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2008年02月14日

St. Valentine's Day

梅の蕾もほころびかけて…

研究所のブログにこのタイトルは無いだろう…と思われた方には、先にお詫びを申し上げます。

「そもそも、バレンタインデーってなに?」と、疑問に思い調べたのは何年前だろうか。
いろいろな説があるようだが、ヴァレンタインとはローマ帝国時代のキリスト教司祭で、その死についてはなかなか血なまぐさい歴史があり驚いたものである。

日本では、女性から男性への愛の告白。そして、現在では、お世話になっている方へ感謝の証として義理チョコをせっせと配り、チョコに目がない女子は、この日を狙って輸入されてくる普段は買えない海外のあらゆるブランドチョコを「ご褒美チョコ」として自分に買ったり、友達と交換したりする。
そしてホワイトデーなるものも、日本で生まれた習慣。 本来のバレンタインデーの意味は知らなくとも、海外の行事を自国独自のお祭にしてしまう、日本人の懐の広さには驚くばかりである。

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2007年08月17日

女というのは・・・

久しぶりに楽しい言葉に出会った。

ジョージ秋山の『浮浪雲(はぐれぐも)』。連載八百回記念という今号は、なんとか良い妻をめとって子どもに恵まれていい生活をしようと生真面目一本でやってきた男のおはなし。ほのかに思いを寄せる女性はいるが、一歩が踏み出せずに悶々と日々を送る。そんな男に、品川宿「夢屋」の頭(かしら)「浮浪雲」が「指南」する。

「女とはどういう生き物か知ることでんす。女は三つでできてる生き物でんす。虚栄と快楽と打算でんす。この三つを満足させるのが男の仕事でんす」。

あまりに言い得て妙なので、思わず声を立てて笑ってしまった。こんなふうに思い切れる男に女はどれほど出会いたいことか。

そして不思議なことに、そんな浮浪雲と暮らす奥さんのカメさんには、「虚栄」や「快楽」や「打算」に駆り立てられる風が微塵も感じられないのである。

2007年07月30日

老舗の心

熱帯地方の睡蓮(未草)

先日、とある老舗に長年使っている大切な物の修理をお願いした。
それが昨日届いたのだが、無駄なゴミを出さずシンプルながらも、大切な物を絶対に濡らさない、傷つけはしない、非常に気配りされた丁寧な梱包で、中味を見るまでもなく嬉しく思った。

そして、修理に出した物がまた職人さんによって新しい命を吹き込んでいただいたような気がして、「心を込めて何かをする」という事は、こちらにまで間違いなくきちんと伝わるのだなぁと改めて思い、大切な事を教えていただいた次第。

老舗、御用達、名店と謳われるほどの店になるまでには、先人の数知れぬご苦労があった事であろうし、今現在ものれんを守っていく困難との闘いであろうと思う。
修理に出した物一つに、老舗であるゆえん、その心を見、非常に爽やかな気持ちが心に拡がった。

2007年07月20日

美しい国、日本?! -アレックス・カー氏-

氏は、雨蛙を見てエメラルドと・・・

7月15日、TBS『情熱大陸』というTV番組に、アレックス・カー氏が出ておられた。
どのような方かはこちらで>『情熱大陸 アレックス・カー(東洋文化研究家)』

様々な仕事をこなしていらっしゃるが、その全ての根底にあるのは、-本当に美しいものとは何か-であって、揺るぎない信念と審美眼を持つ彼だからこそ出来うる仕事をしていたら、それがあらゆる分野にまで拡がっているだけなのだと思えた。

「日本は、東洋の文化の終着地点のような所」と、番組内でおっしゃっていたが、まさにその通り。それは、アジア各国に趣き様々なものを自分の目で見て、手で触れて来たからこそ自然と出てくる言葉なのだろうと思えた。
今、政府は「美しい国、日本」というコピーを携えているが、それならば、その日本の源流とも言える国々の文化の知識までをも持ち、その上で、なかば壊れかけた日本の美しい風景や文化をどのように立て直して行くのかを見据えなくては、狭い狭い日本の内だけを見て「美しい国、美しい国」と言っていても、机上の空論に過ぎない気がする。
氏のように、知識と経験、ものを見る心の目を持った方に政策に携わって欲しいような、すがるような気持ちになってしまった。

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2007年05月23日

国鉄山陰線天神踏切西方20メートル

かつての国鉄山陰線

研究所から少し離れた所にある、何の変哲もない高架下。かつてここには踏切があった。
1969年6月24日午前2時36分ごろ、この地で一人の女子大学生が二十年の短い生涯を終えた。

“「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である”
                  (高野悦子『二十歳の原点』13ページ)


今、この地に立つと、時代の流れと個人の運命が交錯し、惻惻と私の胸に迫ってくる。

2007年01月18日

朝日と夕陽

亥年を迎えてから、はや半月。もう今年の24分の1が終わったことになる。

よく言われることだが、日本は敗戦後60年で、日本人としての大切なものをどんどんなくしてしまっていっているのではないだろうか。
例えば、大晦日から元旦。
ただ日が変わるだけといえばそれだけだが、やはり、ただそれだけのことではないと思う。
私が子供の頃、元旦の朝には必ず、下着から上着にいたるまで新しいものを着させてもらった。
そういう区切り、けじめが、今の時代ではなくなってしまった。

物が溢れているから、いつも関係なく新しいものを手に入れ、好きなときに身につけてしまっている。
そういうことになれてしまって、感謝の心も無くしてしまっていっている。
アメリカナイズされ、個人主義が高じてわがままになり、自分だけの生活のまま社会に出てしまっている人たちが世の中に沢山いる。
通勤途中でもそういう人たちを沢山見かける。電車の中で化粧する女性、禁煙の駅のホームで喫煙するビジネスマン、車内で着メロを鳴り響かせる高校生。
どこかに書いてあったが、現代社会では、部屋で寝ていたときの姿のままで外出できる人が、とても沢山いるらしい。信じ難いことだ。

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そういえば、明治生まれの今は亡き私の祖母は、生前、朝夕に山門を開け閉めするのが日課だったが、その時にはかならず、朝日に向かって手を合わせ、夕日に向かって手を合わせ、月に向かって手を合わせていたのを思い出す。子供の頃、私もよく付き合わされたものだ。
今思うとと、祖母にとっては毎日毎日が元旦と大晦日のような心構えだったのかもしれない。
見習わなくてはいけないことだ。

2007年01月16日

巨木の受難

古木が生い茂る鎮守の森。その姿は日本人の精神の原風景とも言えよう。「千古斧入れぬ」という形容もあるように、祖先たちはその保護に意を注いで来た。最近では巨木に対する関心も高まり、各地で調査保護の活動がなされている。

この鎮守の森に、思わぬ所から危険が迫っているらしいのである。

私の父が氏子総代を勤めている故郷の鎮守の森で、一本の桧(ひのき)が枯死した。直径1メートルもあろうかという巨木で、入札にかけたところ、保証金も含めて数百万という値がついた。大木が枯れたことは誠に残念ではあるが、不足しがちな神社予算に、思わぬ臨時収入が舞い込んだ。

ところが、である。

専門家に調べてもらったところ、地表に出た樹根の目立たないところに巧妙にドリルで穴が開けられ、なんと除草剤が注入されていたのである。こんなことをされたら、どんな巨木でもひとたまりもなく枯れてしまうという。

近頃は大木の伐採もままならず、巨材が品薄で価格が高騰、中には、このようなけしからぬ振る舞いに及ぶ悪質な木材業者も存在するようだ、とのことであった。

似たような事件は各地で起きているという。最近も和歌山県の丹生都比売(にうつひめ)神社のご神木が被害に遭った。ふだん人のいない神社が狙われやすいようだが、山林を所有する寺院でも注意が必要だろう。

今まで元気だった樹木の葉が突然黄変したら、一応は疑ってみる必要がある。

2007年01月10日

情報をよむ

昨今は大学の履修科目に、メディア・リテラシー(media literacy)というのがあってなかなか面白そうだ。これは種々の媒体(メディア)を通して氾濫する情報を、批判的にどう読み取り、自らの考えをどう伝えるかという能力を培うための学問のようだ。
「新聞・雑誌・ラジオ・テレビといった古い形のメディアの伝える情報の圧倒的な影響力に対する問題意識」に端を発するというメディア・リテラシーは、当然の流れとしてのネット情報の読み取りや、芸術作品の解読といった方向にも切り込んでいる。
 
1920年代、ドイツの国策映画会社、ウーファを中心にしてドイツ映画は黄金期を迎えたが、そこで活躍した映画人の多くは、それ以後、ドイツが辿ってゆく反ユダヤ主義の思想とは相容れなかったのであり、ある者たちはアメリカへ、またある者たちは映画界を去って行き、最後にヒトラーの体制とともに残った才能は、レニ・リーフェンシュタールのみであったと言われる。

かつては舞踏家として活躍したリーフェンシュタール監督の撮影方法には、絶妙のリズム感があり、それまでのドイツ映画の卓抜な技術を継承した、比稀な感性が見事に開化した作品が、「意志の勝利」であり「オリンピア」であった。「意志の勝利」は1934年ナチ党大会の、「オリンピア」は1936年ベルリン・オリンピックの記録映画である。

しかし、いずれの作品も、見るものを圧倒するその映像の美のゆえに、ヒトラーをヒューラー(総統)とする体制を根底から支えるのに貢献をしたことは、歴史的事実として否定できないだろう。
「オランピア」においては、ドイツ選手たちの競技に一喜一憂するヒューラーの姿が、様々な角度から映し出され、選手たちの勝利のたびに、その栄光を讃えるハーケンクロイツ旗が高々と掲げられた。軍服に身を包み、貴賓席から拍手を送るヒトラーの「雄姿」からは、彼の頭の中にすでにできあがっていたはずの、国を挙げての狂気の未来について、何人も思い描けなかったのである。

レイ・ミュラー監督の「レニ」は、「意志の勝利」の制作によって、戦後弾劾され続けた、このレニ・リフェンシュタールの伝記的記録映画である。
「レニ」において、リーフェンシュタールは、「結果を知っていたら、決して『意志の勝利』は撮らなかった」と言っている。映画監督であったリーフェンシュタールの政治的無関心は、決して糾弾されずに済むものではないが、「あの時代」を読むことは、後代の我々が考えるほどに易しくはないだろう。ヒトラーは国民投票により88パーセントの支持を得てヒューラーになったのであり、ナチ党大会の記録映画「意志の勝利」をフランスはじめ、ヨーロッパの数カ国が表彰したのである。

私たちは「同時代」をいかに読み透すことができるのか。これは傑出した一握りの「専門家」にのみ向けられるべき問いではない。一市井人のこの「私」が確かな眼で情報を読まなければ、世界は想像を超えたスピードで歪んでしまうだろう。想像を超えたスピードで情報がゆき交っているからである。
 
メディア・リテラシーについて考えるとき、昨年一年、日本のマスメディアが狂乱して報道した堀江貴文さんの事件などは、私たちがどのようにして「真実」を読み取るべきかを示唆した象徴的な「出来事」にも思える。
(M)

2006年12月15日

功名が辻

12月10日の日曜日、大河ドラマ「功名が辻」が最終回を迎えた。
ご覧になっていた方々も多いだろうが、いかがだっただろうか?

私は毎回毎回、面白く、感動を覚えつつ見させてもらった。
実はこれまで、あまり大河ドラマに興味がなかったのだが、今回の「功名が辻」は興味を持って見てしまった。
まず、原作者が司馬遼太郎であること。それから、筆者は滋賀県に住まうことから、長浜を中心にする話の展開に興味があったのももちろんであるが、仲間由紀恵演じる千代や、一豊役の上川達也をはじめとして、キャスティングがよかったこともあるだろう。

実は私は「石田三成」が好きなのである。司馬遼太郎も三成が好きだったと、何かで読んだことがある。司馬の『関ケ原』は、明らかに三成側に立って書いてあるくらいである。
ドラマ上では数回前に、関ケ原の戦いにおいて、豊臣軍につくそぶりを見せながら徳川についた武将たちの裏切りにあい、結局負けて落人となってしまった正義の人、豊臣に義を尽くした三成である(ドラマでは中村橋之助が演じていたが、これまた素晴らしかった)。
そういう視点からみると、山内家存続のために豊臣を裏切ったといえる一豊は、三成の敵であるが、そのあたりが「功名が辻」のテーマそのものであるから、なんとも言えない。

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2006年07月11日

自分の顔

蓮葉

昨今、高額なお金を支払って美容整形をする人が増えてきているようです。
昨夜も某テレビ番組で、整形を熱望し、そして実現した人達の番組がありました。
その中で、ある若い男性が整形した自分を見てもらう為、先輩(女性)のところへ行くと、その先輩は整形した顔を見て驚き、だいぶ大人びた顔になったねといいつつも、「変な自信を持っちゃだめ。結局、大事なのは心で、あなたがどう生きていくかが問題だ」と、浮かれ気味な後輩を諌めていました。
この番組を見て思い出したのが、山田無文老師の『和顔』に収録されている、“自分の顔に自信を持て”のお話でした。

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