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2006年09月30日

西村惠信所長といく -禅と文化の旅-

吾唯知足

恒例の、【禅文化研究所 日帰りバスツアー】のお知らせです。

紅葉で混み合う京都を避け、今回は滋賀(甲賀・信楽)を訪れます。
京都と同じく歴史深い近江の里で、美しい自然と美術に触れ、禅の寺にて
西村惠信先生のお話を拝聴し、共に学びましょう。
詳細は下記のとおり。

日時    :平成18年11月11日(土) 午前9時~

集合場所 :JR京都駅八条口1階 観光バスプール脇コンコース(通路)

集合時間 :午前8時45分(同時に受付)

参加費   :お一人様 15,500円 (後援会員様は13,000円) 

募集人数 :先着40名(最少催行30名・店員に満たない場合、中止の場合あり)

申込方法 :こちらの申込フォームから

コース   :京都駅八条口(9:00)===(10:30)滋賀県甲賀市:大池寺〔所長の講演〕
        ===(12:20)甲賀の里 錦茶屋(昼食)(13:30)===(14:00)信楽:MIHO
        ミュージアム(15:30)===(17:00頃)京都駅八条口
        ※時間はおおよその予定です。交通事情その他により変更となる場合があります。


大池寺(だいちじ)
臨済宗妙心寺派。小堀遠州作として伝えられる蓬莱庭園が有名。
秋には背景が紅葉に彩られ、その赤とさつきの葉の緑、白砂の白のコントラストが非常に美しい。

MIHOミュージアム
深い山の中にある、まさに桃源郷のような美術館。紅葉の時季、様々な彩りを楽しめます。
今回は、秋季特別展「青山二郎の眼」を鑑賞。
日本・中国・李朝などの骨董と信楽の美しい自然をお楽しみいただく。

◇甲賀の里 錦茶屋
「健康長寿」の願いを込め、季節の素材を生かした薬膳料理で有名。

◆講師 西村惠信(にしむら えしん)
1933年生。前花園大学学長。文学博士。専攻は禅思想 。
禅の思想から文化まで、わかりやすく、そして楽しく教えることに定評がある。
主な著作、『己事究明の思想と方法』 『岩波文庫 無門関』 『鈴木大拙の原風景』
『無門関プロムナード』 『禅坊主の後ろ髪』等。

前回の旅の記録はこちらからどうぞ。

2006年09月29日

お墓 -ブータン-

真言(マニ)が書かれたマニ壁

ブータンにはお墓が無い。
少なくなったが、少し前まではチベット仏教に見られる鳥葬なども地方によっては行なわれていたようだ。
現在では、荼毘に付され骨まで灰にし、川に流すらしい。輪廻転生が当たり前であり、また生まれ変わるのだから、先祖の霊や死者の霊を祀るという事はしない。

灰の一部は、上の写真に見られるように、土と混ぜて小さな三角錐型に固められ(焼いてあるのかも?)
山奥の道端の崖の窪みに置かれていたり、マニ車やマニ壁のそばにそっと置かれていたりする。
「ツァツァ」と呼ばれているようだ。功徳を積むためにこれを作って置いたりもするらしい。

ツァツァ

ツァツァ

いたるところで見つけられます。

廃墟と化した民家

人の身体が自然に帰るのであれば、廃墟と化した民家もそのようだ。
人が住まなくなった家は、雨風にさらされ風化し、自然へと帰っていく。
「ブータンの風景だ」と思えた。


2006年09月28日

北村美術館 -漸寒(ややさむ)-

ひっそり佇む北村美術館

-漸寒-
秋の半ばから末にかけての寒さを、次第に、とか徐々に、という意味の「漸(やや)」を使って「漸寒(ややさむ)」といいます。秋の季語でもあります。
禅宗の書物にも、10月頃の事をいうのに、-漸寒-という言葉が使われている事があります。
そんな素敵な言葉を題した展観が、北村美術館で開催中です。

ほぼ茶道具のみの展示ですので、訪れる人もまばらで、ゆっくり御道具を拝見できます。
寄付・懐石・濃茶席・薄茶席など、茶事のシーンごとに道具が展示され、こじんまりとした美術館ではありますが、一つ一つの御道具、お箱書きなどを楽しめるのでお腹いっぱいになります。
茶道の正月と言われる11月、炉開きを迎える前の秋の雰囲気、名残の雰囲気を味わえる御道具達に出会えます。
また、表千家・堀内宗心宗匠が北村に贈ったという、茶事手控えなるものが表装されて出ていました。
拝見するだけで、宗匠のお人柄にふれられるような気がしました。

余談ですが・・・
ここ北村美術館の近くには、李青(りせい)という李朝喫茶があります。
こちらのしつらえは、美術館に置いてあっても良いようなものがセンスよく配置され、本物(李朝白磁の大壺は圧巻)に触れる事ができる貴重な穴場カフェです。
数ある蔵書を、お茶を飲みつつ拝見する事も可能。
冷麺とピビンパも、美味しい美山の野菜がふんだんに使われていて美味。
美術館を訪れた後、是非立ち寄ってみてください。


2006年09月27日

平成18年秋~冬の新刊

禅文化研究所編集部より、現在編集中の、この秋から初冬にかけての新刊3冊をご紹介します。
 『訓読 五灯会元』全3巻  訓読・能仁晃道……―中国禅宗祖師の列伝―。初の全文訓読、詳しい人名索引付。
 『臨済録をめぐる断章 ―自己確立の方法―』 西村惠信著……語録の王『臨済録』を一般人のために平易に説く。
 『道元禅師 正法眼蔵行持に学ぶ』 石井修道著……『正法眼蔵行持』を全訳、詳細な解説。
 
まずは・・・
『訓読 五灯会元』全3巻  訓読・能仁晃道
 『五灯会元』は、『景徳伝灯録』以下、『嘉泰普灯録』に及ぶ五つの禅宗灯史(五灯)の重複を整理し、集成して一書としたもの。過去七仏に始まり、南宋に至るまでの諸祖の伝灯の次第と機縁の語句を収める。簡にして要を得た編纂の巧みさと、五家七宗に分類された構成の整斉さは、古来より高く評価されている。本書は灯史の決定版として広く流布し、禅を語る者は多く本書に拠ったという。我々も、本書の中からあまたの著名な公案を見出すことができるであろう。
 今回、初めて全文に訓読を施し、さらに全ての漢字に振り仮名を付して通読に便ならしめた。さらに、巻末には、号・諱・地名から引ける人名索引を付した。
B5判上製函入・平均700頁・分売不可・予価 52500円(税込)

つづいて、
『臨済録をめぐる断章』 西村惠信著
  語録の王として珍重されてきた『臨済録』は、もともと禅門修行者のためのテキストで、その格調はすこぶる超俗的である。それをいま一般人のために平易に説いて、現代人の「自信」を喚起させようとする著者の細心が全編に漲る。
 同じ著者の『無門関プロムナード』とともに、広く一般読書人に薦めたい。
 『無門関プロムナード』の姉妹書として、広く一般の方々にもお読みいただけるものである。
四六判上製本・約288頁・予価2,415円(税込)

 最後に・・・
『道元禅師 正法眼蔵行持に学ぶ』 石井修道著
 道元禅師の主著『正法眼蔵』の行持の巻を、原文に即して、全文を紹介し、全訳して、道元禅師の素材である出典を確かめたもの。
 取り上げられる仏祖三十五名は、道元禅師にとって重要な祖師ばかりであり、詳細な解説を通して、道元禅師の祖師像が明確になっている。
 『中国禅宗史話―真字正法眼蔵に学ぶ―』(禅文化研究所・一九八八年)の姉妹編と言える。
B6判並製本・約600頁・予価2,415円(税込)/駒沢大学出版助成

 それぞれの定価は予価で、また書名も仮題ではありますが、ご予約をお待ちしております。

2006年09月26日

茶会 於:樂美術館

樂美術館

定期的に樂美術館にて催される茶会に訪れた。
当代が後見をつとめられ、いろいろとお話を聴かせていただけて、楽しく勉強できる茶会だ。
お軸は、表千家中興の祖である如心斎(七代)によるもの。
「茶の湯とは・・・」。この本歌はおそらく、一休禅師の歌かと思う。

  心とは如何なるもの言うやらん
          墨繪にかきし松風の音(一休禅師)

これを、茶の湯とは・・・としていたわけだ。

いつもながら、樂さん(当代)の楽しいお話にこちらまで嬉しく楽しく、本物を味わえた。
樂さんは、こんなことを言ってよいものかとも思うのだが、少年のような無邪気な笑顔をのぞかせる一面があり、お会いする度に、「人とは、何歳になってもこういう一面が大事だ」と思わされる。

一碗目はノンコウ(三代・道入)の黒樂。銘は如心斎の箱書きがあり、「須磨」という。
ぽってりと丸みをおびていて、手にすっぽりと包みやすく、安心感のあるおおらかな茶碗だった。
釉薬はわりと厚めみかかっているはずなのだが、茶碗そのものをぎりぎりにまで薄く削ってある為、大きさに対して、非常に軽やか。
ノンコウの人柄と、その時代背景を思わせる茶碗だ。
利休が生きていた頃、その求めで茶碗を作っていた長次郎(初代)の緊張感とは違っている(と私は思う)。
美術館に飾られたものをガラス越しに見るのみでなく、こういった樂さんの試みのおかげで、実際に茶碗に触れてお茶をいただく事ができる。
樂家にとって大事な茶碗たちを、誰が来るかわからない茶会に出す試みに、感心するばかりである。

現在、ノンコウと親交の厚かった本阿弥光悦の茶碗も数多く展示されている。
近年まれに見る名碗が一同に会している。なかなか無い展示会だ。
是非、足をお運びいただきたい。

2006年09月25日

大徳寺、電線を地中に。

所用で、大徳寺を訪れた。
何やら門のところに看板がかかっているので読んでみると、景観保護の為、電線を地中に埋める工事をはじめたとのこと。
素晴らしい試みだと思う。

景観保護というのはなかなか難しく、行政がからむ事もあり、寺院などの意向だけでは進まない事も多いらしい。

私がこの夏訪れたブータンなどでも、日本の協力とやらで電線があちこちにお目見えし、景観を全く考えていない配置となっていた。 
山々が連なるあの国で、地中に・・・というのは無理に等しいか・・・。

ブータンの人々の生活が便利になったのは良い事?なのかもしれないが、少し残念に思った。自分の国は経済発展を成し遂げたのに、他の国にはそのままでいてほしいと願うのはエゴだろうか。

京都の町でも、景観保護の為、電線が地中に埋められ、高いビル・京都の風情に似つかわしくない建物などが建てられない事を願う。

2006年09月23日

お彼岸 -彼岸花-

故郷の曼珠沙華

お彼岸ですね。
この時期になると田んぼのあぜ道などに彼岸花-曼珠沙華-が咲きます。
幼い頃、きれいな花だと思い家に持ち帰ると、「火事になるから飾るのは駄目!」と言われたものです。 球根に毒があり、あぶないからそのように言うようになったのか、あの花の燃えるような色にそう言うようになったのか・・・。
曼珠沙華というからには、信仰と強い結びつきのある花で、あえて田んぼのあぜ道などに植えられたとする説など、いろいろないわれがあるようです。

なんにせよ、彼岸花が咲く時期にお墓へ参るからか、この花を見ると御先祖さまに思いを馳せるのです。

2006年09月22日

パンリ・ザンパ寺院 -ブータン-

パンリ・ザンパ寺院

17Cに、ンガワン・ナムゲルがブータンに来て初めて居を構えた場所。 ンガワン・ナムゲルは、チベット人ラマ僧で、1639年にはチベットとの戦いにも勝ち、政治・宗教上でのブータン初の指導者とも言える重要な人物。 中には彼の像があるが、ある日その像が話したのだとか・・・。

「前にある川から水を飲むので、窓を開けておいてくれれば、水を供える事はない」と。
窓の開いている部屋があるのが、上の写真からも確認できる。確かに川が流れている。
どういった意図があってこの伝説(本当かもしれないが)が生まれたのかは不明だが、何らか意図する所があるのだろう。
ナムゲルの像を前に、やはり3回五体投地。その後、お坊さんが美しく細工が施された銀製の水差しからサフラン水を我々の手に少し与えてくれる。それを頭や額にひたすのだ。御利益があるとか。
どの寺院に行ってもこの3回の五体投地とサフラン水(あるいは普通の水)の儀式は行なわれた。
ひたすら座ってお経を唱えているよりも、体を動かし一心に五体投地を行なう方が意識を集中させやすいような気がした。

ンガワン・ナムゲルの杖_杉の大木


この杉の大木は、ナムゲルがブータンを訪れた際に杖がわりに使ったものがここまで育ったのだとか。どこかで聞いたような話だ。
日本でいえば、弘法大師さんが使っていた杖を地面に挿したら根が出て大木になっただの、西行法師杖突の桜だの、親鸞聖人の銀杏の杖突の大木だのといった話がたくさんある。仏教繋がりというわけで、このような似た話があってもおかしくはないのだろうが、実際聞いて目にするととても親しみを持ってしまう。
(N.K Wrote)

日本人と大差無い顔立ちであるため、研究所のNさんに似ている人も・・・

美しいペインティングが施された入り口

2006年09月21日

岡山 倉敷 美観地区・民芸館・大原美術館

倉敷 美観地区

倉敷の美観地区は、平日ということもあって観光客が少なかった。 まずは倉敷民芸館を尋ねた。 ここを訪れるのは初めてだが、かなり見応えのある所蔵品の数々だった。日本だけでなく世界中の民芸品が集められている。現在は籠をテーマにした展示をされていた。 建物も江戸時代からのものらしく、中庭も印象深い。

倉敷民芸館 中庭

美観地区をぶらぶらしたあと、大原美術館へ。


倉敷・大原美術館


ここには日本有数の西洋美術館として、貴重な絵画がたくさん展示されている。
もちろん、エル・グレコなどの西洋画も素晴らしかったが、私は日本の児島虎次郎の作品のいくつかに目を奪われた。WEBサイトでも一部の絵をみることができるが、是非実際にご覧になることをおすすめしたい。
館内の庭には、モネが愛した睡蓮もきれいに咲いていた。


モネが愛した睡蓮

2006年09月20日

ガラスは液体!?

ガラスと水

「ガラスは液体だ」
ある人が、こう主張しているのを聞いて、はじめは「またお得意の詭弁が始まった」程度に聞いていた。
しかし調べてみると、満更嘘でもないらしい。むしろ化学の世界では常識に属することのようだ。

我々の感覚においては、ガラスはどう見ても固体にしか見えない。しかし化学的に見た場合、ガラスは固体に特有の結晶構造をしておらず、液体のまま過冷却された「ガラス状態」という状態にあるとのことである。
たしかに、ガラスを熱すると次第に柔らかくなり、流動化する。中学校で習った、いわゆる融点というものがない。また、常温でもごくわずかではあるが、流動性を示すらしい。つまり、ガラスとは非常に粘性の高い液体、例えば硬い水飴のようなものとイメージすれば良いのだろうか。

ガラスは硬くて脆く、その破片はとげとげしい。繊細で傷つきやすい心をガラスの心と喩えたりもする。それに対して液体の代表格である水は、古来その適応性や柔軟性が賞讃されてきた。老子は「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る」と述べ、白楽天も「水は方円の器に任ず」と吟ずる。
この全くの正反対にみえる二つの物質が、実は同じ「態」に属するのである。
人も、目に見える性質の背後に、いかなる本質が隠されているのか分からない。表面的な性質だけで物事を判断してはならないと、改めて思った次第である。
(T.F Wrote)

2006年09月19日

秋晴れの鴨川

サイクリングに良い季節です

夏の太陽とは違う、秋晴れの日の光。
空気が澄んでいて、鴨川が最も美しい季節です。
って、年中美しいんですけれどね・・・。
この川を見るたびに、「京都に住んでいて良かった」と、 一人幸せをかみしめるのです。

2006年09月15日

チャンガンカ・ラカン -ブータン-

美しい外壁_チャンガンカ・ラカン

ティンプー市街地の丘の上に建つ見晴らしの良い寺。日本でいう-氏神さま-のような存在だそうだ。
子供の成長に御利益があるらしく、子供連れの参拝者が多い。
御本尊は十一面観音で、15世紀に建てられた古刹との事。宗教的な建造物は皆、赤と白の壁で統一されるらしい。外壁に見られる赤い塗装はケマ(Kemar)と呼ばれる。

チャンガンカ・ラカンから見えるティンプーの街

屋根はトタン

上の写真では見にくいかもしれないが、ブータンでは、歴史的建造物を修復する際、屋根は伝統的工法でなく、トタン屋根にするらしい。
一瞬、「木材は豊富にありそうだし、豊富にあるからこそこの複雑な木造建築技術が栄えたのだろうに、なぜだろう・・・」と思った。しかしガイドの説明によると、伝統的な方法だと、使う木材の量が半端ではないらしく、自然破壊が進んでしまうためだとか・・・。政府の方針らしい。
学校でも自然環境保護については授業に組み込まれているらしく、国をあげて環境保護に取り組んでいるようだ。
しかし、ブータンの伝統建築の屋根は、木材を使って作った屋根だからこそ、気温の変化に対応しただろうし、外観の美しさもそれゆえのものがあった。この技術を使わなくなってしまえば、工法も廃れて、作る事の出来る職人はいなくなるのでは・・・と少し寂しい気もした。
日本の場合、社寺建築や、茶室建築などに、環境保護の為なるべく木を使わないなどという発想自体無いような気がする。ブータンが良いのか日本が良いのかなどとは一言では言えない、難しい問題だと思った。

背丈よりもはるかに高いマニ車

寺院内の大きなマニ車。これを回してから参拝する。

どこに行ってもマニ車

外へ出てもマニ車。寺院でも町中の公園でも、マニ車はいたる所にある。

ブータンの松

松林をよく目にする。松や杉の生えている山中をドライブしていると、日本にいるかのよう。 しかし!松かさが異様に長いのだ・・・。(N.K Wrote)

2006年09月14日

岡山 吉備津神社・国分寺跡

岡山市の西に吉備津神社という神社がある。
桃太郎伝説のモデルとなった神話が残る神社である。
通り雨の上がるのを待って、木立の中の階段を上がり、本殿に至る。
残念ながら、現在、本殿の檜皮葺き替え工事のまっ最中で、「吉備津造り」といわれる壮大な全体像を見ることができなかったが、かなり大きな本殿であるのがわかる。
本殿右側には、奥の三社神社の方へ続く長い長い回廊があった。


吉備津神社の長い回廊


ところで、あの栄西禅師は、この吉備津神社の子として生まれたのである。

吉備津神社からさらに西へ車で15分ほど移動したところに、国分寺跡がある。
あたりに山も無い丘陵地に立つ五重の塔は、その遠景がとても美しかった。
いにしえの時代に立ち返ったような気分になった。


国分寺をのぞむ


(E.N. Wrote)

2006年09月13日

メモリアル・チョルテン -ブータン-

参拝する人がたえないメモリアル・チョルテン

首都ティンプーの街の中央にある。 チョルテンとは、“仏塔”を意味するチベット語で、ブータンのいたる所に建っている。 このメモリアル・チョルテンは、1972年に亡くなった三代目国王ジグミ・ドルジ・ワンチュックが生前に発願したものを、国王の没後、四代目の現国王が意志を引き継ぎ建立した(ガイドブックなどには国家事業として・・・とある)。
チョルテンの中には、忿怒形の歓喜仏による立体曼荼羅が繰り広げられている(内部の写真撮影は不可)。以前訪れたネパールでもよく目にした歓喜仏であるが、ここブータンでチベット仏教を広めたグル・リンポチェが、人々に悟りというものをわかりやすく説くために、ボン教の教えと融合させて作ったものだそうだ(ガイド談)。また、各寺院や寺院での祭に、ボン教の名残を垣間見る事ができるようだ。 どこの国に仏教が伝わっても、やはり土着の宗教や信仰というものは無視できないものだなと感じた。日本では家に仏壇と神棚がある。以前訪れたミャンマーでは、もちろん国の宗教は仏教だが、今でも山の精霊に漆塗りの美しい高杯などで供え物をすると言っていたし、皆精霊の存在を信じていると言っていた。

大きなマニ車の周りにはご老人達が・・・

メモリアル・チョルテン内のマニ車(中に経文が納められ、これを回すとお経を唱えたのと同じ御利益がある)の周りに座っているご老人達を前にガイドが説明してくれた。私は強い衝撃を受けた。

日本でいう、リタイアした人たち。つまり仕事も終え、定年後の生活というわけだ。
あとはひたすら功徳を積むために毎日ここへ来て、一日中座ってお経を唱えつつマニ車を回し続けているという。この人達にももちろん迷いや悩みや苦しみはあるだろうし、ブータンが現在の姿になるまでにはいろいろな事があった。が、しかし、その心の平安は日本の老後とどれほど違うだろうか・・・。
若い頃から、老後の為と資産運用をし、老いれば年金がきちんと支払われるか不安を抱き、医療費や介護費の事を気にかけつつ子や孫に迷惑がかからないようにと願う。
ここには、そういった悲しい不安は無いように見えた。
延々と続く魂の生まれ変わりを、何の疑いも無く信じる人々をすぐ目の前にし、深く感動した。

次の出番を待ち、外で乾かされるバターランプの器

これは、チョルテン内にあるバターランプの器。ブータンではどこのお寺でもロウソクではなく、このバターランプが使われている。これを一日中燃やしているので、独特の香りが漂う。

松を燃やしてお清め

お参りが始まる前に、朝必ず空気を清める為、松や杉など?を燃やすようだ。
ガイドはsacrificeという単語を使っていたが、特に何か動物などを燃やしているわけでもないようだったので、やはりお参り前のお清めのようだ。

お参りする人々

老若男女がたえずお経を唱えながら周りを回っている。
私たちもガイドのすすめで、共にチョルテンの周りを3回まわった。

また、ひたすら五体投地をする人々に、そのスタイルが違うのを不思議に思っていると、チベット式は全身を地面につけ、伏せるような形をとるのに対し、ブータンスタイルは、最後はおでこを地面につけるだけの形なのだとか。
これからたくさんの寺院を拝観する事になるが、そこでブータンスタイルの五体投地をガイドと共にすることとなるが、やはりガイドは、いつも3回やりましょうと言うのであった・・・。
仏教で、3という数字はやはり他国の仏教であってもポイントなのだなと思った次第。
(N.K Wrote)

メモリアル・チョルテンの全容

2006年09月12日

岡山 備前焼

布袋香合_備前焼小西陶古作

少々わかりにくいかもしれないが、ごらんあれ、この布袋さんの足の親指。まるで生きているようでしょう?

岡山県の伊部(いんべ)駅の近くの備前焼きの里にならぶ窯元の店を歩くうち、ある一軒の店に入ると、少し耳の遠いおばあさんが店番をされていた。
ふと見ると、店の机の上に読みかけの『床の間の禅語』が置いてあるではないか。
おばあさんに、「この本は私の勤務先が出版している本なんですよ」と言うと、「いろいろとあるけど、この本が一番いいので、いつも側において読んでいる」と嬉しいお言葉。ご子息が禅の本を何冊か持っていらして、その中でもこの本が一番良いとおっしゃっているとも伺った。有難いことである。
そういうご縁に根っから弱い私は、この店がとても気に入った。
それだけではない。この店の随処には山野の花がきれいに活けてあった。
そこにあったこの布袋さんの香合を買い求めたのである。
陶芸家は、小西陶古という女性作家である。
土は備前のものだけを用い(最近ではなかなか土が採れないらしく、他の土地の土を混ぜて焼くものがあるそうだ)、窯は松割木だけで焼くという方法に拘っておられるようだけあって、色合いが非常に美しい。
(E.N. Wrote)

2006年09月11日

近江のかくれ里-百済寺-

本堂へと続く石段

白洲正子さんの『かくれ里』や、五木寛之氏の『百寺巡礼』などにも出てくる、近江の百済寺(ひゃくさいじ)を訪れた。
白洲さんゆかりの地を訪れたかったのと、以前MIHOミュージアムで見た如意輪観音を本堂にて拝みたかったからだ。 百済寺は、推古天皇の時代に、聖徳太子の御願により百済人のために創建されたそうだ。 滋賀にはこのように聖徳太子にまつわるお寺や土地が数あるようだ。興味深い。

乗り換えたバス停からの風景

さて、百済寺への道のりだが、京都駅からJRで能登川へ行き、そこからバス2本を乗り継いでいく。不便だ。しかし、京都の町中にいてはなかなか見られないような近江の風景に、とてものんびりした気分になった。
百済寺に着き、「しまったぁぁぁ!!!」なんと、創建1400年記念ご開帳が九月中旬から始まるようだ。御本尊の、十一面観世音菩薩がお目見えするらしい。 もう一度来なさいと言われているようなので行くつもりだ。

本堂

本堂には、MIHOミュージアムから戻って来られた観音様が鎮座されていた。
美術館で光をあてられている姿と、本堂のほの暗い中におられる姿とは別物で、こちらの気持ちもなぜかとても落ち着いた。
本堂への石段を吹き抜ける風は、何とも言えず気持ち良く、そこを登り終えると現れる本堂の趣は近江の里を見下ろして建つに相応しい立派な美しいものである。
また、四季それぞれに美しい姿を見せるであろう回遊式庭園の遠望台からは、近江の里が見渡され、これまた絶景。

遠望台から望む近江の里

思ったよりも時間がかかった上、寺で過ごす時間も長くなった為、今回はこの百済寺のみを参拝し帰路についたが、とても満ち足りた気分であった。
(N.K Wrote)

2006年09月08日

GNPよりもGNH -ブータン-

写真を御願いすると、手を合わせてポーズをとってくれたおばあさん

“Gross National Happiness is more important than Gross National Product.”

これは、1976年12月、スリランカのコロンボにおける第五回非同盟諸国会議に出席後の記者会見席上での、当時21歳(国王就任4年目)の現国王の言葉である(平山修一『現代ブータンを知るための60章』より)。

国王のこの発言に表わされるように、ブータンという国は、国民総生産よりも、国民総幸福量の向上を目指している。
旅の一週間の間でさえ、それを感じる場面は多々あった。

上の写真は、ブータンに着いた日に撮ったものだ。
民族衣装をまとった、なんともいえない表情をしたおばあさんがいたので、「写真を撮ってもよろしいですか?」と聞くと、にこっと笑って拝んでくれた。
今まで私が訪れた国では、写真を撮らせてもらうとチップを要求される事が多々あった為、私は、「やはり手を出されるのだろうか」と警戒していた。
しかし、全くもってそのような事はなかった。
警戒心を持っていた自分がとても恥ずかしくなり、また、なんて失礼な事を思っていたのだろうと反省することしきり・・・。
初日だからとはいえ、ブータンの国の人々にこのような思いを抱いた事を、今はとても悔いている。

ブータンから帰り、一緒に旅をした友人に撮ってもらった自分の写真を見て改めてびっくりする。
「歯を見せて笑っている・・・」。
写真が苦手で、カメラを向けられて微笑む事の出来ない私。
微笑んでいてもとてもぎこちなく、歯を見せて笑っている事などほぼ無いに等しい。
それが、自分で言うのもなんだが、とても良い表情をしているのだ。
自然にそういう顔を引き出してくれるような国なのだと思う。

ブータンの何が魅力か、それはやはり『人』なのだと思う。
いくら美しい自然や歴史有る立派な建造物があっても、物質的に豊かであっても、人の心が豊かでなければ、旅をしていてこのような笑顔にはなれない。

現国王のコメントに、「私達は私達に基本的な事を問う、どうやって物質主義と精神主義とのバランスを維持しつづけるのか」というものがある。
基本的な問題でありながら忘れられてしまったこのバランス。
さて、我が国日本はもうそろそろ真剣にそれを見つめ直す時ではないだろうか・・・。
(N.K Wrote)

市場にいたおばあさんと孫たち

学校帰りの小学生 民族衣装(男性のものをゴ・女性のものをキラという)が制服

修行中の小僧さん

2006年09月07日

岡山 後楽園

岡山後楽園 岡山城が見える

日本三名園のひとつ岡山後楽園は、閑谷学校を造った池田光政の長男、岡山藩主の池田綱政公が造らせた庭園である。

庭園には水が流れて涼しい

広大な敷地に広がる庭園には、大きな池が在り、水がながれ、岡山市内とは思えない景色だった。 暑い夏の日ではあったが、気持ちが大らかになった。

岡山城は烏城とも呼ばれる

2006年09月06日

ゴーヤ料理

いただき物のゴーヤ

最近、ゴーヤ料理にハマッている。きっかけは檀家さんからのおすそ分けである。 いつもトマトや胡瓜などの夏野菜は頂くのだが、ゴーヤは初めて。お盆の行事が終わり夏バテ気味の体には、ゴーヤのビタミンが効果的だろうと、頂いた日に早速調理してみた。

作ったのは定番のゴーヤチャンプル。ゴーヤを薄切りにして、豚肉と豆腐と一緒に炒め、調味料を加え卵を絡める。
最後に鰹節をふりかけて完成。食べてみるとゴーヤ特有の苦みはあるが、この苦みが程よくてごはんによく合う。家族にも好評で、あっという間に平らげてしまった。
これに気を良くして、時間のある時にはついゴーヤ料理を作ってしまう。

ゴーヤを初めて食したのは僧堂時代に遡る。
老師が人一倍健康に気を使う方で、ゴーヤ(当時は「にがうり」が一般的な呼称だったが)が好物であった。
僧堂の園頭(えんじゅ:菜園のこと)でもゴーヤを栽培していて、雲水たちの食事の一品にも加えられた。あの頃は茄子と一緒に炒めて味噌で味付けしていたが、それでもかなり苦くて閉口した気がする。
そんな記憶があるからか、僧堂を出て以来、スーパーなどで見かけても、買ってまで食べようという気にはならなかった。それが20数年ぶりに食べてみて美味しいと感じたのは、味覚が変ってきたからだろうか。もっとも僧堂で作っていたゴーヤが特別苦かったのかもしれないが。

くだんの檀家さんに礼を言ったところ、早速ゴーヤが届けられた。和尚の好物が檀家さんの間に伝わるのは速いものである。
今年の夏野菜はもう終わりだから良いが、来年、胡瓜よりゴーヤのおすそ分けが多かったらどうしよう、そんな心配を今からしている。
(K.N Wrote)

2006年09月05日

ブータンの地酒

ペットボトルに入れてもらい持ち帰った貴重なピンクアラ


ブータンには、各農家で作られる、アラと呼ばれる蒸留酒がある。
米や蕎麦、麦など、それぞれの家庭によって違うもので作る為、味も違う。
私も滞在中、アーチェリーの試合後のお弁当タイム(選手達は、試合後にお弁当と、各家庭自慢のアラなどを持ってくるらしい)に混ぜてもらい、ハチミツ入りのものや、無色透明ですっきりした、まさに日本の焼酎のような味の物をいただいた。
これは是非、研究所にお土産として持って帰りたい!と思ったわけだ。

しかし、アラは各家庭で作るのは合法だが、売る事は禁じられている。
そこでガイドにお願いし、農家から分けていただく事となった(これはいいのか?まぁ、ガイドの話では、問題無いとの事だったので大丈夫だろう)。
持ち帰ったアラが、上の画像の通りである。
ほんのりピンク色!

地球の歩き方に、「ピンクアラ 東に行くとほんのりピンクのアラ(焼酎)が出されることがある。これは削った紫檀を煮出して、その赤い成分を本来透明であるアラに混ぜているのだ。特によくできたアラだけにさらに手をかけて作るので、これに出会えたら幸運」とある。
紫檀と知って、どうもお仏壇しか思い浮かばない私であったが・・・。確かに木をスモークさせたような独特な香りがする。
なにはともあれ、研究所のメンバーは幸運である。ブータンに行っていないのに、ピンクアラを味わえるのだから!(?) と、ここで私の周りの方達のアラの感想をご紹介。

爽やかな味と香り、風を感じるような酒だった。(E.Nさん)
品の良い白酒(はくしゅ・中国の焼酎)を飲んだようだと思ったら、中国のお酒よりもよくきいたかも・・・。(Y.Kさん)
私にはちょっと香りがきつすぎて・・・。(N.Fさん)

人によってだいぶ印象が違うようで・・・。
ちなみに私は現地でいただいたはちみつ入りがお気に入りです。
(N.K Wrote)

アーチェリーの試合後のおじさん達とのひととき

2006年09月04日

岡山 閑谷学校

讃岐うどんを食べた高松を後にして、岡山へ渡った。
岡山では、まず閑谷学校へ。約300年以上前、備前藩主池田光政が庶民教育を目的に開いたという学校で、その講堂は、今は国宝に指定されている。
掃除がゆきとどいており、とても気持ちのいい場所だ。ここで学んだ人たちは、後に出世した人も多いのだが、素晴らしい土地を選んで学校を作り、それも庶民に学ばせようとした光政侯の遺徳が忍ばれる。


閑谷学校の門

閑谷学校の講堂(国宝)外観

これが国宝の講堂である。とても手の込んだ建築方法なのだそうである。備前焼の赤瓦が印象的である。前には手入れの行き届いた芝生が広がっていた。 上にあがって講堂内部を覗き込むと、当時の生徒たちから現在まで、ずっと雑巾で磨き上げられてきた床が黒光りしているのが目にとまる。

磨き上げられた床がひかる講堂の内部

講堂のさらに奥の方には、現在は史料館になっている寮舎がある。そこへ続く小径は丸い形に作られた石垣の屏に沿っており、とても涼しい風がながれていて、夏の終わりを感じさせてくれた。

寮舎へ続く珍しい形の石垣屏。涼しい風が吹き抜けていく

(E.N. Wrote)

2006年09月01日

日中禅僧交流

出発前

8月29日、第5回日中禅僧交換交流のため、臨済宗・曹洞宗から6名の雲水たちが中国へと旅立った。一行は10日間にわたり厦門にある南普陀寺で中国僧と共に修行生活を行う。

この交流は今から8年前、「修行を通しての日中間の仏教交流を」という中国仏教協会からの求めに応じ、日中臨黄友好交流協会が窓口となり、臨済・曹洞より7名の雲水を中国河北省にある柏林寺に派遣したことに始まる。
第2回は中国より5名の僧侶を受入れ、臨済の僧堂や曹洞宗永平寺で修行を体験し、以後、交互に派遣と受入れを行なってきた。
禅は中国より日本に伝来し長い歴史を有するが、修行方法や僧堂運営などにおいて両国の違いは多々ある。しかし、これまでの交流では、修行生活という共通の場に立つことで、お互いを尊重し、理解し合うという成果を生んで来た。
日中間の関係悪化が懸念される昨今であるが、日中仏教間ではこうした人的交流を通して友好な関係を維持している。
彼ら6名が現地での生活を通し、何を感じ、何を持ち帰ってくれるか楽しみである。
(K.N Wrote)