魔を降伏させ、もう弓矢の必要はなくなったと謡っています。
金札宮の御神体の金札と、祭神天津太玉神と天照大神の守護もあって、平安の都の平和は永く続きました。

とのこと。今はマンションや家々に囲まれつつひっそりとしていますが、平安の世を守った何とも有難い神社であったのです。
また、境内にあるクロガネモチの木は樹齢1000年を超えると言われ、京都市の天然記念物に指定されています。赤い実をつけたその堂々たるお姿は、まさに御神木。パワーに圧倒されました。

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新宿の熊野神社




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東京出張の朝、ちょっと時間があったので、西新宿の中央公園の隣にある熊野神社へ行ってみた。
このブログを読まれている方には、もちろん東京の方も少なくないだろうが、この神社をご存じだろうか。
大都会、あたりには高層ビルが立つ西新宿にあるのだ。
「熊野神社」という名から、和歌山の熊野大社を思いつつ、道路から階段をあがり鳥居をくぐる。
すぐ左手に本殿があり、ちょうど神主さんらしき方が入っていかれるのに遭遇した。その後、なにかの合図の太鼓が鳴り響いた。

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社務所前にこの神社のいわれが書かれた掲示板があった。読むと、やはり……。
室町時代、応永年間(1394~1428)に、中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州は熊野三山から十二所権現を、この地に移して祀ったのが起源とされるようだ。
江戸時代には、「熊野十二所権現社」と呼ばれたとも。
しかしまぁ、今となって高層ビルから見下ろされる熊野の権現様には、大変申し訳ないことだ。

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門戸厄神 東光寺 -兵庫県西宮市-




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我が実家近くにある門戸厄神東光寺(もんどやくじん・とうこうじ)。
「厄除けと言えば門戸さんへ」というのがあまりに当たり前で、その縁起やらも何も知らずに(HPを是非ご覧ください。その歴史はかなり古く興味深いものでした)、節分を迎えると、新しい年の厄除けをお願いしにお参りをする母の姿を見て来ました。

前厄・本厄・そして後厄となる今年、霊験あらたかな神仏が数多くおはします京都に住んでいるというのに、「やはり厄除けと言えば門戸さんかなぁ……」と、母に倣い西宮までお参りに行って来ました。
2月の節分会が終わったとはいえ、土日だからか、まだまだお参りの人の多い事!
大学生時代、この東光寺のすぐ隣にある大学に通っていたというのに、のほほんと暮らしていたモラトリアム時代の私は、特に「お参りしよう」と思う事すら無く、足を踏み入れないままに4年間を過ごしました。
時を経て今、色々な思いを抱えながらお参りする自分のみならず、多くの人々がお参りに訪れるのを見て改めて、「あぁ、門戸さんはこれだけ多くの人の思いを受け止めてくれているのだなぁ……」としみじみ思いました。
お参りする人の気持ちや目的はそれぞれに違うかもしれませんし、お参りして願掛けしたからといってそれが叶うかどうかはわかりません。厄除けと言っても、全く何も無いままに平穏無事に暮らせる保証はありません。当たり前のごとく、人生には嬉しい事楽しい事もあれば、大変な事、辛い事も待っています。
それでも、一番大切な事は、こういった寺社が我々の切なる思いを受け止める為に存在してくれている事であって、このようにお参りに行く事によって、その後自分の身に起こる様々な事への受け止め方も変わってくるのではないかと思った次第です。

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安産祈願 -京都・わら天神-




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私事ながら、妻の妊娠5ヶ月目の戌の日に、京都の「わら天神」へ行ってきました。
「わら天神」とは通称で、正式名称は「敷地神社」といい、安産のご利益で有名な神社です。
この日もたくさんの参拝者で賑わっていました。

授与所の前には、夫婦や親子で来られている妊婦さんの行列が出来ていました。
私たちも列に加わり、安産祈願の腹帯をいただきました。

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善光寺さん -長野-




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長野の善光寺さんにお参りしてきた。
ついで参りはよくないことだが、「牛に引かれて善光寺参り」と言われるくらいだから、まぁご容赦いただこう。
「牛に引かれて善光寺参り」というのは、自分の意志でもないのに、思いがけないことでよいご縁に恵まれたことの例えとして言われる言葉である。またここは、「遠くとも一度は詣れ善光寺、救け給うぞ彌陀の誓願」と、全国各地からお参りにみえる名刹である。
江戸時代には、「お伊勢参り」の帰りには「善光寺参り」をするという風習もあったようだ。

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阿弥陀如来を御本尊に善光寺はてっきり単立寺院かと思っていたのだが、実は、天台宗「大勧進」と浄土宗「大本願」からなる両方の別格本山とされているという特殊な形態のお寺だ。
雪が残る境内には、まだお正月の初詣として参詣されている人が多く、たいへん賑わっていた。

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線香をお供えし、本堂へと進み内陣にお参りすると、子供の頃、家族に連れてこられた記憶が蘇ってきた。
御本尊の真下の真っ暗な床下を手探りで歩き、「極楽の錠前」に触れることで、自分の往生の際に阿弥陀様にお迎えに来ていただく約束をするという「戒壇巡り」をさせていただけるのだ。
子供の頃に、真っ暗な中を不安を感じながら歩いたものだと思いつつ、また、阿弥陀如来の約束をとりつけさせていただいた。
ありがたや、ありがたや……。

今年6月には、ダライ・ラマを招待し、長野市内のビッグハット(オリンピック競技場)で講演会が行なわれるとのことである。

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甲山大師 -兵庫県西宮・神呪寺-




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我が家の初詣は、氏神さんへお参りし、その後お墓へお参りしご先祖様に御挨拶をする。
今年はそれに加えて、母がよく「お不動さんの日だからお参りしてきた」「お大師さんの日だからお参りしてきた」と常々言っている、甲山大師さんへもお参りに行こうという事になり参拝した。
さすがに元日という事もあって、お大師さんの日やお不動さんの日でもさほど混み合わない山道には、駐車場に入る車が連なっていた。

さてこのお寺、今までは何となくお参りする程度だったのだが、寺の開創について調べてみると、第53代淳和天皇の第四妃(後の如意尼)が開いたとされ、そのお姿を写して弘法大師が作られたという如意輪観音(ご本尊)を始めとし、鎌倉時代の不動尊や弘法大師像も重文指定、そして幼い頃から甲みたいだから甲山!と思っていたこの御山は、「仲哀天皇の御代(時代)、神功皇后が国家平安守護のために、山に如意宝珠・金甲冑・弓箭・宝剣・衣服等を埋めたと伝えられ、このことから甲山と名付けられた」という説の方が有力と神呪寺HPにあった。

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初詣 -伏見稲荷-




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自坊の三ケ日の祈祷法要を終え、鏡開きもして檀家さんのお家を一軒一軒回礼にまわったあと、今年の初詣にと、京都市伏見区にある伏見稲荷大社にお参りした。
このお稲荷さんは、来年、開闢1300年を迎えるという、お稲荷さんの総本宮である。平城京遷都が今年1300年であるから、その翌年には、ここに御鎮座されたということになる。

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三ケ日を過ぎているし午後にお参りしたので、もう少し少ないかと思ったけれども、まだまだ参詣客は多かった。それでも、ちょっとゆっくり手を合わせることができ、気持ちがホッとした。

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国分寺 -徳島市-




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徳島市内にある、四国八十八箇所第15番の国分寺を訪れました。
こちらは、天平時代に聖武天皇の勅命により建立された-金光明四天王護国之寺-です。
境内は「阿波国分寺跡」として県の史跡に指定されています。
建立時は法相宗の寺院として、発掘調査などにより、七堂伽藍を有する大寺院であった事がわかっているそうです。
また、弘仁年間(810~824年)に空海(弘法大師)が巡錫した際に真言宗に改宗したとされます。本堂横に大師堂があり、お遍路さん達が熱心に経を唱えていました。
現在は、江戸時代、蜂須賀家の命により復興したこともあって、曹洞宗の寺院となっています。

それにしましてもこちらの本堂、薬師如来が本尊なのですが、正面からというより、建物の横から拝ませていただいているような感じで不思議な感覚でした。

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丈六寺 -徳島市-




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曹洞宗の古刹、丈六寺(じょうろくじ)を訪れました。
創建は古く奈良時代と伝わるそうですが、室町時代に阿波国守護細川成之(しげゆき)が中興し、伽藍を整備したとの事。江戸時代には藩主の蜂須賀家の庇護を受けていました。

数々の寺宝が伝わる事と、拭っても拭っても消えなかったという血天井が有名で、徳島を訪れた旅人もこちらを訪れるらしいのですが、11月の初めに訪れたところ、友人と私のみでひっそりとしていました。
苔むした数々の墓、古い伽藍、戦国武将達の思い、静かな中に様々な空気を感じる古刹でした。

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青龍の頭の地 志明院へ




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11月の中頃、京都を守る青龍(鴨川)の源流の地、北区雲ケ畑の志明院へお参りしてきました。
4月の大護摩會の際にはお忙しくなかなかお話できない奥様から、様々なお話をお聞きしました。

司馬遼太郎さんがこちらに泊まられた折の摩訶不思議な体験を宮崎駿監督に話したところから、『もののけ姫』が生まれた事。

都会にいると、さも人間のみが生きている!という感じでいばっているが、こういった山の中で過ごしていると、我々人間のみが生命体なのではなく、木々やその他全てが生きている事をひしひしと感じ、人間は自分たちのみでは存在できず、ものの命や助けを借りてこそ生き長らえる事ができる事を日々感謝するという事。
そして、人間のみならず、あらゆる生命体の、その“ものの気配”をいつも感じつつ生活しているという事。また、だからこそこの地から環境問題などに対して警鐘を鳴らしているという事。

山田無文老師や、平田精耕老師もこちらを訪れられた事。

志明院のある山全体から水が湧き出ているようなもので、この山すべてが鴨川の源流であり、青龍の頭にあたる地がここなのだという事。

短い時間に、様々なお話をお聞きし、やはり京都の奥深さを知るのにはここだと思える聖地なのでした。

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伊勢神宮献茶式




遷宮ご修造のひとつ“宇治橋の架け替え”

10月10日、雲1つない高い空、澄みきった空気のもと、伊勢神宮のお献茶(表千家家元奉仕)にでかけてきました。寺院での献茶式にはよくでかけますが、神社は初めて。雅楽や神楽の奉納もあり、また違った日本古来の伝統を感じ、感謝する良い機会をいただきました。

さて、伊勢神宮には何度かお参りさせていただいていますが、訪れる度に“気づき”があります。
これからも幾度となくお参りすることでしょうが、その度に何か感じる事、思うところがある事と思います。
何百年も生き続けている木々の間を歩くだけでも心底気持ちの良いものです。

お伊勢さんの大木

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明治神宮




明治神宮

大正9年(1920)創建。明治天皇と昭憲皇太后を祀る。

神宮の森

「神宮の森」は植生遷移を考慮して人工的に造られたもの。鬱蒼とした広葉樹の社叢も神宮創建前はただの荒れ地だった。

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弥彦神社 その2 -新潟-




美しい千羽鶴

お参りを済ませた後、弥彦神社の境内を散策してみた。
本殿に入るには、神門とよばれる門があるが、ここに絵馬がかかっていて、一緒にひときわ色鮮やかで美しい千羽鶴が奉納されていて目を引いた。

神門の両側には古さを感じる苔むした狛犬がじっと参詣者を見つめているようだ。
それから、こういった古い神社仏閣にお参りすると、灯籠も気になって、おもわずファインダーにおさめてしまう。この灯籠もなかなかいい形だ。

苔むした狛犬

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弥彦神社 その1 -新潟-




弥彦神社の鳥居

良寛さんの五合庵のある山続きに、弥彦山という山があり、そのふもとに越後国一宮の弥彦神社(いやひこじんじゃ)がある。地名は「やひこ」と呼ばれるので、通常は「やひこじんじゃ」とよばれるが、古くは「おやひこさま」と呼ばれていたという。
越後の国の開拓神・伊夜彦神(天香山命)をお祀りしている。

古来は万葉集に、
「伊夜比古おのれ神さび 青雲のたなびく日すら 小雨そぼ降る」
「伊夜比古 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮衣きて 角つきながら」
という歌が残されている古い神社である。

御手洗の川

鳥居をくぐると、清涼な流れの御手洗の川があり、杉の大木に覆われた参道を歩く。
一旦左に曲がるところに社務所があるが、その近くに椎(しい)の御神木があり、その前に良寛禅師の「御神木讃歌」というものが掲示されていた。

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良寛さんの地 五合庵・国上寺 -新潟- その2




香児山

五合庵・国上寺行の続きである。
国上寺の各堂宇から、山を下っていくと、ふと左手に香児山(かごやま)という小さな塚のような丘があり、そこには上のような石像が林立している。丘の上には小さな廟もあった。
この地は天香児山命伊夜比古(あまのかごやまのみこと いやひこ)の神が鎮座された場所ということで、弥彦神社の神が御神託をされた廟所であるとの札がある。つまり、国上寺を建立するように託宣された場所なのであろう。
神々しい空気に包まれ、石段を一段一段降りておくことになる。
すると、ひっそりと五合庵がたっていた。横には良寛さんの句碑も建っている。

五合庵

五合庵の中には、良寛さんがお酒を好んだことからか、日本酒が供えられていておかしかった。
ただ、まいったのは蚊の大群に襲われたことだ。この五合庵辺りにだけ多いので、ひょっとするとこれは、良寛さんが虫を殺すようなことをせず、慈愛に満ちた人であったから、蚊もこの地を選んで住んでいるのではないかと思えたのだった。

お酒を供えられた良寛さん


『良寛和尚逸話選』(禅文化研究所発行)

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良寛さんの地 五合庵・国上寺 その1 -新潟-




国上寺境内にある良寛像

夏休みの終わりに、かの良寛さんの地、新潟県は寺泊にほどちかい、国上寺・五合庵を訪ねてきた。
良寛さんというと、曹洞宗の僧侶で、子供が好きで、かくれんぼをして皆が帰ったのにも気付かず、ずっと朝まで隠れていたとか、軒先を突き破って伸びてきた筍のために板を外したりして伸びられるようにしたといった、やさしいやさしい逸話が有名だ。
ただ、良寛さんの像は、どれも何か厳しい顔をしていて、子供たちに優しかったというイメージと違うように感じてしまうのは、私だけだろうか。

とまれ、この良寛さんは、岡山県は玉島(倉敷市)の円通寺で修行をした後に、各地の名僧を訪ね歩き、新潟にもどって、約20年、五合庵に住まいしたという。
この五合庵という庵は、真言宗の国上寺という越後最古の古刹の境内地にある小さな庵だ。まずは国上寺へとお参りした。

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三重県名張市の木地師さん -加計仏具店-


修復する仏像

よくお世話になっている恩人の案内で、素晴らしい木地師さんの仕事を拝見させていただきました。
“木地師”と聞くと、皆さんはどのようなお仕事を想像されますか?
私は一番に浮かぶのは、漆を塗る前のお椀やお盆などの原形を作る職人さんでした。
今回は、仏壇仏具、その他寺院神社などに関係する多くの物をお作りになられている木地師さんです。
様々な職人さんのお仕事を拝見していますと、「職人さんの仕事には規格というものが無い分、本当に自由で幅広いなぁ……」と思う事が多々あるのですが、まさに今回もそうでした。

【加計仏具店】
代表作は、知恩院さん所蔵の『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』を図像化した「観経曼荼羅(かんぎょうまんだら)」の軸を、厨子におさめ立体的にあらわした立体曼荼羅の木地制作です。軸に描かれている世界を立体的に…なわけですから、その仕事たるや、素人の理解の枠は超えに超えていました。
言葉では表現できませんので、HPの画像をどうか一度ご覧になってみてください。HPの納入例のページには、実際の立体曼荼羅の画像もあります。
木地の部分を加計さん親子がお作りになり、その他に、塗師や彩色師、仏師など様々な職人さんの手が加わって漸く完成をみる、後世にずっと伝えていきたい日本の仕事です。

たくさんの彫刻刀 たくさんの小さなカンナ

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久々の比叡山延暦寺

根本中堂へ

実はまだ両親が参拝した事が無い!との驚愕の事実が判明し(関西人の場合、近すぎていつでもいける…と、まぁこんなもんです)、比叡山延暦寺へ参拝してきました。
京都市内は35℃を記録したこの日、さすがは比叡山上です。26℃と風が心地よく、たくさんの参拝者が訪れていました。
私は大学生時代、そして天台宗開宗1200年慶讚 臨黄合議所大法要の際にお仕事で行かせていただいて以来です。
お参りとは、その時々の自分の心境や成長によって、行く度に違う感動があったり学びがあったりするもので、やはり、まるで記念行事のように“1度行けば終わり”ではないのだな…と改めて思いました。
両親などは、日本において枝分かれした仏教の各宗派の宗祖や高僧の多くがこちらで学んだ事を知り、感慨深いようでした。

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水が飲みたければ... -『栂尾明恵上人伝記』より-



栂尾の新緑

『栂尾明恵上人伝記』によれば、明恵上人の周囲では、たびたび不思議な出来事が起こったらしい。

ある時、上人が行法をしていた最中、侍者を呼んで言った。「手水鉢の中に虫が落ちたようだ。取り上げて逃がして来なさい」。行ってみると、蜂が落ちて溺れていたので、急いで取り上げて逃がした。またある時、坐禅の最中に侍者を呼んで次のようにおっしゃった。「後ろの竹原で小鳥が何かに襲われているようだ。行って取り離して来なさい」。急いで行ってみると、雀が小鷹に襲われていたので、追い払った。こんなことがしばしばあった。
ある日の夜更け、上人は炉辺に坐していらっしゃったが、突然、「ああ、大変だ。早く見つけないと食べられてしまう。火をともして早く追い払って来なさい」とおっしゃるので、前にいた僧が「何事ですか」と申し上げると、「湯屋の軒下の雀の巣に蛇が入った」と言われる。外は闇夜で妙なことだとは思ったが、とりあえず急ぎロウソクを灯して行ってみると、大蛇が巣にまとわりついて雀の雛を飲みかけていたので、追い払った。
こんな闇夜に、しかも遠く隔たった所の物さえ見ることができるのだから、まして我らが陰で良くない振舞いをするのを、どんなにか怪しからんとご覧になっていることだろうと、弟子衆や同宿の者も、後ろ姿までも恥じ恐れて、真っ暗な部屋の中でさえも、気ままには振舞わなかった。
こんな事があったので、侍者の僧が「上人は仏菩薩の化身だと、陰で人々は申しております」と申し上げたところ、上人ははらはらと涙を落して、次のようにおっしゃった。
「ああ、愚か者どもの言い草だ。だから、わたしのように禅定を好み、仏の教えの通り修行してみなさい。いますぐ、お前たちにもそのような事があるだろうよ。わたしはそのようになろうなどとは全く思ってはいないけれども、教えの通りに修行して長年になるので、知らぬ間に自然と身についたのだ。これは大したことではない。お前たちが水が欲しければ水を汲んで飲み、火に当たりたければ火のそばへ寄るのと同じことだ」

「大神通」を体得した人にとって、「小神通」など造作もないことだということがわかる。

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西国観音霊場 第27番 書写山圓教寺に詣る




第27番 書写山圓教寺摩尼殿

「はるばると 登れば 書写の山おろし  松の響きも 御法(みのり)なるらむ」
西国観音霊場では最も西に位置し、西の比叡山とも呼ばれる、第27番の書写山圓鏡寺にお詣りしてきた。山裾から参詣用のロープウェイで山頂まで上り、三十三観音に見守られあがら、木々に覆われた参道を登ること約20分、摩尼殿の下に到着。

摩尼殿に祀られるご本尊は六臂如意輪観音(開山性空上人が弟子の安鎮に命じて彫らせた)で、6月末までご開帳されていたので、間近でそのお姿を拝ませていただくことができた。
ご朱印をいただき、さらに奥にある三つの堂へ歩く。
途中には樹齢七百年とされる杉の巨木や、ツガなどが静かに参詣者を見下ろしている。


樹齢七百年の杉

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神仏のおはします島 -宮島・厳島神社-




厳島神社の大鳥居

日本三景の1つ、安芸の宮島を訪れました。
「宮島には旅館などもたくさんある…」と聞いた際には、「島に泊まってまで何をするんだろう…」などと失礼な事を思っていた私。
ですが、船で渡ったその島は、島全体からあたたかい光と力がわき出でるような所で、この島に厳島神社がある事が大いに納得できるのでした。
厳島神社というと平清盛が有名ですが、それよりもはるか昔、推古天皇の時代から神々をお祀りしていたようです。

厳島神社 神殿

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大護摩會 -岩屋山 志明院-



志明院_楼門
志明院 楼門(室町時代の再建)

新たな顔(面)とでもいうのでしょうか……古き都の神髄を見た気がしました。
今まで、京都好きを自称し、普通の人より少しは詳しい?!と思っていましたが、ここを知らずしてよくもそんな風に思っていたなぁ…と、一人恥ずかしくなりました。

雲ケ畑の最奥にある岩屋山志明院(真言宗単立)での護摩會に初めて行かせていただいたのです(4月29日)。
我が実家では、縁あって非常に力を持つとされるこちらの不動尊を信仰しており、毎年お札をいただき、この護摩會にて昨年のお札をお返ししています。
母から素晴らしい所だと聞かされていたものの、なかなか予定が合わずに今まで足を運ぶご縁に恵まれなかった事が悔やまれます。

上賀茂より、細い道をひたすらゆく事約30分。車から降り立った時から既に空気の違いに驚かされ、「このようなところが……」と声になりませんでした。
樹齢100年を越えるといわれる、京都市の天然記念物にも指定されている石楠花は、大地からのパワーで見事に満開。
深山幽谷の世界に、修験の修行や千日回峰行などをされる方が、こういった所で修行を重ね、心身共に極限まで研ぎ澄まされた感覚を持ち、ご自身を高めてゆくのだな…と容易に想像がつくのでした。

石楠花
これで一本の木です。天然記念物の石楠花。

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根来寺 -和歌山-




根来寺 大塔と伝法堂

紀州の観音霊場、紀三井寺と粉河寺参詣のあと、根来塗発祥の地である根来寺にお参りした。
新義真言宗の総本山である根来寺は、その巨大勢力を危ぶんだ秀吉の焼き討ち、いわゆる「根来攻め」にあうまでは、寺領2万石、山内に450もの末院を有して僧兵が1万人もがいたような、一大寺院、というより一大宗教都市であったようである。後に紀州徳川家の庇護を受け一部復興をとげたという。
上の写真の左の大塔は焼き討ちからは逃れたもので国宝に指定されている。日本最大の多宝塔ということであるが本当に美しい建物である。内部は円形の内陣があり大日如来を中心に十体ほどの仏像が取り囲むように配置されている。薄暗い内陣に外からの光が差し込み、息を飲むほど美しい情景にひとときみとれてしまった。

となりの伝法堂には、本尊三尊像(大日如来・金剛薩蝓オ・尊勝仏頂尊)が安置されている。大きな仏像だったが、とても静謐な空気が漂っており、参詣者は多かったが誰もが静かに坐って御本尊に見つめられていた。
尊勝仏頂尊という仏様にははじめてお目にかかった気がするが、実際、とても珍しい仏像だという。

根来寺境内に咲くシャガ
根来寺境内に咲くシャガの花。 広大な境内には清流があって、新緑のもみじが美しかった。
新緑の根来寺境内
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西国観音霊場 第3番 粉河寺に詣る




第3番粉河寺

「ふぼの めぐみもふかき こかわでら ほとけのちかい たのもしのみや」
第2番の紀三井寺と同じ日に、程近い第3番の粉河寺(和歌山県紀の川市粉河2787)にもお参りした。
紀三井寺は、楼門や多宝塔が鮮やかな朱色に塗り直されたばかりで、まばゆい印象であったけれども、この粉河寺は重厚な色合いである。
ここは階段は少ないお寺で、山門をくぐってから敷石の上を、境内を流れる清流沿いに本堂へと歩んでいくと、蓮の花をかたどった御手洗がある。とても美しい造形だ。

御手洗
御手洗のすぐとなりにある中門もまたしかり。「風猛山」の扁額は、紀州徳川十代藩主治宝侯によるものらしいので、この門も何か東照宮の建物のような形のような気がするのは私だけだろうか。

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西国観音霊場 第2番 紀三井寺に詣る




紀三井寺参道



「ふるさとを はるばるここに きみいでら はなのみやこも ちかくなるらん」
西国観音霊場 第2番 金剛峰寺護国院(通称・紀三井寺/和歌山県和歌山市紀三井寺1201)にお参りした。
鮮やかな朱色に塗り直された立派な楼門(室町時代建立)をくぐり、両側にいろいろなお堂がある石段を昇る。
山内に湧き出る3つの名水井戸があり、このため古くから紀三井寺と呼ばれてきたようである。またお参りした時には終わっていたが、桜の名所としても有名で、和歌浦を見下ろす山内が、沢山の桜の花に囲まれる様子が容易に想像できる。
下の写真は、三井水の一つ清浄水。



三井水の一つ清浄水


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京都春季非公開文化財特別公開のお知らせ



つつじと新緑

毎回とても楽しみな、「平成21年 京都春季非公開文化財特別公開」のお知らせです。
5月1日~10日にかけて、普段非公開の寺院や神社などが特別に公開されます。
ゴールデンウィーク中、京都の旅をご計画の方は是非ご参考までに下記HPをご覧になってみて下さい。
現在、京都は八重桜がそろそろ終わりを迎えるのと同時に、つつじや石楠花や芍薬、藤の花、そして瑞々しい新緑が我々を楽しませてくれています。

京都古文化保存協会さんのHP

禅文化研究所としましては、やはり臨済宗大本山の妙心寺の三門と塔頭に注目しております。

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清涼寺 嵯峨大念仏狂言



釈迦如来

京都三大念仏狂言(壬生狂言・嵯峨狂言・閻魔堂狂言)の1つ、嵯峨清涼寺の“嵯峨大念仏狂言”を観にでかけました(4月11日)。
京都に住んでいながらも初めての鑑賞となる無声狂言で、開演のどのくらい前に行けば座れるのか、チケットは必要なのか、いまいち情報がわかりませんでしたので、ご参考までに。

まず、演目や、行われる日時などはこのサイトをご覧になって確認を。
私が訪れた日は、チケットなどもいらず、狂言堂の前に並べられた床几に座るか、少し離れて観る事にはなりますが同じ高さから観る事のできる鐘つき堂に登り、適当に腰掛けて観るかの選択でした。
よほど関心のある方か、地元の方しか訪れない為、桜の美しい頃でしたがさほど混み合う事もなく、1番目の演目が終われば床几の席もだいぶ空く為、入れ替わって座る事もできました。

今回この大念仏狂言を観に行き、1番に感じたのは“自由さ”でした。
少し離れたところでござを広げてお弁当を食べながら観る方もいらっしゃれば、子供達は鐘つき堂の櫓によじのぼって観ていたり…。途中から見始める人もいれば、ふらりと抜け出す人も。
能楽堂にお能や狂言を観にでかける時の心地良い緊張感も良いものですが、外での自由な空気にリラックスしながらの鑑賞も素晴らしいものでした。
やはりこれはもともと、庶民にわかりやすく仏法を説くために始まったものであり、地元の人たちの間で伝え守られて来たものだからこそ出てくる雰囲気なのだな…と、京都の地の良さを存分に味わいました。
保存会では、着物などの寄付や、一緒にこの狂言を伝えていく為のお手伝いをしてくれる方を募っておられるようでした。現代社会において、こういった、土地で受け継がれて来た伝統を土地の人のみで守っていくのはとても難しい事になってきているのでしょう。
保存会の方達の努力に頭が下がる思いでした。

大念仏狂言 清涼寺_嵯峨
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一言主神社 -奈良県御所市-



御神木
一言主神社の御神木 イチョウ

九品寺から、まほろばの里の風景を楽しみつつ葛城古道を進むと、一言主(ひとことぬし)神社へと辿り着きます。
不思議な名前の神社だな…と思われませんか?
こちらは、全国の一言主神社の総本社で、祭神の一言主神は「悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離(はな)つ神である」と、古事記に登場します。

一言のみ願いを叶えてくれるという事で、地元では「いちごんさん」と親しみを込めて呼ばれ、お参りの際は共に参る人とも言葉を交わしてはいけないそうな。
言葉を発しないまま、また共にお参りした人の言葉も聞かないままにお参りをすると、なかなか神聖な心持ちになり、神社や土地の持つパワーを確かに全身に感じられるようで、“この願いをどうか”と思う一言のみを神様にお願いし、神社を後にしました。

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九品寺 -奈良県御所市-

九品寺 奈良県御所市

聖武天皇による詔にて行基が開基、また、空海が中興と伝わる九品寺を訪れました。
奈良にあるお寺は何気なく人々の生活と信仰にとけこんでいますが、驚くほど古く由緒あるお寺であったりします。
1558年より浄土宗の寺院となり、本尊は重文の阿弥陀如来坐像とのことです。

里を見守るように建つ寺は、とても静かで、聞こえてくるのは鳥の声と本堂からのお坊さん方による読経のみ。綺麗に掃き清められた境内はとても気持ち良く、深呼吸したくなります。

本堂裏からの風景
千躰地蔵を目指して裏山の方へと登っていく途中、本堂を見下ろす形になります。
美しい屋根瓦と、その向こうにひろがるまほろばの風景がたまりません。

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西国観音霊場 壺阪寺

壺阪寺山門

西国三十三カ所観音霊場の第六番「壺阪寺(南法華寺)」(〒635-0102 奈良県高市郡高取町壷阪3番地)へ参詣した。
一口に西国観音霊場といっても、それぞれのお寺の趣きはいろいろなので、お寺へ到着するまでの想像がいつも楽しい。

このお寺はまず、なにもかもが大きいという印象をもった。境内にはインドで製作されたという巨大な石仏が何体もあり、またお堂もそれぞれが大きく、中国のお寺にでも来たような感覚を味わう。

奈良の観音霊場の中では一番南にあるこの壺阪寺は、浄瑠璃でも有名な、「お里・沢市」の霊験記がのこるお寺で、眼病に霊験があるという、十一面観音が御本尊である。
御本尊は、八角円堂といわれる本堂の中に安置されていて、他の霊場に比べて、ご開帳も比較的多いようだ。室町時代の作であるらしいが、少々ユニークな表情の観音様である。

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東風ふかば… -北野天満宮-

梅の北野天満宮

東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
             主なしとて 春を忘るな

北野天満宮の梅がほぼ満開です。
訪れる家族づれやアマチュアカメラマンなどは、その美しさに魅せられ皆幸せそうでした。
道真公が好きであった梅の花……と思うと、太宰府に左遷された事や、都を懐かしみかの地で最後を迎えられた事、その後の京の都の天変地異などを思い起こし、複雑な気分になりました。
現在は、桃源郷かとみまごうような梅の花々の美しさに、さぞかし道真公の御心も慰められる事だろうと感慨深く、梅見を楽しませていただきました。

梅園

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西国観音霊場 第1番 青岸渡寺に詣る

西国三十三所観音霊場第一番 青岸渡寺

西国三十三所観音霊場の第一番、「那智さん」こと青岸渡寺にお詣りしてきた。
以前から、何ヶ所かの観音霊場にはお参りしてきたが、同じ近畿圏とはいえ、あまりにも那智さんは遠い。車をとばしても、一泊でないと行けない距離なのである。しかし第一番をいつまでも外しておくわけにもいかない。
夏は海水浴客で混み合う和歌山方面なので避けたいのだが、幸いにも、このお正月、電気工事の関係で研究所は例年より1日長めの休みをいただいたので、ここぞとばかりに出かけることにした次第。

青岸渡寺本堂

紀伊半島最南端に近い紀伊勝浦町にある「青岸渡寺」には、如意輪観音が祀られているが、通常は開帳されていないので、直接おがむことができない。今年は三十三所の観音霊場が順番にご開帳されるということになっているが、ここは3月頃とのこと。残念ではあるが仕方なし。
それでもすぐ近くには133mもの落差をもつ名瀑那智の滝があり、お詣りできてよかったという気持ちもふくらんでくる。

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金刀比羅宮参拝 -金毘羅さん参りその1-

さぬき富士を眺める

10月半ばの話になりますが、まだ秋も入り口の頃、思い立って金毘羅参りにでかけました。
金毘羅さんといえば、長い階段・歌舞伎などで有名ですが、その正体やいかに?!
寺なのか、神社なのか、はたまた修験道の地なのか?!何の知識も無く、なんとなく「一生に一度は」のキャッチフレーズ?にひかれてのお参りでした。

金毘羅さんの正式名称は、金刀比羅宮(ことひらぐう)。
そもそも最初は大物主神を祀り、琴平神社と称したそうです。
その後、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)をとり、金毘羅大権現と改称しましたが、明治元年に神仏混淆(しんぶつこんこう)が廃止され、元の神社へと戻ったのだとか。
明治時代の神仏混淆廃止がなければ、大物主神もおはしますれば、大権現もおはします、修験道の地としても栄えた、日本の信仰すべてを併せ持つ地だったようです。

旭社
旭社

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東寺 -京都-

東寺

五重塔の内部が公開されているとのことで(11月9日まででした)、学生の時に一度訪れて以来、およそ10年ぶりに東寺へ参拝しました。
おそらく10年前にも、圧倒されるような伽藍に国宝級の仏像の数々、長い歴史を経てなお新鮮に我々の前に存在する信仰の姿にいたく感動したはず?なのでしょうが、人の記憶とはあやふやなもので(愚かな私だけかもしれませんが)ほとんど記憶に残ってはいませんでした。
久々に訪れて、数多くの仏像を目の前に、「あぁ、いつまでもここにいたい……」と思い、同時に、ここは観光の為に1度だけ訪れるような、そういう場所では無いのだと、はっきりとわからされた気がして、認識を新たにしました。

余談ですが…講堂内におはします“帝釈天”があまりに凛々しく貴高く美しいお顔をされていて、目に入った時に、思わずあとずさりしてしまうほどでした…。あのお顔のみはもう何年見ずとも忘れはしまい…と思っている私ですが、はてさて如何に…。

東寺
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真如堂 -涅槃の庭-

真如堂

11月8日、左京区にある真如堂-天台宗-を訪れてみました。
ところどころ紅葉がはじまり、境内は参拝客でにぎわいを見せています。
ここ真如堂には、安倍晴明の念持仏であったといわれる不動尊が伝わっています。
そのむかし、安倍晴明が他界し、閻魔さまのもとで裁きを受ける際、この不動尊が命乞いをして晴明は生き返ったのだとか。その際に晴明が閻魔さまより衆生の民を救う秘印を授けられました。
この「結定往生之秘印」のお札、真如堂にて手に入れる事ができます。
天寿を全うし、極楽浄土へ行くにはこのお札を!

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海住山寺(京都・木津川市) -五重塔ご開扉-

五重塔_海住山寺

京都府木津川市にある、海住山寺(かいじゅうせんじ)では、2008年10月25日~11月9日の期間、国宝五重塔特別開扉が行われていましたので、参拝させていただきました。
国宝の五重塔の中でも、法隆寺、醍醐寺、室生寺に次いで四番目に古く(鎌倉時代初期)、法隆寺と同じく、裳階(もこし・装飾化されたひさし)があります。17メートルちょっととこぶりな方ですが、都からははずれた地にありながらも、瀟洒な感じがしました。
紅葉には少し早いようでしたが、ほのかに色づいた木々のグラデーションもまた楽しく、季節の移り変わりのありがたみを感じました。

山上からの加茂の眺め
寺から続く小道を登って行くと、このような眺望が。

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浄瑠璃寺の紅葉模様

浄瑠璃寺

昼間はまだ暖かい日が続く連休(11/1)に、浄瑠璃寺を再訪しました。
まださほど紅葉は見られませんが、前回訪れた時よりも、にわかに参拝客も増え、にぎわいを見せる境内でした。
ですが、どれだけたくさん人が訪れようと関係の無いようにひっそりとしずかに佇む五重塔と、九体阿弥陀仏なのでした。
今回は、秘仏吉祥天女像の厨子が開かれ、美しい尊顔を拝する事ができました。
毎年秋に拝する事ができるようです。また、毎月8日のお天気が良い日には、五重塔におはします薬師如来も拝めるようで、次回は是非8日の休日のお天気の良い日!を狙って伺いたいものです。

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尊勝院 -京都・粟田口-

何段もつづく階段

洛東粟田にある、天台宗の古刹、尊勝院が特別公開中とのことで訪れてみました。
今回、第44回 秋季京都非公開文化特別拝観 のポスターを見て、「ここは?」と気になったのででかけてみたのですが、人目に触れぬようなひっそりとした地に、このような立派な仏様がたくさん祀られていようとは…と、驚くばかりでした。明治の廃仏毀釈により、数あったお堂が壊されてしまい、今は唯一残るお堂にすべての仏様などがお移りになったのだとか…。
角大師として有名な、元三大師様が開基との事。以前訪れた廬山寺にて元三大師については少し勉強させていただきましたので、親しみ深くボランティアの方の解説に聞き入りました。

尊勝院の由緒など、詳しくはHPに。

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万治の石仏 -信州諏訪-

万治の石仏

諏訪の下社春宮の近くには万治の石仏という変わった阿弥陀如来様があるとの事で、キラキラと光り輝く落ち葉が美しい木立の中を川沿いに進んでいくと、お堂も何もないような所に突然阿弥陀如来が。
テレビでも紹介されたことがあるらしく、また、あの岡本太郎氏も絶賛したという。

なんともユニーク

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諏訪大社 -信州諏訪-

諏訪大社 下社秋宮

秋が深まり始めたので、もう紅葉をみられるだろうと思い、信州は諏訪近辺へ出かけた。
実は新調したデジタルカメラを携えての撮影旅行といったところ。

諏訪は何度も通過したことはあるが、あまり立ち寄ったことがなく、事前に調べてでかけることにしたところ、いろいろと見どころがあるらしい。

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京都非公開文化特別拝観

禅の寺

今年も秋の特別拝観の時期がまもなくやってきます。
いつもどちらにでかけようかと私も楽しみです。
今回禅宗寺院からは、大徳寺本坊・真珠庵・黄梅院・慈受院・南禅院・東福寺三門が公開されます。
普段公開されていない寺院ばかりですので、是非この機会をお見逃し無く!!!

禅僧が語る 各派管長DVD 絶賛発売中!

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海住山寺 -ひっそり佇む国宝五重塔-

海住山寺

京都は木津川市、加茂にある海住山寺(かいじゅうせんじ)を訪れました。
この辺りは、美しい日本の風景が多々残っており、海住山寺へと続く道は、「本当にこの道の先に国宝の五重の塔などあるのだろうか?!」と思わせられるような、車一台通ればいっぱいの道を小高い山上へと登って行きます。
聖武天皇の勅願で735年に建立されたとのことですから、よほどこの地には立派な寺院を建立する因縁があったのでしょう。
国宝五重塔は、1214年に建てられており、昭和の大修理で初重の軒下に裳階が復元され、法隆寺とこちらの寺でしか見られない珍しい造りとなっています。
木津川市には、まだたくさんの古刹があり、京都市内に見られる寺院よりもさらに古い日本人の信仰を肌に感じられるような気がして、最近わたしの中で熱いスポットなのです!

海住山寺_国宝五重塔
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岡寺 -奈良-

岡寺 本堂

西国三十三所、第7番札所の岡寺、ご本尊は如意輪観音、真言宗の寺院です。
奈良は明日香村にあり、その辺りの風土は人の心をゆったりとしたものにさせます。

奈良国立博物館にて、こちらの如意輪観音がおでましになられていましたので、それなら是非にもと参拝させていただきました。

小高い山の上からの眺望

こういう風景にこそ、癒されます。人工的施設での“癒し”は、私には無用です。

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大和し美し -浄瑠璃寺付近の風景-

美しき国 日本

先日ブログにてご紹介しました、MIHOミュージアムの展観-大和し美し-ですが、浄瑠璃寺近くにはそんな日本の美しい-風景-がそこかしこに残っています。
人工建造物などはいっさい見えない、なだらかな山と田畑。とても美しいです。

花おくら

珍しい花おくらです。おくらの花と同じような色形ですが、数倍大きい!
そのまま食べられます。

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浄瑠璃寺 -平安の信仰を今に伝える九体仏-

九体の阿弥陀如来がおはしますことから、地元の人などからは九体寺(くたいじ)さんと呼ばれ親しまれている古刹、浄瑠璃寺(真言立宗)を訪れました。
白洲正子さんの著書でこのお寺を知ってからというもの、約8年前から「行ってみたい」と願い、漸くご縁をいただけました。
京都とはいえ、奈良にほど近い木津川市加茂にあるお寺で、訪れる人もまばらです。
ゆったりとした山を登って行った所に、このような寺院が…本当にお浄土がそこにあった…といった感のお寺です。

参道_浄瑠璃寺 門_浄瑠璃寺

参道も美しく、歩いていくだけで心清らかになっていくようでした。

三重塔_浄瑠璃寺

そしてまずは、薬師如来を祀る三重塔に現世における苦悩からの救済を願い…、

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お伊勢参り 2

内宮の入口、宇治橋

外宮から6キロ離れたとこに、伊勢神宮の内宮がある。
車で移動すること数分。もちろん昔はみな歩いて移動していたのだろうが今は安易なものだ。
夏休みだからだろうが、自分たちも含め、平日でも親子連れの参拝者も多いようだ。

さて、伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮を平成25年に迎えるそうだが、社殿を建て替えるという大事業を20年に一度行なうことができるというのは、すごいことだと感心してしまう。
既に今度の式年遷宮に関する行事は平成17年から始まっているそうで、境内は式年遷宮一色である。


伊勢神宮内宮の正宮

そういえば、以前にこのブログでも別のスタッフが朝の伊勢神宮を訪ねたことを書いていたことを思い出した。併せて読んでもらうのもいいかもしれない。
気持ちいい空気をすって、すがすがしい気持ちにさせていただいた。
息子にも古来からある日本の信仰というものに、少しでも何かを感じてくれたら幸いである。


内宮の正宮の社殿

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お伊勢参り 1

伊勢神宮 外宮の正宮

子供の夏休みも終わりに近づいたが、まもなく一緒には来なくなるであろう息子と二人で、伊勢に旅をした。
もともとはプールのある温泉付きホテルで、ゆっくりとくつろぐのが目的だったが、それではあまりにもったいないと思い、せっかくなので、お伊勢さんにお参りしてみようということになった。
お伊勢参り、私は実に小学校の修学旅行以来のことである。

ご存じのとおり、伊勢神宮ことお伊勢さんには、内宮と外宮がある。その間およそ6km。まずは外宮からお参りして、続いて内宮へお参りするのが習わしである。
ということで、最初に外宮へ。
まずは御手洗(みたらい)にて、手と口をそそぐことから教えねば。
御手洗での簡単な作法を教えたところ、まじめに聞いてくれた。隣では見ていられないような仕方で手を洗ったりしている人を余所目に、作法ということの大切さ、美しさというものを知ってくれたらうれしいと思っていた。

伊勢神宮 外宮の参道

参道をいくと明らかに空気が異なる。なんという神聖な気持ちになるのだろう。
周辺には樹齢何百年も経ているだろう木々が静かに息吹いている。
鳥居をくぐるときにはお礼をしつつ、意外に近い正宮に参拝する。
一般的な二礼二拍手一礼の礼法を一緒にし、これもまた、大切な文化だよと教えた。

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熊野詣で

熊野本宮大社

異国の文化や遺跡が好きで、たくさんの土地を旅してきましたが、帰国する度に日本の素晴らしさを再認識し、日本が一番自分にしっくりくる国で、大好きだとの思いを強くしてきました。

そしてこの夏、インドの聖地への旅から帰国し、「やはりインドは素晴らしい、けれども日本の美しさ、素晴らしさはどこの国も及ばない」との思いも頂点に達した感(おおげさでしょうか)があり、「これからはもっと深く深く日本のことを学ぼう。日本の聖地ともいうべき所を旅してみようか……」などとぼんやり考えていると、両親が「ご縁あって熊野本宮大社にお参りにいくけれど……」と。
インドから帰って3日後に、熊野大権現様のおはします大社へお参りに行って参りました。
ちょうど東京国際ブックフェアの際に、別冊太陽の「熊野」を購入したところでもありました。読む前にお参りとなってしまいましたが、これも何かのお導きでしょう。

山深く霊験あらたかな土地に築かれたなんとも清々しいお宮で、斎衣をまとい皆でご祈祷を受けました。
打ちならされる太鼓の音に、生まれ変わるような心持ち。皆それぞれに感慨深いものであったと思います。ただただ、頭を垂れて、「ありがたい、ありがたい」との思いでした。

いにしえの人々が「この地こそ」と崇め、信仰の対象となるようになった所には、何か人智を超えたパワーがあるものです。まずは熊野本宮大社にて、そのありがたさを体いっぱいに感じた、夏のある暑い一日でした。

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勧修寺 -京都・山科-

勧修寺

山科にある門跡寺院で、真言宗山階派大本山、勧修寺(かじゅうじ)を訪れました。
このお寺の建立は昌泰3年(900年)で、由緒も歴史も随一。
蓮と睡蓮の咲き誇る氷室の池を中心とした庭園も圧巻です。平安時代には、1月2日、この氷室の池に張った氷を宮中に献上し、その厚さで五穀豊穣を占ったとか……。

勧修寺 勧修寺


この素晴らしさとは裏腹に、京都市内中心部からは少し離れた山科区にあるからか、訪れる観光客もまばらで、京都の人にもさほど知られていなかったりします。
かくいう私も、東京出張の際に新幹線のホームにて、「そうだ、京都いこう」のポスターを見て知ったのでした…。

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甲斐 武田神社

武田神社の鳥居

研究所からの出張で、山梨県甲州市にある大本山向嶽寺を訪ねることになったので、その約束の時間前に、山梨市にある武田神社へ参詣した。
ご存じの通り、あの武田信玄公の居所であった居城(城と言っても平城で、城郭ではない)であった躑躅ケ崎館をもとに、信玄公をお祀りして武田神社として残っているものだ。
武田神社の参道とも言える通りには、山梨大学があり、ゆるい登り坂になっているが、この通りには電線や電柱がなく、とても美しい通りである。
この地の人たちが、如何に信玄公を大切に思われているかが、そのまま表われているようである。

武田神社本殿

回りには外堀や内堀もあり、武田のお屋形さまがおられたころを感じさせる。
大河ドラマ『風林火山』の影響で、きっと去年は沢山の観光客が来たのだろうが、今回、土曜日ではあったが、比較的ひっそりとしていて、おちついてお参りできた。
さて、まだ時間があるようなので、もう一つ、前から訪ねてみたかった恵林寺へ行くことにした。(つづく)

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蓮華寺 苔と青もみじ

蓮華寺

梅雨の晴れ間、青もみじと雨にうたれて潤った苔の緑を拝みに蓮華寺へ。
大伽藍を持つお寺の拝観も良いものですが、こういうお寺に京都の良さを改めて感じます。

絵のような

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光悦寺の青もみじ

光悦垣

お天気の良い日には、緑が心底気持ちよい光悦寺。
秋の紅葉の時以外は、訪れる人もまばらで、静かな時を過ごせます。

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金戒光明寺 -紫雲の庭-

山門

5月の爽やかな陽気の日、浄土宗大本山の金戒光明寺を訪れてみました。
今回は、紫雲の庭の公開、そして、長らく修復で留守をなさっていた文珠菩薩様がこのたび修復を終え、御姿も新たにお戻りになられましたので、楽しみにでかけました。
立派な本堂にて初めて拝見する文珠菩薩様は、言葉に表わせぬ美しさで、ひと目見て魅せられてしまいました。

つつじと青もみじ 石楠花

青もみじも鮮やかで、つつじの目の覚めるようなピンクも美しく。
石楠花も満開でした。 いつの季節に訪れても、気持ちの良いお寺です。

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廬山寺 -京都非公開文化財特別拝観-

源氏庭

前回、冬に訪れた廬山寺。今回は春の特別公開ということで訪れてみました。
ここはかの紫式部の邸宅跡で、現在京都では源氏物語千年紀で源氏物語ゆかりの地をめぐる人も多いせいか、ひっそりと御所の東にたたずむ寺院としては、たくさんの参拝客で溢れていました。

平安時代をイメージして作庭された源氏庭、また本堂には明智光秀念持仏、角大師像、平安時代の阿弥陀三尊、不動明王、様々な仏像が鎮座し、織田信長の焼き討ちをまぬがれたこの天台宗の寺院を訪れると、古の人々の信仰の厚さに、頭下がる思いがします。

色々な寺院を参拝していると、昔の人は、「人の力なんて微々たるもの、目に見えぬものへの畏敬の念、いつも見守り助けて下さる神仏や祖先への感謝の気持ち」を、貴賤問わず大切にしていたのだな…と自然に感じます。
古くから残る寺社仏閣は、形だけでなく、やはり心を伝えるものとして今もなお、有難いものなのだと再認識した休日でした。

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本福寺 水御堂 -淡路島の安藤建築-

ウェスティンからの風景

安藤忠雄さんの建築物を見ようと淡路島に渡った。
淡路島では多くの安藤建築に出会える。
まずは、大きく分けて下記5つから成る淡路夢舞台。

☆兵庫県立淡路夢舞台国際会議場
☆ウェスティンホテル淡路 リゾート&コンファレンス
☆展望テラス レストラン&ショップ
☆淡路夢舞台温室 奇跡の星の植物館
☆野外劇場

安藤さんの建築をまわる旅

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